説明

質量分析データ処理方法及び質量分析装置

【課題】検出器の電気ノイズに時間的変動があった場合でも、このノイズを精度よく除去し質量スペクトルを作成する。
【解決手段】データ処理部では、イオントラップから各種イオンが出射されてTOF飛行空間を飛行して検出器に到達するまでの時間tと、検出器で検出された信号強度データをセットにして順次保存する。そして、測定質量範囲に対応した時間範囲T2に得られたデータをプロファイルデータとし、m/z最小のイオンが到達する前の期間T1又はm/z最大のイオンが到達した後の期間T3、に得られたデータをノイズ成分データとしてそれぞれ抽出する。ノイズ成分データからノイズレベルや標準偏差等のノイズ情報を算出し、このノイズ情報を用いてプロファイルデータからノイズを除去する。質量走査毎にノイズ成分データとプロファイルデータとがほぼ同時に得られるため、ノイズの時間的変動の影響を殆ど受けずに、的確なノイズ除去を実現できる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析装置により得られるデータを処理する処理方法及びそうしたデータ処理方法を実施する質量分析装置に関し、更に詳しくは、質量分析により収集されるデータに重畳しているノイズを除去するデータ処理技術に関する。
【背景技術】
【0002】
高速液体クロマトグラフ(LC)やガスクロマトグラフ(GC)と質量分析装置(MS)とを組み合わせたクロマトグラフ質量分析装置では、予め設定された測定質量範囲に亘る質量分析を繰り返すことにより、LCやGCのカラムから時間経過に伴って溶出する各種成分に対する質量スペクトルを時々刻々と取得することができる。質量分析装置のイオン検出器としては、コンバージョンダイノードやマイクロチャンネルプレートなどと二次電子増倍管とを組み合わせたものが一般的に使用される。
【0003】
こうしたイオン検出器やその後段の電流/電圧変換器或いは増幅器などの電気回路は、それ自体が電気的ノイズを発生するとともに外来ノイズの飛び込みを受けることもある。そのため、質量走査時に取得される検出信号は試料由来のイオンによる信号に上記電気的なノイズ信号が重畳したものとなる。そこで従来の質量分析装置では、目的試料の測定を実行する前に上記のような電気的な要因によるノイズ成分の測定を実施し、その測定により得られたノイズ情報を目的試料の質量スペクトル情報から差し引くことでノイズを除去する処理が行われている。
【0004】
また、質量分析装置では、スペクトルの形状を安定化させるために、複数回の質量走査で得られたデータを用いた平均化処理が行われる。さらに、例えば特許文献1に記載の装置のように、質量走査毎に正イオン測定モードと負イオン測定モードとを切り替えたり、質量走査毎に通常の質量分析と開裂操作を伴うMS/MS分析とを切り替えたりする場合があるが、そうした異なる分析条件毎に上記平均化処理のためのデータの質量走査回数が異なることがある。質量走査回数が相違するとノイズ状態は異なるため、ノイズ成分の測定により得られたノイズ情報に対し質量走査回数を考慮した統計的処理を実施し、ノイズ情報を適当に加工してノイズ除去を行うようにしている。
【0005】
しかしながら、イオン検出器や増幅器などの回路の電気的なノイズの状態は温度などの影響を受けるため、通常、時間経過に伴ってノイズのレベルは変動する。そのため、目的試料の測定実行前に予備的に測定したノイズ情報を用いてノイズ除去処理を行っても、必ずしも適切にノイズを除去することができない場合がある。
【0006】
上記のような問題を回避するために、目的試料の測定実行前だけでなく、測定実行中にも一定周期でノイズ成分の再測定を実施し、その測定により得られたノイズ情報を用いたノイズ除去処理が行われることもある。しかしながら、目的試料に対する測定とノイズ成分の測定とは或る程度離れた時点で実施されるため、目的試料の測定実行中に電気的ノイズが増加した場合でも、これがノイズ情報に十分に反映されるとは限らず、ノイズ除去の効果が発揮できないこともある。
【0007】
【特許文献1】特開2001−99821号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は上記課題に鑑みて成されたものであり、その目的とするところは、イオン検出器や増幅器などによる電気的なノイズを的確に除去して高精度の質量スペクトルを作成することができる質量分析データ処理方法及び質量分析装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記課題を解決するために成された第1発明は、イオン源と、該イオン源で生成されたイオンを質量分離する質量分離器と、質量分離されたイオンを検出する検出器と、を備える質量分析装置により収集された、所定の質量範囲に亘る質量スペクトルを作成するためのデータを処理するデータ処理方法であって、
