説明

鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材及びその製造方法、並びに鋳包み用溶射皮膜付シリンダライナ、鋳包み用溶射被膜付き耐摩環

【課題】アルミニウム合金製シリンダブロックとの相互の界面での密着性をより安定的に向上させ、且つ熱伝導効率を向上させるアルミニウム合金等で鋳包みに使用される鋳鉄製のシリンダライナ等に適用可能な溶射皮膜付鋳鉄部材の提供を目的とする。
【解決手段】上記課題を達成するため、当該鋳鉄部材は、炭素が3.2〜4.4wt%、ケイ素が0.8〜2.6wt%、マンガンが0.1〜2.4wt%、硫黄が0.001〜0.2wt%、リンが0.01〜0.6wt%残部が鉄及び不可避的不純物からなる組成の鋳鉄部材で構成され、この鋳鉄部材の表面に、厚さ5μm〜160μmの溶射皮膜を備え、且つ、当該溶射皮膜形成後の溶射面の表面粗さRaが4μm〜170μmとして、アルミニウム材マトリックスとの密着性及び熱伝導性を向上させたことを特徴とした鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材を採用する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本件発明は、鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材及び鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法、並びに鋳包み用溶射皮膜付シリンダライナ、鋳包み用溶射被膜付き耐摩環に関する。
【背景技術】
【0002】
内燃機関用シリンダブロックは、鋳鉄製とアルミニウム合金製とに大別できるが、軽量化及び冷却性能を重視した結果、近年、アルミニウム合金製のシリンダブロックを採用することが多くなっている。ここで、鋳鉄製のシリンダブロックを採用した場合、ピストンが上下するシリンダボアの内壁と、シリンダブロックとの材質は同質であるため鋳包みによる強度等は問題とはならない。しかし、アルミニウム合金製のシリンダブロックを採用した場合、軽量化の効果はあるものの、鋳鉄製のシリンダライナと称する部品をシリンダブロックの内部に内包する際の密着性を向上させる必要が生じる。よって、アルミ合金製のシリンダブロックと鋳鉄製のシリンダライナとの異種の材質の接合状態を考慮する必要がある。
【0003】
従来、このアルミニウム合金製のシリンダブロック内への鋳鉄製のシリンダライナの内包は、高圧ダイキャスト法を用いてマトリックス材であるアルミニウム合金の溶湯で、筒状体のシリンダライナを鋳ぐるむ(鋳包む)ことで行われてきた。しかし、上述したように、シリンダライナは鋳鉄製であるため、鋳鉄製品の融点(約1200℃)とアルミニウム合金の融点(約700℃)との温度差が問題となる。すなわち、この溶融温度の差により、鋳包み時に両者の間での相互拡散が起こりにくく、拡散接合という観点からみると密着性を向上させる事は困難となっていた。
【0004】
仮に、アルミニウム合金製シリンダブロックと鋳鉄製シリンダライナとの界面での密着性が良好に保たれていない場合には、シリンダライナとシリンダブロック本体との間の熱伝導効率が低下して、エンジンの冷却性能に影響を及ぼすと共に、シリンダライナの場所毎で熱伝導率のバラツキも発生する。このように、シリンダライナとシリンダブロックとの界面において、場所によって熱伝導率のバラツキが生じると、熱膨張率にもバラツキが生じることになり、更に、双方の材質の熱膨張係数が大きく異なるため、エンジンを駆動させている間の熱による膨張、振動、衝撃等を受けやすく、前記界面での剥離が生じやすくなる。その結果として、エンジンの性能、耐久性が著しく劣ることになる。
【0005】
なお、上述したシリンダライナとシリンダブロックとの界面における剥離を防止する方法として、アルミニウム合金製シリンダブロックと鋳鉄製シリンダライナとの界面での密着性を良好に保つことの他、当該シリンダライナの組成に特定の合金元素を含有させることによって、シリンダライナとシリンダブロック本体との間の熱伝導効率を向上させることも効果がある。このように、シリンダライナとシリンダブロック本体との間の熱伝導効率を向上させることによっても、エンジンの性能、耐久性を向上させることも可能であるが、当該シリンダライナに含有する合金元素の種類及び添加量の設定によっては熱伝導性の向上が十分に図れず、かえって製造コストの増大を招いてしまう場合がある。
【0006】
これらの問題を解決しようと、特許文献1(特開2001−234806号公報)は、シリンダライナの鋳包みに適用可能な方法として、鋳ぐるみ対象部品を溶融金属にて鋳ぐるむことにより鋳ぐるみ製品を製造する鋳ぐるみ方法であって、前記鋳ぐるみ対象部品を構成する金属材料とは異なる金属材料でかつ前記溶融金属の融点以下の融点を有する金属材料からなる皮膜が表面に形成された前記鋳ぐるみ対象部品に対して、前記皮膜は1〜20μmRzの面粗さの鋳ぐるみ対象部品表面に形成されていることを特徴とする鋳ぐるみ方法が開示されている。
【0007】
また、特許文献2(特開2003−53508号公報)には、アルミニウム合金の鋳込み時にインサートされる鉄を主体とする熱伝導円筒部材であって、円筒部材本体の外周部に、200℃以上でかつ600℃以下の低融点材料からなる、厚さ0.3μm以上でかつ100μm以下の膜を冶金的に接合した状態で形成してあることを特徴とする熱伝導円筒部材が開示されている。前記円筒部材は、シリンダライナ等耐摩耗性および熱伝導性が要求される部位に設置されるものであることが明記されている。
【0008】
また、特許文献3(特開平11−229019号公報)は、鋳鉄強度を低下させずに熱疲労強度を高め、強度および熱伝導率に優れた高熱伝導性強靭鋳鉄の製造方法及び高熱伝導性強靭鋳鉄を提供することを目的としている。そして、この目的を達成するために、炭素を3.6〜4.0wt%、硫黄を0.02〜0.2wt%含有した鋳鉄を溶解した溶湯中に、マンガンを1.5〜1.8wt%、クロムを0.2〜0.4wt%、モリブデンを0〜0.3wt%、希土類元素またはミッシュメタルをS量の倍量添加し、基地全面をパーライト組織にすることとしている。
【0009】
また、特許文献4(特開昭63−79937号公報)は、フェライト系基地組織のコンパクト/バーミキュラー黒鉛鋳鉄よりも強度(引張強さ、降伏点)の大きな、且つ硬度の高いコンパクト/バーミキュラー黒鉛鋳鉄を提供することを目的としている。そして、この目的を達成するために、特許文献4のコンパクト/バーミキュラー黒鉛鋳鉄は、重量%で炭素が2.8〜4.5%、ケイ素が1.5〜3.5%、銅が0.01〜2.0%、モリブデンが0.01〜2.0%、ニッケルが0.01〜3.0%、マンガンが1.5%以下、リンが0.1%以下、硫黄が0.03%以下、残部が鉄及び不可避的不純物からなるコンパクト/バーミキュラー黒鉛鋳鉄であって、鋳鉄溶湯にセリウム・ミッシュメタルの添加処理を施して0.002〜0.10%の希土類元素を含有させることとしている。
【0010】
【特許文献1】特開2001−234806号公報
【特許文献2】特開2003−53508号公報
【特許文献3】特開平11−229019号公報
【特許文献4】特開昭63−79937号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
しかしながら、特許文献1に開示の発明の場合、鋳ぐるみに用いる溶融金属の融点以下の融点を有する金属材料からなる皮膜を溶射又は吹きつけによる方法でシリンダライナの外周面に形成することになる。そして、当該皮膜の厚さを5μm以下とし、表面粗さの調整として、皮膜形成後にショットピーニング法やショットブラスト法などで凹凸を形成することにより行われている。この方法の場合には、最終的に形成される皮膜は薄く皮膜の膜厚管理が困難になり、粗さ(Rz)も1〜20μmと小さくなり、鋳包み時のアンカー効果を発揮しないため安定した密着性が得られないという問題があった。
【0012】
また、特許文献2に開示の発明の場合、円筒部材本体の外周部に、200℃以上でかつ600℃以下の低融点材料からなる厚さ0.3〜100μm以下の膜を溶射又は吹きつけによる方法で形成することになっている。ところが、特許文献2に開示の発明は、熱伝導性の向上を主な目的としており、円筒部材本体の外周部の粗さ制御は行っておらず、且つ、膜形成後においても表面粗さの調整は行っていない。従って、特許文献2に開示の発明も特許文献1と同様に、シリンダライナ等の鋳包み部材の製造に用いても、その周囲のマトリックス材との安定した密着性が得られないという問題があった。
【0013】
また、特許文献3に開示の発明の場合、ミッシュメタルを硫黄の添加量の倍の量添加させることとしている。しかし、ミッシュメタルとは、複数の希土類元素(レア・アース)が含まれた合金であって、多くの希土類元素同士は性質が似ているため分離が難しく、仮に各希土類元素を分離しようとすると製造コストの増大化を招いてしまう。よって、ミッシュメタルは、一般的に鉱石中の希土類金属を一括して還元した合金状態で使用されるものである。すなわち、酸化物状態での希土類の混合物を混合希土と呼び、混合希土を還元・精製したものがミッシュメタルであり、セリウム、ランタン、ネオジウムなどの合金が含まれる。以上に述べたように、ミッシュメタルは、各合金元素の含有量がコントロールされずに使用される場合が殆どであり、複数の合金元素がそれぞれ不定量含有されているため、熱伝導特性に関して不安定化を招きやすくなってしまうという問題があった。
【0014】
また、特許文献4に開示の発明の場合、0.002〜0.1重量%のセリウム・ミッシュメタルを添加させるために、特許文献3のところで述べたと同様に、複数の合金元素がそれぞれ不定量含有されていることに起因して熱伝導特性の不安定化を招きやすくなってしまう問題がある。また、特許文献4のコンパクト/バーミキュラー黒鉛鋳鉄を本件発明の溶射皮膜付鋳鉄部材として採用した場合、添加するミッシュメタルの各合金元素の含有量をコントロールすることは困難であるため、製造コストの増大化を招いてしまう。
【0015】
以上のことから、従来より鋳鉄製の内燃機関のシリンダライナに関しては、アルミニウム合金製シリンダブロックとの相互の界面での密着性をより安定的に向上させ、且つ熱伝導効率を向上させることが求められてきた。更に、従来と比較して、より製造コストの低い製造方法の採用が望まれてきた。
【課題を解決するための手段】
【0016】
そこで、本発明者等は、以下に示す鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材、鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法等を採用することで、上記課題を達成できることに想到した。
【0017】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材: 本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材は、高圧アルミニウムダイキャスト法を用いた鋳包み加工に供する鋳包み用鋳鉄部材であって、当該鋳包み用鋳鉄部材は、以下に記載の組成の鋳鉄部材の表面に、厚さ5μm〜160μmの溶射皮膜を備え、且つ、当該溶射皮膜形成後の溶射面の表面粗さRaが4μm〜170μmとして、アルミニウム材マトリックスとの密着性及び熱伝導性を向上させたことを特徴とする鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材。
