説明

量子ビット形成装置および量子ビット形成方法

【課題】従来よりもクラスター状態の生成が容易な量子ビット形成装置および量子ビット形成方法を提供すること。
【解決手段】量子ビット形成装置600は、光格子を生成する第1及び第2のレーザー601、602と、当該光格子内の複数の冷却フェルミ原子(図示せず)と、磁場発生装置603とを備える。冷却フェルミ原子は、2つの異なる内部自由度(|0>、|1> とする。)を有し、量子ビットとして機能する。従来の技術では無視されていた高次のエネルギー準位を仮想的・一時的に利用し、また、フェルミ原子の統計性に起因した性質(パウリ原理)を利用することで、クラスター状態を生成できる。仮想遷移は、第1のレーザー601及び第2のレーザー602の光強度を一時的に低減して、光格子のエネルギー準位の間隔を、原子間に働く弾性散乱による相互作用エネルギー Uσσ′ よりも小さくすることにより生じさせることができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、量子ビット形成装置および量子ビット形成方法に関し、より詳細には、2つの異なる内部自由度を有するフェルミ原子を用いた量子ビット形成装置および量子ビット形成方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、量子力学を情報処理に用いることにより、これまでにできなかった新しい情報処理ができることが提案されている。量子情報処理の基本単位は量子ビットであるが、量子ビット全体が量子力学的な相関を持った量子エンタングルメント状態を作製した後に、単一量子ビットに対する観測・制御をくり返すことで、様々な量子演算を行う一方向量子計算が理論的に提案されている(非特許文献1参照)。特に、量子ビット全体をクラスター状態と呼ばれる量子エンタングルメント状態にすることができれば、計算機として必要とされるすべての量子演算が実現できることが示されている(非特許文献1参照)。
【0003】
スケーラブルな量子計算装置を実現するために、光格子中の冷却原子で作られた量子ビットを用いて量子エンタングルメント状態を作成する方法が提案されており、以下のようなものがある。
【0004】
(a)一般に、隣り合う格子点上に存在する量子ビット間にイジング型の相互作用が働く場合、クラスター状態を生成できることが理論的に提案されている(非特許文献2参照)。
【0005】
(b)Duan等によって、光格子中の2成分ボーズ原子気体を量子ビットとして、フェッシュバッハ共鳴を適切に用いれば、イジング型の相互作用が量子ビット間に働くことが理論的に提案されている(非特許文献3参照)。
【0006】
(c)Mandel等によって、偏光したレーザー光を用いて光格子を生成すれば、原子が持つ磁気モーメントに依存した光格子ポテンシャルを生成できることが理論的に提案されている。これを利用して、異なる磁気モーメントをもつ原子を量子ビットとして、光格子ポテンシャルをうまく制御すれば、量子ビット間にイジング型の相互作用が働くことが示されている(非特許文献4参照)。
【0007】
(d)Mandel等によって、ボーズ原子 87Rb を用いた上記の系が実現されており、原子間に相互作用があることが確認されている。しかし、クラスター状態の実現の確認には至っていない(非特許文献5参照)。
【0008】
(e)Ray等によって、波長の違うレーザーを用いて変調を加えた光格子を生成すれば、ユニットセル中の2状態のフェルミ原子対(結合・反結合状態)の間にイジング型の相互作用が働くことが理論的に提案されている(非特許文献6参照)。
【0009】
(1.光格子中の冷却原子気体)
ここでは、光格子の生成方法と、光格子中の冷却原子気体の波動関数について、一次元光格子を例にとって述べる。2次元、3次元への拡張が可能である。
【0010】
1.1 光格子の生成方法
光格子ポテンシャルは、波数 k を持つ2つのレーザー光を対向方向から照射して作る(図1)。ただし、レーザー光の周波数 f = k/2πc は、原子の共鳴周波数より大きく離長させておき、原子がレーザー光を吸収しないように設定する。c は光速である。このとき、干渉光で生じる周期 a = π/k を持つポテンシャル
【0011】
【数1】

