説明

耐炎化繊維束、炭素繊維束およびそれらの製造方法

【課題】ねじれ等の屈曲変形に対する強度に優れる炭素繊維束及び炭素繊維束の製造方法を提供する。
【解決手段】アクリロニトリルを90質量%以上含有する単量体を重合した共重合体を紡糸し、水洗、延伸処理を行った後、紡糸油剤を付与し、乾燥、2次延伸処理し得られるアクリル系前駆体繊維束に、焼成油剤を付与し、200〜300℃で熱処理して耐炎化繊維束を得、次いで該耐炎化繊維束を不活性ガス雰囲気中、温度800〜2,500℃で炭素化処理を行い炭素繊維束を製造するにあたって、紡糸油剤の付着量と、焼成油剤の付着量の比が、1:2〜1:3の範囲となるようにして炭素繊維束を製造する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ねじれ等の屈曲変形に対する強度に優れる炭素繊維束を得るための耐炎化繊維束及びその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
炭素繊維は他の繊維と比較して優れた比強度及び比弾性率を有する。炭素繊維はその有する軽量性及び優れた機械的特性を利用して、樹脂と複合化する補強繊維として、広く工業的に利用されている。
【0003】
近年、炭素繊維を利用する複合材料の工業的な用途は、多くの分野に広がりつつある。特にスポーツ・レジャー分野、航空宇宙分野においては、より高性能化(高強度化、高弾性化)に向けた要求が強まっている。炭素繊維と樹脂との複合化において高性能化を追求するためには、樹脂の持つ物性よりも炭素繊維そのものの物性を向上させることが不可欠である。炭素繊維は引張特性に対する強度・弾性率に優れる一方で、圧縮荷重やせん断荷重に対しては脆く、特にねじれ等の屈曲変形を伴う負荷に対する耐性の向上が必要とされている。
【0004】
従来、炭素繊維を安定して製造するために、単繊維同士の融着を防ぎ、繊維束の集束性を高める目的で、紡糸油剤や焼成油剤などの油剤が使用されており、一般的にシリコーン油剤が用いられる(例えば、特許文献1〜3参照)。しかし、これらの油剤により、繊維内部への酸素の透過性が低減するため、炭素繊維製時の耐炎化工程で耐炎化反応が均一に進まず、結果として得られる炭素繊維の圧縮強度や屈曲強度などの特性の低下要因となっていた。一方で、これらの油剤を使用しない場合には、単繊維同士の融着や製造時の擦過などにより繊維束が損傷するため、結果として得られる炭素繊維の特性は、引張特性も含め著しく低下する。
【0005】
そのため、炭素繊維製造時に油剤を使用した上で、炭素繊維の特にねじれ等の屈曲変形を伴う負荷に対する耐性を向上させる必要があった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2010−43377号公報
【特許文献2】特開2010−53467号公報
【特許文献3】特開2010−77578号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明者は、上記問題を解決するため検討を重ねた。その結果、アクリル系前駆体繊維製造工程で付与する紡糸油剤の付着量と、炭素繊維製造工程で付与する焼成油剤の付着量の割合を特定の範囲として製造された耐炎化繊維束を用いて製造される炭素繊維束は、工程を安定化させる焼成油剤が酸素透過を疎外しないため、特にねじれ等の屈曲変形を伴う負荷に対する優れた耐性を有することを本発明者は見出し、本発明を完成するに至った。よって、本発明の目的とするところは、上記問題を解決し、特にねじれ等の屈曲変形を伴う負荷に対する耐性に優れる炭素繊維束及び炭素繊維の製造方法に関することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記目的を達成する本発明は、以下に記載するものである。
