説明

虚血再灌流障害軽減用治療剤および治療装置

【課題】副作用の危険性が少なく、虚血再灌流時の好中球の浸潤や血小板活性化も抑制可能な、虚血再灌流障害の軽減のための治療技術を確立する。
【解決手段】酸素21〜98%、水素0.1〜4%、一酸化窒素40〜80ppmを含有し、残部が窒素、ヘリウムなどの不活性ガスからなる混合ガスを、虚血再灌流を開始させる直前から再灌流の開始後しばらくの間、再灌流を受ける患者に吸入投与する。また、窒素、酸素、水素、および一酸化窒素の各ガスの供給源と、各ガス供給源に接続された圧力調整器および流量計を備えた虚血再灌流障害を軽減するための治療装置も提供する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、例えば、急性心筋梗塞の再灌流治療に見られる再灌流に伴う心筋などの患部および最小血管の障害(虚血再灌流障害)を軽減するための治療剤および治療装置に関する。
【背景技術】
【0002】
心筋梗塞、脳梗塞、腸管膜血栓症などの梗塞性疾患では、梗塞部を機械的に拡張するか、血栓を溶解することにより、血流が途絶えていた虚血状態の組織に対して血流を再開させる虚血再灌流治療が行われることがある。また、臓器移植後の移植臓器においても、同様に血流が途絶えていた組織に血流が再開される。この血流の再開時に、虚血状態の組織に対して急に酸素が付加されるため、活性酸素やフリーラジカルの産生、好中球の浸潤、血小板活性化をはじめとするさまざまな生理反応が起こり、それが原因となって臓器障害、例えば、心筋障害(例、心筋梗塞)を憎悪させることが知られており、虚血再灌流障害又は単に再灌流障害と呼ばれている。
【0003】
一酸化窒素(NO)は、内皮由来の血管弛緩因子である。一酸化窒素ガスの吸入投与は、肺の血管拡張により肺動脈圧の低下、全身への酸素付加の向上、血小板の活性化抑制、白血球の活性化や接着・凝集の抑制などの作用があることが知られている。虚血再灌流障害に対しても、一酸化窒素を吸入させることにより梗塞部位を減少させ、心筋障害の軽減に有効であることが明らかになるなど、一定の成果が得られている(下記特許文献1および非特許文献1を参照)。
【0004】
しかし、一酸化窒素は、このような保護作用を発揮する反面、特に細胞内外で産生されるスーパーオキシドアニオンと反応して、極めて組織障害性の高いペルオキシナイトライトが生成するという問題がある。従って、一酸化窒素の吸入は副作用の危険性も大きい。
【0005】
近年、還元剤である水素(H)が反応性の高い活性酸素種(ヒドロキシラジカル<・OH>やペルオキシナイトライト<ONOO>)と選択的に反応し、これらを還元して消去することが示された。水素ガスを肺から吸入投与すると、血液を介して水素が全身に行き渡り、活性酸素に関連した病変を抑え、細胞障害を引き起こす酸化力の強いフリーラジカルを還元して消去することができることが知られており、マウスの脳梗塞の虚血再灌流モデル、肝臓の虚血再灌流モデルにおいて、虚血再灌流時の臓器・組織障害を水素により低減できることが報告されている(下記非特許文献2、3を参照)。しかし、水素吸入のみでは、虚血再灌流時に見られる好中球の浸潤や血小板の活性化などを抑制することは難しい。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特表2004−509850号公報
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】Cardiovascular Research, 75, 339-348, 2007
【非特許文献2】Nature Medicine 13, 688-694, 2007
【非特許文献3】Biochemical and Biophysical Research Communications, 361, 670-674, 2007
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、副作用の危険性が少なく、かつ虚血再灌流時の好中球の浸潤や血小板活性化も抑制可能な、虚血再灌流障害の軽減のための治療技術を確立することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、一酸化窒素と水素では作用機序が異なること着目し、この2種類のガスを同時に肺から吸入させることにより、一酸化窒素による副作用を防止しながら、虚血再灌流障害のさまざまな作用、具体的には、活性酸素やフリーラジカルの産生のみならず、好中球の浸潤や血小板活性化についても軽減できることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0010】
