説明

細胞内における生体物質の局在制御関連酵素の特定方法

【課題】細胞内における所定の生体物質の局在を制御する酵素の特定を通じて、当該生体物質の局在と疾患との特定する方法を提供すること、さらに、当該疾患の診断支援のための方法、当該疾患の治療薬のスクリーニング方法、及び当該疾患のモデル細胞を提供する。
【解決手段】細胞内における所定の生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する方法であって、生体物質を検出可能に標識した試料細胞において、生体物質の局在を制御している酵素群候補の活性または発現を抑制して生体物質を観察し、活性または発現が抑制されることによって生体物質の局在を撹乱させる酵素群を生体物質の局在制御関連酵素群と特定する酵素群特定工程と、酵素群特定工程で特定された酵素群の活性または発現が抑制される疾患をデータベースによって探索し、生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する疾患特定工程と、を含む方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、細胞内における所定の生体物質の局在と疾患との関連を特定する方法、また、当該生体物質の局在を制御する酵素を特定する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、タンパク質、mRNA、脂質等の細胞内局在の異常が、所定の病態に関連すると推測され、細胞内局在の撹乱を生じさせるタンパク質ネットワークの研究が進められている。
【0003】
生体物質の局在撹乱と疾患との関連が特定されることにより、局在撹乱の有無を検出してその疾患の診断に用いたり、局在撹乱に関する情報を当該疾患の治療薬を探索するスクリーニングに用いたりすることができる可能性がある。また、生体物質の局在を制御しているタンパク質ネットワークや、その作用メカニズムを解明することができれば、局在撹乱と疾患との関連についてより明確な情報が得られるとともに、これらの情報も、診断やスクリーニングに利用することができる。
【0004】
最近では、光学顕微鏡システムと緑色蛍光タンパク質(GFP)をはじめとする可視化プローブの開発により、細胞内でのタンパク質、mRNA、脂質の局在化情報の取得は容易になった。
【0005】
しかしながら、細胞を使用して、局在変化に関わるタンパク質ネットワークを同定する方法や、その作用メカニズムの解明をするための汎用性が高くしかもシステマティックにタンパク質ネットワークを同定する方法は確立されておらず、依然として困難であった。
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
そこで、本発明は、細胞内における所定の生体物質の局在を制御する酵素の特定を通じて、当該生体物質の局在と疾患との関係をシステマティックに特定する方法を提供することを目的とする。さらに、当該方法によって得られた情報を用いる診断支援のための方法、当該疾患の治療薬のスクリーニング方法、及び当該疾患のモデル細胞を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、上記課題に基づいて鋭意検討を重ねた結果、生体物質の局在を制御している酵素群を特定し、当該酵素の活性と疾患との関係を既存のデータベースで探索することによって、当該生体物質の局在の撹乱と疾患との関係を特定できること、さらに、生体物質の局在を制御する酵素群は、まず阻害剤を用いて酵素群の候補を絞り込んだ後、酵素群の発現を個別に阻害することで効率よく特定できることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0008】
すなわち、本発明は、
〔1〕細胞内における所定の生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する方法であって、前記生体物質を検出可能に標識した試料細胞において、該生体物質の局在を制御している酵素群候補の活性または発現を抑制して該生体物質を観察し、活性または発現が抑制されることによって該生体物質の局在を撹乱させる酵素群を該生体物質の局在制御関連酵素群と特定する酵素群特定工程と、酵素群特定工程で特定された酵素群の活性または発現が抑制される疾患をデータベースによって探索し、前記生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する疾患特定工程と、を含む方法;
〔2〕前記酵素群特定工程は、前記生体物質を検出可能に標識した試料細胞に、該生体物質の局在を制御する酵素群候補に対する少なくとも2種類の阻害剤を添加して該生体物質を観察し、該生体物質の局在を撹乱させる阻害剤を特定することを通じて、該生体物質の局在制御に関連する可能性のある酵素群候補を絞り込む第1工程と、前記生体物質を検出可能に標識した別の試料細胞において、第1工程で絞り込まれた前記酵素群候補に含まれる酵素の発現を個別に阻害する方法によって阻害して前記生体物質を観察し、前記生体物質の局在を撹乱する酵素群を特定する第2工程と、を含む、上記〔1〕に記載の方法;
〔3〕前記第2工程における酵素の発現を個別に阻害する方法は、RNAi法である、上記〔2〕に記載の方法;
〔4〕前記酵素群特定工程の後、新たな細胞において、前記酵素特定工程で特定された酵素群に含まれる少なくとも1つの酵素をノックダウンして前記疾患のモデル細胞を作製し、該モデル細胞が該疾患の病態を示すか否かを確認する検証工程をさらに含む、上記〔1〕から〔3〕のいずれか1項に記載の方法;
〔5〕細胞内における所定の生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する方法であって、前記生体物質を検出可能に標識した試料細胞において、該生体物質の局在を制御している酵素群候補の活性または発現を亢進させて該生体物質を観察し、活性または発現が亢進されることによって該生体物質の局在を撹乱させる酵素群を該生体物質の局在制御関連酵素群と特定する酵素群特定工程と、酵素群特定工程で特定された酵素群の活性または発現が亢進する疾患をデータベースによって探索し、前記生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する疾患特定工程と、を含む方法。