【0012】
が光格子ポテンシャルである。ここで V0 は、レーザー光の強度に比例する量である。1次元光格子ポテンシャルを図2に示す。このポテンシャル中に冷却原子気体を閉じ込めると、ポテンシャルの低い場所に原子は束縛される(図3)。周期的に現れるこのポテンシャルの低い箇所を「格子点」と呼び、光格子ポテンシャルが生成された空間を「光格子」と呼ぶ。
【0013】
1.2 冷却原子気体の波動関数
光格子中の冷却原子気体の波動関数について、以下のことが知られている(非特許文献7参照)。光格子ポテンシャルは、l 番目の格子点 x = la(lは整数)の周りで展開すれば、V(x) - V0k2(x-la)2 となる。そのため、光格子中の原子は、調和型ポテンシャルに束縛された原子とみなすことができる。このとき l 番目の格子点に存在する内部自由度σの原子の波動関数Φnσl(x) は、調和振動子の振動準位の量子数 n を用いて、
【0014】
【数2】

【0015】
【数3】

【0016】
【数4】

【0017】
【数5】

【0018】
各格子点において n=0 の状態で調和型ポテンシャルに束縛された原子は、量子トンネル効果で隣の格子点へと移ることができる。この遷移は次の遷移エネルギーで特徴づけられる。
【0019】
【数6】

【0020】
この量は、s を大きくすると、指数関数的に小さくなる。
【0021】
また、格子点内に2つの原子が存在する場合、原子間に働く弾性散乱により、次式の相互作用エネルギーが加わる。
【0022】
【数7】

【0023】
ここで、asσσ′は内部自由度σ及びσ′を持つ原子間の散乱長である。Uσσ′は、s を大きくすると増加させることができる。
【0024】
また、散乱長asσσ′は、外部磁場 B の操作によって、フェシュバッハ共鳴 BFσσ′ を利用して次の式で与えられることが知られている。
【0025】
【数8】

【0026】
光格子中の冷却原子気体の量子状態は、次のハミルトニアンで記述できることが示されている(非特許文献7参照)。
【0027】
【数9】

【0028】
ここで、c(c)は、i 番目の格子点に、n = 0 の波動関数を持つ内部状態σの原子を生成(消滅)する演算子であり、n( = cc) は、粒子数演算子である。
【0029】
このハミルトニアンは、トンネル効果で原子が各格子点を動き回る項と、同一格子点に原子が複数個存在するとき感じる相互作用の競合を表している。このハミルトニアンで記述される量子状態は非常に複雑であるため、制御が困難である。そのため、このような量子状態を有する原子を用いた量子ビット作成は困難であり、量子計算装置を作製することは現実的ではない。そこで、レーザー光や、フェッシュバッハ共鳴を適切に制御することで、量子状態制御に適したハミルトニアンを作ることが重要である。
【0030】
(2.クラスター状態)
イジング型ハミルトニアンを作ることができればクラスター状態を生成することが理論的に提案されている(非特許文献2参照)。以下でその理論について説明する。
【0031】
ある格子点上の量子ビットを |0>i 及び |1>i とする。格子点は全部で L 個あるとし、各格子点には1つずつ量子ビットが存在するとする。L 個のビットを、|Φ> = Πi|+>iで与えられる状態に初期化する。ここで、|+>i = 1/√2(|0>i + |1>i) である。
【0032】
ここで、全ての隣り合う格子点上の量子ビットが、次のイジング型ハミルトニアンで記述される相互作用を持つと仮定する。
【0033】
【数10】