【0018】
鋳鉄部材の組成: 炭素が3.2〜4.4wt%、ケイ素が0.8〜2.6wt%、マンガンが0.1〜2.4wt%、硫黄が0.001〜0.2wt%、リンが0.01〜0.6wt%、残部が鉄及び不可避的不純物。
【0019】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、前記鋳鉄部材は、更に以下に記載する、クロム、銅、アルミニウム、錫又は/及びアンチモン、ホウ素の内、一種以上の元素を含むことが好ましい。
【0020】
鋳鉄部材の含有元素: クロムが0.01〜0.6wt%、銅が0.01〜1.0wt%、アルミニウムが0.05〜1.0wt%、錫が0.001〜0.3wt%、アンチモンが0.001〜0.2wt%、ホウ素が0.01〜2.0wt%。
【0021】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、前記鋳鉄部材の溶射皮膜形成前の表面粗さRaは4μm〜190μmであることが好ましい。
【0022】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、前記溶射皮膜には、アルミニウム系合金、マグネシウム系合金、スズ系合金、亜鉛系合金、銅系合金のいずれかを用いることが好ましい。
【0023】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法: 本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法は、上述の溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法である。即ち、鋳鉄部材の備える表面粗さを所定の範囲に設定し、その表面に溶射皮膜を形成した高圧アルミニウムダイキャスト法で用いる鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法であって、以下の工程A及び工程Bを備えることを特徴とするものである。
【0024】
工程A: 表面粗さRaが、4μm〜190μmの外周表面を備える鋳鉄部材を準備する工程。
工程B: アーク溶射法により、厚さが5μm〜160μmの溶射皮膜を形成し、当該溶射皮膜形成後の表面粗さRaが4μm〜170μmの外周表面を有する鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材を得る工程。
【0025】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法の前記工程Aの鋳鉄部材は、鋳鉄部材に対して旋盤加工を用いて、その外周表面に溝状凹凸形状を形成したものを用いることが好ましい。
【0026】
そして、前記溝状凹凸形状を備える外周表面を、更にブラスト処理で粗化した鋳鉄部材を用いることも好ましい。
【0027】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法の前記工程Bのアーク溶射法は、アーク溶射装置を用い、当該装置の溶射ガンのノズルのアトマイズエアー吹き出し部の開口面積が15mm〜200mmであることが好ましい。
【0028】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材製品: 上述した本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材は、種々の製品に応用することが出来る。中でも、内燃機関用のシリンダライナ、ピストン用耐摩環に好適である。そして、このシリンダライナを用い、これを高圧アルミニウムダイキャスト法で鋳包むことで、高品質のシリンダブロックの提供が可能となる。
【発明の効果】
【0029】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材は、以下に記載の組成の鋳鉄部材で構成される鋳鉄部材に適正な表面粗さを設け、その表面に適正な厚さ(5μm〜160μm)の溶射皮膜を形成した溶射皮膜付鋳鉄部材とすることで、鋳鉄製の内燃機関のシリンダライナ等をアルミニウム合金等で鋳包む際の、相互の界面での密着性をより安定的に向上させることができる。そして、溶射皮膜の材質を考慮すれば、鋳包みのマトリックス材であるアルミニウム材又はアルミニウム合金材との間での密着性を向上させるためのアンカー効果を十分に発揮する表面粗さ(Ra:4μm〜170μm)を備えるものとすることで、アルミニウム材マトリックスとの密着性及び熱伝導性に優れた溶射皮膜付鋳鉄部材の提供が可能となる。
【0030】
鋳鉄部材の組成: 炭素が3.2〜4.4wt%、ケイ素が0.8〜2.6wt%、マンガンが0.1〜2.4wt%、硫黄が0.001〜0.2wt%、リンが0.01〜0.6wt%、残部が鉄及び不可避的不純物。
【0031】
なお、前記鋳鉄部材は、更に以下に記載する、クロム、銅、アルミニウム、錫又は/及びアンチモン、ホウ素の内、一種以上の元素を含むことがより好ましい。
【0032】
鋳鉄部材の含有元素: クロムが0.01〜0.6wt%、銅が0.01〜1.0wt%、アルミニウムが0.05〜1.0wt%、錫が0.001〜0.3wt%、アンチモン :0.001〜0.2wt%、ホウ素が0.01〜2.0wt%。
【0033】
また、本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法は、鋳鉄部材に適正な表面粗さを設けておけば、事後的な表面粗さの調整加工が不要で、加工工程数が減少する。従って、生産コストの削減が可能であり、高圧アルミニウムダイキャスト法で用いる高品質の鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材を安価に提供することが可能になる。この本件発明に係る鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材は、内燃機関用のシリンダライナ、ピストン用耐摩環等に用いられることが可能で、その他としてバルブガイド等の使用が好適である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0034】
以下、本件発明に係る鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材及び鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法、並びに鋳包み用溶射皮膜付シリンダライナ、鋳包み用溶射被膜付き耐摩環のそれぞれの形態に関して説明する。
【0035】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の形態: 本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材は、鋳鉄部材の備える表面粗さを所定の範囲に設定し、その表面に溶射皮膜を形成した高圧アルミニウムダイキャスト法で用いる鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材である。ここで言うアルミニウムダイキャスト法とは、鋳包み用鋳鉄部材をダイカスト金型内に配置し、ダイカスト金型と鋳包み用鋳鉄部材との間に形成されたキャビティにアルミニウム材の溶湯を5000〜10000kgf/cmの高圧で注入して冷却凝固させ、アルミニウム材マトリクス内に鋳包み用鋳鉄部材が鋳ぐるまれ一体化した鋳包み製品とするものである。そして、このときのアルミニウム材に関しては、アルミニウム又はアルミニウム合金が用いられ、より具体的にはADC10、ADC12(ADC:JIS規格におけるアルミニウム合金ダイカストの種類)等を用いることができるが、特段の限定はない。
【0036】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の表面に形成する溶射皮膜は、厚さが5μm〜160μm厚さのものである。ここで溶射皮膜の厚さを5μm未満とすると、膜厚の場所的バラツキが大きく、溶射皮膜に期待する鋳包み時のアルミニウム材マトリクスとの密着性の向上、及び熱伝導性の向上等の効果を得ることが出来なくなる。一方、溶射皮膜の厚さが160μmを超えると、鋳鉄部材の備える表面粗さが大きく変動するようになり表面粗さが低下するため、アルミニウム材又はアルミニウム合金材に対する十分なアンカー効果を示さず、鋳包み時の密着安定性が低下する。なお、ここで言う溶射皮膜は、その厚さが20μm〜100μmがより好ましく、厚さが20μm〜60μmが更に好ましい。鋳鉄部材との密着性及び熱伝導性の向上効果を確実に得ることが可能で、且つ、鋳鉄部材の備える表面粗さの変動を、より確実に抑制できるからである。
【0037】
そして、上記厚さの溶射皮膜を形成することで、得られる溶射皮膜付鋳鉄部材の表面粗さRaは、4μm〜170μmであることが好ましい。この表面粗さは、上述の記載で示唆したように、厚さが5μm〜160μmの溶射皮膜を形成する場合を前提としている。この溶射皮膜付鋳鉄部材の表面粗さは、アルミニウム材マトリクスとの密着性の向上を目的として、物理的なアンカー効果を発揮させるために必要となる。本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の場合、その表面粗さRaは、4μm〜170μmの範囲にあることが好ましい。当該表面粗さRaが4μm未満の場合には、アンカー効果を十分に発揮し得ず、目的としたレベルの溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着性が得られない。これに対し、当該表面粗さRaが170μmを超える粗さとなれば溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着性の大きな向上を期待することは困難となり経済的ではない。更に、鋳鉄部材表面の粗さが大きくなりすぎると、当該鋳鉄部材表面に均一な厚さの溶射皮膜が形成され難くなってしまう。なお、ここで言う表面粗さRaとは、JIS B0601:2001に準拠して測定した算術平均粗さのことである。
【0038】
また、表面粗さとしてRaに代えて、十点平均粗さRzを指標として用いることも可能である。ここで、Rzを用いる場合には、Rz=20μm〜630μmの範囲であることが好ましい。このRzの上限値及び下限値を定めた理由は、上記Raの上限値及び下限値の持つ意味合いと同様であるために、重複した記載を避けるために、その記載を省略する。なお、ここで言う表面粗さRzとは、JIS B 0601:1994に準拠して測定した十点平均粗さのことである。
【0039】
本件発明に係る鋳鉄部材の備える溶射前の表面粗さRaは4μm〜190μmであることが好ましい。ここで、溶射前の鋳鉄部材表面粗さの違いによって得られる特性が異なるため、溶射前の鋳鉄部材表面粗さが(Ra=8.5μm、Rz=48.5μm)未満を第1粗さ範囲、溶射前の鋳鉄部材表面粗さが(Ra=8.5μm〜24.8μm、Rz=48.5μm〜109.1μm)を第2粗さ範囲、溶射前の鋳鉄部材表面粗さが(Ra=24.8μm、Rz=109.1μm)を超えたものを第3粗さ範囲として各粗さ範囲毎の特性の違いを以下に述べる。
