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質量分析法
説明

質量分析法

【課題】本発明の目的は、微量試料においてもMSn(n>1)解析を可能にするとともに、MSn(n>1)解析によって分子中の標識化合物の結合位置を同定することによって簡便、迅速に構造情報を得る方法を提供することである。
【解決手段】本発明においては、分子を安定に分子上の特定の部分に標識することによって、容易にイオンを生成、安定化させ、MSの感度を向上させる。このようにして生じたプリカーサーイオンは、MSn(n>1)解析に十分量であり、再現性よく構造特異的なイオンを生成させる。高感度で、簡便、迅速に構造情報を得ることができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、分子の質量分析法、該方法によって得られるスペクトル、該スペクトルから得られる情報、および該情報を集積したデータ集積体に関する。
【背景技術】
【0002】
「質量分析法」とは、分子を含む試料をイオン化し、イオン化した分子を質量/電荷(m/z)に従って分離し検出することによって構造情報を得る方法である。
【0003】
糖、糖鎖、タンパク質(ペプチドを含む)、糖などによる修飾を含むタンパク質(糖などによる修飾を含むペプチドを含む)、核酸、糖脂質などの分子は、分子量および組成が同一の構造異性体が存在するので、質量分析装置による分子量を知るための分子イオンの検出のみでは詳細な構造情報が得られない。
【0004】
そこで、MSn(n>1)解析を行う。「MSn(n>1)解析」とは、生体分子をイオン化したのち、プリカーサーイオンを選択して、post source decay(PSD), in source decay(ISD) およびタンデムマスなどによって生じたプロダクトイオンを検出すること、あるいは、生じたプロダクトイオンの中からプリカーサーイオンを選択して、同様の測定を繰り返すことによって、分子の構造情報を得る分析法である。
【0005】
MSn(n>1)解析を行うためには、プリカーサーイオンとなる親イオン([M+Na]+、[M+H]+、[M−H]-など)が十分に生成する必要がある。しかしながら、前述のような生体試料由来の分子はそのままではイオン化されにくく、十分な量の親イオンを得ることが難しい。たとえば、糖鎖をそのままマトリクス支援レーザー脱離イオン化−飛行時間型質量分析法(MALDI−TOF MS)で解析しようとすると10pmol以上を要する。この問題に対して、1−ピレンブタン酸ヒドラジド(1-pyrenebutanoic acid, hydrazide; PBH)を用いて糖鎖を標識する方法が提案されている(たとえば、非特許文献1参照)。しかしながら、該方法で標識された糖鎖のMALDI−TOF MSによる解析では、非標識糖に比較して検出限界の低下(すなわちMSの感度の改善)が認められたものの、生体試料をMSn(n>1)解析に適用するのに必要とされるサブpmolレベルにおける親イオンの生成は、未だ不十分であるのが現状である。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】Sugahara, D. et al., Anal. Sci., 19, 167-169 (2003)
【非特許文献2】Harvey, D.J., J. Mass Spectrom., 40, 642-653 (2005)
【非特許文献3】Harvey, D.J., J. Am. Soc. Mass. Spectrom., 16, 647-659 (2005)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明の目的は、分子を標識することによって、イオン化の促進および生成イオンの安定化によって、より微量な試料レベルにおいても十分な量の親イオンを生成させ、同時にMSの感度を向上させて、微量試料においてもMSn(n>1)解析を可能にすることである。本発明のさらなる目的は、前述の方法によるMSn(n>1)解析によって、分子中の標識化合物の結合位置を同定し、分析試料の構造情報をより簡便かつ迅速に得る方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者は、分子を安定に分子上の特定の部分に標識することによって、イオン化効率の向上および生成したイオンの安定化を実現して、MSの感度を向上させることを見いだした。このようにして生じたプリカーサーイオンは、MSn(n>1)解析に十分量であり、再現性よく構造特異的なイオンを生成させることも見いだし、高感度で、簡便、迅速に構造情報を得る方法を完成させた。
【0009】
すなわち、
