説明

質量分析装置

【課題】 サンプルプレート1上に塗布される試料aにレーザー光を照射してイオン化し、これを電極2により形成した電場勾配で引き出して自由飛行させた後、イオン検出器(マイクロチャンネルプレート)dで検出するタイプの飛行時間型質量分析装置に関する。電極2と検出器dとの距離が装置を大型化させていたが、電極2と検出器dとを近づけると検出器dの微小領域にイオンが集中入射してしまい、放電破壊などを引き起こすので小型化ができなかった。
【解決手段】 本願発明に係る飛行時間型質量分析装置では、サンプルプレート1または電極2の少なくとも一方が、分析室に向けて凸形状を有する構成とした。イオンが分析室内を飛行する際、イオンの飛行方向に垂直な方向に拡散しつつ飛行させることができ、したがって電極2と検出器dとの距離を短くした場合でもイオンが検出器の一部に集中入射することを防止し、分析装置全体の小型化を実現することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、イオン化した試料を電位差によって引き出し、所定の位置までの飛行時間から分析を行う飛行時間型質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
物質の同定能力に優れた分析手法として質量分析法(Mass Spectrometry:MS)が知られている。試料中に存在する物質成分はイオン化され、その質量によって分離され同定される。質量分析の手法も幾つか知られているが、特に高分解能、高質量精度、高感度分析が可能な手法として飛行時間型質量分析法(Time-Of-Flight Mass Spectrometry:TOF-MS)がある。飛行時間型質量分析法では、試料イオンを電場により一定の運動エネルギーで加速して電場のない(Field Free)空間に引き出し、既知の距離を自由飛行させた後、イオン検出器でイオンの飛行時間を測定することによりイオン種を同定する。
【0003】
飛行時間型質量分析装置は大別して、試料をイオン化するためのイオン化部、イオン化した試料を飛行空間(ドリフト空間)に飛ばすための加速部(プッシャー)、および既知の距離を飛行した後のイオンを検出する検出部とから構成される。
【0004】
イオン化部としては、エレクトロスプレイイオン化装置(Electrospray ionization:ESI)やレーザーイオン化装置など様々な構成のものが開発されているが、近年、タンパク質やDNAなど、質量数範囲の広い生体高分子の高速構造解析手法としてマトリックス支援レーザー脱離イオン化法(Matrix-assisted lazer desorption/ionization:MALDI)なども注目されている(非特許文献1)。
【0005】
レーザーイオン化装置を備えた一般的な飛行時間型質量分析装置の構成を図1に示す。導電性の平板であるサンプルプレートb上に試料aが塗布される。レーザー装置eにより発生されたレーザー光fを集光レンズgで集光して試料aに照射すると、試料aはイオンとなって気化する。試料イオンは、サンプルプレートbと平行に配設されるメッシュ電極cとの間に形成した電界(電気力線k)により加速され、(2zV/m)1/2(v:bc間の電位差、z:電荷(クーロン)、m:質量(kg))の速度を与えられる。式からわかるように、速度はm/zによって異なるので、検出器dに到達するまでの時間を計測することにより、イオンjのm/zを同定することができる(特許文献1)。
【0006】
このような飛行時間型質量分析装置においては、飛行中のイオンjが空気分子と衝突することを防ぐため、サンプルプレートb、電極c、検出器d(平板状かつ平行配置)は、真空チャンバーL内に配置される。電極cと検出器dとの間の距離は通常1m程度であり、これが分析装置全体の大きさを決める主たる要因になっている(非特許文献2:LAMS−50K装置写真参照)。
【0007】
【特許文献1】特開2003−68246(TOF−MS)
【特許文献2】特開2003−68246(検出器:マルチチャンネルプレート)
【非特許文献1】http://www.shimadzu-biotech.jp/products/tofms/princpl1.html
【非特許文献2】http://www.shimadzu.co.jp/aboutus/ms_r/lams.html
【非特許文献3】Rapid Commun.Mass Spectrom.12,1273-1277(1998)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
