説明

認知症者用治療剤及び認知症者用治療キット

【課題】アロマセラピーにおいて有効に使用することができる、認知症に合併したせん妄及び/又はBPSDを抑制するための認知症者用治療剤を提供する。
【解決手段】本発明の認知症者用治療剤は、ティートリー精油等の覚醒系植物精油を含有し、認知症者に対して日中に適用される。本発明の認知症者用治療剤は、空気中に散布し、認知症者の体内に呼吸、粘膜及び経皮吸収を通して導入するのが好ましい。また、鎮静系植物精油を含有し、夜間に使用される効能調節剤と併用することができる。本発明の認知症者用治療剤により、短期間に顕著にせん妄及び/又はBPSDが抑制される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、アロマセラピーにおいて有効に使用することができる、認知症に合併したせん妄及び/又はBPSDを抑制するための認知症者用治療剤、及び、認知症に合併したせん妄及び/又はBPSDを抑制するための認知症者用治療キットに関する。
【背景技術】
【0002】
平均寿命が延びて高齢者が増加するにつれ、高齢者の介護、特に、アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症等の認知症を発症した高齢者の介護の問題が社会的に重要となってきた。認知症者の多くは、記憶障害、見当識障害、実行機能障害、失行、失認、失語などの中核症状に加えて、環境によって二次的に、BPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia、認知症の周辺症状と問題行動)とも言われる、幻視、幻覚、妄想、抑うつ、睡眠障害、昼夜逆転、暴言、暴力、徘徊、不穏などを含む周辺症状を発症する。これらBPSDの中には介護者の理解や認容を超える症状もあり、また認知症は基本的に治癒することがないと考えられているため、認知症者だけでなく、認知症者の家族などの介護者の負担も極めて大きい。
【0003】
また、認知症と合併しやすいものとして、せん妄が挙げられる。せん妄は、認知症のように脳の器質的変化によるものだけではなく、機能的低下による注意障害を伴った軽度から中等度の意識混濁や意識変容がみられる症候群である。せん妄の代表的な症状として、特に夜間における不穏、幻視、幻覚、錯覚、暴力行為などが現れ、また、即時記憶及び短期記憶の障害、見当識障害などの認知機能障害、寡動と多動との間の予測不能な変化、反応時間延長などの精神運動障害、睡眠・覚醒リズム障害、抑うつ、不安などの感情障害が同時に現れる。せん妄は、発症が急激であり、症状が1日の中でも変動し、醒めると元の水準に復帰する点で、認知症と区別することができる。しかしながら、認知症の症状、特にBPSDとせん妄の症状との間に類似性が認められるため、せん妄が認知症と誤診されることがあり、軽い認知症を示す認知症者がせん妄を合併発症すると、認知症が急激に悪化したように見えることが多い。そのため、せん妄を合併発症した認知症者の治療においては、せん妄が軽快しなければ認知症の重症度を判定することができず、薬剤の過剰投与など治療方針の誤りにつながる懸念があり、或いは、介護者がもはや手に負えないと感じて介護放棄につながることも懸念される。
【0004】
認知症者に対しては、ドネペジル塩酸塩(商品名アリセプト(登録商標)、エーザイ株式会社製)などのアセチルコリンエステラーゼ阻害剤の他、必要に応じて抗精神病薬、抗うつ薬、気分安定薬などが処方される。また、近年では、代替療法として、植物精油を使用したアロマセラピーも検討されてきた。アロマセラピーにおける植物精油の作用機序は科学的に完全に解明されているとは言えないが、精油の芳香による記憶の呼び起こしや感情の制御に加え、植物精油中の揮発成分が呼吸、粘膜及び経皮吸収を通じて体内に取り込まれ、何らかの生理学的作用を発揮すると考えられている。正常な脳機能を有する健常者に対する植物精油の生理作用については多くの報告があるものの、脳機能に障害を抱える認知症者に対する植物精油の影響の詳細についてはあまり知られていない。
【0005】
