説明

質量分析装置

【課題】ESIイオン源において噴霧口近傍での電場強度を高めるとともに、生成された微細帯電液滴やイオンをイオン取り込み口まで移動させる効率を高めることで検出感度の向上を図る。
【解決手段】イオン化プローブ10のノズル11の先端に設けられた電極12の周囲を包囲するように、円筒部131と円板部132が一体化されたカバー電極13を設け、円板部132にあって中心軸Cと同軸の開口133を通して液体試料を噴霧する。カバー電極13の電位をイオン取り込み口と同じ接地電位とすることで、カバー電極13とイオン取り込み口21との間の空間をほぼ一様にゼロ電位とし、カバー電極13で囲まれる空間と噴霧口113付近に強い電場を形成する。これにより、帯電液滴の生成効率が上がるとともに、帯電液滴やイオンの移動に対する電場の悪影響がなくなるので、効率よく微細帯電液滴やイオンがイオン取り込み口まで輸送される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は質量分析装置に関し、さらに詳しくは、エレクトロスプレイイオン化法を用いて液体試料をイオン化するイオン源を備えた質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
液体試料を質量分析する質量分析装置では、液体試料に含まれる試料成分分子(又は原子)を略大気圧下でイオン化するために、エレクトロスプレイイオン化(ESI)法を用いたイオン源がよく利用されている。
【0003】
ESI法では、液体試料が導入されるノズルの先端部に数kV程度の高電圧(極性は分析対象のイオンと同極性)を印加する一方、ノズルからの噴霧前方に配設されたイオン取り込み口を例えば接地電位としておく。液体試料はノズル先端部とイオン取り込み口との間の電位差により形成される電場の作用によって電荷分離し、主としてクーロン引力により引きちぎられるように霧化する。電荷を有する液滴(帯電液滴)は周囲の空気に衝突して微細化されるとともに液滴中の溶媒は蒸発する。その過程で液滴中の試料成分分子が電荷をもって液滴から飛び出し気体イオンとなる。
【0004】
ESIイオン源では、ノズルから飛び出した大きな液滴がそのままイオン取り込み口に飛び込んで後段に輸送されてしまうと、これがノイズの一因となったり汚染を生じたりするおそれがある。そこで、大きな液滴がイオン取り込み口に飛び込むことを防止するために、従来の質量分析装置では、ノズルの中心軸とイオン取り込み口の中心軸とを一致させず、両軸を斜交させたり直交させたりした配置が採られている。
【0005】
例えば特許文献1に記載の質量分析装置では、略大気圧雰囲気であるイオン化室と低真空雰囲気である中間真空室とは細径の加熱キャピラリ(脱溶媒管)で連通されており、この加熱キャピラリの入口端がイオン取り込み口となっている。このイオン取り込み口の中心軸とノズルの中心軸とはほぼ直交され、且つイオン取り込み口はノズルからの略円錐状に拡がる噴霧流の中央部ではなく外周側に設置されている。これにより、大きなサイズの帯電液滴がそのままイオン取り込み口に入り込むことを回避する一方、生成されたイオンや微細化された帯電液滴を効率よく収集して後段へと送ることができる。
【0006】
近年、微量成分の定性、定量のために質量分析装置にはさらなる高感度化が要請されている。そのために、ESIイオン源ではイオン生成効率をさらに改善する工夫が求められている。ESIイオン源においてイオン生成効率を高めるには、ノズルでの帯電液滴の生成効率を高めること(換言すれば十分な電荷を持たない液滴の生成比率を下げること)、及び、帯電液滴の微細化や帯電液滴中の溶媒の気化(脱溶媒)の効率を高めること、が重要である。
【0007】
帯電液滴の生成効率やイオン化効率を高めるために、特許文献2に開示されている方法が有効である。この方法では、帯電液滴を噴霧するノズルの先端と対向電極(イオン取り入れ口)との間に、該ノズルの中心孔と同軸の開口を有する円板状の電極を設け、この電極に、その電極を設けない場合の同じ位置の空間電位に比べて対向電極寄りの電位となるように電圧を印加する。これにより、ノズル先端の噴霧口付近における電場強度が高まり、帯電液滴の生成効率が上がるとともに帯電液滴の微細化の効率も改善され、ひいてはイオンの生成効率も向上する。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【特許文献1】特開2001−264296号公報
