説明

菌体触媒の保存方法

【課題】 ニトリラーゼ活性を有する微生物菌体を培養液から回収した後、凍結や添加物を新たに加えることなしに、使用時まで安定に保存できる、簡便で工業的に有利な微生物菌体触媒の保存方法を提供すること。
【解決の手段】 ニトリラーゼ活性を有する微生物菌体を、ブリックス(Brix)値で0.3〜3.0%の範囲で選択される濃度の前記微生物の培養液成分を含む水性媒体に懸濁した状態で、保存温度5〜25℃で保存する。ブリックス値で0.3〜3.0%の範囲で選択される濃度の微生物の培養液成分は、例えばニトリラーゼ活性を有する微生物の培養液を遠心分離して得られる菌体沈殿物に含まれる培養液成分を脱イオン水を用いて希釈することにより調製することができる。

【発明の詳細な説明】
【0001】
【発明の属する技術分野】本発明は、ニトリラーゼ活性を有する微生物菌体を培養した後、かかる微生物菌体を水性媒体に懸濁した状態でそのニトリラーゼ活性を維持したまま、簡便に長期間保存することができる微生物菌体触媒の保存方法に関する。
【0002】
【従来の技術】微生物菌体を触媒として用いる物質生産においては、培養して得られた菌体又はその固定化物を使用時まで安定に保存しておく必要がある。すなわち、微生物菌体の触媒能を低下させることなく、溶菌を生じさせることなく、また雑菌の繁殖がないように保存する必要がある。そのため、従来、菌体培養物から培地成分を除き、凍結保存や緩衝液等に懸濁した状態で冷蔵保存する方法や、あるいは保存剤を添加して保存する方法(特開平7−111887号公報)が知られている。また、特にニトリラーゼ等の活性を有する菌体の保存方法に関しては、100mM乃至飽和濃度の無機塩類水溶液中で保存する方法(特開平8−112089号公報)が知られている。さらに、保存液に防菌又は防黴効果のある薬剤が添加されることも知られている。
【0003】
【発明が解決しようとする課題】これまでに知られている微生物菌体の保存方法のうち、菌体を凍結保存する方法は、工業的に多量の菌体を保存する場合に冷却コストの面で負担が大きく、また凍結、融解操作により菌体触媒能の低下を招く可能性が大きいという問題があり、また、無機塩類、保存剤、あるいは薬剤を添加して保存する方法は、生産物質あるいは目的製品へこれら添加物が混入するのを防ぐために、使用前にそれらの添加物の除去工程が必要となり、操作が煩雑になるとともに、洗浄液等の廃液が多量に発生するという問題も生ずる。本発明の課題は、ニトリラーゼ活性を有する微生物菌体を培養液から回収した後、凍結や添加物を新たに加えることなしに、使用時まで安定に保存できる、簡便で工業的に有利な微生物菌体触媒の保存方法を提供することにある。
【0004】
【課題を解決するための手段】本発明者らは、上記課題を解決するため鋭意研究した結果、培養液成分を一部残存させた低濃度の培養液成分を含む水性媒体に、培養後の微生物菌体触媒を懸濁した状態で保存するという簡便かつ実用的な方法により、微生物菌体触媒がその触媒活性を維持したまま長期間安定に保存することができることを見い出し、本発明を完成するに至った。
【0005】すなわち本発明は、ニトリラーゼ活性を有する微生物菌体を、ブリックス(Brix)値で0.3〜3.0%の範囲で選択される濃度の前記微生物の培養液成分を含む水性媒体に懸濁した状態で保存することを特徴とする微生物菌体触媒の保存方法(請求項1)や、保存温度5〜25℃で保存することを特徴とする請求項1記載の微生物菌体触媒の保存方法(請求項2)や、ニトリラーゼ活性を有する微生物の培養液から分離して得られる菌体濃縮物に含まれる培養液成分を脱イオン水を用いて希釈し、ブリックス(Brix)値で0.3〜3.0%の範囲で選択される濃度の微生物の培養液成分を調製することを特徴とする請求項1又は2記載の微生物菌体触媒の保存方法(請求項3)に関する。
【0006】
【発明の実施の形態】本発明におけるニトリラーゼ活性を有する微生物としては、ニトリラーゼ産生能を有する微生物であれば特に限定されるものでなく、例えば、アースロバクター(Arthrobacter)属、ロドコッカス(Rhodococcus)属、ゴルドナ(Gordona)属等の微生物やニトリラーゼ遺伝子が導入された遺伝子組換え微生物等を挙げることができるが、好ましい微生物として、アースロバクター エスピー(sp.)NSSC104株(FERM P−15424)を具体的に挙げることができる。アースロバクター エスピー NSSC104株は公知の菌株であり、その菌学的性質はWO9732030号公報に記載されている。また、かかる微生物菌体として固定化微生物をも使用することができる。
【0007】本発明においてニトリラーゼ活性を有する微生物の培養液としては、ニトリラーゼ活性を有する微生物の培養に用いることができる液体培地であればどのようなものでもよいが、ニトリラーゼ酵素の誘導物質、微生物が資化しうる炭素源、窒素源、無機イオン、さらに必要ならば有機栄養源等の通常の培地成分を含む培養液を挙げることができ、前記微生物の培養液成分としては、ベンゾニトリル、イソブチロニトリル、サクシノニトリル等のニトリル化合物、ε−カプロラクタム、イソブチルアミド、プロピオンアミド等のアミド化合物などの酵素誘導物質や、マルトース、グルコース、フラクトース、ショ糖等の炭水化物、エタノール等のアルコール類、有機酸などの炭素源や、酵母エキス、アミノ酸、ペプトン、硝酸塩、アンモニウム塩などの窒素源や、リン酸イオン、カリウムイオン、マグネシウムイオン、硫酸イオン、鉄イオンなどの無機イオンや、ビタミン、アミノ酸及びこれらを含有するコーンスチープリカー、カザミノ酸、酵母エキス、ポリペプトンなどの有機栄養源を具体的に例示することができる。
