説明

量子演算装置及び量子演算方法

【課題】汎用的な演算子群を実現する。
【解決手段】光共振器の固有のモードの中に光格子を生成して、量子ビットとして用いる複数の中性原子3を光格子の各格子点に1つずつ整列させる。光格子に捕捉された中性原子3に対してレーザー光4a,4bを照射し、中性原子3と光との相互作用のみを用いて量子ビットのゲート操作を行う。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、量子計算機に係る技術に関し、特に中性原子の量子状態を光で制御することにより量子演算を行う量子演算装置及び量子演算方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
現在普及している古典的な計算機では如何なる技術革新を考慮しても現実的な時間内では計算が不可能とされる問題を、解決する能力があると予言されているのが量子計算機である。量子計算機は、量子状態を保持する基本単位である量子ビットにゲート操作を行うことで演算を行うものであるが、実用的な量子演算には、量子ビット数が2桁以上必要である。
【0003】
従来、量子ビットとしてイオンや分子中の核スピンを用いたものでは、高々8個程度の量子ビットを実現するに止まる状況であるが、中性原子を用いれば、数的拡張性があり、1000個以上の量子ビットに独立な状態を記録して計算する量子計算機を作ることができると考えられる。
このような中性原子を用いた量子計算機の実現方法として、2重光格子や光超格子を用いる方法が提案されている(例えば、非特許文献1、非特許文献2参照)。非特許文献1では、波数ベクトルの比が有理数となる複数の光格子ポテンシャルを重畳することで生成した、原子が無い空のポテンシャル極小点を周期的に有する光超絡子を用いて、内部状態に依存して原子を輸送することにより、制御回転ゲートを実現する量子回路が提案されている。
【0004】
また、中性原子以外では、イオンを用いた量子計算機の実現方法として、2個のイオンと共通振動モードを用いる方法が研究されている(例えば、非特許文献3、非特許文献4参照)。
【0005】
【非特許文献1】向井哲哉他,「光超格子を用いた量子演算」,第11回量子情報技術研究会資料,QIT2004,p.182−185,2004年
【非特許文献2】Fujio Shimizu,「Scalable Quantum Computer With Optical Lattices」,Japanese Journal of Applied Physics,2004,Vol.43,No.12,P.8376-8382
【非特許文献3】Stephan Guide et al.,「Implementation of the Deutsch-Jozsa algorithm on an ion-trap quantum computer」,Nature,2003,Vol.421,p.48-50
【非特許文献4】Ferdinand Schmidt-Kaler et al.,「Realization of the Cirac-Zoller controlled-NOT quantum gate」,Nature,2003,Vol.422,p.408-411
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
中性原子を用いた量子計算において、2量子ビット間の演算に原子間の相互作用を用いる方法では、原子を空間的に移動させることが不可欠である。この原子の移動操作によって、原子の量子状態が変化することは演算操作を複雑にするため避けるべきである。従って、この原子の移動操作は、準静的変化の範囲内でゆっくりと行うことが基本になる。すなわち、実用的な実験条件を用いた場合、1回のゲート操作に少なくとも1ミリ秒程度の時間が必要になる。この1ミリ秒程度のゲート演算時間は、原子が量子状態を保持できる有限の時間内に、数万回のゲート演算を実行する上での大きな障害となることが予測されていた。
【0007】
本発明は、上記課題を解決するためになされたもので、短時間でゲート演算が出来る光と原子との相互作用のみにより量子演算を行う量子演算装置及び量子演算方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明の量子演算装置は、光共振器と、この光共振器の固有のモードの中に光格子を生成して、量子ビットとして用いる複数の中性原子を前記光格子の各格子点に1つずつ整列させる手段と、前記光格子に捕捉された中性原子に対してレーザー光を照射する照射手段とを備え、前記中性原子と前記レーザー光との相互作用を用いて前記量子ビットのゲート操作を行うようにしたものである。