【特許文献2】特開2005−63770号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
前述のように、特許文献2に開示された手法では、帯電液滴の噴霧口付近における電場強度を高めることで微小な帯電液滴の生成効率やイオン化効率が向上するものの、生成された微小帯電液滴やイオンがイオン取り込み口にまで移動する間の損失についてはあまり考慮されていない。ESIイオン源においてイオン生成効率をさらに上げるには、上記のような帯電液滴やイオンの移動の際の損失をできるだけ抑えることが必要となる。
【0010】
また、従来のESIイオン源では、液体試料の供給流量が少ない場合にはよいが、液体試料の供給流量が比較的多いと帯電液滴中の溶媒の気化が十分に行われず、その結果、イオンの生成効率が上がりにくいという問題がある。
【0011】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その主な目的は、ESIイオン源で生成されたイオンや微小帯電液滴をイオン取り込み口まで効率よく移動させることにより、イオン生成効率を改善し、ひいては検出感度を向上させることができる質量分析装置を提供することにある。また、本発明の別の目的は、液体試料の供給流量が比較的多い場合であっても、帯電液滴の脱溶媒化の効率の改善によりイオン生成効率を向上させることができる質量分析装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0012】
上記課題を解決するために成された本発明は、イオン化プローブのノズルの先端部に配設した電極に高電圧を印加して該ノズル先端部に達した試料溶液を帯電しつつ略大気圧雰囲気中に噴霧することにより試料をイオン化するエレクトロスプレイイオン源と、該イオン源で生成されたイオンを取り込んで後段に輸送するためのイオン取り込み口と、を具備する質量分析装置において、
前記ノズル先端部を包囲し、前記ノズルと同軸上に液滴やイオンが通過可能な開口を有する筒状の導電部材をカバー電極として配置し、該カバー電極を前記イオン取り込み口と同電位として、カバー電極と前記ノズル先端部の電極との間の空間に電場を形成する一方、該カバー電極と前記イオン取り込み口との間の空間の電場をゼロにするようにしたことを特徴としている。
【0013】
上記カバー電極は、例えば、円筒体の一端面が閉塞され、その円形状の閉塞端面の中心にイオンや液滴が通過する開口が形成されている部材とすることができる。開口は円形状のほか、多角形状、楕円形状など、イオンや帯電液滴が通過可能であれば特にその形状を問わない。
【0014】
本発明に係る質量分析装置では、前記イオン取り込み口の中心軸は前記ノズルの中心軸に対して斜交又は直交し、前記イオン取り込み口は前記ノズルの中心軸上から外れた位置にある構成とすることができる。
【0015】
イオン取り込み口とカバー電極とは例えば接地され(つまりゼロ電位とされ)、ノズルの先端部に配設された電極には数kVの高電圧が印加される。ノズル先端部はカバー電極で囲まれるから、カバー電極とノズル先端部との間には、電位勾配が急である(等電位面の間隔が狭い)高い電場強度を持つ直流電場が形成される。一方、カバー電極とイオン取り込み口との間の空間には、開口を通して漏れ出す電場などを除けば、基本的に電場は存在せず、ほぼ一様の接地電位となる。また、上述したようにイオン取り込み口がノズルの中心軸上から外れた位置にあっても、ノズル先端部の電極とカバー電極との間の空間に形成される電場はノズルの中心軸にほぼ軸対称となる。
【発明の効果】
【0016】
