説明

豚人工授精用精液希釈保存物

【課題】豚人工授精種において雄豚数の削減によるコスト圧縮のため、精液の保存性の向上のみならず、その使用量の低減を可能とする豚人工授精用精液希釈保存物と希釈精液保存方法、それを用いた人工授精方法を提供する。
【解決手段】L−カルニチンを含み、その他の成分も食品衛生法で食品もしくは食品添加物とされる成分のみで作成された精液希釈保存物を見出した。これは従来と同等またはそれ以上の保存性を保ち、精子の運動性、特に直進性に優れ、これを豚人工授精に使用することで、人工授精1回あたりの精子数を削減することが可能になり、コストの削減に有効である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は豚の人工授精に用いる精液希釈保存物に関するものである。より詳しくは、従来の保存用希釈液等と同程度又はそれ以上の精液活力を維持し、更に精子の運動性、直進性を亢進することにより、一回の人工授精に用いる精子量を削減する精液希釈保存物の発明である。
【背景技術】
【0002】
養豚分野においては、遺伝的に成長性、強健性、産肉性、繁殖性の高い雄豚、即ち雄種豚の精液を複数の雌豚、即ち母豚に人工的に授精させる方法がある。この人工授精による精液の利用は優秀な遺伝的形質の利用のみならず、育種や精液を媒介する疾病リスクの低減、交配に使用する種雄豚飼育数の削減によるコスト低減等が可能となる。
しかしながら、豚精液は原精液のままでは数日程度しか精子活力が保たれず、それ以降は急激に活力が低下し、受胎率も低下する。また、牛に比べ精子濃度が低く、低温感作に極めて弱いという特徴が有り、保存が容易ではない。また母豚一頭当たりの精液注入量は希釈された精液で80〜100mL、精子数で30億〜50億必要とされることが一般的で、人工授精における前述の利点を生かしきれておらず、結果、利用する養豚農場はまだ半数程度である。
【0003】
精液の保存法には希釈液で数倍に希釈した後に液状で保存する方法と、−196℃の液体窒素中で凍結保存する方法がある。
液状保存の場合、一般的には15℃前後の中温保存法が用いられている。この保存法は受胎率は良いが実用保存期間が3〜5日と短く、実質的には保存期間が3日間以内が推奨されている。また保存温度を5℃程度とした低温保存法は保存期間は伸びるものの、精子活性が弱く、受胎率が低下する傾向にある。
一方、凍結保存法は牛ではすでに一般的であるが、豚精子の場合、温感作に極めて弱いという特徴から技術的に牛のそれに比べて難しく、操作が煩雑になるため実用化が遅れている。
【0004】
そこで、精液活力を保ったまま豚精液を保存、保護するために、また、保存された精液中の精子活性を向上させるために様々な成分や保存用希釈液が開発されている。例えば特許文献1は、カテキンを含有することを特徴とする哺乳動物の精子の活性化剤、並びに、哺乳動物の精子の懸濁液にカテキンを加えることを特徴とする哺乳動物の精子の活性化方法である。特許文献1によれば、哺乳動物の精子が活性化する際に、阻害的な働きをする活性酸素をカテキンが除去するため、効率良く活性化することができる。特許文献2はプロタミンを精液希釈液に添加することで精子べん毛運動活性を上げることにより、精子運動活性を高め、受精率をさらに高めることが可能にしたものである。
【0005】
一方、精子の保護に係るものとして、例えば、特許文献3ではルチンを含むこと、更にアボガド油、椿油、アーモンド油などから選ばれる1種または2種以上の油脂を含み、これをポリオキシエチレングリセリン脂肪酸エステルで乳化油脂とすることを特徴とする精液希釈液である。また、精子を加えたこの精液希釈液を多段階冷却することにより、4℃で保存することを可能とし、保存性を向上させている。
【0006】