また、本発明の量子演算装置の1構成例は、前記光共振器の固有モードの光子を媒介として、2量子ビット間の演算を行うようにしたものである。
また、本発明の量子演算装置の1構成例において、前記光格子は、前記レーザー光の焦点よりも大きな格子点間隔を持つようにしたものである。
【0009】
また、本発明の量子演算装置の1構成例において、前記照射手段は、制御ビット原子と被制御ビット原子に対してそれぞれ状態変換を施す状態変換手段と、前記制御ビット原子の量子状態を前記光共振器の光子数状態に変換する量子状態−光子数状態変換手段と、前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第1のアダマール変換手段と、共鳴ラマン遷移で前記被制御ビット原子と前記光共振器の光子数状態とを結合させる結合手段と、前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第2のアダマール変換手段と、前記光共振器の光子数状態を前記制御ビット原子の量子状態に変換する光子数状態−量子状態変換手段と、前記制御ビット原子と前記被制御ビット原子の位相をそれぞれ反転させる反転手段と、前記制御ビット原子と前記被制御ビット原子に対して前記状態変換の逆変換を施す逆変換手段とを有するものである。
また、本発明の量子演算装置の1構成例において、前記照射手段は、制御ビット原子と被制御ビット原子に対してそれぞれ状態変換を施す状態変換手段と、前記制御ビット原子の量子状態を前記光共振器の光子数状態に変換する量子状態−光子数状態変換手段と、前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第1のアダマール変換手段と、非共鳴ラマン遷移で前記被制御ビット原子と前記光共振器の光子数状態とを結合させる結合手段と、前記光共振器の光子数状態を前記制御ビット原子の量子状態に変換する光子数状態−量子状態変換手段と、前記制御ビット原子の量子状態を位相シフトさせる位相シフト手段と、前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第2のアダマール変換手段と、前記制御ビット原子と前記被制御ビット原子に対して前記状態変換の逆変換を施す逆変換手段とを有するものである。
【0010】
また、本発明の量子演算方法は、光共振器の固有のモードの中に光格子を生成して、量子ビットとして用いる複数の中性原子を前記光格子の各格子点に1つずつ整列させる捕捉手順と、前記光格子に捕捉された中性原子に対してレーザー光を照射する照射手順とを備え、前記中性原子と前記レーザー光との相互作用を用いて前記量子ビットのゲート操作を行うようにしたものである。
【発明の効果】
【0011】
本発明によれば、光共振器の固有のモードの中に、量子ビットとして用いる複数の中性原子を光格子の各格子点に1つずつ整列させ、光格子に捕捉された中性原子に対してレーザー光を照射し、中性原子とレーザー光との相互作用を用いて量子ビットのゲート操作を行うことにより、任意の論理関数を実現できる汎用的な演算子群を実現することができる。また、本発明では、中性原子量子ビットのゲート演算に、光と原子との相互作用のみを用いることで、1回のゲート操作に必要な時間を大幅に短縮することができ、原子が量子状態を保持できる有限の時間内に、数十万回のゲート演算を行うことができる。さらに、本発明では、原子に対する全ての操作を、極少数のレーザー光の入断と偏向のみによって達成することができる。
【0012】
また、本発明では、制御ビット原子と被制御ビット原子に対してそれぞれ状態変換を施し、制御ビット原子の量子状態を光共振器の光子数状態に変換し、被制御ビット原子に対してアダマール変換を行い、共鳴ラマン遷移で被制御ビット原子と光共振器の光子数状態とを結合させ、被制御ビット原子に対して再びアダマール変換を行い、光共振器の光子数状態を制御ビット原子の量子状態に変換し、制御ビット原子と被制御ビット原子の位相をそれぞれ反転させ、制御ビット原子と被制御ビット原子に対して状態変換の逆変換を施すことにより、1量子ビットの任意のユニタリ変換と2量子ビット間のCNOT演算とを、多数の量子ビット間で等価的に行うことができる。
【0013】
また、本発明では、制御ビット原子と被制御ビット原子に対してそれぞれ状態変換を施し、制御ビット原子の量子状態を光共振器の光子数状態に変換し、被制御ビット原子に対してアダマール変換を行い。非共鳴ラマン遷移で被制御ビット原子と光共振器の光子数状態とを結合させ、光共振器の光子数状態を制御ビット原子の量子状態に変換し、制御ビット原子の量子状態を位相シフトさせ、被制御ビット原子に対して再びアダマール変換を行い、制御ビット原子と被制御ビット原子に対して状態変換の逆変換を施すことにより、1量子ビットの任意のユニタリ変換と2量子ビット間のCNOT演算とを、多数の量子ビット間で等価的に行うことができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
