説明

質量分析方法及び装置

【課題】MS2スペクトル上で観測されるイオンピークに目的化合物に由来しないピークが混じることを防止し、データベース検索による化合物同定の信頼性を向上させる。
【解決手段】ペプチドに対し質量分析を行って得られたマススペクトル上で、所定の選択条件に照らしてプリカーサイオンを選択しMS2分析を実行する(S1〜S3)。取得されたMS2スペクトル上でプリカーサイオンピークのm/z(Mp)とそれより57[Da]低いm/z(Mp-57)との範囲内にMp−17又はMp−18以外のイオンピークが存在したならば(S5、S6)、同位体ピーククラスタの一部が外れるように選択条件を変更した上でプリカーサイオンの選択を行い、再びMS2分析を実行する(S8、S2−S3)。これにより、同位体ピーククラスタに重畳している夾雑ピークをプリカーサイオンから除外し、純度の高いMS2スペクトルを取得することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、特定の質量電荷比(m/z)を持つイオンをプリカーサイオンとして選択して開裂させ、それにより生成したプロダクトイオンを質量分析するMSn型の質量分析方法及び質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、ポストゲノム研究として生体組織中のタンパク質の構造や機能の解析が急速に進められている。このようなタンパク質の構造・機能解析手法(プロテオーム解析)の一つとして、近年、質量分析装置を用いたタンパク質の発現解析や一次構造解析が広く行われるようになってきている。そうした手法の一つとして、特定のイオンの選別と開裂操作とを伴うMSn分析(n≧2)が可能な質量分析装置を用い、次のような手順でタンパク質のアミノ酸配列を決定する手法が知られている。
【0003】
まず目的とするタンパク質を適当な酵素で消化しペプチド断片の混合物としてから、そのペプチド混合物を質量分析に供する。このとき、各ペプチドを構成する元素には質量の異なる安定同位体が存在するため、同一のアミノ酸配列から成るペプチドであっても、その同位体組成の相違によって質量電荷比の異なる複数のピークを生じる。その複数のピークは、天然存在比が最大の同位体のみで構成されたイオン(モノアイソトピックイオン)のピークと、それ以外の同位体を含むイオン(同位体イオン)のピークとから成り、これらは1価の場合には、1Daから数Da間隔で並んだ複数本のピークから成るピーク群、つまり同位体ピーククラスタを形成する。
【0004】
続いて、上記のようなペプチド混合物のマススペクトルデータの中から、単一のペプチドに由来する一組の同位体ピーククラスタをプリカーサイオンとして選択し、このプリカーサイオンを開裂させることで生成されたイオン(プロダクトイオン)の質量分析、つまりMS2(=MS/MS)分析を行う。マススペクトル中の一組の同位体ピーククラスタに含まれる各ピークの強度比は開裂により生じたプロダクトイオンピークでもほぼ保たれるため、この強度比情報を利用して、MS2スペクトルでノイズピークを除外しつつプリカーサイオン由来のプロダクトイオンを見つけることができる。以上のようにして得られたMS2スペクトルから、観測されるプロダクトイオンのピークを抽出してリスト化し、そのピークリストをタンパク質同定用データベースに照らして検索することにより、被検ペプチドのアミノ酸配列を決定しタンパク質を同定することができる(例えば特許文献1など参照)。
【0005】
一般的に、単一のペプチド(化合物)に由来する一組の同位体ピーククラスタは、マススペクトル上に並ぶピークの間隔と同位体の天然存在比による強度分布とに基づいて選択される。しかしながら、マススペクトル上で一組の同位体ピーククラスタが単一化合物由来のものに見える場合であっても、実際には、同位体イオンの質量電荷比範囲に別の化合物由来のイオンピークが重畳している場合がある。例えばMALDIイオン源のようにイオン化にマトリクスを用いた場合には、マトリクスの重合体を生じ易く、こうした化合物由来のピークが混じり易い傾向にある。このような夾雑ピークを含む同位体ピーククラスタをプリカーサイオンとして選択してMS2分析を実行してしまうと、得られたMS2スペクトルには、複数の化合物由来のプロダクトイオンの質量電荷比情報が混在することになる。