説明

速度制御装置

【課題】移動体の速度制御を行う際に、移動体の運転者に違和感や恐怖感を抱かせることを抑制すること。
【解決手段】車両の運転者の注視点を定めるとともに、車両の周囲環境の運動を運転者の網膜球面を模擬した座標系に投影し、その投影した運動における、注視点から周囲に放射状に拡がる発散成分を算出する。さらに、注視点を含む所定のエリア内における、発散成分の総量を、車両の運転者が感じる速度感を示す指標として求める。そして、求めた発散成分の総量が一定となるように、車両の走行速度を制御する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、移動体の速度を制御する速度制御装置に関する。
【背景技術】
【0002】
例えば、特許文献1には、自動車の速度を制限速度内に自動的に抑えるための速度制御システムが開示されている。この速度制御システムは、自動車の走行路に設置され、自動車の制限速度に応じた信号を送信する送信機と、自動車に設けられ、送信機からの信号を受信し、制限速度に応じた第1の信号を発生する受信機と、自動車の走行中の速度に応じた第2の信号を発生する速度測定器と、第1の信号と第2の信号とを比較する比較器と、この比較器の出力を入力してブレーキに第3の信号を与えるブレーキ制御器とを有する。すなわち、自動車の走行中の速度が、制限速度よりも高い場合に、自動車にブレーキをかけ、自動車の速度を制限速度以下に低下させる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開平5−270368号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
上述した特許文献1の速度制御システムは、法規的に定められた制限速度を目標速度として、自動車の走行速度を制御する。このため、特許文献1の速度制御システムによれば、直線路やカーブ路といった道路形状をなんら考慮せず、単に自動車の走行速度を制限速度に制御することになる。
【0005】
しかしながら、直線路を走行するときと同じ速度でカーブ路を走行すると、自動車の運転者は、速度が速すぎると感じ、違和感や恐怖感を覚える場合もある。
【0006】
本願発明は、上述した点に鑑みてなされたもので、移動体の速度制御を行う際に、移動体の運転者に違和感や恐怖感を抱かせることを抑制することが可能な速度制御装置を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上述した目的を達成するための発明の構成について説明する前に、本発明をなすに至るまでの検討内容について簡単に説明する。
【0008】
移動体の運転者は、移動体が運動したとき、視覚に関しては、周囲環境の変化(視覚的には周囲環境の流れ(フロー))を捉えて、移動体の運動を知覚する。視覚により認識される周囲環境のフローには、注視点から周囲に放射状に拡がる発散成分(divergence)と、注視点の周りを回転する回転成分(curl)とがある。
【0009】
ここで、本発明者は、上述した発散成分と回転成分の内、特に発散成分が、移動体の運転者が感じる「速度感」と関連性が強いことに着目した。つまり、発散成分は、上述したように、視覚的に認識される周囲環境のフローにおいて、注視点から周囲に放射状に広がるものであり、移動体の速度が高くなるほど、発散成分が大きくなり、速度が低くなるほど、発散成分が小さくなる。なお、発散成分は、移動体の近傍ほど大きくなり、遠方になるほど小さくなる特性を有している。
【0010】
さらに、移動体として自動車を例として、発散成分に関してより詳細に説明する。自動車が旋回する場合、自動車の前進運動に加えて、回転方向への運動が生じるため、自動車が旋回前からの速度を保った場合、回転方向への運動の分だけ発散成分は大きくなる。さらに、自動車が走行する路面の勾配が変化する場合にも、自動車の前進運動に加えて、上下方向の運動が生じるため、自動車の速度を一定に保った場合には、フローの発散成分は大きくなる。
【0011】
本発明者は、この発散成分に基づいて、移動体の運転者の「速度感」を適切に数値化できないか鋭意検討した。その結果、請求項1に記載したように、移動体の運転者が視覚により認識する範囲における所定エリア内の発散成分の総量を求めることにより、その発散成分の総量が、運転者の「速度感」を精度良く表しうるものであることを見出した。
【0012】
「発散成分の総量」に基づく速度制御の有効性を検証するため、発明者は、自動車の運転に習熟している熟練ドライバーに自動車を運転してもらい、その間、継続的に「発散成分の総量」を算出した。すると、熟練ドライバーが自動車を運転した場合、直線平坦路、上下勾配路、カーブ路など、道路形状が変化すると、その道路形状に応じて速度を調節するが、その一方で、「発散成分の総量」はほぼ一定に保たれることを確認した。このように、熟練ドライバーは、無意識の内に、発散成分の総量、すなわち、「速度感」が一定になるような運転を行うのである。
