説明

非線形光学顕微鏡および非線形光学顕微鏡法

【課題】空間分解能を向上できる非線形光学顕微鏡を提供する。
【解決手段】対物レンズ33を経て波長の異なる少なくとも2色の照明光を空間的および時間的に重複して試料35に照射する照明部(11,12,13,21,25,26,31,32,33)と、少なくとも2色の照明光の試料35への照射に起因して、試料35から非線形光学効果により発生する信号光を検出する検出部(41,42,43,44,45,46)と、を備え、照明部は、少なくとも2色の照明光として、少なくとも1色の照明光の波面分布が他色の照明光の波面分布と異なる照明光を試料35に照射する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、非線形光学顕微鏡および非線形光学顕微鏡法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
光学顕微鏡の歴史は古く、種々のタイプの光学顕微鏡が開発されている。また、近年では、レーザ技術および電子画像技術をはじめとする周辺技術の進歩により、さらに高機能の顕微鏡システムが開発されている。このような背景の中、様々な分光過程を用いた高機能な顕微鏡が提案されている。そして、試料の形状のみならず、試料に含まれている分子の同定や構造解析が可能となっている。
【0003】
その中で、例えば、生物試料や工業材料を、染色等の手を加えることなく、それらの光応答を観測することで、構造を明らかにするラマン分光法があり、顕微鏡分野への応用が期待されている。ラマン分光とは、ラマン効果と呼ばれている一種の非線型光学効果を基礎にしている。強いフォトンフラックスの光が分子や原子により散乱されると、分子の量子状態が変化し、それに応じて系全体のエネルギーが変化する。そのとき、変化したエネルギー分が、散乱された光子に移行し、結果として入射した光と異なる波長の光が発生する。このような現象をラマン散乱と言う。
【0004】
ラマン散乱には、単色照明によるものと多色照明によるものとがある。単色照明によるラマン散乱には、(1)非共鳴ラマン散乱、(2)真正共鳴ラマン散乱、(3)前期共鳴ラマン散乱の3種類があり、多色照明によるラマン散乱には、(4)コヒーレント・ラマン散乱がある。以下、これらのラマン散乱について、図13および図14を参照して、さらに詳細に説明する。
【0005】
(1)非共鳴ラマン散乱
図13(a)は、非共鳴ラマン散乱を説明するエネルギーダイアグラムである。非共鳴ラマン散乱は、原子および分子の立場からみると、二次の摂動論で説明できる。すなわち、図13(a)に示すように、S(imaginary)と言う仮想的な量子準位を仮定した一種の2光子過程である。この2光子励起過程では、最低電子状態で、かつ最低振動回転準位、すなわち基底状態S0にあった分子は、例えば、非常に強いレーザ光で、一度、仮想的な量子準位S(imaginary)に励起され、その後、最低電子状態の高い振動回転準位(V2)に脱励起する過程に対応する。結果的には、図13(a)から明らかなように、入射した光が、(Ef−E0)の光子エネルギーを原子または分子に与え、非共鳴ラマン散乱後の光は、その分、光子エネルギーを損失して、見かけ上、光の波長がλ1であったのが、長波長のλ2に変化して散乱される。一般に、非共鳴ラマン散乱を含む仮想的な量子準位を前提とした2光子過程は、極めて遷移確率が小さく、この過程を誘発するためには、フェムト秒オーダの超短パルスレーザを必要とする場合もある。
【0006】
(2)真正共鳴ラマン散乱
図13(b)は、真正共鳴ラマン散乱を説明するエネルギーダイアグラムである。真正共鳴ラマン散乱は、非共鳴ラマン散乱が特殊な条件を満たす場合の散乱過程で、図13(b)に示すように、S(imaginary)が、実在する電子励起状態S1に一致した場合である。この場合は、基底状態S0の分子が、実在する電子励起状態S1に励起され、その後、最低電子状態の高い振動回転準位(V2)に脱励起する過程に対応する。したがって、見かけ上、図13(b)に示すように、あたかもS0→S1励起後、λ2という蛍光を発光する過程と一致する。この真正共鳴ラマン散乱は、実在する量子状態を利用するので、極めて散乱確率が高く、非共鳴ラマン散乱と比較すると格段に強い光強度でラマン散乱を発現できる。