1. 縮合多環炭化水素を有する標識化合物を分子と結合させて標識された分子を形成する工程と、該標識された分子のMSn(n>1)解析を行う工程とを備えたことを特徴とする分子の質量分析法;
2. 標識化合物がピレン誘導体化合物であることを特徴とする1.に記載の質量分析法;
3. 糖鎖である分子の質量分析法であって、(1)該分子の還元末端をヒドラジド基またはアミノ基を有するピレン誘導体化合物で標識して、標識化中間体を得る工程と、(2)標識化中間体を還元して、還元標識された分子を得る工程と、(3)該還元標識された分子のMSn(n>1)解析を行う工程とを備えたことを特徴とする分子の質量分析法;
4. 糖鎖または糖タンパク質である分子の質量分析法であって、(1)該分子中の糖鎖部分のみを酸化して、酸化生成物を得る工程と、(2)酸化生成物をヒドラジド基またはアミノ基を有するピレン誘導体化合物で標識して、標識化中間体を得る工程と、(3)標識化中間体を還元して、還元標識された分子を得る工程と、(4)該還元標識された分子のMSn(n>1)解析を行う工程とを備えたことを特徴とする分子の質量分析法;
5. タンパク質または糖タンパク質である分子の質量分析法であって、(1)該分子内のカルボキシ基またはアミノ基を利用して、該分子をピレン誘導体化合物で標識し、標識された分子を得る工程と、(2)該標識された分子のMSn(n>1)解析を行う工程とを備えたことを特徴とする分子の質量分析法
6. 1.から5.のいずれかに記載の質量分析法によって得られるスペクトル;
7. 6.に記載のスペクトルから得られる情報;および
8. 7.に記載の情報を集積したデータ集積体
である。
【発明の効果】
【0010】
本発明によると、分子に縮合多環炭化水素を有する化合物を結合させることによってイオン化効率を向上させ、同時にMSの感度を向上させることによって、分子のMSn(n>1)解析を容易にし、信頼性の高い構造情報を得ることができる。また、本発明によると、糖鎖の構造情報と同時に、糖鎖のペプチド上の結合位置が明確になり、糖タンパク質の機能解明や病態の解明に有用な情報を得る方法を提供できる。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【図1A】図1Aは実施例2において還元標識されたLNF−Iから得られたpositive-ion MALDI−TOF MSスペクトルを示す図である。
【図1B】図1Bは実施例2において還元標識されたLNF−IIから得られたpositive-ion MALDI−TOF MSスペクトルを示す図である。
【図2A】図2Aは実施例2において還元標識されたLNF−Iの親イオン[M+Na]+から得られたPSD−MS/MSスペクトルを示す図である。
【図2B】図2Bは実施例2において還元標識されたLNF−IIの親イオン[M+Na]+から得られたPSD−MS/MSスペクトルを示す図である。
【図3A】図3Aは実施例3において還元標識されたLNF−Iの親イオン[M+H]+から得られたESI−MS/MSスペクトルを示す図である。
【図3B】図3Bは実施例3において還元標識されたLNF−IIの親イオン[M+H]+から得られたESI−MS/MSスペクトルを示す図である。
【図4】図4は実施例4にて得られた、化合物(3)のフラグメント位置およびnegative-ion MALDI−TOF MS/MSスペクトルを示す図である。
【図5】図5は実施例4にて得られた、化合物(4)のフラグメント位置およびnegative-ion MALDI−TOF MS/MSスペクトルを示す図である。
【図6】図6は実施例4にて得られた、化合物(5)のフラグメント位置およびnegative-ion MALDI−TOF MS/MSスペクトルを示す図である。
【図7】図7は実施例5にて得られた、化合物(6)のフラグメント位置およびnegative-ion MALDI−TOF MS/MSスペクトルを示す図である。
【図8】図8は実施例5にて得られた、化合物(6)のnegative-ion MALDI−TOF MS/MS分析により得られたm/z=1138のプリカーサーイオンのフラグメント位置およびnegative-ion MALDI−TOF MS3スペクトルを示す図である。
【図9】図9は実施例6にて得られた、非還元末端を還元標識された化合物(1)のフラグメント位置およびnegative-ion MALDI−TOF MS/MSスペクトルを示す図である。
【図10】図10は実施例6にて得られた、非還元末端を還元標識された化合物(2)のフラグメント位置およびnegative-ion MALDI−TOF MS/MSスペクトルを示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明では、試料中の分子を縮合多環炭化水素を有する化合物で標識し、その後に標識した分子のMSn(n>1)解析を行う。これらの工程について詳述する。