【0034】
時間がτだけ進んだ時、相互作用の影響を考慮すると、全ビットの状態は次式で与えられる状態へと変化する。
【0035】
【数11】

【0036】
【数12】

【0037】
【数13】

【0038】
となる。この状態は、クラスター状態である。
【0039】
(3.Mandel等の方法)
次に、Mandel等によって提案されたクラスター状態生成装置について述べる。
【0040】
3.1 光格子ポテンシャル
Mandel等の装置においては、図4に示すように、直線偏光を持つ2つレーザーの偏光状態をある角度θだけ他方から傾けて照射させて、光格子ポテンシャルを作る。このとき、光格子ポテンシャルは、異なる偏光状態σ+(-)を持つ光で作られる2つのポテンシャルV+(x,θ) = V0sin2(kx + θ/2)[V-(x,θ) = V0sin2(kx - θ/2)] の重ね合わせである。図中、実線が干渉光σ+による定在波で、波線が干渉光σ-による定在波である。
【0041】
この装置においては、異なる内部自由度|1> ≡ |F = 2;mF = -2>, |0> ≡ |F = 1;mF = -1> を持つ 87Rb 原子を光格子中に閉じ込める。偏光状態の異なるレーザー光で作られる周期ポテンシャルに対して、原子のもつ磁気モーメントに応じて異なる相互作用をするため、|1> 及び |0> に対するポテンシャルは、それぞれ、V1(x,θ) = V-(x,θ) および V0(x,θ) = 3/4V+(x,θ)+1/4V-(x,θ)となる。図5に、θを 0 からπ/4 ずつπまで変化させたときのポテンシャルV1(0)の変化を示す。実線(波線)は、内部自由度σ = 1 (0) を持つ原子の感じるポテンシャルであり、下から順に、θ = 0, π/4, π/2, 3π/4, π である。
【0042】
θ を変化させることで、V1(0) を、左右逆向きにシフトさせることができる。θ = πにおいて、再び格子点が重なるが、このとき、元の格子(θ = 0)と比べると、格子点が半分ずつずれている。つまり、この装置では、隣り合う格子点上の異なる内部自由度を持つ原子、i 番目の格子点上の原子|0>i と i+1 番目の原子|1>i+1 とを、同一格子点上に運ぶことができる。
【0043】
3.2 光格子中の冷却原子気体
光格子中の原子の量子状態は、(9)式で記述されるが、t が大きければ、各格子点の原子は、隣の格子点に量子トンネル効果で飛び移ってしまう。このような状況では、格子点上の原子を量子ビットとして扱うことはできない。しかし、レーザー光強度を調節してs を大きくすれば、
【0044】
【数14】

【0045】
となるため、トンネル効果を無視することができ、原子は格子点上に止まった状態になる(局在する)。ここで、σは、内部自由度を意味する(σ = 0, 1)。
【0046】
加えて、外部磁場を調節してasσσ′を、すなわち、Uσσ′を大きくする。このとき、各格子点に2つ以上の原子が局在する状態は、2原子間の弾性散乱に起因する相互作用の影響で、エネルギーが高いため、存在確率が小さく無視できる。言い換えると、Uσσ′≫ t であるため、(9)式において t に関する項が無視できる。
【0047】
3.3 クラスター状態の生成
Mandel等の装置では、3.2節の操作により、各格子点に粒子が1つずつ詰まった状態を生成する。クラスター状態を生成するために、まず、状態|0> の原子を光格子中の各格子点に配置する。そして、π/2 パルス光を照射することで、重ね合わせ状態(|1> + |0>)/√2 を作る。π/2 パルス光は、|0>、|1> の状態の原子のエネルギー差に共鳴する周波数を持つ光である。
【0048】
その後、3.1節で述べた操作により、|0>、|1> の状態の原子に対する光格子ポテンシャルを逆向きに格子間隔の半分だけシフトさせる。このとき、i 番目の格子点上の原子|0>i と i+1 番目の原子|1>i+1 が、同一格子点上に存在する。このとき、次のハミルトニアンで記述される相互作用を持つ。
【0049】
【数15】