〔6〕前記酵素群特定工程の後、新たな細胞において、前記酵素特定工程で特定された酵素群に含まれる少なくとも1つの酵素を過剰発現させて前記疾患のモデル細胞を作製し、該モデル細胞が該疾患の病態を示すか否かを確認する検証工程をさらに含む、上記〔5〕に記載の方法;
〔7〕前記酵素群候補が、キナーゼ群、ホスファターゼ群及びプロテアーゼ群からなる群より選択される、上記〔1〕から〔6〕のいずれか1項に記載の方法;
〔8〕前記生体物質が、タンパク質、核酸及び脂質からなる群より選択される、上記〔1〕から〔7〕のいずれか1項に記載の方法;
〔9〕上記〔1〕から〔8〕のいずれか1項に記載の方法によって生体物質の局在の撹乱との関連が特定された疾患の診断のために細胞を検査する方法であって、被験者から採取された細胞において前記生体物質を検出可能に標識する工程と、前記生体物質を観察し、局在が撹乱されているか否かを確認する工程と、を含む方法;
〔10〕上記〔1〕から〔8〕のいずれか1項に記載の方法によって生体物質の局在の撹乱との関連が特定された疾患の診断のために細胞または組織を検査する方法であって、
被験者から採取された細胞または組織における、前記酵素群特定工程で特定された酵素群の少なくとも1つの酵素の活性または発現量を測定する工程を含む、方法;
〔11〕上記〔1〕から〔4〕のいずれか1項に記載の方法によって生体物質の局在の撹乱との関連が特定された疾患の予防または治療薬を探索するスクリーニング方法であって、前記酵素特定工程で特定された酵素群に含まれる少なくとも1つの酵素をノックダウンし前記疾患のモデル細胞を作製する工程と、前記モデル細胞に前記予防または治療薬の候補物質を添加して、前記モデル細胞の病態が改善されるか否かを確認する工程と、を含む方法;
〔12〕所定の疾患の予防または治療薬の標的タンパク質を探索する方法であって、前記疾患の患者から採取した細胞において、所定の生体物質を検出可能に標識する工程と、前記生体物質の局在を制御している酵素群候補の活性または発現を亢進または抑制して該生体物質を観察し、活性または発現が亢進または抑制されることによって該生体物質の局在を撹乱させる酵素群、該酵素群の基質、該酵素群および該基質の上流または下流のタンパク質ネットワーク中のコンポーネントを探索する工程と、を含む方法;
〔13〕細胞内における所定の生体物質の局在を制御する酵素群を特定する方法であって、前記生体物質を検出可能に標識した試料細胞に、該生体物質の局在を制御する酵素群候補に対する少なくとも2種類の阻害剤を添加して該生体物質を観察し、該生体物質の局在を撹乱させる阻害剤を特定することによって、該生体物質の局在制御に関連する可能性のある酵素群候補を絞り込む第1工程と、前記生体物質を検出可能に標識した別の試料細胞において、第1工程で絞り込まれた該酵素群候補に含まれる酵素の発現を個別に阻害する方法によって阻害した後、該生体物質を観察し、該生体物質の局在を撹乱する酵素群を特定する第2工程と、を含む方法;
〔14〕前記酵素の発現を個別に阻害する方法として、RNAi法が用いられる、上記〔13〕に記載の方法;
〔15〕前記酵素群候補が、キナーゼ群、ホスファターゼ群及びプロテアーゼ群からなる群より選択される、上記〔13〕または〔14〕に記載の方法;
〔16〕前記生体物質が、タンパク質、核酸及び脂質からなる群より選択される、上記〔13〕から〔15〕のいずれか1項に記載の方法;
〔17〕上記〔13〕から〔16〕のいずれか1項に記載の方法で特定された酵素群に含まれる酵素の活性若しくは発現を低下させた、または除去した疾患モデル細胞;
〔18〕PRKACG及び/又はGSK3βの活性を低下させた若しくは除去したアルツハイマー病モデル細胞;
〔19〕上記〔18〕に記載のアルツハイマー病モデル細胞を使用する、アルツハイマー病の予防または治療薬のスクリーニング方法;
〔20〕アルツハイマー病の診断のために細胞または組織を検査する方法であって、被験者から採取された細胞または組織においてマンノース−6リン酸受容体を検出可能に標識する工程と、マンノース−6リン酸を観察し、局在が撹乱されているか否かを確認する工程と、を含む方法;および
〔21〕アルツハイマー病の診断のために細胞または組織を検査する方法であって、被験者から採取された細胞または組織におけるキナーゼPRKACG及び/又はGSK3βの活性若しくは発現量を測定する工程を含む、方法、に関する。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、所定の生体物質の細胞内局在を制御している酵素群を特定することを通して、細胞内局在の撹乱と、特定の疾患とを関連付けることができる。これにより、生体物質の細胞内局在を検出して当該疾患の診断に役立てることや、特定の酵素群の基質を含むその上流・下流のタンパク質を標的にした創薬研究を進めること、また、当該疾患に対する治療または予防薬候補を細胞に投与して生体物質の局在変化を検出し、スクリーニングを行うこともできる。
【0010】
また、所定の生体物質の細胞内局在を制御している酵素群の特定自体も有用な情報である。当該酵素群の活性または発現を測定して疾患の診断に役立てることや、当該酵素群をノックダウンした細胞を作製して疾患モデル細胞とすること、モデル細胞を用いて疾患の治療薬や予防薬のスクリーニングを行うこともできる。
【0011】
さらに、本発明に係る方法で、キナーゼPRKACG(protein kinase, cAMP-dependent, catalytic, gamma)およびGSK3β(glycogen synthetase kinase 3β)とアルツハイマー病との関連が見出されたことから、この情報をアルツハイマー病の診断やアルツハイマー病の治療薬や予防薬のスクリーニングに用いることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
以下、本発明について具体的に説明する。
【0013】
本発明の第一の態様は、細胞内における所定の生体物質の局在の撹乱と、疾患との関連を特定する方法であり、生体物質の局在を制御する酵素群を特定する工程と、当該工程で特定された酵素群の情報をもとに、データベース検索によって生体物質の局在と疾患との関連を特定する工程と、を含む。
【0014】
まず、酵素群特定工程について説明する。
【0015】
酵素特定工程に用いられる細胞は特に限定されないが、哺乳動物由来の培養細胞が好ましく、例えば、HeLa細胞、HEK293細胞、その他各種のマウス細胞等が挙げられる。ヒト疾患のモデルマウス由来細胞も好ましい。所定の酵素に対するsiRNAライブラリが構築されている細胞も好適である。