【0013】
そこで、請求項1に記載の発明では、算出された発散成分の総量が一定となるように、移動体の速度を制御することとした。これにより、熟練運転者と同等の速度制御を行うことが可能となる。その際、移動体の運転者が感じる「速度感」は、道路形状が変化してもほぼ一定に保たれるので、運転者が違和感や恐怖感を覚えることを抑制することができる。
【0014】
請求項2に記載したように、運動検出手段は、移動体の周囲の環境として、所定のエリア内に複数のポイントを設定し、当該複数のポイントの運動を検出することが好ましい。設定したポイントに関してのみ、発散成分の算出等を行うことにより、演算負荷を低減することができるためである。
【0015】
請求項3に記載したように、所定のエリアを、移動体のフロントガラスの範囲に対応するように設定しても良い。移動体の運転者は、その移動体のフロントガラスを通じて、移動体前方の周囲環境を視認することにより、速度感を感じるためである。
【0016】
請求項4に記載したように、移動体は、道路を走行する車両であって、運動検出手段は、道路地図を記憶した道路地図記憶手段と、車両の現在位置を検出する現在位置検出手段と、車両の前後方向、横方向及び上下方向の運動を検出する車両運動検出手段と、を備え、道路地図及び車両の現在位置から定められる仮想の走行環境において、車両の前後方向、横方向及び上下方向の運動を用いて、車両の運転者に対する複数のポイントの相対的な運動を検出しても良い。車両の運転者が視覚により知覚する周囲環境(道路)の運動は、車両と周囲環境との相対運動によって生ずる。このため、車両が走行する周囲環境が定まれば、車両の運動から算出することができる。
【0017】
請求項5に記載したように、運動検出手段は、移動体の周囲環境に存在する物体の位置を周囲環境として取得する物体検出手段を備え、物体検出手段によって取得された物体のうち、静止物体の位置の変化に基づいて、移動体の運転者に対する周囲環境の運動を検出するようにしても良い。例えば、ミリ波レーザ、レーザレーダ、ステレオカメラなどを物体検出手段として用いて、実際に移動体の周囲環境に存在する物体の位置を検出することができる。そして、移動体に対する物体の位置を検出することができれば、移動体の運転者の網膜球面を模擬した座標系において、その物体の運動を求めることができる。
【0018】
請求項6に記載したように、注視点設定手段は、運動検出手段によって検出された周囲環境の運動を、移動体の運転者が移動体の前後軸方向を注視しているものとして、運転者の網膜球面を模擬した座標系に投影した場合に、その運動が最も小さくなる点(フロー最小点)を、注視点として設定することが好ましい。移動体の運転者の視線方向は、周囲環境の中で、フロー最小点に誘導される性質を持っているため、フロー最小点を注視点とすることにより、注視点を精度良く設定することができる。
【0019】
請求項7に記載したように、移動体の運転者の眼球を含む画像を撮像する運転者カメラを備え、注視点設定手段は、運転者カメラによって撮像された運転者の眼球を含む画像を解析することで注視点を設定しても良い。このようにすれば、運転者の注視点を直接検出することができる。
【0020】
請求項8に記載したように、移動体に搭載され、移動体の進行方向の画像を連続的に撮像する前方カメラを備え、注視点設定手段は、前方カメラが撮像した画像上のオプティカルフローに基づいて注視点を設定しても良い。前方カメラが撮影した画像上のオプティカルフローから、移動体の前方において、周囲環境の運動が最も小さくなる点を求めることができるためである。
【0021】
請求項9に記載したように、速度制御手段は、移動体の運転者により制御開始が指示されると移動体の速度制御を開始するものであり、移動体の運転者によって制御開始が指示されたときに総量算出手段によって算出された発散成分の総量を目標値として、その後に総量算出手段によって算出される発散成分の総量が目標値に近づくように、移動体の速度を制御することが好ましい。これにより、速度制御を開始したときに得られていた発散成分の総量により表される「速度感」が、その後の速度制御期間中も継続して得られるようになる。
【0022】
請求項10に記載したように、速度制御手段は、速度制御を開始した後に、移動体の運転者により制御速度の増減操作が行われたことに応じて、目標値とする発散成分の総量を更新することが好ましい。これにより、運転者の操作により移動体の制御速度が増減された場合に、目標値とすべき発散成分の総量を適切に変更することができる。
【0023】