本発明は、酸素21〜98%、水素0.1〜4%、一酸化窒素40〜80ppmを含有し、残部が不活性ガス(例、窒素、ヘリウムなど)からなる、虚血再灌流障害を軽減するための吸入用気体状薬剤組成物である。
【0011】
この薬剤組成物、即ち、窒素などの不活性ガス中に酸素、水素および一酸化窒素を含有する混合ガスは、虚血再灌流を開始させる直前から再灌流の開始後しばらくの間、再灌流を受ける患者に吸入投与される。それにより、再灌流による臓器障害を防止することができる。
【0012】
別の側面からは、本発明は、窒素、酸素、水素、および一酸化窒素の各ガスの供給源と、各ガス供給源に接続された圧力調整器および流量計を備えることを特徴とする、患者に直接あるいは人工呼吸器を経て上記薬剤組成物を吸入投与することにより虚血再灌流障害を軽減するための治療装置である。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、従来より知られていた一酸化窒素の単独吸入又は水素の単独吸入より高い虚血再灌流障害の軽減効果が得られるのみならず、一酸化窒素の吸入による虚血再灌流障害の軽減治療における問題点であった、スーパーオキシドアニオンとの反応によるペルオキシナイトライトの産生に起因する組織障害という副作用を防止でき、しかも水素吸入では不可能であった好中球の浸潤や血小板の活性化なども抑制できる。
【0014】
一酸化窒素と水素の併用吸入によって、一酸化窒素吸入の副作用が防止でき、かつ、単なる併用効果ではなく、一酸化窒素吸入および水素吸入のいずれよりも高い虚血再灌流障害の相乗的な軽減効果が得られることは、当業者といえども予期しえない極めて意義ある効果である。虚血再灌流障害が軽減されることで、再灌流を受けた患者のQOLが向上する。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】本発明に従って一酸化窒素および水素の併用吸入を行うために使用できる治療装置の1例の装置構成を示す概要図である。
【図2】実験において人工呼吸器を酸素吸入に用いた場合の装置構成を示す概要図である。
【図3】動物実験の結果(左室における虚血領域の割合)を示すグラフである。
【図4】動物実験の結果(虚血領域における梗塞領域の割合)を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明によれば、例えば、心筋梗塞患者において、ステント留置、血管内膜除去術(アトレクトミー)、血栓溶解療法などにより、血流が途絶えていた虚血心筋組織に対して血流を再開させる虚血再灌流治療が行われる場合にみられる虚血再灌流障害が軽減される。このような梗塞部位の再灌流は、脳梗塞や腸管膜血栓症でも行われ、同様に再灌流障害が起こりうる。また、臓器移植後の移植臓器においても血流が途絶えていた組織に血流が再開される時にも再灌流障害が発生しうる。本発明は、このようないずれの臓器における虚血再灌流障害をも軽減することができる。
【0017】
本発明では、窒素などの不活性ガス中に酸素、水素、および一酸化窒素を含有させたガスを、虚血再灌流を受ける患者に対して、再灌流障害の軽減のために、再灌流の開始直前から再灌流の開始後しばらくの間、吸入投与する。投与期間は、例えば、手術中において、虚血再灌流が起こる5〜60分前から、再灌流が起こってから30分〜2時間の間にわたって行うことができる。好ましい投与期間は、再灌流の開始前10〜30分前から再灌流の開始後10分〜1時間の間である。
【0018】
吸入投与するガス中の酸素濃度は21〜98%の範囲内であり、好ましくは21〜30%の範囲内である。酸素濃度が低すぎると低酸素血症が生じ、高すぎると肺障害が生じるリスクがある。前記ガス中の水素濃度は0.1〜4%の範囲内であり、好ましくは2%程度である。水素濃度が低すぎると再灌流障害の軽減効果が低減し、高すぎると爆発の危険性がでてくる。ただし、水素は、空気中はで4.7%以下の濃度であれば火を近づけても爆発しない。前記ガス中の一酸化窒素濃度は40〜80ppmの範囲内であり、好ましくは80ppm程度である。一酸化窒素濃度が低すぎると再灌流障害の軽減効果が低減し、高すぎると、上記範囲内の濃度の水素を共存させても、一酸化窒素による前述した副作用を防止することが困難となる。一酸化窒素は、新生児の肺高血圧を伴う低酸素性呼吸不全の改善用薬剤(20ppm濃度で4日間まで吸入)として既に認可されており、800ppm濃度のガスが製剤として市販されている。本発明で薬剤組成物として使用するガスの残部は窒素ガスやヘリウムなどの不活性ガスであるが、微量であれば他のガス、例えば、二酸化炭素を含有していてもよい。