ノズル先端部の前方に配設された電極とイオン取り込み口との間の空間に電場があると、帯電液滴やイオンの挙動はその電場の影響を受ける。そのため、イオン取り込み口がノズルの中心軸上から外れた位置にあるような場合には、電場の歪みによって、帯電液滴同士が近付き接触して大きくなってしまったりイオン取り込み口に衝突したりし易くなる。これに対し、本発明に係る質量分析装置のようにカバー電極とイオン取り込み口との間の空間がゼロ電位であれば、帯電液滴は電位勾配による誘引を受けないので、それ自体が持つクーロン斥力によって微細化が円滑に進み、イオンが発生し易くなる。また、微細な帯電液滴やイオンは差圧により発生するガス流に従ってイオン取り込み口に吸い込まれ易くなる。このため、本発明に係る質量分析装置によれば、微細な帯電液滴やイオンの収集効率が高まり、結果的に質量分析に供するイオンの量が増えて検出感度の向上に寄与する。
【0017】
また本発明に係る質量分析装置によれば、カバー電極とノズル先端の電極との間の空間においても、ノズル先端前方だけでなくノズル周囲の電位勾配も急になるので、帯電液滴の生成効率やイオン化効率は一層向上する。
【0018】
また、ノズル先端部がカバー電極で包囲されていることにより、噴霧口から噴き出したネブライズガスや気化溶媒ガスなどが側方に拡がらず、前方に円滑に流れ易くなる。それによって、生成された帯電液滴やイオンがイオン取り込み口から離れた方向に散逸しにくくなり、イオン取り込み口に到達する確率が高まる。
【0019】
さらにまた、本発明に係る質量分析装置によれば、高電圧が印加される電極がカバー電極で囲まれていてイオン化室内に露出しないので、万が一、イオン化室を開放する際に高電圧が印加されたままになった場合でも、高い安全性を確保することができる。
【0020】
本発明に係る質量分析装置の一実施態様として、好ましくは、前記カバー電極の外側で前記ノズル先端部の前方に、該ノズルと同軸で円筒状の加熱パイプを配置し、該加熱パイプを前記カバー電極及び前記イオン取り込み口と同電位とするとよい。
【0021】
ノズル先端から噴霧された帯電液滴が加熱パイプ中に導入されると、該パイプ中で溶媒の気化が一層促進され、イオン化が進む。これにより、イオンの生成効率を一層向上させることができる。
【0022】
なお、カバー電極と加熱パイプとは同電位であるから両者を一体化することは可能であるものの、カバー電極自体があまり高温になることは好ましくない。何故なら、カバー電極からの熱輻射によってノズル先端部が高温になりすぎると、噴霧口から噴き出す前の液体試料中の溶媒の気化が進みすぎて適切な噴霧が行えないからである。そこで、両者を一体化する場合には、カバー電極と加熱パイプとを断熱性を有する部材を介して接続するとよい。
【0023】
また、加熱パイプを設ける場合に、加熱パイプの内周壁面にガス流を乱す障害部を設けるとよい。障害部は内壁面に対する凸部又は凹部とすることができる。これによれば、加熱パイプを通過する際に帯電液滴と加熱ガスとの熱交換に盛んになって、脱溶媒化が一層進み、イオンの生成効率が上がる。
【0024】
また、本発明に係る質量分析装置では、カバー電極で囲まれる空間に脱溶媒を促進するための補助ガスを導入する構成としてもよい。補助ガスは例えば乾燥窒素など、ネブライズガスとして用いられているガスを利用すればよい。
【0025】
これによれば、ノズル先端の噴霧口から飛び出した帯電液滴の脱溶媒化が一層進むので、イオンが発生し易くなる。また、カバー電極内空間に導入された補助ガスはカバー電極の一端面の開口からカバー電極外側に噴き出すので、カバー電極内部に帯電液滴やイオンが滞留しにくくなる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】本発明の一実施例(実施例1)である質量分析装置の全体構成図。
【図2】本実施例のESIイオン源の概略構成図。
【図3】図2中の液体試料噴霧口付近の拡大図。
【図4】ノズル先端部に形成される電場における電位シミュレーション結果を示す図。
【図5】従来のカバー電極を設けない場合のESIイオン源における電位シミュレーション結果を示す図。
【図6】中心軸C上の電場強度をシミュレーションした結果を示す図。
