説明

質量分析装置

【課題】デジタルイオントラップのリング電極に印加する矩形波電圧を発生する回路において、矩形波電圧の周波数を変更する際の温度変化に伴う質量のずれを電気的に補償する。
【解決手段】周波数変更時の温度変化に伴う電圧変動や位相変動を予め測定し、その測定結果に基づいてその変動の影響を補償するための制御情報を記憶部11に格納しておく。分析時においてイオントラップ2から排出するイオンの質量を変更する際に、制御部7は周波数変更に対応した制御情報を記憶部11から読み出して電圧変動や位相変動を予測し、その影響を補償する制御信号を生成して電圧調整部52を介して可変電圧源45、46の電圧を調整する。これにより、例えば温度変化によりスイッチ43、44での電圧降下が大きくなる場合には、可変電圧源45、46の出力電圧は増加し、リング電極21に印加される電圧の振幅は略一定に維持される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高周波電場の作用によってイオンを閉じ込めたりイオンを選択したりするイオントラップなどのイオン光学素子を備える質量分析装置に関し、さらに詳しくは、イオン光学素子に印加する高周波電圧として矩形波電圧を用いる質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置の1つとして、高周波電場の作用によりイオンを捕捉して閉じ込めたり、特定の質量(厳密にはm/z値)を持つイオンを選別したり、さらにはそうして選別したイオンを開裂させたりするために、イオントラップを用いた質量分析装置が知られている。典型的なイオントラップは、後述するように、内面が回転1葉双曲面形状である1個のリング電極と、リング電極を挟んで配置された内面が回転2葉双曲面形状である1対のエンドキャップ電極とから成る三次元四重極型のイオントラップであるが、これ以外に、平行配置された4本のロッド電極から成るリニア型のイオントラップも知られている。本明細書では、前者の「三次元四重極型」を例に挙げてイオントラップの説明を行う。
【0003】
従来の一般的なイオントラップでは、通常、リング電極に正弦波状の高周波電圧を印加することで、リング電極及びエンドキャップ電極で囲まれる空間にイオン捕捉用の高周波電場を形成し、この高周波電場によりイオンを振動させながら閉じ込めを行う。こうしたイオントラップでは、特許文献1などに記載のように、リング電極に印加する正弦波電圧を発生するためにLC共振回路が用いられ、LC共振回路で生成される正弦波状の高電圧の振幅を変化させることで、イオントラップ内に捕捉する或いはイオントラップから排出するイオンの質量を制御している。
【0004】
これに対し、最近、正弦波電圧の代わりに矩形波電圧をリング電極に印加することでイオンの閉じ込めを行うイオントラップが開発されている(特許文献2、特許文献3、非特許文献1など参照)。この種のイオントラップは、通常、ハイ、ローの二値のレベルを有する矩形波電圧が使用されることから、デジタル駆動方式イオントラップ、或いは、単にデジタルイオントラップと呼ばれる。これと対比して、従来の正弦波電圧を用いたイオントラップは、アナログ駆動方式イオントラップ又はアナログイオントラップと称される。
【0005】
上述のデジタルイオントラップでは、リング電極に印加する矩形波電圧の振幅(電圧値)を一定に維持したまま周波数を変化させることで、イオントラップ内に捕捉する又はイオントラップから排出するイオンの質量を制御することができる。そのため、デジタルイオントラップではアナログイオントラップに比べて、リング電極に印加する高電圧の振幅を小さくすることができる。これにより、高周波電圧を発生するための電源回路を低コスト化することができる。また、電圧を上げることによる電極間での不所望の放電も回避できる、といった利点もある。
【0006】
図6は、特許文献2、3などに記載のデジタルイオントラップの電源回路の概略構成図である。イオントラップ2は、1個のリング電極21と、これを挟んで配置された1対のエンドキャップ電極22、24とから成る。エンドキャップ電極22、24には補助電圧発生部6からそれぞれ所定の電圧(通常は直流電圧)が印加される。リング電極21に接続された主電圧発生部4は、第1電圧VHを発生する第1電圧源41と、第2電圧VLを発生する第2電圧源42と、第1電圧源41の出力と第2電圧源42の出力との間に直列に接続された第1スイッチ43及び第2スイッチ44と、を含み、両スイッチ42、44を接続する結線から出力電圧VOUTが取り出されリング電極21に印加される。
【0007】
