説明

質量に関する情報を取得するための情報取得装置及び情報取得方法

【課題】基板上の試料分子の質量に関する情報を取得するための質量分析装置において、試料成分やマトリックスより産出されるプロトンを無駄なく捕獲し、該プロトンを飛翔中の中性試料分子に有効に付着させることにより、試料分子の検出感度を向上させる質量分析装置を提供すること。
【解決手段】一次ビームの軌跡を一次ビーム軸とし、該一次ビーム軸と基板上の試料表面が交わる点を中心点とし、中心点を通り基板法線方向に延びる軸を中心軸としたときに、中心軸に対し該一次ビーム軸と線対称をなす軸に対して30度の角度で円錐状に広がる領域内に電極を配置する。この電極を使い発生させた電界により、一次ビームの照射により飛翔するプロトンを捕獲し、該プロトンを同様に飛翔する中性試料分子に付着させる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量に関する情報を取得するための情報取得装置情報取得方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
マトリックス支援レーザー脱離イオン化飛行時間型質量分析法(MALDI−TOFMS=Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization Time Of Flight Mass Spectrometry)では、固体または液体試料をマトリックスと呼ばれる物質(例えば、シナピン酸やグリセリン等)に混入し、金属製の試料ホルダー上に塗付して用いる。これを真空室の中に導入し、試料ホルダーとその上方に設けた引き出し電極との間に高電圧を印加しつつ、マトリックスに一次プローブとしてレーザービームを照射する。マトリックスにレーザービームが照射されると、マトリックス成分がレーザー光のもつエネルギーを吸収して気化することで、試料分子成分とともに試料から真空中に放出される。このとき、マトリックス分子と試料分子との間でプロトンが移動し、試料分子がイオン化すると考えられている。こうして形成された二次イオンが引き出し電極により加速され、それが検出器に到達するまでの飛行時間を測定することにより、二次イオンの質量/電荷比を求めることができる。一方、飛行時間型二次イオン質量分析法(TOF−SIMS=Time Of Flight Secondary Ion Mass Spectrometry)は、マトリックスを用いないこと及び一次プローブが異なることを除き、MALDI−TOFMSと同様な原理を用いている。すなわち、TOF−SIMSでは、試料を配置した試料ホルダーを真空中に導入し、該試料ホルダーとその上方に設けた引き出し電極との間に高電圧を印加しつつ、試料に一次プローブとして一次イオンビームを照射する。この一次イオンビームの照射エネルギーにより、試料分子が試料から真空中に放出される。このとき、試料中に含まれる水分または有機成分からプロトンが移動し、試料分子がイオン化すると考えられている。こうして形成された二次イオンは引き出し電極により加速され、それが検出器に到達するまでの飛行時間を測定することにより、二次イオンの質量/電荷比を求めることができる。なお、以下では、上記一次プローブとしてのレーザービームや一次イオンビームを総称して一次ビームとよぶ。
【0003】
MALDI−TOFMSやTOF−SIMSにおける試料分子のイオン化は、上述のような過程を経て、試料分子にプロトン(あるいは他の荷電粒子、ただし以下の説明ではプロトンに代表させる)が付着した形(protonated molecule)で検出されることが多い。
【0004】
しかしながら、放出された試料分子の多くは飛翔中、プロトンと衝突することなく測定に関与しないままに終わる。一方、エレクトロスプレーイオン化質量分析法(ESI−MS: Electro Spray Ionization Mass Spectrometry)では、水などの溶媒から多量に発生するプロトンを試料分子に付着させることで、該試料分子の検出感度を向上させていると考えられている。したがって、MALDI−TOFMSやTOF−SIMSにおいても、放出された試料分子へのプロトン付着を促進させることにより、検出感度の向上が期待できる。