【0016】
酵素群特定工程では、まず、生体物質を標識した試料細胞において、生体物質の局在を制御している酵素群の候補の活性または発現を抑制し、それによって生体物質の局在が撹乱されるか否かを観察する。ある酵素群の活性または発現を抑制することによって、生体物質の局在が撹乱されたということは、当該酵素がその局在を制御していたことを意味する。逆に、局在が撹乱されなかった場合には、当該酵素は当該生体物質の局在制御に関与していなかったものと考えられる。
【0017】
酵素群候補は特に限定されないが、生体物質の局在制御に関連の高い酵素としては、キナーゼ、ホスファターゼ、プロテアーゼ等が好ましい。キナーゼ、ホスファターゼ、およびプロテアーゼは、阻害剤の入手も容易であり、また、上流・下流に広がる基質を含むタンパク質制御因子についてもよく研究されている。尚、ある生体物質の局在制御には、一つの酵素のみが関与するのではなく、複数の酵素が関与することが多いので、本発明では「酵素群候補」とするが、特定された結果関与する酵素が一種類である場合を排除するものではない。
【0018】
ここで、生体物質とは、例えばタンパク質、核酸及び脂質等が挙げられるが、標識してその局在を可視化できる限り、いかなる物質であってもよい。生体物質の標識は、当業者であれば公知の方法に従って行うことができる。好ましい標識方法としては、例えば、生体物質がタンパク質の場合、緑色蛍光タンパク質(GFP)等の蛍光タンパク質との融合タンパク質を作製して用いることができる。また、その他、一次抗体を生体物質に結合させて、標識した二次抗体をさらに結合させる方法、生体物質に結合させたビオチンと標識したストレプトアビジンとを結合させる方法等を広く用いることができる。標識としては、上記GFPのほか、ルシフェラーゼ、量子ドット等各種の蛍光物質や発光物質を使用することが可能である。また、生体物質がタンパク質の場合、当該タンパク質を様々なタグ分子との融合タンパク質として発現させ、抗タグ抗体を用いて発現後の細胞内局在を間接蛍光抗体法で検出することもできる。タグとしては、ヒスチジンタグ、ミック(Myc)タグ、HAタグ、Haloタグ等が挙げられる。
【0019】
生体物質がmRNAである場合は、蛍光標識した相補的なオリゴヌクレオチドをハイブリッドさせるFISH法、予め目的のmRNAにMS2タンパク質が特異的に結合するタグをつけて発現させ、その後に固定したタグ付きmRNAをGFP−MS2タンパク質で検出する方法(MS2−tag法)、隣接する2種類のオリゴヌクレオチドのmRNAへの特異的ハイブリダイズをオリゴヌクレオチドに標識された2種類の蛍光分子間の蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)で検出するmolecular becon法等を用いることができる。
【0020】
生体物質が脂質である場合には、脂質分子を特異的に認識する抗体を用いて、細胞内の脂質分子を固定して蛍光抗体法で可視化する方法、脂質に特異的に結合する細胞内タンパク質のGFP融合タンパク質を細胞に発現させ、脂質に結合させて検出する方法等を用いることができる。
【0021】
標識された生体物質は、必要に応じて励起光を照射したり基質を添加して、顕微鏡、CCDカメラ等によって検出可能である。
【0022】
本発明において「生体物質の局在の撹乱」とは、生体物質の局在が通常と異なる異常な状態を意味する。
【0023】
酵素群候補の活性または発現の抑制は、当業者であれば公知の方法に従って適宜行うことができるが、例えば、まず第1工程として、生体物質を標識した試料細胞に、生体物質の局在を制御する酵素群の候補に対する少なくとも2種類、好ましくは5種類以上、より好ましくは10種類以上、さらに好ましくは16種類〜48種類の阻害剤を添加して生体物質の局在を観察し、生体物質の局在を撹乱する阻害剤を特定することによって、生体物質の局在制御に関連する可能性のある酵素群候補を絞り込む。次に、第2工程として、生体物質を標識した別の試料細胞中において、第1工程で絞り込まれた酵素群候補に含まれる酵素の発現を個別に阻害する方法によって阻害し、試料細胞における生体物質の局在を観察し、生体物質の局在を撹乱する酵素群を特定する。
【0024】
第1工程で用いる阻害剤は、生体物質の局在に関連する可能性が高いと考えられる酵素群に対する阻害剤であり、例えば、キナーゼ、ホスファターゼ、プロテアーゼ等に対する阻害剤が挙げられるが、これらに限定されない。
【0025】
これらの酵素には、それぞれ多くの種類があり、例えば、キナーゼ遺伝子はヒトゲノム中に約750種類以上あることが知られている。従って、所定の細胞内物質の局在にキナーゼが関連していることが示唆されても、どのキナーゼまたはキナーゼセットが関与しているかを特定するのは困難である。本発明は、かかる場合に、局在制御に関連する酵素を絞り込むのに有用な方法である。
【0026】
キナーゼ、ホスファターゼ、プロテアーゼに対する阻害剤は多くの種類のものが知られているが、いずれも複数の酵素を阻害することが多い。従って、第1工程によって、生体物質の局在を制御する酵素を完全に特定することはできないが、局在を撹乱する阻害剤を特定することによって、局在制御に関連する酵素を少数に絞り込むことが可能である。キナーゼ、ホスファターゼ、プロテアーゼ以外の酵素についても、阻害剤が知られているものであれば、当該阻害剤を添加することによって生体物質の局在が撹乱されるか否かを検出して、関連する酵素を絞り込むことが可能である。
【0027】
酵素群候補がキナーゼ群である可能性が高い場合には、種々のキナーゼ阻害剤を、ホスファターゼ群である可能性が高い場合には、種々のホスファターゼ阻害剤を、プロテアーゼ群である可能性が高い場合には、種々のプロテアーゼ阻害剤を添加すればよい。
【0028】
キナーゼ阻害剤の非限定的な例としては、スタウロスポリン、H89等を挙げることができる。
【0029】
ホスファターゼ阻害剤の非限定的な例としては、オカダ酸、デフォスタチン等を挙げることができる。
【0030】
また、プロテアーゼ阻害剤の非限定的な例としては、E64、PMSF、ロイペプチン等を挙げることができる。
【0031】
酵素群候補に対する阻害剤を添加した後は、細胞を必要に応じてインキュベートする。インキュベートの時間、温度等の条件は、当業者であれば、阻害剤の種類に応じて適宜選択することができる。