第1スイッチ43及び第2スイッチ44は、制御部7から供給されるパルス状の駆動信号により、交互にオンするように駆動される。第1スイッチ43がオンするとき第1電圧VHが出力され、第2スイッチ44がオンするときに第2電圧VLが出力されるから、出力電圧VOUTは理想的には、ハイレベルがVH、ローレベルがVLである矩形波電圧となる。非特許文献1の記載によれば、矩形波電圧の電圧レベルは、例えば±250V、±500V、±±750V、±1000Vなどである。制御部7が第1スイッチ43及び第2スイッチ44のスイッチングの駆動周期(周波数)を変更することで、振幅(電圧レベル)が一定に維持されたまま矩形波電圧の周波数fが変化する。
【0008】
デジタルイオントラップはアナログイオントラップに対して上述したような利点を持つものの、アナログイオントラップとは異なる技術的な困難さを伴う。これについて以下に説明する。
【0009】
図6に示したような電源回路において、第1スイッチ43及び第2スイッチ44には高速性が要求されるため、通常、パワーMOSFETなどの半導体スイッチング素子が用いられる。こうしたスイッチング素子のオン抵抗や付随する容量成分などにより、駆動周波数が異なると電圧降下量が相違する。そのため、第1電圧源41及び第2電圧源42の出力電圧が一定であっても、駆動周波数が変化すると出力電圧VOUTの周波数が変化するのみならず、本来は一定である筈の振幅も若干変動する。図7は駆動周波数をf1からf2に変化させたときの矩形波電圧の変化の一例を示す波形図である。この図において、「周波数に依存した電圧変化」というのが、上述した駆動周波数の相違に伴う電圧降下量の相違を主な要因とする変動である。
【0010】
上記のような半導体スイッチング素子がオン/オフする際には大きな電流が流れるため、スイッチング素子内部の電流損失により熱が発生する。そのため、アナログイオントラップのためのLC共振回路を用いた電源回路に比べると、発熱量はかなり大きくなる。スイッチング素子の動作速度(オン→オフ時間、オフ→オン時間など)やオン抵抗、スイッチング閾値などの素子特性は温度依存性を有するから、周囲温度により変化する。リング電極21に印加される矩形波電圧の周波数が一定であれば、発熱量も安定しており温度の影響によるスイッチング素子の特性の変化は小さい。ところが、例えばイオントラップ2で選択すべきイオンの質量を変化させる場合、矩形波電圧の周波数が変化するから、スイッチング素子における発熱量も変化する。そのため、温度が変化してスイッチング素子の特性が変化する。周波数が変化しても発熱量の変化による温度変化は緩慢で時間遅れもある。そのため、発熱に起因するスイッチング素子の特性変化も同様に、緩慢であって時間遅れが生じる。
【0011】
こうしたことから、図7に示すように周波数がf1からf2に切り替えられると、その直後に、周波数に依存して矩形波電圧の振幅は変化する(この例では振幅が減少しているが増大する場合もある)。さらに、その後、スイッチング素子の温度が変化するのに伴い、さらに振幅が徐々に変化し、温度が安定すると振幅もほぼ一定になる。また、スイッチング素子のオン→オフ、オフ→オンの立ち上がり時間やスイッチング閾値が変化すると、矩形波電圧の位相が変動して、図8に示すように矩形波電圧の立ち上がり、立ち下がりに段差が生じたり、変化に時間が掛かったりする場合もある。いずれの場合でも、イオントラップ2内でイオンに作用してその挙動に影響を与えるポテンシャルが変動することになるため、例えば選択されるイオンの質量がずれるといった問題が発生する。
【0012】
即ち、本来高い質量精度が期待できるデジタルイオントラップにおいて、上記のような制御対象イオンの質量の変更や切替えは、イオンの質量選択精度の低下をもたらすことになる。これを解決する1つの方法は、電源回路の温度を高精度に温調するような温調手段を用いることである。例えば、スイッチング素子の発熱量に比べて十分に大きな熱容量を持つ熱伝導ブロックと、その熱伝導ブロックを冷却するペルチエ素子などを含む冷却ユニットなどから成る温調手段を用い、周波数変更の際の電源回路の発熱量の相違を緩和して温度を一定にすることで、上記問題の解決が可能である。なお、温度安定化を図っても周波数に依存した電圧変化は残るが、これは質量較正などにより比較的容易に補償できる。しかしながら、こうした温調手段には大きなコストが掛かり、アナログイオントラップに比べて大きなコストアップをもたらす。また装置の小形化・軽量化を阻む一因ともなる。
【0013】
【特許文献1】特開2004−152658号公報
【特許文献2】国際公開第01/029871号パンフレット
【特許文献3】国際公開第2005/083743号パンフレット