本発明は、光と原子との相互作用のみにより量子ビットのゲート操作を行うことを特徴としている。中性原子量子ビットのゲート演算に、光と原子との相互作用のみを用いることで、1回のゲート演算を10マイクロ秒以下の非常に短時間で行うことができる。量子ビットとなる中性原子を、光格子により3次元もしくは2次元的に整列させ、空間的に固定する。演算に用いる量子ビットは、2本のレーザー光の交点もしくは1本のレーザー光を、その量子ビットの位置に重ねることで選択される。このとき、唯一の量子ビットのみがレーザー光と相互作用する領域内に存在するように、格子点の間隔がレーザー光の焦点の大きさよりも十分大きな光格子を用いる。
【0015】
図1は1量子ビット演算用のラマン遷移および光共振器との結合用のラマン遷移を示すエネルギー準位図である。図1のαが1量子ビット演算用のラマン遷移を示し、図1のβが光共振器との結合用のラマン遷移を示している。図1において、ω0,ω1,ω2,ω3は誘導ラマン遷移を起こす光、ωcは光共振器モードの光子、ωarはアンチストークスラマン遷移を起こすアンチストークス光、ωsrはストークスラマン遷移を起こすストークス光を表している。また、|3>,|2>,|1>,|0>は原子のエネルギー状態、F1,F2,F3は仮想的な励起準位を表している。
【0016】
1量子ビットの任意のユニタリ変換は、光周波数の違いによるエネルギーの差が、原子の内部状態|1>と|0>とのエネルギー差に等しい2本のレーザー光(図1のω0とω1)によるラマン遷移を用いて行うことができる。
【0017】
図2は光共振器中の光格子を示す模式図である。図2において、1aは光共振器を構成する凹面鏡(ミラー面は上に凸)、1bは同じく光共振器を構成する凹面鏡(ミラー面は下に凸)、2は光共振器のTEM00モード、3は原子、4a,4bはレーザー光である。図2は上下の凹面鏡1a,1bによって作られる光共振器のTEM00モード2の中に、光格子によって原子3を整列させ、光共振器の外からビーム半径Z0に集光した2本のレーザー光4a,4bを交差させて、演算に用いる原子を特定する様子を示している。
【0018】
2量子ビット間の演算には、全ての量子ビットと等価的に相互作用する光共振器の固有モードの光子を媒介とする。そのため、光格子中の全ての原子は、図2に記したように単一の光共振器のモード体積の中に置かれる。
【0019】
共振器モードの光子を原子とカップルさせるには、光共振器の外から入射する1本の光で誘導ラマン遷移を起こさせることになるが、外部からの光が1本だけでも、特定の1原子だけと相互作用させるために、原子を|0>もしくは|1>の状態から、図1に記した|2>もしくは|3>の状態に変換させる方法をとる。すなわち、|2>もしくは|3>の状態にある原子が誘導ラマン遷移を起こす光(図1のω2もしくはω3)に対して、|0>もしくは|1>状態にある原子は共鳴しないことを利用する。したがって、演算に関与する原子は、|0>、|1>の状態から|2>、|3>の状態に変換される段階で、2本のレーザー光の交点により選別される。
【0020】
系の量子状態を説明するために、制御ビット原子の量子状態a、被制御ビット原子の量子状態b、光共振器の光子数状態nを用いて、系の状態を波動関数ΨによりΨ=|a,b,n>で表すことにする。
光共振器中に光子が存在しない初期状態をΨ0とすると、初期状態Ψ0は次式のように表すことができる。
Ψ0=Φ00|0,0,0>+Φ01|0,1,0>+Φ10|1,0,0>
+Φ11|1,1,0> ・・・(1)
ここで、Φabはa,bおよびn以外の量子状態を表している。光共振器の光子数状態とは、光共振器モードに存在する光子の数を表す。
【0021】
次に、制御ビット原子と被制御ビット原子の2原子に光照射を行うことにより、CNOT(制御NOT)演算を実現する例を説明する。初期状態Ψ0からCNOT演算を行うには、共鳴ラマン遷移を用いる方法と非共鳴ラマン遷移を用いる方法が考えられるので、それぞれの場合について順に説明する。
【0022】
[共鳴ラマン遷移を用いるCNOT演算]
演算に用いる制御ビット原子と被制御ビット原子のみが光と共鳴する状態を作り出すために、制御ビット原子に対して下記の変換Aを行うと共に、被制御ビット原子に対して下記の変換Bを行う。
【0023】
【数1】