【0005】
たとえば、特開平8−145950号公報(特許文献1)には、(1)試料分子を含む水溶液をガス状態にし、(2)次いで、コロナ放電により水分子を励起してプロトンを生成させ、(3)このプロトンを試料分子に付着させる、という工程により、該試料分子の検出感度を向上させる方法が開示されている。
【0006】
さらには、特開平9−320515号公報(特許文献2)では、試料基板の上方にイオン捕獲用電極(試料基板とは絶縁されている)を設け、発生させた電界内でイオン化学反応を生じさせ、特定の試料分子の検出感度を向上させる方法が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開平8−145950号公報
【特許文献2】特開平9−320515号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
MALDI−TOFMSやTOF−SIMSなど、基板上の試料分子の質量を分析する方法では、試料から放出された試料分子の多くは中性の状態で真空中に飛翔する。その後、先に述べたように、該試料分子にプロトンが付着し、電荷を持った二次イオンが生成される。
【0009】
このとき、プロトンも試料分子も一次ビーム照射点を中心として発散的に飛翔するため、試料分子にプロトンが付着する確率が小さいという問題があった。上記特許文献1では、この問題を克服するために、コロナ放電を用いてプロトンを供給する方法が開示されている。
【0010】
しかしながら、特許文献1の方法ではプロトンを供給する機構が必要になるため、質量分析装置自体が大掛かりになるという問題がある。さらには、プロトンを直接、真空チャンバー内に供給するため、プロトンが該チャンバー内に充満して検出信号のバックグランドの増加を招き、それが計測結果の信頼性を損なうことになるという問題もある。
【0011】
一方、特許文献2に記載の方法、すなわち、試料基板の上方にイオン捕獲用電極を設け、発生させた電界内でイオン化学反応を生じさせ、特定の試料分子の検出感度を向上させる方法にも次のような問題がある。すなわち、(1)この手法のイオン化学反応の対象となる物質は、電荷を持ったイオンであり、中性試料分子は対象外である、という問題と、(2)試料基板の上方に設置した電極により発生させた「試料基板に対し垂直方向となる電界」では、中性試料分子にプロトンを付着させる効率が低い、という問題である。(2)の問題が生ずる理由について、以下に詳述する。一次ビームの軌跡を一次ビーム軸とし、一次ビーム軸と試料表面が交わる点を中心点とし、その中心点を通り基板法線方向に延びる軸を中心軸と定義する。このように定義すると、上述のように、プロトンや試料分子は該中心点を起点として発散的に飛翔する。すなわち、プロトンや試料分子の多くは、一次ビーム軸と線対称をなす軸を中心として円錐状に発散する方向へ飛翔する。したがって、特許文献2に記載の「試料基板に対し垂直方向となる電界」では、飛翔したプロトンを試料方向へ有効に引き戻すことが難しい。このため、飛翔した試料分子にプロトンを付着させる確率を向上させることが難しいのである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者らは、上記の課題について鋭意検討した結果、試料成分やマトリックスより産出されるプロトン等の荷電粒子を利用し、効率よく飛翔中の試料分子に付着させる装置及び方法を見出した。
すなわち、本発明は、基板上の対象物を構成する構成物の質量に関する情報を、質量分析法を用いて取得する情報取得装置において、イオンビーム、中性粒子ビーム、及びレーザービームから選ばれる一次ビームを収束し、パルス化して基板上の対象物に照射する機構を備え、該一次ビームの軌跡を一次ビーム軸とし、該一次ビーム軸と該対象物表面が交わる点を中心点とし、該中心点を通り基板法線方向に延びる軸を中心軸としたときに、該中心軸に対し該一次ビーム軸と線対称をなす軸に対して30度の角度で該中心点から円錐状に広がる領域内に前記一次ビームによって生じた荷電粒子を試料方向に引き戻すための引き戻し電極を備え、該基板の上方に質量分析のための引き出し電極を備えることを特徴とする情報取得装置を提供する。