【非特許文献1】古橋、竹下、小河、岩本、「デジタルイオントラップ質量分析装置の開発」、島津評論、島津評論編集部、2006年年3月31日、第62巻、第3・4号、pp.141−151
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その主な目的は、高精度な温調手段を用いることなく矩形波電圧発生のためのスイッチング素子を含む回路の発熱による温度変動の影響を軽減して、イオントラップにおけるイオン選択の質量精度を向上させることができる質量分析装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0015】
上記課題を解決するために成された本発明は、複数の電極から成り、その複数の電極で囲まれる空間に形成する高周波電場によりイオンの挙動を制御するイオン光学素子を具備し、前記高周波電場を形成するべく前記イオン光学素子の少なくとも1つの電極に印加する高周波電圧を矩形波電圧とし、その矩形波電圧の周波数を制御することによって高周波電場中でのイオンの挙動を制御する質量分析装置において、
a)電圧可変である第1及び第2の直流電圧源と、
b)前記第1及び第2の直流電圧源による直流電圧をスイッチング素子により切り替えて、それら直流電圧源による電圧をハイレベル及びローレベルとする矩形波電圧を生成して出力するスイッチング手段と、
c)制御対象のイオンの質量に応じた周波数の駆動信号を生成して前記スイッチング手段に供給するスイッチング制御手段と、
d)制御対象のイオンの質量の変更に際し、その変更に対応した前記駆動信号の周波数の変更に伴う前記スイッチング手段の発熱量の変化に起因する矩形波電圧の電圧変動及び/又は位相変動を予測し、この変動の影響を補償するように前記第1及び第2の直流電圧源の電圧をそれぞれ調整する電圧調整手段と、
を備えることを特徴としている。
【0016】
上記イオン光学素子としては、イオンレンズやイオンガイドなどのイオン輸送光学素子や、高周波電場によりイオンを捕捉するイオントラップなどが挙げられるが、本発明は特に、高い質量精度を要求される場合に有用である。そうした点から、高周波電場によりイオンを捕捉し特定の質量を有するイオンを選択的に残すようにイオンの挙動を制御するイオントラップを備える質量分析装置に適用することが好ましい。
【0017】
また特に特定質量を有するイオンを高い質量精度、質量分解能で選別する際によく用いられる、リング電極と一対のエンドキャップ電極とを有する三次元四重極型のイオントラップを備える質量分析装置に適用することが好ましい。この場合、リング電極に矩形波電圧を印加することで、特定質量のイオンを選択的に残したり逆に排出したりするための高周波電場をイオントラップ内に形成することができる。
【0018】
本発明に係る質量分析装置では、イオン光学素子において制御対象となるイオンの質量が変更される際に、電圧調整手段は、その変更に対応したスイッチング手段の駆動信号の周波数の変更に伴う発熱量の変化に起因する矩形波電圧の出力電圧変動や位相変動を予測する。ここで出力電圧変動とは、主としてスイッチング素子での電圧降下量の変化による変動である。一方、位相変動とは、主としてスイッチング素子やこれを駆動する駆動回路の立ち上がり時間や立ち下がり時間の変化やスイッチング閾値の変化などによる変動である。後者の場合、電圧(振幅)自体は変化がなくても、矩形波電圧のデューティ比などが変化することで高周波電場においてイオンに作用するポテンシャルが変化する。このポテンシャルの変化は、矩形波電圧の位相の変動はそのままにした状態で、電圧(振幅)の調整により補償することができる。
【0019】
電圧調整手段は、上記予測に基づいて、その予測された電圧変動や位相変動の影響を補償するように第1及び第2の直流電圧源の電圧をそれぞれ調整する。例えば制御対象のイオンの質量の変更に伴い矩形波電圧の電圧が次第に減少すると予測される場合には、変更時点から電圧が次第に増加するように第1及び第2の直流電圧源を制御する。また、位相変動によりイオンに作用するポテンシャルが次第に弱まるように変化すると予測される場合にも、上記と同様に、周波数の変更時点から電圧が次第に増加するように第1及び第2の直流電圧源を制御する。即ち、本発明に係る質量分析装置において行われる直流電圧の制御は、変動の予測に基づくフィードフォワード制御である。
【0020】
本発明の一実施態様として、前記電圧調整手段は、
制御対象のイオンの質量の変更に対応して前記駆動信号の周波数を変化させたときの矩形波電圧の電圧変動及び位相変動の過渡特性を反映した制御情報を予め保持しておく制御情報保持手段と、