【0024】
【数2】

【0025】
変換Aは、制御ビット原子の|0>状態を|3>状態に変換し、制御ビット原子の|1>状態を|2>状態に変換するものである。制御ビット原子に変換Aを施すには、ω0,ω1,ω2,ω3のうち2本の光を適宜組み合わせて制御ビット原子に照射すればよい。
変換Bは、被制御ビット原子の|0>状態を|2>状態に変換し、被制御ビット原子の|1>状態を|3>状態に変換するものである。被制御ビット原子に変換Bを施すには、変換Aと同様にω0,ω1,ω2,ω3のうち2本の光を適宜組み合わせて被制御ビット原子に照射すればよい。
【0026】
変換A,Bの結果、系の状態は、式(1)に示した初期状態Ψ0から以下の状態Ψに変わる。
Ψ=Φ00|3,2,0>+Φ01|3,3,0>+Φ10|2,2,0>
+Φ11|2,3,0> ・・・(4)
【0027】
次に、制御ビット原子の量子状態を、光共振器の光子数状態に変換すると、系の状態Ψは次式のようになる。
Ψ=Φ00|2,2,1>+Φ01|2,3,1>+Φ10|2,2,0>
+Φ11|2,3,0> ・・・(5)
制御ビット原子の量子状態(波動関数Ψの第1引数)を光共振器の光子数状態(波動関数Ψの第3引数)に変換するには、図1に示すようにストークス光ωsrを用いて制御ビット原子にストークスラマン遷移を起こさせ、光共振器中に1つの光子(ωc)を放出させる。例えば式(4)に記載した状態|3,2,0>から式(5)に記載した状態|2,2,1>のように第1引数が|3>から|2>へと変わる過程で、光共振器中に光子が1個放出され、第3引数が1つ増える。
【0028】
次に、被制御ビット原子に対してアダマール変換を行うことで、系の状態は式(5)の状態から式(6)の状態に変わる。
【0029】
【数3】

【0030】
アダマール変換は以下の式のように表すことができる。式(7)におけるTはアダマール行列の1例である。このようなアダマール変換は、被制御ビット原子に照射するレーザー光の光強度と照射時間を調節することで行うことができる。なお、アダマール変換の詳細については、文献「M.A.Nielsen et al.,“Quantum computation and quantum information”,Cambridge University Press,Cambridge,2000」に記載されている。
【0031】
【数4】