【0013】
また、本発明は、基板上の対象物を構成する構成物の質量に関する情報を、質量分析法を用いて取得する情報取得方法において、 イオンビーム、中性粒子ビーム、及びレーザービームから選ばれる一次ビームを収束し、パルス化して前記対象物に照射して前記構成物の中性分子及び荷電粒子を飛翔させる工程と、
前記工程で一次ビームを対象物に照射すると同時又はその後に、飛翔した荷電粒子を試料方向に引き戻すための引き戻し電極に電圧を印加して前記工程で飛翔した前記構成物の中性分子に荷電粒子を付与する工程と、
前記工程で引き戻し電極に電圧を印加した後に引き出し電極に電圧を印加して、前記工程で荷電粒子が付与した前記構成物の中性分子を質量分析装置で検出して質量情報を取得する工程と、を有し、
前記一次ビームの軌跡を一次ビーム軸とし、該一次ビーム軸と前記対象物の表面が交わる点を中心点とし、該中心点を通り基板法線方向に延びる軸を中心軸としたときに、該中心軸に対し該一次ビーム軸と線対称をなす軸に対して30度の角度で該中心点から円錐状に広がる領域内に前記引き戻し電極を設けることを特徴とする情報取得方法を提供する。
【0014】
本発明の態様の一例として、前記引き戻し電極の形状を平板状、パラボラ状、または、リング状とすることが挙げられる。
【0015】
本発明の態様の一例として、前記引き戻し電極への電圧印加が、直流の印加、または、周波数が0.1から10MHzの範囲にある交流の印加、のどちらかであり、かつ、該電圧印加により、前記引き戻し電極と前記対象物との間に生じる電界の強さの絶対値の平均が1kV/mから20kV/mの範囲にあることが挙げられる。
【0016】
また、本発明の態様の一例として、一次ビームが対象物に届くタイミングを「時間=0」としたときに、前記引き出し電極への電圧印加のタイミングを、0.1μ秒〜20μ秒後とすること挙げられることができる。
【0017】
本発明の態様の一例として、一次ビームのパルスと同時またはその後にプロトン制御電極前記引き戻し電極への電圧印加がなされ、さらにその後に、前記引き出し電極への電圧印加がなされることが挙げられる。
【0018】
本発明の態様の一例として、前記装置が、前記一次ビームのパルスのタイミング、前記引き戻し電極への電圧印加のタイミング、前記引き出し電極への電圧印加のタイミングのそれぞれを制御する機構を備えることが挙げられる。
【0019】
本発明の態様の一例として、前記構成物がタンパク質、ペプチド、糖鎖、ポリヌクレオチド、及びオリゴヌクレオチドのいずれかであることが挙げられる。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【図1】本発明の情報取得装置における引き戻し電極、一次ビーム、基板、及び引き出し電極の空間的位置関係を示す断面図である。
【図2】本発明の情報取得装置における引き戻し電極を装備した試料ホルダーの平面図と正面図である。
【図3】(a)は実施例におけるプロトン制御電極への印加電圧と[Neurotensin+H」およびAuの規格化イオンカウント数との相関を示す図であり、(b)および(c)はそれぞれ[Neurotensin+H]およびAuの代表的な印加電圧下におけるスペクトル である。
【図4】比較例における一次ビーム、基板、質量分析のための引き出し電極の空間的位置関係を示す断面図である。
【図5】(a)は比較例における基板垂直方向印加電圧と[Neurotensin+H]およびAuの規格化イオンカウント数の相関を示す図であり、(b)は[Neurotensin+H]およびAuの代表的な印加電圧下におけるスペクトルである。
【図6】本発明の情報取得装置における制御のタイミングの一例を示すフローチャートである。
【発明を実施するための形態】
【0021】
以下に本発明を図面を用いて説明する。