【0032】
尚、上記第1工程は、2以上の細胞をアレイ状に固定した生細胞チップで行うことが好ましい。かかる方法によれば、複数の阻害剤を投与する実験を並行してハイスループットに行うことができ、第1工程を一層効率よく進めることができる。
【0033】
阻害剤添加後、生体物質を観察し、阻害剤を添加しない場合と比較して、局在が撹乱された試料細胞に添加した阻害剤を特定する。この阻害剤によって阻害され得る酵素群候補が、当該生体物質の局在制御に関与し得ると考えることができる。
【0034】
次に、第2工程では、新たな試料細胞において、第1工程で絞り込まれた酵素群に属する酵素の発現を一つずつ個別に阻害して、局在の撹乱の有無を確認し、局在制御に関与する酵素群を特定する。一つずつ個別に阻害する方法としては、例えば、RNAi法や、アンチセンス、リボザイム、アプタマーを用いる方法等を挙げることができる。
【0035】
RNAi法は、二本鎖RNAを用いた遺伝子発現抑制技術であり、当業者であれば、公知の手順に従って、この方法を用いて目的とする遺伝子発現を抑制することが可能である。例えば、市販のsiRNAライブラリから、第1工程で絞り込まれた酵素群を網羅するsiRNAを選択し、細胞内に導入してもよい。
【0036】
アンチセンス法は、標的遺伝子(通常は、その転写産物であるmRNA)に相補的な配列の核酸を細胞内に導入し、当該標的遺伝子とハイブリダイズさせて、翻訳等を抑制する方法であり、リボザイム法は、RNAを加水分解するRNA分子であるリボザイムを細胞内で標的RNAに対して作用させる方法である。これらのいずれも、発現を抑制させるタンパク質をコードする遺伝子の塩基配列に基づいて、適宜DNAやRNAを合成し、実施することができる。
【0037】
より具体的に説明すると、第1工程で、酵素A、B及びCを阻害する阻害剤Dを添加することによって、ある生体物質の局在が撹乱された場合、その生体物質の局在は酵素A、B及びCの少なくとも1つによって局在制御されているものと推測できる。そこで、第2工程として、酵素A、B及びCの発現を抑制するsiRNAを試料細胞に一種類ずつ適用する。この結果、生体物質の局在が撹乱されたか否かを検出し、発現が抑制された場合に撹乱が生じる酵素を特定することによって、いずれの酵素群が局在制御に関連していたのか、換言すれば、いずれの酵素群の異常が局在を撹乱させていたのかを特定することが可能である。
【0038】
本発明に係る生体物質の局在と疾患との関連を特定する方法では、次に、酵素群特定工程で特定された酵素の活性が低下または発現量が減少している疾患を、既存のデータベースによって探索する。タンパク質の活性や発現量と、疾患との相関関係についてのデータを蓄積したデータベースは、既存のものを使用することができる。
【0039】
例えば、酵素特定工程で、酵素A、B及びCの活性または発現を抑制した場合に、生体物質の局在が撹乱されることが判明した場合、本工程では、酵素A、B及びCの活性が低下または発現量が減少している疾患を、データベースで検索する。ここで、データベースは、当業者が既存のものから適宜選択して用いることができるが、NCBI GEO(Gene Expression Omnibus)、KEGG等が挙げられる。
【0040】
こうして、細胞内における所定の生体物質の局在の撹乱と、疾患との関連が特定される。
【0041】
本発明に係る細胞内における生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する方法では、データベースによる特定工程の後、さらに検証工程を行うことも好ましい。検証工程としては、例えば、細胞において、酵素特定工程で特定された酵素群に含まれる酵素を個別に、または複数同時にノックダウンして前記疾患のモデル細胞を作製し、モデル細胞が疾患の病態を示すか否かを確認する工程が挙げられる。
【0042】
酵素のノックダウンは、当業者であれば適宜行うことができるが、例えばNeumann, B. et al., High-throughput RNAi screening by time-lapse imaging of live human cells. Mature Methods 3, 385-390 (2006)や、Pelkmans, L. et al., Genome-wide analysis of human kinases in clathrin-and caveolae/raft-mediated endocytosis. Nature 436, 78-86 (2005)等の記載に従って行うことができる。
【0043】
局在撹乱に関連する酵素をノックダウンすることによってその細胞が病態を示した場合には、生体物質の細胞内局在と、酵素と、疾患との関係の有無をより明確にすることができる。尚、細胞が病態を示すか否かは、例えば、疾患マーカーの有無や細胞の性質を検査することによって確認することができ、アルツハイマー病の場合はAβ42の産生増加、細胞内でのBACE1のβ−セクレターゼ活性の増加等、癌の場合には細胞接着性の減少や増殖能の増加等によって確認することができる。
【0044】
また、本発明に係る生体物質の局在と疾患との関連を特定する方法では、酵素群候補の活性または発現を抑制するのではなく、亢進させてもよい。こうすることにより、局在制御関連酵素の活性が上昇して、生体物質の局在が撹乱される疾患についても、局在撹乱との関連を特定することができる。
【0045】
酵素群候補の活性または発現の亢進は、当業者であれば公知の方法に従って適宜行うことができるが、当該酵素を細胞内に過剰発現させる方法や、ドミナントアクティブ(恒常的活性型になっているアミノ酸変異タンパク質)を過剰発現させる方法が一般的である。また、その酵素の活性促進作用を持つ化合物が知られている場合には、当該化合物を利用することもできる。例えば、wortmanninと呼ばれるPI3キナーゼの阻害剤は、PI3キナーゼの活性を落とすことで、それとカップルしているGSK3βの活性を上昇させる。
【0046】
所定の酵素群の活性または発現の亢進と、ある疾患との関係を特定することができれば、当該酵素を過剰発現させてその疾患のモデル細胞とすることも可能である。例えば、GSK3βでは、そのドミナントアクティブ型のGSK3βS9A(GSK3βの9番目のセリンをアラニンに変えたタンパク質)を過剰発現させると、細胞骨格制御タンパク質であって且つ大腸がん関連遺伝子産物であるAPCの細胞内局在が変化することが知られている(Ellennes-Manneville, S and Hall A. Nature, 421:753-756, 2003)。