a)質量走査に対して収集された測定データの中で試料に由来するイオンが検出器に到達しない範囲のデータを抽出して、該データに基づいて統計処理を実施し閾値を算出するノイズ情報取得ステップと、
b)前記測定データの中で測定質量範囲に対応したデータをプロファイルデータとして抽出するプロファイルデータ取得ステップと、
c)前記閾値を利用して前記プロファイルデータからノイズ成分を除去するノイズ除去処理ステップと、
d)ノイズ除去がなされたプロファイルデータを用いて質量スペクトルを作成するスペクトル作成ステップと、
を有することを特徴としている。
【0010】
また上記課題を解決するために成された第2発明は、第1発明に係る質量分析データ処理方法を実施するための装置であり、イオン源と、該イオン源で生成されたイオンを質量分離する質量分離器と、質量分離されたイオンを検出する検出器と、該検出器で得られた所定の質量範囲に亘る質量スペクトルを作成するための測定データを処理するデータ処理部と、を具備する質量分析装置において、前記データ処理部は、
a)質量走査に対して収集された測定データの中で試料に由来するイオンが検出器に到達しない範囲のデータを抽出して、該データに基づいて閾値を算出するノイズ情報取得手段と、
b)前記測定データの中で測定質量範囲に対応したデータをプロファイルデータとして抽出するプロファイルデータ取得手段と、
c)前記閾値を利用して前記プロファイルデータからノイズ成分を除去するノイズ除去処理手段と、
d)ノイズ除去がなされたプロファイルデータを用いて質量スペクトルを作成するスペクトル作成手段と、
を備えることを特徴としている。
【0011】
ここで質量分離器は特にその態様や構造が限定されるものではないが、例示すると、飛行時間型質量分離器や四重極質量フィルタなどを挙げることができる。飛行時間型質量分離器の場合、質量走査とは、イオンが当該飛行時間型質量分離器に導入された時点から、又はイオンを当該飛行時間型質量分離器に導入するために例えばイオントラップ等から出射された時点から、所定の時間が経過するまで継続的にイオン検出器で検出信号を得ることをいう。一方、四重極質量フィルタの場合、質量走査とは、当該フィルタの電極に印加する電圧を所定範囲で掃引し、その間、継続的にイオン検出器で検出信号を得ることをいう。
【0012】
第1発明に係る質量分析データ処理方法を実施する第2発明に係る質量分析装置におけるデータ処理部は、1回の質量走査に対して得られた一連の測定データの中で、測定質量範囲から鑑みて、イオン源に供給された試料に由来するイオンが検出器に到達しない期間に得られたデータと測定質量範囲に対応した期間に得られたデータとを区別する。それら両データにはいずれも検出器などの電気的ノイズが含まれるが、試料由来のイオンの信号強度は後者にのみ含まれる。したがって、ノイズ情報取得手段は前者のデータからノイズ情報として閾値を算出し、ノイズ除去処理手段はその閾値を利用して、プロファイルデータ取得手段により抽出された後者のデータからノイズを除去する処理を実行する。これにより、プロファイルデータに含まれるノイズ成分が除去されるから、スペクトル作成手段は、その除去処理後のデータに基づいて質量スペクトルを作成する。
【発明の効果】
【0013】
即ち、第1発明に係るデータ処理方法及び第2発明に係る質量分析装置では、1回の質量走査の際に、質量毎のイオンの強度を反映したスペクトル情報とノイズ成分の情報との両方が得られる。厳密には、それらは同時に得られたものではないが、通常、1回の質量走査に要する時間は短いので、実質的に同時に得られたものとみなすことができる。ノイズの時間的な変動要因は無視できる程度に小さいので、プロファイルデータに重畳している電気的なノイズ成分を精度よく除去することができる。また、パルス状のごく短時間だけ発生するノイズを除けば、或る程度のバースト状のノイズなどについても的確に除去することができる。これによって、質量スペクトルの正確性を向上させることができる。
【0014】