【図7】カバー電極が有る場合と無い場合のマススペクトルの実測結果を示す図。
【図8】実施例2による質量分析装置のESIイオン源の概略構成図。
【図9】実施例2による質量分析装置のESIイオン源の変形例の概略構成図。
【図10】実施例2で用いられる脱溶媒管の変形例を示す概略断面図。
【図11】実施例3による質量分析装置のESIイオン源の概略構成図。
【図12】実施例4による質量分析装置のESIイオン源の概略構成図。
【図13】実施例5による質量分析装置のESIイオン源の概略構成図。
【発明を実施するための形態】
【0027】
[実施例1]
本発明の一実施例(実施例1)である質量分析装置について、添付図面を参照して詳細に説明する。図1は本実施例の質量分析装置の全体構成図である。まず図1により、本実施例の質量分析装置の全体構成を簡単に説明する。
【0028】
この質量分析装置は、チャンバ1の内部に、イオン化室2、第1中間真空室3、第2中間真空室4、及び分析室5、を備える。イオン化室2には、液体試料が供給されるESI用のイオン化プローブ10が配設される。分析室5には質量分離器としての四重極質量フィルタ25とイオン検出器26とが配設される。第1及び第2中間真空室3、4にはそれぞれ第1イオンレンズ22及び第2イオンレンズ24が配設される。イオン化室2と第1中間真空室3との間は細径の脱溶媒管20を介して連通し、第1中間真空室3と第2中間真空室4との間は極小径の通過孔(オリフィス)を頂部に有するスキマー23を介して連通している。
【0029】
イオン化室2内はイオン化プローブ10のノズル11から連続的に供給される液体試料の気化溶媒により略大気圧雰囲気に維持される。第1中間真空室3内はロータリーポンプ(RP)6により約10Pa程度の低真空雰囲気に、第2中間真空室4内はターボ分子ポンプ(TMP)7により約10−1〜10−2Pa程度の中真空雰囲気に維持される。分析室5内は、別の高性能のターボ分子ポンプ(TMP)8により約10−3〜10−4Paの高真空状態まで真空排気される。このように各室毎に段階的に真空度を高めた多段差動排気系の構成を採ることで、分析室5内を高真空雰囲気に維持している。
【0030】
この質量分析装置における分析動作を簡単に説明する。液体試料はノズル11の先端で電荷を付与されてイオン化室2内に噴霧され、帯電液滴中の溶媒が蒸発する過程で試料分子はイオン化される。生成されたイオンは帯電液滴とともに、イオン化室2と第1中間真空室3との圧力差により脱溶媒管20中に引き込まれる。脱溶媒管20内を通過する間に帯電液滴中の溶媒気化は一層進み、第1中間真空室3中に吐き出されたイオンは、第1イオンレンズ22により形成される電場の作用によりスキマー23のオリフィス近傍に収束される。
【0031】
このオリフィスを通って第2中間真空室4に導入されたイオンは、第2イオンレンズ24により形成される電場の作用により収束されて分析室5へと送られる。分析室5では、特定の質量電荷比(m/z)を有するイオンのみが四重極質量フィルタ25の長軸方向の空間を通り抜けイオン検出器26に到達して検出される。四重極質量フィルタ25を通過するイオンの質量電荷比は該フィルタ25に印加される直流電圧及び高周波電圧に依存する。したがって、印加する直流電圧及び高周波電圧を所定の関係を維持しつつ走査することにより、四重極質量フィルタ25を通り抜けるイオンの質量電荷比を所定範囲に亘って走査することができる。こうしてイオン検出器26で得られた検出信号を図示しないデータ処理装置で処理することにより、所定の質量電荷比範囲に亘るマススペクトルを作成することができる。
【0032】
例えば液体クロマトグラフ質量分析装置(LC/MS)では、液体クロマトグラフのカラムで分離された試料成分を含む液体試料がイオン化プローブ10に送り込まれ、時間経過に伴ってマススペクトルが繰り返し取得される。
【0033】
本実施例1の質量分析装置は、イオン化室2内に配置されたイオン化プローブ10を中心とするESIイオン源の構成に特徴を有している。図2はこのESIイオン源の概略構成図、図3は図2中の噴霧口113付近の拡大図である。