【0047】
上述のように、本発明によって、所定の生体物質の細胞内局在を制御する酵素を特定し、局在の撹乱を生じさせる疾患を特定することができれば、これらの情報を、当該疾患の診断等に利用することができる。
【0048】
具体的には、被験者から採取された細胞または組織において、当該生体物質を標識し、当該生体物質を観察して、局在が撹乱されているか否かを検査する。局在が撹乱されていれば、被験者が当該疾患に罹患している可能性が高いことがわかる。
【0049】
また、被験者から採取された細胞または組織において、酵素特定工程で特定された酵素群の活性や量を検査することによって、被験者が当該疾患に罹患しているか否かの診断に役立てることができる。本発明に係る上記検査は、例えば検査会社等で実施し、医師が診断をするために利用することができるものである。
【0050】
本発明は、さらに、酵素特定工程で特定された酵素をノックダウンし、その結果病態を示すモデル細胞も提供する。かかるモデル細胞は、当該疾患の治療または予防薬を探索するスクリーニングに用いることができる。具体的には、モデル細胞に、治療または予防薬候補を添加してモデル細胞の病態が改善されるか否かを確認すればよい。病態の改善は、その疾患の指標となる現象を検出することによって確認できるが、例えば、生体物質の局在を測定してもよい。
【0051】
本発明は、創薬標的タンパク質の探索方法も提供する。本発明に係る創薬標的タンパク質の探索方法は、疾患の患者から採取した細胞において、所定の生体物質を検出可能に標識する工程と、生体物質の局在を制御している酵素群候補の活性または発現を亢進または抑制して該生体物質を観察し、亢進または抑制されることによって該生体物質の局在を撹乱させる酵素群、該酵素群の基質、該酵素群および該基質の上流または下流のタンパク質ネットワーク中のコンポーネントを探索する工程とを含む。
【0052】
上述のとおり、本発明によれば、所定の生体物質の細胞内局在と、当該細胞内局在を制御する酵素群と、疾患との関係を知ることができるので、この酵素群、酵素群の基質、およびこれらの上流または下流のタンパク質ネットワーク中のコンポーネントは、創薬開発において標的とすることができる。ここで、「上流または下流のタンパク質ネットワーク」とは、例えば、シグナル伝達のカスケードを作る一群のタンパク質集団を意味する。例えば、MAPキナーゼカスケードにおいては、増殖因子などが細胞膜受容体に結合すると、細胞膜直下(細胞質内)の多数のキナーゼが順にリン酸化され、そのシグナルが細胞核に伝わる。この場合、リン酸化されるタンパク質はキナーゼであり、それがリン酸化されると次の(下流の)キナーゼを順にリン酸化してシグナルを伝えていく。このようなシグナル伝達のカスケードを構成する個々のタンパク質が、「上流または下流のタンパク質ネットワーク中のコンポーネント」である。
【0053】
本発明はまた、生体物質の細胞内局在を制御する酵素群の特定方法をも包含する。当該方法は、本発明に係る生体物質の細胞内局在の撹乱と、疾患との関連を特定する方法における、酵素群特定工程に相当するものである。
【0054】
また、本発明者らは、実施例に詳述するように、上述した本発明に係る細胞内における所定の生体物質の局在の撹乱と、疾患との関連を特定する方法により、マンノース−6−リン酸受容体の局在の撹乱が、アルツハイマー病に関連すること、当該局在は、キナーゼPRKACG及びGSK3βが制御していることを見出した。
【0055】
本発明に係るアルツハイマー病モデル細胞は、この知見に基づくものであり、PRKACG又はGSK3βをノックダウンした細胞である。後述するとおり、本発明者らはかかるモデル細胞が、実際にアルツハイマー病の病態を示すことを確認した。
【0056】
また、本発明に係るアルツハイマー病の治療薬または予防薬のスクリーニング方法は、本発明に係るアルツハイマー病モデル細胞を使用するものである。
【0057】
本発明に係るアルツハイマー病の診断のために細胞を検査する方法も、上記知見に基づくものであり、被験者から採取された細胞におけるマンノース−6リン酸受容体の局在の撹乱の有無を検出することにより行うことができる。同様に、被験者から採取された細胞におけるキナーゼキナーゼPRKACG及び/又はGSK3βの活性または発現量を測定し、測定結果をアルツハイマー病の診断に用いることもできる。
【実施例】
【0058】
本実施例では、マンノース6−リン酸受容体の局在を制御するキナーゼを特定した。
【0059】
リソソームの加水分解酵素に付加されているマンノース6−リン酸は、細胞内において、トランスゴルジ網にあるマンノース6−リン酸受容体に結合すると、クラスリン被覆小胞に取り込まれて輸送される。クラスリン被覆小胞が後期エンドソームに融合すると、pH条件の変化により受容体が解離し、リン酸基が除去されて、加水分解酵素が完成する。ここで、マンノース6−リン酸受容体は、再び後期エンドソームから小胞として出芽してトランスゴルジ網に戻る。つまり、マンノース6−リン酸受容体はトランスゴルジ網とエンドソーム間を往復しながら(シャトル輸送しながら)リソゾーム酵素を運ぶ膜受容体である。
【0060】
後期エンドソームからトランスゴルジ網へのマンノース6−リン酸受容体の輸送は、キナーゼ群によって制御されていることが知られているが、今のところcasein kinase II βのみが報告されているばかりであり(Scott, G. et al.; The EMBO Journal 25, 4423-4435(2006))、未だ不明のところが多い。
<生体物質の標識・可視化>
HeLa細胞においてマンノース6−リン酸受容体を抗マンノース6−リン酸受容体に対するウサギポリクローナル抗体を用い、また、トランスゴルジ網はそこに局在するp230に対する抗p230マウスモノクローナル抗体を用いて、それぞれ間接蛍光抗体法により可視化した。
【0061】