請求項11に記載したように、速度制御手段による速度制御が開始された後に、運転者により移動体の速度を調節する速度調節部材の操作が行われたとき、速度制御手段は、自身の速度制御による速度と、速度調節部材の操作による速度とのいずれか小さい方の速度となるように、移動体の速度を制御することが好ましい。これにより、速度制御による速度を上限速度として移動体の速度が制御されるので、安全性の向上を図ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0024】
【図1】本実施形態の速度制御装置の構成を示すブロック図である。
【図2】車両の走行速度を制御するための速度制御処理を示すフローチャートである。
【図3】車両の運転者が感じる速度感を示す指標の算出処理を示すフローチャートである。
【図4】(a)は、視覚により認識される周囲環境の流れにおける、注視点から周囲に放射状に拡がる発散成分(divergence)を説明するための図であり、(b)は、注視点の周りを回転する回転成分(curl)を説明するための図である。
【図5】(a)〜(c)は、発散成分の算出方法を説明するための説明図である。
【図6】(a),(b)は、発散成分の総量を求める手法を説明するための説明図である。
【図7】本実施形態の速度制御装置の効果を検証するために用いたコースを示すコース図である。
【図8】本実施形態の速度制御装置の効果を説明するためのグラフである。
【図9】複数のポイント毎の離心角変化率の絶対値の大きさと注視点とを示す図である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0025】
以下、本発明の実施形態を図面に基づいて説明する。図1は、本実施形態の速度制御装置の構成を示すブロック図である。本実施形態の速度制御装置は、自動車のように道路を走行する車両(以下、単に車両という)の速度制御を行なうものとし、周囲環境検出部10、車両運動検出部16、速度制御ECU26、駆動力制御アクチュエータ28、制動力制御アクチュエータ30、制御スイッチ32、及び顔画像撮影カメラ34を備えている。
【0026】
周囲環境検出部10は、道路地図データベース12と、現在位置検出器(例えば、GPS受信機)14とを有し、車両の現在位置から前方に伸びる道路の形状など、車両の走行環境(周囲環境)を検出するためのものである。周囲環境検出部10によって検出される走行環境は、速度制御ECU26に出力される。
【0027】
車両運動検出部16は、車両の車幅方向である横方向の運動の大きさを検出する横方向加速度センサ18と、車両の上下方向の運動の大きさを検出する上下方向加速度センサ20とを備えている。さらに、車両運動検出部16は、車両の走行速度を検出する車速センサ22、及び車両の旋回方向への回転角の変化速度であるヨーレートを検出するヨーレートセンサ24を備えている。車両運動検出部16の各センサによって検出された検出値は、速度制御ECU26に入力される。
【0028】
顔画像撮影カメラ34は、車両の運転者の顔を連続的に撮影し、その撮影画像を運転支援ECU26に出力する。
【0029】
速度制御ECU26は、上述した各センサからの検出値及び顔画像撮影カメラ30によって撮影された顔画像に基づき、車両の運転者が感じる速度感を示す指標を算出する。そして、車両の運転者が、制御スイッチ32により車両の速度制御の開始を指示した時点において算出した速度感を示す指標を目標値として保存するとともに、その後に算出される速度感を示す指標が目標値に一致するように、駆動力制御アクチュエータ28や制動力制御アクチュエータ30を用いて、車両の走行速度を制御する。
【0030】
駆動力制御アクチュエータ28として、エンジンを搭載した車両では、エンジンの吸入空気量を調節するスロットルバルブや、エンジンへの燃料噴射量を調節するインジェクタを用いることができる。また、電気モータを動力源とするいわゆる電気自動車では、バッテリーから供給される電気エネルギーを調整して電気モータの出力を制御するコントローラーを用いることができる。また、制動力制御アクチュエータ30としては、ABSシステムやVSCシステムにおいて採用されているブレーキ圧力を発生させる油圧システムを用いたり、エンジンブレーキを発生させるためにトランスミッションのギヤ位置を制御するコントローラーを用いたり、電気自動車においては、回生動作を行う電気モータを用いることもできる。
【0031】
次に、速度制御ECU26が実行する制御処理について、図2のフローチャート等の図面を参照しつつ説明する。図2は、車両の走行速度を制御するための速度制御処理を示すフローチャートである。
【0032】
まず、ステップS100において、速度制御ECU26は、周囲環境検出部10及び車両運動検出部16の各種のセンサの検出信号と、顔画像撮影カメラ34によって撮影された顔画像の取り込みを行う。そして、ステップS110において、車両の運転者が感じる速度感を示す指標の算出を行う。この速度感を示す指標の算出処理について、図3のフローチャートを用いて説明する。