【0034】
図3に示すように、イオン化プローブ10において帯電液滴を噴霧する略円錐形状のノズル11の先端部には、液体試料が通る細径のキャピラリ111と液滴の噴霧を補助するネブライズガスが流れるネブライズガス管112とが同軸2重管状に設けられ、ネブライズガス管112の外筒が高電圧印加用の電極12となっている。この電極12には直流高電圧発生部15から所定の極性の直流高電圧HVが印加される。この電圧HVの極性は分析対象イオンと同極性とされる。つまり、正イオン測定時には高電圧HVの極性は正、負イオン測定時には高電圧HVの極性は負である。
【0035】
電極12に印加された高電圧によりキャピラリ111中にも強い電場が形成され、この電場によりキャピラリ111に送られて来た液体試料は片寄った電荷を付与される。そして、キャピラリ111の末端である噴霧口113に達した液体試料は、ネブライズガス管112を通したネブライズガスの噴出の助けを受けつつ、電荷を持ちながらイオン化室2内に噴霧される。これは従来のESIイオン源と基本的に同じである。
【0036】
このESIイオン源では、イオン化プローブ10のノズル11を取り囲む円筒部131と該円筒部131の一端面を閉塞する円板部132とが一体化された金属製のカバー電極13が、絶縁部14を介してイオン化プローブ10に固定されている。円板部132には、ノズル11の中心軸(これはキャピラリ111や電極12の中心軸でもある)Cと同軸で、内径がdである円形状の開口133が形成されている。キャピラリ111先端の噴霧口113はちょうど開口133の内部に位置している。脱溶媒管20の入口端であるイオン取り込み口21の中心軸Sとノズル11の中心軸Cとは略直交しており、且つイオン取り込み口21は中心軸Cから径方向に所定距離離れた位置に配設されている。カバー電極13とイオン取り込み口21とは同電位、この例では接地電位(0V)とされている。
【0037】
図3に示すように、電極12には例えば3〜5kV程度の直流高電圧が印加され、それに近接したカバー電極13の電位は0Vである。したがって、カバー電極13と電極12との間にはきわめて電位勾配が急である直流電場が形成される。この電場は開口133を通した漏れ出しを除けば、基本的にカバー電極13で囲まれる空間にのみ存在し、カバー電極13の外側、つまりカバー電極13とイオン取り込み口21との間の空間には電場は存在しない。即ち、カバー電極13とイオン取り込み口21との間の空間の電位はほぼ一様に接地電位であるとみなすことができる。
【0038】
そのため、開口133から噴き出してカバー電極13の外側に進んだ帯電液滴やイオンには電場による誘引や反発の力は作用せず、それらの挙動はガス流によって支配される。帯電液滴が電場の作用を受けて移動する場合、その等電位面の状態によっては帯電液滴同士が近づく方向に移動して合体してしまい、液滴のサイズが大きくなることがある。これは、イオンの生成には却ってマイナスである。これに対し、電場が作用しない場合には、もともと同極性である帯電液滴同士は互いに近づきにくく、脱溶媒化が促進されてイオンが発生し易い。また、脱溶媒管20の両端の差圧によりイオン化室2内からイオン取り込み口21に空気や気化溶媒、ネブライズガス等のガスが流れ込むが、生成された微細な帯電液滴やイオンはこのガス流に乗ってイオン取り込み口21に向かい、イオン取り込み口21の周縁に接触することなく吸い込まれる。
【0039】
このように、このESIイオン源では、噴霧口113からの噴霧により生成された帯電液滴やイオンが効率良くイオン取り込み口21まで到達し、イオン取り込み口21に吸い込まれる。それにより、生成されたイオンの利用効率が上がるとともに、脱溶媒管20の内部で帯電液滴からの溶媒の気化が促進されてイオンの生成効率自体も向上する。
【0040】