〔1〕X線光電子分光法を用いてアルゴンエッチングを行い測定される耐炎化繊維束表面のケイ素原子と炭素原子の原子存在比(Si/C)の変化を、下記式により擬似的に算出して得られるエッチング深さ(L)を用いてプロットして得られるグラフの変曲点のエッチング深さ(L2)が、0.4〜1.0nmの範囲にあることを特徴とする耐炎化繊維束。
エッチング深さ(L:nm)=R(nm/min)×(T(s)/60)
(式中、Rは炭素原子のイオンビームスパッタリング率を表し、Tはイオンビームの照射時間(秒)を表す。)
〔2〕前記〔1〕に記載の耐炎化繊維束を炭素化して得られる炭素繊維束であって、炭素繊維束表面のケイ素原子と炭素原子の原子存在比(Si/C)が1〜5%の範囲にあることを特徴とする炭素繊維束。
〔3〕炭素繊維束を構成する単繊維の接着数(膠着個数)が10以下であり、ストランド引張強度が5100〜5500MPa、ストランド引張弾性率が240〜270MPaであり、炭素繊維束を構成する単繊維の直径が6.5〜7.5μmであることを特徴とする〔2〕に記載の炭素繊維束。
〔4〕アクリロニトリルを90質量%以上含有する単量体を重合した共重合体を紡糸し、水洗、延伸処理を行った後、紡糸油剤を付与し、乾燥、2次延伸処理し得られるアクリロニトリル系前駆体繊維束に、焼成油剤を付与し、200〜300℃で熱処理する耐炎化繊維束の製造方法であって、前記紡糸油剤の付着量(質量%、PO1)と、前記焼成油剤の付着量(質量%、PO2)の比が、1:2〜1:3の範囲であることを特徴とする耐炎化繊維束の製造方法。
〔5〕アクリル系前駆体繊維束を170〜250℃、延伸比0.90〜1.10で熱処理した後、焼成油剤を付与することを特徴とする〔4〕に記載の耐炎化繊維束の製造方法。
〔6〕紡糸油剤の付着量(質量%、PO1)と、焼成油剤の付着量(質量%、PO2)の合計の油剤付着量が、アクリロニトリル系前駆体繊維に対して0.09〜0.28質量%であることを特徴とする〔4〕または〔5〕に記載の炭素繊維束の製造方法。
〔7〕紡糸油剤および焼成油剤が、シリコーン系油剤であることを特徴とする〔4〕〜〔6〕のいずれか1項に記載の炭素繊維束の製造方法。
〔8〕アクリロニトリルを90質量%以上含有する単量体を重合した共重合体を紡糸し、水洗、延伸処理を行った後、紡糸油剤を付与し、乾燥、2次延伸処理し得られるアクリロニトリル系前駆体繊維束に、焼成油剤を付与し、200〜300℃で熱処理して耐炎化繊維束を得、次いで該耐炎化繊維束を不活性ガス雰囲気中、温度800〜2,500℃で炭素化処理する炭素繊維束の製造方法であって、前記紡糸油剤の付着量(質量%、PO1)と、前記焼成油剤の付着量(質量%、PO2)の比が、1:2〜1:3の範囲であることを特徴とする炭素繊維束の製造方法。
【発明の効果】
【0009】
本発明の耐炎化繊維束によれば、工程を安定化させる焼成油剤が酸素透過を疎外しないため、特にねじれ等の屈曲変形を伴う負荷に対する耐性に優れた炭素繊維束を得ることができる。
【発明を実施するための形態】
【0010】
以下、本発明を詳細に説明する。本発明の耐炎化繊維束は、X線光電子分光法を用いてアルゴンエッチングを行い測定される炭素繊維束表面のケイ素原子と炭素原子の原子存在比(Si/C)の変化を、下記式により擬似的に算出して得られるエッチング深さ(L)を用いてプロットして得られるグラフの変曲点のエッチング深さ(L2)が、0.4〜1.0nmの範囲にあることを特徴とする耐炎化繊維束である。
エッチング深さ(L:nm)=R(nm/min)×(T(s)/60)
(式中、Rは炭素原子のイオンビームスパッタリング率を表し、Tはイオンビームの照射時間(秒)を表す。)
【0011】
X線光電子分光法による繊維束表面の原子存在比測定およびアルゴンエッチングは、後述の方法によって実施される。繊維束は均一な平面では無いため、アルゴンエッチングによりエッチングされた深さを正確に計測することはできないが、アルゴンの照射条件を用いて理論値を算出することはできる。そのため、本発明はこの理論値をエッチング深さとして用いる。
【0012】