制御対象のイオンの質量の変更が指示されたときにその変更に対応した駆動信号の周波数変更情報を受け、前記制御情報保持手段を参照して、その周波数変更に伴う矩形波電圧の電圧変動及び位相変動の過渡特性を補償する制御信号を生成する信号生成手段と、
を含む構成とすることができる。
【0021】
制御情報保持手段に保持される制御情報は、予め駆動信号の様々な周波数変化を与えた際の過渡特性を実際に測定した結果に基づいて、或いはシミュレーションした結果に基づいて、作成しておくものとする。この制御情報の形式は特に問わず、例えば、周波数変化前及び後の周波数を与えると予測式のパラメータが出力される表形式としたり、時間経過に伴って変化する電圧値を直接的に指示するデータが出力される表形式としたりすることができる。この場合、信号生成手段はCPUなどを含むコンピュータを中心に構成することが好ましい。
【0022】
また本発明の別の実施態様として、前記電圧調整手段は、
前記スイッチング制御手段により生成される駆動信号の周波数を検出する周波数検出手段と、
前記周波数検出手段により検出される周波数の変化に応じた矩形波電圧の電圧変動及び位相変動の過渡特性を補償する制御信号を生成する演算処理手段と、
を含む構成とすることができる。
【0023】
この場合、演算処理手段はデジタル回路、アナログ回路のいずれで構成してもよいが、変動の過渡特性が単調でなく複雑な場合にはデジタル回路で構成することが好ましい。
【0024】
また本発明に係る質量分析装置の一実施態様として、
前記直流電圧源は、一定の直流電圧を発生する定電圧源と、前記一定の直流電圧よりも低い範囲で電圧可変である可変電圧源と、が直列に接続されてなり、
前記可変電圧源による電圧が前記電圧調整手段により調整される構成とすることができる。
【0025】
また本発明に係る質量分析装置の別の実施態様として、
前記直流電圧源は、一定の直流電圧を発生する定電圧源と、該定電圧源による電圧を抵抗分割して出力するための固定抵抗器及び可変抵抗器と、を含み、
前記可変抵抗器の抵抗値が前記電圧調整手段により調整される構成としてもよい。
【0026】
一般に定電圧源は可変電圧源よりも電圧の精度や安定性を確保し易い。したがって、上記実施態様により、直流電圧源により生成する電圧の精度や安定性を高めることが容易になる。
【発明の効果】
【0027】
本発明に係る質量分析装置によれば、スイッチング素子等の回路の発熱の影響による矩形波電圧の電圧変動や位相変動の影響が電気的に補償される。このため、高い温度安定性を実現するための温調手段は不要になり、必要であるとしてもファン等の簡単な放熱手段などを設けるだけで、制御対象イオンの質量を変更した場合のその変更後の質量ずれを抑制することができる。それにより、低廉なコストで高い質量精度を実現することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0028】
以下、本発明の一実施例であるイオントラップ質量分析装置について、添付図面を参照して説明する。図1は本実施例のイオントラップ質量分析装置の要部の概略構成図である。既に説明した図6と同じ構成要素には同一符号を付して詳しい説明を略す。
【0029】
このイオントラップ質量分析装置は、目的試料をイオン化するイオン源1と、三次元四重極型のイオントラップ2と、イオン検出器3とを備える。イオン源1におけるイオン化法は特に限定されないが、例えば、目的試料にレーザ光を照射して試料をイオン化するマトリクス支援レーザ脱離イオン源(MALDI)などとすることができる。
【0030】
本発明におけるイオン光学素子に相当するイオントラップ2は、1個のリング電極21と1対のエンドキャップ電極22、24とから成り、これら電極21、22、24で囲まれた空間がイオン捕捉領域26となる。入口側のエンドキャップ電極22の中央にはイオン入射口23が穿設され、イオン源1から出射したイオンはイオン入射口23を通過してイオントラップ2内に導入される。一方、出口側のエンドキャップ電極24にあってイオン入射口23とほぼ一直線上にはイオン出射口25が穿設されている。イオン出射口25を通ってイオントラップ2内から吐き出されたイオンは、イオン検出器3に到達して検出される。イオン検出器3は、イオンを電子に変換するコンバージョンダイノード31と二次電子増倍管32とから成り、入射したイオンの量に応じた検出信号を図示しないデータ処理部に送る。
【0031】
リング電極21には主電圧発生部4が接続され、エンドキャップ電極22、24には補助電圧発生部6が接続されている。主電圧発生部4は、図6に示した従来技術と同様に、第1電圧VHと第2電圧VLとを第1スイッチ43及び第2スイッチ44により切り替えることで矩形波電圧を生成する。第1スイッチ43及び第2スイッチ44はパワーMOSFET等の半導体スイッチング素子である。従来の構成では、電圧源41、42は一定の直流電圧を発生する定電圧源であったのに対し、この実施例の構成では、これらが第1可変電圧源45及び第2可変電圧源46に置き換えられている。