【0013】
(1)分子の標識
「分子」とは、糖、糖鎖、タンパク質、核酸、複合糖質(糖タンパク質、糖脂質など)などであって、天然から調製する他、化学的または酵素学的に調製するものを含む。なお、本発明における用語「タンパク質」はペプチドを含み、本発明における用語「糖タンパク質」は糖ペプチドを含む。また、生体に含まれる分子の部分構造を有するものや生体に含まれる分子を模倣して作製されたものを含む。
【0014】
糖、糖鎖、または複合糖質から化学的あるいは酵素学的に遊離して得た糖鎖(以下糖鎖とする)は、還元末端にある糖のアルデヒド基と、アミノ基あるいはヒドラジド基(−CONHNH2)などを有する縮合多環炭化水素誘導体である標識化合物とを縮合反応させて標識化中間体を形成し、次いで該標識化中間体を還元することによって還元標識された分子を与える。縮合反応は、通常、メタノールまたはDMSOなどの有機溶媒中で、触媒としての酢酸などの存在下または非存在下において、糖鎖と標識化合物とを加温して行う。その後、NaCNBH3、NaBH4などの還元剤を加えて、加温または室温で還元反応を行う。あるいはまた、縮合反応溶液中に始めから還元剤を共存させる場合もある。還元末端の糖のアルデヒド基とPBHとを縮合させることにより標識する従来法では、[M+Na]+あるいは[M−H]-などの親イオンの安定性が低く感度が劣っていたが、本発明により、還元反応をさらに行うことで親イオンが多く生成し十分な感度を得ることが見いだされた。
【0015】
また、糖、糖鎖または複合糖質の中でもシアル酸を含むものについては、アミノ基、ヒドラジド基、ジアゾメチル基などを有する縮合多環炭化水素誘導体を標識化合物として用いて、シアル酸のカルボキシ基と、標識化合物のアミノ基、ヒドラジド基、ジアゾメチル基などとを反応させることによって標識できる。この反応は、例えば、水溶性カルボジイミドおよびN−ヒドロキシスルホスクシンイミド存在下で行う。
【0016】
さらに、シアル酸を含む糖、糖鎖、または複合糖質は、シアル酸のC7-9位のみを選択的に過ヨウ素酸酸化してアルデヒド基を生じさせることができる。シアル酸のC7-9位の選択的酸化は、5mMのNaIO4水溶液中で0℃、10〜20分間にわたり反応させることによって実施することができる。アミノ基あるいはヒドラジド基などを有する縮合多環炭化水素誘導体である標識化合物を用いて、上記の選択的酸化により生じたアルデヒド基と、標識化合物のアミノ基あるいはヒドラジド基を前述のように縮合反応させて標識化中間体を形成し、次いで該標識化中間体を還元することによって還元標識された分子を得ることができる。
【0017】
あるいは、多くの糖、糖鎖、または複合糖質は、非還元末端にガラクトースを含む。その非還元末端のガラクトースを特異的にガラクトースオキシダーゼによってC6位を酸化しアルデヒド基を生じさせることができる。酵素反応は、たとえば、中性の緩衝液中で、室温、2時間で行うことができる。アミノ基あるいはヒドラジド基などを有する縮合多環炭化水素誘導体である標識化合物を用いて、上記の酵素的酸化により生じたアルデヒド基と、標識化合物のアミノ基あるいはヒドラジド基を前述のように縮合反応させて標識化中間体を形成し、次いで該標識化中間体を還元することによって還元標識された分子を得ることができる。
【0018】
シアル酸やガラクトースに標識を行うこれらの方法を、糖タンパク質(糖ペプチドを含む)分子上のシアル酸やガラクトースに適用することが可能である。その場合、糖タンパク質分子を標識できるので、該分子のイオン化効率が高くなり、MSが高感度になる。また、本発明は糖鎖を遊離することなく、分子上の糖鎖を標識することができるので、糖鎖を含むタンパク質のMSn(n>1)解析により、タンパク質のペプチド鎖上の糖鎖結合位置が特定できる。さらに、標識された糖鎖部分のMSn(n>1)解析により、糖鎖構造情報を得ることができる。糖タンパク質の機能を解明する上で、糖鎖がペプチド鎖上のどこの位置に、どのような構造を有して、付加しているのかを明らかにすることは極めて重要である。さらに、多くの場合、複数の異なる構造の糖鎖がペプチド鎖の複数の結合位置に結合しているので、糖鎖の位置と構造の対応を明確にする必要がある。本発明によってこれらの情報を得ることが可能になる。
【0019】