また、耐炎化繊維束および炭素繊維束中のケイ素原子は、紡糸油剤、焼成油剤などの油剤に由来するため、エッチング処理を行いながらSi/Cを測定することで、油剤が単繊維内部に浸透した深さを評価することができる。しかし、測定範囲に比して十分に細い円筒状のサンプルの集合体である繊維束を側面からエッチング処理しているため、エッチング処理を進めていくと、ケイ素原子は測定されなくなるのではなく、一定値から変化しなくなる。そのため、本発明では、Si/Cの変化を、エッチング深さを用いてプロットしたグラフの変曲点のエッチング深さを、油剤が浸透した深さの指標として用いている。
【0013】
変曲点のエッチング深さは、0.4〜1.0nmであることが必須である。0.4nm未満であると、繊維に付与した油剤が単繊維表面に集中して存在するため、酸素の透過を阻害する。そのため、耐炎化反応が均一に進まず、得られる炭素繊維束の物性、特に圧縮強度や屈曲強度などの特性が低下する。一方、1.0nmを越えると、繊維中に深く浸透した油剤がグラファイト結晶の成長を妨げ、欠陥要因となるため、望ましくない。
【0014】
また、本発明の炭素繊維束表面のケイ素原子と炭素原子の原子存在比(Si/C)が1〜5%であることが好ましい。5%を越えると、繊維に付与した油剤が酸素の透過を阻害し、得られる炭素繊維束の屈曲強度が低下するため好ましくない。
【0015】
本発明では炭素繊維束の屈曲強度は、ループストランド強度を用いて評価されている。ループストランド強度は、後述の方法によって測定され、繊維束のねじれ変形に対する耐性の指標である。樹脂との複合材料として好適に用いるために、ループストランド強度は630MPa以上であることが好ましい。
【0016】
本発明の炭素繊維束は、ストランドを構成する単繊維の接着数(膠着個数)が10以下であることが好ましく、ストランド引張強度は5,100〜5,500MPa、ストランド引張弾性率が240〜270MPaであることが好ましく、繊維束を構成する単繊維の直径が6.5〜7.5μmであることが好ましい。
【0017】
本発明の耐炎化繊維束は、アクリロニトリルを90質量%以上含有する単量体を重合した共重合体を紡糸し、水洗、延伸処理を行った後、紡糸油剤を付与し、乾燥、2次延伸処理し得られるアクリル系前駆体繊維束に、焼成油剤を付与し、200〜300℃で熱処理して得られる。その際、前記紡糸油剤の付着量(質量%、PO1)と、前記焼成油剤の付着量(質量%、PO2)の比が、1:2〜1:3の範囲とすることで、本発明の耐炎化繊維束は製造される。この耐炎化繊維束を、次いで不活性ガス雰囲気中、温度800〜2,500℃で炭素化処理することで、本発明の炭素繊維束は製造される。
【0018】
更に具体的に述べると、本発明の炭素繊維束は、例えば、以下の方法により製造することができる。
【0019】
<紡糸原液>
本例の耐炎化繊維束および炭素繊維束の製造方法に用いる前駆体繊維の紡糸原液は、炭素繊維製造用の紡糸原液であれば従来公知のものが何ら制限なく使用できる。そのなかでも、アクリロニトリル系炭素繊維製造用の紡糸原液が好ましい。具体的には、アクリロニトリルを90質量%以上、好ましくは94質量%以上含有する単量体を重合した共重合体からなる紡糸原液が挙げられる。アクリロニトリルと共重合する単量体としては、イタコン酸、アクリル酸メチル、アクリル酸エチル、アクリル酸等の公知の単量体が挙げられる。
【0020】
<紡糸>
上記紡糸原液を、1つの紡糸口金に好ましくは1,000以上の孔、より好ましくは20,000以上、さらに好ましくは20,000〜30,000の孔を有する紡糸口金から紡糸原液を紡出し、紡糸後の炭素繊維製造用前駆体繊維とする。紡糸口金が、20,000〜30,000の孔を有していると、太束でありながら糸割れをしない炭素繊維束が得られるため好ましい。口金の孔が20,000より少ない場合でも繊維束を束ね、太束繊維束を得ることはできるが、炭素繊維を加工する際に糸割れが起きるため好ましくない。口金の孔が30,000を超える場合は、得られる炭素繊維の機械特性が低下するため好ましくない。