例えば、非特許文献1(J Clin Psychiatry,63(7),553−558)は、鎮静系植物精油(副交感神経を交感神経より優位に働かせる作用を有する精油)として知られているメリッサの精油を含有するローションを、BPSDの一症状である興奮症状を示す認知症者の顔や腕に塗布すると、興奮症状が抑制され、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)が向上したことを示している。非特許文献2(Int J Geriatr Psychiatry,16,1010−1013)は、やはり鎮静系植物精油として知られているラベンダーの精油を含有するマッサージオイルの使用により、認知症者の興奮行動が抑制されたことを示している。
【0006】
また、特許文献1(特開2005−154490号公報)は、植物精油で賦香されたマラカスを認知症者に与え、音楽を流して遊ばせたところ、グレープフルーツ、ジャスミン及びペパーミントの精油で賦香した場合にはマラカスを振る回数が増加し、シナモンの精油で賦香した場合にはマラカスを振る回数が減少し、認知症者の感情や意欲に植物精油が影響を与えうることを示している。
【0007】
また、特許文献2(特開2005−272421号公報)及び特許文献3(特開2006−131589号公報)は、それぞれ、キダチコンギクの精油及びティートリーの精油がウシ赤血球のアセチルコリンエステラーゼを好適に阻害するin vitroの試験結果を報告しており、認知症者への適用を示唆している。
【0008】
さらに、非特許文献3(日本認知症学会誌,19(1))は、9時〜11時に覚醒系植物精油(交感神経を副交感神経より優位に働かせる作用を有する精油)であるローズマリーとレモンの精油を空気中に散布し、19時半〜21時半に鎮静系植物精油であるラベンダーとオレンジの精油を空気中に散布したところ、アルツハイマー型認知症者において、中核症状である知的機能障害、特に自己に対する見当識の障害が改善されたが、その他の精神症状、自発性、感情機能、運動機能には統計的に有意な改善が認められなかったことを記載している。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特開2005−154490号公報
【特許文献2】特開2005−272421号公報
【特許文献3】特開2006−131589号公報
【非特許文献】
【0010】
【非特許文献1】Ballard C et al.,2002,「Aromatherapy as a Safe and Effective Treatment for the Management of Agitation in Severe Dementia: The Results of a Double−Blind,Placebo−Controlled Trial with Melissa」,J Clin Psychiatry,63(7),553−558
【非特許文献2】Smallwood J et al.,2001,「Aromatherapy and behaviour disturbances in dementia: a randomized controlled trial」,Int J Geriatr Psychiatry,16,1010−1013
【非特許文献3】木村有希ら,2005,「アルツハイマー病患者に対するアロマセラピーの有用性」,日本認知症学会誌,19(1)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
アロマセラピーは、植物精油が比較的安価であり、精油の身体的副作用がほとんど無いと予想される上に、精油の芳香が介護者の精神状態にゆとりを与える効果も期待されるため、認知症治療において好ましい療法であると言える。
【0012】
しかしながら、これまでのアロマセラピーによる検討は、非特許文献1、非特許文献2に見られるように、鎮静系植物精油を使用した興奮行動の抑制を目的とした検討が多かった。認知症の治療は、本来、認知症者が自分らしさを発揮することができ、認知症者が家族と共に在る時間をできるだけ長期化させることができ、生活を豊かにすることを目的とした治療であるべきであり、認知症者の行動を押さえつけるような治療は決して好ましいものとは言えない。
【0013】