【0050】
であり、これはイジング型相互作用を表すハミルトニアンである。
【0051】
【数16】

【先行技術文献】
【非特許文献】
【0052】
【非特許文献1】R. Raussendorf and H. J. Briegel: Phys. Rev. Lett. 86 (22) (2001) 5188.
【非特許文献2】H. J. Briegel and R. Raussendorf: Phys. Rev. Lett. 86 (5) (2001) 910.
【非特許文献3】L.-M. Duan, E. Demler and M. D. Lukin: Phys. Rev. Lett. 91 (9) (2003) 090402.
【非特許文献4】O. Mandel, M. Greiner, A. Widera, T. Rom, T. W. Hansch and I. Bloch: Phys. Rev. Lett. 91 (1) (2003) 010407.
【非特許文献5】O. Mandel, M. Greiner, A. Widera, T. Rom, T. W. Hansch and I. Bloch: Nature 425 (6961) (2003) 937.
【非特許文献6】A. M. Rey, V. Gritsev, I. Bloch, E. Demler and M. D. Lukin: Phys. Rev. Lett. 99 (14) (2007) 140601.
【非特許文献7】W. Zwerger: Journal of Optics B: Quantum and Semiclassical Optics 5 (2) (2003) S9.
【非特許文献8】M. Kohl, H. Moritz, T. Stoferle, K. Gunter and T. Esslinger: Phys. Rev. Lett. 94 (8) (2005) 080403.
【非特許文献9】S. Jochim, M. Bartenstein, A. Altmeyer, G. Hendl, S. Riedl, C. Chin, J. Hecker Denschlag and R. Grimm: Science 302 (5653) (2003) 2101.
【非特許文献10】K. Shibata, S. Kato, A. Yamaguchi, S. Uetake and Y. Takahashi: Applied Physics B: Lasers and Optics 97 (4) (2009) 753.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0053】
(1)Mandel等のクラスター状態生成方法においては、使用する原子の内部自由度を適切に決定する必要があるため、使用できる原子に限りがある。また、内部自由度の選択が適切でないと、予期しない相互作用が原子間に働くため、完全なクラスター状態の形成に困難が生じる。
【0054】
Mandel等の方法を用いて、ボーズ粒子 87Rb において同方法が試されているが、理論上の理想的な内部自由度が選ばれていない。一般に、冷却原子の内部自由度は核スピンと電子スピンの合成により作られるため、理想的な内部自由度を選ぶことは難しい。このことがクラスター状態作成に際して問題点となっている。実際、V0(x,θ) に、V-(x,θ) と V+(x,θ) が混在しているため、図5に示すように、θ = π/2 において、格子ポテンシャルが浅くなっている。これは有効的に s = V0/Er が小さくなったことに対応する。このことに起因する予期しない相互作用が、クラスター状態作成を困難にする。
(2)Mandel等の方法およびDuan等の方法においては、クラスター状態を生成する際に、原子間の相互作用を強くすることにより2つ以上の原子が同じ格子点に入らないようにすることで、系を初期化する。このとき、原子間の相互作用を利用して系を初期化しているため、初期化に際して原子間に何らかのエンタングルメントが生じる可能性がある。このエンタングルメントを制御することは非常に難しい。つまり、十分な初期化ができない可能性がある。
(3)Rey等の方法においては、フェルミ原子対を量子ビットに見立てる必要がある。フェルミ原子対に対する単一量子ビット操作は単一の原子を用いる方法に比べて困難である。
(4)Duan等の方法およびRey等の方法においては、量子エンタングルメント状態生成にかかる時間が長く、外乱に対して脆弱であることが、実用化に向けての問題点となる。
【0055】
本発明は、このような問題点に鑑みてなされたものであり、その目的は、従来よりもクラスター状態の生成が容易な量子ビット形成装置および量子ビット形成方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0056】
このような目的を達成するために、本発明の第1の態様は、第1及び第2の異なる内部自由度を有するフェルミ原子を用いた量子ビット形成装置において、光格子を生成するための第1のレーザー及び前記第1のレーザーに対向する第2のレーザーと、前記光格子内の複数の冷却フェルミ原子であって、各冷却フェルミ原子は量子ビットとして機能する複数の冷却フェルミ原子と、前記光格子に外部磁場を印加して、各冷却フェルミ原子を前記光格子の各格子点に局在させる磁場発生装置と、前記複数の冷却フェルミ原子にπ/2-パルス光を照射して、量子ビット全体を、前記第1及び第2の内部自由度の重ね合わせ状態の直積状態に初期化するπ/2パルス光生成手段とを備え、前記光格子の隣接する格子点上に存在する冷却フェルミ原子間に、仮想遷移により生じるイジング相互作用が働くことを特徴とする。
【0057】
また、本発明の第2の態様は、第1の態様において、前記第1及び第2のレーザーは、光強度を一時的に低減して、前記光格子のエネルギー準位の間隔を、原子間に働く弾性散乱による相互作用エネルギーよりも小さくすることにより前記仮想遷移を生じさせることを特徴とする。
【0058】
また、本発明の第3の態様は、第1又は第2の態様において、前記第1及び第2のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k を有し、前記第1のレーザーのレーザー光を、波数 k を有するレーザー光および半分の波数 k/2 を有するレーザー光に変換する第1の波長変換素子と、前記第2のレーザーのレーザー光を、波数 k を有するレーザー光および半分の波数 k/2 を有するレーザー光に変換する第2の波長変換素子とをさらに備えることにより、前記光格子の光格子ポテンシャルが変調されることを特徴とする。