図1に本発明の情報取得装置の例を示す。図1では基板13上の対象物を構成する構成物の質量に関する情報が質量分析法を用いて取得される。対象物とは質量分析法で測定されるもの全てを指し、例として、高分子化合物、低分子化合物、有機化合物、無機化合物、生体、臓器、生体由来試料、組織切片、細胞、培養細胞、などをあげることができる。対象物を構成する構成物の例としては、有機化合物、無機化合物、タンパク質、ペプチド、糖鎖、ポリヌクレオチド、オリゴヌクレオチド、などをあげることができる。質量分析法は、あらゆる質量分析法を用いることができるが、とりわけ、イオン化法 としてMALDI−TOFMS、SIMS、FAB(Fast Atom Bombardment、高速原子衝突)を採用し、分析部としては、飛行時間型、磁場偏向型、四重極型、イオントラップ型、フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴型を採用するものをあげることができる。これらの質量分析方法においては、質量に関する情報(質量情報)は、質量を電荷で除した値における信号強度が得られる。本発明の情報取得装置は、図1に例示するように、一次ビーム21を基板上の対象物に照射する機構を備え、この機構は、図示しないが、さらに、一次ビームを収束し、パルス化する機構を備えている。一次ビームとしては、イオンビーム、中性粒子ビーム、あるいはレーザービームなどをあげることができる。
本発明の情報取得装置の構成を図1に即して説明する。一次ビームの軌跡を一次ビーム軸21とし、一次ビーム軸と該対象物表面が交わる点を中心点として、その中心点を通り基板法線方向に延びる軸を中心軸としたときに、中心軸に対し一次ビーム軸21と線対称をなす軸に対して30度の角度で中心点から円錐状に広がる領域内に荷電粒子を試料方向に引き戻す力を及ぼすための引き戻し電極19を備え、さらに、基板の上方に質量分析のための引き出し電極20を備えている。なお、引き戻し電極は、中心軸に対し該一次ビーム軸と線対称をなす軸上にあると検出感度向上効果が最も大きいので好ましい。引き戻し電極とは、プロトン等の荷電粒子の挙動を制御するための電界を生じさせることを目的として設置される電極のことをいう。プロトン等の荷電粒子が基板上の対象物から放出され飛翔する際には、放出の分布として一次ビームの入射方向に対し線対称の関係になる方向に放射角のピークを持つが、その際にある程度の広がりを持って放出される事が知られている。このとき、中心軸に対し一次ビーム軸と線対称をなす軸に対して30度の角度で中心点から円錐状に広がる領域上に引き戻し電極を設ければ、基板と引き戻し電極との間に電圧を印加することにより、一次ビームの照射により生成した荷電粒子を試料方向に引き戻す力が有効に働くが、引き戻し電極を設ける位置がこの領域を外れるとそのような力が有効に働かない場合がある。このような位置に引き戻し電極を設けることにより、一次ビームによって生じた中性分子とプロトン等の荷電粒子との衝突が起こって中性分子に荷電粒子が付与され、構成物の検出感度が高くなる。なお、本発明のプロトン制御電極の例として、平板状、パラボラ状、及びリング状の電極をあげることができる。リング状等の中空の電極を用いる場合には、中空部分を含めた電極が上記の条件を満たせば良い。プロトン制御電極19への電圧印加は、直流の印加、または、周波数が0.1から10MHzの範囲にある交流の印加のいずれかが好ましく、この電圧印加により、プロトン制御電極19と対象物との間に生じる電界の強さの絶対値の平均が1kV/mから20kV/mの範囲となることが好ましい。
【0022】
また、本発明の情報取得装置は、質量分析のために二次イオンを加速することを目的として基板の上方に引き出し電極20を備えている。
【0023】
図には示さないが、本発明の情報取得装置は、一次ビーム21のパルスのタイミング、引き戻し電極19への電圧印加のタイミング、引き出し電極20への電圧印加のタイミングのそれぞれを制御するタイミング制御機構を備えている。これらの制御の一例を図6に示す。好ましくは、一次ビーム21が対象物に届くタイミングを「時間=0」としたときに、引き出し電極20への電圧印加のタイミングが、0.1μ秒〜20μ秒後であることが好ましい。また、一次ビームが対象物に到達すると同時またはその後に引き戻し電極に電圧が印加され、その後に引き出し電極へ電圧が印加されることが好ましい。
