説明

質量分析用イオン化基板及び質量分析装置

【課題】 レーザー脱離イオン化質量分析用試料基板において、レーザー光を照射されたときに、妨害ピークを発生させることなく、正確な測定ができ、試料作成にあたっては、試料を均一に塗布することができ、かつ測定後の洗浄が容易であるソフトLDI-MS測定のための試料基板およびそれを用いる測定装置の提供。
【解決手段】 レーザー脱離イオン化質量分析に用いるレーザー光を吸収するイオン化媒体として、焦電性素子、又は前記焦電性素子が強誘電体素子、又は前記焦電性素子が結晶性の素子、又は前記強誘電体素子が結晶性の素子、又は前記結晶性素子の表面が平滑な特定の単結晶を用いる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、レーザー脱離イオン化質量分析用試料基板及びこれを用いたレーザー脱離イオン化質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
タンパク質・ペプチド、糖質、オリゴヌクレオチドなどの生体関連物質からなる高分子化合物や合成高分子化合物の分子量の正確な測定方法の必要性が高まっており、その方法として質量分析法の利用が重要視されている。質量分析は、試料をイオン化することにより、該イオンを質量電荷比に基づいて分離する。高分子化合物の質量分析に対しては、レーザー脱離イオン化質量分析法(LDI-MS: Laser Desorption Ionization-Mass Spectrometry)及びそのための測定装置が採用されている。
【0003】
高分子化合物からなる試料をイオン化するために、試料に直接レーザー光を照射すると、試料の分解が引き起こされる。そこで、一般にはレーザー光を吸収する媒体上に試料を塗布するか、混合した状態で供給することによって、試料分子の分解を回避する方法が用いられる。この試料の分解を伴わないイオン化法は、ソフトLDI-MSと呼ばれ、その典型例としてマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法(MALDI-MS: Matrix-Assisted
Laser Desorption Ionization-Mass Spectrometry)が採用される。試料は、マトリックス剤と呼ばれるレーザー光を吸収する低分子有機化合物と試料溶液からなる混合溶液を質量分析用試料基板上に塗布し、乾燥結晶化させることにより、基板上に形成される。
質量分析装置による測定にあたってはイオン源内に前記基板上に形成された試料を設置し、試料表面にレーザー光を照射する。レーザー光を効率よく吸収したマトリックス剤は瞬間的に気化・イオン化する。その際、混合結晶として取り込まれていた試料分子もほぼ同時に気化され、イオン化したマトリックス剤との電荷の授受によって、試料分子はほとんど分解せずにイオン化される。生じたイオンは質量電荷比の違いに基づいて、飛行時間型、四重極型、イオントラップ型、セクター型、フーリエ変換型、若しくはこれらの複合型のいずれかからなる質量分離部の作用により、質量分離された後に、検出器で該イオンが検出され、質量数が解析される。
これらのうち、飛行時間型の質量分離部を用いる方法は、原理上測定の質量範囲に制限がないため、これらを組み合わせたマトリックス支援レーザー脱離イオン化−飛行時間質量分析法(MALDI-TOFMS)が高質量の質量分析に汎用される。
レーザー脱離イオン化を飛行時間型質量分析装置と組み合わせれば分子量では免疫グロブリンM(平均分子量900kDa)まで検出でき、検出限界もamolレベルに達していると言われている。また、イオン化が可能な化合物はペプチド、タンパク質、多糖類、複合脂質、核酸関連物質等の生体関連物質一般、合成ポリマー、オリゴマー、金属配位化合物や無機化合物まで広範囲に及んでいる。マトリックスを用いる場合、そのマトリックスとしては種々のものが使用されている(非特許文献5)。
高分解能を与えるために、サンプルを分析するためのサンプル供給装置において、前記装置に導電性が付与される平坦な表面を有する基板を備え、前記平坦な表面上の抵抗が1平方インチ当たり約1500オームよりも小さい導電性であり、前記平坦な表面をグラファイト塗料でコーティングされており、前記基板は、ポリプロピレン、ポリエチレン、ポリスチレン、ポリカーボネートなどから選択されるサンプル供給装置が提案されている(特許文献6)。
サンプル載置表面を、エネルギー吸収性の分子を用いて修飾して、先行技術において行われる外来性の基質分子の添加なしに、分析対象物分子の好結果をもたらす脱着を可能にするための手段として、前記表面が合成ポリマー、ガラスまたはセラミックを含むプローブも知られている(特許文献7)。