また、イオン取り込み口21は中心軸Cから径方向に離れた位置にあるが、電極12はカバー電極13の円筒部131で囲まれているので、噴霧口113の近傍に形成される電場に対してイオン取り込み口21の電位の影響は殆どない。カバー電極13内部に形成される電場に対するイオン取り込み口21の電位の影響もない。したがって、カバー電極13内部や開口133付近に形成される電場は、中心軸Cに対してほぼ軸対称である。また、ノズル11の周囲がカバー電極13の円筒部131で包囲されていることにより、ノズル11先端の周囲だけでなくそれよりも後方側のノズル11の周囲でも電位勾配が急になっている。これにより、噴霧口113から液体試料が噴霧される際に液滴が持つ電荷の片寄りは従来よりもさらに大きくなる。それ故に、帯電液滴中で強いクーロン反発力が作用して、帯電液滴は分裂して微細化され、イオン化の効率も一層高くなる。
【0041】
図4はノズル11の先端部に形成される電場における電位シミュレーション結果を示す図である。図5は従来の、つまりカバー電極を設けない場合のESIイオン源における電位シミュレーション結果を示す図である。この例では、開口133の直径は4mm、噴霧口113の直径は1mm以下である。
【0042】
図4、図5ともに、横軸は噴霧口113の位置を0として、噴霧前方をプラス、噴霧後方をマイナスとしたときの、中心軸Cに沿った距離z[m]である。縦軸は、中心軸Cを0としたときの、半径方向の距離r[m]である。このシミュレーションは電極12に1Vを与えたときに形成される電場の等電位面を計算したものであり、隣り合う等電位面の電位差は0.1Vである。カバー電極13の開口133の内縁部と電極12との間隙は1〜1.5mmと非常に狭い。そのため、ノズル11の先端付近で強い電場(電位勾配が急である電場)が生じていることが分かる。また、ノズル11の先端付近だけでなく、その周囲でも等電位面の間隔が狭く、強い電場となることが分かる。さらに、開口133からの電位の漏れ出しはごく僅かであり、カバー電極13の外側の殆どがゼロ電位であることも分かる。
【0043】
図6は中心軸C上の電場強度をシミュレーションした結果を示す図である。ノズル11の先端ではカバー電極13を設けない場合に比べて電場強度が約3倍になることが分かる。ESI法によるイオン及び帯電液滴の生成にはこの電場が大きく関与しており、電場強度を上げることはイオン生成効率、帯電液滴生成効率の向上に有効である。
【0044】
図7は実際の装置におけるカバー電極13が有る場合と無い場合のマススペクトルの実測結果である。カバー電極13が有る場合には無い場合に比べて、3〜4倍程度のピーク強度が得られていることが分かる。これにより、上記のようなシミュレーションの効果が実測でも確認できる。
【0045】
以上のように、実施例1の質量分析装置では、ESIイオン源においてノズル11の先端部を包囲するようなカバー電極13を設け、その電位をイオン取り込み口21と同電位である接地電位とすることにより、従来よりもさらに一層イオンの生成効率を高め、より多くの量のイオンを質量分析に供することが可能となる。
【0046】
[実施例2]
本発明の別の実施例(実施例2)である質量分析装置について、添付図面を参照して説明する。図8は実施例2におけるESIイオン源の構成図である。このESIイオン源では、実施例1のようにカバー電極13を設けたノズル11とイオン取り込み口21との間の空間に加熱パイプ16を設けている。加熱パイプ16は略円筒形状であって、この中心軸はノズル11の中心軸Cと一致するように配置されている。また、周囲には加熱用のヒータ線161が周設され、加熱電流供給部17からヒータ線161に加熱電流が供給されることにより、加熱パイプ16は最高で600℃程度まで加熱されるようになっている。また、加熱パイプ16はイオン取り込み口21、カバー電極13と同じ接地電位にされる。
【0047】
カバー電極13の円板部132と加熱パイプ16の入口端面との間隔は1〜5mm程度であり、ノズル11の噴霧口113から噴霧されたイオンが混じった霧状の帯電液滴は、その殆どが加熱パイプ16に導入される。また、ネブライズガス管112から噴出するネブライズガスの多くも加熱パイプ16に流れ込む。このネブライズガス流や気化溶媒流などに乗って帯電液滴は加熱パイプ16中を進むが、その内部は高温になっているので液滴からの溶媒の気化は促進されイオン化が進む。これにより、実施例1よりもさらにイオンの生成効率の向上が図れる。