【0033】
図3のフローチャートに示すように、ステップS200では、ステップS100で取り込んだセンサ等の信号に基づいて、顔画像撮影カメラ30によって撮影された顔画像から黒目の位置を検出するための画像処理を実施する。そして、検出した黒目の位置に基づいて、運転者が視線を向けている注視点方向を決定する。
【0034】
ここで、本実施形態では、周囲環境検出部10が、道路地図データベース12及び現在位置検出器14を備えているので、速度制御ECU26は、車両の現在位置から前方に伸びる道路形状などの走行環境を認識することができる。速度制御ECU26は、ステップS210において、その認識した仮想の走行環境において、決定した注視点方向から、運転者が注視している注視点を設定する。
【0035】
続くステップS220において、運転支援ECU26は、上述した発散成分(divergence)を算出する。この発散成分の算出手法について、以下に詳細に説明する。
【0036】
まず、上述した仮想の走行環境において、前方道路を含む所定のエリア(例えば、フロントガラスから視認できるエリア)に、複数のポイントを設定する。この複数のポイントが配列される形状は、格子状、同心円状、同心楕円状など、いずれの形状であっても良い。また、複数のポイントは、車両を基準として、その車両との位置関係が常に一定となるように設定しても良いし、周囲環境において固定した位置を取り、車両の走行に伴い、車両との相対的な位置関係が変化するように設定しても良い。ただし、車両との相対的な位置関係が変化する場合には、車両の走行に伴って、車両近傍のポイントが所定エリアから消滅すると、遠方に新たなポイントが設定される。これにより、所定エリアには、常に一定数のポイントが含まれることになる。
【0037】
そして、車両運動検出部16の、横方向加速度センサ18、上下方向加速度センサ20、車速センサ22、及びヨーレートセンサ24から得たセンサ信号から、車両の運動を検出する。この検出された車両の運動を、仮想の走行環境に当てはめることにより、車両と上述した複数のポイントとの相対的な運動を検出することができる。車両の運転者が視覚により知覚する周囲環境(道路)の流れ(フロー)は、車両と周囲環境との相対運動によって生ずるものだからである。
【0038】
さらに、速度制御ECU26は、車両の運転者が注視点を注視しているものとして、車両の前方道路を含む所定エリアに設定した複数のポイントの運動を、車両の運転者の網膜球面を模擬した座標系(以下、網膜球面座標系)に投影する。そして、網膜球面座標系に投影した運動における、注視点から周囲に放射状に拡がる発散成分(divergence)を算出する。すなわち、運転者が視覚により認識する周囲環境の流れ(フロー)の内、注視点から周囲に放射状に拡がる発散成分(divergence)を算出するのである。
【0039】
車両の運転者は、車両が運動(走行)したとき、視覚に関しては、周囲環境の変化(視覚的には周囲環境のフロー)を捉えて、車両の運動を知覚する。視覚により認識される周囲環境の流れには、図4(a)に示すように、注視点から周囲に放射状に拡がる発散成分(divergence)と、図4(b)に示すように、注視点の周りを回転する回転成分(curl)とがある。
【0040】
このうち、発散成分は、車両の速度が高くなるほど大きくなり、速度が低くなるほど小さくなる。このため、発散成分は、車両の運転者が感じる速度感と関連性が強いといえる。
【0041】
また、このような周囲環境のフローの一因子である発散成分は、車両の近傍の周囲環境ほど大きくなり、遠方になるほど小さくなる特性を有している。さらに、車両が旋回する場合、車両の前進運動に加えて、回転方向への運動が生じるため、車両が旋回前からの速度を保っている場合、回転方向への運動の分だけ発散成分は大きくなる。さらに、車両が走行する路面の勾配が変化する場合にも、車両の前進運動に加えて、上下方向の運動が生じるため、車両の速度を一定に保っている場合には、発散成分は大きくなる。
【0042】
発散成分は、以下のようにして求めることができる。まず、図5(a)に示すように、注視点を目標地点とし、車両の現在位置(車両の運転者の視点位置)から目標地点に向かう方向をX軸、そのX軸と直交し、車両の横方向に伸びるY軸、及びX軸と直交し、車両の上下方向に伸びるZ軸からなる直交座標系を定める。そして、図5(b)に示すように、この直交座標系において、上述した所定エリアに設定された複数のポイントの座標位置(x、y、z)を求める。
【0043】