このように、飛行時間型質量分析装置では飛行距離を得るために装置が大型化し、設置面積を要し、高額化するだけでなく、真空チャンバLの容積も大きく、真空引きを行うのに時間を要するという問題がある。小型化を行うためには、電極cと検出器dとの距離を短くする必要があるが、その場合には検出器側に新たな問題が生じる。
【0009】
上述したような飛行時間型質量分析装置では、到達したイオンを高速応答かつ高感度に検出する必要があるため、一般にマルチチャンネルプレート(Multi Channel Plate:MCP)と呼ばれる面検出器が用いられる(例えば特許文献2)。
【0010】
マルチチャンネルプレートの構成の一例を図2に示す。マルチチャンネルプレートは、束ねたガラスパイプを加熱、軟化させた状態で引き伸ばすことにより多数のパイプを有するプレートを形成している。或いは、高鉛ガラスの基板にエッチングによりパイプを形成し、水素のような還元性ガスで熱処理を行うことにより同構成を形成している。図のようにマルチチャンネルプレートは内壁を抵抗体とした非常に細いガラスパイプ(チャンネル)を多数束ねた二次元構造をしており、それぞれのチャンネルは独立した二次電子増倍器を形成している。
【0011】
図3に示すように、マルチチャンネルプレートでは、チャンネル内にイオンが入射すると、衝突した内壁から二次電子が放出され、これをマルチチャンネルプレートの入射側と出射側の両端に印加された電圧V D によって生じる電場により加速され、放物線軌道を描いて対向する内壁への衝突を繰り返し、結果として多数の電子が出射側に放出される。
【0012】
飛行時間型質量分析装置の小型化のために、このようなマルチチャンネルプレート(検出器d)を、電極cと近接配置すると、マルチチャンネルプレート上の微小領域にイオンが集中してしまい、分解能の劣化や検出器の破壊といった問題が生じる。この問題について図4を用いて解説する。
【0013】
サンプルプレートb上の試料aに、直径0.1〜0.2mm程度に集光されたレーザー光が照射され、その領域からイオンが発生する。発生したイオンは電界により電極cを通過して引き出され、自由空間を飛行する。このとき、加速方向とは別に、レーザー照射に起因するこれと垂直方向の初速度成分も有するため、厳密には図4(a)のように、イオンは広がりを持って進行し、発生領域よりも大きな面積で検出器dに入射する。したがって、装置の小型化のために検出器dを電極cの近くに配置すると、検出器の極微小な領域にイオンが集中してしまうことになる。(非特許文献3の記載を基に垂直方向の初速度を100m/sと仮定して試算すると、サンプルプレートbにかかる電圧を10kv、電極cにかかる電圧を0v、検出器前の電圧を0v、サンプルプレートbと電極cの距離を10mm、電極cと検出器dの距離を1000mmと仮定した場合(図4(a)相当)、m/z=2000で飛行時間は32.8μs。したがってイオンが検出器に入射する際の領域は(0.1mm+100m/s×32.8μs)×2で、直径6.8mmとなる。これを図4(b)のように、電極cと検出器dの距離を200mmに近づけた場合、飛行時間は7.1μsとなり、イオン入射領域は直径1.6mmとなる。これは相乗比の2乗で実に18倍の密度でイオンが検出器に入射することを意味する。
【0014】
このように、装置の小型化のために電極と検出器の距離を短くすれば、イオンが面検出器の微小領域に集中して入射することになり、深刻な不具合を引き起こす。マルチチャンネルプレートなどの面検出器は、もともと面全体で検出することを前提とした素子であり、たとえ入射粒子の総数が同じでも、ある一箇所に入射が集中すると過大な二次電子の発生に起因する放電破壊を起こしてしまう(元に戻すことはできないので検出器全体の交換が必要になる)。
【0015】
また、飛行時間が短くなるため、高分解能を得るために高速のマルチチャンネルプレートを使う必要があるが、一般に高速のマルチチャンネルプレートほど機械的強度は弱くなってしまう。
【0016】
さらには、マルチチャンネルプレートの同じチャンネルに複数のイオンが連続して入射することにより、チャンネルのチャージアップが起こり、分解能の劣化が生じてしまう。
【0017】
以上のような理由により、装置を小型化させるために単純に飛行距離を短くし、電極と検出器を近接配置することは出来なかった。
本発明はこのような事情を鑑みて為されたものであり、電極と検出器を近接配置させても検出器へのイオンの集中入射を防止し、放電破壊や分解能の劣化を生じることなく装置の小型化を実現することができる飛行時間型質量分析装置を提供するものである。

【課題を解決するための手段】
【0018】