タンパク質(ペプチドを含む)および糖タンパク質(糖ペプチドを含む)は、その中に含まれるカルボキシ基、アミノ基、またはSH基を用いて標識することができる。カルボキシ基を用いて標識する場合には、アミノ基、ヒドラジド基、ジアゾメチル基などを有する縮合多環炭化水素誘導体を標識化合物として用い、それらの基と、タンパク質または糖タンパク質中のカルボキシ基とを反応させることによって標識された分子を得ることができる。一方、アミノ基を用いて標識する場合には、スクシニミジルエステル基、塩化スルホニル基などを有する縮合多環炭化水素誘導体を標識化合物として用い、それらの基と、タンパク質または糖タンパク質中のアミノ基とを反応させることによって標識された分子を得ることができる。さらに、タンパク質または糖タンパク質に含まれるシステイン残基のSH基を用いて標識する場合には、ヨード基(−I)などを有する縮合多環炭化水素誘導体を標識化合物として用い、それらの基と、タンパク質または糖タンパク質中のSH基とを反応させることによって標識された分子を得ることができる。
【0020】
(2)標識化合物
標識化合物は、縮合多環炭化水素誘導体である。「縮合多環炭化水素誘導体」とは、ナフタレン、アントラセン、ピレンなどの縮合多環炭化水素部分と、分析対象の分子と結合することが可能である反応性官能基と、必要に応じて該ピレン環と該反応性官能基とを連結するスぺーサー部分とを有する化合物をいう。
【0021】
本発明で用いる標識化合物は、好ましくはピレン誘導体化合物である。「ピレン誘導体化合物」とは、ピレン環と、分析対象の分子に結合することが可能である反応性官能基と、必要に応じて該ピレン環と該反応性官能基とを連結するスペーサ部分とを有する化合物をいう。具体的には、1−ピレンブタン酸ヒドラジド(1-pyrenebutanoic acid, hydrazide; PBH)、1−ピレン酢酸ヒドラジド(1-pyreneacetic acid, hydrazide)、1−ピレンプロピオン酸ヒドラジド(1-pyrenepropionic acid, hydrazide)、1−ピレン酢酸スクシニミジルエステル(1-pyreneacetic acid, succinimidyl ester)、1−ピレンプロピオン酸スクシニミジルエステル(1-pyrenepropionic acid, succinimidyl ester)、1−ピレンブタン酸スクシニミジルエステル(1-pyrenebutanoic acid, succinimidyl ester)、N−(1−ピレンブタノイル)システイン酸スクシニミジルエステル(N-(1-pyrenebutanoyl)cysteic acid, succinimidyl ester)、N−(1−ピレン)ヨードアセトアミド(N-(1-pyrene) iodoacetamide)、N−(1−ピレン)ヨードマレイミド(N-(1-pyrene) maleimide)、N−(1−ピレンメチル)ヨードアセトアミド(N-(1-pyrenemethyl) iodoacetamide)、1−ピレンメチルヨードアセテート(1-pyrenemethyl iodoacetate)、アミノピレン(aminopyrene)、1−ピレンメチルアミン(1-pyrenemethyl amine)、1−ピレンプロピルアミン(3-(1-pyrenyl)propylamine)、1−ピレンブチルアミン(4-(1-pyrenyl)butylamine)、1−ピレンスルホン酸クロリド(1-pyrenesulfonyl chloride)などが挙げられる。好ましくは、PBHである。
【0022】
(3)質量分析法
「質量分析法」とは、マトリクス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)法、レーザー脱離(LD)法、高速電子衝撃(FAB)法、エレクトロスプレーイオン化(ESI)法、大気圧化学(APCI)法などのイオン化方法によって分子を含む試料をイオン化し、次いで、飛行時間法(タイムオブフライト法、TOF法)、二重収束法、四重極集束法などを用いて、イオン化した分子を質量/電荷比(m/z)に従って分離し検出する方法である。
【0023】
MALDI法においては、縮合多環炭化水素が分子に結合していることで、イオン化効率があがるが、還元標識によって、さらに分子イオンが安定になる。
【0024】
また、ESI法においては、試料溶液が容易に気化される必要がある。糖、糖鎖、タンパク質、糖タンパク質などの物質は、親水性が高く、有機溶媒を含有する溶液に溶かすことは困難であるが、縮合多環炭化水素誘導体を標識することによって、標識された物質が有機溶媒に可溶性となり、それらに対してESI法を適用できるようになる。
【0025】
本発明においてイオン化法は限定されないが、好ましくは、ESI法、またはMALDI法であり、より好ましくは、MALDI法である。
【0026】
糖、糖鎖、タンパク質、糖など修飾を含むタンパク質、核酸、糖脂質などの分子は、分子量および組成が同一の構造異性体が存在するので、縮合多環炭化水素誘導体による標識化後、プリカーサーイオンの生成を高めて、MSn(n>1)解析を行い、異性体に特異的なイオンを生成して構造情報を得ることができる。糖ペプチドや糖タンパク質の糖鎖部分に標識した分子をMSn(n>1)解析する場合、標識を含むプロダクトイオンを選択することによって、分子中の糖鎖結合位置を決定することができる。