マンノース6−リン酸受容体の輸送が正常に機能(シャトル輸送)している場合は、マンノース6−リン酸受容体はトランスゴルジ網における滞在時間が長いためにp230の局在はほぼ一致する様に観察される(図1A−左写真と図参照)。しかしながら、マンノース6−リン酸受容体のエンドソーム→トランスゴルジ網輸送が正常に制御されなくなると、マンノース6−リン酸受容体の局在が撹乱され、エンドソーム内に蓄積しトランスゴルジ網の局在と一致しなくなる(図1A−右写真と図参照)。図1Aの右図は後期エンドソーム→トランスゴルジ網輸送が特異的に攪乱したときのように描いてあるが、ゴルジ体から出たマンノース6−リン酸受容体は初期または後期エンドソーム、形質膜間のいろいろな小胞輸送経路を経て戻ってくることが知られているため、トランスゴルジ網への逆輸送が攪乱された場合は全て図1A−右写真のような見え方になると予想される。
<第1工程>
キナーゼ阻害剤チップに、表1に示す48種類のキナーゼ阻害剤について、それぞれ3種類の濃度の溶液を調製し、分注機(日京テクノス社製、library分注機)を用いて分注した。このチップ溶液を、そのまま一度に細胞チップ作製・アッセイ自動化装置を用いて生細胞チップに添加し、当該生細胞チップを37℃のCO2インキュベータ内で30分から60分インキュベートした。
【0062】
その後、生細胞チップを取り出し、同装置内で蛍光抗体法を搭載したプログラムに従い自動的に行い、細胞チップ自動可視化システムを用いて顕微鏡で観察した。
【0063】
結果の一部を図2及び図3に示す。ほとんどのキナーゼ阻害剤は、マンノース6−リン酸受容体の局在(または輸送)は正常であり、マンノース6−リン酸受容体とp230の局在がほぼ一致していた(この時点で、ゴルジ体を大きく変化させる阻害剤も候補から除いた。ゴルジ体の形態に異常をきたすキナーゼは恐らくゴルジ体とエンドソーム間の輸送に多大なる影響を与えるため、本目的の輸送経路攪乱に特異的というよりは細胞の分泌全体に影響すると考えられるためである)。結果的に次の7種類のキナーゼ阻害剤を添加した場合に、マンノース−6−リン酸受容体とp230との局在が一致せず、マンノース6−リン酸受容体の(シャトル)輸送が制御されていないことが示唆された。
【0064】
その7種とは、Chelerythrine Chloride, Bisindolylmaleimide I, SH-5, staurosporine, TBB, GSK3β kinase inhibitor VII, wortmanninである。Chelerythrine ChlorideはPKC阻害剤である。Bisindolylmaleimide IもPKC阻害剤であるが、高濃度ではPKA阻害剤にもなる(≧2μM)。Staurosporineは幅広いキナーゼ阻害剤である。SH-5はAkt/PKB kinase阻害剤であり、TBBはcasein kinase II阻害剤である(Gregory et al, EMBO J, 2006)。GSK3β kinase inhibitor VIIはGSK-3β kinase阻害剤である。以上より、少なくとも第2工程のRNAiを行うべきキナーゼタイプとして、PKA、PKC、Akt/PKB(つまり、これら3種はAGCタイプに入る)、casein kinaseII、GSK3βを候補キナーゼタイプ(ファミリー)として選択した。
<第2工程>
第1工程で絞り込んだキナーゼタイプ(ファミリー)群に対して、第2工程を行った。第2工程では、まず、ヒトキナーゼsiRNA library(743種)(Ambion社)から、絞り込まれたキナーゼのタイプに含まれるキナーゼsiRNAプローブを網羅的に選んだ。製造者の説明によれば、libraryには一種類のキナーゼに対して、3種類のプローブが用意されており、それぞれが70%の確率でそのキナーゼに対する発現抑制活性を有する。
【0065】
3種類のキナーゼsiRNAプローブとトランスフェクション試薬複合体をウェルプレートに分注し(分注機は日京テクノス社製のlibrary分注機を用いた)、浮遊細胞を各ウェルに添加し48時間CO2インキュベータ内で培養した。この方法は、浮遊細胞が接着するときにプローブが細胞内に導入される方法(reverse transfection法)として一般的な方法である。48時間後にウェルプレート上の細胞に対し、同装置内で蛍光抗体法を自動的に行い、細胞チップ自動可視化システムを用いて顕微鏡で観察した。
【0066】
結果を図4に示す。上記の3つのタイプ(ファミリー)に含まれる個々のキナーゼ80 genes (AGC group (76 genes), CK2(3genes), GSK3β (1gene))に対しRNAi操作を施した。このRNAi操作により、HeLa細胞内の各酵素は70〜90%ノックダウンされていることが(タンパク質発現量がコントロールの20〜30%になっていることが)ウエスタンブロティング法により確かめられた(図5)。それぞれの一種類のキナーゼをノックダウンしたHeLa細胞におけるマンノース6−リン酸受容体とp230の局在を、上と同様に装置を用いた間接蛍光抗体法により可視化解析した。その結果、以下の5種類のキナーゼ(CDC42BPB, PRKACA, PRKACG, GSK3β, CSNK2A1)のノックダウンによりマンノース6−リン酸受容体の局在(輸送)が撹乱されていることが判った。
【0067】
以下に示したsiRNAプローブでノックダウンし、それぞれ対応するキナーゼの発現がタンパク質レベルで減少させられているHeLa細胞を用いた実験を行った。
【0068】
CDC42BPB (CDC42 binding protein kinase beta)
PRKACA (protein kinase, cAMP-dependent, catalystic, alpha)
PRKACG (protein kinase, cAMP-dependent, catalystic, gamma)
GSK3β(glycogen synthetase kinase 3β)
CSNK2A1(casein kinase II,alpha1polypeptide)
<疾患または病態との関連付け>