【0040】
まず、溶射前の鋳鉄部材表面粗さが(Ra=8.5μm、Rz=48.5μm)未満となる第1粗さ範囲について述べる。第1粗さ範囲である溶射前の鋳鉄部材表面粗さRaの範囲は、当該鋳鉄部材表面に形成される溶射皮膜が厚くなるに従って、溶射後の表面粗さRaは大きくなる傾向が現れる範囲である。しかし、溶射前の鋳鉄部材の表面粗さが小さくなりすぎると、その後当該鋳鉄部材表面に溶射皮膜が形成されたとしても十分な表面粗さを得ることが困難となり、アンカー効果を十分に発揮し得ず、目的としたレベルの溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着性が得られない。
【0041】
次に、溶射前の鋳鉄部材表面粗さが(Ra=8.5μm〜24.8μm、Rz=48.5μm〜109.1μm)となる第2粗さ範囲について述べる。第2粗さ範囲である溶射前の鋳鉄部材表面粗さの範囲は、当該鋳鉄部材表面に形成される溶射皮膜が厚くなったとしても表面粗さRaに変化は殆ど生じない範囲である。よって、その後当該鋳鉄部材表面に溶射皮膜が形成されたとしても表面粗さの変動が少なく、当該溶射皮膜の厚さに関係なくアンカー効果を十分に発揮するため、目的としたレベルの溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着性を安定して得ることができる。
【0042】
最後に、溶射前の鋳鉄部材表面粗さが(Ra=24.8μm、Rz=109.1μm)を超えた第3粗さ範囲について述べる。第3粗さ範囲である溶射前の鋳鉄部材表面粗さRaの範囲は、当該鋳鉄部材表面に形成される溶射皮膜が厚くなるに従って、溶射後の表面粗さRaは小さくなる傾向が現れる範囲である。従って、溶射前の鋳鉄部材の表面粗さが大きくなりすぎると、その後当該鋳鉄部材表面に形成される溶射皮膜の厚さが厚くなるに従い十分な表面粗さを得ることが困難となり、アンカー効果を十分に発揮し得ず、目的としたレベルの溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着性が得られない。更に、溶射前の鋳鉄部材の表面粗さが大きくなりすぎると、当該鋳鉄部材の表面に形成される凹凸形状の底部まで、均一な厚さの溶射皮膜を形成することが困難になり、溶射皮膜を形成する前の鋳鉄部材の備える凹凸形状の備える表面粗さが、溶射皮膜の形成で大きく変動する傾向が高くなり好ましくない。
【0043】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、炭素が3.2〜4.4wt%、ケイ素が0.8〜2.6wt%、マンガンが0.1〜2.4wt%、硫黄が0.001〜0.2wt%、リンが0.01〜0.6wt%、残部が鉄及び不可避的不純物であることが好ましい。なお、当該鋳鉄部材の組成には、更にクロムが0.01〜0.6wt%、銅が0.01〜1.0wt%、アルミニウムが0.05〜1.0wt%、錫が0.001〜0.3wt%及び/又はアンチモンが0.001〜0.2wt%、ホウ素が0.01〜2.0wt%含まれることがより好ましい。鋳鉄部材の組成を上記条件にすることで、当該鋳鉄部材は、アルミニウム材マトリクスとの間で、より熱伝導性の向上を図ることができる。以下、本件発明の鋳鉄部材に含まれる各合金元素について述べる。
【0044】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、炭素が3.2〜4.4wt%の範囲内であることが好ましい。炭素は、鋳鉄部材の組織に大きな影響を与え、耐摩耗性や強さに優れるパーライト組織とするのに重要な元素である。鋳鉄部材中における炭素は、鉄と化合した炭化鉄(セメンタイト:FeC)と炭素が独立して存在する黒鉛(グラファイト)の二つの形で存在する。ここで、炭素量が多い程黒鉛は大きな片状となり、鋳鉄部材の機械的性質、特に引張強さは弱く、脆くなる。逆に、炭化鉄(セメンタイト:FeC)が増加すると鋳鉄部材は硬くなる。仮に、炭素の含有量が3.2wt%未満の場合、片状の黒鉛が成長しないため当該黒鉛の占める割合が低くなり高い熱伝導率が得られなくなるため好ましくない。よって、炭素の含有量は、3.4〜4.0wt%の範囲であることがより好ましい。一方、炭素の含有量が4.4wt%を超えると、鋳鉄部材に微小な鋳巣が発生して引張強度が著しく低下してしまうため好ましくない。
【0045】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、ケイ素が0.8〜2.6wt%の範囲内であることが好ましい。ケイ素は、炭化鉄(セメンタイト:FeC)を分解し、炭素の黒鉛化を促進させる働きが最も強く、炭素と共に鋳鉄部材の組織に影響を与える重要な元素である。仮に、ケイ素の含有量が0.8wt%未満の場合、炭素の黒鉛化を促進させる効果が十分に得られないため好ましくない。一方、ケイ素の含有量が2.6wt%を超えると、鋳鉄部材の硬さと強度の低下を招いてしまうため好ましくない。よって、より好ましいケイ素の含有量は、0.8〜2.1wt%の範囲であることがより好ましい。
【0046】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、マンガンが0.1〜2.4wt%の範囲内であることが好ましい。マンガンは、鋳鉄部材の組織を緻密にし、強さ、硬さを増加させる元素である。また、マンガンは、後述する硫黄を添加することによる害を防止する働きがあり、硫黄とが共存することで安定な硫化物(MnS)を生成し、黒鉛生成の下地として作用するため、炭素の黒鉛化を促進することができる。 仮に、マンガンの含有量が0.1wt%未満の場合、鋳鉄部材中において硫化鉄(FeS)が現れることによって材質が脆くなり、黒鉛の析出を阻害する作用が働くため好ましくない。一方、マンガンの含有量が2.4wt%を超えると、鋳鉄部材中にチル組織が析出して材料に脆化が生じ、引張強度が低下してしまうため好ましくない。よって、より好ましいマンガンの含有量は、1.0〜2.2wt%の範囲であることがより好ましい。
【0047】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、硫黄が0.001〜0.2wt%の範囲内であることが好ましい。硫黄は、炭化鉄(セメンタイト:FeC)の分解を妨げる働きがあり、鋳鉄部材を硬く、脆くするため、出来るだけ添加量を少なくした方がよい。しかし、硫黄は、切削性を僅かに向上させ、耐摩耗性の向上も図ることができる。仮に、硫黄の含有量が0.001wt%未満の場合、マンガンと共存することで、安定な硫化物(MnS)を生成することができず好ましくない。一方、硫黄の含有量が0.2wt%を超えると、炭化鉄(セメンタイト:FeC)の増加が促進され、鋳鉄部材が脆くなるため好ましくない。
【0048】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、リンが0.01〜0.6wt%の範囲内であることが好ましい。リンは、鋳鉄部材を硬くするが、冷間脆性を起こしやすく、偏析を生じやすい元素である。また、リンは、鉄と化合してリン化鉄(FeP)を形成し、鋳鉄部材の基地中に耐摩耗性に優れるステダイト組織(FeC、FeP、Fe)が現れる。この組織は、切削性を低下させ、非常に脆くする。仮に、リンの含有量が0.01wt%未満の場合、リン化鉄(FeP)の形成がされず、鋳鉄部材の耐摩耗性の向上が図れないため好ましくない。一方、リンの含有量が0.6wt%を超えると、リン化鉄(FeP)の形成が促進され、加工性が悪く、脆くなるため好ましくない。
【0049】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、更にクロムが0.01〜0.6wt%の範囲内で含有されることがより好ましい。クロムは、鋳鉄部材の引張強さを増加し、炭化鉄(セメンタイト:FeC)を安定化し、耐熱性及び耐食性を向上させると共に耐摩耗性を向上させる元素である。仮に、クロム含有量が0.01wt%未満の場合には、耐熱性、耐食性、耐摩耗性のいずれも向上させることが難しいため好ましくない。一方、クロム含有量が0.6wt%を超える場合には、クロム炭化物の生成が過剰になり、そのクロム炭化物が粒界に偏析して、鋳鉄の基地が硬く、脆くなるため耐衝撃性能及び加工性能が低下し好ましくない。なお、クロム含有量は、0.03〜0.3wt%の範囲内であることが更に好ましい。
【0050】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、更に銅が0.01〜1.0wt%の範囲内であることがより好ましい。銅は、引張強さを向上させると共に耐摩耗性、耐衝撃性も向上させる元素である。仮に、銅含有量が0.01wt%未満の場合には、耐摩耗性の向上が図れないため好ましくない。一方、銅含有量が1.0wt%を超える場合には、切削性が悪くなると共に、得られる耐摩耗性等の効果が飽和し、経済的ではないため好ましくない。なお、銅含有量は、0.03〜0.6wt%の範囲内であることが更に好ましい。
【0051】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、更にアルミニウムが0.05〜1.0wt%の範囲内であることがより好ましい。アルミニウムは、鋳鉄中の黒鉛化を促進させる。仮に、アルミニウム含有量が0.05wt%未満の場合には、鋳鉄中に黒鉛を析出させることができず、アルミニウムを添加することによる効果が得られず好ましくない。一方、アルミニウム含有量が1.0wt%を超える場合には、フェライト析出が過多となり強度が低下するため好ましくない。
【0052】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、更に錫が0.001〜0.3wt%の範囲内であることがより好ましい。錫は、鋳鉄中の炭素の黒鉛化を抑制する元素である。仮に、錫の含有量が0.001wt%未満の場合には、鋳鉄部材が強度の向上を図ることができず好ましくない。一方、錫の含有量が0.3wt%を超える場合、鋳鉄部材の脆化を招くため好ましくない。
【0053】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、更にアンチモンが0.001〜0.2wt%の範囲内であることがより好ましい。アンチモンは、鋳鉄部材の強度を向上させる元素である。仮に、アンチモンの含有量が0.001wt%未満の場合には、鋳鉄部材の強度の向上を図ることができず好ましくない。一方、アンチモンの含有量が0.2wt%を超えると、鋳鉄部材の靱性の低下を招くため好ましくない。
【0054】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材において、鋳鉄部材の組成は、更にホウ素が0.01〜2.0wt%の範囲内であることがより好ましい。ホウ素は、リン共晶組織(ステダイト)の析出を促進して硬さを増加させ、耐摩耗性、及び耐スカッフィング性を大きく向上させる元素である。仮に、ホウ素の含有量が0.01wt%未満の場合には、鋳鉄部材の耐摩耗性の向上を図ることができず好ましくない。一方、ホウ素の含有量が2.0wt%を超えると、鋳鉄部材の靱性の低下を招くため好ましくない。