【0019】
本発明に従った吸入治療は、酸素供給経路が圧力調整器を介して接続されている慣用の人工呼吸器に、窒素供給経路、水素供給経路、および一酸化窒素供給経路を、それぞれ圧力調整器を介して接続した装置を利用して実施することができる。
【0020】
そのような装置の1例の全体構成を図1に示す。図示の装置は、一酸化窒素(NO)の供給源1、水素(H)を窒素(N)で希釈した水素/窒素混合ガスの供給源2、および酸素(O)の供給源3を備えている。これらのガスはいずれもボンベから供給される。水素を窒素で希釈して供給するのは、爆発の危険を回避するためである。水素/窒素混合ガス中の水素濃度は例えば、5%以下、特に4.7%以下とすることが好ましい。図には示されていないが、一酸化窒素のボンベも、安全性を考慮して、実際には一酸化窒素濃度が1%(1000ppm)以下程度の窒素希釈一酸化窒素ガスのボンベ(例、前述した一酸化窒素濃度が800ppmのガス)が一般に使用される。各供給源からのガスは、圧力調整器および微量流量計4又は5を経て混合され、弁6を経て患者に直接あるいは人工呼吸器7を経て患者の肺に吸入投与される。
【0021】
一酸化窒素は酸素と接触すると、反応により二酸化窒素を生成して失われることがあるため、弁の直前で両者を混合することが好ましい。そのため、図示の装置では、水素/窒素混合ガスと酸素ガスを同じ微量流量計5を経て流量を調整した後で混合し、得られた酸素/水素/窒素混合ガスを、専用の微量流量計4を経て供給される一酸化窒素ガスと、弁6の直前で混合し、混合されたガスが弁6の切り換えにより患者に直接あるいは人工呼吸器7に送られ、患者の肺に吸入投与される。
【0022】
なお、一酸化窒素(例えば800ppm)に水素(例えば20%)の窒素バランス混合ガスボンベからのガスを元に酸素と窒素で希釈(例えば10倍希釈)して使用することも可能である。
【実施例】
【0023】
本発明に従った治療による虚血再灌流障害の軽減は、以下に説明する動物実験によって確認された。
実験方法:
1.使用マウスと抗生剤の投与
実験にはC57BL/6J、10週齢雄性マウスを使用した。腸内に存在する細菌が発生させる水素の影響を取り除くため、抗生剤入りの飲み水と通常のエサを4日間自由摂取させ、実験開始18時間前から絶食させた。ただしこの期間も抗生剤入りの飲み水は自由摂取させた。抗生剤の効果を確認するため、実験開始前に呼気中の水素濃度を自作の呼気水素濃度測定回路を用いて測定し、水素濃度が測定感度限界以下であるマウスのみを実験に使用した。腸内細菌により発生する水素の影響を取り除かないと、結果のばらつきが大きく、吸入水素による効果を正しく判定することができない。
【0024】
2.マウス心筋虚血・再灌流障害モデルの作成
麻酔薬ペントバルビタールを腹膜内投与し、気管挿管後に人工呼吸器と接続し、呼吸管理を行った。左胸部を除毛・消毒した後、開胸を行ない、左冠状動脈前下行枝を絹糸で結紮することにより虚血状態を60分間維持した後、結紮した絹糸を解放して、再灌流を生じさせた。再灌流は血流の再開により確認した。再灌流の確認後、閉胸し、麻酔覚醒まで人工呼吸管理を行い、麻酔覚醒後は抜管して、室内気により管理を行った。
【0025】
3.吸入時間帯と吸入濃度
吸入時間は、再灌流開始(結紮解放)の5分前から再灌流開始の30分後までの35分間とした。対象とするガスを吸入させない群(酸素吸入による人工呼吸管理)を対照(コントロール)とし、水素吸入群、一酸化窒素吸入群、および本発明に従った水素/一酸化窒素併用吸入群に分けて、比較検討を行った。
【0026】
4.心臓切片の作成および計測
再灌流開始から24時間経過後、再び上記のように麻酔、開胸および再結紮を行った。左室からEvans Blue染色液を注入し、虚血領域を同定した。冠動脈にEvans Blue染色液が行き渡ったことを確認してから、心臓を摘出した。摘出した心臓は1 mm幅にスライスして心臓切片を作成した。作成した心臓切片をTTC (2,3,5-トリフェニルテトラゾリウムクロリド) 染色液を用いて染色し、梗塞領域を同定し、実体顕微鏡を用いて撮影を行った。
【0027】