以下、実施例および比較例を挙げて本発明をより具体的に説明する。以下の具体例は本発明にかかる最良の実施形態の一例ではあるが、本発明はかかる具体的形態に限定されるものではない。なお、以下の実施例および比較例では、上記「引き戻し電極」を、典型的な荷電粒子であるプロトンの挙動を制御する働きを有するという意味で「プロトン制御電極」と呼ぶ。
【0024】
(実施例)「プロトン制御電極装備の試料ホルダー」の作製 プロトン制御電極を備えた試料ホルダーを作成し、これをTOF−SIMS装置(ION−TOF社製)に取り付けた。図2にプロトン制御電極19を装備した試料ホルダー11の平面図と正面図を示す。装置外部から±200V程度の直流の電圧を印加できる陽極配線14−1、陰極配線14−2をそれぞれ配し、その配線の先端にプロトン制御電極19および基板13を接続した。それぞれの配線の一方は、装置外部においた安定化電源装置に接続した。このとき、配線14、プロトン制御電極19および基板13の周りは絶縁板12で覆うことでリーク電流を防止してある。
【0025】
プロトン制御電極19を絶縁支持棒15に固定し、基板13から放出され飛翔するプロトン16を有効に捕獲できる位置に配置した。具体的には、TOF−SIMSの場合、図2で示す基板13の法線方向における左斜め45度が一次ビーム21の入射方向となるため、プロトン16の多くは、図2で示す基板13の法線から右斜め45度の方向に放出され飛翔する。したがって、プロトン制御電極19は、図2で示すように、基板13の法線から右斜め45度の軸上に、電極の中央が位置するように設置した。
【0026】
この時、生成されたイオンが質量分析器20に引き込まれることを妨げないように、また、プロトン制御電極19が質量分析器20に接触しないように、プロトン制御電極19およびその支持棒15のサイズや配置高さを調整することが望ましい。今回は、プロトン制御電極19を試料からの高さが7mm(電極中央部)の位置になるように設置した。このとき、試料中央とプロトン制御電極19中央との距離は10mmとなった。
【0027】
今回使用した試料ホルダー11は、10mm×10mmに切り出した厚さ1mmのテフロン(登録商標)板を絶縁板12として用い、ネジで試料ホルダー11上に固定した。その中央に2mm×2mmに切り出した金蒸着シリコンウエハで構成される基板13を両面テープで固定した。プロトン制御電極19としてアルミ箔を5mm×5mmに切り出し、厚紙を2mm×10mm程度に切り出して作製した絶縁支持棒15の上端に両面テープで貼り付けた。絶縁支持棒15の下端を試料ホルダー上の絶縁板12に固定した。
【0028】
プロトン制御電極19の裏面と基板13に、それぞれ陽極配線14−1、陰極配線14−2の銅線を接続し、試料ホルダー11に設置の外部電極導入端子へ通電接続した。この配線を用いて、プロトン制御電極19に電圧を印加した際に生じる電界分布を二次元FTDT法(Finite-difference time-domain method:有限差分時間領域法)により算出し、その電気力線17の方向を図1に破線で示した。また、その電界中を飛翔するプロトン16の挙動を図1に示す。
【0029】
「有機膜試料の情報取得」 質量数1672のペプチド分子Neurotensin‐I(SIGMA社)の水溶液10μg/mLを用意し、測定の試料とした。2mm×2mmに切り出した金蒸着/シリコン基板上に、前記溶液0.5μLを滴下して、大気下で風乾した。これを前記基板13とした。その後、該基板13を前記試料ホルダー11上に装着して、TOF−SIMSの測定をおこなった。
【0030】
「TOF−SIMS測定」 TOF−SIMS測定には、ION−TOF社製 TOF−SIMSIV型装置(商品名)を用いた。一次イオン:25kV Ga、2.4pA(パルス電流値)、sawtoothスキャンモード一次イオンのパルス周波数:5kHz(200μs/shot)一次イオンパルス幅:約0.8n秒一次イオンビーム直径:約0.8μm測定領域:200μm × 200μm2次イオンの測定点数:128×128点積算時間:16回スキャン(約52秒)二次イオン引き出し電極電圧:0、または、−2kV(切り替え可能)二次イオン引き出し電極と基板間の距離:1.5mm二次イオンの検出モード:正イオンプロトン制御電極と基板間の印加電圧:+160〜−20V(DC)プロトン制御電極と基板間の電圧印加時間:常時一次イオンビームの試料到達後、二次イオン検出の引き出し電極印加までの遅延時間:0.5μ秒 上記のように決定した測定条件に基づき、TOF−SIMS測定を実施した。