【0032】
ここで、共鳴ラマン遷移による被制御ビット原子と光共振器の光子数状態との結合状態を図3に示す。図3では、アンチストークス型のラマン遷移により|2,2,0>状態と|2,3,1>状態とが結合し、|2,2,1>状態と|2,3,2>状態とが結合することを示している。光子数状態n=1からn=2への結合強度は、光子数状態n=0からn=1への結合強度の21/2倍のため、同じパルスを照射したときに、ブロッホベクトルの回転角が21/2倍だけ異なる。
【0033】
図3に示したような共鳴ラマン遷移で被制御ビット原子と光共振器の光子数状態とを結合させるために、図4に記した4つの連続ラマンパルスを照射する。図4では、4つの連続ラマンパルスによるブロッホベクトルの変化を示している。図4(A)、図4(C)、図4(E)、図4(G)は|2,2,0>状態と|2,3,1>状態との結合を表し、図4(B)、図4(D)、図4(F)、図4(H)は|2,2,1>状態と|2,3,2>状態との結合を表している。
【0034】
光子数状態nが0より小さくなる状態は存在しないため、|2,3,0>状態は、孤立して変化しないが、|2,2,0>状態は|2,3,1>状態と結合し、|2,2,1>状態は|2,3,2>状態と結合する。前述のとおり、|2,2,1>状態と|2,3,2>状態との結合の強さは、|2,2,0>状態と|2,3,1>状態との結合強さの21/2倍のため、同じパルスを照射したときに、ブロッホベクトルの回転角が21/2倍だけ異なる。したがって、以下のような4つの連続ラマンパルスを被制御ビット原子に照射する。
【0035】
(a)光子数状態n=0からn=1への結合のためのπパルスを被制御ビット原子に照射して、図4(A)、図4(B)のようにブロッホベクトルを変化させる。
(b)πパルスをπ/2位相シフトして、光子数状態n=1からn=2への結合のためのπパルスを被制御ビット原子に照射して、図4(C)、図4(D)のようにブロッホベクトルを変化させる。
(c)πパルスを−π/2位相シフトして、光子数状態n=0からn=1への結合のためのπパルスを被制御ビット原子に照射して、図4(E)、図4(F)のようにブロッホベクトルを変化させる。
(d)πパルスをπ/2位相シフトして、光子数状態n=1からn=2への結合のためのπパルスを被制御ビット原子に照射して、図4(G)、図4(H)のようにブロッホベクトルを変化させる。
【0036】
このような4つのパルスを連続照射することで、|2,2,0>と|2,3,1>との結合状態、および|2,2,1>と|2,3,2>との結合状態を表すブロッホベクトルは最終的にそれぞれ2πだけ変化することになり、|2,2,0>、|2,3,1>、|2,2,1>、および|2,3,2>の各状態は位相が反転する。しかしながら、4パルスの照射後に|2,3,2>状態は分布がゼロとなっているので、系全体の量子状態は式(8)のようになっている。
【0037】
【数5】

【0038】
次に、被制御ビット原子に対して再びアダマール変換を施すと、系の状態は式(8)の状態から式(9)の状態に変わる。
【0039】
【数6】

【0040】
ここから、光共振器モードの光子の量子状態を制御ビット原子の量子状態に変換することで、系の状態は式(10)に示す状態となる。この変換は、式(4)から式(5)への変換の逆変換を行えばよい。
【0041】
【数7】

【0042】
最後に、制御ビット原子と被制御ビット原子の位相を反転させた後(すなわち、式(10)中の行列の符号を反転させる)、制御ビット原子に対して式(2)の変換Aの逆変換を行うと共に、被制御ビット原子に対して式(3)の変換Bの逆変換を行うことで、系の状態は式(11)に示す状態となって、CNOT演算が完了する。
【0043】
制御ビット原子と被制御ビット原子の位相を反転させるには、制御ビット原子に照射するレーザー光と被制御ビット原子に照射するレーザー光の位相をそれぞれずらせばよい。また、制御ビット原子、被制御ビット原子にそれぞれ変換A,Bの逆変換を施すには、ω0,ω1,ω2,ω3のうち2本の光を適宜組み合わせて制御ビット原子と被制御ビット原子に照射すればよい。
【0044】
【数8】

【0045】
以上により、1量子ビットの任意のユニタリ変換と2量子ビット間のCNOT演算とを、多数の量子ビット間で等価的に行うことができることになり、汎用的でスケーラブルな量子計算機を実現することができる。
【0046】
[非共鳴ラマン遷移を用いるCNOT演算]
演算に用いる制御ビット原子と被制御ビット原子のみが光と共鳴する状態を作り出すために、式(1)で表される初期状態の制御ビット原子および被制御ビット原子に対してそれぞれ変換Bと同様の下記の変換を行う。
【0047】
【数9】

【0048】
これにより、系の状態は、式(1)に示した初期状態Ψ0から式(13)の状態Ψに変わる。
Ψ=Φ00|2,2,0>+Φ01|2,3,0>+Φ10|3,2,0>
+Φ11|3,3,0> ・・・(13)
【0049】
次に、制御ビット原子の量子状態を、光共振器の光子数状態に変換すると、系の状態Ψは次式のようになる。
Ψ=Φ00|2,2,0>+Φ01|2,3,0>+Φ10|2,2,1>
+Φ11|2,3,1> ・・・(14)
【0050】
ここで、被制御ビット原子に対してアダマール変換を行うと、系の状態は式(14)の状態から式(15)の状態に変わる。
【0051】
【数10】