【0008】また、上記ニトリラーゼ活性を有する微生物の培養液を用いた微生物菌体の培養は、例えば、該培養液のpHが6〜10の範囲、培養の温度が25〜37℃の範囲で、1〜7日間好気的に行い、活性が最大となるまで行う方法を例示することができる。
【0009】本発明における水性媒体は、ブリックス(Brix)値で0.3〜3.0%の範囲で選択される濃度の前記培養液成分を含むものであり、水性媒体中の培養液成分の濃度は、培養液が種々の成分から構成されていることからブリックス値で表示されている。ここで、ブリックス値とは、ブリックス計 RA−410(京都電子工業株式会社製)で測定し、20℃における値に換算した値である。
【0010】本発明の微生物菌体触媒の保存方法は、上記水性媒体に懸濁した状態でニトリラーゼ活性を有する微生物菌体を保存することを特徴とする。そして、ブリックス値で0.3〜3.0%の範囲で選択される濃度の培養液成分を含む水性媒体に懸濁した状態のニトリラーゼ活性を有する微生物菌体の調製方法としては、以下の方法を具体的に挙げることができる。■ニトリラーゼ活性を有する微生物の培養後、培養液に水を直接添加して培養液を希釈し、所定のブリックス値濃度の培養液成分を含む水性媒体とする保存用微生物菌体懸濁液の調製方法で、この直接希釈調製方法の場合、例えば水として塩酸水溶液を用いてpHを中性付近に調整することが好ましい。■ニトリラーゼ活性を有する微生物の培養後、例えば遠心分離機や膜分離装置等を使用することにより微生物菌体を分離回収或いは濃縮し、分離回収された菌体沈殿物或いは濃縮された菌体スラリー等の菌体濃縮物に水を添加して培養液成分を希釈し、さらに必要に応じて水で微生物菌体を洗浄し、所定のブリックス値濃度の培養液成分を含む水性媒体とする保存用微生物菌体懸濁液の調製方法で、この方法の場合水として脱イオン水(イオン交換水)を用いることが好ましい。なお、ブリックス値濃度は、いずれの方法においても微生物菌体懸濁液の上清で測定する。
【0011】上記調製された保存用微生物菌体懸濁液を、0〜35℃、好ましくは5〜25℃、特に好ましくは10℃で静置、振とう、或いは撹拌しながら保存することにより、微生物菌体触媒をニトリラーゼ活性を有効に維持することができる。また、水性媒体に懸濁した状態のニトリラーゼ活性を有する微生物菌体の保存時の菌体濃度には特に制限はないが、湿菌体で通常1〜80重量%の範囲とすることが好ましい。
【0012】本発明の微生物菌体触媒の保存方法により保存された微生物菌体を触媒として物質生産に使用する場合は、これらの微生物菌体懸濁液又は固定化微生物菌体を直接或いは希釈して反応液中に投入するか、もしくは必要に応じてこれらをさらに水又は緩衝液で洗浄して投入してもよい。
【0013】
【実施例】以下、実施例により詳細に説明するが、本発明はこれらの実施例により限定されるものではない。
実施例1(前培養)前培養用培地として、0.5重量%グルコース、0.5重量%酵母エキス、0.5重量%ε−カプロラクタム、0.1重量%リン酸二カリウム、0.1重量%リン酸一カリウム、0.02重量%硫酸マグネシウム七水和物,0.1重量%塩化ナトリウム、0.001重量%硫酸第一鉄七水和物を含み、1N水酸化ナトリウムでpH7.2に調整した培地200mlを3リットル容三角フラスコに入れ、121℃で20分間滅菌した(硫酸第一鉄のみは別にろ過滅菌して加えた)ものを用い、この培地にアースロバクター エスピー NSSC104株を接種し、33℃で3日間振盪培養して前培養を行った。
【0014】(本培養)本培養用培地として、10.0重量%コーンスチープリカー抽出液、2.0重量%ショ糖、0.5重量%ε−カプロラクタムからなる培地6.0リットルを10リットル容ジャーファメンターに用意した。コーンスチープリカー抽出液はろ過滅菌し、他の培地成分は110℃で20分間滅菌して用いた。この培地に前培養液60mlを植菌して、33℃で4日間通気撹拌培養した。ここでコーンスチープリカー抽出液とは、コーンスチープリカー40重量%を含み、10N水酸化ナトリウムでpH7.0に調整した溶液から不溶物を遠心分離(8,000rpm、10分間)によって除いた上清液である(以下同じ)。
【0015】(微生物菌体の保存)本培養終了後、この培養液に5N塩酸溶液を加えてpH7に調整したものを保存用菌体懸濁液として、40mlずつ3本のファルコン社製コニカルチューブに小分けし、5℃、10℃、20℃に静置保存した。この場合の湿菌体濃度は、4.8%で、上清のブリックス値は1.70%であった。保存30日後に菌体懸濁液の一部を取り出してニトリラーゼの残存活性を測定した。
【0016】(ニトリラーゼ活性の測定)上記の微生物菌体懸濁液10mlを遠心分離(15,000rpm、10分間、5℃)して得られた菌体に100mMリン酸カリウム緩衝液(pH7.5)を加えて10ml懸濁液とし、この菌体懸濁液0.2mlにクロトノニトリル 123μmolを含む同緩衝液0.3mlを添加して、35℃で30分間反応を行った。反応後、直ちに遠心分離(16,000rpm、5分、室温)で菌体を除き、反応液中に生成したクロトン酸を高速液体クロマトグラフィーにて定量した。1分間に1μmolのクロトン酸を生成する活性を1単位(U)とした。
【0017】(ニトリラーゼの残存活性)保存用菌体懸濁液の調製時、即ち保存0日目の菌体懸濁液1mlの活性を100としたときの相対活性値を表1に示す。
【0018】
【表1】