さらに、図5(c)に示すように、座標位置(x、y、z)を有し、直交座標系の原点から距離RのポイントAの運動を網膜球面を模擬した座標系に投影した際の、網膜球面座標系での、そのポイントAの運動における発散成分は、以下の数式1によって算出することができる。
【0044】
【数1】

【0045】
つまり、車両の運転者の注視点への視線方向をX軸としているので、注視点から周囲に放射状に拡がる発散成分は、x、R方向の速度、3次元位置(x、y、z)、及び距離Rにより決定することができる。なお、R方向の速度は、車両の前後方向、横方向、及び上下方向の速度を合成したものであるが、車両の前後方向の速度は車速センサ22によって検出され、また、車両の横方向の速度成分及び車両の上下方向の速度成分は、横方向加速度センサ18及び上下方向加速度センサ20の検出値から求めることができる。
【0046】
所定エリアに設定された全てのポイントについて、発散成分の算出が完了すると、ステップS230に進んで、算出した各ポイントの発散成分に基づいて、車両の運転者が感じている速度感を示す指標を算出する。
【0047】
ここで、車両の運転者は、車両が走行(運動)したとき、視覚的には、周囲環境の一点のフローではなく、全体のフローから、車両の運動を知覚する。そのため、本実施形態では、運転者の速度感を示す指標として、各ポイントの発散成分の総量を求めることとした。この際、本実施形態では、ベクトル解析の流束演算の考え方を応用することにより、発散成分の総量を求めている。
【0048】
具体的には、まず、図6(a)に示すように、注視点を中心として、ある半径を有する円環を設定し、その円環から流出する流束を、以下の数式2により求める。
【0049】
【数2】

【0050】
次に、運転者が視覚により知覚する発散成分の総量を求めるため、図6(b)に示すように、上述した円環の半径rを0から、上述の所定エリアをカバーする値(r=r)まで変化させつつ、積分する。すなわち、以下の数式3により、発散成分の全流束を算出する。
【0051】
【数3】

【0052】
このようにして算出された発散成分の全流速が、車両の運転者の速度感を示す指標となる。
【0053】
発散成分の全流束(総量)が、車両の運転者の感じる速度感を適切に表しており、その発散成分の総量に基づいて速度制御を行うことが有効であることを検証するため、熟練ドライバーに図7に示すようなカーブ路が続くコースで自動車を運転してもらい、その間、継続的に周囲環境のフローにおける、発散成分の総量(FOD)を算出してみた。なお、図7に示すコースには、多少のアップダウンも存在する。
【0054】
その結果を示すのが、図8のグラフである。図8では、比較のため、同じコースを速度一定で運転した場合における、発散成分の総量(FOD)も示している。
【0055】
図8に示すように、速度一定で運転した場合には、発散成分の総量が、カーブ路やアップダウンなど道路形状に応じて変動している。これは、上述したように、車両がカーブ路を走行する際には、車両の前進運動に加えて、回転方向への運動が生じるため、車両が旋回前からの速度を保っている場合、回転方向への運動の分だけ発散成分が大きくなるためである。また、道路の勾配が変化する場合には、車両の前進運動に加えて、上下方向の運動が生じるため、車両の速度を一定に保った場合には、上下方向の運動の分だけ発散成分は大きくなるためである。そして、この速度一定運転の車両の運転者や乗員が感じる速度感は、実際の走行速度は一定であるにも係らず、発散成分の総量(FOD)の変動と同じ傾向を持って変動した。
【0056】
一方、熟練ドライバーが運転した場合、カーブ路や勾配が変化する道路を走行するとき速度を減速させるが、図10に示すように、発散成分の総量はほぼ一定であった。このとき、車両の運転者や乗員が感じる速度感もほぼ一定であった。この結果から、発散成分の総量は、車両の運転者が感じる速度感を適切に示すものであること、及び、熟練ドライバーは、無意識の内に、発散成分の総量、すなわち速度感が一定になるような運転を行っていると言える。
【0057】
そのため、本実施形態では、発散成分の総量が一定となるように、車両の速度制御を行う。これにより、熟練運転者と同等の速度制御を行うことが可能となる。その際、車両の運転者が感じる速度感は、道路形状が変化してもほぼ一定に保たれるので、車両の運転者が、違和感や恐怖感を覚えることを抑制することができる。
【0058】
図2のフローチャートの説明に戻り、以下、具体的な速度制御の内容について説明する。ステップS110にて、速度感を示す指標(発散成分の総量)が算出されると、次に、ステップS120において、車両の運転者により制御スイッチ32が操作され、制御開始が指示されたか否かを判定する。このとき、制御開始が指示されていないと判定されると、ステップS100の処理に戻り、制御開始が指示されたと判定されると、ステップS130の処理に進む。
【0059】
