説明

電界脱離イオン源を備えた質量分析装置

【課題】簡単な方法で試料のイオン化量を制御することのできる電界脱離イオン源を備えた質量分析装置を提供する。
【解決手段】(1)タングステン芯線の表面に炭素ウィスカーを生成させ、該炭素ウィスカーに試料を付着させたエミッタ、(2)前記エミッタの対向電極として、前記炭素ウィスカーの先端に高電界を発生させるための高電圧が印加可能なカソード電極、(3)前記炭素ウィスカーの先端に高電界を発生させ、その結果生成した試料イオンを収束させ、後段の質量分析部に該試料イオンを輸送するレンズ電極、を備え、前記カソード電極に印加される高電圧は、後段の質量分析部で検出されるイオンの信号強度に基づいて、イオンの信号強度が予め指定された値を超えたときには電圧を下げる方向に変更され、イオンの信号強度が予め指定された値を下回ったときには電圧を上げる方向に変更される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、GC/MS、石油化学/工業化学分野における成分分析、環境分析、食品分析などに用いて好適な電界脱離イオン源を備えた質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析計のイオン源として、電界脱離(FD、Field Desorption)イオン源が広く用いられている。FD法は、1970年頃から現在に至るまで、化学工業、石油化学、材料化学、生体関連物質などのイオン化法として用いられている。
【0003】
FDイオン源では、試料をイオン化する前に気化させる必要がなく、イオン化と気化がエミッタの上で起こるので、EI(Electron Ionization)、CI(Chemical Ionization)、FI(Field Ionization)などの他のイオン源に比べて、試料分子の熱分解が起こりにくいという特徴がある。
【0004】
FD法の従来技術の一例を図1に示す。この技術は、エミッタ1、カソード電極2、レンズ電極3から成るFDイオン源、および質量分析部4から構成される。すべての構成は、ターボ分子ポンプで排気された高真空チャンバー内の真空下(10-2Pa以下)に設置されている。
【0005】
エミッタ1は、タンブステン芯線(5〜20μmΦ)の周囲表面に炭素ウィスカー(樹枝状の微小細針)を生成させたものである。通常、+数十Vの電圧が印加される。
【0006】
カソード電極2は、エミッタ1の対向電極として、エミッタ1の炭素ウィスカーの先端に高電場を形成させるために用いられている。一般に、−6000〜−15000V程度の引き出し電圧が印加される。
【0007】
これにより、エミッタ1の先端には、107〜108V/cmの高電界が発生する。この高電界に曝された試料分子は、電子を引き抜かれて正イオンとなり、エミッタ1を脱離して気化する。カソード電極に印加できる引き出し電圧値は、イオン源内において放電が起こらない、およそ−15000V程度が限界である。
【0008】
レンズ電極3は、エミッタ1で生成された試料イオンを質量分析部4に収束させ、輸送するためのレンズ系である。
【0009】
測定の手順を以下に示す。
【0010】
(1)試料をエミッタ1に塗布する。液体、あるいは粉体の試料を分析に用いることができる。
【0011】
(2)カソード電極2およびレンズ電極3に電圧をかける。
【0012】
(3)カソード電極2にかけられた高電圧によって形成された高電界により、エミッタ1上に塗布された試料が正イオンとなる。
【0013】
(4)生成した試料イオンは、マイナスのカソード電極2により、エミッタ1から引き離され、脱離する。
【0014】
(5)真空中に引き離されたイオンは、レンズ電極3で収束され、質量分析部4で質量分離されて、検出器で検出される。
【0015】
(6)目的成分の信号が出終わったら、測定を終了する。
【0016】
(7)沸点が高い化合物の場合、エミッタ1の芯線であるタングステンワイヤーに、1〜100mA程度の電流を流し、エミッタ温度を適度に上昇させ、試料イオンの脱離を促すこともある。
【0017】