マンノース6−リン酸受容体既存の疾患関連の遺伝子変動解析データから、第2工程で特定されたキナーゼセットの活性が低下または発現量が減少している疾患を探索、抽出した結果、当該キナーゼセットに含まれる5種類のキナーゼが、アルツハイマー病患者において発現低下していることが確認された。理想的には、様々な疾患に対して実際の患者からの遺伝子変動解析データをもとに、上記5種類のキナーゼの発現が低下している疾患を絞り込むという戦略をとるが、実際には、マンノース6−リン酸受容体の小胞輸送過程の攪乱を研究ターゲットとして選んだ時点で、その輸送攪乱とアルツハイマー病との関連は十分予想された。何故ならば、アルツハイマー病の細胞病態の一つであるアミロイド前駆タンパク質(APP)のプロセッシング産物であるAβ42の産生に関わるとされてβ−セクレターゼ(BACE1、膜タンパク質)が今回研究対象としているマンノース6−リン酸受容体と同じ小胞輸送のための選別シグナルを持っていること、また、BACE1の輸送に関わるGGAやVPS26等のタンパク質因子がマンノース6−リン酸受容体の輸送の制御にも関わっていることが知られていること、などから、マンノース6−リン酸受容体の輸送攪乱はBACE1の輸送や、ひいてはAβ42産生を制御することは十分予想されたからである。このように、本研究では、輸送解析ターゲットとするタンパク質から、予めそれに関わる疾患を予想して解析を進めることもできる。現在、様々な疾患に関する網羅的遺伝子変動解析データを得ることは技術的には簡単になってきたが、疾患マーカーの同定が多くの特許を生み出すとしてデータの公開数はまだまだ少なく、国内でも漸くナショナルプロジェクトとしてその充実を唱えられはじめたばかりである。この様な現状を鑑みれば、第1、2工程で見つけられたキナーゼセットと疾患を関係づける手段は、実験的、文献的、経験的に似たような方法が考えられる。
【0069】
アルツハイマー病と5種類のキナーゼの関係を詳細に調べるため、先ずは、前述のBACE1の細胞内局在を調べた(図6)。各キナーゼをノックダウンしたHeLa細胞では、コントロール細胞に比べて明らかにその局在が攪乱され、コントロール細胞ではほとんど観察されなかった初期エンドソームのマーカー(EEA1)との共局在化が観察された。GSK3βのノックダウン細胞では、一見コントロールと同じようにみられるが、マンノース6−リン酸受容体はゴルジ体(コントロール)ではなくむしろ初期エンドソーム(EEA1)と共局在化が観察された。
【0070】
次に、各キナーゼノックダウン細胞におけるβ−セクレターゼ活性をBACE1のAPPに対するプロテアーゼ産物(C99ペプチドフラグメント)の産生により見積もった(図7B)。PRKACGとGSK3βのノックダウンHEK−APP細胞において、特に、C99ペプチドフラグメントの産生が昂進していることが判った。このことは、その2種類のキナーゼにおいてBACE1の活性が何らかの機構で上昇していることを意味した。
【0071】
次に、5種類のキナーゼをノックダウンしたHEK−APP細胞(アミロイド前駆体タンパク質の恒常的発現株)を用い、細胞外に放出されるAβ42とAβ40との比(Aβ42/Aβ40)量をELISA法により定量した。その結果、図8に示されるとおり、BACE1活性が特に高かったPRKACGとGSK3βのノックダウンHEK−APP細胞において、Aβ42またはAβ40細胞外分泌が増加しており、アルツハイマー病患者で観察される細胞病態を呈することが確認された。
【0072】
一方、上記2種類のキナーゼ以外(CDC42BPB, PRKACA, CSNK2A1)をノックアウトしても、Aβ42とAβ40細胞外分泌量には有意な差は見られなかった(図8)。
【0073】
この結果は、アルツハイマー病の患者の遺伝子変動解析結果では、上記5種類のキナーゼの発現量が低下していたが、実際に、マンノース6−リン酸受容体の小胞輸送過程の攪乱によるアルツハイマー病態発現には上記の2種類のキナーゼ(PRKACGとGSK3β)が関わっていること、その原因としてマンノース6−リン酸受容体と同じ輸送過程を取ると考えられるBACE1の細胞内局在を攪乱していることが考えられる。
【図面の簡単な説明】
【0074】
【図1】Aは、通常ゴルジ体に局在化して見えるマンノース6−リン酸受容体(左図)が、キナーゼ阻害剤(wortmannin)を加えるとエンドソームに蓄積しトランスゴルジ体から分離した観察像になる(右図)ことを示すポジティブコントロールを示す。Bは、本発明に係る方法を概略を示す概念図である。
【図2】生HeLa細胞チップ上で阻害剤を添加した細胞におけるp230とマンノース6−リン酸受容体の局在を示す。
【図3】生HeLa細胞チップ上で阻害剤を添加した細胞におけるp230とマンノース6−リン酸受容体の局在を示す。
【図4】ウェルプレート上でsiRNAを添加した細胞におけるp230とマンノース6−リン酸受容体の局在を示す。Bは、siRNA処理によって、内在性の各キナーゼタンパク質発現量が減少したことを確認するウエスタンブロッティングの結果を示す。
【図5】siRNA処理によって、内在性の各キナーゼタンパク質発現量が減少したことを確認するウエスタンブロッティングの結果を示す。
【図6】BACE1の細胞内局在が、各キナーゼのノックダウンによって撹乱されている様子を間接蛍光抗体法によって可視化したものである。特に、PRKACGとGSK3βの局在が撹乱されている。
【図7】キナーゼをノックダウンしたHEK−APP細胞内のBACE1活性の測定結果を示す。特に、PRKACGとGSK3βの2種をノックダウンしたときに活性が上昇している。C99のバンドの濃さも増加している。
【図8】5種類のキナーゼをノックアウトしたHEK−APP細胞から細胞外に放出されるAβ42とAβ40の分泌量をELISA法によって測定した結果を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
細胞内における所定の生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する方法であって、
前記生体物質を検出可能に標識した試料細胞において、該生体物質の局在を制御している酵素群候補の活性または発現を抑制して該生体物質を観察し、活性または発現が抑制されることによって該生体物質の局在を撹乱させる酵素群を該生体物質の局在制御関連酵素群と特定する酵素群特定工程と、
酵素群特定工程で特定された酵素群の活性または発現が抑制される疾患をデータベースによって探索し、前記生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する疾患特定工程と、を含む方法。
【請求項2】
前記酵素群特定工程は、
前記生体物質を検出可能に標識した試料細胞に、該生体物質の局在を制御する酵素群候補に対する少なくとも2種類の阻害剤を添加して該生体物質を観察し、該生体物質の局在を撹乱させる阻害剤を特定することを通じて、該生体物質の局在制御に関連する可能性のある酵素群候補を絞り込む第1工程と、