【0004】
前記MALDI-MSでは、イオン化剤として低分子量有機化合物を使用するために、それに起因して妨害イオンが発生する。しかも、その発生した妨害イオンは、有機化合物の分子量付近(質量数、500以下)のみならず、これらがクラスターを形成して、質量数数千以上の領域にまで及ぶため、解析が困難となる場合が多い。
【0005】
そのため、イオン化するためのイオン化剤として微粉末の無機化合物を用いるソフトLDI-MSが提案されている。この微粉末の無機化合物には、例えば、コバルト微粉末(特許文献1及び2)、酸化チタン微粒子(非特許文献1)、グラファイト粉末(非特許文献2)、カーボンナノチューブ(非特許文献3)、平均粒子径が100nm以下であり、かつPVC黒度が50以下のカーボンブラック固体(特許文献4)、質量分析用添加物を結晶化させるための支持板であって、少なくとも表面がカーボンを含有する層からなる支持板であり、質量分析用添加物が、α−シアノー4−ヒドロキシ桂皮酸を組み合わせて用いるもの(特許文献5)などが知られている。
この微粉末を用いる方法では、溶液状の試料と微粉末からなるけん濁溶液を質量分析用試料基板表面に塗布するため、均一に試料を塗布することが難しく、高感度な質量分析を行なう場合にはしばしば困難となる。さらに、レーザー光の照射によりイオン化媒体がイオン源内で飛散することがあり、それによる汚染などが問題となる。
【0006】
そこで、多孔質シリコン基板を試料基板に用いるソフトLDI-MSが提案されている(非特許文献4)。この方法は、DIOS-MS(desorption/ionization-mass spectrometry on porous silicon)と呼ばれている。この方法では、ナノメートルレベルの微細孔を持つ多孔質シリコン基板の表面に試料溶液を塗布し、乾燥させてから、これを質量分析装置のイオン源内に設置し、以降の操作はMALDI-MSと同様に、試料表面にレーザー光を照射することによって、質量分析が行われる。DIOS-MSにおけるイオン化の詳細な原理は明らかではないが、ナノシリコン構造体がレーザー光を高効率で吸収し、急速に加熱されることによって、試料分子の瞬間的な離脱が起こると共に、多孔質シリコンに結合あるいは吸着していた成分がイオン化して試料分子に電荷を受け渡すことによって、試料のイオン化が達成されるのではないかと考えられている。また、基板の表面部に凹部を設けたプラスチック材料としたり、さらに金属膜で覆たり、シリコンエッチングしたりしたもの、スポンジ状物質を用いるチップなどがある(特許文献3)。
【0007】
DIOS-MSは、試料基板そのものをイオン化媒体として用いるため、試料の均一な塗布が比較的容易であり、MALDI-MSで問題となる妨害ピークの発生を回避できるという利点がある。しかしながら、多孔質シリコンのイオン化効率は作成条件に大きく左右され、また同一の多孔質構造をもつ試料基板を再現性よく作成することが極めて困難であるため、信頼性のある質量分析技術であるとは言いがたいのが現状である。さらに、一度塗布した試料の多くは多孔質構造中に取り込まれるため、試料分子の大半はイオン化されずに残留して高感度測定の障壁となるうえ、測定後の試料基板の洗浄が容易ではなく、前測定の試料に起因するピークの発生を防止する原因となるため、繰り返し測定にもあまり適していない。
【0008】
このようなことから、試料溶液を基板上に均一に塗布することができ、添加した基板表面にレーザー光を照射しても、妨害ピークを発生せず、かつ測定後の洗浄が容易である基板の開発、及び前記試料溶液を塗布した基板を用いて妨害ピ−クを発生せずにレーザー脱離イオン化質量分析法及びその装置の開発が熱望されてきた。
【特許文献1】特開昭62−43562号公報
【特許文献2】特開昭63−318061号公報
【特許文献3】特開2004−184137号公報
【特許文献4】特開2000−180413号公報
【特許文献5】特開2001−13110号公報
【特許文献6】特開2003−43014号公報
【特許文献7】特開2000−131285号公報
【非特許文献1】C.T. Chen、 Y.C.Chen: Anal. Chem.、 76、 1453 (2004)。
【非特許文献2】J. Sunner、 E. Dratz、 Y.C. Chen, Anal, Chem、 67、 4335 (1995)。
【非特許文献3】S. Xu, Y. Li, H. Zou. J, Qiu. Z, Guo, B. Guo,: Anal. Chem.、 75、 6191(2003).