【0055】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の溶射皮膜は、鋳込みが行われるときのアルミニウム材溶湯が凝固する過程において形成されるアルミニウム材マトリクスとの界面において相互拡散を起こす。その結果、溶射皮膜付鋳鉄部材の溶射皮膜とアルミニウム材マトリクスとの間で金属結合状態を形成し、結果として溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着性及び熱伝導性を向上させる。この溶射皮膜には、アルミニウム系材料、マグネシウム系材料、スズ系材料、亜鉛系材料、銅系材料のいずれかを用いることが好ましい。いずれもアルミニウム材との相互拡散性に優れ、密着性を顕著に向上させるからである。また、本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材は、その表面に一定の凹凸を備えており、ダイカスト時に当該凹凸部へのアルミニウム材溶湯の良好な充填性が求められる。しかし、上記溶射皮膜材料で構成した溶射皮膜は、アルミニウム溶湯との濡れ性に優れるため凹凸形状の底部にまで良好な溶湯充填が可能である。
【0056】
また、本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の溶射皮膜は、アルミニウム系材料、マグネシウム系材料、スズ系材料、亜鉛系材料、銅系材料を積層した複合溶射皮膜層の状態に形成しても構わない。例えば、鋳鉄部材の外表面上にスズ系材料又は亜鉛系材料を1層形成し、その上にアルミニウム系材料を形成する等である。このような層構成を採用することで、溶射皮膜と鋳鉄部材との密着性を向上させ、結果として、溶射皮膜付鋳鉄部材と鋳包みに用いるアルミニウム材マトリクスとの密着性を向上させ得るからである。このときの積層状態は、上述した2層を初め、更に3層以上の複合層としても構わない。鋳包みに用いるアルミニウム材マトリクスの材質、工程等を考慮して任意に選択すれば良い。係る場合、複数層の合計厚さが、上記5μm〜160μm厚さの溶射皮膜であればよい。
【0057】
以上に述べた溶射皮膜を形成する金属材料として、現在の段階で使用可能と判明している範囲の具体的成分を、以下に述べておく。アルミニウム系材料とは、純アルミニウム(純度99.00wt%以上)、アルミニウム−マンガン合金、アルミニウム−マグネシウム合金、アルミニウム−マグネシウム−ケイ素合金、アルミニウム−銅−マグネシウム合金、アルミニウム−亜鉛−マグネシウム合金、アルミニウム−銅合金、アルミニウム−銅−ニッケル合金、アルミニウム−ケイ素合金等である。
【0058】
マグネシウム系材料とは、純マグネシウム(純度99.00wt%以上)、マグネシウム−カルシウム合金、マグネシウム−セシウム合金、マグネシウム−ジルコニウム合金、マグネシウム−アルミニウム−亜鉛合金、マグネシウム−アルミニウム合金、マグネシウム−亜鉛−ジルコニウム合金等である。
【0059】
スズ系材料とは、純スズ(純度99.00wt%以上)、スズ−ビスマス合金、スズ−鉛合金、スズ−ビスマス−鉛−アンチモン合金等である。
【0060】
亜鉛系材料とは、純亜鉛(純度99.00wt%以上)、亜鉛−アルミニウム−マグネシウム合金、亜鉛−アルミニウム−銅−マグネシウム合金、亜鉛−アルミニウム−銅合金、亜鉛−アルミニウム−銅−チタン−クロム合金、亜鉛−アルミニウム−銅−マグネシウム−チタン−ベリリウム合金、亜鉛−マンガン合金等である。
【0061】
銅系材料とは、純銅(純度99.5wt%以上)、銅−亜鉛合金、銅−亜鉛−スズ合金、銅−亜鉛−アルミニウム合金、銅−亜鉛−鉄合金、銅−亜鉛−マンガン合金、銅−亜鉛−ニッケル合金、銅−亜鉛−鉄−マンガン−アルミニウム合金、亜鉛−ケイ素合金、亜鉛−ニッケル合金、銅−スズ合金、銅−スズ−亜鉛合金、銅−スズ−リン合金、銅−クロム合金等である。
【0062】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の製造形態: 本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法は、上述の溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法であり、上述した組成を備えた鋳鉄部材の表面粗さを所定の範囲に設定し、その表面に溶射皮膜を形成して製造される。以下、工程A、工程Bの順に説明する。
【0063】
工程Aは、表面粗さRaが4μm〜190μmの表面を備える鋳鉄部材を準備する工程である。この鋳鉄部材の表面粗さを、ここで示した範囲としていなければ、最終製品である溶射皮膜付鋳鉄部材の表面粗さRaを4μm〜170μmの範囲とすることが困難となる。鋳鉄部材の表面粗さRaで4μm未満であると、溶射皮膜を形成した後に表面粗さRaが4μmを超える粗化表面を形成できない。また、鋳鉄部材の表面粗さRaで190μmを超えると、溶射した金属成分が、表面粗さを形成する凹凸の谷部に十分に進入できず、均一な溶射皮膜を形成できなくなる。ここで、溶射前の鋳鉄部材表面粗さの違いによって得られる特性が異なるため、溶射前の鋳鉄部材表面粗さが(Ra=8.5μm、Rz=48.5μm)未満を第1粗さ範囲、溶射前の鋳鉄部材表面粗さが(Ra=8.5μm〜24.8μm、Rz=48.5μm〜109.1μm)を第2粗さ範囲、溶射前の鋳鉄部材表面粗さが(Ra=24.8μm、Rz=109.1μm)を超えたものを第3粗さ範囲としたことは上述した通りである。
【0064】
そして、この工程Aで用いる鋳鉄部材は、鋳鉄部材に対して旋盤加工を用いて、その外周表面に溝状の凹凸形状を形成したものを用いることが好ましい。旋盤加工を用いて、ダイスで鋳鉄部材の表面を切削加工することで溝状の凹凸形状を形成することが、所望の表面粗さを最も精度良く形成できるからである。なお、鋳鉄部材の溶射皮膜形成前に所望の表面粗さが形成されるのであれば、当該鋳鉄部材の表面に旋盤加工を行うことによって溝状の凹凸形状を形成させずに鋳肌の状態のまま用いてもよい。
【0065】
そして、前記溝状の凹凸形状を備える外周表面を、更にブラスト処理で粗化した鋳鉄部材を用いることも好ましい。ここで言うブラスト処理とは、硬い粒子を被加工表面に高速で衝突させ、表面の粗化状態又は改質処理を行うものである。このブラスト処理を行う際には、鋳鉄部材の表面に既に形成されている凹凸形状を出来る限り消失させないことが重要である。
【0066】
工程Bについて説明する。この工程Bは、アーク溶射法により、厚さが5μm〜160μmの溶射皮膜を形成し、当該溶射皮膜形成後の表面粗さRaが4μm〜170μmの外周表面を有する鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材を得る工程である。
【0067】
一般的に、溶射法は、使用する材料、熱源の種類等により、種々の方法に分類される。本件発明においても、電気式溶射法であるアーク溶射又はプラズマ溶射のいずれかを使用することが可能である。ここで言うプラズマ溶射とは、アルゴンなどの作動ガス中で、アノード陽極とカソード陰極間に直流アーク放電により、10000℃を超える高速高温のプラズマジェットを発生させ、この中に金属やセラミックスなどの粉末を投入し、溶融と加速を行い皮膜を形成する方法である。この方法は、他の溶射法に比して溶射材料の選択自由度が大きく、皮膜が高密度で母材への密着性も良いという特徴がある。これに対して、アーク溶射法とは、コーティング材料を、加熱により溶融又は軟化させて、微粒子状又は液滴状にして、これを加速させて被覆対象物表面に衝突させ、扁平化して潰れた粒子を凝固、堆積させることで皮膜を形成するコーティング法である。更に具体的に言えば、2本の溶射材料であるワイヤーに直流の電流を流し、アーク放電させて溶融し、これをエアー又は他のガスにてアトマイズして母材に付着させる方法であるため、他の溶射法に比べて操作が簡単で、エネルギー効率が高く、ランニングコストが安く、更に溶射皮膜の密着力も高いという特徴がある。しかし、シリンダライナの表面に形成する溶射皮膜の形成においては、生産性、ランニングコスト等の実装上のメリットを考慮すると、アーク溶射法を用いることが好ましい。
【0068】
以上に述べた溶射装置のアトマイズエアー吹き出し部の開口面積が15mm〜200mmの溶射ガンを用いることが好ましい。ここで言うアトマイズエアー吹き出し部とは、アーク溶射においては溶射材をワークに吹き付けるエアー又は他のガスの射出開口部であり、プラズマ溶射においてはプラズマジェット気流の射出開口部のことである。このアトマイズエアー吹き出し部の開口面積が15mm未満としても、特段の問題は無いが、溶射面積が小さいため、工業的に求められる生産性を満足し得ない。一方、アトマイズエアー吹き出し部の開口面積が200mmを超えるものとすると、溶射面積が広く、溶滴の溶射速度が遅くなるため、溶射した金属成分が、溝状凹凸の谷部に十分に進入できず、溶射皮膜と鋳鉄部材との密着性が得られなくなるため好ましくない。
【0069】
この工程Bで言う、鋳鉄部材の表面に形成する溶射皮膜の厚さ(5μm〜160μm)、鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の表面粗さ(Ra:4μm〜170μm)の条件に関しては、上述の通りであるので、ここでの重複した説明は省略する。
【0070】
本件発明に係る鋳包み用鋳鉄部材製品: 以上に述べた本件発明に係る鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法を用いることで、溶射皮膜付鋳鉄部材が得られる。特に、内燃機関用のシリンダライナ、ピストン用耐摩環、バルブガイド等種々の製品への応用に好適である。
【0071】
そして、本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材に属するシリンダライナを用いて、これを高圧アルミニウムダイキャスト法で鋳ぐるむことで、高品質のシリンダブロックの提供が可能となる。シリンダライナをアルミニウム材マトリクスで鋳ぐるむ場合の凝固過程を考えると、シリンダブロック内に配置したシリンダライナで構成されるボア間隔が最も薄く、その部位のアルミニウム材溶湯が最初に凝固し、その後ボアの周辺部の凝固が進行すると考えられる。従って、シリンダライナ付近においては、特にアルミニウム材溶湯の凝固が速く始まるため、シリンダライナ表面の凹凸部へのアルミニウム溶湯の侵入が困難となる。また、金属の溶湯の凝固過程は、収縮挙動を行う。従って、高圧ダイキャストされたアルミニウム材溶湯の凝固が進行するに従い、既に凝固したボア間の薄いアルミニウム材に引張り応力が加わり、シリンダライナとアルミニウム材マトリクスとの密着性が弱い場合には、そこに割れが生じる場合がある。
【0072】
しかし、本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材であるシリンダライナの場合には、その表面にある溶射皮膜がアルミニウム溶湯との濡れ性を改善し、シリンダライナ表面の凹凸部へのアルミニウム溶湯の侵入を容易にするため、当該凹凸形状によるアンカー効果が十分に発揮される。この結果、シリンダライナとアルミニウム材マトリクスとの密着性の向上により、上述したような割れが生じる事もなくなり、高品質のシリンダブロックの提供が可能となる。
【実施例】
【0073】
この実施例では、シリンダライナに相当する鋳鉄部材を製造し、その鋳鉄部材を粗化処理して鋳包み処理するまでを実施した。以下、工程の順に説明する。