【0021】
この紡糸に際しては、低温に冷却した凝固液(紡糸する際の溶媒−水混合液)を入れた凝固浴中に紡出する方法、湿式紡糸方法又は乾湿式紡糸方法等を用いることができるが、直接凝固液に紡出する湿式紡糸方法が好ましい。乾湿式紡糸方法は、空気中にまず吐出させた後、3〜5mm程度の空間を有して凝固浴に投入し凝固させる方法である。最終的に得られた炭素繊維が表面に襞を形成し、樹脂との接着性が期待できるので、湿式紡糸方法がより好ましい。凝固して得られる上記凝固糸繊維束は、公知の方法により水洗、延伸処理を行う。
【0022】
<紡糸油剤付与工程>
水洗、延伸された凝固糸繊維束には、紡糸油剤付与工程にて紡糸油剤を付着させる。給油は浸漬給油、タッチローラー給油、スプレー給油など公知の方法により行える。この紡糸油剤の付与の目的は、2次延伸前の乾燥工程及び2次延伸工程において、単繊維同士の融着防止を図ること、及び水洗された凝固糸繊維束の集束性を向上させることにある。紡糸油剤付与工程における紡糸油剤の付着量は、絶乾状態における凝固糸繊維束100質量部に対し0.03〜0.40質量部であり、0.05〜0.35質量部が好ましく、0.06〜0.30質量部がより好ましい。0.03質量部未満であると、続く乾燥工程及び2次延伸工程において単繊維同士が融着しやすい。また、紡糸油剤付与後の凝固糸繊維束の集束性が悪く、乾燥工程及び2次延伸工程において前駆体繊維束が広がり、工程が安定しない。一方、0.40質量部を超えて付着させても、融着や集束性に対する効果は付着量に比例して増加しない。むしろ、最終的に得られる炭素繊維中に、油剤由来の不純物が混入して、炭素繊維束の品質が悪くなる。
【0023】
紡糸油剤としてはシリコーンを含有する油剤を用いる。シリコーンは、未変性シリコーン、変性シリコーンの何れでもよいが、変性シリコーンがより好ましい。変性シリコーンの中でもエポキシ変性シリコーン、エチレンオキサイド変性シリコーン、ポリシロキサン、アミノ変性シリコーンが好ましく、アミノ変性シリコーンが特に好ましい。シリコーンを含有する油剤は公知のものが多数市販されている。該油剤と親水基を持つ浸透性油剤とを組み合わせて用いることが好ましい。
【0024】
浸透性油剤は官能基として、スルフィン酸、スルホン酸、燐酸、カルボン酸やそのアルカリ金属塩、アンモニウム塩、その誘導体を有するものが好ましい。これらの浸透性油剤のうちでも、浸透しやすい燐酸アンモニウム若しくはその誘導体を用いるのが特に好ましい。
【0025】
<乾燥工程>
紡糸油剤付着付与後の凝固糸繊維束は、乾燥工程で乾燥される。この乾燥工程は、非接触加熱である、熱風乾燥方式が好ましい。乾熱ローラーによる乾燥は、繊維束への油剤付着量が少ない本発明においては、ローラーとの擦れによる繊維損傷を生じやすい。更には、熱圧着による単繊維同士の融着を生じやすい。乾燥温度は、70〜150℃が好ましく、80〜140℃が更に好ましい。乾燥時間は、1〜10分間が好ましい。
【0026】
<2次延伸処理>
乾燥された凝固糸繊維束は、2次延伸処理される。2次延伸は公知の方法で行うことができるが、スチーム延伸処理を用いることが好ましい。スチーム延伸工程により、加熱延伸される。スチーム延伸は公知の方法を用いて行えばよい。スチーム延伸条件は、温度100〜150℃、飽和スチーム圧力0.1〜5.0MPa(絶対圧)とすることが好ましい。
延伸倍率は、水洗・延伸・乾燥・2次延伸処理を通してのトータル延伸倍率で、10〜15倍とすることが好ましい。2次延伸処理後の繊度は、1.0〜1.4dtexとすることが好ましい。
【0027】
<予備熱処理>