【0007】
(3)前期共鳴ラマン散乱
図13(c)は、前期共鳴ラマン散乱を説明するエネルギーダイアグラムである。前期共鳴ラマン散乱は、真正共鳴ラマン散乱と非共鳴ラマン散乱との中間の性質をもつ。すなわち、電子励起状態S1の近傍にS(imaginary)が存在する場合である。
【0008】
(4)コヒーレント・ラマン散乱
図14は、コヒーレント・ラマン散乱を説明する図で、図14(a)はコヒーレント・アンチストークスラマン散乱(Coherent Anti-Stokes Raman Scattering;以下、適宜、CARSとも言う)のエネルギーダイアグラム、図14(b)はコヒーレント・ストークスラマン散乱(Coherent Stokes Raman Scattering;以下、適宜、CSRSとも言う)のエネルギーダイアグラムである。コヒーレント・ラマン散乱(Coherent Raman Scattering)は、三次の非線形光学応答過程の一つで、実験および理論の両側面から様々な研究が行われている。
【0009】
このコヒーレント・ラマン散乱は、一般に角振動数の異なる二つのレーザ光(ω1光、ω2光)を用いる。はじめに、分子と相互作用するω1光(ポンプ光)およびω2光(プローブ光)は、ポンプ光およびストークス光とも呼ばれる。これらの二つの入射光の角振動数差が、試料分子の持つ振動モードの角振動数Ωと一致すると、多数の試料分子の振動モードが共鳴的に、かつ位相を揃えて、すなわちコヒーレントに励振される。発生した振動分極は、位相緩和時間の間持続しているので、その間にω1光と分子が相互作用することにより、三次の非線形分極に由来するコヒーレント・ラマン散乱光を取り出すことができる。
【0010】
すなわち、ポンプ光およびストークス光と、プローブ光との間の遅延時間を変化させることにより、分子振動の位相緩和時間に関する情報を得ることができる。特に、図14(a)に示すように、振動数が+Ω大きくなったラマン散乱光は、CARSと呼ばれる。また、図14(b)に示すように、振動数が−Ω小さくなったラマン散乱光は、CSRSと呼ばれる。特に、CARSの場合は、励起光より短波長側で信号光を検出できるので、自家蛍光によるバックグラウンド等の影響を受けにくく、良好なS/Nで信号光を検出することができる。
【0011】
通常、CARS信号は、特定の化学基の分子振動数と共鳴することにより強く発生するので、この場合のCARS信号は共鳴CARS信号と呼ばれることがある。これに対し、当該分子振動とは共鳴しない波長領域(周波数領域)でブロードに発生するCARS信号は、一種の非共鳴・非線形の光学過程によるもので、強度としては弱く、非共鳴CARS信号と呼ばれる。
【0012】
近年、CARS過程は、分光分析型顕微鏡等に幅広く適用され始めている。それとともに、CARS信号を捕らえる顕微鏡法、すなわちCARS顕微鏡法は無染色で生物試料を観察できるので(例えば、非特許文献1参照)、その商品化が強く期待できる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0013】
【非特許文献1】J. Phys. Chem. B 2004, 108, 827-840、Jpn. J. Appl. Phys. 46(2007)6875
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
CARS過程は、2色あるいはそれ以上の複数の光源を用いて、3次の非線形光学効果を誘導する。例えば、2色光を用いた場合、ポンプ光強度P1、プローブ光強度P2とすると、試料から得られるラマン散乱信号すなわち信号強度Iは、式(1)に示すように、試料集光面におけるポンプ光の強度のべき乗とプローブ光の強度との積に比例する。
【0015】
【数1】