【0032】
第1電圧VH、第2電圧VL、つまり矩形波電圧のハイレベルとローレベルは可変であるが、その振幅(電圧値)は従来とほぼ同じで、例えば約±250V、±500V、±750V、±1000V、などとすることができる。但し、振幅はこれに限らない。また、矩形波電圧の周波数は一般的には数十kHz〜数MHz程度の範囲である。
【0033】
デジタル制御回路5はハードウエアによるロジック回路であり、第1可変電圧源45及び第2可変電圧源46の出力電圧を制御するための電圧制御信号V1、V2を生成する電圧調整部52と、第1スイッチ43及び第2スイッチ44のオン・オフを制御するためのパルス状の駆動信号S1、S2を生成する駆動パルス発生部51と、を含む。制御部7はCPUを含むコンピュータを中心に構成され、操作キーなどの入力部8、周波数情報記憶部10、及び電圧補償情報記憶部11が接続されている。
【0034】
周波数情報記憶部10は、イオントラップ2内に捕捉されているイオンについて、イオンの質量とそのイオンを共鳴励起振動させるための矩形波電圧の周波数との関係を示す情報を保持する。一方、電圧補償情報記憶部11は、共鳴励起振動させるイオンの質量を変更するべく矩形波電圧の周波数を変更したときに、その変更の直後に発生する矩形波電圧の電圧変動や位相変動の過渡特性を補償するための制御情報を保持する。
【0035】
具体的には、リング電極21に印加する矩形波電圧の周波数をf1からf2に変更したときの電圧の過渡特性を様々なf1、f2について実測し、この実測結果に基づいて、その過渡特性を補償し得るような電圧変動の予測式F(t)を求める。この予測式F(t)は時間tの関数であるとともに、変更前の周波数f1と変更後の周波数f2とに対応した複数のパラメータを含む。このパラメータを制御情報として電圧補償情報記憶部11に格納しておき、周波数f1、f2を与えることにより電圧補償情報記憶部11から複数のパラメータを導出し、制御部7はそのパラメータを予測式F(t)に設定することで、周波数がf1からf2に変更される際の予測式F(t)を確定する。
【0036】
簡単な例を図5により説明する。いま矩形波電圧の周波数がf1からf2に変化した場合の電圧変動が[f1→f2]に示すカーブであったとする。つまり、周波数変化直前にVaである電圧が、周波数が変化した時点(t=0)から徐々に低下し、時刻t1でほぼVbで飽和する。また矩形波電圧の周波数がf1から、f2とは別のf3に変化した場合の電圧変動が[f1→f3]に示すカーブであったとする。つまり、周波数変化直前にVaである電圧が、周波数が変化した時点(t=0)から徐々に、但し[f1→f2]よりも大きな割合で低下し、時刻t2でほぼVcで飽和する。このようにして得られたカーブから上記予測式F(t)と各周波数条件(変化前の周波数と変化後の周波数)に対応したパラメータとを求めることができる。
【0037】
但し、周波数の変化、つまり質量の変更の最小時間が電圧が飽和するまでの時間よりも短い場合には、周波数変化前後の周波数だけでなく、さらに過去の周波数の情報、つまり周波数変化の履歴がスイッチング素子の温度変化に影響を及ぼす。したがって、周波数を変化させたときの電圧の変化のカーブは複雑な形状となり、周波数の履歴をパラメータとする必要がある。
【0038】
また、上記説明は周波数の変化に伴う電圧の変動のみを考慮したものであるが、上述したようにスイッチング素子の立ち上がり時間、立ち下がり時間、スイッチング閾値などが変化すると矩形波電圧の位相が変動し、イオンに作用する実効的なポテンシャルが変動する。この影響が大きい場合には、このポテンシャル変動に相当する電圧変動を実験的に求め、これを上記のような電圧変動に加えて、両者を合わせて補償するような予測式を作成しておくことが好ましい。
【0039】
また電圧補償情報記憶部11に格納される制御情報は、上述のように実測したデータに基づいて作成されるほか、例えばシミュレーション計算により求めるようにしてもよい。
【0040】
次に、上記構成を有する本実施例の質量分析装置における分析動作の一例を説明する。ここでは、イオン源1から出射した様々な質量を持つイオンをイオン入射口23を通してイオントラップ2内に導入し、それらイオンを一旦捕捉した後に、特定質量を有するイオンをプリカーサとして選別してイオントラップ2内に残し、そのイオンをイオントラップ2内で開裂させて開裂により生成された各種のプロダクトイオンの質量分析を行うケースを想定する。この場合、ユーザは入力部8より、分析条件の1つとしてプリカーサイオンの質量Mを設定する。