撮影した画像に基づいて、画像処理ソフトimageJを用いた計測により、LV(左室領域)、AAR(Area At Risk:虚血領域)、Nec (Necrosis:梗塞領域)をそれぞれの心臓切片ごとに計測し、AAR/LV(左室における虚血領域の割合)およびNec/AAR(虚血領域における梗塞領域の割合)を算出した。AAR/LVをすべてのサンプルで同程度の結紮ができていたかを判断する指標として、Nec/AARを吸入効果の指標として用いた。
【0028】
5.回路構成およびガスの流れ
回路構成は基本的には図1に示すものであった。水素は安全性を考えて、窒素中の水素濃度が4%の窒素希釈水素ガスボンベから供給した。一酸化窒素は、窒素中に800 ppmの一酸化窒素を含有するボンベから供給した。流量調整器および微量流量計を用いて、窒素中に酸素30%、水素2%、一酸化窒素80 ppmを含む混合ガスを、人工呼吸器を経てマウスの肺に吸入投与した。
【0029】
比較のために、水素又は一酸化窒素を含まない以外は上記と同じ組成の混合ガスを同様に吸入投与して、それぞれ、一酸化窒素吸入群 (一酸化窒素80 ppm、酸素30%) 又は水素吸入群 (水素2%、酸素30%) とした。
【0030】
コントロール群において酸素吸入により呼吸管理を行う場合は、図2に示すように、酸素供給源3からの酸素だけをダイアル式流量計8を経て人工呼吸器7に送った。
実験結果:
実験結果を図3および図4に示す。
【0031】
図3は、各群について左室における虚血領域の割合(AAR/LV)を示す。試験数は図示の通りであり、各値は平均±標準偏差で示した。虚血領域の割合は左冠状動脈を結紮する位置によって変化する。再灌流障害の程度を評価するには、結紮により作成した虚血領域の割合が各群で同程度であることが望ましい。図から、AAR/LVの値が各群でほぼ同程度であったことがわかる。即ち、各群においてほぼ同じ程度の虚血領域を作成できていた。
【0032】
図4は、虚血領域における梗塞領域の割合(Nec/AAR)を示す。試験数は図示の通りであり、各値は平均±標準偏差で示した。t検定で有意差が確認されたものを*(p<0.01)で示した。
【0033】
水素と一酸化窒素のどちらも吸入させなかったコントロール群と比較して、水素吸入群、一酸化窒素吸入群、水素・一酸化窒素併用吸入群においてはNec/AARの値が減少し、t検定にて有意差が確認された。また、一酸化窒素吸入群と水素・一酸化窒素併用吸入群の間にも有意差があった。水素吸入群と比較すると有意差はなかったが、Nec/AAR値がさらに減少する傾向が見られた。
【0034】
前述したように、一酸化窒素は副作用として細胞障害性の強いペルオキシナイトライトを産生する。水素がこのペルオキシナイトライトを還元し、中和することで、ペルオキシナイトライトによる障害を減少させたのではないかと考える。また、水素吸入だけでは、虚血再灌流時に見られる好中球の浸潤や血小板の活性化などを抑制できないが、一酸化窒素を併用することで、その抑制も可能となる。
【0035】
なお、本実験では、水素と一酸化窒素を同時に吸入させたが、この同時吸入の前後のいずれか、又は前後の両方に、水素吸入あるいは一酸化窒素吸入だけを行うことも可能である。その場合のガス中の水素濃度と一酸化窒素濃度は、本発明で投与するガス中のそれぞれの濃度と同様でよい。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
酸素21〜98%、水素0.1〜4%、一酸化窒素40〜80ppmを含有し、残部が不活性ガスからなる、虚血再灌流障害を軽減するための吸入用気体状薬剤組成物。
【請求項2】
窒素、酸素、水素、および一酸化窒素の各ガスの供給源と、各ガス供給源に接続された圧力調整器および流量計を備えることを特徴とする、患者に直接あるいは人工呼吸器を経て請求項1に記載の薬剤組成物を吸入投与することにより虚血再灌流障害を軽減するための治療装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2011−184398(P2011−184398A)
【公開日】平成23年9月22日(2011.9.22)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−53405(P2010−53405)
【出願日】平成22年3月10日(2010.3.10)
【出願人】(598041566)学校法人北里研究所 (180)
【Fターム(参考)】