【0016】
ここで、集光したビームの電場強度分布が式(2)のようなガウス関数と仮定すると、信号強度Iは式(3)で表される。
【0017】
【数2】

【0018】
式(3)より、信号強度Iの半値幅(Γ)は、式(4)で与えられる。
【0019】
【数3】

【0020】
式(3)、(4)において、a1およびa2は、ポンプ光およびプローブ光の広がりを示す定数である。例えば、通常の集光したガウスビームの電場強度分布の半値幅(γ)は、式(5)で与えられる。
【0021】
【数4】

【0022】
式(4)と式(5)とを比較すると、Γ<γとなるので、通常の単色照明法を用いる場合と比較してビームサイズすなわち点像分布関数が細くなる。したがって、一見、空間分解能が向上するように見える。
【0023】
しかしながら、CARS顕微鏡法は、近赤外光を照明光として用いるので、絶対空間分解能が向上せず、光学顕微鏡の回折限界である200nmには及ばない。その結果、CARS顕微鏡法においては、試料の化学組成を分別する能力が重要視されているものの、その分解能の低さが、実用化・普及化の妨げとなっている。同様の問題は、多色光を利用する他の顕微鏡法、例えば、マルチプレックスの2光子顕微鏡法においても生じるものである。
【0024】
したがって、上述した事情に鑑みてなされた本発明の目的は、空間分解能を向上できる非線形光学顕微鏡および非線形光学顕微鏡法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0025】
上記目的を達成する本発明に係る非線形光学顕微鏡は、
対物レンズを有し、該対物レンズを経て波長の異なる少なくとも2色の照明光を空間的および時間的に重複して試料に照射する照明部と、
少なくとも2色の前記照明光の前記試料への照射に起因して、該試料から非線形光学効果により発生する信号光を検出する検出部と、を備え、
前記照明部は、少なくとも2色の前記照明光として、少なくとも1色の照明光の波面分布が他色の照明光の波面分布と異なる照明光を前記試料に照射する、ことを特徴とするものである。
【0026】
本発明に係る非線形光学顕微鏡の一実施の形態において、前記検出部は、多光子励起、コヒーレント・アンチストークスラマン散乱、コヒーレント・ストークスラマン散乱の少なくとも1つの非線形光学効果によって前記試料から発生する前記信号光を検出する。
【0027】
本発明に係る非線形光学顕微鏡の一実施の形態において、前記照明部は、前記試料に照射する少なくとも2色の前記照明光を、それぞれラゲールガウシアンビームに変調する位相変調素子と、それぞれ円偏光に偏光する偏光素子と、を有する。
【0028】
本発明に係る非線形光学顕微鏡の一実施の形態において、前記照明部は、少なくとも2色の前記照明光が空間的および時間的に重複して前記対物レンズに入射する光路に配置された輪帯状のマスクフィルタを有する。
【0029】
本発明に係る非線形光学顕微鏡の一実施の形態において、前記検出部は、前記試料から発生する信号光を平行光に変換するコリメータレンズと、前記平行光の光路に配置された輪帯状のマスクフィルタと、を有し、前記マスクフィルタを透過した前記信号光を検出する。
【0030】
さらに、上記目的を達成する本発明に係る非線形光学顕微鏡法は、
対物レンズを経て波長の異なる少なくとも2色の照明光を空間的および時間的に重複して試料に照射する照明ステップと、
少なくとも2色の前記照明光の前記試料への照射に起因して、該試料から非線形光学効果により発生する信号光を検出する検出ステップと、を含み、
前記照明ステップにより前記試料に照射する少なくとも2色の前記照明光は、少なくとも1色の波面分布が他色の波面分布と異なる、ことを特徴とするものである。
【0031】
本発明に係る非線形光学顕微鏡法の一実施の形態においては、前記検出ステップにおいて、多光子励起、コヒーレント・アンチストークスラマン散乱、コヒーレント・ストークスラマン散乱の少なくとも1つの非線形光学効果によって前記試料から発生する前記信号光を検出する。
【0032】
本発明に係る非線形光学顕微鏡法の一実施の形態においては、前記照明ステップにより前記試料に照射する少なくとも2色の前記照明光を、それぞれラゲールガウシアンビームとする。
【0033】
