説明

飛行時間型質量分析装置

【課題】周回軌道を回る間に追いつき、追い越しによって混在した異なる質量のイオンを分離して検出できるようにする。
【解決手段】周回軌道Pを離れたイオンを、一対の平板状の磁極7の間に形成される均一磁場B中を通過させ、ローレンツ力によりイオンを質量に応じてその進行方向と直交する方向に偏向させる。この偏向によって一次元的に広がったイオンを検出するようにアレイ状の検出器6を配置する。これにより、イオンは質量に応じてその進行方向に空間的に(検出器6に到達する時間的に)分離されるとともに、進行方向に直交する方向にも空間的に分離される。このようにして、周回軌道Pを周回する間に混在した異なる質量のイオンも確実に分離して検出できるから、高い質量分解能での分析を行うことができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は飛行時間型質量分析装置に関し、さらに詳しくは、イオンを周回飛行させる軌道を有する飛行時間型質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
一般的に、飛行時間型質量分析装置では、電場により一定の運動エネルギーを付与したイオンを所定の飛行距離を持つ飛行空間に導入し、検出器に到達するまでの飛行時間に応じて各種イオンを質量電荷比毎に分離して検出する。或る質量差を有する2種類のイオンに対する飛行時間の差は飛行距離が長いほど大きくなるから、高い質量分解能を得るためには飛行距離を長くすればよい。しかしながら、装置のサイズ等の物理的な制約によって、従来のリニア型やリフレクトロン型の構成では飛行距離を伸ばすのに限界がある。
【0003】
こうした問題を解決するために、近年、多重周回型の構成が提案されている。例えば特許文献1に記載の装置では、複数のトロイダル型扇形電場を用いて長円形の周回軌道を形成し、この軌道に沿ってイオンを多数回繰り返し周回させることで飛行距離を長くしている。こうした構成では、イオンが周回軌道を周回する回数が多いほど飛行距離が長くなり、それに伴って飛行時間も全体として長くなるため周回数を多くするほど質量分解能が向上する。しかしながら、上記のように同一の軌道を繰り返し飛行させる構成では、質量の小さなイオンほど速い速度を有するため、周回を繰り返す間に質量の小さなイオンが周回遅れを生じた質量の大きなイオンに追いついたり追い越したりしてしまう。
【0004】
そこで、こうした問題を避けるために、同一軌道ではなく周回毎に軌道を徐々にずらして螺旋状の飛行軌道を形成する構成が、特許文献2で提案されている。この装置では、6つの扇形電場を連ねることで略正六角形状に周回可能な飛行空間を形成し、隣接する2つの扇形電場の間に偏向電場を設け、その偏向電場によって、通過するイオンを扇形電場の軸方向に徐々にずらすようにしている。このようにイオン軌道を螺旋状とすると、各周回毎にイオンの到達位置が少しずつ扇形電場の軸方向にずれるため、扇形電場の所定位置からイオンを出射させて検出器に導くと、所定回数だけ周回したイオンを検出器に導入することができる。
【0005】
しかしながら、上記従来の構成では、飛行軌道を扇形電場の軸方向にずらすために、各周回毎に偏向電場形成用の1組の平行平面電極を必要とするため、周回数Nに応じてN−1組の平行平面電極を必要とすることになる。そのため、飛行距離を伸ばすべく周回数Nを大きくするほど構造が複雑になる。また、構造を簡単にするために偏向方向に1組のみの平行平板電極を配置して偏向電場を形成するようにしてもよいが、こうした構造では十分な電場強度が得られず電場の形状(等電位線)も乱れるために、イオンが理想通りに偏向せずに性能の低下につながる。
【0006】
【特許文献1】特開平11−195398号公報
【特許文献2】特開2003−86129号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、周回軌道に沿ってイオンを1乃至複数回周回飛行させる飛行時間型質量分析装置において、周回軌道を飛行する際に異なる質量を有するイオンの追いつきや追い越しが発生した場合でも、簡単な構造で以てこうしたイオンを分離して検出することにより、高い質量分離性能を確保することができる飛行時間型質量分析装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記課題を解決するために成された本発明は、所定の周回軌道に沿ってイオンを1乃至複数回周回飛行させた後に該周回軌道からイオンを離脱させて検出する飛行時間型質量分析装置において、
a)前記周回軌道から離脱したイオンを、その質量に応じて進行方向と直交又は斜交する方向に分散させるための磁場又は電場を形成するイオン偏向手段と、
b)該イオン偏向手段により空間的に分散されたイオンを検出する検出手段と、
を備えることを特徴としている。
【0009】
この本発明に係る飛行時間型質量分析装置において、前記イオン偏向手段は例えば、通過するイオンに対しローレンツ力によりイオンが分散するような磁場を形成するものとすることができる。
【0010】