【0019】実施例2(微生物菌体の培養及び保存)実施例1と同様にして、前培養、本培養を行った。培養終了後、この培養液から遠心分離(8,000rpm、10分間、5℃)により湿菌体沈殿物を集め、この湿菌体沈殿物と同量の脱イオン水に懸濁して50重量%湿菌体懸濁液を調製した。この菌体懸濁液を10mlずつ3本のファルコン社製コニカルチューブに小分けし、5℃、10℃、25℃に静置保存した。この場合の上清のブリックス値は0.73%であった。保存32日後に菌体懸濁液の一部を取り出してニトリラーゼの残存活性を測定した。
【0020】(ニトリラーゼ活性の測定)上記の菌体懸濁液を100mMリン酸カリウム緩衝液(pH7.5)で10倍に希釈し、その希釈液0.2mlにクロトノニトリル 123μmolを含む同緩衝液0.3mlを添加して、35℃で30分間反応を行った。反応後、直ちに遠心分離(16,000rpm、5分、室温)で菌体を除き、反応液中に生成したクロトン酸を高速液体クロマトグラフィーにて定量した。1分間に1μmolのクロトン酸を生成する活性を1単位(U)とした。
【0021】(ニトリラーゼの残存活性)保存0日目の菌体懸濁液1mlの活性を100としたときの相対活性値を表2に示す。
【0022】
【表2】