【0074】
鋳鉄部材の製造: まず、鋳包み性を評価するために鋳鉄材は、炭素が3.4wt%、ケイ素が2.0wt%、マンガンが1.6wt%、硫黄が0.08wt%、リンが0.2wt%、残部が鉄及び不可避的不純物からなる溶湯を調製した。この組成の溶湯を砂型鋳造法で、シリンダライナに相当するA型黒鉛鋳鉄である鋳鉄部材を製造した。このときの鋳造部材は、内径85.57mm、外径104.07mm、長さ133.6mmである。
【0075】
そして、前記鋳造部材の表面に凹凸表面を形成するために、円筒研磨機又は切削加工により外周面を形成したものと加工を施さずに鋳肌のままのものを用意した。ここで、表1は、実施例(実施例試料1〜実施例試料21)として用いる溶射皮膜付鋳鉄部材の溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さと、溶射皮膜形成後の溶射皮膜厚さの変化に対する表面粗さの変化に関して示したものである。表1において、実施例試料16〜実施例試料21に示す「鋳肌」とは、鋳鉄部材の表面に研磨や切削加工を施さない状態をいい、当該実施例試料16〜実施例試料21は、当該鋳鉄部材表面が鋳肌の状態で溶射皮膜が形成されたものである。このときの切削に用いたバイトの先端Rは0.2mm〜2.0mmのものを使用し、所定溝の表面粗さを備える試料を製造した。その後、更に、ブラスト材にアランダム#12〜#60を用いて、噴射圧力0.5MPa、ワークディスタンス100mm、噴射時間1分〜5分の条件でブラスト処理して、表面粗さの調整をおこない鋳鉄部材とした。このようにして、表1における実施例試料1〜実施例試料21に用いる21種類の鋳鉄部材を製造した。なお、表1において、「×」と表示しているのは、溶射皮膜が不均一であり、測定が不可能なものである。
【0076】
溶射皮膜付鋳鉄部材の製造: 溶射装置としてスルザーメテコジャパン株式会社製のSmart Arc.を用いて、鋳鉄部材であるシリンダライナを50rpm〜7000rpmで回転させつつ、溶射速度3mm/sec〜280mm/sec、溶射距離20mm〜100mm、電流80A〜250A、電圧25V〜40V、エアー圧はFOCUS SPRAY AIR CAPを用いて、1次エアー圧20psi〜80psi/2次エアー圧20psi〜80psiの圧縮空気とした溶射条件を用いて、シリンダライナ(鋳鉄部材)の表面に、純アルミニウムワイヤーを用いて、3μm〜200μm厚さの純アルミニウム溶射皮膜を形成して、表1に示すような表面粗さを備える実施例試料1〜実施例試料21を得た。
【0077】
密着性評価試験: 以上のようにして得られた21種類の実施例試料1〜実施例試料21を、アルミニウム合金(ADC12)で鋳包むことにより、鋳包み後で内径91.9mm、外径113.2mm、長さ128.1mmとなるように、外周面のみを鋳包んだ。鋳包みの条件は、330tダイキャストマシンを用いて鋳造圧力62.8MPa、溶湯温度700℃〜740℃、金型温度110℃〜180℃、シリンダライナ余熱温度200℃とした。そして、密着性評価、又は熱伝導性評価用として作成する試験片S1は、図1に示すように、溶射皮膜付鋳鉄部材であるシリンダライナ2を鋳包んだシリンダライナ1の湯口3a,3b,3c,3d側の端面から20mmの位置で、20mm幅に輪切りに切断し、更に、図1(A)に示すように、湯口3a,3b,3c,3d部分の下部に相当する部分から20mm×20mmの試料として採取した。なお、図1(B)は、湯口の位置を明瞭に理解できるように示した図である。
【0078】
そして、図2に示すように、鋳包み用に用いたアルミニウム合金層4とシリンダライナ2とが層状になった密着性評価試験片S1を、接着剤で、引張り試験用の治具5に接着固定して、図2の矢印側に引張って、引張り試験を行うことで密着性評価を行った。なお、21種類の試料は、試料1〜試料21として、表1に鋳包み後の密着性評価の結果を示したものである。表2に示す、溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの間における密着性評価においては、実施例試料1の溶射皮膜厚さが5μmのときの密着強度を基準強度の1.0として、1.0以上の密着性を示した場合に良好な密着性を備えるものとし、判断を行っている。
【0079】
表2に示す結果より、実施例試料1の溶射皮膜厚さが5μmのときの密着強度を基準強度の1.0とした場合、溶射皮膜厚さが5μmから200μmへと厚くなった際の溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着強度の変化を対比した。実施例試料1が+0.5(1.0、1.5)、実施例試料2が+0.4(1.0、1.4)、実施例試料3が+0.5(1.0、1.5)、実施例試料4が+0.3(1.2、1.5)、実施例試料5が+0.2(1.3、1.5)、実施例試料6が+0.3(1.5、1.8)、実施例試料7が−0.1(1.9、1.8)、実施例試料8が−0.4(2.1、1.7)、実施例試料9が−1.2(3.3、2.1)、実施例試料10が−1.5(4.5、3.0)、実施例試料11が−2.2(6.1、3.9)、実施例試料12が−4.0(9.3、5.3)、実施例試料13が−2.5(9.9、7.4)、実施例試料14が−2.2(10.1、7.9)、実施例試料15が−2.2(10.2、8.0)、実施例試料16が+0.5(1.0、1.5)、実施例試料17が−0.4(1.9、1.5)、実施例試料18が−1.1(3.0から1.9)、実施例試料19が+0.1(1.0、1.1)、実施例試料20が−0.4(1.7、1.3)、実施例試料21が−1.1(2.9、1.8)となった。
【0080】
熱伝導評価試験: 表3は、熱伝導評価試験として用いる、実施例試料22〜実施例試料73において、鋳包み前の鋳鉄部材の組成及び鋳包み後の熱伝導率評価試験結果について示したものである。鋳包み用に用いたアルミニウム合金層4とシリンダライナ2とが層状になった熱伝導評価試験片S2は、熱伝導性評価を行うため、図1(A)における試験片Sからφ10mm×(3mm〜5mm厚さ)の略円盤状のサンプルを削り出して作製した。そして、レーザーフラッシュ法により、当該熱伝導評価用試験片の熱伝導率(W/m・K)をアルバック理工(株)製の熱伝導率計(商品名:TC−7000)を用いて測定した。なお、表3には、実施例試料22〜実施例試料73それぞれの溶射被膜の厚さ及び溶射被膜形成後の表面粗さについても示している。
【0081】
表3より、実施例の熱伝導効率(W/m・K)は、実施例試料22が55.3(W/m・K)、実施例試料23が60.0(W/m・K)、実施例試料24が55.5(W/m・K)、実施例試料25が60.2(W/m・K)、実施例試料26が55.0(W/m・K)、実施例試料27が61.9(W/m・K)、実施例試料28が75.5(W/m・K)、実施例試料29が74.2(W/m・K)、実施例試料30が56.1(W/m・K)、実施例試料31が62.2(W/m・K)、実施例試料32が73.2(W/m・K)、実施例試料33が80.0(W/m・K)、実施例試料34が76.5(W/m・K)、実施例試料35が79.2(W/m・K)、実施例試料36が71.0(W/m・K)、実施例試料37が78.3(W/m・K)、実施例試料38が59.8(W/m・K)、実施例試料39が76.0(W/m・K)、実施例試料40が76.7(W/m・K)、実施例試料41が79.0(W/m・K)、実施例試料42が71.5(W/m・K)、実施例試料43が78.5(W/m・K)、実施例試料44が60.2(W/m・K)、実施例試料45が75.5(W/m・K)、実施例試料46が58.0(W/m・K)、実施例試料47が74.0(W/m・K)、実施例試料48が58.2(W/m・K)、実施例試料49が73.0(W/m・K)、実施例試料50が71.2(W/m・K)、実施例試料51が70.3(W/m・K)、実施例試料52が70.9(W/m・K)、実施例試料53が70.5(W/m・K)、実施例試料54が69.8(W/m・K)、実施例試料55が68.2(W/m・K)、実施例試料56が67.5(W/m・K)、実施例試料57が68.8(W/m・K)、実施例試料58が70.0(W/m・K)、実施例試料59が65.2(W/m・K)、実施例試料60が71.2(W/m・K)、実施例試料61が59.0(W/m・K)、実施例試料62が69.0(W/m・K)、実施例試料63が65.3(W/m・K)、実施例試料64が70.8(W/m・K)、実施例試料65が58.0(W/m・K)、実施例試料66が57.2(W/m・K)、実施例試料67が74.5(W/m・K)、実施例試料68が71.1(W/m・K)、実施例試料69が67.9(W/m・K)、実施例試料70が68.3(W/m・K)、実施例試料71が69.1(W/m・K)、実施例試料72が67.1(W/m・K)、実施例試料73が68.0(W/m・K)となった。
【比較例】
【0082】
[比較例1]
比較例試料Aは、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さが小さい(Ra=0.4μm、Rz=2.2μm)鋳鉄部材を用い、当該鋳鉄部材の表面に3μm〜200μmの範囲で実施例と同じ条件に設定した厚さの溶射皮膜を形成して、表1に示すような表面粗さを備える比較例試料Aを製造した。そして、比較例試料Aは、実施例と同様に密着性評価試験を実施し、その結果を表2に示した。
【0083】
表2に示す結果より、実施例試料1の溶射皮膜厚さが5μmのときの密着強度を基準強度の1.0とした場合、溶射皮膜厚さが5μmから200μmへと厚くなった際の溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着強度の変化は、比較例試料Aが+0.7(0.8、1.5)となった。
【0084】
[比較例2]
表1に示すように、比較例試料Bは、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さが大きい(Ra=190.9μm、Rz=649.1μm)鋳鉄部材を用い、当該鋳鉄部材の表面に3μm〜200μmの範囲で実施例と同じ条件に設定した各厚さに溶射皮膜を形成して、表1に示すような表面粗さを備える比較例試料Bを製造した。そして、比較例試料Bは、実施例と同様に密着性評価試験を実施し、その結果を表2に示した。
【0085】
表2に示す結果より、実施例試料1の溶射皮膜厚さが5μmのときの密着強度を基準強度の1.0とした場合、溶射皮膜厚さが5μmから200μmへと厚くなった際の溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着強度の変化は、比較例試料Bが−1.6(10.2、8.6)となった。
[比較例3]
この比較例3では、比較例試料C〜比較例試料Uとして用いる鋳鉄部材を製造する際に、表4に示すように鋳鉄材の組成を設定した。表4は、熱伝導評価試験として用いる、比較例試料C〜比較例試料Uにおいて、鋳包み前の鋳鉄部材の組成及び鋳包み後の熱伝導率評価試験結果について示したものである。なお、熱伝導評価試験を行うにあたり、試料の製造方法に関しては全て実施例と同じ条件とした。
【0086】