様々な質量(厳密には質量電荷比)を有するイオンが周回軌道に導入されると、質量が小さいなイオンほど飛行速度が速いため、周回軌道を回る間に質量が小さなイオンは先行し質量が大きなイオンは遅れる。つまり、周回軌道上全体でみたときには空間的に、また周回軌道上の或る1点に着目したときには時間的に、イオンは質量に応じて分離される。しかしながら、周回数が多いと速度の速いイオンが速度の遅いイオンに追いつき、さらには追い越し、異なる質量のイオンが混在することになる。
【0011】
こうして混在したイオンが周回軌道を離れてイオン偏向手段、例えばイオンの進行方向に直交する方向に磁力線が向かうような均一磁場中に入ると、荷電粒子であるイオンは磁場によりイオンの進行方向と磁力線の向きとの両方に直交する方向にローレンツ力を受け、軌道が曲がる。このときの軌道の曲がりはイオンの質量又は速度に依存するため、イオン偏向手段を通過すると、イオンは質量に応じて空間的に分散する。そして、検出手段は、この空間的に分散されたイオンの全て又は一部を検出し、イオン量に応じた検出信号を出力する。特定の質量にのみ着目してイオンを検出したい場合にはイオンの一部だけを検出すればよく、所定の質量範囲のマススペクトルを作成するような目的のためには全て又は空間的に所定の範囲のイオンを検出するように、複数の検出部が直線状に配列されたアレイ状の検出手段を用いればよい。
【発明の効果】
【0012】
即ち、本発明に係る飛行時間型質量分析装置では、イオンは周回軌道を回る間に質量に応じて高い質量分解能で分離され、その際に周回軌道の特性上混在してしまった異なる質量のイオンはイオン偏向手段で分離されることになる。イオン偏向手段では、比較的質量の離れたイオンを分離できればよいので、それ自体の高い質量分離性能は要求されない。このように本発明に係る飛行時間型質量分析装置によれば、イオンを周回軌道に沿って多数回周回させることで発揮される高い質量分解能を十分に活かすことができ、イオンの質量を高い精度で算出することができるとともに高い精度のマススペクトルを作成することができる。
【0013】
なお、イオン偏向手段として磁場を発生する磁極ではなく電場を発生させる電極を利用することもできるが、均一の直流電場で入射してくるイオンの運動エネルギーが同一の場合には、質量に応じたイオンの分離はできない。そこで、その場合には電極に印加する電圧を走査する等、イオンの質量(又は入射してくるイオンの速度)に応じて軌道の曲がりの大きさが変化するような操作を行えばよい。
【0014】
また、イオン偏向手段を磁極とする場合、永久磁石又は電磁石のいずれでもよいが、電磁石を用いて磁場強度を変化させるようにすれば、同一質量のイオンに対する偏向量を変えて質量分解能を変えることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0015】
本発明に係る飛行時間型質量分析装置の一実施例について図面を参照して説明する。図1は本実施例の飛行時間型質量分析装置のイオン光学系の概略構成図である。互いに直交するX軸、Y軸、Z軸の三次元座標軸が図1中に示すように設定されている。
【0016】
この実施例の飛行時間型質量分析装置において、飛行空間3には、扇形状の内側電極と外側電極とを一組とする複数組の周回電極4が配置され、各周回電極4により形成される扇形電場Eによって、イオンが多数回繰り返し周回可能な周回軌道Pが形成される。この周回軌道Pの外部に設けられたイオン源1から出射したイオンは入射側ゲート電極2により周回軌道Pに乗るように導かれ、また、1乃至複数回周回軌道Pを周回したイオンは出射側ゲート電極5により周回軌道Pから離脱する。こうしたイオンの飛行を達成するために周回電極4、入射側ゲート電極2、及び出射側ゲート電極5にそれぞれ電圧を印加するための図示しない電圧発生部が設けられている。
【0017】
イオン源1からは様々な質量を有するイオンが同一の加速電圧を受けて一斉に出射され、入射側ゲート電極2を経て周回軌道Pに導入される。イオンの速度は質量に依存し、質量が小さいほど大きな速度を持つ。したがって、周回軌道Pを回る間に質量が小さなイオンは先行し、質量が大きなイオンは遅れる。そして、周回軌道P上での距離の差は周回数を増やすほど大きくなる。つまり、周回数を増やすほど質量分解能は向上することになる。
【0018】
しかしながら、先行するイオンが遅いイオンに追いつき、さらには追い越してしまうと、異なる質量のイオンが周回軌道P上で混在することになり、或るタイミングにおいて出射側ゲート電極5により周回軌道Pからイオンを離脱させると、異なる質量のイオンが同時に出射することがあり得る。そこで、この飛行時間型質量分析装置では、周回軌道Pから離脱したイオンが直線的に進行する軌道Qを挟むように一方がS極、他方がN極である2枚の平行平板状の磁極7を配置してある。軌道QはZ軸に平行であり、2枚の磁極7はX軸−Z軸平面に沿って延展し、磁極7の間に形成される磁場B中の磁力線の向きはY軸方向である。さらに、イオンが磁場Bを通り抜けた先には、多数のイオン検出部がX軸方向に一次元的に配列されたアレイ状の検出器6が配設されている。図2はこの磁極7及び検出器6の部分の概略斜視図である。
【0019】