【0031】
プロトン制御電極19と基板13との間にかかる電圧を−20から+160Vまで、20Vおきに変化させて、試料位置を変えずに測定を行った。その後、測定位置を数回変えて、同様の測定を繰り返した。それぞれの測定で得られた試料分子[Neurotensin+H](m/z1673.2)、および、Au(金の8量体イオン:m/z1575.9)のピーク面積強度(イオンカウント数)を総検出量(トータル・イオンカウント数)で規格化し、検出量とした。得られた検出量の平均値を、前記電圧値に対してプロットしたグラフを図3(1)に示す。ここで、プロトン制御電極への印加電圧がプロトン制御電極19と基板13との間にかかる電圧に相当する。このグラフよりわかるように、プロトン制御電極への印加電圧が100Vを超えたあたりより、[Neurotensin+H]の検出量が急激に増加する。このことは、(1)プロトン制御電極への印加電圧の増大により、基板13より放出したプロトン16が飛翔と逆方向に引き戻され、(2)遅い速度で飛翔してきた中性試料分子18と衝突する機会が増える。その結果、試料分子へのプロトン付着が十分進行したと考えることができる。一方、Auはプロトンを付着しない性質のイオンのため、その検出量は、プロトン制御電極への印加電圧値によらず一定の値になると考えられる。図3(1)に示した結果は、このような考えによって支持される。
【0032】
ここで、プロトン制御電極への電圧印加時におけるプロトンの挙動について考察する。TOF−SIMSの一次ビーム照射により試料表面から放出されるプロトン16の運動エネルギーは約1〜30eVの範囲にあることが知られている。これは、TOF検出器にあるリフレクトロン機構で容易に知ることができる。この運動エネルギーを持って真空の電界中を飛行するプロトンの移動時間を考えたとき、本実施例の基板13とプロトン制御電極19との間に生じる100V/10mmの電界下では、往復時間に約0.1から2μ秒が必要となる。ここで、二次イオン検出の引き出し電極印加の遅延時間を0.5μ秒としていることを合わせて考えると、(1)プロトン制御電極への印加電圧が100V以下の場合は、プロトン16の飛翔を抑えることができず、プロトン制御電極19への衝突が生じている、(2)逆に、プロトン制御電極への印加電圧が100Vよりも十分に大きな場合は、試料分子へのプロトン付着が進行するが、生成したイオンが高電界により基板13の方向に戻され、基板13への衝突により電荷を消失してしまうと考えられる。実施例において、プロトン制御電極への印加電圧が100V以上160V以下の範囲で、試料分子へのプロトン付着が進行し、感度の向上が見られた。
【0033】
以上を要約すると、プロトン制御電極への印加電圧が100Vより低い領域では、試料分子へのプロトン付着が十分でないため、感度の向上はみられない。また、プロトン制御電極への印加電圧が100Vより高い領域では、試料分子へのプロトン付着は進行する。しかし、さらに印加電圧を高くすると上記の理由により、生成したイオンの電荷が消失してしまうと考えることができる。図(1)のグラフで示した、プロトン付着の試料分子検出量([Neurotensin+H]規格化イオンカウント数)の変化は、上述の現象を捉えたものであると考えられる。
【0034】
(比較例) 基板13に対して垂直方向に電界を加えた場合の試料分子の検出を比較実験としておこなった。この比較例では上記の実施例で用いたものと同じ、プロトン制御電極19装備の試料ホルダー11とペプチド分子Neurtensin滴下の基板13を用いた。ただし、プロトン制御電極19に陽極配線14−1は接続せず、基板13に接続の陰極配線14−2のもう一端を試料ホルダー11に接続して用いた。これにより、TOF−SIMS装置に付属のサンプル・バイアス機構を使用して、基板13の垂直方向に±200Vまでの電圧を印加できる。このサンプル・バイアス機構を用いた電圧印加によって生じる電界を、二次元FTDT法により算出し、その電気力線17の方向を図4に破線で示した。この図より判るように、電界は基板13の垂直方向に印加される。また、その電界中を飛翔するプロトン16の挙動を図4に示す。このようにして、比較例ではサンプル・バイアス電圧を0から−200Vまで変化させて、基板13の垂直方向に加わる電界を変化させた。