表4より、比較例3の熱伝導効率(W/m・K)は、比較例試料Cが81.0(W/m・K)、比較例試料Dが53.0(W/m・K)、比較例試料Eが67.2(W/m・K)、比較例試料Fが30.0(W/m・K)、比較例試料Gが42.0(W/m・K)、比較例試料Hが69.3(W/m・K)、比較例試料Iが43.2(W/m・K)、比較例試料Jが69.1(W/m・K)、比較例試料Kが44.3(W/m・K)、比較例試料Lが66.9(W/m・K)、比較例試料Mが58.0(W/m・K)、比較例試料Nが60.0(W/m・K)、比較例試料Oが61.0(W/m・K)、比較例試料Pが43.2(W/m・K)、比較例試料Qが41.2(W/m・K)、比較例試料Rが32.1(W/m・K)、比較例試料Sが30.1(W/m・K)、比較例試料Tが33.3(W/m・K)、比較例試料Uが30.0(W/m・K)となった。
【0087】
【表1】

【0088】
【表2】

【0089】
【表3】

【0090】
【表4】

【0091】
<実施例と比較例との対比>
以下に、溶射皮膜付鋳鉄部材として用いる鋳鉄部材の組成と当該溶射皮膜付鋳鉄部材の表面粗さとが、アルミニウム材マトリクスに対する密着性、及び熱伝導性にどのような影響を及ぼすのかについて、実施例と比較例とを対比しつつ述べていく。
【0092】
まず、表2に示す結果より、密着性に関して1.0以上の数値が良好とするこの判断基準を適用すると、実施例試料1〜実施例試料21、比較例試料Bは、基準強度以上の密着性を示している。これに対し、比較例試料Aは基準強度以上の密着性を示していない。このとき、比較例試料Aの溶射皮膜形成前の表面粗さは、本件発明の適正な範囲となる表面粗さの条件を満たしていない。また、本件発明の適正な溶射皮膜形成前の表面粗さを超える粗さを備える比較例試料Bは、基準強度を十分に満足しているが、比較例試料Bよりも粗さの小さい実施例試料12及び実施例試料13と比較しても密着性に殆ど差は生じていない。図3には、表1及び表2のデータから鋳鉄部材に溶射皮膜を形成した後の表面粗さと溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着性との関係について示している。図3に示すように、鋳鉄部材に溶射皮膜を形成した後の表面粗さRaが170を超えたあたりから密着性は大きく向上しなくなっていることが分かる。
【0093】
この結果から明らかなように、比較例試料Bのように本件発明の適正な粗さ範囲(Ra=4μm〜170μm)を超える表面粗さを備えても、これ以上の密着性の向上を期待することはできず経済的ではない。従って、上述の結果より、実施例のように溶射皮膜付鋳鉄部材の表面粗さと溶射皮膜厚さとのバランスが適正でないと、溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの間で良好な密着性を得ることができず、また経済的でなくなることが分かる。なお、表1及び表2の中で、「×」と表示しているのは、密着性評価試料の準備段階で剥離して、評価が出来なかったものである。
【0094】
ここで、表面粗さRaと溶射皮膜厚さとの関係について、実施例である実施例試料1〜実施例試料15を図4、実施例試料16(鋳肌)〜実施例試料21(鋳肌)を図5、比較例である比較例試料A及び比較例試料Bを図6に示す。この図4〜図6と表1とから、他の溶射皮膜付鋳鉄部材と比して溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さの大きいものほど、溶射皮膜形成後の皮膜厚さが厚くなるに従って溶射皮膜付鋳鉄部材表面の粗さの変化量も大きくなることが分かる。例えば、図4に示す第3粗さ範囲である溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さが大きい実施例試料11(Ra=89.3μm、Rz=282.7μm)、実施例試料12(Ra=126.7μm、Rz=416.0μm)、実施例試料13(Ra=159.3μm、Rz=495.5μm)、実施例試料14(Ra=170.3μm、Rz=562.0μm)、実施例試料15(Ra=180.7μm、Rz=619.3μm)、比較例試料B(Ra=190.9μm、Rz=649.1μm)と、これら溶射皮膜付鋳鉄部材より溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さが小さい他の溶射皮膜付鋳鉄部材とを比較した場合に溶射皮膜形成後の皮膜厚さが厚くなるに従って変化する溶射皮膜付鋳鉄部材表面の粗さの変動量の差は明らかに上記溶射皮膜付鋳鉄部材の方が大きくなる。
【0095】
この結果より、溶射皮膜付鋳鉄部材は、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さが大きくなるに従って、鋳鉄部材の表面に皮膜を溶射した場合に、溶射皮膜付鋳鉄部材表面粗さに及ぼす影響が大きくなることが分かる。一方、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材表面粗さが小さくなると、必要以上に溶射皮膜の厚さを厚くしない限り溶射皮膜形成後の溶射皮膜付鋳鉄部材の表面粗さを大きくすることは困難となり、溶射皮膜付鋳鉄部材がアルミニウム材マトリクスに対して十分なアンカー効果を得ることが難しくなる。ここで、表1及び表2に示すように、外周表面をブラスト処理で粗化した鋳鉄部材を用いても溶射皮膜のアルミニウム材マトリクスに対する密着性は基準強度を十分に満足するものであり、ブラスト処理の条件を任意に定めることで好適な範囲の粗さに鋳鉄部材の外周表面を粗化させることが可能となる。
【0096】
また、溶射皮膜厚さと溶射皮膜付鋳鉄部材のアルミニウム材マトリクスに対する密着性との関係について、実施例である実施例試料1〜実施例試料15を図7、実施例試料(鋳肌)16〜実施例試料(鋳肌)21を図8、比較例である比較例試料A及び比較例試料Bを図9に示す。図7〜図9に示す結果より、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材表面の粗さが大きすぎると、当該鋳鉄部材表面に形成される溶射皮膜の厚さが厚くなるに従って、当該アルミニウム材マトリクスと溶射皮膜付鋳鉄部材との密着性は低下する傾向となることが分かった。一方、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材表面の粗さが小さくなると、当該鋳鉄部材表面に形成される溶射皮膜の厚さが厚くなっても当該アルミニウム材マトリクスと溶射皮膜付鋳鉄部材との密着性に殆ど変化が生じないことが分かった。
【0097】
ここで、表2に示すように、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材表面の粗さRaが、比較例試料Aの0.4μm程度に小さい場合には、溶射皮膜付鋳鉄部材のアルミニウム材マトリクスに対する密着性が基準強度以下となり十分ではなく好ましくない。一方、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材表面の粗さRaが、比較例試料Bの190μmを超えて大きくなると、溶射皮膜付鋳鉄部材のアルミニウム材マトリクスに対する密着性の向上が期待できなくなり経済的ではないため好ましくない。また、図7〜図9より、溶射皮膜形成後の皮膜厚さが160μmを超えたあたりから当該アルミニウム材マトリクスと溶射皮膜付鋳鉄部材との密着性は低下するか又は変動がなくなるため、溶射皮膜の厚さが160μmを超えた場合には経済的に好ましくない。一方、上述したように、溶射皮膜の厚さを5μm未満にすると、溶射皮膜付鋳鉄部材のアルミニウム材マトリクスに対する密着性が低下する傾向があるため好ましくない。
【0098】
更に、図4〜図9及び表1、表2で示される結果より、溶射皮膜付鋳鉄部材の備える表面粗さ(Ra)は溶射皮膜形成前と溶射皮膜形成後とで85μm以内の変動量であれば溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの間の密着性に大きな影響を及ぼすことはないことが分かった。よって、溶射皮膜付鋳鉄部材は、溶射皮膜形成前と溶射皮膜形成後の表面粗さRaの変動差量が85μm以下であれば、鋳包み時のアンカー効果を安定して十分に発揮することができる。
【0099】
また、表1又は図4〜図6より、鋳鉄部材の備える表面粗さを大きく変動させずに当該鋳鉄部材の表面に溶射皮膜を形成する際の最も好ましい溶射皮膜形成前の表面粗さは、溶射膜厚5μm〜200μmの範囲における溶射皮膜形成前後の表面粗さの最大変動量が(Ra=1.9μm、Rz=11.9μm)となる実施例試料5の溶射皮膜形成前表面粗さが(Ra=15.3μm、Rz=67.3μm)の条件のときであることが分かる。そして、表1又は図4〜図6より、他の試料と比して溶射膜厚5μm〜200μmの範囲における溶射皮膜形成前後の表面粗さの変動量が少なくなるのは、第2粗さ範囲の実施例試料3〜実施例試料7の溶射部材であることが分かる。この結果及び図4〜図6より、鋳鉄部材の備える表面粗さを大きく変動させずに当該鋳鉄部材の表面に溶射皮膜を形成する際の最も適切な溶射前の鋳鉄部材の表面粗さが(Ra=8.5μm〜24.8μm、Rz=48.5μm〜109.1μm)の範囲にあるときであることが分かる。また、表2及び図7〜図9より、第2粗さ範囲である実施例試料3〜実施例試料7について、鋳鉄部材の表面に形成される溶射皮膜の厚さの変化が当該アルミニウム材マトリクスと溶射皮膜付鋳鉄部材との密着性に及ぼす影響は少ないことが分かる。
【0100】
以上の結果より、溶射皮膜形成前の部材表面粗さが(Ra=8.5μm〜24.8μm、Rz=48.5μm〜109.1μm)の範囲内にある鋳鉄部材を使用した場合には、溶射皮膜の厚さに関係なく安定してアルミニウム材マトリクスに対して十分なアンカー効果を得ることがきるため好ましい。なお、第2粗さ範囲にある溶射皮膜付鋳鉄部材には、実施例試料19(鋳肌)、実施例試料20(鋳肌)も該当するが、表1及び図5に示す結果より、若干溶射皮膜形成前後の部材表面粗さRaの変動量が大きくなっている。これは、実施例試料19及び実施例試料20の試料は鋳肌であり、実施例試料3〜実施例試料7のように旋盤加工を施していないためであると考えられる。
【0101】
また、第1粗さ範囲及び第3粗さ範囲に係る試料についても述べておく。表1に示すように、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さが他の試料と比して小さい第1粗さ範囲に該当する試料は、実施例試料1、実施例試料2、実施例試料16、比較例試料Aである。これら試料は全て溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さが(Ra=8.5μm、Rz=48.5μm)未満となるものである。表1及び図4〜図6に示すように、第1粗さ範囲である溶射皮膜形成前の鋳鉄部材表面粗さRaは、当該鋳鉄部材の表面に形成される溶射皮膜が厚くなるに従って大きくなる傾向が現れている。ここで比較溶射部材Aの表面粗さ(Ra=0.4μm、Rz=2.2μm)まで溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さが小さくなると、表2び図9に示すように、その後当該鋳鉄部材表面に溶射皮膜が形成されたとしても十分な表面粗さを得ることが困難となり、アンカー効果を十分に発揮し得ず、目的としたレベルの溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着性が得られない。