【0052】
次に、被制御ビット原子に照射するレーザー光により、被制御ビット原子と光共振器の光子数状態とを図5のように非共鳴ラマン遷移で結合する。図5では、ストークス型のラマン遷移により|2,3,0>状態と|2,2,1>状態とが結合し、|2,3,1>状態と|2,2,2>状態とが結合することを示している。
【0053】
|2,3,0>状態と|2,2,1>状態、および|2,3,1>状態と|2,2,2>状態が同じ周波数の光で結合するが、|2,3,0>状態の結合によるエネルギーシフトを−θとすると、|2,2,1>状態のエネルギーシフトは+θ、|2,3,1>状態のエネルギーシフトは−2θ、|2,2,2>状態のエネルギーシフトは+2θとなるため、系全体でのシフトは式(16)に示すようになる。
【0054】
【数11】

【0055】
ここで、光共振器の光子数状態を制御ビット原子の量子状態に変換すれば、系の状態は式(17)に示す状態となる。
【0056】
【数12】

【0057】
次に、制御ビット原子に照射するレーザー光の位相をずらして、制御ビット原子の|2>状態に−ξの位相シフトを与えると、制御ビット原子の|3>状態は+ξの位相シフトを受ける。また、制御ビット原子の|2>状態に−ηの位相シフト与えると、制御ビット原子の|3>状態は+ηの位相シフトを受けるので、系全体としては式(18)に示す状態となる。
【0058】
【数13】

【0059】
ここで、例えばξ=π/4、η=−π/4、θ=−π/2とすることで、系の状態を式(19)のようにすることができる。
【0060】
【数14】

【0061】
続いて、被制御ビット原子に対して再びアダマール変換を施すと、系の状態は式(19)の状態から式(20)の状態に変わる。
【0062】
【数15】

【0063】
最後に、制御ビット原子と被制御ビット原子に対して式(12)の変換の逆変換を行うことで、系の状態は式(21)に示す状態となって、CNOT演算が完了する。
【0064】
【数16】