【0027】
以上に記載された本発明の質量分析法によって得られるスペクトルは、糖、糖鎖、タンパク質、糖など修飾を含むタンパク質、核酸、糖脂質などの分子の構造を特定する上で油溶である。また、該スペクトルから得られる糖鎖部分の構造情報および該糖鎖部分の分子内結合位置のような情報は、当該分子の機能解明あるいは当該分子が関与する病態の解明に有用な情報を得る方法を提供する。したがって、本発明の質量分析法によって得られるスペクトルから得られる情報を集積したデータ集積体は、集積された情報の照会を行うコンピュータシステムおよび本発明の質量分析法と組み合わせることによって、広範な構造未知の分子の構造の特定、機能の解明および当該分子が関与する病態の解明に有用な情報を提供することができる。
【実施例】
【0028】
(実施例1) 糖鎖の標識
それぞれ血液型抗原HまたはLeaを有し、互いに分子量および組成式が同一で構造異性体の関係にある糖鎖であるラクト−N−フコペンタオースI(lacto-N-fucopentaose I、LNF−I、式(1)の化合物)およびラクト−N−フコペンタオースII(lacto-N-fucopentaose II、LNF−II、式(2)の化合物)をピレン誘導体化合物(PBH)で標識し、次いで還元して還元標識糖を得た。
【0029】
【化1】

【0030】
【化2】

【0031】
(式中、Gal、Glc、FucおよびGlcNAcは、それぞれはガラクトース、グルコース、フコースおよびN−アセチルグルコサミンを示す。)
【0032】
具体的には、糖1nmolをねじふた付きガラス反応管に加え乾固させた。500nmolのPBHをメタノール20μLに溶解して反応管に加え、さらにメタノールで希釈した酢酸(酢酸:メタノール=1:8,v/v)2μLを加えてふたを完全に閉めた。よく撹拌後、80℃で20分間加熱し、1MのNaOH水溶液加えて中和した。1.7MのNaBH4溶液30μLを加えて40℃で30分間反応させ、さらに1.7MのNaBH4溶液10μLを加えて40℃で30分間反応させた。純水400μLおよびクロロホルム400μLを加えてよく振った後静置した。下層のクロロホルムを捨て、新しいクロロホルム400μLを加えてもう一度抽出した。上層を取り乾固させた。Sep−pak C18カートリッジをメタノール、続いて純水で洗浄し、乾固した反応物を純水に溶解してカートリッジに通した。純水でカートリッジを洗浄し、次に、アセトニトリル−純水(アセトニトリル:水=6:4,v/v)で溶出することによって、PBHで標識され還元されたLNF−IおよびLNF−II(以後、それぞれ、還元標識LNF−Iおよび還元標識LNF−IIと称する)を得た。得られた還元標識LNF−Iおよび還元標識LNF−IIは、遮光して−30℃において保存した。
【0033】
(実施例2)
実施例1で得られた還元標識LNF−Iおよび還元標識LNF−IIのそれぞれを純水に溶解し、それら還元標識糖1pmolをMALDIターゲットプレートに塗布した。2,5−ジヒドロキシ安息香酸(DHBA)を40%アセトニトリル−純水に溶解させたマトリクス溶液を、ターゲットプレート上の標識糖溶液と混合し、そして乾固した。MALDI−TOF MS装置(Axima−CFR plus(Shimadzu/Kratos))を用いてMS分析を行った。図1Aに還元標識LNF−Iから得られたスペクトルを示し、図1Bに還元標識LNF−IIから得られたスペクトルを示す。図1Aおよび図1Bから分かるように、いずれの還元標識糖からもm/z=1162.5である[M+Na]+が十分量検出された。
【0034】
次いで、上記で得られた親イオンをプリカーサーイオンとしてPSD−MS/MS(すなわちMS2)分析を行った。図2Aに還元標識LNF−I親イオンから得られたスペクトルを示し、図2Bに還元標識LNF−II親イオンから得られたスペクトルを示す。図2Aおよび図2Bから分かるように、還元標識LNF−IIからのみm/z=1000のイオン(図2Bにおいて、矢印を付して示したピーク)が検出され、還元標識LNF−Iからは当該イオンは検出されなかった。すなわち、この構造特異的に生成したイオンによって、還元標識LNF−Iおよび還元標識LNF−IIの両異性体を区別することができた。
【0035】
(実施例3)