【0102】
表1に示すように、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さが他の試料と比して大きい第3粗さ範囲に該当する試料は、実施例試料8〜実施例試料15、実施例試料17、実施例試料18、実施例試料21、比較例試料Bである。これら試料は全て溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さが(Ra=24.8μm、Rz=109.1μm)を超えたものである。表1及び図4〜図6に示すように、第3粗さ範囲である溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の表面粗さRaは、当該鋳鉄部材の表面に形成される溶射皮膜が厚くなるに従って小さくなる傾向が現れている。ここで比較例試料Bの表面粗さ(Ra=190.9μm、Rz=649.1μm)まで溶射皮膜形成前の表面粗さが大きくなると、表2に示すように、その後当該鋳鉄部材の表面に溶射皮膜が形成されたとしても溶射皮膜付鋳鉄部材のアルミニウム材マトリクスに対する密着性の向上が期待できなくなり経済的ではないため好ましくない。
【0103】
次に、表3及び表4を用いて、実施例(実施例試料22〜実施例試料73)と比較例(比較例試料C〜比較例試料U)との鋳鉄部材及び溶射皮膜付鋳鉄部材の熱伝導効率(W/m・K)について以下に対比していく。
【0104】
表3より、実施例試料22、実施例試料24、実施例試料26は全て同じ組成を備えるものであるが、溶射皮膜の厚さ及び溶射皮膜の表面粗さを本件発明の条件範囲内で異なる条件としたものである。ここで、各実施例試料の熱伝導率を対比すると、実施例試料22が55.3(W/m・K)、実施例試料24が55.5(W/m・K)、実施例試料26が55.0(W/m・K)とほぼ同等の値を示した。また同様に、実施例試料23、実施例試料25、実施例試料27も全て同じ組成を備えるものであり、溶射皮膜の厚さ及び溶射皮膜の表面粗さの条件が異なるものである。ここで、各実施例試料の熱伝導率を対比すると、実施例試料23が60.0(W/m・K)、実施例試料25が60.2(W/m・K)、実施例試料27が61.9(W/m・K)とほぼ同等の値を示した。この結果より、溶射皮膜付鋳鉄部材とアルミニウム材マトリクスとの密着性が良好であれば、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材が同じ組成である限り、溶射皮膜の厚さや溶射皮膜の表面粗さの条件の違いが熱伝導率に及ぼす影響は少ないことが分かった。
【0105】
以上をふまえ、表3の記載内容を基に、本件発明の実施例(実施例試料22〜実施例試料73)と比較例(比較例試料C〜比較例試料U)とについてそれぞれ対比した結果、実施例の試料に関しては、熱伝導率が全て55.0(W/m・K)以上であるのに対し、比較例の試料に関しては、熱伝導率が55.0(W/m・K)以下となるものが大半を占めた。この結果について以下に述べていく。
【0106】
表3より、実施例試料22〜実施例試料27、実施例試料44、実施例試料46、実施例試料48、実施例試料61、実施例試料65、実施例試料66、比較例試料Dは、他の試料と比較して熱伝導率が低い結果となった。これら試料に共通することは、他の試料と比較して炭素の含有量が少ない点である。特に、炭素の含有量が本件発明の条件範囲より下限側に外れている比較例試料Dは、これら試料の中で最も熱伝導率が低い結果となった。また、実施例試料28、実施例試料29、実施例試料32、実施例試料33、実施例試料39、実施例試料45、実施例試料47、実施例試料49、実施例試料67、比較例試料Cは、他の試料と比較して熱伝導率が高い結果となった。これら試料に共通することは、他の試料と比較して炭素の含有量が多い点である。特に、炭素の含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料Dは、これら試料の中で最も熱伝導率が高い結果となった。
【0107】
以上の結果より、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、炭素の含有量は熱伝導率に大きな影響を及ぼすことが分かった。なお、比較例試料Cは、熱伝導率が81.0(W/m・K)と最も高い結果となったが、炭素の含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れ、多くなっているため、強度の低下を招くことから好ましくない。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、炭素の含有量は3.2〜4.4wt%の範囲であることが好ましいことが分かった。
【0108】
また、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、ケイ素の含有量のみ異なる実施例試料22と実施例試料23、実施例試料24と実施例試料25、実施例試料26と実施例試料27のそれぞれについて対比した結果、ケイ素の含有量の多い試料である実施例試料23、実施例試料25、実施例試料27の熱伝導率が高くなる結果となった。この結果より、ケイ素の含有量が多いほど熱伝導率が向上することが分かった。この結果を基に、ケイ素の含有量が本件発明の条件範囲より下限側に外れている比較例試料Fをみると、熱伝導率が30.0(W/m・K)と最も低い結果となった。なお、比較例試料Eは、熱伝導率が67.2(W/m・K)と比較的高い結果となったが、ケイ素の含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れ、多くなっているため、強度の低下を招くことから好ましくない。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、ケイ素の含有量は0.8〜2.6wt%の範囲であることが好ましいことが分かった。
【0109】
次に、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、マンガンの含有量が主に異なる、実施例試料55と比較例試料Gとの対比を行った。その結果、マンガンの含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料Gの熱伝導率は42.0(W/m・K)と低い数値となった。また、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、マンガンの含有量が主に異なる、実施例試料56と比較例試料Hとの対比を行った結果、熱伝導率がそれぞれ67.5(W/m・K)、69.3(W/m・K)と比較的高い結果となった。しかし、比較例試料Hは、マンガンの含有量が本件発明の条件範囲より下限側に外れているため、耐摩耗性の悪化を招き好ましくない。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、マンガンの含有量は0.1〜2.4wt%の範囲であることが好ましいことが分かった。
【0110】
次に、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、硫黄の含有量が主に異なる、実施例試料55と比較例試料Iとの対比を行った。その結果、硫黄の含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料Iの熱伝導率は43.2(W/m・K)と低い数値となった。また、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、硫黄の含有量が主に異なる、実施例試料56と比較例試料Jとの対比を行った結果、熱伝導率がそれぞれ67.5(W/m・K)、69.1(W/m・K)と比較的高い結果となった。しかし、比較例試料Jは、硫黄の含有量が本件発明の条件範囲より下限側に外れているため、切削性の悪化を招き好ましくない。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、硫黄含有量は0.001〜0.2wt%の範囲であることが好ましいことが分かった。
【0111】
次に、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、リンの含有量が主に異なる、実施例試料56と比較例試料Kとの対比を行った。その結果、リンの含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料Kの熱伝導率は44.3(W/m・K)と低い数値となった。また、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、リンの含有量が主に異なる、実施例試料57と比較例試料Lとの対比を行った結果、熱伝導率がそれぞれ68.8(W/m・K)、66.9(W/m・K)と比較的高い結果となった。しかし、比較例試料Lは、リンの含有量が本件発明の条件範囲より下限側に外れているため、耐摩耗性の悪化を招き好ましくない。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、リンの含有量は0.01〜0.6wt%の範囲であることが好ましいことが分かった。
【0112】
次に、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、クロムの含有量が主に異なる、実施例試料51と比較例試料Mとの対比を行った。その結果、実施例試料51の熱伝導率は70.3(W/m・K)であるのに対し、クロムの含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料Mの熱伝導率は58.0(W/m・K)と低い数値となった。比較試料Mの熱伝導率の数値は、他の比較例試料より高い数値を示すが、クロムの含有量が多いため、クロム炭化物の生成が過剰になり、切削性が悪くなり好ましくない。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、クロムの含有量は0.6wt%以下であることが加工性を考慮するとより好ましいことが分かった。
【0113】
次に、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、銅の含有量が主に異なる、実施例試料72と比較例試料Nとの対比を行った。その結果、実施例試料72の熱伝導率は67.1(W/m・K)であるのに対し、銅の含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料Nの熱伝導率は60.0(W/m・K)と低い数値となった。比較試料Nの熱伝導率の数値は、他の比較例試料と比較して高い数値を示すが、銅の含有量が多いため、切削性が悪くなり好ましくない。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、銅の含有量は0.6wt%以下であることが加工性を考慮するとより好ましいことが分かった。
【0114】
