説明

表面増強ラマン分光分析方法

【課題】
微弱なラマン散乱光を感度良く、再現性、信頼性良く測定できる表面増強ラマン分光分析用の測定手順を提供すること。
【解決手段】
ラマン分光分析装置の外において、測定対象物上への微小金属構造体の形成、または、事前に作成しておいた微小金属構造体と測定対象物との接触によって、微小金属構造体および測定対象物からなる分光分析試料を作成し、前記分光分析試料を、少なくともその一部が照射するレーザー光に対し透明である外気と遮断しうる密閉容器に封入し、前記密閉容器をラマン分析装置中に設置し、前記密閉容器の透明な部分を通してレーザーを分光分析試料に照射し、得られたラマン散乱光を分析することを特徴とする表面増強ラマン分光分析方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、表面増強ラマン散乱による表面分析法、特に測定のための試料についての作成、搬送、保管を特徴とする分析法に関する。
【背景技術】
【0002】
試料にレーザー光を照射させると、元の入射光と同一振動数のレーリー散乱光の他に、元の入射光とは異なる振動数のラマン散乱光も測定試料から放出される。ラマン散乱光を分析するラマン分光分析法は、分子や結晶の構造や結合状態等を知るのに有効な手段方法である。
【0003】
ラマン散乱光の強度は微弱なので、試料が薄膜である場合や測定個所が微小である場合等にはラマン散乱光のスペクトルを取得するのが困難という場合もある。また、ラマン分光法はレーザーが照射された箇所全体から発生するため、試料内部からも信号が発生し、一般的には表面の物質のみの情報を得ることは難しい。
【0004】
そのような微弱なラマン信号をより高感度に分析し、表面のみの信号を得る手段として表面増強ラマン散乱(Surface Enhanced Raman Scattering(略称SERS))が挙げられる。SERSとは、銀、金及び銅等の金属からなる薄膜、島状、縞状の分布、微粒子など微小構造体を形成した基板上に堆積させた単分子層もしくは数分子層以上の試料からのラマン散乱光が、金属膜を形成しない場合に比べて10〜10倍も強度が増大される現象である。このSERS効果は極めて大きく、通常のラマン散乱強度と比較して1010倍以上の増強度が報告されている例もある。しかしながら、多くの発明・報告がなされているのにもかかわらず、SERSが一般的な産業用途の組成分析や構造解析に用いられるケースはほとんどない。それは、SERS効果が逆に大きすぎることに一因がある。非特許文献1にあるように、吸着した分子のラマン散乱光は、数秒の積算を繰り返すことによって様々にスペクトルが変化してしまう現象を呈することがある。このような現象は、SERS分析の再現性や信頼性を著しく低下させてしまっており、産業上の利用が困難な原因ともなっている。SERS効果を産業において日常的に利用するためには、SERSの高感度化に着目することの他、いかに再現性良く目的の試料表面の表面増強ラマンを測定するのかということに着目する必要がある。表面増強ラマンを産業的に活用することができれば、微小量の分子構造解析や極表面単分子層レベルの詳細な分子構造解析が可能になり、界面や表面のより詳細な解析から、エレクトロニクス製品を始めとする界面・表面の解析が重要な技術分野に多くの貢献をすることが期待できる。
【0005】
従来の表面増強現象を用いた振動分光法では、ラマン分光分析装置の外で、測定対象の試料に微小金属構造体を形成したり、微小金属構造体を試料と接触させた後、測定する方法が一般的であったが(特許文献1、2)、不明なスペクトルが表れたり、測定の再現性や信頼性が著しく低いものであった。仮にスペクトルが得られ、また、バンド形状の変化などが観察されたとしても、それが目的とする試料からの情報であるのかさえ判別することが難しいため、信頼性に著しく欠ける分析法であった。一方、微小金属構造体および測定対象物からなる分光分析試料を作成後、そのまま試料を系外に出すことなくラマン分析を行うなどの報告がある(非特許文献2)。しかしながら、本方法では真空蒸着装置と分光装置とを組み合わせるなど大掛かりな装置が必要であり、試料の長期の保管も困難である。さらに、真空チャンバー内に配置することが難しい顕微装置など微小部の測定も困難であるなどの問題があった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2006−349463号公報