【0059】
また、本発明の第4の態様は、第1又は第2の態様において、光格子を生成するための第3のレーザー及び前記第3のレーザーに対向する第4のレーザーをさらに備え、前記第1及び第2のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k を有し、前記第3及び第4のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k/2 を有することにより、前記光格子の光格子ポテンシャルが変調されることを特徴とする。
【0060】
また、本発明の第5の態様は、第1及び第2の異なる内部自由度を有するフェルミ原子を用いた量子ビット形成方法において、第1のレーザー及び前記第1のレーザーに対向する第2のレーザーにより光格子を生成するステップと、前記光格子内の複数の冷却フェルミ原子に外部磁場を印加して、各冷却フェルミ原子を前記光格子の各格子点に局在させるステップと、前記複数の冷却フェルミ原子にπ/2-パルス光を照射して、量子ビット全体を、前記第1及び第2の内部自由度の重ね合わせ状態の直積状態に初期化するステップと、前記光格子の隣接する格子点上に存在する冷却フェルミ原子間に、仮想遷移により生じるイジング相互作用を働かせるステップとを含むことを特徴とする。
【0061】
また、本発明の第6の態様は、第5の態様において、前記仮想遷移は、前記第1及び第2のレーザーの光強度を一時的に低減して、前記光格子のエネルギー準位の間隔を、原子間に働く弾性散乱による相互作用エネルギーよりも小さくすることにより生じさせることを特徴とする。
【0062】
また、本発明の第7の態様は、第5又は第6の態様において、前記第1及び第2のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k を有し、前記第1のレーザーのレーザー光を、波数 k を有するレーザー光および半分の波数 k/2 を有するレーザー光に変換する第1の波長変換素子を通過させ、前記第2のレーザーのレーザー光を、波数 k を有するレーザー光および半分の波数 k/2 を有するレーザー光に変換する第2の波長変換素子を通過させることにより、前記光格子の光格子ポテンシャルを変調することを特徴とする。
【0063】
また、本発明の第8の態様は、第5又は第6の態様において、光格子を生成するための第3のレーザー及び前記第3のレーザーに対向する第4のレーザーをさらに備え、前記第1及び第2のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k を有し、前記第3及び第4のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k/2 を有することにより、前記光格子の光格子ポテンシャルが変調されることを特徴とする。
【発明の効果】
【0064】
本発明によれば、光格子の隣接する格子点上に存在する冷却フェルミ原子間に、仮想遷移によりイジング相互作用を働かせることにより、フェルミ原子であればどのような内部自由度であっても使用できる量子ビット形成装置および方法を提供することができる。当該量子ビット形成装置および方法は、量子ビット全体を容易にクラスター状態とすることができるので、量子計算機として必要とされるすべての量子演算が実現可能である。
【図面の簡単な説明】
【0065】
【図1】光格子の生成方法を説明するための図である。
【図2】1次元光格子ポテンシャルを示す図である。
【図3】光格子ポテンシャル中に冷却原子気体が閉じ込められる様子を示す図である。
【図4】Mandel等による光格子の生成する装置を示す図である。
【図5】図4のθを 0 からπ/4 ずつπまで変化させたときのポテンシャルV1(0)の変化を示す図である。
【図6】本発明に係る量子ビット形成装置を示す図である。
【図7】仮想遷移の概念を説明するための図である。
【図8】本発明の第2の実施形態に係る量子ビット形成装置における変調された光格子ポテンシャルを示す図である。
【図9】変調を加えた光格子中の原子のエネルギー準位を表す模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0066】
以下、図面を参照して本発明の実施形態を詳細に説明する。
【0067】
(第1の実施形態)
図6に、本発明の第1の実施形態に係る量子ビット形成装置を示す。量子ビット形成装置600は、光格子を生成する第1及び第2のレーザー601、602と、当該光格子内の複数の冷却フェルミ原子(図示せず)と、磁場発生装置603とを備える。冷却フェルミ原子は、2つの異なる内部自由度(|0>、|1> とする。)を有し、量子ビットとして機能する。冷却は、第1及び第2のレーザー601、602のレーザー光により行うことができる。波長変換素子604、605については後述する。ここでは、1次元の場合について説明するが、2次元、3次元への拡張が可能である。
【0068】
本実施形態に係る量子ビット形成装置600では、光格子ポテンシャルを制御することで、冷却フェルミ原子間にイジング相互作用を働かせて、クラスター状態を生成する。内部自由度の性質に依存しない原理を用いてクラスター状態を生成するため、従来技術のように、適切な内部自由度を選択する必要、及び、理想的ではない内部自由度を選択したことによって生じる問題点がない(問題点(1))。
【0069】
量子ビット形成装置600では、まず、光格子に第1の内部自由度 |0> を持つフェルミ原子を閉じ込める。このとき「パウリ原理」と呼ばれるフェルミ原子の統計性に起因した性質により、各格子点にはフェルミ原子は1つずつしか入ることができない。このため、自然と|0> ビットの直積Πi|0>i に初期化される。従来技術では、原子間に働く弾性散乱に起因する相互作用を利用していたため、|0> ビットの直積状態への初期化が十分にできない問題点を解決できる(問題点(2))。
【0070】
次いで、|0> ビットの直積状態Πi|0>i に、π/2-パルス(第1の内部自由度|0> を 第1及び第2の内部自由度の重ね合わせ状態|+> に変換するパルス)をπ/2パルス光を生成する光源(図示せず)により照射し、量子ビット全体を直積Πi|+>i にする。
【0071】
【数17】