本発明に係る非線形光学顕微鏡法の一実施の形態においては、前記照明ステップにより前記試料に照射する少なくとも2色の前記照明光を、それぞれ輪帯照明光とする。
【0034】
本発明に係る非線形光学顕微鏡法の一実施の形態においては、前記照明ステップにより前記試料に照射する少なくとも2色の前記照明光を、それぞれ円偏光とする。
【0035】
本発明に係る非線形光学顕微鏡法の一実施の形態においては、前記検出ステップにおいて、前記試料から発生する前記信号光を共焦点法により検出する。
【発明の効果】
【0036】
本発明によれば、試料から検出される信号光の空間分解能を向上することができる。
【図面の簡単な説明】
【0037】
【図1】ラゲールガウシアンビームの位相分布を説明するための図である。
【図2】ラゲールガウシアンビームを開口数の小さい対物レンズで集光した場合のビーム形状を示す図である。
【図3】ラゲールガウシアンビームを開口数の大きい対物レンズで集光した場合の偏光状態によるビーム形状を示す図である。
【図4】ラゲールガウシアンビームを開口数の大きい対物レンズで集光した場合の集光点における電場状態を説明するための図である。
【図5】直線偏光と円偏光とによる焦点面での点像分布関数を比較して示す図である。
【図6】本発明の一実施の形態に係るCARS顕微鏡の概略構成を示す図である。
【図7】図6の位相板の一例の概略構成を示す斜視図である。
【図8】図6の輪帯フィルタの一例の概略構成を示す拡大平面図である。
【図9】本発明の一実施の形態に係るCARS顕微鏡による点像分布関数と従来のCARS顕微鏡における点像分布関数とを比較して示す図である。
【図10】図6のCARS顕微鏡の変形例を示す図である。
【図11】単一光を用いる2光子顕微鏡と本発明に係るマルチプレックスの2光子顕微鏡とによる2光子吸収過程を示す図である。
【図12】図6または図10の位相板の変形例を示す図である。
【図13】非共鳴ラマン散乱、真正共鳴ラマン散乱、前期共鳴ラマン散乱を説明するエネルギーダイアグラムである。
【図14】コヒーレント・ラマン散乱を説明するエネルギーダイアグラムである。
【発明を実施するための形態】
【0038】
先ず、本発明に係る非線形光学顕微鏡法の一実施の形態について、CARS顕微鏡法を例にとって説明する。
【0039】
本発明の一実施の形態に係るCARS顕微鏡法では、主に次の二つの手法を用いる。一つは、波面制御であり、もう一つは瞳関数操作である。これらを組み合わせることで、後述するように空間分解能を向上させることができるだけでなく、S/Nも著しく向上させることができる。これは、CARS顕微鏡法における特異的な信号発生に着目したものである。つまり、CARS顕微鏡法において、CARS信号を発生させるためには、関与する照明光の電場の偏光方向を一致させることが必要条件となる。換言すれば、偏光方向の異なる光が重なり合うと、CARS信号は発生しない。本発明の一実施の形態はこの特性に着目したものである。
【0040】
具体的には、まず、ラゲールガウシアンビームの特性に着目した。ラゲールガウシアンビームとは、図1に示すように、瞳の位相分布がビーム光軸を中心に連続的に変化するものである。その変化の大きさは、光軸の周りに1回周回すると、0から2πまで位相が変化する。このようなラゲールガウシアンビームを、開口数の小さい対物レンズ(例えば、NAが0.5未満)で集光すると、通常、光軸を挟み点対称の位置で位相が反転するため、電場強度が相殺される。その結果、集光ビームの形状は、図2に示すように、ドーナッツ状となる。
【0041】
ところが、ラゲールガウシアンビームを開口数の大きい対物レンズ(例えば、NAが0.7以上)で集光すると、偏光状態に応じて集光パターンが異なることが知られている(例えば、Opt. Lett. 32(2007)2357参照)。例えば、偏光回転方向が異なる2種類の円偏光と直線偏光との3種類の偏光状態をもつラゲールガウシアンビームを集光すると、集光ビーム形状は、例えば図3(a)〜(c)に示すようにそれぞれ異なったものとなる。図3(a)は円偏光の回転方向と位相回転方向とが同じ場合の集光ビーム形状を示し、図3(b)は直線偏光が位相回転する場合の集光ビーム形状を示し、図3(c)は円偏光の回転方向と位相回転方向とが逆方向の場合の集光ビーム形状を示す。
【0042】