【特許文献2】特開2005−077362号公報
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】「サイエンス」(Science)1997年、275号, p1102−1106
【非特許文献2】「アプライド サーフェス サイエンス」(Applied Surface Science) 2002年、190号,p371−375.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、上記の問題に鑑みてなされたものであり、一般的なラマン分光分析装置を用いてでも、簡便に、表面増強ラマン効果を再現性高くかつ高感度に分析する測定手順を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記課題を解決するために、発明者は試料の作成から分光分析装置への移動における大気中の不純物の影響および微小金属構造体を構成する金属の酸化による影響について検討を試みた。すなわち本発明は以下の構成からなる。
【0010】
ラマン分光分析装置において、試料にレーザー光を照射して表面増強ラマン分光分析を行う方法であって、
前記ラマン分光分析装置の外において、測定対象物上への微小金属構造体の形成、または、事前に作成しておいた微小金属構造体と測定対象物との接触によって、微小金属構造体および測定対象物からなる分光分析試料を作成し、
前記分光分析試料を、少なくともその一部が測定するレーザー光に対し透明である外気と遮断しうる密閉容器に封入し、
前記密閉容器をラマン分析装置中に設置し、前記密閉容器の透明な部分を通してレーザーを分光分析試料に照射し、得られたラマン散乱光を分析することを特徴とする表面増強ラマンス分光分析方法。
【発明の効果】
【0011】
本発明により、一般的なラマン分光装置を用いて材料最表面の表面増強ラマン散乱光を、大気中の酸素による酸化の影響を受けることなく、混入物の影響を受けることなく、また再現性良く、高感度に測定することが可能となる。それにより、表面増強ラマン分析の信頼性は飛躍的に向上し、極表面の詳細な組成解析、構造解析を可能とすることができる。また、真空蒸着装置内部に設置することが困難な、顕微分光装置によって測定することも容易で、μm程度の領域の微小部の表面増強ラマン分析も可能となり、微小部の極表面の表面増強ラマン測定、マッピング測定が可能になる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】本発明の実施が可能なラマン分析用の密閉容器および分光分析試料の断面図である。
【図2】実施例で得られたラマンスペクトルである。(ア)本発明の方法によって得られた表面増強ラマンスペクトル、(イ)Au蒸着のない箇所のラマンスペクトル、(ウ)金属蒸着を行ってから大気中に放置した場合の表面増強ラマンスペクトル
【発明を実施するための形態】
【0013】
これより、本発明の実施の形態について、詳しく説明する。
・ 測定対象物と微小金属構造体とが接触している分光分析試料を作成する工程
真空蒸着などの方法で基板上に微小金属構造体を形成し、測定対象物をナノ構造体の上に、蒸着、滴下、製膜、転写させて作成する方法がある。
【0014】
逆に測定対象物が載置された基板を準備し、真空蒸着などの方法で微小金属構造体を形成することも可能である。
【0015】
SERS効果を発現するものであれば微小金属構造体の形状は任意である。一般的には金属の表面に高さ0.1〜30nm程度の凹凸があると効果があると言われており、その凹凸の形状については球状や錐、島上、縞状などの様々な構造がありうる。その形成方法としては蒸着法が例示され、微小金属構造体の製造方法は真空蒸着や無電解メッキなどさまざまな方法を用いることができる。微量の形成であれば、得られる構造体は、粒子状または島状となっており、それが凹凸構造となる。微小金属構造体の材料としては、Ag、Au,Pt、Cuなどの貴金属類が好ましいが、表面増強効果を得られる金属やその複合体・混合物であれば、組成は問わない。