【非特許文献4】J, Wei. J, M, Buriak. G, Siuzdak.: Nature、 399、 243 (1999)。
【非特許文献5】「分析」No.4、253〜261(1996)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明が解決しようとする課題は、レーザー脱離イオン化質量分析用試料基板において、レーザー光を照射されたときに、妨害ピークを発生させることなく、正確な測定ができ、試料作成にあたっては、試料を均一に塗布することができ、かつ測定後の洗浄が容易であるソフトLDI-MS測定のための試料基板およびそれを用いる測定装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者らは上記課題を解決すべく鋭意研究を重ねる中で、レーザー光を高い効率で吸収する結晶性素子をイオン化媒体として用いれば、レーザー光を照射されたときに妨害ピークを発生しないので、正確な測定ができることを見出した。なお、素子をイオン化素子と呼ぶ。
【0011】
さらに、イオン化素子として、表面が平滑な特定の単結晶基板からなるイオン化媒体を用いると、従来から知られている多孔質体を用いた場合と比較して測定後の洗浄が容易となり、前測定の試料汚染を防止して繰り返し測定にも耐えられるものであることを見出した。
【0012】
具体的にはレーザー光を高い効率で吸収する結晶性のイオン化素子をイオン化媒体に用いると、高分子化合物のソフトLDI-MS測定を行うことが可能であることを見出した。
従来、イオン化剤を用いない高分子化合物のソフトLDI-MSのイオン化媒体には、レーザー光の波長と同等以下の微細な表面構造が必要であると考えられていたが、本発明では、表面が平滑な焦電体の単結晶体や強誘電体薄膜をイオン化素子に用いて高分子化合物のソフトLDI-MS測定を行なうものであり、他に類を見ない。すなわち本発明では多孔質シリコンのような微細な表面構造により被測定試料の脱離イオン化を行うのではなく、自発分極を有する結晶性材料を脱離イオン化媒体とすることを特徴としており、レーザー光等によるイオン化媒体へのエネルギー入射による急激な分極およびそれに伴い発生する局所的な表面電荷や電場を利用して脱離イオン化を達成し、目的のMS測定を行うものであり、原理からして全く新しい発想である。
【0013】
本発明のイオン化素子としてふさわしいのは、自発分極が大きな温度依存性を有する材料、すなわち焦電性を有する物質であり、代表的な焦電体物質として、ペロブスカイト結晶構造の酸化物、例えば、チタン酸鉛系(PbTiO3)、チタン酸ランタン酸鉛系(Pb1-xLaxTi1-x/4O3)(PLT)、チタン酸ジルコン酸鉛系(PbZrxTi1-xO3)(PZT)、チタン酸ランタン酸ジルコン酸鉛系(Pb1-1。5xLax-x/2(Ti1-yZry)O3)(PLZT)、ニオブ酸リチウム系(LiNbO3)、タンタル酸リチウム系(LiTaO3)、ゲルマン酸鉛系(Pb5Ge3O11)等を挙げることができる。
該イオン化素子は無機化合物の結晶であるため、ソフトLDI-MS測定において、イオン化媒体由来の妨害ピークの発生を回避することができるものである。
【0014】
ソフトLDI-MS測定では、生じたイオンを加速するために試料基板に2万ボルト程度の高電圧を印加する。そのため、該イオン化素子は導電性の試料基板ホルダーに装備される必要があるが、その固定に両面テープやプラスチック製の部品などを用いると、そこから放出されるガス成分による真空度の低下や装置内部の汚染が問題となる可能性がある。また、金属製の冶具によって固定すると、該試料基板を傷つけたり、破損する恐れがある。そこで、該素子の試料塗布部分以外の少なくとも一部に金属薄膜などの導電性層を形成することによって、該素子と試料基板ホルダーを一体化させることにより、質量分析装置の簡易化が可能となり、真空度の低下や汚染を防止したことにより高性能な質量分析装置が得られることがわかった。
【0015】
すなわち、本発明では以下の発明が提供される。