上述のように質量分離器が飛行時間型質量分離器である場合、飛行時間型質量分離器へのイオン導入時点から測定可能質量範囲の最小質量のイオンが検出器に到達するまでの期間、及び、測定可能質量範囲の最大質量のイオンが検出器に到達してからその1回の質量走査についてのデータ収集終了までの期間、には検出器に入射するイオンはない筈である。そこで、ノイズ情報取得手段は、この2つの期間のいずれか又は両方の期間に対応したデータを抽出して閾値を求めることができる。
【0015】
但し、意図しないイオンの飛行の遅れなどのために、上記のような試料由来のイオンが検出器に到達しない筈である期間にイオンの信号強度が観測される場合がある。そこで、これを排除するために、信号強度が所定の値以上である場合にはこれをノイズ情報、つまり上記閾値に反映させないようにすることが好ましい。
【0016】
また第2発明に係る質量分析装置の一態様は、複数の異なる分析条件の下での質量走査を繰り返し行うことが可能な質量分析装置であって、
質量走査の際の前記分析条件を入力設定する条件設定手段と、該条件設定手段により入力設定された分析条件の異なる複数条件の質量走査を1周期として、この周期を繰り返しつつ、各質量走査に対応したデータを収集する分析制御手段と、をさらに備え、
前記ノイズ情報取得手段は、それぞれの分析条件での質量走査毎に得られた測定データからノイズに対応したデータを抽出する構成とすることができる。
【0017】
ここで、分析条件とは、イオンの発生状態や検出状態に影響を与える条件であり、例えば、イオン源で生成するイオンの極性(イオン化極性)、測定質量範囲、スペクトル情報を形成するためのスペクトルの平均化回数(質量走査の回数)などの組合せとすることができる。また、開裂操作を伴うMSn分析が可能である場合には、このnの値を分析条件の組合せの1つに加えることもできる。
【0018】
上記態様の質量分析装置では、異なる分析条件の下で質量走査が繰り返される場合でも、1回の質量走査毎にスペクトル情報とともにノイズ情報が得られる。したがって、分析条件、特にスペクトルの平均化回数が異なる場合でも、その平均化回数を考慮した統計的処理を行うことなく正確なノイズ情報を把握して、精度の高いノイズ除去を行うことができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0019】
本発明の一実施例である液体クロマトグラフ/イオントラップ飛行時間型質量分析装置(LC/IT−TOFMS)について、図1〜図6を用いて詳細に説明する。
【0020】
図1は本実施例のLC/IT−TOFMSの要部の構成図である。このLC/IT−TOFMSは、大別して、液体クロマトグラフ(LC)部1と質量分析(MS)部2とを有し、LC部1とMS部2とを接続する大気圧イオン化インタフェイスには、エレクトロスプレイイオン化(ESI)インタフェイスが用いられている。なお、イオン化法はこれに限るものでなく、例えば大気圧化学イオン化法(APCI)や大気圧光イオン化法(APPI)など、他の各種態様のイオン化インタフェイスを用いることができる。
【0021】
液体クロマトグラフ(LC)部1にあって、送液ポンプ12は移動相容器11に貯留されている移動相を吸引し、一定流量でインジェクタ13を通してカラム14へと送給する。インジェクタ13により試料が注入されると、移動相の流れに乗って試料はカラム14へと導入される。カラム14を通過する間に試料中の各種成分は分離され、時間的にずれてカラム14の出口から溶出し、質量分析(MS)部2に導入される。
【0022】
MS部2は、大気圧雰囲気に維持されるイオン化室21と、ターボ分子ポンプ(図示せず)により真空排気され、高真空雰囲気に維持される分析室29と、を有し、その間には、段階的に真空度が高くされた第1段、第2段中間真空室24、27が配設されている。イオン化室21と第1段中間真空室24とは細径の脱溶媒管23を介して連通しており、第1段中間真空室24と第2段中間真空室27とは、円錐形状のスキマー26の頂部に穿設された小径のオリフィスを介して連通している。
【0023】
LC部1から供給された試料成分を含む溶出液がイオン源としてのESIノズル22に達すると、高圧電源(図示せず)から印加されている直流高電圧により、溶出液は片寄った電荷を付与される。そして、帯電した微小液滴としてイオン化室21内に噴霧される。この帯電液滴は大気由来のガス分子と衝突してさらに微細な液滴に粉砕され、速やかに乾燥して(脱溶媒化されて)試料分子が気化する。この試料分子はイオン蒸発反応を生じてイオン化される。発生したイオンを含む微小液滴は、差圧によって脱溶媒管23内に引き込まれ、脱溶媒管23内を通る間に一層脱溶媒化が進行してイオンが発生する。イオンはイオンガイド25、28で収束されつつ2つの中間真空室24、27を通過し分析室29へ送られる。分析室29内で、イオンは3次元四重極型のイオントラップ30の内部に導入される。