2次延伸処理後の繊維を、引き続き加熱空気中170〜250℃、延伸比0.90〜1.10で100〜300秒熱処理(予備熱処理)してもよい。予備熱処理温度が170℃未満の場合、若しくは延伸比が1.10を超える場合は、前駆体繊維の表面が過疎になり、前駆体繊維束を耐炎化処理、炭素化処理して得られる炭素繊維束の強度、伸度が低下するので好ましくない。予備熱処理温度が250℃を超える場合は、炭素化処理して得られる炭素繊維束の強度、伸度が低下するので好ましくない。なお、延伸比が0.9未満の場合は予備熱処理工程及びその後の熱処理工程が不安定となるため好ましくない。予備熱処理して得られる前駆体繊維の密度は、1.2g/cm以下とすることが好ましい。
【0028】
<焼成油剤の付与工程>
アクリロニトリル系前駆体繊維束には、焼成油剤付与工程にて焼成油剤を付着させる。給油は浸漬給油、タッチローラー給油、スプレー給油など公知の方法により行える。この焼成油剤の付与の目的は、耐炎化工程及び炭素化工程において、単繊維同士の融着防止を図ること、及びアクリロニトリル系前駆体繊維束の集束性を向上させることにある。焼成油剤付与工程における焼成油剤の付着量は、絶乾状態におけるアクリル系前駆体繊維束100質量部に対し、0.04〜0.25質量部であり、0.06〜0.23質量部が好ましく、0.06〜0.21質量部がより好ましい。0.04質量部未満であると、続く耐炎化工程及び炭素化工程において単繊維同士が融着しやすい。また、焼成油剤付与後のアクリロニトリル系前駆体繊維束の集束性が悪く、耐炎化工程及び炭素化工程において前駆体繊維束が広がり、工程が安定しない。一方、0.25質量部を超えて付着させても、融着や集束性に対する効果は付着量に比例して増加しない。むしろ、最終的に得られる炭素繊維中に、油剤由来の不純物が混入して、炭素繊維束の品質が悪くなる。
【0029】
さらに、紡糸油剤の付着量(質量%、PO1)と焼成油剤の付着量(質量%、PO2)の比が、1:2〜1:3となるよう焼成油剤を付与する必要がある。また、紡糸油剤の付着量と焼成油剤の付着量をあわせた、油剤の総付着量は0.09〜0.28重量%であることが好ましい。
【0030】
紡糸油剤として前駆体繊維束の乾燥工程以前に凝固糸に付与した油剤は、凝固糸の表面が過疎であるため、繊維中に浸透しやすい。そのため、紡糸油剤の割合が増えると、比較的繊維表面から深い範囲にまで油剤が浸透し、変曲点のエッチング深さが増加する。焼成油剤の付着量が紡糸油剤の付着量の2倍に満たない場合には、紡糸油剤の割合が大きすぎるため、繊維中に深く浸透した油剤がグラファイト結晶の成長を妨げ、欠陥要因となるため、望ましくない。
【0031】
一方、炭素繊維の製造工程で付与する焼成油剤は、前駆体繊維の繊維表面が凝固糸ほど過疎でないため、深い範囲まで油剤が浸透することはない。そのため、焼成油剤の割合が増えると、変曲点のエッチング深さは減少する。焼成油剤の付着量が紡糸油剤の付着量の3倍を超えると、繊維に付与した油剤が繊維表面に集中して存在するため、酸素の透過を阻害する。そのため、耐炎化反応が均一に進まず、得られる炭素繊維束の物性、特に圧縮強度や屈曲強度などの特性が低下する。
【0032】
焼成油剤としては、シリコーンを含有する油剤を用いる。シリコーンは、未変性シリコーン、変性シリコーンの何れでもよいが、変性シリコーンがより好ましい。変性シリコーンの中でもエポキシ変性シリコーン、エチレンオキサイド変性シリコーン、ポリシロキサン、アミノ変性シリコーンが好ましく、アミノ変性シリコーンが特に好ましい。シリコーンを含有する油剤は、公知のものが多数市販されている。該油剤と親水基を持つ浸透性油剤とを組み合わせて用いることが好ましい。
【0033】
浸透性油剤は官能基として、スルフィン酸、スルホン酸、燐酸、カルボン酸やそのアルカリ金属塩、アンモニウム塩、その誘導体を有するものが好ましい。これらの浸透性油剤のうちでも、浸透しやすい燐酸アンモニウム若しくはその誘導体を用いるのが特に好ましい。
【0034】
<耐炎化処理>
前駆体繊維束は、引き続き加熱空気中、200〜300℃で耐炎化処理される。この耐炎化処理により、前駆体繊維がアクリル系繊維の場合、アクリル系繊維の環化反応を生じさせ、酸素結合量を増加させて不融化、難燃化させてアクリル系耐炎化繊維束を得る。この耐炎化処理は、一般的に、延伸倍率0.85〜1.30の範囲で延伸されることが好ましい。この耐炎化処理により、密度1.3〜1.5g/cmの耐炎化繊維束が得られる。耐炎化時の張力は上記延伸倍率の範囲を超えない限り特に限定されない。