LCポンプに接続したESI−MS装置LCQ(Thermo Electron)を用いて、実施例1で得られた還元標識LNF−Iおよび還元標識LNF−IIのそれぞれのMS分析を行った。還元標識LNF−Iおよび還元標識LNF−IIのそれぞれは、50%アセトニトリル−純水に溶解させて1pmol/mLの溶液とし、該溶液の1mLをESI−MS装置に注入した。また、移動相として、0.1%TFAを含む純水/90%アセトニトリル−純水(50/50)を用い、移動相の流速は、3mL/minであった。
【0036】
上記のMS分析で得られたm/z=1140.5の親イオン[M+H]+をプリカーサーイオンとして選択し、MS/MS測定を行った。図3Aに還元標識LNF−I親イオンから得られたスペクトルを示し、図3Bに還元標識LNF−II親イオンから得られたスペクトルを示す。図3Aおよび図3Bから分かるように、還元標識LNF−IIのみから特異的に、m/z=978のイオン(図3Bにおいて、矢印を付して示したピーク)が検出され、両異性体を区別することができた。
【0037】
(比較例1)
LNF−IおよびLNF−IIのそれぞれについて、還元剤NaBH4による還元を行わなかったことを除いて実施例1の手順を繰り返して、PBHで標識された標識LNF−Iおよび標識LNF−IIを得た。標識LNF−Iおよび標識LNF−IIのそれぞれを、実施例2に記載の手順に従ってMALDI−TOF MS分析を行った。しかしながら、標識LNF−Iおよび標識LNF−IIから得られた親イオンのイオン強度は、還元標識LNF−Iおよび還元標識LNF−IIに比較して1/10以下であったため、MSn(n>1)解析を実施することは困難であった。
【0038】
(実施例4)
以下に示す化合物(3)〜(5)を、実施例1の方法でピレン誘導体化合物(PBH)を用いた還元標識した後に、四重極型イオントラップ(QIT)を装備したMALDI−QIT−TOFMS(Axima−QIT(Shimadzu/Kratos))を用いてnegative-ion MALDI−TOF MS/MS測定を行った。ここで、2段階目のMS測定においては、各化合物の親イオンをプリカーサーイオンとして用いた。
【0039】
【化3】

【0040】
(式中、Manは、マンノースを示す。)
【0041】
図4〜図6に、それぞれ化合物(3)〜(5)のフラグメント位置および得られたスペクトルを示す(これらの図においては、フラグメント位置を明確にするためにグリコシド結合のO原子を明示した。以下の図も同様である)。図4〜6に示されるように、各構造に特徴的なフラグメントイオンである0,442,45、DおよびEのタイプのイオンが生成した。negative-MS/MS測定においてこれらのイオンを検出することは、構造同定に有効である(たとえば、非特許文献2および3参照)。たとえば、非特許文献2においては、2−アミノ安息香酸を用いて還元標識をおこなっているが、0,44イオンのみが検出されている。一方、非特許文献3においては、非標識糖鎖を用いて、2,45、DおよびEイオンが検出されている。それら文献に対して、本発明のピレン誘導体化合物を用いた還元標識方法を用いることによって、より多くの種類の構造特異的なイオンを生成できることが分かった。したがって、本発明の方法は、ピレン誘導体化合物を用いる還元標識によって高感度の検出が可能となる点に加えて、構造同定のためにより多くの情報量が得られる点において、極めて有用である。
【0042】
(実施例5)
以下に示す化合物(6)を、実施例1の方法でPBHを用いた還元標識した後に、MALDI−QIT−TOFMS(Axima−QIT(Shimadzu/Kratos))を用いてnegative-ion MALDI−TOF MS/MS測定を行った。
【0043】
【化4】

【0044】
ここで、2段階目のMS測定においては、m/z(質量/電荷比)=1650の[M−H]-イオンをプリカーサーイオンとして用いた。図7に、化合物(6)のフラグメント位置および得られたスペクトルを示す。図7に示したスペクトル中の矢印は、プリカーサーイオンのピークを示す。図7に示したスペクトルにおいては、6位側の側鎖にフコースが存在することを示すm/z=570のイオン、およびFucα1−O−2Gal構造が脱離したことを示すm/z=1324のイオンが検出された。
【0045】
さらに、m/z=1138のイオン(3位側の側鎖であるFucα1−2Galβ1−3GlcNAcが脱離したイオン)をプリカーサーイオンとして用いて、negative-ion MALDI−TOF MS3測定を行った。図8に、フラグメント位置および得られたスペクトルを示す。図8に示したスペクトル中の矢印は、プリカーサーイオンのピークを示す。図8に示したスペクトルにおいては、6位側の側鎖にフコースが存在することを示すm/z=570のイオンに加えて、Galβ1−4(Fucα1−3)GlcNAc構造が存在するときに生じるm/z=364のイオンが検出された。
【0046】