一方、上述したように、認知症と合併したせん妄及びBPSDは、特に夜間における不穏、幻視、幻覚、錯覚、暴力行為、昼夜逆転など、介護者の理解や認容を超える症状として出現することがあり、さらにせん妄は認知症を実際より重症に見せてしまうという問題がある。したがって、アロマセラピーによりBPSDと共にせん妄を軽快させることができれば、認知症の重症度を正しく判定して適確な治療を行うことができ、介護者の認容を超える問題行動が軽減されるため、認知症者にとっても介護者にとっても好ましい。
【0014】
そこで、本発明の目的は、アロマセラピーにおいて有効に使用することができ、認知症と合併したせん妄及び/又はBPSDを好適に抑制することができる、植物精油を含有する認知症者用治療剤を提供することである。
【0015】
なお、特許文献1には、覚醒系植物精油であるペパーミントの使用が示されているが、マラカスを振る回数で評価した影響例が示されているだけであり、非特許文献3には、覚醒系植物精油と鎮静系植物精油の併用が示されているが、それぞれの精油の効果が分離されておらず、また認知症の中核症状である知的機能、特に自己に対する見当識の改善効果が示されているだけである。また、特許文献2、特許文献3はそれぞれキダチコンギクの精油及びティートリーの精油の認知症者への適用を示唆しているものの、認知症と合併したせん妄及びBPSDを抑制するためのこれらの精油の適用及び適用方法についてはなんら示唆していない。
【課題を解決するための手段】
【0016】
発明者らは、鋭意検討した結果、せん妄を合併発症した認知症者に対し、覚醒系植物精油を日中に適用すると、せん妄及びBPSDが短期間に顕著に抑制されることを見出した。
【0017】
したがって、本発明は、覚醒系植物精油を含有し、日中に使用される、認知症に合併したせん妄及びBPSDの少なくとも一方を抑制するための認知症者用治療剤に関する。
【0018】
本発明は、認知症者が、BPSDの症状を示し、しかもせん妄を合併発症している場合には、BPSDとせん妄とを同時に抑制することができ、いずれか一方しか発症していないか、発症していても極めて軽度の発症である場合には、発症している方の症状を好適に抑制する。なお、「せん妄の抑制」の語は、せん妄の重症度の軽減及びせん妄症状を呈する頻度の減少の少なくとも一方を意味する。また、認知症者においては、「夜間せん妄」と「レム睡眠行動異常症(RBD)」とを臨床上明確に区別することは難しいため、本発明に関する限り、「せん妄」の語にRBDを含めて意味する。
【0019】
覚醒系植物精油とは、上述したように、交感神経を副交感神経より優位に働かせる作用を有する精油を意味する。必ずしも明確ではないが、覚醒系植物精油は、認知症者における日中の覚醒を確保すると共に、夜間の睡眠時には、認知症者に認められるレム睡眠期における抗重力筋の活動消失(アトニア)の障害を緩和し、適切な睡眠を維持する働きを有すると考えられる。また、認知症者は嗅覚に障害を受ける傾向があるが、本発明の認知症者用治療剤の香りを認知症者が認識するか否かは、本発明の効果を左右しない。
【0020】
本発明の認知症者用治療剤は、正常な脳機能を有する健常者(例えば介護者)の健康状態にはほとんど悪影響を与えないこともわかっている。
【0021】
上記覚醒系植物精油としては、ティートリーの精油が特に有効である。また、本発明の認知症者用治療剤は、ディフューザ等により空気中に散布して使用すると、認知症者用治療剤の空気中濃度を所定期間所定の範囲に保つことができるため好ましい。
【0022】
本発明の認知症者用治療剤を適用する認知症の型に制限は無いが、本発明の認知症者用治療剤は特にレビー小体型認知症に有効である。
【0023】
本発明の認知症者用治療剤は、鎮静系植物精油を含有し且つ夜間に使用される効能調節剤と併用することができる。「鎮静系植物精油」とは、上述したように、副交感神経を交感神経より優位に働かせる作用を有する精油を意味する。
【0024】
効能調節剤単独では認知症に合併したせん妄及び/又はBPSDを抑制しないが、本発明の認知症者用治療剤による認知症者の覚醒水準が上昇しすぎるのを抑えて夜間の睡眠を深くする効果を有する。上記鎮静系植物精油としては、ラベンダーの精油が特に有効である。
【0025】