(1)レーザー光を吸収する結晶性素子から構成されるイオン化媒体であることを特徴とするレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
(2)前記結晶性素子が焦電性素子であることを特徴とする(1)記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
(3)前記結晶性素子が強誘電体素子であることを特徴とする(1)又は(2)記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
(4)前記焦電性素子が、チタン酸鉛系、チタン酸ランタン酸鉛系、チタン酸ジルコン酸鉛系、チタン酸ランタン酸ジルコン酸鉛系、ニオブ酸リチウム系、タンタル酸リチウム系、ゲルマン酸鉛系から選ばれることを特徴とする(2)記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
(5)前記強誘電体素子が、チタン酸鉛系、チタン酸ランタン酸鉛系、チタン酸ジルコン酸鉛系、チタン酸ランタン酸ジルコン酸鉛系、チタン酸バリウム系、ジルコン酸鉛系、ニオブ酸リチウム系、タンタル酸リチウム系、バリウム酸ニオブ酸ストロンチウム系、ゲルマン酸鉛系から選ばれることを特徴とする(3)記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
(6)前記結晶性素子が、表面が平滑な特定の単結晶のイオン化媒体を用いることを特徴とする(2)乃至(5)いずれか記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
(7)前記焦電性素子、又は強誘電体素子が基板上に薄膜状に製膜されている試料塗布部を有することを特徴とする(2)乃至(6)いずれか記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
(8)前記レーザー脱離イオン化質量分析用試料基板の試料塗布部が化学的に修飾されていることを特徴とする(1)乃至(7)いずれか記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
(9)前記レーザー脱離イオン化質量分析用試料基板の試料塗布部を除く一部が導電性物質により形成されていることを特徴とする(1)乃至(8)いずれか記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
(10)(1)乃至(9)いずれか記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板の表面に、溶液化された試料を塗布、乾燥させて得られることを特徴とするレーザー脱離イオン化質量分析用試料。
(11)(10)記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料を備えることを特徴とするレーザー脱離イオン化質量分析装置。
【発明の効果】
【0016】
本発明のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板を使用すれば、レーザー光照射時における、イオン化剤由来の妨害ピークを発生しないので、正確な測定ができる。また、前項に掲げた表面が平滑な特定の単結晶基板からなるイオン化媒体、または表面が平滑な薄膜状のイオン化媒体、または表面が平滑な多結晶性のイオン化媒体を用いると、従来から知られている多孔質体を用いた場合と比較して測定後の洗浄が容易となり、前測定の試料汚染を防止して繰り返し測定にも耐えられる試料基板が得られる。
また、本発明の脱離イオン化基板は結晶性の無機材料であり、被測定試料を塗布する基板表面は化学的に安定であるため、微細な多孔質イオン化基板のような表面不安定性がなく、いつでも測定データを再現する事ができる。
また、本発明の基板はスパッタリング法などの汎用ドライプロセスを用いて製造する事も可能であるため、従来技術である微細な多孔質イオン化基板の製造で必要とされるフッ酸によるエッチング等のウエットプロセスに比べ量産化が容易であると考えられる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0017】