【0035】
その他の条件は、上記の実施例を同様とし、[Neurotensin+H]、および、Auの検出量(規格化イオンカウント数)を計測した。
【0036】
その結果を図5(1)のグラフに示す。このグラフよりわかるように、サンプル・バイアス電圧の変化に対して、[Neurotensin+H]とAuのどちらも、その検出量に大きな変化は見られなかった。
【0037】
この結果は、垂直方向に電界を加えた場合でも、プロトン16は基板13の方向に引き戻されるが、中性試料分子18と衝突する確率を大きく向上させることはできない、と解釈できる。図4に示したプロトン16の挙動にあるように、垂直方向の電界では、試料分子へのプロトン16付着を十分に進行させることができず、結果として、図5(1)のグラフで示したように、[Neurotensin+H]の検出量に変化が生じないと考えられる。
【0038】
(評価) 上記のように、TOF−SIMS測定において、試料ホルダー上に、プロトン制御電極19を設置し、該電極と基板13との間に電界を加えることで、試料分子へのプロトン付着を効率よくおこなうことができることを我々は見出した。また、この手法は、MALDI−TOFMS測定など基板上の試料分子を検出する他の質量分析手法にも応用が可能である。その際、効率よくプロトンを捕獲するため、各分析装置に合わせた電極形状、配置構造を選択することが望ましい。例えば、各分析装置での放出プロトンのエネルギーに合わせた電界の印加量、試料と電極間の距離、プロトン制御電極の形状などの調整が望ましい。さらには、プロトン制御電極19の形状を工夫することにより、より効率良くプロトン付着の試料分子イオンを検出できる。具体例を挙げると、プロトン制御電極19にパラボラ状やリング状の電極を用いることで、生じる電界を試料表面のプロトン放出点に集中させることができる。これにより、さらに効率良く飛翔プロトン16を中性試料分子18と衝突させることが可能となる。
【0039】
また、プロトン制御電極19と基板13との間に交流の電圧を印加してもよい。一次ビーム軸と線対称をなす軸方向に交流の電界を発生させることにより、プロトン16を試料表面上空に捕獲保持でき、さらに効率良く飛翔プロトン16を中性試料分子18と衝突させることが可能となる。
【0040】
特に高周波数の交流電圧を用いることで、飛翔プロトン16と中性試料分子18の衝突確率向上が見込まれることから、プロトン付着試料分子イオンの検出感度増加に一定の効果が望まれる。その場合、今回の実験で得られたプロトン16の飛翔速度、および、挙動から鑑みて、交流電圧の周期は0.1から10MHzの範囲が望ましい。
【0041】
本発明により、イオン供給等の大掛かりな設備の必要もなく、試料分子にプロトンを付着させる確率を向上させることができるため、基板上の試料分子を感度良く検出できる。特に、プロトン制御電極を中心軸に対し該一次ビーム軸と線対称をなす軸上に備えることで、例えば垂直方向に電界を加える場合と比較して、試料分子へのプロトン付着の効率を向上することができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
基板上の対象物を構成する構成物の質量に関する情報を、質量分析法を用いて取得する情報取得装置において、
イオンビーム、中性粒子ビーム、及びレーザービームから選ばれる一次ビームを収束し、パルス化して基板上の対象物に照射する機構を備え、
該一次ビームの軌跡を一次ビーム軸とし、該一次ビーム軸と該対象物の表面が交わる点を中心点とし、該中心点を通り基板法線方向に延びる軸を中心軸としたときに、該中心軸に対し該一次ビーム軸と線対称をなす軸に対して30度の角度で該中心点から円錐状に広がる領域内に前記一次ビームによって生じた荷電粒子を試料方向に引き戻すための引き戻し電極を備え、