本発明はまた、上述の認知症者用治療剤と上述の効能調節剤とを含む、認知症に合併したせん妄及びBPSDの少なくとも一方を抑制するための認知症者用治療キットに関する。このキットにより、認知症に合併したせん妄及び/又はBPSDを好適に抑制することができる。
【発明の効果】
【0026】
本発明の認知症者用治療剤及び認知症者用治療キットによると、認知症と合併したせん妄及び/又はBPSDが短期間に顕著に抑制される。また、副次的な効果として、高度認知症と判定された認知症者であっても、覚醒水準の安定により介護者と意味のある会話を交わし、コミュニケーションをとることができる可能性を持つ。
【発明を実施するための形態】
【0027】
以下、本発明について詳細に説明する。本発明は、覚醒系植物精油を含有し、日中に使用される認知症者用治療剤である。該治療剤により、認知症に合併したせん妄及び/又はBPSDが好適に抑制される。上記治療剤は、鎮静系植物精油を含有し、夜間に使用される効能調節剤と併用することができる。
【0028】
本発明において、「認知症」の語は、若年性であるか老年性であるかに関わらず、記憶障害、見当識障害、実行機能障害、注意障害、及び思考障害などの脳の器質的変化による障害が認められる症候群を意味し、アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、皮質基底核変性症、及び混合型認知症を含む。本発明は、レビー小体型認知症に極めて有効であり、レビー小体型とアルツハイマー型との混合型認知症にも特に有効である。
【0029】
覚醒系植物精油は、アロマセラピーに関わる者に良く知られており、例として、ティートリー、レモン、ローズマリー、ユーカリ、ライム、ペパーミント、ブラックペッパー、タイム、バジル、クローブ、ニアウリ、フェンネル、アニス、ローレル、キダチコンギク、セージの精油が挙げられ、ティートリー、レモン、ローズマリー、ユーカリ、ペパーミント、タイム、バジル、キダチコンギクの精油が好ましく、ティートリーの精油が特に好ましい。
【0030】
鎮静系植物精油もまた、アロマセラピーに関わる者に良く知られており、例として、ラベンダー、カモミール、ゼラニウム、ネロリ、サンダルウッド、ローズウッド、パチューリー、ローズ、プチグレイン、ベチバー、ベルガモット、マージュラム、マンダリン、メリッサ、イランイラン、オレンジ、クラリセージ、サイプレス、ジャスミン、シダーウッド、フランキンセンス、ベンゾイン、ミルラの精油が挙げられ、ラベンダー精油が特に好ましい。
【0031】
本発明で使用する覚醒系植物精油及び鎮静系植物精油は、植物の種類に応じ、花、葉、茎、芯材、根、果実、全草など、植物の少なくとも一部を原料とし、水蒸気蒸留法、冷浸抽出法、溶剤抽出法、低温圧搾法、超臨界二酸化炭素抽出法などの公知の方法により得ることができる。
【0032】
本発明の認知症者用治療剤における覚醒系植物精油としては、単一の覚醒系植物精油、好ましくはティートリーのみを使用しても良いが、介護者のために香りなどを考慮して、複数の覚醒系植物精油を混合して使用しても良い。
【0033】
本発明の認知症者用治療剤は、認知症者に対して、日中に適用される。適用時間は、認知症者の生活時間に依存し、一般には起床後〜夕刻の間、好ましくは起床後〜12時の間に、2時間以上継続して適用するのが好ましい。日中に適用されるべき認知症者用治療剤を夜間に適用すると、覚醒水準が上昇しすぎて、夜間の睡眠が浅くなり、不穏行動が認められるなどの不都合が生じる。
【0034】
必要に応じて本発明の認知症者用治療剤と併用される効能調節剤における鎮静系植物精油としては、単一の鎮静系植物精油、好ましくはラベンダーのみを使用しても良く、複数の鎮静系植物精油を混合して使用しても良い。
【0035】
効能調節剤は、認知症者に対して、必要に応じて夜間に適用される。効能調節剤は、本発明の認知症者用治療剤による認知症者の覚醒水準が上昇しすぎるのを抑えて夜間の睡眠を深くし、日中に適用される認知症者用治療剤の効果をより向上させる役割を果たす。したがって、認知症者用治療剤のみで満足できる効果が認められる場合には、効能調節剤を使用する必要が無い。
【0036】