図3(a)〜(c)から明らかなように、特に、図3(c)に示すように、ラゲールガウシアンビームの位相の回転方向と偏光回転方向とが逆方向の場合は、集光ビームの中心部の電場強度がゼロでなくなる。以下、この点について波面制御の観点から説明する。
【0043】
ラゲールガウシアンビームを開口数の大きい対物レンズで集光すると、図4に示すように、集光点において照明光の電場は、光軸と平行な成分を含むようになる。すなわち、照明光の電場は、光軸成分(z成分)と焦点面内成分(x−y成分)とに分離できる。そのため、特に、円偏光状態の電場の回転方向が位相の回転方向と反対になると、円偏光を構成する2種類の直線偏光成分が生み出すz方向の電場が足し合わされて、焦光点に大きなz成分の電場が発生する。特に、z成分は、対物レンズにおける瞳面の縁の輪帯部を通過した光が大きく寄与する。これは、一種のアポタイゼーションと同じ効果ある。
【0044】
これにより、焦点面におけるz成分の点像分布関数の半値幅は、図5(a)に示す通常の直線偏光の場合よりも、図5(b)に示す円偏光の場合の方が狭くなる。なお、図5(a)および(b)は、対物レンズの開口数を0.9と仮定し、デバイの積分方程式(Proc. Royal. Soc. A253(1959)358)を用いて、具体的に計算した結果である。この場合、円偏光の場合の半値幅が、直線偏光の場合の半値幅よりも、約3割程度細くなっていることが分かる。
【0045】
ところで、CARS顕微鏡法では、電場の偏光方向が一致した場合にのみ試料からCARS信号が発生する。ここで、ポンプ光とプローブ光とを、上述のように円偏光制御を行いつつラゲールガウシアンビームに変調すると、ポンプ光およびプローブ光の位相の回転速度が、それぞれの振動数に対応するので、焦点面内における2色光の電場の回転速度が異なることになる。その結果、2色の光の電場の方向は、相対的にランダムとなる。つまり、2色の光の波面分布が異なることになる。
【0046】
そのため、時間平均すると、ポンプ光とプローブ光の偏光方向の平面成分は常に異なるので、これらの重なり領域からはCARS信号は発生しない。したがって、CARS信号は、偏光方向が一致するz成分が重なる領域よりのみ発生することになる。その結果、図5(b)に示したように、通常の集光法と比較して、CARS信号に寄与する電場強度の半値幅が小さくなる。
【0047】
ここで、式(1)を考慮すると、実効的なCARS信号の点像分布関数は、ポンプ光およびイレース光がもつz成分の電場強度の積になる。したがって、式(3)から、通常のCARS信号におけるよりも半値幅が狭く、空間分解能が向上していることがわかる。さらに、本発明の一実施の形態に係るCARS顕微鏡法では、このような波面制御に、瞳関数操作すなわちアポタイゼーション効果を加える。具体的には、瞳面内の中央部の成分をストッパで取り除く。このようにすると、焦点面においてz成分の純度が高くなり、より半値幅が狭くなって空間分解能が向上する。
【0048】
以下、本発明の一実施の形態に係る非線形光学顕微鏡として、CARS顕微鏡を例にとって説明する。
【0049】
図6は、本発明の一実施の形態に係るCARS顕微鏡の概略構成を示す図である。図6に示すCARS顕微鏡は、2色の照明光を用いるもので、ポンプ光光源11と、プローブ光光源21とを有する。ポンプ光光源11は、例えば、ピコ秒など短パルス光を射出するNd:YVO4パルスレーザまたはナノ秒の短パルス光を射出するNd:YAGパルスレーザを備え、その基本波である波長1064nmの直線偏光をポンプ光として射出する。
【0050】
ポンプ光光源11から射出されるポンプ光は、偏光素子である1/4波長板12により円偏光に変換され、さらに位相変調素子である位相板13によりラゲールガウシアンビームに変換されてビームコンバイナ31に入射される。位相板13は、ポンプ光の光軸回りでポンプ光の位相差が、例えば2πで周回するように構成される。例えば、図7に模式的に示すように、光軸の周りに独立した8領域を有し、π/4ずつ位相が異なるように、ガラス基板をスパイラル状にエッチングしたり、ガラス基板にスパイラル状に透明薄膜を蒸着したりして、光路差をつけることにより形成される(例えば、Rev. Sci. Instrum. 75(2004)5131参照)。
【0051】
