説明

高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法

【課題】高強度低合金鋼の水素環境下での脆化感受性を簡便に評価する方法を提供する。
【解決手段】大気中引張強度が850〜1050MPaで、焼入れ組織を有する高強度低合金について、JISG0552(鋼のフェライト結晶粒度試験方法)の比較法により測定した結晶粒度番号から換算した平均結晶粒径dと、X線回折法によって測定した局所ひずみから得た転位密度ρと、炭素当量Ceqおよびニッケル当量Nieqとから、Z=2/(d√ρ)×(Nieq/Ceq)の式によって算出されるZパラメータに基づいて高圧水素環境下における脆化感受性を評価するので、高圧水素環境脆化感受性を簡易的に把握することが可能となり、さらには、実際に高圧水素環境下で行う試験の回数を最小限に抑えることができ、研究開発に要する時間と費用を大幅に削減することが可能となる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
この発明は、高圧水素環境下における高強度低合金鋼の脆化感受性を評価する評価方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
水素社会構築のための水素インフラ整備において、高圧水素を貯蔵、供給する水素スタンドの普及は重要である。高信頼性を有する水素スタンドの構成には高圧水素ガス蓄圧器の開発が必須であり、優れた蓄圧器用材料の開発が望まれている。ここで、金属材料、特に鉄鋼材料はコストやリサイクル性の観点から蓄圧器材料として有望である。
技術的な趨勢として、水素自動車の航続距離延伸のため貯蔵ガスの圧力はより高圧化することが望まれており、水素スタンドの蓄圧器には35MPa以上の高圧水素ガスを貯蔵することが考えられている。しかしながら、炭素鋼や高強度低合金鋼においては高圧水素ガス環境下において水素環境脆化が生じるとされており、現在まででは35MPa以上の高圧水素環境で使用できる鉄鋼材料はオーステナイト系ステンレス鋼にほぼ限定されていた。オーステナイト系ステンレス鋼は一般的に低合金鋼よりも高価であり、また室温まで安定なオーステナイト相を有することから熱処理による強度調整ができない。そのため、より高圧の水素ガスを貯蔵するための蓄圧器材料として高強度低合金鋼が望まれている。
【0003】
該高強度低合金鋼は、通常は、大気中引張強度として850〜1050MPaの強度を有し、ベイナイトまたはマルテンサイトもしくはこれらの混合組織を有している。さらに、組織中にフェライト、残留オーステナイトを含むこともある。
この高強度低合金を高圧水素環境下で使用した場合の耐高圧水素環境脆化感受性を簡便に評価する方法が求められている。
【0004】
従来、水素脆化感受性の評価法に関する技術はいくつか開発されている。特許文献1には、地中埋設管などに用いる炭素鋼に関する水素脆化評価法が開示されており、試験材の水素濃度を基に脆化感受性を評価するものとしている。具体的には、試験材中の水素濃度が10ppbを越えると断面収縮率が顕著に低下することから、水素濃度が10ppb以上で脆化感受性が高くなると判断している。
特許文献2には、引張強度780MPa以上のめっき鋼板を含む各種鋼材について、拡散性水素量と評価鋼の伸びを基に水素脆化感受性を評価する技術が開示されている。
特許文献3には、ボルト用鋼について、電解質水溶液の電解で発生した水素を利用して試験材を水素脆化させ、耐遅れ破壊特性を評価する技術が開示されている。
特許文献4および特許文献5には、それぞれ薄鋼板および高強度鋼板について、試験片を特定形状に加工した後で電解チャージにより水素を導入し、割れが発生するまでの時間を基に水素脆化感受性もしくは遅れ破壊特性を評価する技術が開示されている。
【0005】
しかしながら、水素環境脆化に着目すれば、上記のような脆化評価技術は開発されていない。一方で、高強度鋼の高圧水素環境脆化特性に関する最近の研究から、脆化特性に影響を及ぼす因子が明らかになりつつある。非特許文献1では結晶粒径を小さくすることにより外部環境からの水素侵入を抑制して高圧水素環境脆化感受性が低減されること、あるいは合金元素が水素中での変形における結晶粒内での格子欠陥形成に影響を与えうることを報告している。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】特開平5−249025号公報
【特許文献2】特開2001−264240号公報