効能調節剤の適用時間は、認知症者の生活時間に依存し、一般には夕食後〜就寝後3時間の間、好ましくは夕食後〜就寝後1時間の間に、2時間以上継続して適用するのが好ましい。夜間に適用されるべき効能調節剤を日中に適用すると、日中のBPSD及び/またはせん妄が悪化するなどの不都合が生じる。
【0037】
本発明の認知症者用治療剤及び必要に応じて併用される効能調節剤は、それぞれ、覚醒系植物精油のみ、鎮静系植物精油のみを含むのが好ましいが、本発明の効果を損なわない限り、他の植物精油を含んでいても良い。例えば、神経系への刺激或いは鎮静作用が無いか極めて弱い植物精油、特に介護者のために香りの良い植物精油を含むことができる。
【0038】
本発明の認知症者用治療剤及び必要に応じて併用される効能調節剤は、認知症者の体内に呼吸、粘膜及び経皮吸収を通して導入する方法により、認知症者に適用される。適用に当たっては、覚醒系植物精油、好ましくはティートリーの精油、及び、必要に応じて鎮静系植物精油、好ましくはラベンダーの精油を、ディフューザ等を用いて空気中に散布し、認知症者の体内に呼吸、粘膜及び経皮吸収を通して導入するのが好ましい。この適用方法は比較的容易であり、認知症者用治療剤及び効能調節剤の空気中濃度を所定期間所定の範囲に保つことができるため、認知症者用治療剤及び効能調節剤を認知症者に対して安定に供給することができる。空気中に散布する覚醒系植物精油或いは鎮静系植物精油の散布量は、精油の種類、認知症者の発症程度、及び散布空間の換気程度に依存するが、一般には、1〜10分間に1回、1mあたり5×10−5〜2×10−3mL、好ましくは2〜5分間に1回、1mあたり1×10−4〜1×10−3mLの量を散布することができる。上述の範囲より覚醒系植物精油の散布量が少ないと、BPSD及びせん妄の抑制効果が十分でなく、上述の範囲より覚醒系植物精油の散布量が多いと、認知症者の覚醒水準が上昇しすぎて不眠につながる恐れがある。なお、精油の空気中への散布量は、散布を行っている間一定である必要は無く、例えば、散布開始時に高濃度で散布し、時間の経過に連れて濃度を低下させることもできる。
【0039】
この他、本発明の認知症者用治療剤及び必要に応じて併用される効能調節剤を、布等に浸み込ませて認知症者の顔の近傍、例えば洋服の襟の裏などに取り付けておく方法、枕などの寝具に浸み込ませる方法、入浴時に湯に混入する方法、開口を有する容器に入れて部屋の所定場所に配置する方法等により、認知症者に適用することもできる。
【0040】
さらに、本発明の認知症者用治療剤及び必要に応じて併用される効能調節剤は、覚醒系植物精油或いは鎮静系植物精油を認知症者の体内に呼吸、粘膜及び経皮吸収を通して導入することができる形態であれば、ディフューザ等による空気中への散布に限らず、マッサージオイル、マッサージクリーム、ジェル及び液状等の化粧品、軟膏剤やシップ剤などの医薬品、入浴剤等の医薬部外品や、アロマキャンドル、アロマエアスプレなどの各種雑貨製品の形態とすることもできる。このような製品は、本発明の効果を損なわない限り、覚醒系植物精油或いは鎮静系植物精油の他に、アルコール、パラフィン、グリセリン、ホホバオイル等のベース剤、界面活性剤、防腐剤、酸化防止剤、顔料、充填剤等を含むことができる。
【0041】
また、本発明の認知症者用治療剤は、アセチルコリンエステラーゼ阻害剤、抗精神薬、抗うつ薬、気分安定薬などの薬剤と併用することができ、或いは、これらの薬剤の投与量の減少化に寄与することができる。
【0042】
本発明の認知症者用治療剤と効能調節剤とを1つのキットとすると、認知症者ごとに、BPSD及び/又は認知症に合併したせん妄の重症度や睡眠の深さなどを観察しながら、認知症者用治療剤及び効能調節剤の空気中濃度と使用時間を細かく調整することができるため、認知症者のBPSD及び合併発症したせん妄をより好適に抑制することができる。
【0043】
本発明の認知症者用治療剤及び認知症者用治療キットによると、認知症と合併したせん妄、特に夜間せん妄及びBPSDが短期間に顕著に抑制され、認知症者の夜間の睡眠状態が改善され、日中の明晰度が向上する。さらに、副次的な効果として、高度認知症と判定された認知症者であっても、覚醒水準の安定により介護者と意味のある会話を交わし、コミュニケーションをとることができる可能性を持つ。したがって、介護負担が大幅に軽減し、認知症者が自分らしさを発揮することができ、認知症者及び介護者の生活が豊かになる。