ステップS130では、ステップS110にて算出された速度感を示す指標である発散成分の総量(FOD)を、速度制御の目標値として保存する。
【0060】
このように、図2のフローチャートでは、予め速度感を示す指標を逐次算出しておき、制御スイッチ32が操作された時点で、その算出した指標を目標値として保存している。このため、制御スイッチ32を操作した時点で、車両の運転者が感じている速度感を、遅滞なく速度制御の目標値として設定することが可能である。ただし、制御スイッチ32が操作されてから、車両の運転者が感じている速度感を示す指標の算出を行い、目標値として保存しても良い。
【0061】
続くステップS140では、ステップS100と同様に、周囲環境検出部10及び車両運動検出部16の各種のセンサの検出信号と、顔画像撮影カメラ34が撮影した顔画像の取り込みを行う。そして、ステップS150において、取り込んだ検出信号や顔画像に基づいて、車両の運転者が感じる速度感を示す指標の算出を行う。この速度感を示す指標の算出は、ステップS110と同様に行われる。すなわち、ステップS150では、車両の運転者が、現在の時点で感じている速度感を示す指標を算出するのである。なお、制御遅れなどを考慮し、現在の走行状態を維持したものとして、N秒後の自車位置における速度感を示す指標を算出しても良い。
【0062】
そして、ステップS160では、目標値として保存されている速度感を示す指標と、現在(又はN秒後の将来)の速度感を示す指標との偏差を算出する。ステップS170では、算出された偏差に基づいて、速度制御指令値を算出する。例えば、速度感を示す指標の偏差を速度制御指令値の補正量に換算するマップや関数を用いて、速度感を示す指標の偏差に対応する速度制御指令値の補正量を算出する。そして、現在の速度制御指令値に対して、算出した補正量分だけ補正して、新たな速度制御指令値を算出する。そして、ステップS180では、算出した速度制御指令値に基づいて、速度制御を実行する。この際、車両の走行速度が速度制御指令値に一致するように、駆動力制御アクチュエータ28や制動力制御アクチュエータ30を制御する。
【0063】
ステップS190では、制御スイッチ32により、速度制御の終了が指示されたか否かを判定する。この判定において、制御終了が指示されていないと判定されると、ステップS140からの処理を繰り返す。一方、制御終了が指示されたと判定されると、図2のフローチャートに示す速度制御処理を終了する。
【0064】
なお、本実施形態による速度制御装置は、従来のオートクルーズ制御装置と同様に、運転者がアクセルペダルを操作しなくとも、運転者が一定の速度感を得られるように、自動的に走行速度を制御できるものである。
【0065】
ただし、運転者がアクセルペダルを操作しているときに、本実施形態の速度制御装置による速度制御を実行することも可能である。この場合、速度制御装置自身の速度制御による速度と、運転者のアクセルペダルの操作による速度とのいずれか小さい方の速度となるように、車両の速度を制御することが好ましい。これにより、本速度制御装置の速度制御による速度を上限速度として車両の走行速度が制御されるので、安全性の向上を図ることができる。
【0066】
また、本実施形態による速度制御装置において、従来のオートクルーズ装置と同様に、車両の走行速度を(一定速度だけ)増速する増速スイッチや、走行速度を(一定速度だけ)減速する減速スイッチを設けても良い。この場合、運転者が増速スイッチや減速スイッチを操作したことに応じて、車両の走行速度が変化したとき、目標値とする発散成分の総量を更新することが好ましい。これにより、制御速度の増減が指示された場合に、その増減後の制御速度に対応する速度感が得られるように、車両の走行速度を制御することが可能となる。
【0067】
また、上述した実施形態では、制御スイッチ32により、速度制御の開始が指示された時点で、そのときの発散成分の総量を、速度制御の目標値として保存するようにしていたが、制御スイッチ32の制御開始操作を、車両が直進しているときにのみ受け付けるようにしても良い。車両が直進しているときの速度感と同じ速度感で車両が旋回等すると、より車両の運転者は違和感や恐怖感を感じにくくなるためである。
【0068】
以上、本発明の好ましい実施形態について説明したが、本発明は、上述した実施形態になんら制限されることなく、本発明の主旨を逸脱しない範囲において、種々変形して実施することができる。
【0069】