こうしたプロダクトイオンのピークリストをデータベース検索に供すると、誤った同定結果を導出する可能性があり、信頼性の高い同定を行うことができない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開2006−284509号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、同位体ピーククラスタをプリカーサイオンとして選択する際に、目的とする化合物とは別の化合物由来のピークが混じることを回避することにより、化合物同定や構造解析の信頼性を高めることができる質量分析方法及び装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記課題を解決するために成された第1発明は、MSn-1分析(nは2以上の整数)で得られるMSn-1スペクトルデータに基づいてプリカーサイオンを決定し、該プリカーサイオンを開裂させてMSn分析を行う質量分析方法であって、
a)目的試料について取得されたMSn-1スペクトルに対し所定の選択条件の下で選択されたプリカーサイオンを設定してMSn分析を行うことにより得られたMSnスペクトルデータにおいて、前記プリカーサイオンの質量電荷比と想定されるプロダクトイオンの質量電荷比との間にイオンピークが観測されるか否かを調べるピーク判定ステップと、
b)プリカーサイオンの質量電荷比と想定されるプロダクトイオンの質量電荷比との間にイオンピークが観測された場合に、前記選択条件を変更した上で該条件の下に選択されたプリカーサイオンを設定して目的試料に対するMSn分析を再度実行する再分析実行ステップと、
を有することを特徴としている。
【0009】
また第2発明に係る質量分析装置は、第1発明に係る質量分析方法を実施するための装置であって、試料をイオン化するイオン源と、該イオン源で生成された各種イオンの中で又は後記開裂手段により生成された各種プロダクトイオンの中で特定の質量電荷比のイオンをプリカーサイオンとして選択するイオン選択手段と、該イオン選択手段で選択されたプリカーサイオンを開裂させてプロダクトイオンを生成する開裂手段と、前記イオン源で生成された各種イオン又は前記開裂手段により生成されたプロダクトイオンを質量分析する質量分離手段及び検出器と、を具備し、MSn-1分析(nは2以上の整数)で得られるMSn-1スペクトルデータに基づいてプリカーサイオンを決定し、該プリカーサイオンを開裂させてMSn分析を行う質量分析装置において、
a)目的試料について取得されたMSn-1スペクトルに対し所定の選択条件の下で選択されたプリカーサイオンを設定してMSn分析を行うことにより得られたMSnスペクトルデータにおいて、前記プリカーサイオンの質量電荷比と想定されるプロダクトイオンの質量電荷比との間にイオンピークが観測されるか否かを調べるピーク判定手段と、
b)プリカーサイオンの質量電荷比と想定されるプロダクトイオンの質量電荷比との間にイオンピークが観測された場合に、前記選択条件を変更した上で該条件の下に選択されたプリカーサイオンを設定して目的試料に対するMSn分析を再度実行するべく前記イオン源、前記イオン選択手段、前記開裂手段、前記質量分離手段及び前記検出器を制御する分析制御手段と、
を備えることを特徴としている。
【0010】
第1発明に係る質量分析方法を実施可能な第2発明に係る質量分析装置は、例えば3次元四重極型イオントラップ若しくはリニア型イオントラップを備える質量分析装置、又は、コリジョンセルを備えた三連四重極型質量分析装置などである。前者の場合、イオントラップがイオン選択手段及び開裂手段の機能を果たし、質量分析手段の質量分離機能をイオントラップに持たせることもできる。後者の場合、コリジョンセルが開裂手段の機能を果たし、コリジョンセルの前段に配置された四重極マスフィルタがイオン選択手段の機能を果たし、コリジョンセルの後段に配置された四重極マスフィルタが質量分離手段の機能を果たす。
【0011】
また第1発明に係る質量分析方法及び第2発明に係る質量分析装置において、プリカーサイオンの選択条件とは、プリカーサイオンとして選択する質量電荷比の範囲を指定するためのものであり、例えば質量電荷比幅と質量電荷比軸上でその幅を設定する位置(例えば質量電荷比の中心値)とすることができる。又は、プリカーサイオンとして選択する質量電荷比の範囲の下限値及び上限値とすることもできる。