【0065】
以上のような非共鳴ラマン遷移によれば、共鳴ラマン遷移の場合と同様に、1量子ビットの任意のユニタリ変換と2量子ビット間のCNOT演算とを、多数の量子ビット間で等価的に行うことができることになり、汎用的でスケーラブルな量子計算機を実現することができる。
【0066】
次に、本実施の形態の量子演算装置の構成について説明する。本実施の形態では、1つの原子を1つの量子ビットとして用いるために、図2に示す共振器長(凹面鏡1aと1b間の距離)が3mm程度の高Q光共振器のモード体積の中に、量子ビットとして用いる全ての原子3が、格子点間隔が5μm程度の光格子の各格子点に1個ずつ整列した状態にする。このようにすることで、ビーム半径をZ0=1.5μm程度に絞ったレーザー光を用いて、任意の原子1個とレーザー光とを直接相互作用させることができると同時に、光共振器モードの光子と任意の原子とを相互作用させることができる。本実施の形態では、光格子にレーザー光の焦点よりも大きな格子点間隔を持たせることにより、レーザー光と相互作用する領域内に1つの量子ビットのみを存在させることができる。
【0067】
ここで用いる光格子のポテンシャルは、互いに直交するx,y,zの各方向に波数ベクトルを持つ光定在波を、互いの偏光が直交するように重ね合わせることで得られる。この光格子ポテンシャルに、ボーズ凝縮のような極低温・高密度の原子集団から原子を取り込むことで、一つのポテンシャル極小点に、複数の原子が捕捉された状態を作り出すことができる。ここから更に光格子ポテンシャルの強さ、すなわち光強度を調節することで、ポテンシャル極小点間を原子が移動するエネルギーと、一つのポテンシャル中に複数の原子が存在することによる反発エネルギーとの兼ね合いをとり、各ポテンシャル極小点に各1個の原子が捕捉された状態を作り出すことができる。
【0068】
原子種としては、図1のエネルギー準位を持つものを適用することができる。一例としては、アルカリ金属原子のルビジウム原子等がある。
また、光共振器の環境条件は、光格子のモット絶縁状態を作れる一般的な条件が必要となる。すなわち、温度は1マイクロケルビン以下が好適となる。また、光ポテンシャルは、ラムディッケ条件(光格子ポテンシャルをつくる光子の反跳によって、原子がポテンシャルを飛び出さない条件)を充足しなければならない。このような原子種や環境条件については、文献「Markus Greiner et al.,“Quantum phase transition from a superfluid to a Mott insulator in a gas of ultracold atoms”,Nature,2002,Vol.415,p.39-44」に記載されている。
【0069】
演算を行う原子を特定するには、図2に記したように、演算に用いる原子の位置で、2本のレーザー光4a,4bのビーム半径をZ0に絞って交差させることで行う。したがって、制御ビット原子と被制御ビット原子に対してそれぞれ操作を行う場合は、計4本のレーザー光を用いることになる。レーザー光の偏向および入断は音響光学変調器による回折現象を用いればよく、これによりレーザー光の照射手段から照射するレーザー光の位相を調節したり、パルス光を生成したりすることができる。πパルス、2πパルス、アダマール変換等の、ブロッホベクトルの回転角はレーザー光の光強度と照射時間で調節することができる。
【0070】
最終結果の計測は、被計測エネルギー準位と孤立2準位系をなすエネルギー準位との間で共鳴する光を、計測光照射手段から測定対象の原子に照射して、その蛍光を光検出器で観測すればよい。
【0071】
本実施の形態では、1回のゲート操作に必要な時間を大幅に短縮することができ、原子が量子状態を保持できる有限の時間内に、数十万回のゲート演算を行うことができる。さらに、本実施の形態では、原子に対する全ての操作を、極少数(通常2本)のレーザー光の入断と偏向のみによって達成することができる。
【産業上の利用可能性】
【0072】
本発明は、量子計算機を実現する技術に適用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0073】
【図1】1量子ビット演算用のラマン遷移および光共振器との結合用のラマン遷移を示すエネルギー準位図である。
【図2】光共振器中の光格子を示す模式図である。
【図3】共鳴ラマン遷移による被制御ビット原子と光共振器の光子数状態との結合状態を示す図である。
【図4】共鳴ラマン遷移を用いたCNOT演算に用いる連続4パルスによるブロッホベクトルの変化を示す図である。
【図5】非共鳴ラマン遷移による被制御ビット原子と光共振器の光子数状態との結合状態を示す図である。
【符号の説明】
【0074】
1a,1b…凹面鏡、2…光共振器のTEM00モード、3…原子、4a,4b…レーザー光。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
光共振器と、
この光共振器の固有のモードの中に光格子を生成して、量子ビットとして用いる複数の中性原子を前記光格子の各格子点に1つずつ整列させる手段と、
前記光格子に捕捉された中性原子に対してレーザー光を照射する照射手段とを備え、
前記中性原子と前記レーザー光との相互作用を用いて前記量子ビットのゲート操作を行うことを特徴とする量子演算装置。
【請求項2】
請求項1記載の量子演算装置において、
前記光共振器の固有モードの光子を媒介として、2量子ビット間の演算を行うことを特徴とする量子演算装置。
【請求項3】
請求項1記載の量子演算装置において、
前記光格子は、前記レーザー光の焦点よりも大きな格子点間隔を持つことを特徴とする量子演算装置。
【請求項4】
請求項1記載の量子演算装置において、
前記照射手段は、