【0035】
<第一炭素化処理>
上記耐炎化繊維束は、従来の公知の方法を採用して炭素化することができる。例えば、窒素雰囲気下300〜800℃の焼成炉(第一炭素化炉)で徐々に温度勾配をかけ、耐炎化繊維束の張力を制御して緊張下で1段目の炭素化(第一炭素化)をする。
【0036】
<第二炭素化処理>
より炭素化を進め且つグラファイト化(炭素の高結晶化)を進める為に、窒素等の不活性ガス雰囲気下で昇温し、焼成炉(第二炭素化炉)で徐々に温度勾配をかけ、第一炭素化繊維の張力を制御して弛緩条件で焼成する。焼成温度については、第二炭素化炉で温度勾配をかけていき、最高温度領域で、好ましくは800℃から2500℃、より好ましくは1200℃から2100℃がよい。炉内の高温部での滞留時間が長くなると、グラファイト化が進み過ぎ、脆性化した炭素繊維束が得られることになるので好ましくない。
【0037】
<表面酸化処理>
上記第二炭素化処理繊維束は、引き続き表面酸化処理を施す。表面酸化処理には気相、液相処理も用いることができるが、工程管理の簡便さと生産性を高める点から、液相処理が好ましい。液相処理のうちでも、液の安全性・安定性の面から、電解液を用いる電解処理が好ましい。電解酸化処理に用いられる電解液としては、硫酸、硝酸、塩酸等の無機酸や、水酸化ナトリウム、水酸化カリウムなどの無機水酸化物、硫酸アンモニウム、炭酸ナトリウム、炭酸水素ナトリウム等の無機塩類などが挙げられる。
【0038】
<サイジング処理>
上記表面酸化処理後の繊維束は、必要に応じ、引き続いてサイジング処理を施す。サイジング方法は、従来の公知の方法で行うことができ、サイジング剤は、用途に即して適宜組成を変更して使用し、均一付着させた後に、乾燥することが好ましい。
【0039】
以上の製造方法により得られる耐炎化繊維束は、X線光電子分光法を用いてアルゴンエッチングを行い測定される、耐炎化繊維束表面のケイ素原子と炭素原子の原子存在比(Si/C)の変化を、下記式により擬似的に算出して得られるエッチング深さ(L)を用いてプロットして得られる、グラフの変曲点のエッチング深さ(L2)が、0.4〜1.0nmの範囲にあることを特徴とする耐炎化繊維束であり、この耐炎化繊維束を炭素化して得られる炭素繊維束は、炭素繊維束を構成する単繊維の接着数が10以下の、品位の良い炭素繊維束であって、圧縮強度にも優れている。
【0040】
エッチング深さ(L:nm)=R(nm/min)×(T(s)/60)
(式中、Rは炭素原子のイオンビームスパッタリング率を表し、Tはイオンビームの照射時間(秒)を表す。)
【実施例】
【0041】
以下、本発明を、実施例及び比較例により更に具体的に説明する。また、各実施例及び比較例における処理条件、並びに、前駆体繊維束、耐炎化繊維束及び炭素繊維束の物性についての評価方法は以下の方法により実施した。
【0042】
<炭素繊維束の強度、弾性率、伸度>
JIS・R・7608に規定された方法により、炭素繊維の強度、弾性率、伸度を測定した。
【0043】
<炭素繊維のループストランド強度(結節強度)>
JIS・L・1013に規定された方法によりループストランド強度を測定した。
【0044】
<炭素繊維接着>
炭素繊維束を3mmの長さに切断し、アセトン10mlの入った100mlビーカーに投入し、超音波振動を10秒間以上付与し、光学顕微鏡にて20倍の倍率で観察することにより、繊維接着箇所をカウントし繊維接着数(膠着個数)とした。
【0045】
<炭素繊維密度>
アルキメデス法により測定した。試料繊維はアセトン中にて脱気処理し測定した。
【0046】
<繊維束表面のSi/C>