【0012】
第1発明に係る質量分析方法及び第2発明に係る質量分析装置において、想定されるプロダクトイオンの質量電荷比は目的試料の種類などよって相違する。例えば試料がタンパク質やペプチド或いは糖鎖である場合には、想定されるプロダクトイオンの質量電荷比とは、プリカーサイオンの質量電荷比から17[Da]を差し引いた値とすることができる。これはペプチド等が一般的に持つアンモニウム基(-NH)が脱離したプロダクトイオンである。また、試料がタンパク質やペプチドである場合には、想定されるプロダクトイオンの質量電荷比とはプリカーサイオンの質量電荷比から57[Da]を差し引いた値とすることもできる。これは最も小さなアミノ酸であるグリシンが脱離したプロダクトイオンである。さらに、試料がタンパク質、ペプチド、糖鎖又は核酸である場合には、想定されるプロダクトイオンの質量電荷比とは、プリカーサイオンの質量電荷比から18[Da]を差し引いた値とすることもできる。これは水分子(−HO)が脱離したプロダクトイオンである。
【0013】
或る選択条件の下でプリカーサイオンを選択したとき、目的化合物のモノアイソトピックイオンピークとその同位体イオンピークのみが選択された場合には、それに対しMSn分析を実行して得られるMSnスペクトルでは、上記想定されるプロダクトイオンの質量電荷比とプリカーサイオンの質量電荷比との間以外にはイオンピークは出現しない筈である。換言すれば、そうしたピークが観測される場合には、選択されたプリカーサイオンの中に目的化合物の同位体ピークではない夾雑ピークが混じっている又は重なっている可能性が高いと考えられる。そこで、第1発明に係る質量分析方法において、ピーク判定ステップはMSnスペクトル上で上記の出現しない筈のイオンピークの有無を調べ、そうしたピークがあった場合には、再分析実行ステップはプリカーサイオンの選択条件を変更し、その変更後の条件の下に選択されたプリカーサイオンを設定して目的試料に対するMSn分析を再度実行する。
【0014】
プリカーサイオン選択条件を変更する目的は、目的化合物のモノアイソトピックイオンピークに対する同位体質量電荷比範囲に混じっている夾雑ピークを排除することであるから、選択条件の変更は選択する質量電荷比の範囲を狭める及び/又はその範囲を低い側に移動させることを意味する。ただし、MSn-1スペクトル上で目的化合物のモノアイソトピックイオンピークの質量電荷比よりも低い側に近接して別のイオンピークが存在している場合には、選択する質量電荷比の範囲を低い側に移動させるとその別のイオンピークが含まれてしまうおそれがある。したがって、目的化合物のモノアイソトピックイオンピークの周囲のピークの密集具合を判断し、それに応じて選択する質量電荷比範囲の移動が可能か否かを判定するとよい。一方、選択する質量電荷比の範囲を狭めた場合、一般にその範囲内のイオンの選択効率は落ちるため、プロダクトイオンの信号強度が低下する。したがって、もともとイオンピークの信号強度があまり高くないような場合には、選択する質量電荷比範囲をあまり狭めずに、該質量電荷比範囲の移動を行うほうがよい。
【発明の効果】
【0015】
上記のようなプリカーサイオン選択条件の変更によってプリカーサイオンから夾雑ピークが排除されれば、MSnスペクトル上に現れるプロダクトイオンが目的化合物由来のもののみとなる。それにより、MSnスペクトルデータを用いたデータベース検索による化合物同定の信頼性を向上させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【図1】本発明の一実施例であるイオントラップ質量分析装置の概略構成図。
【図2】本実施例の質量分析装置におけるプリカーサイオン選択動作を説明するためのマススペクトルを示す図。
【図3】本実施例の質量分析装置におけるプリカーサイオン選択動作を含む質量分析方法の処理手順を示すフローチャート。
【発明を実施するための形態】
【0017】
本発明に係る質量分析装置の一実施例であるイオントラップ質量分析装置について、図1〜図3を参照して説明する。図1は本実施例のイオントラップ質量分析装置の概略構成図である。
【0018】