【実施例】
【0044】
以下に本発明の実施例を説明するが、本発明は以下の実施例に限定されず、本発明の趣旨を逸脱しない範囲での変更が可能である。
【0045】
使用する植物精油の効果と副作用の可能性について文書を基に口頭で十分に説明し、認知症者或いは家族から書面にて同意を得た上で、以下の植物精油適用試験を行った。評価のばらつきを抑えるため、同一の者が、対象者の観察及び介護者からの聞き取りを通じて、全ての評価を行った。対象者は、男性1名(A)、女性2名(B,C)であり、いずれもレビー小体型認知症を高度に発症していた。対象者の平均年齢は87歳であった。植物精油適用試験中も、試験前から服用しているアリセプト(登録商標)等は継続して服用した。
【0046】
試験1:ティートリー精油適用試験
ティートリー精油(アットアロマ株式会社製)をディフューザ(製品名;アロセントポータブル(エアーアロマ社製))にて空気中に散布した。2週間後に散布を停止し、せん妄及びBPSDに対する抑制効果を評価した。BPSDの評価は、睡眠障害、幻覚・幻視、妄想、不穏・興奮、易刺激性、暴言・暴力、及びうつの7項目について行った。次いで、再度この過程を繰り返した。表1に、対象者ごとの、1回目試験及び2回目試験におけるティートリー精油の散布量及び散布時間と、試験開始前に行ったベースライン評価、1回目試験後及び2回目試験後におけるせん妄及びBPSDの頻度を示す。対象者Cについては、独居のため睡眠状態の評価はできなかった。
【0047】
【表1】

【0048】
表1から把握されるように、対象者A,Bについて、ティートリー精油の経験により、せん妄の頻度に減少傾向が認められ、BPSDの頻度にも減少傾向が認められた。また、対象者Cについては、ティートリー精油の経験により、せん妄の頻度には改善傾向が認められなかったものの、BPSDの頻度には減少傾向が認められた。したがって、ティートリー精油の経験により、せん妄及びBPSDの少なくとも一方が抑制されることがわかった。
【0049】
表2には、せん妄及びBPSDの評価とともに実施した、見当識、会話能力、家族や介護者との協調性、落ち着きのなさ、日中の起きている程度、及び認知機能の変動(明晰度の変動)に関する評価結果をまとめて示す。
【0050】
【表2】

【0051】
表2から把握されるように、ティートリー精油の経験により、日中の覚醒水準が改善された。いずれの介護者も、日中の会話量が増えた上に、会話が通じるようになったとの感想を示した。しかし、表2から把握されるように、夜間にまでティートリー精油を経験した対象者Aにおいては、試験時間が長期に及ぶに連れ、落ち着きのなさなどの複数の項目の評価結果が改善から悪化に戻る傾向を示した。一方、日中のみのティートリー精油の経験によっても、表1に示すようにせん妄及びBPSDの少なくとも一方が好適に抑制されたことから、ティートリー精油は日中に適用すべきであると判断された。
【0052】
試験2:ラベンダー精油適用試験
対象者A,Bに対し、2回目のティートリー精油適用試験後に、ラベンダー精油(アットアロマ株式会社製)をディフューザ(製品名;アロセントポータブル(エアーアロマ社製))にて空気中に散布し、対象者Aについては8日経過後、対象者Bについては2週間経過後に散布を停止してせん妄及びBPSDに対する抑制効果を評価した。表3に、ラベンダー精油の散布量及び散布時間と、ベースライン評価、試験2前及び試験2後におけるせん妄及びBPSDの頻度を示す。また、表4には、同時に実施した、見当識、会話能力、家族や介護者との協調性、落ち着きのなさ、日中の起きている程度、及び認知機能の変動(明晰度の変動)に関する評価結果をまとめて示す。
【0053】
【表3】

【0054】
【表4】

【0055】
表3、表4から把握されるように、日中のラベンダー精油は、ティートリー精油によってベースライン評価より改善したせん妄及びBPSD、明晰度、見当識、会話能力等に悪影響を及ぼすことがわかった。なかには、対象者Aにおけるせん妄や見当識、会話能力などの評価、対象者Bにおけるうつの評価にみられるように、ベースライン評価よりも悪化が認められたものもあった。