プローブ光光源21は、励起光源22およびフォトニック結晶ファイバ23を有するスーパーコンティニュアムレーザとラインフィルタ24とを備える。スーパーコンティニュアムレーザとは、フォトニック結晶ファイバ23に尖頭値の大きい励起光パルスを入射させて、光学的非線形効果によりコヒーレントな白色光を射出するものである。したがって、射出される白色光からラインフィルタ24により所望の波長の光を取り出せば、一種の単色の極短パルスレーザとして利用できる。
【0052】
本実施の形態では、スーパーコンティニュアムレーザの励起光源22として、フェムト秒またはピコ秒のTiサファイアパルスレーザまたはナノ秒のNd:YAGパルスレーザを用いている。そして、スーパーコンティニュアムレーザからの白色光を、直線偏光状態に調整して、ラインフィルタ24により、例えば波長1260nmの光を選択する。これにより、有機分子のCH化学基の基本振動に起因するCARS信号を選択的に誘導することが可能となる。
【0053】
プローブ光光源21から射出されるプローブ光は、ポンプ光と同様に、偏光素子である1/4波長板25により円偏光に変換され、さらに位相板13と同様の構成からなる位相変調素子である位相板26によりラゲールガウシアンビームに変換されてビームコンバイナ31に入射される。
【0054】
ビームコンバイナ31に入射されたポンプ光およびプローブ光は、該ビームコンバイナ31で同軸に合成され、さらに、輪帯状のマスクフィルタである輪帯フィルタ32により瞳操作された後、対物レンズ33を経て、xyzの各軸に移動可能な試料ステージ34に載置された試料35に集光される。ここで、輪帯フィルタ32は、図8に拡大平面図を示すように、光軸中央部の成分をカットするように、例えば、ガラス基板上にクロムを蒸着して形成される。本実施の形態では、輪帯フィルタ32の遮光率が0.8に設定されている。これは、瞳面の半径をaとし、遮光領域の半径をρとすると、ρ/a=0.8であることを意味する。また、対物レンズ33は、開口数が例えば0.9のものが用いられる。
【0055】
試料35へのポンプ光およびプローブ光の照射により、該試料35から発生するCARS信号光は、コリメータレンズ41により平行光に変換された後、集光レンズ42により共焦点ピンホール43に集光されて分光器44に入射される。そして、分光器44で分光されて、所望の波長成分が分光器スリット45により取り出されて光電子増倍管46で検出される。ここで、共焦点ピンホール43は、空間フィルタとして機能するだけでなく、CARS信号光の単色性を向上させる機能も持ち合わせている。
【0056】
試料35をCARS信号光により画像化する場合は、試料ステージ34を空間走査しながらマッピングする。例えば、平面走査を行えば、通常の顕微鏡画像が得られる。また、本実施の形態では、共焦点ピンホール43を有しているので、試料ステージ34を光軸(z)方向に空間走査すれば深さ方向の断層像も得られる。
【0057】
したがって、図6において、ポンプ光光源11、1/4波長板12、位相板13、プローブ光光源21、1/4波長板25、位相板26、ビームコンバイナ31、輪帯フィルタ32、および、対物レンズ33は、照明部を構成する。また、コリメータレンズ41、集光レンズ42、共焦点ピンホール43、分光器44、分光器スリット45、および、光電子増倍管46は、検出部を構成する。
【0058】
上記構成において、偏光成分を考慮し、輪帯フィルタ32により瞳操作した場合のラゲールガウシアン関数は、数学的に定式化されている(例えば、特許第3350442号公報参照)。したがって、これを用いれば焦点面におけるz軸方向の電場成分の強度分布を計算することができる。これにより、式(1)から実効的な点像分布関数を求めることができる。
【0059】
図9は、本実施の形態に係るCARS顕微鏡による点像分布関数と、従来のCARS顕微鏡における点像分布関数とを比較して示す図である。図9から明らかなように、集光強度の3乗値を示す点像分布関数の半値幅は、従来のCARS顕微鏡の場合、410nm程度であるが、本実施の形態によるCARS顕微鏡の場合、そのほぼ半分の210nm程度となる。この値は、古典的な波動光学で考えられる回折限界を明らか上回っていることから、一種の超解像効果が得られる。
【0060】