以上のnegative-ion MALDI−TOF MS/MS測定およびnegative-ion MALDI−TOF MS3測定の結果から、化合物(6)の構造を簡単に同定することができた。
【0047】
(実施例6)
それぞれ血液型抗原HまたはLeaを有し、構造異性体の関係にあるLNF−I(化合物(1))およびLNF−II(化合物(2))を、還元末端のグルコースではなく、非還元末端のガラクトースにピレン誘導体化合物を導入して標識した。以下に、具体的方法を示す。最初に、還元末端のグルコースにピレン誘導体化合物の標識が導入されないようにするために、LNF−IおよびLNF−IIを、2時間にわたって濃度10mg/mlの水素化ホウ素ナトリウム溶液中に放置して還元した。次いで、ガラクトースオキシダーゼ(6単位)を加えて、37℃で一晩放置して、ガラクトースを酸化しアルデヒド基を生成させた。反応終了後、酵素をメタノールにより変性させた後、フィルターを用いて反応液を濾過して、酵素を除去した。そして、濾液を乾固させ、実施例1の方法により、PBHを用いて残留物を還元標識した。
【0048】
この反応生成物を、MALDI−QIT−TOFMS(Axima−QIT(Shimadzu/Kratos))を用いて負イオンのMS測定を行った。その結果、m/z=1138の[M−H]-イオンが得られ、LNF−IおよびLNF−IIの両方がPBHによって還元標識されたことが確認された。
【0049】
さらに得られたm/z=1138の[M−H]-イオンをプリカーサーイオンとして用いて、MALDI−QIT−TOFMS(Axima−QIT(Shimadzu/Kratos))を用いてnegative-ion MALDI−TOF MS/MS測定を行った。図9および図10に、それぞれLNF−IおよびLNF−IIに関するフラグメント位置および得られたスペクトルを示す。
【0050】
図9および図10から分かるように、LNF−IおよびLNF−IIの両方からm/z=794.3のイオンが検出された。このイオンはPBHを用いて還元標識された糖鎖(Fuc/Gal/GlcNAcの3糖)に由来するものである。このイオンの検出によって、LNF−IおよびLNF−IIの両方が、非還元末端にフコースを有するラクトサミン構造を有することが分かった。また、図9に示されるように、PBH標識されたFucα1−2Gal構造が遊離したm/z=528.2のイオンが検出された。実施例5においても同構造が検出されていることから、PBH還元標識が糖鎖の還元末端であっても、非還元末端であっても、該2糖構造が遊離することが分かった。さらに、図10に示されるように、PBHにより還元標識されたLNF−IIからはm/z=692.2および343.1のイオンが検出された。これらのイオンの検出は、フコースがN−アセチルグルコサミンと結合していることを示す。
【0051】
以上のように、ピレン誘導体化合物を用いて非還元末端において糖鎖の還元標識を行うことによって、非還元末端部に存在する血液型抗原の分析が可能となる。また、糖タンパク質を分析する場合、この方法は、糖鎖を糖タンパク質から遊離させることなしに、糖鎖を還元標識することを可能にする。したがって、この方法は、糖タンパク質のイオン化効率を向上させるとともに、糖タンパク質のままで糖鎖部分を解析することを可能にする。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
1pmolまたはサブpmolレベルの分子の質量分析法であって、標識化合物を分子と結合させて標識された分子を形成する工程と、該標識された分子のMSn(n>1)解析を行う工程とを備え、
前記標識化合物が、縮合多環炭化水素と反応性官能基とを有する化合物であり、ここで+1以上または−1以下の総電荷を有する標識化合物を使用することを除くことを特徴とする質量分析法。
【請求項2】
前記縮合多環炭化水素がピレン環であることを特徴とする請求項1に記載の質量分析法。
【請求項3】
前記反応性官能基が、アミノ基、ヒドラジド基およびジアゾメチル基から成る群から選択されることを特徴とする請求項1に記載の質量分析法。
【請求項4】
前記標識化合物が、1−ピレンブタン酸ヒドラジド、1−ピレン酢酸ヒドラジド、1−ピレンプロピオン酸ヒドラジド、1−ピレン酢酸スクシニミジルエステル、1−ピレンプロピオン酸スクシニミジルエステル、1−ピレンブタン酸スクシニミジルエステル、N−(1−ピレンブタノイル)システイン酸スクシニミジルエステル、N−(1−ピレン)ヨードアセトアミド、N−(1−ピレン)ヨードマレイミド、N−(1−ピレンメチル)ヨードアセトアミド、1−ピレンメチルヨードアセテート、アミノピレン、1−ピレンメチルアミン、1−ピレンプロピルアミン、1−ピレンブチルアミン、および1−ピレンスルホン酸クロリドから成る群から選択されることを特徴とする請求項1に記載の質量分析法。
