説明

金属イオンによる酵素活性の制御方法

【課題】酵素活性を可逆的に人工制御する方法の提供。
【解決手段】金属イオンを酵素に吸着又は脱離させることを特徴とする、酵素活性の制御方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、金属イオンにより酵素活性を調節する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
酵素は、基質特異性という通常の触媒にはない特徴を持つ。さらに、立体構造の相違を識別して鏡像体の一方にのみ作用する能力や、特定の位置に存在する特定の官能基を識別し、作用する能力を備えている。このような特有の性質を活かして、酵素は、工業レベル、実験室レベルで幅広く利用されている。例えば、鏡像体対の光学分割、環境汚染物質の分解、生分解ポリマーの合成などに酵素が利用されている。
【0003】
一方、本来酵素が働く場である生体内においても、酵素は、自身の持つ基質特異性や立体特異性を生かして様々な機能を担っている。しかし、酵素が機能を発揮するときに、酵素には基質特異性や立体特異性といった要素の他に、もう一つ重要な要素が影響する。この要素は酵素活性の制御であり、生体内においては、実に巧妙なメカニズムによって酵素活性が制御されている。
【0004】
この酵素活性の制御を、人為的に操作しようという研究が盛んになされている。このようなアプローチは、医薬の分野などに大きく貢献することが期待される。
【0005】
一方、貴金属イオンは、タンパク質中のヒスチジンやメチオニンのようなアミノ酸残基と相互作用し、酵素に吸着されることが知られている。これまでに、リボヌクレアーゼAに金イオンが吸着されることにより、リボヌクレアーゼAの活性が完全に失われるという報告がされている(非特許文献1)。
【非特許文献1】Anvarhusein A. Isab, Peter J. Sadler, Biochemica et Biophysica Acta, 492, 322-330 (1977)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は、金属イオンによって酵素活性を可逆的に人工制御する方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者は、上記課題を解決するために鋭意研究を行った。本発明者は、貴金属イオンがヒスチジンやメチオニンといったアミノ酸残基と相互作用し、酵素に吸着する性質に着目し、酵素に金属イオンを吸着させると酵素は失活、変性し、反対に酵素に吸着された貴金属イオンを脱離すれば酵素活性が回復すると仮定した。そして、これらの仮定に基づいて鋭意研究を行った結果、金属イオンによる酵素活性の可逆的な人工制御の方法を見出し、本発明を完成した。
【0008】
すなわち、本発明は以下の通りである。
(1)金属イオンを酵素に吸着又は脱離させることを特徴とする、酵素活性の制御方法。
(2)金属イオンを酵素に吸着させることを特徴とする、酵素活性を低下させる方法。
(3)金属イオンを酵素から脱離させることを特徴とする、酵素活性を上昇させる方法。
(4)金属が金又はパラジウムである、(1)〜(3)のいずれか1項に記載の方法。
(5)中性条件下で行うことを特徴とする、(1)〜(4)のいずれか1項に記載の方法。
【発明の効果】
【0009】
本発明により、酵素活性を可逆的に人為制御する方法が提供される。本発明によれば、酵素に金属イオンを吸着又は脱離させるだけで、酵素活性を可逆的にスイッチングすることができるために、非常に簡便な酵素活性の制御システムの構築をすることが可能であり、遺伝子治療、細胞内諸機能の研究・評価の分野において、RNAおよびタンパク質の発現量や、外来遺伝子の導入量を簡便に制御することができる点で有用である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
以下に、本発明を詳細に説明する。
【0011】
本発明は、金属イオンを酵素に吸着又は脱離させることによって、酵素活性を制御する方法であり、金属イオンを酵素に吸着させると酵素活性は低下し、反対に、金属イオンを酵素から脱離させると酵素活性は上昇する点に着目して完成されたものである。