さらに、対物レンズ33を油浸レンズに置き換えると、開口数を1.45まで向上することができ、これにより半値幅を130nm程度まで細くすることができる。これは、通常の光学顕微鏡よりも高い分解能である。したがって、本実施の形態によると、試料35の化学構造を分析し、可視化する機能だけでなく、超解像機能を同時に誘導することができる。
【0061】
また、本実施の形態に係るCARS顕微鏡によると、顕微鏡観察に不可欠なS/Nの向上といった副次的な機能も自動的に付加される。すなわち、照明系に輪帯フィルタ32を挿入すると、バックグラウンド信号となる非共鳴CARS信号を除去できることが知られているので(例えば、Appl. Phys. Lett.97(2010)083701参照)、CH基の基本振動が寄与する共鳴CARS信号を精度良く検出することができる。
【0062】
なお、本発明は、上記実施の形態にのみ限定されるものではなく、幾多の変形または変更が可能である。例えば、輪帯フィルタ32は、照明系に挿入する場合に限らず、図10に示すように、検出光学系に挿入しても同様の効果が得られる。したがって、顕微鏡のジオメトリーに応じて挿入場所を適宜選択することができる。
【0063】
また、本発明は、CARS顕微鏡に限らず、CSRS顕微鏡やマルチプレックスの多光子顕微鏡に適用することもできる。例えば、単一光を用いる通常の2光子顕微鏡は、フェムト秒Ti:サファイアパルスレーザなどを用い、図11(a)に示すように、基底状態S0から電子励起状態S1へ一挙に同じ波長の2光子を吸収させて、S1からの蛍光信号を検出している。これに対し、本発明に係る多光子顕微鏡においては、例えば、図11(b)に示すように、異なる波長λpump、λprobeの2色の光源を用いて、S0からS1へ異なる波長λpump、λprobeの光子を2つ吸収させて、S1からの蛍光信号を検出する。これは、マルチプレックスの2光子顕微鏡に対応する。
【0064】
この場合、使用する2色の光子エネルギーの和が、S0からS1への励起エネルギーと一致している必要がある。さらに、CARS顕微鏡と同様に、2色光の偏光方向が一致していることが必要である。これにより、2色光の偏光方向が常に一致するZ方向の電場成分が重なり合う領域のみから、蛍光を発することになる。すなわち、図6または図10に示した顕微鏡構成において、光源11,21の波長を調整することで、マルチプレックスの2光子顕微鏡を構成でき、これにより古典的回折限界を上回る空間分解能で蛍光信号を検出することが可能となる。
【0065】
さらに、図6または図10に示した構成において、ポンプ光およびプローブ光をそれぞれラゲールガウシアンビームに変換する位相板13、26は、例えば、図12に示すようなスパイラルな軌道を有するゾーンプレートにより構成することもできる。この場合、軌道の回転方向を反対にすることにより、ラゲールガウシアンビームの位相の回転方向を制御することができる(例えば、Opt. Rev. 17(2010)79参照)。
【0066】
さらに、本発明は、3色の照明光を用いたマルチプレックスなCARS顕微鏡(例えば、Ultrabroadband multiplex CARS microspectroscopy using a supercontinuum light source. Hideaki Kano and Hiro-o Hamaguchi, ICORS2006, Yokohama (2006.8)参照)にも適用でき、これにより化学組成の分別能力をより向上させることができる。
【0067】
このように、本発明は、CARS顕微鏡はじめ非線形光学過程を使用する顕微鏡の絶対分解能を向上させることができる。特に、CARS顕微鏡においては、光学顕微鏡としては理想的な特長、すなわち、1)無染色、2)化学組成の分析機能、3)超高分解能、4)高いS/Nの全てを満たすので、多くの顕微鏡ユーザの要望を満たす顕微鏡システムを提供することができる。
【符号の説明】
【0068】
11 ポンプ光光源
12 1/4波長板
13 位相板
21 プローブ光光源
22 励起光源
23 フォトニック結晶ファイバ
24 ラインフィルタ
25 1/4波長板
26 位相板
31 ビームコンバイナ
32 輪帯フィルタ
33 対物レンズ
34 試料ステージ
35 試料
41 コリメータレンズ
42 集光レンズ
43 共焦点ピンホール
44 分光器
45 分光器スリット
46 光電子増倍管