本実施例のイオントラップ質量分析装置は、目的試料をイオン化するイオン源1と、イオンを一時的に保持し、特定質量電荷比を有するイオンの選別、選別されたイオンの開裂、質量電荷比に応じたイオンの分離などを実行する3次元四重極型のイオントラップ2と、イオントラップ2から排出されたイオンを検出する検出部3と、を備える。
【0019】
イオン源1はMALDI(マトリクス支援レーザ脱離イオン化)イオン源であり、パルス状のレーザ光を出射するレーザ照射部11、目的試料成分を含むサンプルSが付着されたサンプルプレート12、レーザ光の照射によってサンプルSから放出されたイオンを引き出すとともにその引き出し方向を限定するアパーチャ13、引き出されたイオンを案内するイオンレンズ14、などを含む。もちろん、MALDI以外の他のレーザイオン化法やレーザ光を用いないイオン化法を用いても構わない。
【0020】
イオントラップ2は、円環状の1個のリング電極21と、これを挟むように対向して配置された一対のエンドキャップ電極22、24とからなり、これら3個の電極21、22、24で囲まれた空間がイオン捕捉領域となる。入口側エンドキャップ電極22の略中央にはイオン入射口23が穿設され、イオン源1から出射したイオンはイオン入射口23を通過してイオントラップ2内に導入される。一方、出口側エンドキャップ電極24の略中央にはイオン出射口25が穿設され、イオン出射口25を通ってイオントラップ2内から排出されたイオンは検出部3に到達して検出される。
【0021】
検出部3は、イオンを電子に変換するコンバージョンダイノード31と、コンバージョンダイノード31から到来する電子を増倍して検出する二次電子増倍管32とからなり、入射したイオンの量に応じた検出信号をデータ処理部4に送る。データ処理部4は、イオントラップ2において質量分離されつつ順次排出されるイオンに対して検出部3で得られる検出信号に基づいて、マス(MS1)スペクトルを作成する機能を有する。さらに、このデータ処理部4に含まれる本実施例に特徴的なイオンピーク判定部41は、マススペクトルデータから特定のイオンピークの存在を識別する。
【0022】
主電源部6及び補助電源部7は制御部5からの指示に基づいて、イオントラップ2でのイオンの捕捉やイオン選別、質量分離などを行うべく電極21、22、24へ所定の電圧を印加する。各部の動作を制御する制御部5は本実施例に特徴的なプリカーサ選択条件設定部51を含む。プリカーサ選択条件設定部51はプリカーサイオン選択のための条件を設定するものであり、イオンピーク判定部41による判定結果に応じて条件を適宜変更する機能を有する。
【0023】
なお、データ処理部4及び制御部5はパーソナルコンピュータをハードウエアとし、該パーソナルコンピュータに予めインストールされた制御/処理プログラムを実行することにより、その機能が達成されるものとすることができる。
【0024】
次に、本実施例の質量分析装置における特徴的な質量分析動作を図3に従って説明する。ここでは一例として、測定対象の試料がタンパク質のトリプシン消化物、即ち、様々な消化断片(ペプチド)が混在したものであるとする。
【0025】
分析者は試料にマトリクスを混合して調製したサンプルSをサンプルプレート12上に用意し、このサンプルSに対するMS2分析の開始を指示する。この指示を受けて制御部5はまず、通常の質量分析(MS分析)を実行するように各部を制御する。即ち、イオン源1において、レーザ照射部11から短時間レーザ光を出射しサンプルSに当てる。レーザ光照射によりサンプルS中のマトリクスは急速に加熱され、目的成分を伴って気化する。この際に目的成分はイオン化される。発生したイオンはイオンレンズ14により形成される静電場によって収束され、イオン入射口23を経てイオントラップ2内に導入され、一旦捕捉される。その後、主電源部6及び補助電源部7から各電極21、22、24に印加する電圧を適宜走査することにより、捕捉されているイオンを質量電荷比の順に共鳴励起させてイオン出射口25を通して排出する。データ処理部4はこのときに検出部3から出力される検出信号に基づいてマススペクトルを作成する(ステップS1)。
【0026】