【0048】
[実施例2の変形例]
上記実施例2によるESIイオン源では、図9に示すように、カバー電極13と加熱パイプ16とを断熱部材18を介して接続して一体化した構成としてもよい。断熱部材18を設けるのは、加熱パイプ16からの熱伝導によりカバー電極13自体が高温になり過ぎると、キャピラリ111内で液体試料の溶媒の気化が進んで粘性が異常に高くなって大きな液滴しか出来なくなったり、最悪の場合にキャピラリ111自体が目詰まりしたりするおそれがあるからである。
【0049】
[実施例2の変形例]
加熱パイプ16を帯電液滴が通過する際に、液滴と加熱空気との熱交換の効率がよいと溶媒気化が一層促進される。そのためには、加熱パイプ16に送り込まれたガス(ネブライズガスや溶媒ガス)の流れを或る程度乱すとよい。図10に示す例では、加熱パイプ16の内壁面に螺旋状の凸部162を形成し、それによって内壁面近くに乱流を起こすようにしている。もちろん、凸部でなく凹部を形成してもよいし、形状も螺旋状でなくてもよい。
【0050】
[実施例3]
本発明の別の実施例(実施例3)である質量分析装置について、添付図面を参照して説明する。図11は実施例3におけるESIイオン源の構成図である。このESIイオン源では、カバー電極13中に高温の乾燥ガスを供給するガス流路19が追加されている。乾燥ガスは例えばネブライズガスと同様に乾燥窒素などとすればよい。この構成では、カバー電極13内で帯電液滴が乾燥ガスに晒され易くなるので、帯電液滴からの溶媒の気化が一層進み、イオン生成効率が向上する。また、ガス流路19から供給された乾燥ガスは開口133からカバー電極13の外側に噴き出すので、イオンや帯電液滴はこのガス流に乗って円滑にカバー電極13の外側に運ばれる。これにより、カバー電極13内に帯電液滴やイオンが滞留することを回避でき、結果的にイオンの生成効率を上げることに寄与する。
【0051】
[実施例4]
上記実施例はいずれもESI法のみによるイオン化を行うものであるが、よく知られているように、ESI法でイオン化される試料成分とそれ以外の、大気圧化学イオン化(APCI)法や大気圧光イオン化(APPI)法等の、いわゆる大気圧イオン化法とでイオン化される試料成分とは必ずしも同じではない。それ故に、従来から、ESIとAPCIやAPPIとを組み合わせたイオン源が知られている。上記実施例の構成でも、ESIのほかにAPCI又はAPPI、或いはその両方を組み合わせた構成とすることが可能である。
【0052】
図12は実施例2の構成にAPCIの機能を追加したESI/APCIイオン源の概略構成図である。このイオン源では、加熱パイプ16の出口端とイオン取り込み口21との間の空間に、コロナ放電を起こすための針電極30が配置され、放電電圧発生部31から針電極30に放電電圧が印加されるようになっている。この構成では、針電極30に放電電圧を印加しなければ、上述したESIによるイオン化を行うことができる。また、電極12に高電圧を印加せずに、放電電圧発生部31から針電極30に放電電圧を印加してコロナ放電を起こすことで、APCIによるイオン化を行うことができる。さらにまた、電極12に高電圧を印加することでESIによるイオン化を行いながら、放電電圧発生部31から針電極30に放電電圧を印加してコロナ放電を起こすことでAPCIによるイオン化も並行して行うことができる。
【0053】
[実施例5]
図13は実施例2の構成にAPPIの機能を追加したESI/APPIイオン源の概略構成図である。このイオン源では、加熱パイプ16の出口端とイオン取り込み口21との間の空間に、紫外光を照射可能な紫外光源部32が配置され、ノズル11から噴霧された液滴から発生した試料成分分子などに紫外光を当てることができる。この構成では、紫外光源部32をオフ状態とすれば、上述したESIによるイオン化を行うことができる。また、電極12に高電圧を印加せずに、紫外光源部32をオンして紫外光を照射することで、APPIによるイオン化を行うことができる。さらにまた、電極12に高電圧を印加することでESIによるイオン化を行いながら、紫外光源部32をオンして紫外光を照射することでAPPIによるイオン化も並行して行うことができる。