上記の目的を達成するため、本発明に係る飛行時間型質量分析装置は、試料が塗布されるサンプルプレートと、サンプルプレート上に塗布される試料にエネルギービームを照射して試料をイオン化するイオン化手段と、前記イオンを飛行させる分析室と、電圧印加により前記イオンを前記分析室へ導入する電極と、前記分析室内を飛行させた後のイオンを検出するイオン検出器とを備えた飛行時間型質量分析装置であって、前記サンプルプレートまたは前記電極の少なくとも一方が分析室に向けて凸形状とされていることを特徴としている。
【0019】
前記凸形状とは、試料塗布点を頂点とする球面様の凸形状でも良いし、同様に試料塗布点を頂点とする円柱様の形状であっても良い。
【0020】
本願発明に係る飛行時間型質量分析装置においては、上述の凸形状部を有する構成としたので、イオンが分析室内を飛行する際、イオンの加速方向に垂直な方向に拡散して飛行させることができ、したがって電極と検出器との距離を短くした場合でもイオンが検出器の一部に集中入射することを防止し、分析装置全体の小型化を実現することができる。

【発明を実施するための最良の形態】
【0021】
以下、図面を参照して本発明に係る飛行時間型質量分析装置の実施例について説明する。
【0022】
質量分析の基本構成および分析原理は、図1に示す従来のものにより説明することができる。装置は大別して試料のイオン化部(サンプルプレートおよびエネルギービーム源)、加速部(電極および電源装置)、飛行部(分析室)、検出部(イオン検出器および信号取得器)からなり、真空チャンバー内に配設される。サンプルプレートb上に塗布された試料aに対して、照射源eからエネルギービームfが照射され、試料aをイオン化させる。試料イオンjは、サンプルプレートbと電極cとの間に形成した電界(電気力線k)により分析室Lへ引き出され、加速され、分析室L内を既知の距離だけ自由飛行した後に、イオン検出器dにより検出され、信号取得器iにて計測・分析される。
【0023】
エネルギービームとしては、一般にレーザー光が好適に利用される。例えば窒素ガスレーザー(波長337nm)、Nd−YAGレーザー(波長266nm又は355nm)、炭酸ガスレーザー(波長1060nm、2.94μm)などを光学レンズにより直径数μm〜数百μmまで絞って試料に照射されるが、レーザー光のほか、高速のイオンや中性原子などでも良い。要するに、試料にエネルギーを与え、イオン化を起こすものであれば足りる。
【0024】
加速部の電極cは、高圧電源hによりイオン化部に電界を形成するもので、電場勾配によりイオンを分析室側へ引き出し、加速する。高圧電圧は数〜数100nSの高速で印加される。電極cは、イオンが通過できるように、孔があけられた金属板や、メッシュで形成される。
【0025】
電極により引き出されたイオンは分析室内を飛行する。分析室内はイオンとの衝突を避けるため、公知のロータリーポンプやターボ分子ポンプ等により高真空(例えば10−8〜10−6Torr)に維持される。また、適宜真空計を備える。
【0026】
イオン検出器としては、公知の面検出器が使用できる。シンチレータと光電子増倍管を組み合わせたものや、ファラデーカップを使うこともできるが、応答速度、検出感度、検出面積の大きさ、などの観点から、マルチチャンネルプレート(Multi Channel Plate:MCP)の使用が好適である。検出器は、イオンの飛行距離が正確にわかるよう、電極cから厳密に位置決めされ、配置される。
【0027】
このような飛行時間型質量分析装置においては、装置全体の小型化を図るため、電極−検出器間の距離を短くしたいが、前述したように、普通は検出器の微小領域にのみ入射してしまい、不具合を引き起こす。本発明においては、サンプルプレートや電極の形状を凸形状とすることによりこれを解消している。これを図5を用いて説明する。
【0028】
サンプルプレート1はイオンの飛行方向に対して凸の球面形状となっており、メッシュ電極2もサンプルプレート1と同心の球面形状となっている。よって、加速電界の電気力線kは、サンプルプレート1の表面から垂直に形成されている。そのためイオンはサンプルプレート1の曲率中心mを中心とした放射状に進行する。その結果、イオンは検出器dとの距離が近いにもかかわらず大きな面積で入射する。
【0029】
本発明構成による効果を確認するため、通常は1000mm程度に設定される電極−検出器間の距離を仮に200mmとし、従前の平板状のものと、本発明に係る凸形状のものとで比較する。
【0030】
サンプルプレート1と電極2との距離を10mm、電極2と検出器dとの距離を200mm、サンプルプレート1の曲率半径を10mm、電極2の曲率半径を20mm、サンプルプレート1の電位を10kv、電極2と検出器dの入射面の電位を0vとする。各素子間の距離、電位は従前のものと同じである。