例えば、上述した実施形態では、運転者の顔を撮影する顔画像撮影カメラ30を設置し、そのカメラによって撮像された顔画像から運転者の黒目の位置を検出し、その黒目の位置に基づいて注視点を設定していた。しかしながら、例えば車両の前方方向を撮影するカメラを設置し、その前方カメラが撮像した画像において、物体の動きをベクトル表現し(すなわち、オプティカルフローを算出し)、そのオプティカルフローが最小となる点を注視点に設定してもよい。車両の運転者は、運転中に視角運動量の最小点を注視する傾向にあることが、経験的に、また、心理学的に明らかなためである。なお、この場合、オプティカルフローを算出する点を道路上に限定してもよい。また、注視点を設定する位置を道路上に限定しても良い。
【0070】
また、注視点の設定に関しては、周囲環境検出部10によって得られる仮想の走行環境に、車両運動検出部16によって検出した車両の運動を当てはめることにより、走行環境において設定した複数のポイントの中で、最も運動が小さくなるポイント(フロー最小点)を注視点として設定しても良い。
【0071】
この場合、速度制御ECU26は、車両の運転者が、当該車両の車軸方向を視ているものとして、車両の前方道路を含む所定エリアに設定した複数のポイントの運動を、車両の運転者の網膜球面を模擬した座標系(以下、網膜球面座標系)に投影して、その網膜球面座標系における運動の大きさを示す視覚運動量を演算する。
【0072】
図5(c)において、車両の車軸方向をX軸、このX軸とY軸とのなす平面において、X軸からの角度である方位角をθ、X軸とZ軸とがなす平面において、X軸からの角度である仰角をφとし、位置Aの網膜球面座標系上での像(網膜像)をaとすると、網膜像aの位置はa(θ、φ)と記述することができる。そして、速度制御ECU26は、その網膜像aの離心角ωの変化率(離心角変化率)の絶対値を視覚運動量として算出する。離心角変化率は、車速をV、位置Aまでの距離をR、ヨーレートをγとすると、次の数式4で表すことができる。
【0073】
【数4】

【0074】
上述した数式4の導出方法については、本出願人が出願した特開2010−36777号公報に詳しく記載されているので、導出方法についての説明は省略する。
【0075】
速度制御ECU26は、車両の前方道路を含む所定エリアに設定した複数のポイントの位置、距離R、車速V、及びヨーレートγから、式4を用いて、各ポイントの離心角変化率を連続的に算出する。この離心角変化率は、網膜球面座標系を用いて算出したものであることから、運転者の視覚感覚を示していると言える。すなわち、速度制御ECU26は、所定エリアに設定した複数のポイントの物理的運動(並進運動、回転運動)を、視覚的な運動量に変換している。
【0076】
このようにして、所定のエリアに設定した複数のポイントに関して視覚運動量を算出すると、次に、算出した複数のポイントの視覚運動量に基づいて運転者の注視点を逐次設定する。具体的には、例えば図9に示すように、複数のポイントに関して、視角運動量として算出した離心角変化率の絶対値のうちの最小値を探索し、この最小値に対応するポイントを注視点に設定する。なお、運転者は、運転中は道路上のどこかを注視していると推定できるため、注視点の設定位置は、車両が走行する前方道路上に制限しても良い。
【0077】
上述した実施形態では、車両の運動を検出し、検出した車両運動を仮想の走行環境に当てはめることにより、車両と周囲環境(複数のポイント)との相対的な運動を検出していた。しかしながら、例えば、ミリ波レーザ、レーザレーダ、ステレオカメラなどを物体検出手段として用いて、実際に車両の周囲環境に存在する静止物体の位置情報(方位、距離)を検出することにより、車両に対する周囲の静止物体の運動を検出することも可能である。なお、検出対象となる静止物体としては、路面、ガードレール、標識、道路脇の建造物などが該当する。車両に対する静止物体の位置情報を検出することができれば、車両の運転者の網膜球面を模擬した座標系における、その静止物体の運動を求めることができるためである。
【0078】
また、上述した実施形態では、制御スイッチ32により、速度制御の開始が指示されたときに得られている速度感を示す指標を目標値として速度制御を行うものであった。しかしながら、運転者が特定できれば、各運転者の嗜好に合う速度感はほぼ一定とみなすことも可能である。そのため、速度制御が実行された場合に、そのときの運転者に対応して速度感を示す指標を目標値として記憶しておき、次回以降の速度制御において、運転者を特定しつつ、記憶した目標値に基づいて速度制御を行っても良い。運転者の特定は、顔画像の認識、運転者毎の運転席等の調節位置の記憶、運転者に対して複数のスイッチを設け、いずれかのスイッチ操作による運転者の特定など、種々の方法を採用することができる。
【0079】
また、上述した実施形態では、移動体として車両を例示していたが、飛行機、二輪車、車椅子等、他の移動体にも本発明は適用可能である。
【符号の説明】
【0080】
10:周囲環境検出部
16:車両運動検出部
26:速度制御ECU
28:駆動力制御アクチュエータ
30:制動力制御アクチュエータ
32:制御スイッチ