繊維束表面の珪素と炭素の存在比(Si/C)は、次の手順に従って測定した。繊維束をカットして、ステンレス製の試料支持台上に拡げて並べた後、光電子脱出角度を90度に設定し、X線源としてMgKαを用い、試料チャンバー内を1×10−6Paの真空度に保った。測定時の帯電に伴うピークの補正として、まずC1sの主ピークの結合エネルギー値B.E.を284.6eVに合わせた。Si2pピーク面積は、96〜108eVの範囲で直線のベースラインを引くことにより求め、C1sピーク面積は、282〜292eVの範囲で直線のベースラインを引くことにより求めた。繊維束表面の珪素と炭素の存在比(Si/C)は、上記Si2pピーク面積とC1sピーク面積の比で計算して求めた。
【0047】
<耐炎化繊維束のエッチング>
耐炎化繊維束をステンレス製の試料支持台上に拡げて並べた後、繊維側面に対して垂直に下記の照射条件でアルゴンイオンビームを15秒ずつ15回照射し、1回照射するごとに繊維束表面のSi/Cを測定した。下式により算出されるエッチング深さを横軸とし、Si/C(%)の値を縦軸として、各測定値をグラフにプロットした。
エッチング深さ(L:nm)=R(nm/min)×(T(s)/60)
そして、エッチング深さ(L2)(nm)は、Si/Cが一定になる前のプロットの漸近線と、一定値になった後のプロットの漸近線の交点を変曲点として、変曲点の横軸の値を求めた。
【0048】
照射条件(アルゴンイオン加速条件)
電流密度:1mA/cm
電圧:500V
イオンビームスパッタリング率(R):4.0nm/min (イオンの加速条件による文献値)
エッチング率:10% (照射時間の10%が、エッチング処理される時間)
【0049】
[実施例1〜5、比較例1〜5]
アクリロニトリル95質量%/アクリル酸メチル4質量%/イタコン酸1質量%よりなる共重合体紡糸原液を、1つの紡糸口金に24,000の孔を有する紡糸口金(24,000フィラメント用の紡糸口金)を通して、塩化亜鉛水溶液中に吐出して凝固させ、凝固糸を得た。
【0050】
この凝固糸を、水洗、延伸した後、紡糸油剤としてアミノ変性シリコーン油剤を表1に記載の付着量になるように付与した。その後、乾燥・スチーム延伸処理し、アクリロニトリル系前駆体繊維を得た。水洗・延伸・乾燥・スチーム延伸処理を通してのトータル延伸倍率は13倍であり、得られたアクリル系前駆体繊維束の繊度は1.23dtexであった。
【0051】
この前駆体繊維束を、0.95倍の延伸倍率で、240℃で予備熱処理した後、表1に記載の付着量になるように焼成油剤を付与した。その後、熱風循環式耐炎化炉の最高温度域を250℃に設定した加熱空気中、延伸倍率を0.9〜1.1の範囲内で制御して耐炎化処理し、密度1.36g/cmの耐炎化繊維束を得た。この耐炎化繊維束を、第一炭素化炉の不活性雰囲気中300〜800℃の温度域を通過させて第一炭素化処理を施した後、第二炭素化炉の不活性雰囲気中800〜2,000℃の温度域を通過させて第二炭素化処理を施し、炭素繊維束を得た。
【0052】
次いで、この炭素繊維束を、硫酸アンモニウム水溶液を電解液として用い、炭素繊維1g当り20クーロンの電気量で表面処理を施した。引き続き公知の方法で、サイジング剤を施し、乾燥して表1に示す強度、弾性率、伸度の炭素繊維束を得た。
【0053】
表1に示したように、実施例1は紡糸油剤:焼成油剤の比を1:2とし、トータルの油剤付着量を0.18%として炭素繊維を得た。耐炎化繊維束のエッチング深さL2は0.73nmで、本発明の範囲0.4〜1.0nmを満足していた。得られた炭素繊維は、炭素繊維のストランド強度が5,150MPa、ループストランド強度が660MPa、繊維接着数が1個/24000本、繊維直径が7.3μmと良好な性能を示す、ねじれ特性に優れた炭素繊維であった。
【0054】
実施例2と3、比較例1〜3は、実施例1の紡糸油剤:焼成油剤の比を表1に示したように変更したのみで、実施例1と同様にして炭素繊維を作製した。実施例2と3は良好な結果を示したが、比較例1〜3は低い物性を示した。実施例2と3の耐炎化繊維束のエッチング深さL2は、本発明の範囲を満足していたが、比較例1〜3のものは、全て、エッチング深さが本発明の範囲外であった。