【0041】
まず、イオン源1から出射された各種のイオンをイオントラップ2に導入し、イオン捕捉領域26にイオンを捕捉する。その後、質量Mを持つプリカーサイオンを選択的に残すために、それ以外の質量を持つイオンを共鳴励起させてイオントラップ2から排出する。そのために、制御部7は、質量Mに対応した周波数を周波数情報記憶部10から読み出し、この周波数を除いた所定の周波数範囲で周波数スキャンを実行するように周波数スキャンシーケンスを定める。周波数スキャンは、所定の周波数ステップで矩形波電圧の周波数を高くするように或いは低くするようにスキャンを行うものである。この周波数スキャンシーケンスにより、矩形波電圧の周波数の変化が前もって分かるから、制御部7は電圧補償情報記憶部11に格納されている制御情報と上述した予測式F(t)とを利用して、周波数の変化に伴う電圧変動や位相変動の影響を補償するための電圧制御シーケンスを決定する。
【0042】
制御部7は周波数スキャンシーケンスで定められた周波数スキャンを実行するように駆動パルス発生部51に対して駆動信号の周波数の変更を指示し、駆動パルス発生部51はこれに応じて駆動信号の周波数を順次変更して第1スイッチ43及び第2スイッチ44に供給する。これにより、第1電圧VHをハイレベル、第2電圧VLをローレベルとする矩形波電圧が出力電圧VOUTとしてリング電極21に印加される。一方、これと並行して制御部7は、電圧制御シーケンスに基づいて電圧調整部52に制御信号を送る。電圧調整部52はこの制御信号に従って、時間が経過するに従い第1可変電圧源45及び第2可変電圧源46の出力電圧を調整するように電圧制御信号V1、V2を送る。この電圧調整によって、例えば図7に示すように周波数の変化に伴って電圧が低下する状況では、第1可変電圧源45及び第2可変電圧源46の出力電圧が増加される。これによって、出力電圧VOUTのハイレベル及びローレベルは周波数変化前とほぼ同じ程度に維持される。
【0043】
また、周波数の変化に伴って図8(b)に示すように矩形波電圧のデューティ比が小さくなる場合には、これによってイオントラップ2内での実効的なポテンシャルが下がるため、これを補償するべく第1可変電圧源45及び第2可変電圧源46の出力電圧が上げられる。これによって、イオントラップ2内のイオンに作用するポテンシャルは周波数変化前とほぼ同じ程度に維持される。
【0044】
駆動信号の周波数の変化に伴って第1スイッチ43及び第2スイッチ44での発熱量が変化して温度変化が生じても、この温度変化の影響を補償するようにリング電極21に印加される矩形波電圧の振幅が変化するので、イオントラップ2内のイオンの挙動は上記温度変化の影響を殆ど受けずに済む。したがって、リング電極21に印加される矩形波電圧の周波数に応じた質量のイオンがイオントラップ2内で共鳴励起され、イオントラップ2の外部に排出され除去される。矩形波電圧の周波数スキャンに応じて、イオントラップ2内から順次異なる質量を有するイオンが除去され、最終的に共鳴励起されなかった目的とする質量Mを持つプリカーサイオンのみがイオントラップ2内に残る。高い質量精度で各イオンをイオントラップ2内から除去することができるから、最終的に残るイオンの質量の精度も高いものとなる。
【0045】
こうして目的とするイオンを高い質量精度で選別した後に、イオントラップ2内に衝突誘起解離ガスを導入し、残したプリカーサイオンを励起振動させる。すると、イオンは衝突誘起解離ガスに衝突し、開裂して多様なプロダクトイオンを生成する。このプロダクトイオンをイオン出射口25を通して順次イオントラップ2から排出してイオン検出器3で検出する。これにより、プロダクトイオンの質量分析データを得ることができる。
【0046】
ここで、主電圧発生部4に含まれる第1可変電圧源45及び第2可変電圧源46の構成例を、図3及び図4により説明する。第2可変電圧源46の構成は極性を除いて第1可変電圧源45と同じであるので、第1可変電圧源45のみ説明する。
【0047】
図3の例では、第1可変電圧源45は、直流電圧VHFIXを発生する定電圧源451と0〜VHVIRの範囲の可変直流電圧を発生する可変電圧源452とが直列接続されたものである。可変電圧源452による電圧が電圧制御信号V1により調整される。したがって、この第1可変電圧源45の出力電圧はVHFIX〜VHFIX+VHVIRの範囲で任意に設定可能である。上述したように矩形波電圧の周波数変化に伴う電圧の必要調整範囲は、その電圧全体に比べると格段に小さい。したがって、通常、VHFIX>>VHVIRである。一般に定電圧源は可変電圧源に比べて、高い電圧精度と電圧安定性とを確保することが容易である。それ故に、定電圧源451と可変電圧源452との組み合わせであれば、出力電圧の電圧精度や安定性を確保することが容易である。