マススペクトルが取得されると、制御部5は、プリカーサ選択条件設定部51により設定される条件に従ってマススペクトルからプリカーサイオンを選択する(ステップS2)。例えば、マススペクトル中の多数のピークの中で信号強度の大きいピークを選択し、該ピークを含む近傍の複数のピークが同位体ピーククラスタを構成すると仮定し、それらピークの信号強度の比に基づいて同位体ピーククラスタである可能性をチェックする。同位体ピーククラスタである可能性が高いと判定されると、予め定められた中心質量電荷比Mc及び質量電荷比幅ΔMを持つ選択窓を設定し、該選択窓内に存在するピークを一組の同位体ピーククラスタであるとみなしてプリカーサイオンとして抽出する。
【0027】
次に、制御部5は各部を制御することにより、上記のように選択されたプリカーサイオン(クラスタ)を分析条件としたMS2分析を実行し、MS2スペクトルを取得する(ステップS3)。即ち、MS分析時と同様にイオントラップ2内にサンプルS由来のイオンを保持した後、電極21、22、24に所定の電圧を印加することで、プリカーサイオン(クラスタ)のみをイオントラップ2内に選択的に残す。そして、図示しないガス源からイオントラップ2内にCID(衝突誘起解離)ガスを導入し、さらにプリカーサイオンを共鳴励振させることにより該イオンをCIDガスに衝突させて開裂を促す。そうして生成されたプロダクトイオンを質量電荷比の順に共鳴励起させてイオン出射口25を通して排出し、データ処理部4はこのときに検出部3から出力される検出信号に基づいてMS2スペクトルを作成する。
【0028】
次いでデータ処理部4においてイオンピーク判定部41が、MS2スペクトル上でプリカーサイオンピークとそのプリカーサイオンピークの質量電荷比Mpから57[Da]を差し引いた間の範囲Xに何らかのイオンピークがあるか否かを判定する(ステップS4、S5)。このときのプリカーサイオンピークとは同位体ピーククラスタ中で質量電荷比が最小であるモノアイソトピックイオンピークとすればよい。また、57[Da]という質量電荷比差は最も小さなアミノ酸であるグリシンに相当する。即ち、タンパク質やペプチドを分析対象とした場合、Mp−57[Da]の位置にはプロダクトイオンピークが現れることは当然予想される(当然のことながら、必ずしも現れるとは限らない)。そこで、この位置をプロダクトイオンピークが現れる上限として定めている。
【0029】
上記質量電荷比範囲Xにイオンピークが存在しない場合には、プリカーサイオンクラスタは単一化合物由来のイオンピークからなるものと推測できる。したがって、ステップS5からS11へと進み、取得されたMS2スペクトルデータからプロダクトイオンのピークリストを作成し(ステップS11)、そのピークリストをタンパク質同定用データベースに照らしてMS/MSイオンサーチを実行し、元の単一化合物のペプチドを同定する(ステップS12)。
【0030】
ステップS5で質量電荷比範囲Xにイオンピークがあると判定された場合には、次にそのイオンピークの質量電荷比がMp−17[Da]又はMp−18[Da]であるか否かを判定する(ステップS6)。17[Da]という質量電荷比差はアンモニウム基(−NH)に相当し、18[Da]という質量電荷比差は水分子(−HO)に相当するものであり、これらはプリカーサイオンから容易に脱離する。したがって、質量電荷比範囲X内であっても、Mp−17[Da]又はMp−18[Da]の位置に存在するイオンピークは夾雑物由来ではなく、目的化合物由来のものであると推測できる。そこで、これらの位置にピークが存在してもこれは無視し、ステップS6からS11へと進んで、上述した処理を遂行する。
【0031】
これに対し、ステップS5で質量電荷比範囲Xにあると判定されたイオンピークが、Mp−17[Da]、Mp−18[Da]の位置でない場合(ステップS6でNo)には、このイオンピークは目的化合物由来のプリカーサイオンから生成されたものでない可能性が高い。即ち、選択されたプリカーサイオンクラスタ中に別の化合物、つまり夾雑物に由来するイオンが混じっている可能性が高い。そこで、このようなイオンピーク判定結果を受けた制御部5は、まずプリカーサ選択条件を変更した再分析を所定回数実行したか否かを判定し(ステップS7)、未だ再分析を所定回数実行していなければ、プリカーサ選択条件設定部51が、プリカーサ選択条件、つまり上記選択窓の幅と位置との両方又は一方を変更する(ステップS8)。そして、ステップS2に戻り、MS2分析を再度実行する。
