説明

遺体保存用固定液及び遺体保存固定方法

【課題】遺体の腐敗及び遺族或いは遺体の清浄処理を行う業者の細菌感染を防止するだけでなく、簡便な操作で、遺体をできるだけ生前に近い状態で保存するための技術を提供する
【解決手段】アルコール濃度が15%〜85容量%の含水低級アルコール中に、グルタルアルデヒドを0.6〜10容量%含む遺体保存用固定液。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、遺体を一定期間保存するための遺体保存用固定液及び遺体保存・固定方法に関する。
【0002】
本発明は、特にエンバーミングに好ましく適用できる。
【背景技術】
【0003】
エンバーミングは、遺体を1〜2週間或いはそれ以上の期間保存し、遺体の腐敗及び遺族の細菌感染を防止し、葬儀を円滑にすすめるための技術である。また、遺体を長距離移送させる場合や、事故等により遺体が損傷を受けている場合にも必要とされる。
【0004】
遺体の保存のために、棺を冷却する方法が知られているが(特許文献1)、この方法では長期間の保存は困難であり、また、遺体は棺の中で保存する必要があり、遺族が遺体に触れることは難しくなる。
【0005】
エンバーミングの手法として、腐敗しやすい内臓を摘出する方法や、ホルマリン固定液を血管からポンプで圧入し、血液を固定液で置換する方法が知られているが(特許文献2)、この方法では、内臓を遺体から取り出す際に感染が起こる危険性があり、また、エンバーミング処置が大がかりなものになる。さらに、ホルマリンは薬品臭が強く、遺体の保存・固定に時間がかかり、腐食が進むだけでなく、遺体が硬くなるため、遺族が遺体に触れたときの感触が生前の状態とは異なるものになる欠点がある。
【特許文献1】特開平9-285507号公報
【特許文献2】特開平6-24901号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は、遺体の腐敗及び遺族或いは遺体の清浄処理を行う業者の細菌感染を防止するだけでなく、簡便な操作で、遺体をできるだけ生前に近い状態で保存するための技術を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者は、上記課題に鑑み検討を重ねた結果、固定剤としてグルタルアルデヒドと特定濃度のアルコールを組み合わせた保存液を使用し、遺体に注入することで、遺体を生前に近い状態で保存することができ、遺体の腐敗や感染のリスクを実質的に抑制できることを見出し、本発明を完成した。
【0008】
本発明は以下の固定液及び固定化方法に関する。
1. アルコール濃度が15〜85容量%の含水低級アルコール中に、グルタルアルデヒドを0.6〜10容量%含む遺体保存用固定液。
2. 低級アルコールがエタノールである項1に記載の固定液。
3. エタノールの濃度が30〜75容量%である項1または2に記載の固定液。
4. グルタルアルデヒドの濃度が1〜5容量%である項1〜3のいずれかに記載の固定液。
5. 水が緩衝液である項1〜4のいずれかに記載の固定液。
6. 界面活性剤をさらに含む請求項1〜5のいずれかに記載の固定液。
7. 項1〜6のいずれかに記載の固定液を遺体に注入することを特徴とする遺体を保存及び固定する方法。
8. 項1〜6のいずれかに記載の固定液を腹腔内に注入する項7に記載の方法。
9. 固定液の注入量が、遺体の体重kg当たり10ml〜100mlである項7または8に記載の方法。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、遺体の腐敗を1〜2週間またはそれ以上(好ましくは3週間以上)、真夏の時期においてもほとんど腐敗臭を感じない程度にまで保存することができる。
【0010】
また、グルタルアルデヒドを使用することで遺体の固定・保存を速やかに行うことができ、死後2日程度経過した遺体であっても、十分にエンバーミング処置を行い、遺体に触れる遺族等が細菌感染する危険性を実質的に回避できる。
【0011】
本発明の遺体を固定ないし保存する方法では、固定液を注入するだけでよく、大規模な設備は必要なく感染のおそれもない。
【0012】
さらに、遺体に触れたときの感触が生前と同じかそれに近く、従来のエンバーミング処置した遺体のように硬くないので、遺族が心情的に受け入れやすい状態に保存することができる。
【0013】
本発明によれば、固定後の遺体について、必要があればさらに解剖を行い病因の特定が可能であるため、例えば大規模災害などにも対応できる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
本発明では、遺体の固定・保存にグルタルアルデヒドと特定濃度の含水アルコールを併用する。グルタルアルデヒドは、ホルマリンに比較して保存・固定化のための処置の時間が短いため、死後24時間程度経過した遺体であっても、本発明の固定液を注入することにより、遺体からの腐敗臭の発生を抑制することができる。グルタルアルデヒドの濃度は、0.6〜10容量%程度、好ましくは1〜5容量%程度である。グルタルアルデヒドが0.6容量%未満であると、遺体を固定・保存することができない。また、グルタルアルデヒド濃度が10容量%を超えると、薬品臭が発生し、遺体が硬くなり過ぎるからである。