制御ビット原子と被制御ビット原子に対してそれぞれ状態変換を施す状態変換手段と、
前記制御ビット原子の量子状態を前記光共振器の光子数状態に変換する量子状態−光子数状態変換手段と、
前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第1のアダマール変換手段と、
共鳴ラマン遷移で前記被制御ビット原子と前記光共振器の光子数状態とを結合させる結合手段と、
前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第2のアダマール変換手段と、
前記光共振器の光子数状態を前記制御ビット原子の量子状態に変換する光子数状態−量子状態変換手段と、
前記制御ビット原子と前記被制御ビット原子の位相をそれぞれ反転させる反転手段と、
前記制御ビット原子と前記被制御ビット原子に対して前記状態変換の逆変換を施す逆変換手段とを有することを特徴とする量子演算装置。
【請求項5】
請求項1記載の量子演算装置において、
前記照射手段は、
制御ビット原子と被制御ビット原子に対してそれぞれ状態変換を施す状態変換手段と、
前記制御ビット原子の量子状態を前記光共振器の光子数状態に変換する量子状態−光子数状態変換手段と、
前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第1のアダマール変換手段と、
非共鳴ラマン遷移で前記被制御ビット原子と前記光共振器の光子数状態とを結合させる結合手段と、
前記光共振器の光子数状態を前記制御ビット原子の量子状態に変換する光子数状態−量子状態変換手段と、
前記制御ビット原子の量子状態を位相シフトさせる位相シフト手段と、
前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第2のアダマール変換手段と、
前記制御ビット原子と前記被制御ビット原子に対して前記状態変換の逆変換を施す逆変換手段とを有することを特徴とする量子演算装置。
【請求項6】
光共振器の固有のモードの中に光格子を生成して、量子ビットとして用いる複数の中性原子を前記光格子の各格子点に1つずつ整列させる捕捉手順と、
前記光格子に捕捉された中性原子に対してレーザー光を照射する照射手順とを備え、
前記中性原子と前記レーザー光との相互作用を用いて前記量子ビットのゲート操作を行うことを特徴とする量子演算方法。
【請求項7】
請求項6記載の量子演算方法において、
前記光共振器の固有モードの光子を媒介として、2量子ビット間の演算を行うことを特徴とする量子演算方法。
【請求項8】
請求項6記載の量子演算方法において、
前記光格子は、前記レーザー光の焦点よりも大きな格子点間隔を持つことを特徴とする量子演算方法。
【請求項9】
請求項6記載の量子演算方法において、
前記照射手順は、
制御ビット原子と被制御ビット原子に対してそれぞれ状態変換を施す状態変換手順と、
前記制御ビット原子の量子状態を前記光共振器の光子数状態に変換する量子状態−光子数状態変換手順と、
前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第1のアダマール変換手順と、
共鳴ラマン遷移で前記被制御ビット原子と前記光共振器の光子数状態とを結合させる結合手順と、
前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第2のアダマール変換手順と、
前記光共振器の光子数状態を前記制御ビット原子の量子状態に変換する光子数状態−量子状態変換手順と、
前記制御ビット原子と前記被制御ビット原子の位相をそれぞれ反転させる反転手順と、
前記制御ビット原子と前記被制御ビット原子に対して前記状態変換の逆変換を施す逆変換手順とからなることを特徴とする量子演算方法。
【請求項10】
請求項6記載の量子演算方法において、
前記照射手順は、
制御ビット原子と被制御ビット原子に対してそれぞれ状態変換を施す状態変換手順と、
前記制御ビット原子の量子状態を前記光共振器の光子数状態に変換する量子状態−光子数状態変換手順と、
前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第1のアダマール変換手順と、
非共鳴ラマン遷移で前記被制御ビット原子と前記光共振器の光子数状態とを結合させる結合手順と、
前記光共振器の光子数状態を前記制御ビット原子の量子状態に変換する光子数状態−量子状態変換手順と、
前記制御ビット原子の量子状態を位相シフトさせる位相シフト手順と、
前記被制御ビット原子に対してアダマール変換を行う第2のアダマール変換手順と、
前記制御ビット原子と前記被制御ビット原子に対して前記状態変換の逆変換を施す逆変換手順とからなることを特徴とする量子演算方法。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate

【図3】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate


【公開番号】特開2007−233041(P2007−233041A)
【公開日】平成19年9月13日(2007.9.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−54527(P2006−54527)
【出願日】平成18年3月1日(2006.3.1)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成17年度、独立行政法人科学技術振興機構「アルカリ金属および希ガス原子を使った量子演算システムの開発」委託研究、産業活力再生特別措置法第30条の適用を受ける特許出願
【出願人】(000004226)日本電信電話株式会社 (13,992)
【Fターム(参考)】