【0032】
例えば図2の例では、当初設定した選択窓(中心質量電荷比Mc、幅ΔM)内に目的化合物由来の同位体ピーク以外に夾雑物由来のピークが重畳していると(図2(a)参照)、MS2スペクトル上で質量電荷比範囲X内に異常ピークが観測される場合がある(図2(b)参照)。このような異常ピークが観測された場合、選択窓を変更するが、図2(c)に示すように適切に選択窓(中心質量電荷比Mc’、質量電荷比幅ΔM’)が変更されれば、夾雑ピークがプリカーサイオンクラスタから除外されるので、目的化合物由来のプロダクトイオンピークのみが現れるMS2スペクトルを取得することが可能となる。
【0033】
プリカーサイオンを選択する際に、質量電荷比が最も小さなモノアイソトピックイオンピークを外すことはできないから、実際上、選択窓の変更は、質量電荷比幅を狭める、又は、中心質量電荷比を低質量電荷比側にずらす、のいずれか一方、又は両方である。質量電荷比幅を狭めると、夾雑ピークを除外できる可能性は高まるが、選択されるイオンの信号強度が低下する。これは、イオントラップ2におけるイオン選択の性能限界によるもので、選択窓の質量電荷比幅を狭めるほどその選択窓内の質量電荷比を持つイオンの損失も大きくなることによる。したがって、質量電荷比幅には下限があり、特にマススペクトル上でのイオンピークの強度が比較的低い場合にはその下限を上げることが好ましい。
【0034】
一方、中心質量電荷比を下げることで選択窓の位置をずらすと、高質量電荷比側に重畳している夾雑ピークを除外できる可能性は高まる。しかしながら、低質量電荷比側に近接して別のイオンピークが存在している場合には、そのイオンピークが選択窓に掛かることを避ける必要がある。こうしたことから、例えば、モノアイソトピックイオンピークから低質量電荷比側のピークの近接具合を判断し、その近接ピークに選択窓が掛からない範囲で中心質量電荷比を下方向にずらし、そのずらしでは不十分な場合に質量電荷比幅を狭めるようにするとよい。
【0035】
ただし、夾雑ピークの重なり状況によっては、選択窓の位置や幅を許容範囲で最大限変更しても夾雑ピークを除外できない場合がある。その場合、所定回数MS2分析を再試行しても質量電荷比範囲Xに異常ピークが検出されるから、そのときにはステップS7でYesと判定されてステップS9へと進む。この場合には、そのプリカーサイオンの選択をあきらめ、選択したピークをプリカーサイオンピークリストから除外する(ステップS9)。そして、別のプリカーサイオンを選択したMS2分析の実行の要否を判定し(ステップS10)、実行の必要があればステップS2へと戻り、実行の必要がなければ処理を終了する。
【0036】
以上のようにして、本実施例によるイオントラップ質量分析装置では、MS2スペクトル上で観測されるイオンピークに、目的化合物に由来しないイオンピークが混入することを回避することができる。それによって、MS/MSイオンサーチの際の同定精度が向上する。
【0037】
なお、上記実施例では、試料がペプチド混合物であるため、ステップS4、S5でプリカーサイオンピークとMp−57[Da]との間のイオンピークの有無を調べるようにしていたが、試料が糖鎖や核酸である場合には、ステップS4、S5でプリカーサイオンピークとMp−18[Da]との間のイオンピークの有無を調べるようにすればよい。
【0038】
また上記説明では、本発明に係る質量分析方法をMSスペクトルからプリカーサイオンを選択してMS2分析を行う際に適用していたが、2以上の任意のnについて、MSn-1スペクトルからプリカーサイオンを選択してMSn分析を行う際に適用可能であることは明白である。
【0039】
なお、上記実施例は本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜、変形、追加、修正を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【符号の説明】
【0040】
1…イオン源
11…レーザ照射部
12…サンプルプレート
13…アパーチャ
14…イオンレンズ
2…イオントラップ
21…リング電極
22…入口側エンドキャップ電極
23…イオン入射口
24…出口側エンドキャップ電極
25…イオン出射口