図1は、ソフトLDI-MSの質量分析装置の試料保持部として用いる試料ホルダーに素子を張り付けた場合の本発明の質量分析用試料基板(100)の構成を示す図である。
図2は、素子表面に導電性層を付与した場合の質量分析用試料基板(110)の構成を示す図である。
【0018】
前記図1の場合、質量分析用試料基板(100)は、イオン化媒体として作用する結晶性のイオン化素子(101)とそれを支持する導電性試料基板ホルダー(102)により形成されている。試料溶液は、イオン化素子(102)の表面に塗布される。
結晶性のイオン化素子には、焦電体および強誘電体を用いることができる。
焦電素子としては、例えば、チタン酸鉛系(PbTiO3)、チタン酸ランタン酸鉛系(Pb1-xLaxTi1-x/4O3)(PLT)、チタン酸ジルコン酸鉛系(PbZrxTi1-xO3)(PZT)、チタン酸ランタン酸ジルコン酸鉛系(Pb1-xLax(TiyZrz)1-x/4O3)(PLZT)、ニオブ酸リチウム系(LiNbO3)、タンタル酸リチウム系(LiTaO3)、ゲルマン酸鉛系(Pb5Ge3O11)等が挙げられるが、焦電効果を発現する素子であれば本発明は上記に限定されない。
強誘電体素子としては、例えば、チタン酸鉛系(PbTiO3)、チタン酸ランタン酸鉛系(Pb1-xLaxTi1-x/4O3)(PLT)、チタン酸ジルコン酸鉛系(PbZrO3)、チタン酸ランタン酸ジルコン酸鉛系(Pb1-xLax(TiyZrz)1-x/4O3)(PLZT)、チタン酸バリウム系(BaTiO3)、ジルコン酸鉛系(PbZrO3)、ニオブ酸リチウム系(LiNbO3)、タンタル酸リチウム系(LiTaO3)、バリウム酸ニオブ酸ストロンチウム系(SrxBa1-xNb2O6、ゲルマン酸鉛系(Pb5Ge3O11)が挙げられるが、強誘電効果を発現する素子であれば本発明は上記に限定されない。
本発明で脱離イオン化に必要とされる電荷を誘起する能力は強誘電体物質やその結晶方位により異なるが、おおむね、10-5〜10-4C/m2K程度であり、この程度の焦電性が得られる物質であり、レーザー光等のエネルギーを吸収する物質であれば、イオン化基板として利用することができる。
また前記強誘電体及び焦電体素子は、表面が平滑な特定の単結晶基板を用いることができる。
【0019】
前記強誘電体素子、又は焦電性素子は、基板上に薄膜状に製膜されていてもよい。
製膜の方法は、蒸着法、レーザーブレーション法、MOCVD法など様々な方法を利用できるが、工業的にはスパッタリング法かゾル-ゲル法(MOD法)がよく用いられる。具体適な製造方法は以下の通りである。
基板には導電性のある平坦な物質を利用する。例えば白金や金、導電性ガラスを用いる。有機洗浄、及び純粋洗浄を施した後、スパッタリング装置に導入し、一度高真空まで真空引きした後、10-100mTorrまでアルゴンガスと酸素の混合ガス、もしくは酸素ガスをスパッタガスとして導入する。スパッタリングターゲットには目的の組成を有した焦電体物質や強誘電体物質の焼結体もしくは固化体をセットする。チタン酸鉛の様に蒸気圧の低い物質を含む組成をターゲットとする場合はあらかじめ蒸発する成分を割り増ししてターゲットに仕込む事が重要となる。このスパッタリングターゲットと対向位置に基板をセットして基板とターゲット間に高周波電力を注入することにより、プラズマが発生し、ターゲット表面がスパッタされ基板表面に所望の膜が形成される。成長条件としては、例えば、ターゲット基板距離5cm、投入電力300Wが有効である。製膜直後は膜内にひずみが残っているため800℃程度で1時間程大気中でアニールする事で、目的の強誘電体薄膜を得る事ができる。
【0020】