【0012】
本発明において、「制御」とは、人為的に酵素活性を低下させることまたは上昇させることを意味する。
【0013】
本発明において、「酵素活性を低下させる」とは、金属イオンを吸着させる前の酵素よりも酵素活性を低下させることを意味する。
【0014】
本発明において、「酵素活性を上昇させる」とは、金属イオンを脱離させる前の酵素よりも酵素活性を上昇させることを意味する。
1.金属イオン
本発明において、金属イオンとは、金属原子が電子を放出して酸化(イオン化)されて生じるイオンを意味する。金属元素は長周期表の中央及び左側に属している。金属イオンは、金属のイオンである限り、特に限定されるわけではない。金属原子としては、例えば、金、パラジウム、鉄、亜鉛、銅、白金などであり、好ましくは金、パラジウム、より好ましくは金である。
【0015】
金属のイオン化は、当業者であれば金属の種類に応じて容易に行うことができるが、例えば、実施例に記載の方法で行うことができる。
2.金属イオンの吸着方法及び脱離方法
(1)金属イオンは、酵素と接触させることで、酵素に吸着することができる。例えば、金属イオン溶液に、酵素溶液を添加し、1時間緩やかに振とうすることで酵素に吸着することができる。
(2)金属イオンを吸着している酵素に金属イオンと錯化する性質あるいは還元能力を有する物質、例えばチオウレア、ペプチド、塩化物イオン、還元剤などを添加することで、酵素から金属イオンを脱離することができる。例えば、金属イオンを吸着させた酵素溶液にチオウレア等を4 mMになるように添加し、1時間緩やかに振とうすることで酵素から金属イオンを脱離することができる。
(3)吸着条件及び脱離条件
反応条件は、金属イオン非存在下で酵素が変性、失活しない限り、特に限定されるものではない。
【0016】
例えばpHは、好ましくは3〜11、より好ましくは4〜10、さらにより好ましくは5〜9、特に好ましくは6〜8、最も好ましくは7(中性)である。
【0017】
また、温度は好ましくは10〜50℃、より好ましくは20〜40℃、特に好ましくは25〜40℃である。
【0018】
反応時の金属イオンの濃度は、1〜100 ppm、より好ましくは10〜50ppm、さらに好ましくは20ppm(100μM)である。対象酵素濃度を基準にすれば、酵素の3倍モル等量以上が必要である。より好ましくは4倍モル等量以上である。
【0019】
反応時の酵素濃度は、0.01〜10 mg/mL 、より好ましくは0.05〜5.0 mg/mL、さらに好ましくは0.1〜1.0 mg/mL、さらにより好ましくは0.5 mg/mLである。
【0020】
脱離反応に添加するチオウレアの濃度は、1〜10 mM、好ましくは4mMである。用いた金属イオン濃度を基準にした場合、10倍モル濃度以上が必要である。より好ましくは40倍モル濃度である。
【0021】
吸着及び脱離における反応時間は、1分〜5時間、好ましくは30分〜3時間、より好ましくは1時間である。
【0022】
反応は静置して行ってもよいし、緩やかに振とうして行ってもよい。
3.酵素活性の測定
酵素活性は、各酵素に適した方法で測定することができる。当業者であれば適宜方法を選択して実施することができる。また、コントロールとして、金属イオンを添加しない場合の酵素の活性測定をすることもできる。
【0023】
例えば、リボヌクレアーゼAの場合は、紫外-可視吸収スペクトルを測定することで酵素活性を測定することができる。具体的には、基質であるcytidin 2',3'-cyclic monophosphate 2mgをTris-HCl Buffer (0.1M, pH 8) 10mLに溶解し、得られた溶液0.8mLに、リボヌクレアーゼA溶液0.2mLを添加し、286nmでの吸光度の増加を測定すればよい。
【0024】
また、例えば、カルボニックアンヒドラーゼBの場合は、基質であるp-nitrophenyl acetate 5.43mgを溶解したアセトン0.3mLに、純水9.7mLを添加し、基質溶液を調整する。この溶液0.34mLに、Tris-HCl緩衝液(0.1M、pH 7.5)を0.65mL添加し、タンパク質溶液0.03mLを加えて、348nmの吸光度の増加を測定することで、酵素活性を測定することができる。