【0015】
本発明の固定液に使用される含水アルコールとしては、水と低級アルコールの混合物を用いるのが好ましく、低級アルコールとしては、メタノール、エタノール、n−プロパノール、イソプロパノールなどの炭素数1〜3のアルコールが挙げられ、好ましくはエタノールである。一方、水としては、水道水、蒸留水、イオン交換水等の任意の水を使用でき、緩衝液を使用することも可能である。緩衝液としては、リン酸緩衝液、クエン酸緩衝液などが使用できる。水として、緩衝剤の他に生理食塩水などの塩類(例えば塩化ナトリウム)を含む溶液を使用することもできる。水の浸透圧としては、体液に近い状態を保つことが望ましい。体液は、ヒトの遺体を対象とした場合には0.9g/l(0.145mol/l)であるので、その前後が望ましい。
【0016】
本発明の固定液である含水アルコールとグルタルアルデヒドの混合物は、必要であれば水、アルコール及びグルタルアルデヒドを任意の順序で配合して調製することができる。
【0017】
本発明の固定液において、アルコール濃度は15〜85容量%、好ましくは20〜85容量%、より好ましくは25〜80容量%、さらに好ましくは30〜75容量%である。アルコール濃度が15容量%未満であると、十分量(例えば1.25容量%)のグルタルアルデヒドを使用しても遺体が未固定のままとなる。一方、アルコール濃度が85容量%を超えると、組織の軽度の崩れが認められる。
【0018】
本発明の固定液には界面活性剤を配合することができる。使用可能な界面活性剤の種類に特に制限はなく、具体的には、Tween 20、Tween 80、Triton X100、ソルビタンモノオレエート等が挙げられる。界面活性剤は、通常5容量%以下、好ましくは0.05〜3容量%程度配合できる。
【0019】
本発明の固定液には、さらに着色剤を配合することもできる。例えば赤、ピンク、オレンジ系の着色剤を配合しておけば、該着色剤が皮膚に拡散し、赤みの差した外観になるため好ましい。
【0020】
本発明の固定液は、体内に注入することで、遺体の保存・固定化処理を行うことができる。注入部位としては、腹腔、胸腔、皮下、消化管等が挙げられ、これらの1箇所または複数箇所に注入することができる。注入は、本発明の固定液が腐食しやすい内臓全体を固定できるような量及び部位に行うのが特に好ましい。なお、筋肉組織は、一般的に腐食が遅く、腐敗臭の発生は少ないため、固定液の注入は必ずしも必要ないが、遺体の保存が長期間にわたる場合や、夏などの気温の高い時期或いは場所で遺体を保存する場合には筋肉組織等の内臓以外の部位についても固定液を注入することができる。但し、注入液を過度に注入すると、遺体からの液漏れが起こる可能性があるため、注入量に注意する必要がある。
【0021】
固定液が注入される遺体は、ヒト(成人及び乳幼児を含む)、哺乳動物(イヌ、ネコ、サル、リス、リスザル、ブタ、ハムスター、モルモット、ウシ、ウマ、フェレット、ウサギ、ヤギ、ヒツジ、ペンギンなど)、家禽類(ニワトリ、チャボ、ダチョウ、アヒル、インコ、ブンチョウなど)、爬虫類(カメ、ワニ、カメレオン、トカゲなど)等の動物の遺体が挙げられる。
【0022】
本発明の固定液の注入量は、動物の種類ないし大きさ、死後の経過時間等により変動するが、通常体重kg当たり10〜100ml程度、好ましくは15〜50ml程度、より好ましくは25〜40ml程度である。
【0023】
本発明の固定液は、ヒトを含む対象動物の体格に合わせて慣用の注射針を適宜用いることによって遺体に注入することができる。例えばヒトの場合18G(ゲージ)またはそれ以上の注射針を用い、また小動物(ネコ、ネズミ等)の場合は23Gまたはそれ以下の注射針を用いるのが好ましい。必要であれば、ディスポーザブル注射針を用いることができる。注射後は注入口を縫合してもよいが、医療用の接着剤で注入口を塞ぐのが便利である。固定液の注入には、必要があればポンプを用いることも可能である。
【0024】
本発明の固定液は安定で、通常の冷蔵保存であれば調製後数ヶ月単位で保存可能である。従って、通常は配合液を事前に調製して使用するのが便利である。しかし、必要であれば、用時調製して使用することもできる。
【0025】
固定液は、一度に注入するのが好ましいが、断続的に注入しても支障はない。
【0026】
1つの好ましい実施形態において、本発明の固定液を遺体に注入する前に、遺体全体を強酸性の電解水などを含む布で拭いて清潔にし、細菌感染を防ぐ措置を施しておくのが好ましい。
【実施例】
【0027】
以下、本発明を実施例及び比較例を用いてより詳細に説明するが、本発明はこれら実施例に限定されるものではない。
【0028】
使用した各試薬及び方法を以下に示す。
グルタルアルデヒド:固定剤
25 %のグルタルアルデヒドを希釈して用いた。
PBS-T:リン酸緩衝生理食塩水(バッファー)+界面活性剤(Tween 20または80)
PBS-Tは、界面活性剤の最終濃度が0.05%になるように調整したものを用いた。
エタノール:最終濃度が約70%になるように調整したものを用いた。