34:顔画像撮影カメラ

【特許請求の範囲】
【請求項1】
移動体の運転者の注視点を設定する注視点設定手段と、
前記移動体の運転者に対する、その移動体の周囲の環境の運動を検出する運動検出手段と、
前記運動検出手段によって検出された周囲環境の運動を、前記移動体の運転者が前記注視点を注視しているものとして、当該運転者の網膜球面を模擬した座標系に投影し、その投影した運動における、前記注視点から周囲に放射状に拡がる発散成分を算出する発散成分算出手段と、
前記注視点を含む所定のエリア内における、前記発散成分算出手段によって算出された発散成分の総量を求める総量算出手段と、
前記総量算出手段によって算出された発散成分の総量が一定となるように、前記移動体の速度を制御する速度制御手段と、を備えることを特徴とする速度制御装置。
【請求項2】
前記運動検出手段は、前記移動体の周囲の環境として、前記所定のエリア内に複数のポイントを設定し、当該複数のポイントの運動を検出することを特徴とする請求項1に記載の速度制御装置。
【請求項3】
前記所定のエリアを、前記移動体のフロントガラスの範囲に対応するように設定することを特徴とする請求項1又は請求項2に記載の速度制御装置。
【請求項4】
前記移動体は、道路を走行する車両であって、
前記運動検出手段は、
道路地図を記憶した道路地図記憶手段と、
前記車両の現在位置を検出する現在位置検出手段と、
前記車両の前後方向、横方向及び上下方向の運動を検出する車両運動検出手段と、を備え、
前記道路地図及び前記車両の現在位置から定められる仮想の走行環境において、前記車両の前後方向、横方向及び上下方向の運動を用いて、前記車両の運転者に対する前記複数のポイントの相対的な運動を検出することを特徴とする請求項2又は請求項3に記載の速度制御装置。
【請求項5】
前記運動検出手段は、
移動体の周囲環境に存在する物体の位置を周囲環境として取得する物体検出手段を備え、
前記物体検出手段によって取得された物体のうち、静止物体の位置の変化に基づいて、前記移動体の運転者に対する周囲環境の運動を検出することを特徴とする請求項1又は請求項2に記載の速度制御装置。
【請求項6】
前記注視点設定手段は、前記運動検出手段によって検出された周囲環境の運動を、前記移動体の運転者が前記移動体の進行方向を視ているものとして、前記運転者の網膜球面を模擬した座標系に投影した場合に、その運動が最も小さくなる点を、前記注視点として設定することを特徴とする請求項1乃至請求項5のいずれか一項に記載の速度制御装置。
【請求項7】
前記移動体の運転者の眼球を含む画像を撮像する運転者カメラを備え、
前記注視点設定手段は、前記運転者カメラによって撮像された運転者の眼球を含む画像を解析することで前記注視点を設定することを特徴とする請求項1乃至請求項5のいずれか一項に記載の速度制御装置。
【請求項8】
前記移動体に搭載され、移動体の進行方向の画像を連続的に撮像する前方カメラを備え、
前記注視点設定手段は、前記前方カメラが撮像した画像上のオプティカルフローに基づいて前記注視点を設定することを特徴とする請求項1乃至請求項5のいずれか一項に記載の速度制御装置。
【請求項9】
前記速度制御手段は、前記移動体の運転者により制御開始が指示されると前記移動体の速度制御を開始するものであり、前記移動体の運転者によって制御開始が指示されたときに前記総量算出手段によって算出された発散成分の総量を目標値として、その後に前記総量算出手段によって算出される発散成分の総量が目標値に近づくように、前記移動体の速度を制御することを特徴とする請求項1乃至請求項8のいずれか一項に記載の速度制御装置。
【請求項10】
前記速度制御手段は、速度制御を開始した後に、前記移動体の運転者により速度の増減操作が行われたことに応じて、目標値とする発散成分の総量を更新することを特徴とする請求項9に記載の速度制御装置。
【請求項11】
速度制御手段による速度制御が開始された後に、前記運転者により前記移動体の速度を調節する速度調節部材の操作が行われたとき、前記速度制御手段は、自身の速度制御による速度と、前記速度調節部材の操作による速度とのいずれか小さい方の速度となるように、前記移動体の速度を制御することを特徴とする請求項9又は請求項10に記載の速度制御装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2012−41021(P2012−41021A)
【公開日】平成24年3月1日(2012.3.1)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−186413(P2010−186413)
【出願日】平成22年8月23日(2010.8.23)
【出願人】(000004260)株式会社デンソー (27,639)
【Fターム(参考)】