次に、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、アルミニウムの含有量が主に異なる、実施例試料52と比較例試料Oとの対比を行った。その結果、実施例試料52の熱伝導率は70.9(W/m・K)であるのに対し、アルミニウムの含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料Oの熱伝導率は61.0(W/m・K)と低い数値となった。比較試料Oの熱伝導率の数値は、他の比較例試料と比較して高い数値を示すが、アルミニウムの含有量が多いため、フェライト析出が過多となり強度が低下するため好ましくない。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、アルミニウムの含有量は1.0wt%以下であることが強度を考慮するとより好ましいことが分かった。
【0115】
次に、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、錫の含有量が主に異なる、実施例試料54と比較例試料Pとの対比を行った。その結果、実施例試料54の熱伝導率は69.8(W/m・K)であるのに対し、錫の含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料Pの熱伝導率は43.2(W/m・K)と低い数値となった。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、錫の含有量は0.3wt%以下であることが熱伝導性としてより好ましいことが分かった。
【0116】
次に、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、アンチモンの含有量が主に異なる、実施例試料71と比較例試料Qとの対比を行った。その結果、実施例試料71の熱伝導率は69.1(W/m・K)であるのに対し、アンチモンの含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料Qの熱伝導率は41.2(W/m・K)と低い数値となった。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、アンチモンの含有量は0.2wt%以下であることが熱伝導性としてより好ましいことが分かった。
【0117】
次に、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、ホウ素の含有量が主に異なる、実施例試料72と比較例試料Rとの対比を行った。その結果、実施例試料72の熱伝導率は67.1(W/m・K)であるのに対し、ホウ素の含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料Rの熱伝導率は32.1(W/m・K)と低い数値となった。また、ホウ素の含有量が本件発明の条件範囲より上限側に外れている比較例試料S、比較例試料T、比較例試料Uについても同様な結果が得られた。よって、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成において、ホウ素の含有量は2.0wt%以下であることが熱伝導性としてより好ましいことが分かった。
【0118】
以上の結果より、溶射皮膜付鋳鉄部材の表面粗さと鋳鉄部材の組成とが共に本件発明に定める条件範囲内にすることが、熱伝導性をより向上させるためには必要となることが分かった。また、表3及び表4より、本件発明における鋳鉄部材の組成の条件範囲である、炭素が3.2〜4.4wt%、ケイ素が0.8〜2.6wt%、マンガンが0.1〜2.4wt%、硫黄が0.001〜0.2wt%、リンが0.01〜0.6wt%、残部が鉄及び不可避的不純物であることに加えて、更にクロムが0.01〜0.6wt%、銅が0.01〜1.0wt%、アルミニウムが0.05〜1.0wt%、錫が0.001〜0.3wt%、アンチモンが0.001〜0.2wt%、ホウ素が0.01〜2.0wt%の範囲で含有している方がより、熱伝導性及び機械的特性を向上させるには好ましいことが分かった。
【0119】
以上、溶射皮膜付鋳鉄部材の表面粗さと、溶射皮膜形成前の鋳鉄部材の組成とを本件発明に定める条件に設定することで、溶射皮膜付鋳鉄部材はアルミニウム材マトリクスに対して密着性及び熱伝導性の向上を図ることができる。
【産業上の利用可能性】
【0120】
本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材は、表面粗さと溶射皮膜厚さとが良好なバランスを備えているため、物理的アンカー効果と鋳包みのアルミニウム材マトリクスとの相互拡散で形成される金属結合状態を同時に得ることが容易であり、相互の密着性を飛躍的に向上させる。この本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材は、内燃機関用のシリンダライナ、ピストン用耐摩環、バルブガイド等の製造に応用可能であり、これらの品質を飛躍的に向上させることができる。
【0121】
そして、本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材は、鋳鉄部材の備える表面粗さを殆ど損なうことなく、その表面に溶射皮膜を形成する。従って、出発原料である鋳鉄部材の表面粗さを適正に作り込んでおけば、溶射皮膜形成後の事後的な粗化処理が不要になるため、加工工程の省略が可能になる。従って、工程の短縮化に伴い、製造コストを有効に削減することが出来る。
【0122】
更に、本件発明に係る溶射皮膜付鋳鉄部材は、当該溶射皮膜付鋳鉄部材に用いられる鋳鉄部材に含有させる合金元素の種類及び含有量を、熱伝導効率の向上に最適となる条件に設定したことで、エンジンの性能、耐久性の向上を図ることが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0123】
【図1】鋳包んだシリンダライナからの密着性及び熱伝導性評価用試験片の採取位置を説明するための概念図である。
【図2】密着性評価試験片を用いた密着性評価を行う際の引張り試験の概念図である。
【図3】鋳鉄部材における溶射皮膜形成後の表面粗さRaと密着性(溶射皮膜−アルミニウム材マトリクス間)との関係を示すグラフである。
【図4】実施例において、溶射皮膜形成後の表面粗さRaと溶射皮膜厚さとの関係を示すグラフである。
【図5】実施例(鋳肌)において、溶射皮膜形成後の表面粗さRaと溶射皮膜厚さとの関係を示すグラフである。
【図6】比較例において、溶射皮膜形成後の表面粗さRaと溶射皮膜厚さとの関係を示すグラフである。
【図7】実施例において、鋳鉄部材の鋳包み後の密着性評価結果を示すグラフである。
【図8】実施例(鋳肌)において、鋳鉄部材の鋳包み後の密着性評価結果を示すグラフである。
【図9】比較例において、鋳鉄部材の鋳包み後の密着性評価結果を示すグラフである。
【符号の説明】
【0124】
1 鋳包んだシリンダライナ
2 シリンダライナ(溶射皮膜付鋳鉄部材)
3a,3b,3c,3d 湯口
4 アルミニウム合金層
5 引張り試験用の治具
S1 密着性評価試験片

【特許請求の範囲】
【請求項1】
高圧アルミニウムダイキャスト法を用いた鋳包み加工に供する鋳包み用鋳鉄部材であって、
当該鋳包み用鋳鉄部材は、以下に記載の組成の鋳鉄部材の表面に、厚さ5μm〜160μmの溶射皮膜を備え、且つ、当該溶射皮膜形成後の溶射面の表面粗さRaが4μm〜170μmとして、アルミニウム材マトリックスとの密着性及び熱伝導性を向上させたことを特徴とする鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材。
[鋳鉄部材の組成]
炭素 :3.2〜4.4wt%
ケイ素 :0.8〜2.6wt%
マンガン :0.1〜2.4wt%
硫黄 :0.001〜0.2wt%
リン :0.01〜0.6wt%
残部 :鉄及び不可避的不純物
【請求項2】
前記鋳鉄部材は、更に以下に記載する、クロム、銅、アルミニウム、錫又は/及びアンチモン、ホウ素の内、一種以上の元素を含む請求項1に記載の鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材。
[鋳鉄部材の含有元素]
クロム :0.01〜0.6wt%
銅 :0.01〜1.0wt%
アルミニウム:0.05〜1.0wt%
錫 :0.001〜0.3wt%
アンチモン :0.001〜0.2wt%
ホウ素 :0.01〜2.0wt%
【請求項3】
前記鋳鉄部材の溶射皮膜形成前の表面粗さRaは4μm〜190μmである請求項1又は請求項2に記載の鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材。
【請求項4】
前記溶射皮膜は、アルミニウム系合金、マグネシウム系合金、スズ系合金、亜鉛系合金、銅系合金のいずれかである請求項1〜請求項3に記載の鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材。
【請求項5】
請求項1〜請求項4のいずれかに記載の鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法であって、
以下の工程A及び工程Bを備えることを特徴とする鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法。
工程A: 表面粗さRaが、4μm〜190μmの外周表面を備える鋳鉄部材を準備する工程。
工程B: アーク溶射法により、厚さが5μm〜160μmの溶射皮膜を形成し、当該溶射皮膜形成後の表面粗さRaが4μm〜170μmの外周表面を有するものである鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材を得る工程。
【請求項6】
前記工程Aの鋳鉄部材は、鋳鉄部材に対して旋盤加工を用いて、その外周表面に溝状凹凸形状を形成したものを用いる請求項5に記載の鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法。
【請求項7】
前記溝状凹凸形状を備える外周表面を、更にブラスト処理で粗化した鋳鉄部材を用いる請求項6に記載の鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法。
【請求項8】
前記工程Bのアーク溶射法は、アーク溶射装置を用い、当該装置の溶射ガンのノズルのアトマイズエアー吹き出し部の開口面積が15mm〜200mmである請求項5〜請求項7のいずれかに記載の鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材の製造方法。
【請求項9】
請求項1〜請求項4に記載の鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材として製造したことを特徴とする溶射皮膜付シリンダライナ。
【請求項10】
請求項1〜請求項4に記載の鋳包み用溶射皮膜付鋳鉄部材として製造したことを特徴とする溶射被膜付き耐摩環。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【公開番号】特開2010−156003(P2010−156003A)
【公開日】平成22年7月15日(2010.7.15)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−333515(P2008−333515)
【出願日】平成20年12月26日(2008.12.26)
【出願人】(390022806)日本ピストンリング株式会社 (137)
【Fターム(参考)】