このように形成された、強誘電体素子又は焦電素子は光を吸収することによって結晶内で電荷を分極させ、結晶表面に電荷を集中させる。従って、焦電素子表面にレーザー光を照射して結晶表面の電荷の分極を誘起させるので、素子表面に塗布された試料分子に、電荷が受け渡され、試料分子の分解を伴わずにイオン化させると考えられる。ソフトLDI-MSでは、一般にレーザー光照射とほぼ同時に試料基板ないしは試料基板ホルダーに2万ボルト程度の高電圧が印加されるため、イオン化した試料分子は、直ちに電気的な反発によって試料基板から飛び出し、質量分離部へと導入され、質量分析されるのであると考えられる。即ち、試料分子はイオン化および脱離に必要なエネルギーをレーザー光から直接受け取るのではなく、該試料基板から間接的に提供されるため、試料分子の分解をほとんど伴わないソフトなイオン化が効率よく達成され、高精度に質量分析できるという所期の目的を達成することができる。
【0021】
試料調製は、試料を水又は有機溶媒に溶解させて作成する。
たんぱく質、糖などの生体高分子化合物は、0.1〜1%のトリフルオロ酢酸を含む水とアセトニトリルの混合溶液(アセトニトリルの含量5-75%)に溶解して、濃度1〜100 pmol/μLの試料溶液を調製する。これは典型例であって、試料の溶解性などに応じて、水またはアセトニトリル100%の溶媒を用いたり、アセトニトリルの代わりにメタノール,エタノール,プロパノール,アセトンなどの有機溶媒を選択してもよい。また、糖の測定では、安定な試料イオンを生成させるために、アルカリ陽イオン付加分子を生成させるために、塩化ナトリウム、塩化カリウム、臭化ナトリウムなどの塩を0.1〜1mg/mLの濃度となるように加えてもよい。
合成高分子は、試料が可溶な有機溶媒に溶解して濃度0.1〜1mg/mLの試料溶液を調製する.有機溶媒として、クロロホルム,テトラヒドロフラン、酢酸エチル、アセトン、アセトニトリル、プロパノール、エタノール、メタノールなどが挙げられるが、試料が溶解すればこれらに限定されない.また、水溶性の合成高分子は、水又は水と有機溶媒の混合溶媒に溶解しても良い.さらに、安定な試料イオンを生成させるために、塩化ナトリウム、塩化カリウム、臭化ナトリウム、トリフルオロ酢酸銀、硝酸銀などの塩を0.1〜1mg/mLの濃度となるように加えてもよい。
該試料基板に0.1〜1μLの試料溶液を直接塗布し、室温で自然乾燥させるだけで均一な乾燥試料を得ることができる。
【0022】
図1に示される、導電性試料基板ホルダー102は、質量分析装置のイオン加速用電極として高電圧を印加するために用いるものである。この材料には、LDI-MS用のステンレス鋼製の試料基板を用いることができる。この材料は導電性であればよく、上記材料に限定されない。
【0023】
素子表面の試料塗布スポット以外の場所に金属膜を形成して導電性を付与することにより、質量分析装置のイオン加速用電極として作用させてよい。このようにすると、導電性試料基板ホルダー102が不要となり、質量分析装置を簡易化することができる。
また、素子101を導電性試料基板ホルダー102に設置するための両面テープなどの構成材料が不要となるため、高真空のイオン源内でその構成材料から放出されるガス成分の気化による真空度の低下や装置内部の汚染を抑制することができ、より高精度な質量分析を達成することができる。
【0024】
図2のイオン化素子を備えた基板ホルダー111の表面に金属膜112を形成し、さらに側面及び背面にも金属膜を形成した導通部113により、質量分析装置のイオン加速電圧用電極と電気的に導通させることができる。
【0025】
試料調製は前記0021と同様に行なう。
試料溶液は、金属膜が形成されていない素子表面114に塗布される。金属膜112および113の材料は素子表面上に製膜できるものであれば任意に選択することができるが、たとえばAu、 Al、 Agなどが挙げられる。
金属薄膜の作成は、蒸着またはスパッタ等の成膜法、あるいは無電解めっき等のめっき技術など、公知の方法で行うことができる。
【0026】
該イオン化素子は光エネルギーを吸収し、温度上昇に伴う表面電荷の誘起が行われることが、高効率イオン化に寄与していると考えられる。このため、レーザー光の吸収性がよい材料はより格子にエネルギーが分配され、電荷の誘起を促進し、顕著なイオン化を達成する。
【0027】