【0024】
イオントラップ30では、電源(図示せず)より各電極に印加される高周波電圧により形成される四重極電場によって、イオンは一旦捕捉・蓄積される。イオントラップ30の内部に蓄積された各種イオンは、所定のタイミングで一斉に運動エネルギーを付与され、質量分離器としての飛行時間型質量分離器(TOF)31に向けてイオントラップ30から放出される。つまり、イオントラップ30がTOF31に対するイオンの飛行の出発点となる。TOF31は直電電源(図示せず)から直流電圧が印加されるリフレクトロン電極32を備え、これにより形成される直流電場の作用によってイオンは折り返され、検出器としてのイオン検出器33に到達する。一斉にイオントラップ30から出射されたイオンは質量電荷比m/zの小さいイオンほど速く飛行し、m/zに応じた時間差を以てイオン検出器33に到達する。イオン検出器33は到達したイオン数に応じた電流を検出信号として出力する。
【0025】
この検出信号はI/V変換器34で電圧信号に変換され、増幅器35で増幅される。そして、A/D変換器36でデジタル値に変換された後に、データ処理部40に入力される。データ処理部40では、イオントラップ30からイオンが一斉に出射された時点からイオン検出器33に到達するまでの時間毎のイオンの信号強度を計測し、その時間情報を質量情報に換算して、横軸をm/z値、縦軸を信号強度とする質量スペクトルを作成する。さらに時間経過に従って、トータルイオンクロマトグラムやマスクロマトグラムを作成する。
【0026】
分析制御部42は中央制御部43からの指示に基づいて、LC/MS分析を実行するためにLC部1及びMS部2の各部の動作を制御する。中央制御部43にはユーザーインターフェースとしての操作部44及び表示部45が接続されており、操作部44によるオペレータの操作を受けて分析のための各種の指令を分析制御部42やデータ処理部40に出力するとともに、質量スペクトル等の分析結果を表示部45に出力する。なお、中央制御部43、分析制御部42、及びデータ処理部40の大部分は、所定の制御/処理ソフトウエアを搭載したパーソナルコンピュータにより具現化することができる。
【0027】
イオントラップ30には図示するように、例えばアルゴン等の衝突誘起解離(CID)ガスを供給できる構成となっており、イオントラップ30に蓄積したイオンをCIDにより開裂させてプロダクトイオンを生成させることができる。MS/MS分析などのMSn分析を行う際には、まずイオントラップ30に各種イオンを蓄積した後に、それらイオンの中で特定の質量を有するイオンのみをプリカーサイオンとして選択的に残すように電極に印加する電圧を制御し、それからCIDガスをイオントラップ30に導入してプリカーサイオンの開裂を促進させる。そうして生成されたプロダクトイオンをイオントラップ30から一斉にTOF31に向けて放出し、m/z毎に分離して検出することで、プロダクトイオンの質量スペクトルを得ることができる。
【0028】
図2は特徴的な動作を実施するためのデータ処理部40における要部の機能構成図である。
【0029】
上述のようにイオン検出器33で得られた検出信号をデジタル化した検出データは、検出データ読込み部401により検出データ保存部400に順次格納される。プロファイルデータ読出し加算処理部402は検出データ保存部400に保存されているデータの中で測定質量範囲に相当するデータ(プロファイルデータ)を選択的に読み出し、プロファイル積算データ保存部403に既に格納されているデータに加算するように該保存部403に格納する。一方、ノイズ成分データ読出し加算処理部405は検出データ保存部400に保存されているデータの中で測定質量範囲外に相当するデータ(ノイズ成分データ)を選択的に読み出し、ノイズ成分積算データ保存部406に既に格納されているデータに加算するように該保存部406に格納する。以上の処理は、MS部2での質量走査時に検出データが得られるに従ってほぼリアルタイムで実行される。
【0030】