・ 前記分光分析試料を、少なくともその一部が照射するレーザー光に対し透明である外気と遮断しうる密閉容器に封入する工程
密閉容器は、分光分析試料が入る大きさがあればよい。また分光分析試料を出し入れするための蓋、扉などの手段が設けられる。また照射予定のレーザー光に透明な部分を容器の一部に設けておく必要がある。すなわちラマン散乱光を測定するため、赤外光〜紫外光(波長領域10μm〜0.2μm)のいずれかの光が透過できる必要がある。このような構造のものとしては図1に示す構造(断面図)のものが例示される。この密閉容器は容器底部4と容器蓋部3とを有し、測定対象物2の上に微小金属構造体1がのった状態にある分光分析試料を容器蓋部3が覆い被さる構造になっている。図1の容器ではシール樹脂5が設けられ外気と密閉容器内部との通気を遮断することになる。容器蓋部3はガラス製とすると光に対して透明となる。容器底部4の材質は金属、ガラス、プラスチックなど任意である。また他の容器の態様としては、直方体とし、側方に出入り口を有する構造のものであってもよい。逆に容器底部4をガラス製とし、容器蓋部の材質を任意のものから選んでもよい。
【0016】
封入する工程の例としては、前もってグローブボックス内に密閉容器を用意しておく。その際、密閉容器はまだ密閉しておく必要はない。前記(1)の工程の後、その工程に使用した装置(例えば真空蒸着装置)に窒素、アルゴンなどの不活性ガスが充満した前記グローブボックスを直結し、分光分析試料をグローブボックスに移動させ、さらに密閉容器内に載置する。そして密閉容器を密閉し、クリップ等の手段により空気もれがないように固定する。必要があれば接着剤を使用することもできる。そしてグローブボックスから密閉容器を取り出す。
【0017】
密閉容器内は不活性ガスが充填しているが、密閉容器にコック付きの排気口を設けておき、真空ポンプを用いて減圧状態とし、真空ポンプを停止しさらに密閉容器から取り外して、密閉容器を減圧状態としてもよい。
・ 容器の透明部分からレーザーを照射し、ラマンスペクトルを測定する工程
ラマン分光法は光を照射して散乱されるラマン散乱光を分光して分析する手法であるため、光をガラスなどの透明体を通過させ、さらに内部に存在する試料に照射させることができる。非破壊・非接触での分析が可能である。本発明は、そのようなラマン分光分析の持つ特徴を有効に利用したものであり、封入時の環境のまま、または大気と接触されない状態での測定が可能である。ラマンスペクトルの測定は市販されているラマン分光装置を用いることができる。図1の容器蓋部3あるいは容器底部4の透明部分から光を通過させて微小金属構造体に照射すると、微小金属構造体によるプラズモン共鳴効果が発現し、表面増強ラマン散乱光が発生する。発生した光は、容器の透明部分を通過した後レンズを用いて分光器に転送し、分光器によって分光され、検出器を用いてその波長の強度を検出する。測定系に顕微ラマン分光装置を用いれば、簡便に1μm程度の微小部の測定も可能である。
【0018】
さらに、密閉容器に試料を封入することにより、特別の装置を用意することなく、長時間の保管が可能となる。また、容器ごと、加熱・冷却しての測定や、容器を透過して電磁波・X線などを照射することも可能で、加熱・冷却、種々の電磁波・X線による材料の極表面の物性変化の追跡が、本発明の方法を用いて簡便に行うことができる。
【実施例】
【0019】
対象試料として、真空蒸着によって得たトリスハイドロキノリノールアルミニウム(以下「Alq3」という。)を用いて、その表面増強ラマンの測定を行った。Alq3膜をガラス基板上に真空蒸着によって60nmの厚みに製膜した後、5×10−5Paの真空度において真空蒸着法によってAuの金属薄膜を5nmの厚さで形成し、分光分析試料を作成した。Auの蒸着速度は0.006nm/秒であった。Auの蒸着後、大気暴露せずに真空蒸着装置に直結された酸素濃度3ppm以下、露点−70℃の窒素雰囲気のグローブボックス内において、図1の断面形態を有する密閉容器(容器蓋部および容器底部いずれもガラス製)に分光分析試料を載置し紫外線硬化型接着剤を用いて封入した。
【0020】