【特許文献3】特開2004−309197号公報
【特許文献4】特開2005−134152号公報
【特許文献5】特開2007−198895号公報
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】K.Takasawa et al,:Mater.Trans.,51(2010)347−353.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
ところで、高圧水素環境脆化の場合、試験材の変形と同時に水素が侵入して脆化に寄与するため、上述した従来の水素脆化感受性評価法のうち、変形前の鋼中の水素量を基にした手法は、高圧水素環境脆化に対しては有効とは言いがたい。また、電解水素チャージを利用した評価法は必ずしも高圧水素環境を再現しているとは言えず、高圧水素環境下で使用する鋼材の脆化感受性を評価するには適当ではない。
一方で、高圧水素環境下における材料の機械的特性評価には、特殊な試験装置やそれらを扱う上での技術、経験が必要であり、設備的、コスト的な観点から容易に実行できるものではない。極めて多種にわたる高強度低合金鋼の中から高圧水素環境中での使用に適した材料を選択するためには、実際に高圧水素環境下で特性評価試験を行う前に、簡易的に材料の耐高圧水素環境脆化感受性を評価して候補材を絞り込める方法の確立が望まれる。
さらに、特許文献1のように、図面を用いた評価法であれば、視覚的にも理解しやすく便利である。
【0009】
本発明はこれらの状況を解決するためになされたものであり、比較的容易に測定でき、かつ水素環境脆化特性に影響を与えると考えられる化学組成、結晶粒径および転位密度と、高強度鋼の高圧水素環境下での機械的特性との関連を整理し、簡便な水素脆化感受性評価法を提供することを目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本願発明者は鋼中への水素侵入に対し転位密度が関係することを見出している。水素中での変形に伴う水素侵入は水素環境脆化機構における特徴的な、かつ重要な素過程であり、これに影響を及ぼす因子は脆化感受性も左右することが予想される。また化学組成や結晶粒径、転位密度は特殊な装置を用いずとも比較的容易に測定できる量であり、これらと脆化感受性の間に相関が見出せれば、水素環境脆化感受性を評価する簡便な方法に応用できる可能性がある。
本願発明者は、上記課題に基づいて、大気中引張強度が850〜1050MPaであり、フェライト、ベイナイト、マルテンサイト、残留オーステナイトおよびそれらの混合組織を有する高強度低合金鋼である種々のNiCrMo鋼、高降伏点鋼および高Cr鋼を試験材として用いて、試験材の化学組成分析、結晶粒径測定、転位密度測定および45MPa水素雰囲気における引張試験を行い、これらの諸量間の関係を詳細に検討した。その結果、試験材の炭素ならびにニッケル当量、結晶粒径、転位密度および後述する脆化指数EIとの間に、高強度低合金鋼の水素環境脆化感受性を簡便に評価できる方法に応用できる相関を見出し、本発明に至った。
【0011】
すなわち、本発明の高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法のうち、第1の本発明は、大気中引張強度が850〜1050MPaで、焼入れ組織を有する高強度低合金について、JISG0552(鋼のフェライト結晶粒度試験方法)の比較法により測定した結晶粒度番号から換算した平均結晶粒径dと、X線回折法によって測定した局所ひずみから得た転位密度ρと、炭素当量Ceqおよびニッケル当量Nieqと、から下記式(1)によって算出されるZパラメータに基づいて高圧水素環境下における脆化感受性を評価することを特徴とする。
Z=2/(d√ρ)×(Nieq/Ceq) … (1)
【0012】
第2の本発明の高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法は、前記第1の本発明において、大気中および高圧水素環境下における引張試験の測定値から下記式(2)によって算出される下記脆化指数EIと、前記Zパラメータとを関連付けて予め相関関係を求めておき、該相関関係に基づいて前記脆化感受性を評価することを特徴とする。
脆化指数EI=(L−Lair−TS)/Lair−TS … (2)
ただし、L:45MPa水素中における破断伸び,Lair−TS:大気中の引張強度σUTSにおける伸び
【0013】