プロファイルデータ平均化処理部404は、後述するイベント測定条件として設定された平均化回数だけ積算処理が行われた後に、プロファイル積算データ保存部403に保存されている積算データを読み出し、それを平均化回数で除することで平均値を求める。ノイズ情報算出部407は同様に積算処理終了後に、ノイズ成分積算データ保存部406から積算データを読み出し、ノイズレベル(強度)や標準偏差などのノイズ情報を算出する。プロファイルデータノイズ除去処理部408はそのノイズ情報を利用してノイズ除去演算を行い、ノイズの影響を排除したプロファイルデータを算出する。
【0031】
上記構成を有するLC/IT−TOFMSにおける特徴的な動作を、図3〜図6を参照して説明する。図3はこの動作の制御・処理手順を示すフローチャートである。図4は1回の質量走査で得られる信号波形を中心とした動作説明図である。図5はイベント測定条件の設定内容の一例を示す図である。図6は繰り返し質量走査における動作の説明図である。図6中の↓はイオントラップ30からのイオンの出射のタイミングであり、斜線で示す部分が図4に示す時間t=0からt3までの時間範囲に相当する。
【0032】
LC/MS分析の実行に先立って、オペレータは操作部44から、分析終了条件、イベント測定条件などの分析条件を入力設定する(ステップS1)。分析終了条件とは分析開始時点を基準とする分析終了時刻、或いは後述するイベントの繰り返し回数などである。イベント測定条件は、イオン化極性(正イオン化/負イオン化)、測定質量範囲、スペクトル平均化回数などのパラメータの組合せで規定されるイベントを1乃至複数設定するものである。スペクトルの平均化は1回の質量走査で得られるデータを平均化回数分だけ積算し、それを平均化回数で除することを意味するから、スペクトル平均化回数は質量走査の回数と同義である。なお、イオントラップ30ではその構造や印加電圧範囲などに応じて保持可能な質量範囲、つまり測定可能な最大質量範囲(測定可能質量範囲)が決まっている。したがって、ユーザはその測定可能質量範囲内で上記測定質量範囲を設定することが可能である。
【0033】
例えばいまここでは、図5に示すように、イベント[1]、イベント[2]の2つのイベントを設定するものとする。イベント[1]の測定条件は、測定質量範囲:100-1000、イオン化極性:正、スペクトル平均化回数:2、であり、イベント[2]の測定条件は、測定質量範囲:100-1000、イオン化極性:負、スペクトル平均化回数:3、である。
【0034】
オペレータは目的試料を準備し、操作部44からLC/MS分析開始を指示する(ステップS2)。中央制御部43を介してこの指示を受けた分析制御部42は、LC部1においてインジェクタ13により移動相中に目的試料を注入する。これと同時にMS部2は質量分析動作を開始する。まず、実行するイベントを初期設定し(ステップS3)、1番目のイベント(図5中のイベント[1])に設定された測定条件に従って質量分析を行う。
【0035】
即ち、データ処理部40ではプロファイル積算データ保存部403及びノイズ成分積算データ保存部406を初期化し(ステップS4)、平均化回数のカウント値も初期化する(ステップS5)。
【0036】
MS部2では、カラム14からの溶出液を受けたESIノズル22からの噴霧により生成されたイオンがイオントラップ30に一旦蓄積され、所定のタイミングで一斉TOF31に向けて出射される。この出射のタイミングが図4に示すt=0である。検出データ読込み部401は、イオントラップ30から出射されてイオン検出器33に到達するまでの時間tとイオン検出器33で検出された信号強度データとをセットにして、検出データ保存部400に順次保存する。イオントラップ30からの1回のイオン出射とこれに対応した所定時間(時刻0〜t3)の検出データの保存動作により、図4に示すような飛行時間スペクトルを表現する時間データと信号強度データとのセットが保存される(ステップS6)。測定質量範囲が100-1000であるから、この質量範囲のイオンのみを捕捉するようにイオントラップ30への印加電圧を調整すればよい。
【0037】
プロファイルデータ読出し加算処理部402は、イベント測定条件で指定された測定質量範囲(この例では100-1000)に相当する時間範囲T2のプロファイルデータを検出データ保存部400から読み出し、プロファイル積算データ保存部403に既に保存されているデータに加算して置き換える(ステップS7)。プロファイル積算データ保存部403が初期化された状態では、保存されているデータはゼロであるから、実質的には検出データ保存部400から読み出されたプロファイルデータがそのままプロファイル積算データ保存部403に格納される。