3…検出部
31…コンバージョンダイノード
32…二次電子増倍管
4…データ処理部
41…イオンピーク判定部
5…制御部
51…プリカーサ選択条件設定部
6…主電源部
7…補助電源部
S…サンプル

【特許請求の範囲】
【請求項1】
MSn-1分析(nは2以上の整数)で得られるMSn-1スペクトルデータに基づいてプリカーサイオンを決定し、該プリカーサイオンを開裂させてMSn分析を行う質量分析方法であって、
a)目的試料について取得されたMSn-1スペクトルに対し所定の選択条件の下で選択されたプリカーサイオンを設定してMSn分析を行うことにより得られたMSnスペクトルデータにおいて、前記プリカーサイオンの質量電荷比と想定されるプロダクトイオンの質量電荷比との間にイオンピークが観測されるか否かを調べるピーク判定ステップと、
b)プリカーサイオンの質量電荷比と想定されるプロダクトイオンの質量電荷比との間にイオンピークが観測された場合に、前記選択条件を変更した上で該条件の下に選択されたプリカーサイオンを設定して目的試料に対するMSn分析を再度実行する再分析実行ステップと、
を有することを特徴とする質量分析方法。
【請求項2】
試料をイオン化するイオン源と、該イオン源で生成された各種イオンの中で又は後記開裂手段により生成された各種プロダクトイオンの中で特定の質量電荷比のイオンをプリカーサイオンとして選択するイオン選択手段と、該イオン選択手段で選択されたプリカーサイオンを開裂させてプロダクトイオンを生成する開裂手段と、前記イオン源で生成された各種イオン又は前記開裂手段により生成されたプロダクトイオンを質量分析する質量分離手段及び検出器と、を具備し、MSn-1分析(nは2以上の整数)で得られるMSn-1スペクトルデータに基づいてプリカーサイオンを決定し、該プリカーサイオンを開裂させてMSn分析を行う質量分析装置において、
a)目的試料について取得されたMSn-1スペクトルに対し所定の選択条件の下で選択されたプリカーサイオンを設定してMSn分析を行うことにより得られたMSnスペクトルデータにおいて、前記プリカーサイオンの質量電荷比と想定されるプロダクトイオンの質量電荷比との間にイオンピークが観測されるか否かを調べるピーク判定手段と、
b)プリカーサイオンの質量電荷比と想定されるプロダクトイオンの質量電荷比との間にイオンピークが観測された場合に、前記選択条件を変更した上で該条件の下に選択されたプリカーサイオンを設定して目的試料に対するMSn分析を再度実行するべく前記イオン源、前記イオン選択手段、前記開裂手段、前記質量分離手段及び前記検出器を制御する分析制御手段と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項3】
請求項2に記載の質量分析装置であって、前記イオン源としてMALDIイオン源を用いることを特徴とする質量分析装置。
【請求項4】
請求項2に記載の質量分析装置であって、分析対象物質がタンパク質、ペプチド又は糖鎖である場合に、前記想定されるプロダクトイオンの質量電荷比がプリカーサイオンの質量電荷比から17[Da]を差し引いた値であることを特徴とする質量分析装置。
【請求項5】
請求項2に記載の質量分析装置であって、分析対象物質がタンパク質又はペプチドである場合に、前記想定されるプロダクトイオンの質量電荷比がプリカーサイオンの質量電荷比から57[Da]を差し引いた値であることを特徴とする質量分析装置。
【請求項6】
請求項2に記載の質量分析装置であって、分析対象物質がタンパク質、ペプチド、糖鎖又は核酸である場合に、前記想定されるプロダクトイオンの質量電荷比がプリカーサイオンの質量電荷比から18[Da]を差し引いた値であることを特徴とする質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2012−122871(P2012−122871A)
【公開日】平成24年6月28日(2012.6.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−274370(P2010−274370)
【出願日】平成22年12月9日(2010.12.9)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】