【0025】
また、リゾチームの場合は、基質であるMicrococcus lysodeikticus 5mgをリン酸緩衝液 (0.1M、pH 7) 5mLに溶解させ、基質溶液を調整する。そして、この溶液0.9mLに、酵素溶液0.1mLを添加し、450nmの吸光度の増加を測定することで酵素活性を測定することができる。
【0026】
以下に、実施例により本発明をさらに具体的に説明するが、本発明の範囲は実施例に限定されるわけではない。
【実施例1】
【0027】
金イオンの吸着、脱離によるリボヌクレアーゼA活性の変化
(1)リボヌクレアーゼAへの金イオンの吸着
金イオン標準溶液 (HAuCl4・HCl) 1000ppmを希釈し、水酸化ナトリウム水溶液によりpHを調製し、金イオン濃度20ppm(100μM)で、pHが4と7の溶液を2種類作製した。
【0028】
その後、リボヌクレアーゼAを濃度が0.5 mg/mL、1.0 mg/mLになるように添加し、1時間ゆるやかに振とうした。
(2)チオウレアによる金イオンの脱離
金イオンを吸着させたリボヌクレアーゼAの溶液に、チオウレアを4mMになるように添加し、1時間ゆるやかに振とうした。
(3)リボヌクレアーゼAの活性測定
cytidin 2',3'-cyclic monophosphate 2mgをTris-HCl Buffer (0.1M, pH 8) 10mLに溶かして基質溶液を調整した。この溶液0.8mLに、上記の方法で調整したリボヌクレアーゼA溶液0.2mLを添加し、286nmでの吸光度の増加を測定した。
【0029】
コントロールとして、金イオンを添加しない場合のリボヌクレアーゼA(RNase A)の活性測定も行った。
(4)結果
(3)で 調製した溶液を表1にまとめた。
【0030】
【表1】

表1に記載したそれぞれのサンプルについて、活性測定を行った結果を図1に示す。
【0031】
図1は、金イオン(Au3+)を加えてないときの各pHにおけるリボヌクレアーゼA溶液の酵素活性を100% (Kcat = 5.7×10-2、pH7のとき) として、それぞれのサンプルの酵素活性を百分率に換算したグラフである。
【0032】
図1に示したように、pH 7のときは、どちらのリボヌクレアーゼAの濃度の場合も、金イオンを吸着させると酵素活性がほぼ完全に失活した(図1「■」)。そして、チオウレア添加により金イオンを脱離させると、9割程度まで酵素活性が回復した(図1の斜線を付したグラフ)。
【0033】
一方、pH 4のときは、酵素は完全には失活せず、リボヌクレアーゼA濃度が0.5mg/mLのときは32%、1.0mg/mLのときは68%とリボヌクレアーゼAの濃度依存的に活性が残存した(図1「■」)。しかし、チオウレア添加により金イオンを脱離させた場合は、どちらもほぼ完全に活性が回復した(図1の斜線を付したグラフ)。
【0034】
本実施例の結果から、酸性より中性のpHにおいて、金イオンをリボヌクレアーゼAに吸着、脱離させた方が、リボヌクレアーゼA活性の制御には適していることが示された。
【実施例2】
【0035】
金イオン以外の金属を用いた場合のリボヌクレアーゼA活性の変化
(1)リボヌクレアーゼAへのイオンの吸着
パラジウム(Pd)、白金(Pt)、銅(Cu)、鉄(Fe)、亜鉛(Zn)イオンの標準溶液を希釈し、水酸化ナトリウム水溶液によりpHを調整して、それぞれ濃度20ppm、pH 7になるように金属イオン溶液を作製した。
【0036】
この金属イオン溶液に、リボヌクレアーゼAを1.0mg/mLの濃度になるように添加し、1時間ゆるやかに振とうした。
(2)チオウレアによるイオンの脱離
実施例1の金イオンの場合と同様の方法で、金属イオンを脱離させた。
(3)リボヌクレアーゼAの活性測定
実施例1の金イオンの場合と同様の方法で、酵素活性を測定した。
(4)結果
金イオンの代わりに他の金属を用いて、活性測定を行った結果を図2に示す。この場合も同様に、リボヌクレアーゼAのみの活性を100%として、百分率で表した。
【0037】