更に、特許文献4ではウシ血清アルブミンなど血清由来成分等の天然の動物由来成分を含まず、保護剤として高分子有機ポリマーの水溶性高分子化合物を使用し、かつ抗酸化剤をアスコルビン酸、ビタミンEなどとし、アミノ酸はL−システイン、グルタチオン(還元型)、シスチン、L(+)−グルタミン酸Na一水和物及びグリシンからなる群より少なくとも1つ以上を選択する精液希釈保存用組成物である。これを用いた精液希釈保存液では、従来の保存用希釈液等と同程度又はそれ以上の精液活力を維持し、溶解時、原精液との混合時に泡立ちにくく、精液との混ざりがよいため精液濃厚部が沈殿しにくく、分散性が良好であるという特徴がある。
【先行技術文献】
【特許文献1】特開2005−213147号公報
【特許文献2】特開2010−6785号公報
【特許文献3】特開2011−98972号公報
【特許文献4】特開WO2008/007463号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、これらの従来知られる保存用希釈液等においても、人工授精時の精子の注入量については重きを置かれていなかった。養豚における人工授精は母豚の発情の発見と排卵された卵の受精可能時間の短さから通常2〜3回の精液注入を1セットとして行われ、その精液、すなわち精子の使用量は牛と比べはるかに多量に必要となる。人工授精の利点である、種雄豚数の削減によるコスト圧縮のためには精液の保存性の向上のみならず、その使用量の低減が望まれる。
【課題を解決するための手段】
【0008】
通常、豚における人工授精ではカテーテルを用い子宮頸管内、もしくは子宮体内に精液が注入される。豚は多胎であり、解剖学的に、子宮体に続く左右の子宮角は折りたたまれた約1m程度の長さを持つ。受精はこの子宮角の奥に続く卵管膨大部で行われる。本発明は、従来の保存用希釈液等と同程度又はそれ以上の精子活力を維持し、さらに精子の直進運動性を高めることにより、効率よく精子を受精の行われる卵管膨大部に到達させることを助けることにより、従来よりも少量の精子使用量で同等またはそれ以上の受胎率を得ることのできる豚人工授精用精液希釈保存物の提供を課題とする。さらにこの精液希釈保存物を用いる精液の保存方法の提供とこれを用いた人工授精法を課題とする。
【0009】
本発明者らは、上記課題を解決するために鋭意研究を行った結果、精液希釈保存用物の組成を調整し、更にL−カルニチンを保存用希釈液の組成に0.2〜1.0g/L加えることにより、従来の保存用希釈液と同程度又はそれ以上の精子活力を維持し、さらに精子の直進運動性を高め、従来よりも少量の精子使用量で同等またはそれ以上の受胎率を得ることのできる豚人工授精用精液希釈保存物を見出し、本発明を完成するに至った。さらに、本発明の豚人工授精用精液希釈保存物を用いて精液を調整することにより、精液の保存方法と人工授精方法を完成するに至った。
【0010】
更に本発明者らは、L−カルニチンを含む豚人工授精用精液希釈保存物の成分を日本国の食品衛生法において食品もしくは食品添加物と認定されている成分に限ることとした。例えば多くの希釈液保存物組成に含まれるトリス(ヒドロキシメチル)アミノメタンは細胞毒性が指摘されている。こういった成分を含まず、食品もしくは食品添加物に成分を限定することで従来より安全性を担保し、また安価に安定的な供給を可能とした。これら成分は例えばブドウ糖、クエン酸ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、EDTA2Na、カフェイン、βシクロデキストリンなどである。
【発明の効果】
【0011】
本発明による豚人工授精用精液希釈保存物を用いた希釈液の作成は、蒸留水もしくは精製水に決められた量を溶解するだけでよく、操作は簡便である。希釈液と精液原液は、おおよそ1:10の混合比で希釈し、13〜17℃の中温保存法で実用保存期間は10日程度である。人工授精では注入精液量は一回当たりおおよそ半量、または従来より更に2倍希釈とし、半分程度の精子数で従来と同等またはそれ以上の受胎率を得ることができる。即ち、作業性は従来の一般的な人工授精となんら変わることなく、使用精子数を半減することができ、ひいては種雄豚飼育数の削減によるコスト圧縮が可能である。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】(A)7日目の精子の保存性すなわち生残率を示す図である。(B)7日目の数値化した精子の運動性を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0013】