【非特許文献1】発明協会公開技報86−16622
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0018】
ところで、イオンが過剰に脱離生成した場合に、信号強度が強すぎて検出範囲を振り切り、検出器が飽和してしまうことがある。その場合、得られたマススペクトルは、一部のイオン信号が飽和しているため、誤ったデータとなってしまうという問題があった。この問題は、目的イオンの信号強度に応じて、カソード電極の電圧を下げることで、イオン強度を調整し、正しいマススペクトルを得ることができる。
【0019】
また、試料イオンの飽和に対して、従来は、検出器の電圧を変更し、増幅率を小さくすることで、イオン信号の制御をしていた。しかし、この方法では、イオン源で消費(脱離)される試料量は、あいかわらず多いままであることに変わりはなく、試料の有効利用といった観点からは、改善されている訳ではない。
【0020】
試料の無駄な消費を抑えることによって、同等な試料量において、測定時間をより長くすることができ、この時間を使うことにより、イオン源の条件を変更したり、MS/MS測定に供したりすることができる。
【0021】
また、試料の無駄な消費(試料イオンの過剰な脱離)を抑えることで、イオン源や質量分析部の試料による過度の汚染を防ぐことができる。
【0022】
本発明の目的は、上述した点に鑑み、簡単な方法で試料のイオン化量を制御することのできるFDイオン源を備えた質量分析装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0023】
この目的を達成するため、本発明にかかるFDイオン源を備えた質量分析装置は、
(1)電極の表面にウィスカーを生成させ、該ウィスカーに試料を付着させたエミッタ、
(2)前記エミッタの対向電極として、前記ウィスカーの先端に高電界を発生させ、試料をイオン化させるための引き出し電圧が印加されるカソード電極、
(3)前記イオン化された試料が導入される質量分析部、
(4)前記質量分析部と前記カソード電極の間に置かれ、前記カソード電極により発生させた試料イオンを収束させ、前記質量分析部に該試料イオンを輸送するレンズ電極、
(5)前記質量分析部で質量ごとに分離された試料イオンを検出する検出器、
(6)前記検出器で検出された所望質量の試料イオンの信号強度に基づいて、イオンの信号強度が予め指定された上限値を超えたときにはカソード電極電位とエミッタ電位との電位差を小さくする方向に前記引き出し電圧を変更し、イオンの信号強度が予め指定された下限値を下回ったときにはカソード電極電位とエミッタ電位との電位差を大きくする方向に前記引き出し電圧を変更する引き出し電圧変更手段、
を備えたことを特徴としている。
【0024】
また、前記質量分析部は、飛行時間型質量分析部であることを特徴としている。
【0025】
また、前記所望質量の試料イオンは、予め指定した質量のイオンか、または予め指定した質量範囲にあるイオン群の中から選ばれたイオンであることを特徴としている。
【発明の効果】
【0026】
本発明のFDイオン源を備えた質量分析装置によれば、
(1)電極の表面にウィスカーを生成させ、該ウィスカーに試料を付着させたエミッタ、
(2)前記エミッタの対向電極として、前記ウィスカーの先端に高電界を発生させ、試料をイオン化させるための引き出し電圧が印加されるカソード電極、
(3)前記イオン化された試料が導入される質量分析部、
(4)前記質量分析部と前記カソード電極の間に置かれ、前記カソード電極により発生させた試料イオンを収束させ、前記質量分析部に該試料イオンを輸送するレンズ電極、
(5)前記質量分析部で質量ごとに分離された試料イオンを検出する検出器、
(6)前記検出器で検出された所望質量の試料イオンの信号強度に基づいて、イオンの信号強度が予め指定された上限値を超えたときにはカソード電極電位とエミッタ電位との電位差を小さくする方向に前記引き出し電圧を変更し、イオンの信号強度が予め指定された下限値を下回ったときにはカソード電極電位とエミッタ電位との電位差を大きくする方向に前記引き出し電圧を変更する引き出し電圧変更手段、