【0038】
一方、ノイズ成分データ読み出し加算処理部405は、目的試料に由来するイオンの信号が検出されない時間範囲、つまりは上記測定質量範囲に相当する時間範囲T2を外れた範囲のデータをノイズ成分データとして検出データ保存部400から読み出し、ノイズ成分積算データ保存部406に既に保存されているデータに加算して置き換える(ステップS8)。ノイズ成分積算データ保存部406も初期化された状態では、保存されているデータはゼロであるから、実質的には検出データ保存部400から読み出されたノイズ成分データがそのままノイズ成分積算データ保存部406に格納される。
【0039】
図4に示すように、イオンの飛行開始時点をt=0とすると、測定質量範囲の下限であるm/zが最も小さなイオンがイオン検出器33に到達する時点t1の直前までの期間T1と、測定質量範囲の上限であるm/zが最も大きなイオンがイオン検出器33に到達した時点t2の直後からデータ収集終了時点t3までの期間T3と、が測定質量範囲外に相当する時間範囲である。測定質量範囲にも依るが、一般的には後方側の期間T3のほうが時間的余裕があることが多いので、この期間T3のデータをノイズ成分データとして用いるとよい。もちろん、期間T1のデータをノイズ成分データとしてもよく、両方の期間T1、T3のデータを用いてもよい。
【0040】
但し、実際の測定質量範囲が測定可能質量上限に近いと、予期せぬ飛行の遅れなどにより、試料由来のイオンの信号が期間T3に現れてしまうことがある。こうした信号をノイズ成分であるとして処理してしまうと誤ったノイズ除去を実行する。そこで、ノイズ成分データ読出し加算処理部405は、信号強度がノイズであるとは考えられないほど大きなときにこれを排除するべく、信号強度が所定の値以上である場合にはそのときのノイズ情報を無視する処理を実施するとよい。この判定値は固定的でもよいし、適応的に変化させてもよい。
【0041】
次に、平均化回数のカウント値がそのときに実施中のイベントに対して予め設定されたスペクトル平均化回数になったか否か、を判定する(ステップS9)。未だスペクトル平均化回数が不足していればカウント値をインクリメントし(ステップS10)、ステップS6へと戻る。ステップS6〜S10の処理により、所定の平均化回数だけプロファイルデータとノイズ成分データとのそれぞれの積算が実行される。図5の例ではイベント[1]の実行時には平均化回数が「2」であるから、ステップS6〜S10の処理を2回繰り返す。これは、図6に示すように、イオン化極性が「正」であるイオンの質量走査が2回行われることを意味する。所定回数の積算が終わると、ノイズ情報算出部407は、ノイズ成分積算データ保存部406から積算されたデータを読み出し、ノイズ信号の大きさ(ノイズレベルL)とその分散(標準偏差σ)とをノイズ情報として計算する(ステップS11)。
【0042】
プロファイルデータ平均化処理部404はプロファイル積算データ保存部403に保存されている積算されたデータを読み出して平均化回数で除することで平均値を求める。プロファイルデータノイズ除去処理部408は、平均化処理されたプロファイルスペクトルからノイズ成分を除去する(ステップS12)。具体的には、平均化されたプロファイルスペクトルをi1、ノイズ除去後のプロファイルスペクトルをi2とすると、ノイズレベルLと標準偏差σとを用い、
(1)i1≧L+α・σ のとき : i2=i1−L
(2)i1<L+α・σ のとき : i2=0
という演算処理を実行する。ここでαは予め決められる係数であり、通常、αは3〜5の範囲に設定される。この係数αは、例えばMS分析、MSn分析等の測定モードに応じて変えるようにしてもよい。この例では、ノイズレベルLと標準偏差σとから求まる「L+α・σ」が、本発明におけるノイズ成分除去のための「閾値」に相当する。
【0043】
以上のようにして平均化されたプロファイルスペクトルからノイズ成分が除去されたならば、データ処理部40はこのプロファイルスペクトルにおける時間情報をm/z値に換算し、必要に応じてm/z値のずれの補正処理などを実施し、質量スペクトルを作成する(ステップS13)。この質量スペクトルの情報は中央制御部43に送られ、表示部45の画面上に表示される。
【0044】