【0055】
実施例4と5、比較例4と5は、実施例1の紡糸油剤:焼成油剤の比、および油剤付着量を変更したのみで、実施例1と同様にして炭素繊維を作製した。実施例4と5は良好な結果を示したが、比較例4と5は低い物性を示した。実施例4と5の耐炎化繊維束のエッチング深さL2は、本発明の範囲を満足していたが、比較例4と5のものは、エッチング深さが本発明の範囲外であった。
【0056】
【表1】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
X線光電子分光法を用いてアルゴンエッチングを行い測定される耐炎化繊維束表面のケイ素原子と炭素原子の原子存在比(Si/C)の変化を、下記式により擬似的に算出して得られるエッチング深さ(L)を用いてプロットして得られるグラフの変曲点のエッチング深さ(L2)が、0.4〜1.0nmの範囲にあることを特徴とする耐炎化繊維束。
エッチング深さ(L:nm)=R(nm/min)×(T(s)/60)
(式中、Rは炭素原子のイオンビームスパッタリング率を表し、Tはイオンビームの照射時間(秒)を表す。)
【請求項2】
請求項1に記載の耐炎化繊維束を炭素化して得られる炭素繊維束であって、炭素繊維束表面のケイ素原子と炭素原子の原子存在比(Si/C)が1〜5%の範囲にあることを特徴とする炭素繊維束。
【請求項3】
炭素繊維束を構成する単繊維の接着数(膠着個数)が10以下であり、ストランド引張強度が5100〜5500MPa、ストランド引張弾性率が240〜270MPaであり、炭素繊維束を構成する単繊維の直径が6.5〜7.5μmであることを特徴とする請求項2に記載の炭素繊維束。
【請求項4】
アクリロニトリルを90質量%以上含有する単量体を重合した共重合体を紡糸し、水洗、延伸処理を行った後、紡糸油剤を付与し、乾燥、2次延伸処理し得られるアクリロニトリル系前駆体繊維束に、焼成油剤を付与し、200〜300℃で熱処理する耐炎化繊維束の製造方法であって、前記紡糸油剤の付着量(質量%、PO1)と、前記焼成油剤の付着量(質量%、PO2)の比が、1:2〜1:3の範囲であることを特徴とする耐炎化繊維束の製造方法。
【請求項5】
アクリロニトリル系前駆体繊維束を170〜250℃、延伸比0.90〜1.10で熱処理した後、焼成油剤を付与することを特徴とする請求項4に記載の耐炎化繊維束の製造方法。
【請求項6】
紡糸油剤の付着量(質量%、PO1)と、焼成油剤の付着量(質量%、PO2)の合計の油剤付着量が、アクリロニトリル系前駆体繊維に対して0.09〜0.28質量%であることを特徴とする請求項4または5に記載の耐炎化繊維束の製造方法。
【請求項7】
紡糸油剤および焼成油剤が、シリコーン系油剤であることを特徴とする請求項4〜6のいずれか1項に記載の耐炎化繊維束の製造方法。
【請求項8】
アクリロニトリルを90質量%以上含有する単量体を重合した共重合体を紡糸し、水洗、延伸処理を行った後、紡糸油剤を付与し、乾燥、2次延伸処理し得られるアクリロニトリル系前駆体繊維束に、焼成油剤を付与し、200〜300℃で熱処理して耐炎化繊維束を得、次いで該耐炎化繊維束を不活性ガス雰囲気中、温度800〜2500℃で炭素化処理する炭素繊維束の製造方法であって、前記紡糸油剤の付着量(質量%、PO1)と、前記焼成油剤の付着量(質量%、PO2)の比が、1:2〜1:3の範囲であることを特徴とする炭素繊維束の製造方法。


【公開番号】特開2011−241507(P2011−241507A)
【公開日】平成23年12月1日(2011.12.1)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−114866(P2010−114866)
【出願日】平成22年5月19日(2010.5.19)
【出願人】(000003090)東邦テナックス株式会社 (246)
【Fターム(参考)】