またレーザー照射スポット近傍に非常に大きな温度を発生させ、電荷を多く誘起するためには熱は基板内部に拡散しない方が望ましい。このため、該物質の熱拡散率は低い方が望ましい。
【0028】
また、被測定試料と表面の付着性を調整する目的で、該誘電体物質の上に絶縁材料薄膜層もしくは金属材料薄膜層を蒸着する事も可能である。この蒸着膜は試料と表面の付着性を調整し、離脱に必要なエネルギーを調整する事ができる。このためより多くの測定試料を測定の対象にする事ができる。
【0029】
以下に、本発明の内容を実施例によりさらに具体的に説明する。本発明はこれに限定されない。
【実施例1】
【0030】
生体関連試料の適用について
焦電素子としてBaTiO3素子を用いて以下の実験を行った。
ペプチド試料(angiotensin-I、モノアイソトープ質量数 [M+H]+ = m/z 1296.7)を、トリフルオロ酢酸0.1%含有アセトニトリル50%溶液に溶解し、20 pmol/μlの試料溶液を調製した。試料溶液(1μl)をBaTiO3素子に塗布して乾燥した後、該基板を試料ホルダー上に取り付け、N2レーザーを備えた飛行時間型質量分析装置(Voyager
DE-PRO)に装着し、分析した。
【0031】
図3は、 BaTiO3素子を用いた場合に観測されたangiotensin-Iのマススペクトルである。質量数1296.7にangiotensin-Iの[M+H]+イオンが明瞭に観測されている。このように、BaTiO3基板を用いた場合にペプチド試料のソフトレーザーイオン化が達成されたことを示された。
【実施例2】
【0032】
工業製品分析への適用について
焦電素子としてPLZT素子を用いて以下の実験を行った。
アルキルフェノール系非イオン性界面活性剤(Triton X-100、登録商標)を、1mg/mLのヨウ化ナトリウムを含むメタノールに溶解し、1 mg/mlの試料溶液を調製した。試料溶液(1μl)をPLZT素子に塗布して乾燥した後、該素子を試料基板上に取り付け、N2レーザーを備えた飛行時間型質量分析装置(Voyager DE-PRO)に装着し、分析した。なお、Triton X-100の化学構造は、R-(CH2-CH2-O)n-Hであり、Rはオクチルフェノール基であり、nは繰り返し単位の数を意味する。
【0033】
図4にTriton X-100を試料とし、試料基板の素子としてPLZT基板を用いた場合のマススペクトルを示す。質量数400〜1000付近にかけてTriton X-100の[M+Na]+イオンが観測されている。なお、質量数44間隔で現れるピークは、Triton X-100の繰り返し単位(-CH2-CH2-O-、質量数44)に分布をもつためである。図4に示すマススペクトルは、MALDI-MSにより観測されたTriton X-100のマススペクトル(G. A. Cumme、 E. Blume、 R. Bublitz、 H. Hoppe、 A. Horn: J. Chromatogr. A、 791、 245 (1997)。
H. Sato、 A. Shibata、 Y. Wang、 H. Yoshikawa、 H. Tamura: Polym. Degrad. Stab. 2001、 74、 69-75.)と、よく一致しており、本発明によりPLZT基板を用いた場合に界面活性剤試料のソフトレーザーイオン化が達成されたことを示された。
【実施例3】
【0034】
表面が平滑な強誘電体以外の材料はこのソフトレーザーイオン化用基板として不適当である例を以下に示す。
(実験方法)
実施例2に示した被測定試料を同じ方法でシリコンウエハn型(100)面上に滴下し、乾燥させ質量スペクトス測定を行った。この場合、スペクトルは検出されない。即ち、単純に表面が平坦な物質というだけでは脱離イオン化は達成されない。
請求項にて述べたように、焦電効果を示す物質や強誘電体物質でこの脱離イオン化の効果が顕著であることを示す事例である。
【図面の簡単な説明】
【0035】
【図1】本実施形態に関わる質量分析基板の構成を示す図である。
【図2】本実施形態に関わる質量分析基板の構成を示す図である。