(方法) 死亡直後のマウスの腹腔内にそれぞれ作成した固定液を5mlシリンジにて注入した。すべての実験において同じ操作を繰り返した。

実験1:PBS-Tの全体量に対する割合の決定
グルタルアルデヒドの希釈濃度を20倍希釈(1.25%)とし、PBS-Tを全く入れないもの、全体量の25%、50%、75%入れたもの、無処置のもの(control)を比較した。処置後1日放置しておき、解剖し、肝臓および腸管をHE染色して比較した。
【0029】
【表1】

【0030】
結論:エタノールは重要でPBS-T(75%)(エタノールの最終濃度で70%×3ml÷15ml=14%)にすると固定は出来なくなったが、PBS-T(50%)(エタノールの最終濃度で70%×6.75ml÷15ml=31.5%)にすると固定可能である。また、表には示さないが、エタノール濃度は15%以上であれば、固定可能であった。以上のことより70%濃度のエタノールは全体量で15%以上で使用し、PBS-Tもそれに対応して必要量を入れることにした。

実験2a:グルタルアルデヒドの希釈濃度の決定(1)
PBS-Tを全体量の50% としてグルタルアルデヒドの希釈濃度を5倍希釈(5%)、20倍希釈(1.25%)、80倍希釈(0.3125%)、グルタルアルデヒドを入れないもの(control)を比較した。処置後1日放置しておき、解剖し、肝臓および腸管をHE染色して比較した。
【0031】
【表2】

【0032】
結果:20倍希釈(1.25%)以上が特に有効と判明した。

実験2b:グルタルアルデヒドの希釈濃度の決定(2)
PBS-Tを全体量の50% としてグルタルアルデヒドの希釈濃度を10倍希釈(2.5%)、20倍希釈(1.25%)、40倍希釈(0.625%)、グルタルアルデヒドを入れないものを比較した。処置後1日放置しておき、解剖し、肝臓および腸管をHE染色して比較した。
【0033】
【表3】

【0034】
結果:グルタルアルデヒドの希釈濃度は40倍希釈(0.625%)でほぼ固定できることが明らかになった。なお、上記の表には示さないが、グルタルアルデヒド濃度が0.6%以上であれば、固定できることを確認した。

実験3:固定液を注入する時期の決定
死後1日経過したもの、2日経過したもの、3日経過したものに実験1、実験2a、実験2bで決定した濃度の固定液を注入して比較した。処置後1日放置しておき、解剖し、肝臓および腸管をHE染色して比較した。
【0035】
【表4】

【0036】
結果:死後48時間までは固定可能であるが、腐敗臭を完全に抑制するためには24時間以内の処置が望ましいことが判明した。

実験4:固定液を注入後放置したもの
実験1、実験2a、実験2bで決定した濃度の固定液を注入して、処置後1週間、2週間、3週間経過したものを比較した。それぞれを解剖して、肝臓および腸管をHE染色して比較した。ここではグルタルアルデヒドの希釈濃度を15倍希釈(1.67%)としたものを用いた。
【0037】
【表5】

【0038】
結果:肉眼的にはいずれの場合も差はなかった。一度腸管は固定されると、3週間後も腐敗はなく、筋肉などによる腐敗臭はほとんど問題にならないことが判明した。