試料容器をグローブボックスから取り出しラマン装置の試料室に設置した。ラマン分析には、堀場ジョバンイボン社製のT64000を用い、Krイオンレーザーの波長647.1nmの発振線を密閉容器の容器蓋部を通じて試料に照射し、スペクトル測定を行った。レーザー光の強度は、分光分析試料上で4mWとした。レーザー光のスポット径は約100μmであった。発生したラマン光は、カメラレンズを用いて集光され、分光器の入射スリットに転送した。本方法で分析したラマンスペクトルの例を図2(ア)に示す。比較例として、Au蒸着がなされていない部分のラマンスペクトル(イ)と、さらに比較例として真空蒸着後に不活性ガスで封入せずに大気中に放置したラマンスペクトル(ウ)も示した。(ア)のスペクトルはAlq3由来のラマンスペクトルであることが分かった。(イ)のスペクトルに示されるようにAu蒸着がなされていない場所では、全くAlq3のラマンバンドは検出されていないが、金属蒸着した箇所のスペクトル(ア)では明確にラマンバンドが得られており、表面増強効果が発現したことが明確である。本発明の方法によらず、Alq3上にAu蒸着を行った後大気中に20分間放置したラマンスペクトル(ウ)では、表面増強効果は得られているものの、スペクトル強度が著しく低下しており、密閉容器で密閉した場合では認められない1550cm-1付近にブロードなラマンバンドが認められた。これは大気中の汚染物などが検出されてしまっていると推測された。また、得られたラマンバンドもブロードになっており、大気によって金属が酸化されたか、金属と測定対象物との界面で何らかの酸化反応がおきたためと推測される。
【0021】
このように、本発明の方法で、通常のラマン分光装置を用いて、表面増強の効果が大きく、大気中の汚染物に影響されないラマンスペクトルを得ることができた。別途、1064nmのレーザー光を用いた測定も実施し、同様に表面増強効果が得られること、また大気中に分光分析試料を放置した場合に比べて明確なスペクトルが得られることを確認した。幅広い励起波長領域に有効な分析手法であることを確認した。また、同じ装置に顕微ラマン分光機能を取り付け、微小部のスペクトル測定を行い、場所によるラマンスペクトルの変化や違いを測定したが、1μm領域での測定においてラマンスペクトルの変化は認められず、極めて再現性の高い分析が可能であることを確認した。さらに、試料作製後2ヶ月を経過した容器のサンプルについて、同様の実験を行ったところ、作製直後と同じ強度・スペクトル形状となり、本発明の方法が長期間の表面増強効果を持続できることを実証した。
【産業上の利用可能性】
【0022】
本発明によれば、微小量の分子構造解析や極表面単分子層レベルの詳細な分子構造解析が可能になり、界面や表面のより詳細な解析から、エレクトロニクス製品を始めとする界面・表面の解析が重要な技術分野へ発展が可能となる。
【符号の説明】
【0023】
1 微小金属構造体
2 測定対象物
3 容器蓋部
4 容器底部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ラマン分光分析装置において、試料にレーザー光を照射して表面増強ラマン分光分析を行う方法であって、
前記ラマン分光分析装置の外において、測定対象物上への微小金属構造体の形成、または、事前に作成しておいた微小金属構造体と測定対象物との接触によって、微小金属構造体および測定対象物からなる分光分析試料を作成し、
前記分光分析試料を、少なくともその一部が照射するレーザー光に対し透明である外気と遮断しうる密閉容器に封入し、
前記密閉容器をラマン分析装置中に設置し、前記密閉容器の透明な部分を通してレーザーを分光分析試料に照射し、得られたラマン散乱光を分析することを特徴とする表面増強ラマン分光分析方法。
【請求項2】
前記密閉容器への封入作業が、不活性ガス雰囲気で行うことを特徴とする請求項1記載の分析方法。
【請求項3】
微小金属構造体が貴金属からなり、島状、微粒子状又は薄膜であることを特徴とする請求項1または2記載の分析方法。
【請求項4】
微小金属構造体の作製方法が真空蒸着によるものであることを特徴とする請求項1〜3いずれかに記載の分析方法。

【図1】
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【図2】
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