前記生体物質を検出可能に標識した別の試料細胞において、第1工程で絞り込まれた前記酵素群候補に含まれる酵素の発現を個別に阻害する方法によって阻害して前記生体物質を観察し、前記生体物質の局在を撹乱する酵素群を特定する第2工程と、を含む、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記第2工程における酵素の発現を個別に阻害する方法は、RNAi法である、請求項2に記載の方法。
【請求項4】
前記酵素群特定工程の後、
新たな細胞において、前記酵素特定工程で特定された酵素群に含まれる少なくとも1つの酵素をノックダウンして前記疾患のモデル細胞を作製し、該モデル細胞が該疾患の病態を示すか否かを確認する検証工程をさらに含む、請求項1から3のいずれか1項に記載の方法。
【請求項5】
細胞内における所定の生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する方法であって、
前記生体物質を検出可能に標識した試料細胞において、該生体物質の局在を制御している酵素群候補の活性または発現を亢進させて該生体物質を観察し、活性または発現が亢進されることによって該生体物質の局在を撹乱させる酵素群を該生体物質の局在制御関連酵素群と特定する酵素群特定工程と、
酵素群特定工程で特定された酵素群の活性または発現が亢進する疾患をデータベースによって探索し、前記生体物質の局在の撹乱と疾患との関連を特定する疾患特定工程と、を含む方法。
【請求項6】
前記酵素群特定工程の後、
新たな細胞において、前記酵素特定工程で特定された酵素群に含まれる少なくとも1つの酵素を過剰発現させて前記疾患のモデル細胞を作製し、該モデル細胞が該疾患の病態を示すか否かを確認する検証工程をさらに含む、請求項5に記載の方法。
【請求項7】
前記酵素群候補が、キナーゼ群、ホスファターゼ群及びプロテアーゼ群からなる群より選択される、請求項1から6のいずれか1項に記載の方法。
【請求項8】
前記生体物質が、タンパク質、核酸及び脂質からなる群より選択される、請求項1から7のいずれか1項に記載の方法。
【請求項9】
請求項1から8のいずれか1項に記載の方法によって生体物質の局在の撹乱との関連が特定された疾患の診断のために細胞を検査する方法であって、
被験者から採取された細胞において前記生体物質を検出可能に標識する工程と、
前記生体物質を観察し、局在が撹乱されているか否かを確認する工程と、を含む方法。
【請求項10】
請求項1から8のいずれか1項に記載の方法によって生体物質の局在の撹乱との関連が特定された疾患の診断のために細胞または組織を検査する方法であって、
被験者から採取された細胞または組織における、前記酵素群特定工程で特定された酵素群の少なくとも1つの酵素の活性または発現量を測定する工程を含む、方法。
【請求項11】
請求項1から4のいずれか1項に記載の方法によって生体物質の局在の撹乱との関連が特定された疾患の予防または治療薬を探索するスクリーニング方法であって、
前記酵素特定工程で特定された酵素群に含まれる少なくとも1つの酵素をノックダウンし前記疾患のモデル細胞を作製する工程と、
前記モデル細胞に前記予防または治療薬の候補物質を添加して、前記モデル細胞の病態が改善されるか否かを確認する工程と、を含む方法。
【請求項12】
所定の疾患の予防または治療薬の標的タンパク質を探索する方法であって、
前記疾患の患者から採取した細胞において、所定の生体物質を検出可能に標識する工程と、
前記生体物質の局在を制御している酵素群候補の活性または発現を亢進または抑制して該生体物質を観察し、活性または発現が亢進または抑制されることによって該生体物質の局在を撹乱させる酵素群、該酵素群の基質、該酵素群および該基質の上流または下流のタンパク質ネットワーク中のコンポーネントを探索する工程と、を含む方法。
【請求項13】
細胞内における所定の生体物質の局在を制御する酵素群を特定する方法であって、
前記生体物質を検出可能に標識した試料細胞に、該生体物質の局在を制御する酵素群候補に対する少なくとも2種類の阻害剤を添加して該生体物質を観察し、該生体物質の局在を撹乱させる阻害剤を特定することによって、該生体物質の局在制御に関連する可能性のある酵素群候補を絞り込む第1工程と、
前記生体物質を検出可能に標識した別の試料細胞において、第1工程で絞り込まれた該酵素群候補に含まれる酵素の発現を個別に阻害する方法によって阻害した後、該生体物質を観察し、該生体物質の局在を撹乱する酵素群を特定する第2工程と、を含む方法。
【請求項14】
前記酵素の発現を個別に阻害する方法として、RNAi法が用いられる、請求項13に記載の方法。
【請求項15】
前記酵素群候補が、キナーゼ群、ホスファターゼ群及びプロテアーゼ群からなる群より選択される、請求項13または14に記載の方法。
【請求項16】
前記生体物質が、タンパク質、核酸及び脂質からなる群より選択される、請求項13から15のいずれか1項に記載の方法。
【請求項17】
請求項13から16のいずれか1項に記載の方法で特定された酵素群に含まれる酵素の活性若しくは発現を低下させた、または除去した疾患モデル細胞。
【請求項18】
PRKACG及び/又はGSK3βの活性を低下させた若しくは除去したアルツハイマー病モデル細胞。
【請求項19】
請求項18に記載のアルツハイマー病モデル細胞を使用する、アルツハイマー病の予防または治療薬のスクリーニング方法。
【請求項20】
アルツハイマー病の診断のために細胞または組織を検査する方法であって、
被験者から採取された細胞または組織においてマンノース−6リン酸受容体を検出可能に標識する工程と、
マンノース−6リン酸を観察し、局在が撹乱されているか否かを確認する工程と、を含む方法。
【請求項21】
アルツハイマー病の診断のために細胞または組織を検査する方法であって、
被験者から採取された細胞または組織におけるキナーゼPRKACG及び/又はGSK3βの活性若しくは発現量を測定する工程を含む、方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2010−17143(P2010−17143A)
【公開日】平成22年1月28日(2010.1.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−181259(P2008−181259)
【出願日】平成20年7月11日(2008.7.11)
【出願人】(503318666)日京テクノス株式会社 (19)
【出願人】(508211270)
【出願人】(508211281)
【Fターム(参考)】