本発明を用いて精液を希釈保存する対象は、豚の種類はいずれでもよいが、種雄豚であることが好ましく、種雄豚の品種は特に問わない。
【0014】
次に、実施例を挙げ、本発明を更に詳しく説明するが、本発明はこれら実施例になんら制約されるものではない。
【実施例1】
【0015】
[希釈液成分の選定]
精液希釈保存用物の調整において、その成分を日本国の食品衛生法において、食品もしくは食品添加物として認可を受けているものに限った。このことにより製造時に原料としてそれらを実際に食品または食品添加物認可物から調達することで、従来より安全性を担保し、安価に安定的に製造することを可能にした。その成分は糖分としてブドウ糖、pH調整および浸透圧調整成分としてクエン酸ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、EDTA2Na、塩化カリウム、精子運動性促進アミノ酸としてL−カルニチン、精子活性化促進としてカフェイン、また牛血清アルブミンの代替としてβデキストリンを選定した。
【0016】
[希釈液の作成]
約37℃に暖めた精製水1Lにブドウ糖37g、クエン酸ナトリウム6g、炭酸水素ナトリウム1.25g、EDTA2Na0.65g、塩化カリウム0.96g、カフェイン0.23g、L−カルニチン酒石酸塩0.41g(L−カルニチンとして0.2g)、βシクロデキストリン0.5gを加え完全に溶解した。この後、抗生物質としてアミカシン、ゲンタマイシン、カナマイシン、セフチオフルナトリウムのうち、いずれか一つを選択し、必要量を添加した。以下これを「開発物」と呼ぶ。
【0017】
[希釈精液の作成]
デュロック種雄豚1頭から用手法により採精し、直ちに開発物希釈液で10倍希釈した。対照を設ける場合、雄個体差を考慮し、既存の精液希釈液(モデナ液等)をあらかじめ用法通り作成しておき、精液を半量ずつ分け、共に10倍程度となるようそれぞれを希釈した。また混合時、温度ショックを避けるため、精液と希釈液の温度差は2℃以内となるようにした。
【0018】
[保存方法]
希釈した精液を保存用のボトルまたはチューブに約80mLずつ分注し、15℃に調整した保存庫にいれ保存した。
【0019】
[精子評価方法]
一般に精子の評価は以下の通りである。
1.生存率を%で表示(概ね5%きざみ)。
2.運動性は+++、++、+、±、−の5段階で表示。
+++:極めて活発な前進運動を行うもの
++:活発な前進運動を行うもの
+:緩慢前進運動を行うもの
±:旋回又は振子運動を行うもの
−:運動しないもの
しかしながら本評価では直進性を評価するため上記+++の上位に++++を設けた。独立行政法人家畜改良センター茨城牧場がインターネット上(http://www.nlbc.go.jp/ibaraki/seishi.htm)に公開されている80+++の動画を基準として、これより明らかに直進性が高いと認められるものを ++++と評価し、さらにこれを数値化した。例えば「++++」は4、「+++」は3、「++」は2、「+」は1、「±」は0.5、「−」を0とした。
【0020】
[保存性試験]
保存した希釈性液を6ないし7日目に顕微鏡下で観察し目視にて評価した。これを開発物では10回、対照の既存物は7回行った。結果の平均は以下の表1に示した。
【表1】

開発物は既存物に比べ保存性、運動性・直進性ともに優れる結果となった。今回の対照としての既存物はモデナ液、BTS液またはその他の市販品を用いた。これ以外の市販品にはこれらを上回る保存性のものもあるであろうが、生存率89.5%はそれらと比べても同程度もしくはそれ以上の保存性を持つものである。また運動性、特に直進性に関して6ないし7日目においても従来「+++」と判断する運動性を上回る直進性を保つことが確認できた。L−カルニチンはエネルギー代謝、特に脂質代謝に関与する。この代謝は精子成熟に重要であり、これが保存性や運動性の向上に係っていると考えられる。