続いて、データ処理部40では初めに作成されたイベントの数だけ処理が終了したか否かを判定する(ステップS14)。未だ終了していなければ次のイベントを設定し(ステップS15)ステップS4へ戻る。図5の例では、2つのイベントが設定されているため、まずイベント[1]についての処理が実行されてステップS14に来ると、未だイベント[2]が残っているので「NO」と判断され、ステップS15でイベント[2]が設定されてステップS4へと戻る。これにより、再びプロファイル積算データ保存部403及びノイズ成分積算データ保存部406が初期化され、平均化回数のカウント値も初期化され、ステップS6〜S9の処理が平均化回数である3回繰り返される。その後、ステップS11へと進んで、ノイズが除去されたプロファイルスペクトルに基づいてイベント[2]に対する質量スペクトルが作成される。
【0045】
イベント[2]についての処理が実行されてステップS14に来ると、既に初めに設定された2つのイベントの処理が終了したので「YES」と判定され、ステップS16へと進む。初めに設定された分析終了時刻等の終了条件に達しているか否かが判定され(ステップS16)、達していなければステップS3へと戻り、再度1つ目のイベントから順に処理を繰り返す。したがって、図6に示すように、イベント[1]→イベント[2]→イベント[1]→…の順に、質量分析動作とそれに伴うデータ処理とが繰り返されることになる。
【0046】
即ち、イベント[1]では、正極性のイオン生成条件の下で生成されたイオンがイオントラップ30から出射され、TOF31で分離されてイオン検出器33で検出される、という質量走査が2回繰り返される。その後に、イベント[2]に移行して、負極性のイオン生成条件の下で生成されたイオンがイオントラップ30から出射され、TOF31で分離されてイオン検出器33で検出される、という質量走査が3回繰り返される。この2つのイベントを1組として、これが周期的に繰り返され、分析終了時刻になるまで継続される。そうして、分析終了時刻が経過したならば、全ての処理を終了する。
【0047】
以上のようにして本実施例のLC/IT−TOFMSでは、各質量走査毎に測定質量範囲のスペクトル情報とノイズ成分の情報とが共に得られるので、その取得の時間差は実質的に無視できる程度である。したがって、イオン検出器33、I/V変換器34、増幅器35における電気的なノイズに時間的変動があっても、それを精度よく除去して高精度の質量スペクトルを得ることができる。
【0048】
なお、上記実施例は一例であって、本発明の趣旨の範囲で適宜変更や修正を行えることは明らかである。
【0049】
例えば、上述したようにイオントラップ30では特定のイオンを1乃至複数回開裂させることができ、そうして生成したプロダクトイオンを質量分析するMSn分析をイベント測定条件に加えることができる。
【0050】
また、本発明は、飛行時間型質量分離器以外の他の質量分離器を用いた質量分析装置にも適用可能である。例えば四重極質量フィルタを用いた質量分析装置では、四重極質量フィルタへの印加電圧を掃引することで質量走査が実施される。そこで、全ての質量のイオンが通過し得ない印加電圧の条件を設定したときに収集されるデータをノイズ成分データとすることができる。また、四重極質量フィルタではなく、それよりも前方のイオンガイドなどのイオン輸送光学系において全てのイオンが遮蔽される条件を質量走査毎に設定し、その条件の下で収集されたデータをノイズ成分データとしてもよい。
【図面の簡単な説明】
【0051】
【図1】本発明の一実施例であるLC/IT−TOFMSの要部の構成図。
【図2】データ処理部における要部の機能構成図。
【図3】図3はこの動作の制御・処理手順を示すフローチャート。
【図4】1回の質量走査で得られる信号波形を中心とした動作説明図。
【図5】イベント測定条件の設定内容の一例を示す図。
【図6】繰り返し質量走査における動作の説明図。
【符号の説明】
【0052】
1…液体クロマトグラフ(LC)部
11…移動相容器
12…送液ポンプ
13…インジェクタ
14…カラム
2…質量分析(MS)部
21…イオン化室
22…ESIノズル
23…脱溶媒管
24、27…中間真空室
25、28…イオンガイド
26…スキマー
29…分析室
30…イオントラップ
31…飛行時間型質量分離器(TOF)
32…リフレクトロン電極
33…イオン検出器
34…I/V変換器
35…増幅器
36…A/D変換器
40…データ処理部
400…検出データ保存部
401…検出データ読込み部
402…プロファイルデータ読出し加算処理部
403…プロファイル積算データ保存部
404…プロファイルデータ平均化処理部