【0072】
【数18】

【0073】
【数19】

【0074】
【数20】

【0075】
この仮想遷移の概念を図7に示す。図7(a)及び(c)に示すように、始状態及び終状態ではエネルギーが低い状態、つまり、各格子点には n = 0 の量子状態の原子が1つだけ占有した状態をとる。しかし、仮想的・一時的な中間状態(図7(b))においては、高エネルギー状態が許される。仮想的な中間状態において、同一の格子点に存在する粒子間には相互作用が生じる。しかし、同一格子点に、異種原子が存在するときは相互作用が生じるが、同種の原子が存在するときは相互作用は生じない。これも、「パウリ原理」に起因したフェルミ原子特有の性質である。
【0076】
このように、隣の格子点上に存在する原子の種類によって異なる相関は、以下のハミルトニアンで与えられる。
【0077】
【数21】

【0078】
これは、イジング型相互作用である。ここで、σiαは、各格子点の量子ビット |0(1)>i に作用するパウリ行列である。また、t01 は、振動レベル n = 0 の原子が隣の格子点の振動レベル n = 1 の状態に移る遷移行列であり、以下の式で与えられる。
【0079】
【数22】

【0080】
【数23】

【0081】
以上のように、本装置においては、従来の技術では無視されていた高次のエネルギー準位を仮想的・一時的に利用し、また、フェルミ原子の統計性に起因した性質(パウリ原理)を利用することで、クラスター状態を生成できる。仮想遷移は、第1のレーザー601及び第2のレーザー602の光強度を一時的に低減して、光格子のエネルギー準位の間隔を、原子間に働く弾性散乱による相互作用エネルギー Uσσ′ よりも小さくすることにより生じさせることができる。
【0082】
上述した量子ビット形成装置および方法に、Shibata 等によって提案されている光格子中のフェルミ原子を1つずつ制御する方法を組み合わせれば、任意の量子演算が可能となる(非特許文献10参照)。
【0083】
なお、上述の説明では、大小関係を「>>」又は「<<」により、十分に大きい又は十分に小さいと規定した箇所があるが、これらは、それぞれ「>」又は「<」に置き換えて、単に大きい又は小さいとしても同様の作用・効果を得ることができる。
【0084】
また、光強度を一時的に低減する時間は、上記一定の時間τに完全に一致しなくとも、イジング相互作用を作用させればエンタングル状態を生成することができる。
【0085】
(第2の実施形態)
第2の実施形態に係る量子ビット形成装置は、第1のレーザー601及び第2のレーザー602の波数 k を有するレーザー光を、それぞれ第1の波長変換素子604及び第2の波長変換素子605を通過させることにより、波数 k を有するレーザー光と、半分の波数 k/2 を有するレーザー光に変換する。波数 k を有するレーザー光および半分の波数 k/2 を有するレーザー光を対向方向から照射して干渉光を作ることで、次の式で与えられる規則的な変調を与えた光格子ポテンシャルを生成することができる。
【0086】
【数24】

【0087】
f は、2つのレーザーの強度の割合を表すパラメータである。
【0088】
変調されたポテンシャルは、偶数番目の格子点と奇数番目の格子点でポテンシャルに差が生じる。図8にf = 0.2 とした時の例を示す。このポテンシャルの差をΔ = fV0 とする。
【0089】
【数25】

【0090】
このとき、前述の仮想遷移は、格子の変調によって生じたポテンシャル差Δの影響を受ける。これは、隣の格子点の原子のエネルギー状態が、有効的にΔだけ小さくなるからである。その概念図を図9に示す。
【0091】
このとき、イジング相互作用の定数は、
【0092】
【数26】