この場合、熱運動に起因する広がりを考慮しなくても、イオンが検出器dに入射する際の領域は直径4.4mmになる。ちなみに、サンプルプレート1からの距離に対する電界強度の分布は図6のようになる。この場合、総飛行時間はm/z2000で系の軸上で6.961μsになる。よって、イオンが検出器dに入射する際の熱運動による広がりは100m/s×6.961μsで、約0.7mmとなる。したがって、イオンが検出器dに入射する際の領域は4.4+0.7×2で直径5.8mmになる。つまり、装置の小型化を図っても、小型化前とほぼ同程度の大きさの領域にイオンが入射するため、マルチチャンネルプレートの放電破壊を招く危険はほとんど生じない。
【0031】
飛行長のばらつきによる分解能の悪化についても問題はない。平板形状の検出器を用いた場合、入射領域部で入射するイオンと、系の軸上で入射するイオンでは、m/zが同じでも飛行時間に差が生じ、分解能の悪化が懸念されるが、上述の例で計算した結果、その時間差は0.35nsであり、これはm/z換算でたかだか0.2Daであるため、問題が生じることは殆どない。なお、この時間差を厳密に解消するには、図7のような湾曲形状の検出器を採用すれば良い。
【0032】
(第2実施例)
本発明における「凸形状」は、図8に示ように、凸の曲率を有した円柱面形状としても、同様の原理により同効果を得ることができる。円柱面形状の場合は、球面の場合よりも部品の製作が容易であるという利点がある。
【0033】
上述した第1実施例および第2実施例においては、凸形状を球面や円柱面としたが、これらの形状に限定するものではなく、イオンの飛行方向を拡散させる作用があるものであれば採用することができる。第1実施例の球面も正球面である必要はなく、頂点と有する曲率形状であればよい。
【0034】
また、上記実施例においては、サンプルプレート1と電極2の両方を凸形状としたが、いずれか一方を凸形状とした場合にも同様にイオンの拡散効果が得られる。双方の曲率や形状を違えた場合にも同様である。
【0035】
サンプルプレート1への試料塗布の際に、シナピン酸、グリセリンなどのマトリクスに混入させたものを使用してマトリクス支援レーザ脱離イオン化飛行時間型(Matrix Assistrd Laser Desorption/Ionization Time Of Flight:MALDI−TOF)質量分析装置とすることもできる。

【産業上の利用可能性】
【0036】
本発明に係る質量分析装置は、画期的な小型化を実現することができる。そのため、従来、高感度分析は可能であるものの高額かつ大型であるために設置場所を広く要し所定の実験施設内でしか利用できなかった飛行時間型質量分析装置を、病気診断の臨床分析や、通関での検疫検査など、様々な現場分析においても好適に利用することが可能である。

【図面の簡単な説明】
【0037】
【図1】飛行時間型質量分析装置の構造概念図である。
【図2】マイクロチャンネルプレートの構造図である。
【図3】マイクロチャンネルプレートの原理説明図である。
【図4】装置の小型化に際しての問題点の解説図である。
【図5】本発明に係る質量分析装置の実施例を示す図である。
【図6】本発明に係る質量分析装置のサンプルプレートと電極間の電界強度分布図である。
【図7】本発明に係る質量分析装置の実施例を示す図である。
【図8】本発明に係る質量分析装置の実施例を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
試料が塗布されるサンプルプレートと、
サンプルプレート上に塗布される試料にエネルギービームを照射して試料をイオン化するイオン化手段と、
前記イオンを飛行させる分析室と、
電圧印加により前記イオンを前記分析室へ導入する電極と、
前記分析室内を飛行させた後のイオンを検出するイオン検出器と
を備えた飛行時間型質量分析装置であって、
前記サンプルプレートまたは前記電極の少なくとも一方が分析室に向けて凸形状とされていることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図7】
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【図8】
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【図6】
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【公開番号】特開2006−185828(P2006−185828A)
【公開日】平成18年7月13日(2006.7.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−380049(P2004−380049)
【出願日】平成16年12月28日(2004.12.28)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】