【0054】
実施例4や実施例5のようなAPCIやAPPIのための構成を実施例1や実施例3と組み合わせてもよい。また、実施例4と実施例5との構成を組み合わせてもよい。即ち、この場合には、ESI、APCI、APPIのうちの少なくとも1つ、又は複数の任意の組み合わせでイオン化を行うことができる。
【0055】
なお、上記実施例は本発明の一例であり、本発明の趣旨の範囲で適宜、変形、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【符号の説明】
【0056】
1…チャンバ
2…イオン化室
3…第1中間真空室
4…第2中間真空室
5…分析室
6…ロータリーポンプ(RP)
7、8…ターボ分子ポンプ(TMP)
10…イオン化プローブ
11…ノズル
111…キャピラリ
112…ネブライズガス管
113…噴霧口
12…電極
13…カバー電極
131…円筒部
132…円板部
133…開口
14…絶縁部
15…直流高電圧発生部
16…加熱パイプ
161…ヒータ線
162…凸部
17…加熱電流供給部
18…断熱部材
19…ガス流路
20…脱溶媒管
21…イオン取り込み口
22…第1イオンレンズ
23…スキマー
24…第2イオンレンズ
25…四重極質量フィルタ
26…イオン検出器
30…針電極
31…放電電圧発生部
32…紫外光源部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
イオン化プローブのノズルの先端部に配設した電極に高電圧を印加して該ノズル先端部に達した試料溶液を帯電しつつ略大気圧雰囲気中に噴霧することにより試料をイオン化するエレクトロスプレイイオン源と、該イオン源で生成されたイオンを取り込んで後段に輸送するためのイオン取り込み口と、を具備する質量分析装置において、
前記ノズル先端部を包囲し、前記ノズルと同軸上に液滴やイオンが通過可能な開口を有する筒状の導電部材をカバー電極として配置し、該カバー電極を前記イオン取り込み口と同電位として、カバー電極と前記ノズル先端部の電極との間の空間に電場を形成する一方、該カバー電極と前記イオン取り込み口との間の空間の電場をゼロにするようにしたことを特徴とする質量分析装置。
【請求項2】
請求項1に記載の質量分析装置であって、
前記カバー電極の外側で前記ノズル先端部の前方に、該ノズルと同軸で円筒状の加熱パイプを配置し、該加熱パイプを前記カバー電極及び前記イオン取り込み口と同電位としたことを特徴とする質量分析装置。
【請求項3】
請求項2に記載の質量分析装置であって、
前記カバー電極と前記加熱パイプとを断熱性を有する部材を介して接続したことを特徴とする質量分析装置。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれかに記載の質量分析装置であって、
前記カバー電極で囲まれる空間に脱溶媒を促進するための補助ガスを導入することを特徴とする質量分析装置。
【請求項5】
請求項1〜4のいずれかに記載の質量分析装置であって、
前記イオン取り込み口の中心軸は前記ノズルの中心軸に対して斜交又は直交していることを特徴とする質量分析装置。
【請求項6】
請求項2に記載の質量分析装置であって、
前記加熱パイプの内周壁面にガス流を乱す障害部を有することを特徴とする質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【公開番号】特開2011−113832(P2011−113832A)
【公開日】平成23年6月9日(2011.6.9)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−269459(P2009−269459)
【出願日】平成21年11月27日(2009.11.27)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】