【0093】
【数27】

【0094】
なお、図6では、レーザー光を変換する第1及び第2の波長変換素子604、605を用いたが、第1及び第2の波長変換素子604、605の代わりに、第1のレーザー601及び第2のレーザー602のレーザー光の半分の波数 k/2 を有するレーザー光を照射する第3及び第4のレーザーを用いてもよい。この場合、第3及び第4のレーザーは、対向方向から波数 k/2 を有するレーザー光を照射して干渉光を作る。
【0095】
実施例1
ここでは、フェルミオンである 40K 原子を用いた量子ビット形成装置の実施例について述べる。
【0096】
まず、波長λ = 826nm のレーザー、及び波長を半分に変換する波長変換素子を用いて、前述の周期構造を変化させた光格子を作る。このとき、Er - 2π × 7KHz である。
【0097】
次の2つの内部自由度を有する 40K 原子を用いる。|F = 9/2; mF = -9/2> 及び |F = 9/2; mF = -5/2> を用いる。以下では、それぞれ、|0> 及び |1> と表記する。これらの2状態間には、次の式で特徴づけられる散乱長 aSC = a0(1 - ΔB/(B-BF)) が働く。ここで、abg = 174a0, BF = 224.21 ± 0.05G, ΔB = 9.7 ± 0.6G である。(非特許文献8参照)。ただし、a0 - 0.053nm はボーア半径である。
【0098】
本装置では、外部磁場をB = 224G に固定しておく。その時の散乱長はaSC -460nm である。
【0099】
本装置では、まず光格子に、|0> の内部自由度を持つ原子だけを閉じ込める。このときパウリ原理によって、各格子点にはフェルミ原子は1つずつしか入ることができないため、自然と|0> ビットの直積Πi|0>i に初期化される。
クラスター状態を生成するためには、系の量子ビットを|+>i = (|0>i +|1>i)/2 の直積状態Πi|+>i に初期化する必要がある。そこで、次に、π/2-パルス(|0> → |+> に変換するパルス)を照射し、量子ビット全体をΠi|+>i にする。ここで、π/2-パルスは、現在の磁場 B = 224G 下での、|0> と|1> のゼーマンエネルギーに共鳴する光で、無線周波数帯に位置する。
【0100】
【数28】

【0101】
【数29】

【0102】
s = 5、f = 0.5 とすれば、この時間は、おおよそ 2msec 程度となる。
【0103】
実施例2
ここでは、フェルミオンである 6Li 原子を用いた量子ビット形成装置の実施例について述べる。
【0104】
まず、波長λ = 826nm のレーザー、及び波長を半分に変換する波長変換素子を用いて、前述の周期構造を変化させた光格子を作る。このとき、Er - 2π×48KHz である。
次の2つの内部自由度を有する 6Li 原子を用いる。|F = 1/2; mF = -1/2> 及び |F = 1/2; mF = -1/2> を用いる。以下では、それぞれ、|0> 及び |1> と表記する。
【0105】
これらの2状態間には、次の式で特徴づけられる散乱長aSC = abg(1 - ΔB/(B-BF)) が働く。ここで、abg - -2160a0, BF = 850G, ΔB = -320G である(非特許文献8参照)。ただし、a0 はボーア半径である(非特許文献9参照)。
【0106】
本装置では、外部磁場をB = 830G に固定しておく。その時の散乱長はaSC -1700nm である。
【0107】
本装置では、まず光格子に、|0> の内部自由度を持つ原子だけを閉じ込める。このときパウリ原理によって、各格子点にはフェルミ原子は1つずつしか入ることができないため、自然と|0> ビットの直積Πi|0>i に初期化される。
【0108】
クラスター状態を生成するためには、系の量子ビットを|+>i = (|0>i +|1>i)/2 の直積状態Πi|+>i に初期化する必要がある。そこで、次に、π/2-パルス(|0> → |+> に変換するパルス)を照射し、量子ビット全体をΠi|+>i にする。ここで、π/2-パルスは、現在の磁場B = 830G 下での、|0> と|1> のゼーマンエネルギーに共鳴する光で、無線周波数帯に位置する。
【0109】
【数30】

【0110】
【数31】

【0111】
s = 5、f = 0.5 とすれば、この時間は、おおよそ 0.35msec 程度となる。
【符号の説明】
【0112】
600 量子ビット形成装置
601 第1のレーザー
602 第2のレーザー
603 磁場発生装置
604 第1の波長変換素子
605 第2の波長変換素子