【0023】実施例3(微生物菌体の培養)実施例1と同様にして、前培養を行った。本培養用培地として、5.3重量%コーンスチープリカー抽出液、0.4重量%ラクトアミノサンSL(コスモ食品株式会社製)、0.4重量%グルコース、0.5重量%ε−カプロラクタムからなる培地2.85リットルを10リットル容ジャーファメンターに用意した。コーンスチープリカー抽出液とラクトアミノサンSL溶液はろ過滅菌し、他の培地成分は110℃で20分間滅菌して用いた。この培地に前培養液60mlを植菌して、33℃で通気撹拌培養した。培養開始後、グルコース濃度が0.1〜0.2重量%になるように、同様に調製した61.5重量%コーンスチープリカー抽出液、5.0重量%ラクトアミノサンSL、4.9重量%グルコース、0.7重量%ε−カプロラクタムからなる追加培地2.19リットルを流加した。続いて同様に調製した50重量%グルコース水溶液960mlを培養液中のグルコース濃度が0.1〜0.2重量%になるように流加した。流加中は、培養液中の溶存酸素が20〜40%になるように酸素混合ガスを通気した。流加終了後、引き続き33℃で通気撹拌培養を4日間行った。
【0024】(微生物菌体の保存)この培養液から遠心分離(8,000rpm、10分間、5℃)により菌体を集め、脱イオン水で希釈を繰り返し、培養液成分の濃度の異なる40%湿菌体懸濁液を各80ml調製し、それぞれ10℃で静置保存した。保存28日後に菌体懸濁液の一部を取り出してニトリラーゼの残存活性を実施例2と同様にして測定した。
【0025】(ニトリラーゼの残存活性)保存0日目の菌体懸濁液上清のブリックス値と菌体懸濁液1mlの活性を100とした時の相対活性値を表3に示す。
【0026】
【表3】


【0027】実施例4(微生物菌体の培養と保存)実施例3におけるラクトアミノサンSLの代わりにアミノサンパウダーSL(コスモ食品株式会社製)を用いる他は、実施例3と同様に培養を行った。培養後の微生物菌体は中空糸膜モジュール(0.05μm、3,900cm2)を用いて濃縮後、上清のブリックス値が0.80になるように脱イオン水で洗浄を繰り返して、35%湿菌体懸濁液を調製した。それを10℃で静置保存し、経時的に菌体懸濁液の一部を取り出してニトリラーゼの残存活性を実施例2と同様にして測定した。
【0028】(ニトリラーゼの残存活性)保存0日目の菌体懸濁液1mlの活性を100とした時の相対活性値を表4に示す。
【0029】
【表4】


【0030】
【発明の効果】本発明の微生物菌体触媒の保存方法によれば、ニトリラーゼ活性を有する多量の菌体を凍結や安定剤を添加することなしに使用時まで長期間安定に保存することが可能となり、凍結保存のための冷却コスト削減や安定剤の除去・洗浄工程及び多量の洗浄廃液の大幅な軽減が期待できる。また、本発明の微生物菌体触媒の保存方法は簡便かつ実用的であることから、ニトリラーゼ活性を有する微生物菌体を工業的に有利に保存することができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】 ニトリラーゼ活性を有する微生物菌体を、ブリックス(Brix)値で0.3〜3.0%の範囲で選択される濃度の前記微生物の培養液成分を含む水性媒体に懸濁した状態で保存することを特徴とする微生物菌体触媒の保存方法。
【請求項2】 保存温度5〜25℃で保存することを特徴とする請求項1記載の微生物菌体触媒の保存方法。
【請求項3】 ニトリラーゼ活性を有する微生物の培養液から分離して得られる菌体濃縮物に含まれる培養液成分を脱イオン水を用いて希釈し、ブリックス(Brix)値で0.3〜3.0%の範囲で選択される濃度の微生物の培養液成分を調製することを特徴とする請求項1又は2記載の微生物菌体触媒の保存方法。