を備えたことを特徴としているので、
簡単な方法で試料のイオン化量を制御することのできるFDイオン源を備えた質量分析装置を提供することが可能になった。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】従来のFDイオン源の一例を示す図である。
【図2】本発明にかかるFDイオン源の一実施例を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0028】
以下、図面を参照して、本発明の実施の形態を説明する。
【実施例1】
【0029】
図2は本発明にかかるFDイオン源の一実施例である。この技術は、エミッタ1、カソード電極2、レンズ電極3、電圧可変型電源5から成るFDイオン源、質量分析部4、および電圧制御機構6から構成される。1〜4の構成は、ターボ分子ポンプで排気された高真空チャンバー内の真空下(10-2Pa以下)に設置されている。
【0030】
エミッタ1は、タンブステン芯線(5〜20μmΦ)の周囲表面に炭素ウィスカー(樹枝状の微小細針)を生成させたものである。通常、+数十Vの電圧が印加される。
【0031】
カソード電極2は、エミッタ1の対向電極として、エミッタ1の炭素ウィスカーの先端に高電場を形成させるために用いられている。一般に、−6000〜−15000V程度の引き出し電圧が電圧可変型電源5から印加される。
【0032】
これにより、エミッタ1の先端には、107〜108V/cmの高電界が発生する。この高電界に曝された試料分子は、電子を引き抜かれて正イオンとなり、エミッタ1を脱離して気化する。カソード電極に印加できる引き出し電圧値は、イオン源内において放電が起こらない、およそ−15000V程度が限界である。
【0033】
レンズ電極3は、エミッタ1で生成された試料イオンを質量分析部4に収束させ、輸送するためのレンズ系である。
【0034】
測定の手順を以下に示す。
【0035】
(1)試料をエミッタ1に塗布する。液体、あるいは粉体の試料を分析に用いることができる。
【0036】
(2)エミッタ1に数十Vの電圧が設定される。
【0037】
(3)カソード電極2に電圧可変型電源5から−12000Vの引き出し電圧が設定される。
【0038】
(4)レンズ電極3には、エミッタ1の表面で生成した試料イオンを質量分析部4に収束させ、輸送するための電圧、数十〜数百Vが設定される。
【0039】
(5)カソード電極2にかけられた高電圧の引き出し電圧によって形成された高電界により、エミッタ1上に塗布された試料が正イオンとなる。
【0040】
(6)生成した試料イオンは、マイナスのカソード電極2により、エミッタ1から引き離され、脱離する。
【0041】
(7)真空中に引き離されたイオンは、レンズ電極3で収束され、質量分析部4で質量分離されて、検出器で検出される。
【0042】
(8)測定前に予め電圧制御機構6に指定した質量のイオン(あるいは、指定した質量範囲内で最大の信号強度を持つイオン)が、指定した信号強度に到達した場合に、電圧制御機構6においてマススペクトルのデータから強度判定し、カソード電極2の引き出し電圧を小さくする。例えば、+500Vずつ変更させられるように、予め電圧制御機構6にプログラムしておく。これにより、不必要な試料イオンの脱離を抑えることができる。
【0043】
(9)例えば、0.5秒に1回ずつマススペクトルを繰り返し測定する場合に、予め電圧制御機構6に指定したイオンの信号強度が検出器のフルスケールの75%を超えたら、次にデータを収集する前に、カソード電極の引き出し電圧の初期設定値に対し、電圧制御機構6が引き出し電圧値を+500V変更(電界が弱まる)する。その後は、データの収集毎に、電圧制御機構6でイオン強度の判定と引き出し電圧値の再設定を繰り返す。ただし、引き出し電圧の最小設定値は0Vである。
【0044】