【実施例2】
【0021】
[通常精子数での受胎試験]
開発物を用い人工授精を行い、その受胎を確認した。デュロック種雄豚から用手法により採精し、直ちに開発物希釈液で希釈した。希釈した精液を保存用のボトルに入れ、約15℃で保存した。これを用い発情が見られた母豚に2回ないし1回人工授精を行った。カテーテルは未経産および経産数が1回の母豚にはカテーテル先端が子宮体まで到達し、そこに精液を注入するタイプ、その他はカテーテル先端が子宮頸管に留まりそこに精液を注入するタイプを用いた。受胎はノンリターン法(再発情の有無)で判断した。
結果を以下の表2に示した。
【表2】

表中の品種はLWが父型大ヨークシャー種、母型ランドレース種の母豚、WLは父型ランドレース種、母型大ヨークシャー種の母豚、Wが大ヨークシャー種を表す。経産数は今回の人工授精を行うまでの出産回数を示す。この通りすべての母豚において受胎が確認できた。このことにより開発物を用いた豚人工授精が既存物と比べ同等もしくはそれ以上の受胎成績を示すことが確認できた。
【実施例3】
【0022】
[精子数半減での受胎試験]
開発物を用い精子数を通常より減らした条件で人工授精を行い、受胎を確認した。開発物を用い、デュロック種雄豚から用手法により採精し、直ちに開発物希釈液で1回あたりの注入精子数が約20億となるよう希釈した。精液ボトルにこれを入れ、約15℃で保存した。これを用い発情が見られた母豚に2回人工授精を行った。カテーテルはその先端が子宮頸管に留まりそこに精液を注入するタイプを用いた。受胎は超音波画像診断装置を用い胚の有無で判断した。
結果を以下の表3に示した。
【表3】

表中の品種LWは父型大ヨークシャー種、母型ランドレース種の母豚を表す。経産数は今回の人工授精を行うまでの出産回数を示す。この通りすべての母豚において受胎が確認できた。この農場では通常1回あたりの注入精子数は50億である。これを精子数のみ半数以下の20億に調整し、その他は全く通常と同じ条件で人工授精を行ってもすべての母豚で受胎が確認できた。このことにより、開発物を用いた豚人工授精が従来方法と比べ精子数を半減させても同等もしくはそれ以上の成績を示めすことが確認できた。このことにより開発物を用いた人工授精が使用精子数を大きく削減、ひいては使用雄種豚を削減可能にし、コストを削減に有効であることを示している。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
豚人工授精に用いる精液希釈保存物であって、その成分が全て食品衛生法に係る食品もしくは食品添加物で構成される精液希釈保存物。
【請求項2】
さらにLカルニチンを含む請求項1に記載の精液希釈保存物。
【請求項3】
請求項1および2に記載の精液希釈保存物を用いて、精液を希釈又は保存する方法。
【請求項4】
請求項1および2に記載の精液希釈保存物を用いて、請求項3の方法で希釈保存した精液を用いた人工授精方法。

【図1】
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【公開番号】特開2013−107863(P2013−107863A)
【公開日】平成25年6月6日(2013.6.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−269425(P2011−269425)
【出願日】平成23年11月22日(2011.11.22)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 発行所名 株式会社鶏卵肉情報センター 刊行物名 養豚情報 第39巻 第7号 領布日 平成23年6月30日(発行日 平成23年7月1日)
【出願人】(503357366)株式会社ピィアイシィ・バイオ (1)
【Fターム(参考)】