405…ノイズ成分データ読出し加算処理部
406…ノイズ成分積算データ保存部
407…ノイズ情報算出部
408…プロファイルデータノイズ除去処理部
42…分析制御部
43…中央制御部
44…操作部
45…表示部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
イオン源と、該イオン源で生成されたイオンを質量分離する質量分離器と、質量分離されたイオンを検出する検出器と、を備える質量分析装置により収集された、所定の質量範囲に亘る質量スペクトルを作成するためのデータを処理するデータ処理方法であって、
a)質量走査に対して収集された測定データの中で試料に由来するイオンが検出器に到達しない範囲のデータを抽出して、該データに基づいて統計処理を実施し閾値を算出するノイズ情報取得ステップと、
b)前記測定データの中で測定質量範囲に対応したデータをプロファイルデータとして抽出するプロファイルデータ取得ステップと、
c)前記閾値を利用して前記プロファイルデータからノイズ成分を除去するノイズ除去処理ステップと、
d)ノイズ除去がなされたプロファイルデータを用いて質量スペクトルを作成するスペクトル作成ステップと、
を有することを特徴とする質量分析データ処理方法。
【請求項2】
請求項1に記載の質量分析データ処理方法であって、前記質量分離器は飛行時間型質量分離器であり、前記ノイズ情報取得ステップでは、飛行時間型質量分離器へのイオン導入時点から測定可能質量範囲の最小質量のイオンが検出器に到達するまでの期間、又は、測定可能質量範囲の最大質量のイオンが検出器に到達してからその1回の質量走査のデータ収集終了までの期間、のいずれかのデータを抽出することを特徴とする質量分析データ処理方法。
【請求項3】
イオン源と、該イオン源で生成されたイオンを質量分離する質量分離器と、質量分離されたイオンを検出する検出器と、該検出器で得られた所定の質量範囲に亘る質量スペクトルを作成するための測定データを処理するデータ処理部と、を具備する質量分析装置において、前記データ処理部は、
a)質量走査に対して収集された測定データの中で試料に由来するイオンが検出器に到達しない範囲のデータを抽出して、該データに基づいて統計処理を実施し閾値を算出するノイズ情報取得手段と、
b)前記測定データの中で測定質量範囲に対応したデータをプロファイルデータとして抽出するプロファイルデータ取得手段と、
c)前記閾値を利用して前記プロファイルデータからノイズ成分を除去するノイズ除去処理手段と、
d)ノイズ除去がなされたプロファイルデータを用いて質量スペクトルを作成するスペクトル作成手段と、
を備えることを特徴する質量分析装置。
【請求項4】
請求項3に記載の質量分析装置であって、前記質量分離器は飛行時間型質量分離器であり、前記ノイズ情報取得手段は、飛行時間型質量分離器へのイオン導入時点から測定可能質量範囲の最小質量のイオンが検出器に到達するまでの期間、又は、測定可能質量範囲の最大質量のイオンが検出器に到達してからその1回の質量走査のデータ収集終了までの期間、のいずれかのデータを抽出することを特徴とする質量分析装置。
【請求項5】
請求項3又は4に記載の質量分析装置であり、複数の異なる分析条件の下での質量走査を繰り返し行うことが可能な質量分析装置であって、
質量走査の際の前記分析条件を入力設定する条件設定手段と、該条件設定手段により入力設定された分析条件の異なる複数条件の質量走査を1周期として、この周期を繰り返しつつ、各質量走査に対応したデータを収集する分析制御手段と、をさらに備え、
前記ノイズ情報取得手段は、それぞれの分析条件での質量走査毎に得られた測定データからノイズに対応したデータを抽出することを特徴とする質量分析装置。
【請求項6】
請求項5に記載の質量分析装置であって、前記分析条件は前記イオン源で生成するイオンの極性を含むことを特徴とする質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2009−264970(P2009−264970A)
【公開日】平成21年11月12日(2009.11.12)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−115857(P2008−115857)
【出願日】平成20年4月25日(2008.4.25)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】