【0048】
図4の例では、第1可変電圧源45は、直流電圧VHFIXを発生する定電圧源455と、この直流電圧VHFIXを抵抗分割する、抵抗値が0〜RVIRで可変の可変抵抗器456、及び抵抗値がRFIXである固定抵抗器457とを備え、可変抵抗器456と固定抵抗器457とが直列に接続され、その接続点から電圧が取り出される。電圧制御信号V1により可変抵抗器456の可動端子が可動され、両端抵抗が0〜RVIRの範囲で変化する。したがって、この第1可変電圧源45の出力電圧は、VHFIX・{RFIX/(RFIX+RVIR)}〜VHFIXの範囲で任意に設定可能である。
【0049】
次に、本発明の別の実施例によるイオントラップ質量分析装置を図2により説明する。この実施例の質量分析装置では、主電圧発生部4に対し電圧制御信号V1、V2を与えるデジタル制御回路5の構成が上記実施例とは相違している。上記実施例では、基本的に、CPUを中心に構成される制御部7において周波数変化に伴う電圧補償のための情報が作成されている。即ち、これは実質的にはCPU上で動作するソフトウエアの機能により電圧補償が達成されると言うことができる。これに対し、この実施例では、ハードウエアの機能により電圧補償を達成するものである。
【0050】
即ち、イオントラップ2内で共鳴励起させるイオンの質量変更に伴い制御部7が駆動パルス発生部51に周波数の変更を指示し、これに応じた駆動信号出力されると、周波数検出部53が周波数の変化を認識する。この周波数検出部53による周波数変化の認識を受けて、調整信号生成部54は、予め電圧補償情報記憶部55に保持させておいた制御情報に基づいて電圧制御信号V1、V2を生成する。例えば電圧補償情報記憶部55には周波数変化時点からの時間経過に対する電圧変化データを変化前後の周波数毎に格納しておき、調整信号生成部54は変化前後の周波数を電圧補償情報記憶部55に与え、時間経過に伴う電圧変化データを順次読み出して出力する構成とすることができる。
【0051】
また、図5に示したような変化はステップ応答の一種であるとみることもでき、これは所定のパラメータを有するデジタルフィルタなどで実現可能であるから、調整信号生成部54はデジタルフィルタを中心に構成し、このデジタルフィルタのパラメータを電圧補償情報記憶部55に格納しておくようにしてもよい。
【0052】
また、周波数変化に伴う矩形波電圧の電圧変動や位相変動が単調である場合には、周波数検出部53、調整信号生成部54、及び電圧補償情報記憶部55の機能をデジタル演算ではなくアナログ演算により実現することも可能である。
【0053】
なお、上記実施例は一例であって、本発明の趣旨の範囲で適宜に、変形、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。
【0054】
例えば上記実施例は三次元四重極型のイオントラップであったが、多重極(例えば四重極)ロッドとこの両開放端面に設けられた1対のエンドキャップ電極とから成るイオントラップ(いわゆるリニア型イオントラップ)にも本発明を適用することができる。また、高周波電場によってイオンを収束させるイオンガイドなどと呼ばれるイオン輸送光学素子にも本発明を適用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0055】
【図1】本発明の一実施例であるイオントラップ型質量分析装置の要部の構成図。
【図2】本発明の別の実施例であるイオントラップ型質量分析装置の要部の構成図。
【図3】本実施例である質量分析装置において主電圧発生部に含まれる可変電圧源の構成例を示す図。
【図4】本実施例である質量分析装置において主電圧発生部に含まれる可変電圧源の構成例を示す図。
【図5】電圧補償情報の取得方法の説明図。
【図6】従来一般的なデジタルイオントラップの電源回路の概略構成図。
【図7】駆動周波数を変化させたときの矩形波電圧の変化の一例を示す波形図。
【図8】駆動周波数を変化させたときの矩形波電圧の変化の一例を示す波形図。
【符号の説明】
【0056】
1…イオン源
2…イオントラップ
21…リング電極
22、24…エンドキャップ電極
23…イオン出射口
25…イオン出射口
26…イオン捕捉領域
3…イオン検出器
31…コンバージョンダイノード
32…二次電子増倍管
10…周波数情報記憶部
11…電圧補償情報記憶部
4…主電圧発生部