図2に示すとおり、パラジウム(Pd)の場合は、パラジウム添加によりリボヌクレアーゼA活性が13%まで低下し(図2「■」)、チオウレアによるパラジウムの脱離により、67%まで回復した(図2斜線を付したグラフ)。
【0038】
また、他の金属の場合は、金属添加により、金イオンほどではないが、活性は低下しており(図2、Pt、Fe、Zn、Cu、「■」)、また、チオウレアの添加によっても活性は一部回復した(図2、Fe、Zn、Cu、斜線を付したグラフ)。
【0039】
本実施例から、金イオン以外の金属でも酵素活性を制御可能であり、特にパラジウムが活性を制御することができると考えられる。他の金属イオンにおいても、各金属に最適となる条件を設定することにより、各金属イオンによる酵素活性を制御することができる。
【実施例3】
【0040】
リボヌクレアーゼA以外のタンパク質を用いた場合の検討
(1)タンパク質へのイオンの吸着
濃度20ppm、pH 7の金イオン溶液を作製し、これに、カルボニックアンヒドラーゼB、リゾチームをそれぞれ1.0mg/mLの濃度になるように添加し、1時間ゆるやかに振とうした。
(2)チオウレアによるイオンの脱離
(1)の溶液にチオウレアを4mM になるように添加し、1時間ゆるやかに振とうし、金イオンを脱離させた。
(3)タンパク質の活性測定
タンパク質毎の酵素活性の測定法を以下に示す。
【0041】
(a) カルボニックアンヒドラーゼB
p-nitrophenyl acetate 5.43mgを溶解したアセトン0.3mLに、純粋9.7mLを添加し、基質溶液を調整した。この溶液0.34mLに、Tris-HCl緩衝液(0.1M、pH 7.5)を0.65mL添加し、タンパク質溶液0.03mLを加えて、348nmの吸光度の増加を測定した。
【0042】
(b) リゾチーム
Micrococcus lysodeikticus 5mgをリン酸緩衝液 (0.1M、pH 7) 5mLに溶解させ、基質溶液を調整した。この溶液0.9mLに、酵素溶液0.1mLを添加し、450nmの吸光度の増加を測定した。
(4)結果
リボヌクレアーゼA(RNase A)以外のタンパク質に、金イオンを吸着、脱離させて、活性を測定した。結果を図3に示す。
【0043】
図3に示すように、カルボニックアンヒドラーゼB(CAB)を用いた場合でも、金イオンを添加すると活性が低下し、チオウレアを添加すると活性が回復した。
【0044】
また、リゾチーム(lysozyme)については、金イオンを添加しても、活性はあまり低下しなかった。
【0045】
このように、金イオン添加による活性変化の程度は、タンパク質の種類により異なるといえる。特に活性中心にヒスチジン残基が存在する酵素の場合、酵素活性に対する金イオンの吸着及び脱離の影響が顕著になる。しかし、金イオンを吸着させると活性が低下し、脱離させると活性が回復するという点では、共通の傾向を示している。
【図面の簡単な説明】
【0046】
【図1】金イオンの吸着、脱離によるリボヌクレアーゼA活性の変化を示す図である。
【図2】金以外の金属を用いた場合の酵素活性の変化を示す図である。
【図3】各種タンパク質の酵素活性の変化を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
金属イオンを酵素に吸着又は脱離させることを特徴とする、酵素活性の制御方法。
【請求項2】
金属イオンを酵素に吸着させることを特徴とする、酵素活性を低下させる方法。
【請求項3】
金属イオンを酵素から脱離させることを特徴とする、酵素活性を上昇させる方法。
【請求項4】
金属が金又はパラジウムである、請求項1〜3のいずれか1項に記載の方法。
【請求項5】
中性条件下で行うことを特徴とする、請求項1〜4のいずれか1項に記載の方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2006−223269(P2006−223269A)
【公開日】平成18年8月31日(2006.8.31)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−44623(P2005−44623)
【出願日】平成17年2月21日(2005.2.21)
【出願人】(504145342)国立大学法人九州大学 (960)
【Fターム(参考)】