【0056】
試験3:ティートリー精油とラベンダー精油の併用試験
ラベンダー精油適用試験後の対象者A,Bと、ティートリー精油適用試験後の対象者Cについて、日中にはティートリー精油(アットアロマ株式会社製)を、夜間にはラベンダー精油(アットアロマ株式会社製)を、ディフューザ(製品名;アロセントポータブル(エアーアロマ社製))にて空気中に散布した。2週間後に散布を停止し、せん妄及びBPSDに対する抑制効果を評価した。表5に、ティートリー精油及びラベンダー精油の散布量及び散布時間と、ベースライン評価、併用試験前及び併用試験後におけるせん妄及びBPSDの頻度を示す。また、表6には、同時に実施した、見当識、会話能力、家族や介護者との協調性、落ち着きのなさ、日中の起きている程度、及び認知機能の変動(明晰度の変動)に関する評価結果をまとめて示す。
【0057】
【表5】

【0058】
【表6】

【0059】
表5、表6から把握されるように、対象者A,Bにおいては、試験2のラベンダー精油の単独使用により悪化していたせん妄及びBPSDの回復が認められ、対象者Aにおいては、明晰度、見当識、会話能力等の回復も認められた。また、対象者Cにおいては、ティートリー精油とラベンダー精油の併用により、試験1のティートリー精油の単独使用に比較して、せん妄及びBPSDのより一層の抑制が認められ、明晰度の向上も認められた。
【0060】
以上、説明したように、日中のティートリー精油の経験により、または日中のティートリーの経験と夜間のラベンダー精油の経験により、せん妄及びBPSDの少なくとも一方が好適に抑制されることがわかった。また、いずれの介護者も、会話量が増えた上に、会話が通じるようになったとの感想を示し、日中のティートリー精油の使用、または日中のティートリーの経験と夜間のラベンダー精油の併用が、高度認知症と判定された認知症者であっても、家族と共に在る時間を長期化させうることが判った。また、対象者Bは抗精神病薬の服用を停止することができ、対象者Cは介護者と共に外出ができるようになった。
【0061】
なお、上記試験1〜3において、介護者に対し、「気分や健康状態に変化はありましたか」、「元気がなく疲れを感じたことはありましたか」、「頭痛がしたことはありましたか」、「夜中に目を覚ましてよく眠れない日はありましたか」という質問を通じて精神健康評価を行ったが、上記試験1〜3の間中目立った変動が認められず、正常な脳機能を有する介護者の精神健康状態に植物精油の悪影響が認められないことがわかった。
【産業上の利用可能性】
【0062】
本発明の認知症者用治療剤及び認知症者用治療キットは、認知症者のBPSDと合併発症したせん妄とを抑制するために好適に使用することができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
覚醒系植物精油を含有し、日中に使用される、認知症に合併したせん妄及びBPSDの少なくとも一方を抑制する認知症者用治療剤。
【請求項2】
前記覚醒系植物精油がティートリーの精油である、請求項1に記載の認知症者用治療剤。
【請求項3】
空気中に散布される、請求項1又は2に記載の認知症者用治療剤。
【請求項4】
前記認知症がレビー小体型認知症である、請求項1〜3のいずれか1項に記載の認知症者用治療剤。
【請求項5】
鎮静系植物精油を含有し且つ夜間に使用される効能調節剤と併用される、請求項1〜4のいずれか1項に記載の認知症者用治療剤。
【請求項6】
前記効能調節剤に含有される前記鎮静系植物精油がラベンダーの精油である、請求項5に記載の認知症者用治療剤。
【請求項7】
請求項1〜4のいずれか1項に記載の認知症者用治療剤と、
請求項5又は6に示されている効能調節剤と
を含む、認知症に合併したせん妄及びBPSDの少なくとも一方を抑制する認知症者用治療キット。

【公開番号】特開2010−285362(P2010−285362A)
【公開日】平成22年12月24日(2010.12.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−138734(P2009−138734)
【出願日】平成21年6月10日(2009.6.10)
【出願人】(509164588)
【Fターム(参考)】