【特許請求の範囲】
【請求項1】
対物レンズを有し、該対物レンズを経て波長の異なる少なくとも2色の照明光を空間的および時間的に重複して試料に照射する照明部と、
少なくとも2色の前記照明光の前記試料への照射に起因して、該試料から非線形光学効果により発生する信号光を検出する検出部と、を備え、
前記照明部は、少なくとも2色の前記照明光として、少なくとも1色の照明光の波面分布が他色の照明光の波面分布と異なる照明光を前記試料に照射する、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡。
【請求項2】
請求項1に記載の非線形光学顕微鏡において、
前記検出部は、多光子励起、コヒーレント・アンチストークスラマン散乱、コヒーレント・ストークスラマン散乱の少なくとも1つの非線形光学効果によって前記試料から発生する前記信号光を検出する、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡。
【請求項3】
請求項1または2に記載の非線形光学顕微鏡において、
前記照明部は、前記試料に照射する少なくとも2色の前記照明光を、それぞれラゲールガウシアンビームに変調する位相変調素子と、それぞれ円偏光に偏光する偏光素子と、を有する、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれか一項に記載の非線形光学顕微鏡において、
前記照明部は、少なくとも2色の前記照明光が空間的および時間的に重複して前記対物レンズに入射する光路に配置された輪帯状のマスクフィルタを有する、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡。
【請求項5】
請求項1〜4のいずれか一項に記載の非線形光学顕微鏡において、
前記検出部は、前記試料から発生する信号光を平行光に変換するコリメータレンズと、前記平行光の光路に配置された輪帯状のマスクフィルタと、を有し、前記マスクフィルタを透過した前記信号光を検出する、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡。
【請求項6】
対物レンズを経て波長の異なる少なくとも2色の照明光を空間的および時間的に重複して試料に照射する照明ステップと、
少なくとも2色の前記照明光の前記試料への照射に起因して、該試料から非線形光学効果により発生する信号光を検出する検出ステップと、を含み、
前記照明ステップにより前記試料に照射する少なくとも2色の前記照明光は、少なくとも1色の波面分布が他色の波面分布と異なる、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡法。
【請求項7】
請求項6に記載の非線形光学顕微鏡法において、
前記検出ステップは、多光子励起、コヒーレント・アンチストークスラマン散乱、コヒーレント・ストークスラマン散乱の少なくとも1つの非線形光学効果によって前記試料から発生する前記信号光を検出する、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡法。
【請求項8】
請求項6または7に記載の非線形光学顕微鏡法において、
前記照明ステップにより前記試料に照射する少なくとも2色の前記照明光は、それぞれラゲールガウシアンビームである、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡法。
【請求項9】
請求項6〜8のいずれか一項に記載の非線形光学顕微鏡法において、
前記照明ステップにより前記試料に照射する少なくとも2色の前記照明光は、それぞれ輪帯照明光である、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡法。
【請求項10】
請求項6〜9のいずれか一項に記載の非線形光学顕微鏡法において、
前記照明ステップにより前記試料に照射する少なくとも2色の前記照明光は、それぞれ円偏光である、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡法。
【請求項11】
請求項6〜10のいずれか一項に記載の非線形光学顕微鏡法において、
前記検出ステップは、前記試料から発生する前記信号光を共焦点法により検出する、ことを特徴とする非線形光学顕微鏡法。


【図2】
image rotate

【図4】
image rotate

【図5】
image rotate

【図6】
image rotate

【図7】
image rotate

【図8】
image rotate

【図9】
image rotate

【図10】
image rotate

【図11】
image rotate

【図13】
image rotate

【図14】
image rotate

【図1】
image rotate

【図3】
image rotate

【図12】
image rotate


【公開番号】特開2013−76770(P2013−76770A)
【公開日】平成25年4月25日(2013.4.25)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−215477(P2011−215477)
【出願日】平成23年9月29日(2011.9.29)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成22年度、独立行政法人科学技術振興機構さきがけ事業、産業技術力強化法第19条の適用をうけるもの
【出願人】(000000376)オリンパス株式会社 (11,466)
【出願人】(504137912)国立大学法人 東京大学 (1,942)
【Fターム(参考)】