引き出し電極を備えることを特徴とする情報取得装置。
【請求項2】
前記一次ビームのパルスのタイミング、前記引き戻し電極への電圧印加のタイミング、及び前記引き出し電極への電圧印加のタイミングのそれぞれを制御するタイミング制御機構を備えることを特徴とする請求項1に記載の情報取得装置。
【請求項3】
該引き戻し電極は、該中心軸に対し該一次ビーム軸と線対称をなす軸上にあること特徴とする請求項1または2に記載の情報取得装置。
【請求項4】
前記引き戻し電極の形状が平板状、パラボラ状、またはリング状であることを特徴とする請求項1乃至3のいずれか1項に記載の情報取得装置。
【請求項5】
前記引き戻し電極への電圧印加が、直流の印加、または、周波数が0.1から10MHzの範囲にある交流の印加、のどちらかであり、かつ、該電圧印加により、前記引き戻し電極と前記対象物との間に生じる電界の強さの絶対値の平均が1kV/mから20kV/mの範囲にあることを特徴とする請求項1乃至4のいずれか1項に記載の情報取得装置。
【請求項6】
前記タイミング制御機構が、一次ビームが対象物に届くタイミングを「時間=0」としたときに、前記引き出し電極への電圧印加のタイミングが0.1μ秒〜20μ秒後となるように制御することを特徴とする請求項2に記載の情報取得装置。
【請求項7】
前記タイミング制御機構が、一次ビームのパルスと同時またはその後に前記引き戻し電極への電圧印加がなされ、さらにその後に、前記引き出し電極への電圧印加がなされるように制御することを特徴とする請求項2に記載の情報取得装置。
【請求項8】
前記構成物がタンパク質、ペプチド、糖鎖、ポリヌクレオチド、及びオリゴヌクレオチドのいずれかであることを特徴とする請求項1乃至7のいずれか1項に記載の情報取得装置。
【請求項9】
基板上の対象物を構成する構成物の質量に関する情報を、質量分析法を用いて取得する情報取得方法において、
イオンビーム、中性粒子ビーム、及びレーザービームから選ばれる一次ビームを収束し、パルス化して前記対象物に照射して前記構成物の中性分子及び荷電粒子を飛翔させる工程と、
前記工程で一次ビームを対象物に照射すると同時又はその後に、飛翔した荷電粒子を試料方向に引き戻すための引き戻し電極に電圧を印加して前記工程で飛翔した前記構成物の中性分子に荷電粒子を付与する工程と、
前記工程で引き戻し電極に電圧を印加した後に引き出し電極に電圧を印加して、前記工程で荷電粒子が付与した前記構成物の中性分子を質量分析装置で検出して質量情報を取得する工程と、を有し、
前記一次ビームの軌跡を一次ビーム軸とし、該一次ビーム軸と前記対象物の表面が交わる点を中心点とし、該中心点を通り基板法線方向に延びる軸を中心軸としたときに、該中心軸に対し該一次ビーム軸と線対称をなす軸に対して30度の角度で該中心点から円錐状に広がる領域内に前記引き戻し電極を設けることを特徴とする情報取得方法。
【請求項10】
前記引き戻し電極への電圧印加が、直流の印加、または、周波数が0.1から10MHzの範囲にある交流の印加、のどちらかであり、かつ、該電圧印加により、前記引き戻し電極と前記対象物との間に生じる電界の強さの絶対値の平均が1kV/mから20kV/mの範囲にあることを特徴とする請求項9に記載の情報取得方法。
【請求項11】
一次ビームが対象物に届くタイミングを「時間=0」としたときに、前記引き出し電極への電圧印加のタイミングが0.1μ秒〜20μ秒後となるように制御することを特徴とする請求項9または10に記載の情報取得方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2011−237415(P2011−237415A)
【公開日】平成23年11月24日(2011.11.24)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−87415(P2011−87415)
【出願日】平成23年4月11日(2011.4.11)
【出願人】(000001007)キヤノン株式会社 (59,756)
【Fターム(参考)】