【請求項5】
1pmolまたはサブpmolレベルの分子の質量分析法であって、該分子は糖鎖であり、および
(1)該分子の還元末端を、ピレン環とヒドラジド基またはアミノ基とを有するピレン誘導体化合物で標識して、標識化中間体を得る工程と、
(2)標識化中間体を還元して、還元標識された分子を得る工程と、
(3)該還元標識された分子のMSn(n>1)解析を行う工程と
を備え、+1以上または−1以下の総電荷を有する標識化合物を使用することを除くことを特徴とする質量分析法。
【請求項6】
前記ピレン誘導体化合物が、1−ピレンブタン酸ヒドラジド、1−ピレン酢酸ヒドラジド、1−ピレンプロピオン酸ヒドラジド、アミノピレン、1−ピレンメチルアミン、1−ピレンプロピルアミン、および1−ピレンブチルアミンから成る群から選択されることを特徴とする請求項5に記載の質量分析法。
【請求項7】
1pmolまたはサブpmolレベルの分子の質量分析法であって、該分子は糖鎖および糖タンパク質から成る群から選択され、および
(1)該分子中の糖鎖部分のみを酸化して、酸化生成物を得る工程と、
(2)酸化生成物を、ピレン環とヒドラジド基またはアミノ基とを有するピレン誘導体化合物で標識して、標識化中間体を得る工程と、
(3)標識化中間体を還元して、還元標識された分子を得る工程と、
(4)該還元標識された分子のMSn(n>1)解析を行う工程と
を備え、+1以上または−1以下の総電荷を有する標識化合物を使用することを除くことを特徴とする質量分析法。
【請求項8】
前記ピレン誘導体化合物が、1−ピレンブタン酸ヒドラジド、1−ピレン酢酸ヒドラジド、1−ピレンプロピオン酸ヒドラジド、アミノピレン、1−ピレンメチルアミン、1−ピレンプロピルアミン、および1−ピレンブチルアミンから成る群から選択されることを特徴とする請求項7に記載の質量分析法。
【請求項9】
1pmolまたはサブpmolレベルの分子の質量分析法であって、該分子はタンパク質および糖タンパク質から成る群から選択され、および
(1)該分子内のカルボキシ基、アミノ基またはSH基を利用して、該分子をピレン誘導体化合物で標識し、標識された分子を得る工程と、
(2)該標識された分子のMSn(n>1)解析を行う工程と
を備え、
前記ピレン誘導体化合物が、ピレン環と反応性官能基とを有する化合物であり、ここで+1以上または−1以下の総電荷を有する標識化合物を使用することを除くことを特徴とする質量分析法。
【請求項10】
前記反応性官能基が、アミノ基、ヒドラジド基およびジアゾメチル基から成る群から選択されることを特徴とする請求項9に記載の質量分析法。
【請求項11】
前記ピレン誘導体化合物が、1−ピレンブタン酸ヒドラジド、1−ピレン酢酸ヒドラジド、1−ピレンプロピオン酸ヒドラジド、1−ピレン酢酸スクシニミジルエステル、1−ピレンプロピオン酸スクシニミジルエステル、1−ピレンブタン酸スクシニミジルエステル、N−(1−ピレンブタノイル)システイン酸スクシニミジルエステル、N−(1−ピレン)ヨードアセトアミド、N−(1−ピレン)ヨードマレイミド、N−(1−ピレンメチル)ヨードアセトアミド、1−ピレンメチルヨードアセテート、アミノピレン、1−ピレンメチルアミン、1−ピレンプロピルアミン、1−ピレンブチルアミン、および1−ピレンスルホン酸クロリドから成る群から選択されることを特徴とする請求項9に記載の質量分析法。

【図1A】
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【図1B】
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【図2A】
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【図2B】
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【図3A】
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【図3B】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【公開番号】特開2009−92677(P2009−92677A)
【公開日】平成21年4月30日(2009.4.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−22690(P2009−22690)
【出願日】平成21年2月3日(2009.2.3)
【分割の表示】特願2007−512470(P2007−512470)の分割
【原出願日】平成18年3月23日(2006.3.23)
【出願人】(000173924)財団法人野口研究所 (108)
【Fターム(参考)】