第3の本発明の高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法は、前記第1または第2の本発明において、前記高圧水素環境が、45MPa水素環境下であることを特徴とする。
【0014】
第4の本発明の高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法は、前記第1〜第3の本発明のいずれかにおいて、前記焼入れ組織がベイナイトまたはマルテンサイトもしくはこれらの混合組織であることを特徴とする。
【0015】
第5の本発明の高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法は、前記第1〜第4の本発明のいずれかにおいて、前記Zパラメータが10−2以上である場合、水素環境下での脆化感受性が小さい材料であると判定することを特徴とする。
【発明の効果】
【0016】
すなわち、本発明によれば、大気中引張強度が850〜1050MPaで、焼入れ組織を有する高強度低合金について、JISG0552(鋼のフェライト結晶粒度試験方法)の比較法により測定した結晶粒度番号から換算した平均結晶粒径dと、X線回折法によって測定した局所ひずみから得た転位密度ρと、炭素当量Ceqおよびニッケル当量Nieqと、から下記式(1)によって算出されるZパラメータに基づいて高圧水素環境下における脆化感受性を評価するので、
Z=2/(d√ρ)×(Nieq/Ceq) … (1)
高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性を簡易的に把握することが可能となる。
さらに従たる効果として、実際に高圧水素環境下で行う試験の回数を最小限に抑えることができ、研究開発に要する時間と費用を大幅に削減することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0017】
【図1】本発明の実施例におけるZパラメータと脆化指数EIとの関係を示した図である。
【図2】EI>0ならびにEI<0を示す応力−クロスヘッド変位線図の例である。
【発明を実施するための形態】
【0018】
以下に、本発明の一実施形態を説明する。
本発明では、焼入れ組織を有し、大気中引張強度が850〜1050MPaである高強度低合金鋼が対象になる。低合金鋼としては、種々のNiCrMo鋼、高降伏点鋼および高Cr鋼などが挙げられる。
上記低合金鋼は、焼ならし、焼入れあるいは焼戻しなどの熱処理によって大気中引張強度が850〜1050MPaに調整される。具体的な熱処理条件については特に限定されるものではなく、低合金鋼の組成、目標強度などに従って適宜の条件を選定することができる。
上記熱処理によって、上記高強度低合金鋼は、ベイナイトまたはマルテンサイトもしくはこれらの混合組織からなる焼入れ組織を有している。該組織には、その他に、フェライトや残留オーステナイトが含まれるものであってもよい。ただし、高強度低合金鋼はベイナイトまたはマルテンサイトもしくはこれらの混合組織を主相とするものが例示される。
【0019】
該低合金鋼は、大気中および45MPa水素中で引張試験を行う。引張試験後、得られた応力−クロスヘッド変位線図から、大気中引張強度σUTSにおける伸びLair−TSと45MPa水素中での破断伸びLを求め、次式で定義する脆化指数EIを算出する。
EI=(L−LairTS)/LairTS
前記脆化指数EIの定義から明らかなように、EI<0はL<LairTSであり、σUTSを与える伸びに達する前に水素中では破断したことを示す。図2にEI<0ならびにEI>0を示す応力−クロスヘッド変位線図の例を示す。
供試材の平均結晶粒dは、JISG0552に規定された比較法に基づき測定した結晶粒度番号Gを次式で換算して得ることができる。
d=(8×2−1/2
【0020】
転位密度ρはX線回折法により測定する。先ず後記非特許文献3で示された次式を用いて局所ひずみεlocalを求める。
【0021】
【数1】

【0022】
βは回折ピークの半価幅、θは回折角、λはX線の波長である。またKはScherrer定数であり、0.89に等しい。Dは結晶子の大きさである。続いて、非特許文献4で示される次式を用いてρを得る。
【0023】
【数2】

【0024】
bはBurgers vectorであり、本発明では2.5×10−10mとした。
【0025】
[非特許文献3]W.H.Hall:Proc.Phys.Soc.A,62(1949),741.