【特許請求の範囲】
【請求項1】
第1及び第2の異なる内部自由度を有するフェルミ原子を用いた量子ビット形成装置において、
光格子を生成するための第1のレーザー及び前記第1のレーザーに対向する第2のレーザーと、
前記光格子内の複数の冷却フェルミ原子であって、各冷却フェルミ原子は量子ビットとして機能する複数の冷却フェルミ原子と、
前記光格子に外部磁場を印加して、各冷却フェルミ原子を前記光格子の各格子点に局在させる磁場発生装置と、
前記複数の冷却フェルミ原子にπ/2-パルス光を照射して、量子ビット全体を、前記第1及び第2の内部自由度の重ね合わせ状態の直積状態に初期化するπ/2パルス光生成手段と
を備え、
前記光格子の隣接する格子点上に存在する冷却フェルミ原子間に、仮想遷移により生じるイジング相互作用が働くことを特徴とする量子ビット形成装置。
【請求項2】
前記第1及び第2のレーザーは、光強度を一時的に低減して、前記光格子のエネルギー準位の間隔を、原子間に働く弾性散乱による相互作用エネルギーよりも小さくすることにより前記仮想遷移を生じさせることを特徴とする請求項1に記載の量子ビット形成装置。
【請求項3】
前記第1及び第2のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k を有し、
前記第1のレーザーのレーザー光を、波数 k を有するレーザー光および半分の波数 k/2 を有するレーザー光に変換する第1の波長変換素子と、前記第2のレーザーのレーザー光を、波数 k を有するレーザー光および半分の波数 k/2 を有するレーザー光に変換する第2の波長変換素子とをさらに備えることにより、前記光格子の光格子ポテンシャルが変調されることを特徴とする請求項1又は2に記載の量子ビット形成装置。
【請求項4】
光格子を生成するための第3のレーザー及び前記第3のレーザーに対向する第4のレーザーをさらに備え、
前記第1及び第2のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k を有し、前記第3及び第4のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k/2 を有することにより、前記光格子の光格子ポテンシャルが変調されることを特徴とする請求項1又は2に記載の量子ビット形成装置。
【請求項5】
第1及び第2の異なる内部自由度を有するフェルミ原子を用いた量子ビット形成方法において、
第1のレーザー及び前記第1のレーザーに対向する第2のレーザーにより光格子を生成するステップと、
前記光格子内の複数の冷却フェルミ原子に外部磁場を印加して、各冷却フェルミ原子を前記光格子の各格子点に局在させるステップと、
前記複数の冷却フェルミ原子にπ/2-パルス光を照射して、量子ビット全体を、前記第1及び第2の内部自由度の重ね合わせ状態の直積状態に初期化するステップと、 前記光格子の隣接する格子点上に存在する冷却フェルミ原子間に、仮想遷移により生じるイジング相互作用を働かせるステップと
を含むことを特徴とする量子ビット形成方法。
【請求項6】
前記仮想遷移は、前記第1及び第2のレーザーの光強度を一時的に低減して、前記光格子のエネルギー準位の間隔を、原子間に働く弾性散乱による相互作用エネルギーよりも小さくすることにより生じさせることを特徴とする請求項5に記載の量子ビット形成方法。
【請求項7】
前記第1及び第2のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k を有し、
前記第1のレーザーのレーザー光を、波数 k を有するレーザー光および半分の波数 k/2 を有するレーザー光に変換する第1の波長変換素子を通過させ、前記第2のレーザーのレーザー光を、波数 k を有するレーザー光および半分の波数 k/2 を有するレーザー光に変換する第2の波長変換素子を通過させることにより、前記光格子の光格子ポテンシャルを変調することを特徴とする請求項5又は6に記載の量子ビット形成方法。
【請求項8】
光格子を生成するための第3のレーザー及び前記第3のレーザーに対向する第4のレーザーをさらに備え、
前記第1及び第2のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k を有し、前記第3及び第4のレーザーのレーザー光は、それぞれ波数 k/2 を有することにより、前記光格子の光格子ポテンシャルが変調されることを特徴とする請求項5又は6に記載の量子ビット形成方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2011−232400(P2011−232400A)
【公開日】平成23年11月17日(2011.11.17)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−100125(P2010−100125)
【出願日】平成22年4月23日(2010.4.23)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成20年度 独立行政法人科学技術振興機構「光格子に閉じ込められた冷却原子に対する量子状態制御理論」委託事業、産業技術強力化法第19条の適用を受ける特許出願
【出願人】(000004226)日本電信電話株式会社 (13,992)
【Fターム(参考)】