図3は磁極7により形成される磁場B内でのイオンの挙動の説明図である。磁極7による磁場Bの磁磁束密度をb、磁場Bに入射するイオンが持つ電荷量をe、このイオンの速度をvとするとき、磁場Bを通過する際にイオンが受ける力、つまりローレンツ力Fは、F=e・v・bとなる。上述のようにイオンの進行方向(速度vの方向)はZ軸方向、磁力線の向きはY軸方向であるから、イオンが正イオンである(電荷が正である)場合には、ローレンツ力はX軸方向に作用する。したがって、このローレンツ力により、図2、図3に示すようにZ軸方向に入射して来た正イオンは磁場Bがない場合にとり得る軌道Qを外れてX軸方向(上方向)に屈曲された軌道Q’に沿って進む。磁場Bを通過する間にローレンツ力は作用し続けるため、磁場B中ではイオンは半径Rの円軌道を描き、磁場Bを出た後は直進する。このRがイオンのサイクロトロン半径である。
【0020】
いま図3に示すように、均一磁場がZ軸方向に0≦z≦2lに存在し、検出器6がz=l+Lの位置に存在するものとする。この場合、磁場Bによる検出器6の位置におけるイオンの偏向量y2は次のようになる。
y2≒L・α=L・(2l/v)・ωc …(1)
ここでωcはサイクロトロン周波数であり
ωc=(e/m)・b …(2)
であるから、(1)式は次のように書き換えることができる。
y2=√(e/2m)・b/√V・2lL …(3)
但し、l≪L、V=m・v2/2eで、Vはイオンの入射電圧である。
【0021】
(3)式においてイオンの入射電圧は一定であるから、磁束密度bつまり磁場Bの強さが一定である場合には、偏向量y2は質量mの平方根に反比例することが分かる。即ち、均一磁場ではイオンの質量mに応じて、検出器6上でX軸方向にイオンの到達位置が相違し、質量の相違するイオンを分離することができる。
【0022】
基本的には、前述のように周回軌道Pを多数回周回する間にイオンは質量に応じて分離される。その際にイオンの追いつきや追い越しにより異なる質量のイオンの一部が混在し、その状態で磁極7に到達することがあるが、磁極7を通過する際にそうした混在したイオンも質量毎に分離されて、検出器6の異なる検出部で検出される。したがって、検出器6の各検出部による検出信号を解析処理することにより、全て又は所望の質量範囲のイオンを質量毎に分離してそれぞれのイオン強度を計算することができる。
【0023】
なお、(3)式から明らかなように、磁束密度bを変えると偏向量y2も変化するから、磁極7を電磁石として印加電圧により磁束密度を変えることができるようにすれば、より測定の自由度を上げることができる。また、イオンの極性によってローレンツ力の作用する方向が反転するため、イオンが負イオンである場合には図3において下方向にイオンが偏向することになる。そこで、磁極7を電磁石として磁場の方向(磁力線の向き)も反転できるようにしておけば、正負両イオンに簡単に対応できる。
【0024】
また、上記実施例ではアレイ状の検出器6を用いていたが、特定の質量にのみ着目してイオン強度を測定する場合には、X軸上で適宜の位置に設けた1個の検出器でイオンを検出するようにしてもよい。
【0025】
また、上述のように荷電粒子であるイオンを偏向させる方法として、磁場を利用する以外に電場を利用することも考えられる。具体的には例えば、軌道Qを挟んで上下に平行平板電極を配置し両電極間に直流電場を形成すると、イオンはX軸方向に偏向する。但し、電位勾配一定の直流電場ではイオンの偏向量は質量に依存しないため、質量に応じて偏向量が変わるように、例えば印加する直流電圧を走査する必要がある。
【0026】
なお、上記実施例は本発明の一実施例であって、本発明の趣旨の範囲で適宜に修正、変更、追加などを行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。
【図面の簡単な説明】
【0027】
【図1】本発明の一実施例による飛行時間型質量分析装置のイオン光学系の概略構成図。
【図2】図1中の磁極及び検出器の概略斜視図。
【図3】磁極により形成される磁場内でのイオンの挙動の説明図。
【符号の説明】
【0028】
1…イオン源
2…入射側ゲート電極
3…飛行空間
4…周回電極
5…出射側ゲート電極
6…検出器
7…磁極
B…磁場
E…扇形電場
P…周回軌道
Q…軌道

【特許請求の範囲】
【請求項1】
所定の周回軌道に沿ってイオンを1乃至複数回周回飛行させた後に該周回軌道からイオンを離脱させて検出する飛行時間型質量分析装置において、
a)前記周回軌道から離脱したイオンを、その質量に応じて進行方向と直交又は斜交する方向に分散させるための磁場又は電場を形成するイオン偏向手段と、
b)該イオン偏向手段により空間的に分散されたイオンを検出する検出手段と、
を備えることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
【請求項2】
前記イオン偏向手段は、通過するイオンに対しローレンツ力によりイオンが分散するような磁場を形成するものであることを特徴とする請求項1に記載の飛行時間型質量分析装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2008−117546(P2008−117546A)
【公開日】平成20年5月22日(2008.5.22)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2006−297305(P2006−297305)
【出願日】平成18年11月1日(2006.11.1)
【出願人】(000001993)株式会社島津製作所 (3,708)
【Fターム(参考)】