43、44…スイッチ
45、46…可変電圧源
451、455…定電圧源
452…可変電圧源
456…可変抵抗器
457…固定抵抗器
5…デジタル制御回路
51…駆動パルス発生部
52…電圧調整部
53…周波数検出部
54…調整信号生成部
55…電圧補償情報記憶部
6…補助電圧発生部
7…制御部
8…入力部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
複数の電極から成り、その複数の電極で囲まれる空間に形成する高周波電場によりイオンの挙動を制御するイオン光学素子を具備し、前記高周波電場を形成するべく前記イオン光学素子の少なくとも1つの電極に印加する高周波電圧を矩形波電圧とし、その矩形波電圧の周波数を制御することによって高周波電場中でのイオンの挙動を制御する質量分析装置において、
a)電圧可変である第1及び第2の直流電圧源と、
b)前記第1及び第2の直流電圧源による直流電圧をスイッチング素子により切り替えて、それら直流電圧源による電圧をハイレベル及びローレベルとする矩形波電圧を生成して出力するスイッチング手段と、
c)制御対象のイオンの質量に応じた周波数の駆動信号を生成して前記スイッチング手段に供給するスイッチング制御手段と、
d)制御対象のイオンの質量の変更に際し、その変更に対応した前記駆動信号の周波数の変更に伴う前記スイッチング手段の発熱量の変化に起因する矩形波電圧の電圧変動及び/又は位相変動を予測し、この変動の影響を補償するように前記第1及び第2の直流電圧源の電圧をそれぞれ調整する電圧調整手段と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項2】
請求項1に記載の質量分析装置であって、前記イオン光学素子は、高周波電場によりイオンを捕捉し特定の質量を有するイオンを選択的に残すようにイオンの挙動を制御するイオントラップであることを特徴とする質量分析装置。
【請求項3】
請求項2に記載の質量分析装置であって、前記イオントラップは、1個のリング電極と1対のエンドキャップ電極とを有する三次元四重極型のイオントラップであることを特徴とする質量分析装置。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれかに記載の質量分析装置であって、前記電圧調整手段は、
制御対象のイオンの質量の変更に対応して前記駆動信号の周波数を変化させたときの矩形波電圧の電圧変動及び位相変動の過渡特性を反映した制御情報を予め保持しておく制御情報保持手段と、
制御対象のイオンの質量の変更が指示されたときにその変更に対応した駆動信号の周波数変更情報を受け、前記制御情報保持手段を参照して、その周波数変更に伴う矩形波電圧の電圧変動及び位相変動の過渡特性を補償する制御信号を生成する信号生成手段と、
を含むことを特徴とする質量分析装置。
【請求項5】
請求項1〜3のいずれかに記載の質量分析装置であって、前記電圧調整手段は、
前記スイッチング制御手段により生成される駆動信号の周波数を検出する周波数検出手段と、
前記周波数検出手段により検出される周波数の変化に応じた矩形波電圧の電圧変動及び位相変動の過渡特性を補償する制御信号を生成する演算処理手段と、
を含むことを特徴とする質量分析装置。
【請求項6】
請求項1〜5のいずれかに記載の質量分析装置であって、
前記直流電圧源は、一定の直流電圧を発生する定電圧源と、前記一定の直流電圧よりも低い範囲で電圧可変である可変電圧源と、が直列に接続されてなり、
前記可変電圧源による電圧が前記電圧調整手段により調整されることを特徴とする質量分析装置。
【請求項7】
請求項1〜5のいずれかに記載の質量分析装置であって、
前記直流電圧源は、一定の直流電圧を発生する定電圧源と、該定電圧源による電圧を抵抗分割して出力するための固定抵抗器及び可変抵抗器と、を含み、
前記可変抵抗器の抵抗値が前記電圧調整手段により調整されることを特徴とする質量分析装置。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate

【図7】
image rotate

【図8】
image rotate


【公開番号】特開2009−277376(P2009−277376A)
【公開日】平成21年11月26日(2009.11.26)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−124993(P2008−124993)
【出願日】平成20年5月12日(2008.5.12)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】