実験5:サルでの固定(4例)
1)体重3.290g、三歳のメスのカニクイザルでの固定
固定液としてグルタルアルデヒドと蒸留水を用いた。
【0039】
グルタルアルデヒドの希釈濃度を10倍希釈(2.5%)になるように蒸留水のみで希釈した。この固定液をシリンジで腹腔内に180ml注入した後、室温に放置した。処置後1日おいて、解剖を行った。
結果:解剖前から腐敗臭が発生していた。肉眼的にも表面から明らかな腐敗が確認された。内臓などすべての臓器に腐敗臭が発生し腸管も腐敗ガスが充満しており肉眼的にも腐敗が見られた。固定は失敗であった。
結論:固定液の組成が問題で、蒸留水のみで希釈することを断念した。浸透圧の関係で、蒸留水のみでは細胞を破壊したからと判断した。

・ 体重680g、生後4ヶ月のオスのカニクイザルの固定
1)の失敗をもとにして、固定液の組成を変更した。
【0040】
グルタルアルデヒドの希釈濃度を10倍希釈(2.5%)とし、70%エタノールとPBS-Tの混合液で希釈した。エタノール:PBS-T=2:3の割合で調整した。この固定液をシリンジにて腹腔内に120ml注入した後、室温に放置した。処置後1日おいて、解剖を行った。
結果:薬品臭及び腐敗臭は全くしなかった。また内臓もきれいに固定されていた。
結論:希釈液に固定効果と殺菌効果のあるエタノールを用いたことと、バッファーとしての生理食塩水を加えたことで、固定液が等張あるいは低張となったことで臓器に浸透したため固定されたと判断した。

・ 体重520g、生後3ヶ月のオスのニホンザルの固定
2)での成功をさらに確認したいために、固定液の組成を2)と同じ割合で行った。
【0041】
グルタルアルデヒドの希釈濃度を10倍希釈(2.5%)とし、70%エタノールとPBS-Tの混合液で希釈した。エタノール:PBS-T=2:3の割合で調整した。この固定液をシリンジにて腹腔内に80ml注入した後、室温に放置した。処置後1日おいて、解剖を行った。
【0042】
2)と同様に薬品臭及び腐敗臭は全くしなかった。また、内臓もきれいに固定されていた。

・ 体重750g、生後8ヶ月のメスのニホンザルの固定
2)および3)で成功していたので、固定液の組成をエタノール:PBS-T=1:1の割合に変更した。
【0043】
グルタルアルデヒドの希釈濃度を15倍希釈(1.67%)とし、70%エタノールとPBS-Tの混合液で希釈した。エタノール:PBS-T=1:1の割合で調整した。この固定液をシリンジにて腹腔内に150ml注入した後、室温に放置した。処置後1日おいて、解剖を行った。
【0044】
2)、3)と同様に薬品臭及び腐敗臭は全くしなかった。また、内臓もきれいに固定されていた。
【図面の簡単な説明】
【0045】
【図1a】実験1の結果を示す図である。
【図1b】実験1の結果を示す図である。
【図2a】実験2a、2bの結果を示す図である。
【図2b】実験2a、2bの結果を示す図である。
【図3a】実験3の結果を示す図である。
【図3b】実験3の結果を示す図である。
【図4a】実験4の結果を示す図である。
【図4b】実験4の結果を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
アルコール濃度が15〜85容量%の含水低級アルコール中に、グルタルアルデヒドを0.6〜10容量%含む遺体保存用固定液。
【請求項2】
低級アルコールがエタノールである請求項1に記載の固定液。
【請求項3】
エタノールの濃度が30〜75容量%である請求項1または2に記載の固定液。
【請求項4】
グルタルアルデヒドの濃度が1〜5容量%である請求項1〜3のいずれかに記載の固定液。
【請求項5】
水が緩衝液である請求項1〜4のいずれかに記載の固定液。
【請求項6】
界面活性剤をさらに含む請求項1〜5のいずれかに記載の固定液。
【請求項7】
請求項1〜6のいずれかに記載の固定液を遺体に注入することを特徴とする遺体を保存及び固定する方法。
【請求項8】
請求項1〜6のいずれかに記載の固定液を腹腔内に注入する請求項7に記載の方法。
【請求項9】
固定液の注入量が、遺体の体重kg当たり10ml〜100mlである請求項7または8に記載の方法。

【図1a】
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【図1b】
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【図2a】
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【図2b】
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【図3a】
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【図3b】
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【図4a】
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【図4b】
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