(10)また、例えば、0.5秒に1回ずつマススペクトルを繰り返し測定する場合に、予め電圧制御機構6に指定したイオンの信号強度が検出器のフルスケールの25%を超えた後、その後イオン強度が下がり、25%を下回ったら、次にデータを収集する前に、カソード電極の引き出し電圧の初期設定値に対し、電圧制御機構6が引き出し電圧値を−500V変更(電界が強まる)する。その後は、データの収集毎に、電圧制御機構6でイオン強度の判定と引き出し電圧値の再設定を繰り返す。ただし、引き出し電圧の最大設定値は−15000Vである。
【0045】
(11)目的成分の信号が出終わったら、測定を終了する。
【0046】
(12)沸点が高い化合物の場合、エミッタ1の芯線であるタングステンワイヤーに、1〜100mA程度の電流を流し、エミッタ温度を適度に上昇させ、試料イオンの脱離を促すこともある。
【0047】
なお、本発明は、適用対象を飛行時間型質量分析計に限定すれば、カソード電極の引き出し電圧を変えたことに由来する、従来の磁場型質量分析計などで生じる収束の乱れなどの悪影響を回避することができる。
【実施例2】
【0048】
測定前に予め指定したイオン(あるいは、予め指定した質量範囲内のイオン)が、指定した信号強度に到達した場合に、そのことをマススペクトルのデータから判定し、カソード電極の引き出し電圧値を(例えば、+500Vずつ)小さくする。これにより、不必要な試料イオンの脱離を抑えることができる。
【0049】
その後、指定した値よりも信号強度が下回っていたら、カソード電極の引き出し電圧値を増加させ、上回っていたら、カソード電極の引き出し電圧値を減少させる手順を繰り返す。これにより、効率的に試料を消費することができる。
【0050】
なお、本発明は、適用対象を飛行時間型質量分析計に限定すれば、カソード電極の引き出し電圧を変えたことに由来する、従来の磁場型質量分析計などで生じる収束の乱れなどの悪影響を回避することができる。
【産業上の利用可能性】
【0051】
飛行時間型質量分析計に広く利用できる。
【符号の説明】
【0052】
1:エミッタ、2:カソード電極、3:レンズ電極、4:質量分析部、5:電圧可変型電源、6:電圧制御機構

【特許請求の範囲】
【請求項1】
(1)電極の表面にウィスカーを生成させ、該ウィスカーに試料を付着させたエミッタ、
(2)前記エミッタの対向電極として、前記ウィスカーの先端に高電界を発生させ、試料をイオン化させるための引き出し電圧が印加されるカソード電極、
(3)前記イオン化された試料が導入される質量分析部、
(4)前記質量分析部と前記カソード電極の間に置かれ、前記カソード電極により発生させた試料イオンを収束させ、前記質量分析部に該試料イオンを輸送するレンズ電極、
(5)前記質量分析部で質量ごとに分離された試料イオンを検出する検出器、
(6)前記検出器で検出された所望質量の試料イオンの信号強度に基づいて、イオンの信号強度が予め指定された上限値を超えたときにはカソード電極電位とエミッタ電位との電位差を小さくする方向に前記引き出し電圧を変更し、イオンの信号強度が予め指定された下限値を下回ったときにはカソード電極電位とエミッタ電位との電位差を大きくする方向に前記引き出し電圧を変更する引き出し電圧変更手段、
を備えたことを特徴とする電界脱離イオン源を備えた質量分析装置。
【請求項2】
前記質量分析部は、飛行時間型質量分析部であることを特徴とする請求項1記載の電界脱離イオン源を備えた質量分析装置。
【請求項3】
前記所望質量の試料イオンは、予め指定した質量のイオンか、または予め指定した質量範囲にあるイオン群の中から選ばれたイオンであることを特徴とする請求項1記載の電界脱離イオン源を備えた質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2011−198534(P2011−198534A)
【公開日】平成23年10月6日(2011.10.6)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−61994(P2010−61994)
【出願日】平成22年3月18日(2010.3.18)
【出願人】(000004271)日本電子株式会社 (811)
【Fターム(参考)】