【図3】BaTiO3基板を用いたangiotensin-Iのマススペクトル。
【図4】PLZT基板を用いたTritonX-100のマススペクトル。
【符号の説明】
【0036】
100 質量分析用試料基板
101 イオン化素子
102 試料ホルダー
110 質量分析用試料基板
111 イオン化素子
112 金属膜
113 質量分析装置への導通部
114 試料塗布面

【特許請求の範囲】
【請求項1】
レーザー光を吸収する結晶性素子から構成されるイオン化媒体であることを特徴とするレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
【請求項2】
前記結晶性素子が焦電性素子であることを特徴とする請求項1記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
【請求項3】
前記結晶性素子が強誘電体素子であることを特徴とする請求項1又は2記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
【請求項4】
前記焦電性素子が、チタン酸鉛系、チタン酸ランタン酸鉛系、チタン酸ジルコン酸鉛系、チタン酸ランタン酸ジルコン酸鉛系、ニオブ酸リチウム系、タンタル酸リチウム系、ゲルマン酸鉛系から選ばれることを特徴とする請求項2記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
【請求項5】
前記強誘電体素子が、チタン酸鉛系、チタン酸ランタン酸鉛系、チタン酸ジルコン酸鉛系、チタン酸ランタン酸ジルコン酸鉛系、チタン酸バリウム系、ジルコン酸鉛系、ニオブ酸リチウム系、タンタル酸リチウム系、バリウム酸ニオブ酸ストロンチウム系、ゲルマン酸鉛系から選ばれることを特徴とする請求項3記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
【請求項6】
前記結晶性素子が、表面が平滑な特定の単結晶のイオン化媒体を用いることを特徴とする請求項1乃至5いずれか記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
【請求項7】
前記焦電性素子、又は強誘電体素子が基板上に薄膜状に製膜されている試料塗布部を有することを特徴とする請求項1乃至6いずれか記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
【請求項8】
前記レーザー脱離イオン化質量分析用試料基板の試料塗布部が化学的に修飾されていることを特徴とする請求項1乃至7いずれか記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
【請求項9】
前記レーザー脱離イオン化質量分析用試料基板の試料塗布部を除く一部が導電性物質により形成されていることを特徴とする請求項1乃至8いずれか記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板。
【請求項10】
請求項1乃至9いずれか記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料基板の表面に、溶液化された試料を塗布、乾燥させて得られることを特徴とするレーザー脱離イオン化質量分析用試料。
【請求項11】
請求項10記載のレーザー脱離イオン化質量分析用試料を備えることを特徴とするレーザー脱離イオン化質量分析装置。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate


【公開番号】特開2006−201042(P2006−201042A)
【公開日】平成18年8月3日(2006.8.3)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−13433(P2005−13433)
【出願日】平成17年1月21日(2005.1.21)
【出願人】(301021533)独立行政法人産業技術総合研究所 (6,529)
【Fターム(参考)】