[非特許文献4]G.K.Williamson and R.E.Smallman:Philos.Mag.,8(1956),34.
【0026】
炭素当量Ceqとニッケル当量Nieqではそれぞれ以下の式を用いて算出する。
eq/%=C+Si/24+Mn/6+Ni/40+Cr/5+Mo/4+V/14
Nieq/%=Ni+12.6C+0.65Cr+0.98Mo+1.05Mn+0.35Si
ただし各元素記号はmass%表示での含有量を示す。
【0027】
次に、Zパラメータは以下の式で定義する。
【0028】
【数3】

【0029】
Zパラメータの右辺第一項は平均転位間隔を平均結晶粒径の1/2倍で除した値であり、変形による転位同士の反応と粒界での転位堆積に伴う格子欠陥形成挙動を反映する。右辺第二項は炭素とニッケルが格子欠陥形成に及ぼす影響を表す。
【0030】
上記Zパラメータによって45MPa水素環境下における脆化感受性を評価することができる。Zが10−2以上、望ましくは2×10−2以上であれば、該試験材の45MPa水素環境脆化感受性は小さいと判定できる。なお、Zと脆化指数との間には相関関係があり、上記Zの数値を満たすことでEIが0よりも大きくなる。
【実施例1】
【0031】
表1に示す組成の低合金鋼(残部がFeおよび不可避不純物)について、焼ならし、焼入れあるいは焼戻しなどの熱処理によって大気中引張強度を850〜1050MPaに調整した。なお、各供試材の組織を顕微鏡観察し、その観察結果を表1に示した。なお、表中で主相がベイナイトであるものはB、主相がマルテンサイトであるものはM、ベイナイトとマルテンサイトの混合組織であるものはB+Mで表した。
【0032】
また、各供試材は、JISZ2201で規定された14号平滑引張試験片に加工し、大気中および45MPa水素中で引張試験を行い、引張試験後、得られた応力−クロスヘッド変位線図から、大気中引張強度σUTSにおける伸びLair−TSと45MPa水素中での破断伸びLを求め、下記式に基づいて脆化指数EIを算出した。なお、本発明における伸びとは、σUTSに到達もしくは45MPa水素中で破断した時点でのクロスヘッド変位を引張試験片の標点間距離で除した値を指す。
EI=(L−LairTS)/LairTS
【0033】
これら供試材について、前記実施形態の説明に基づいて、炭素当量Ceq(%)、ニッケル当量Nieq(%)、平均結晶粒径d(μm)、転位密度ρ(1015−2)を算出し、これら算出結果から、前記したZパラメータを算出した。
これらの結果を表1に示すとともに、図1に脆化指数EIとZパラメータとを相関させて図示した。
前記相関図より、45MPa水素環境下における引張特性が未評価であって、大気中引張強度が850〜1050MPaで、フェライト、ベイナイト、マルテンサイト、残留オーステナイトおよびそれらの混合組織を有する高強度低合金鋼の試験材について、該試験材のZパラメータが10−2以上、望ましくは2×10−2以上の値であれば、該試験材は45MPa水素中における水素環境脆化感受性が小さい材料と判定できる。
したがって、各材料について、Zパラメータを用いて水素環境下での脆化感受性を簡易に評価することができる。また、図1を用いて脆化指数に従って適切なZパラメータを視覚的に容易に選定することができる。
【0034】
【表1】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
大気中引張強度が850〜1050MPaで、焼入れ組織を有する高強度低合金について、JISG0552(鋼のフェライト結晶粒度試験方法)の比較法により測定した結晶粒度番号から換算した平均結晶粒径dと、X線回折法によって測定した局所ひずみから得た転位密度ρと、炭素当量Ceqおよびニッケル当量Nieqと、から下記式(1)によって算出されるZパラメータに基づいて高圧水素環境下における脆化感受性を評価することを特徴とする高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法。
Z=2/(d√ρ)×(Nieq/Ceq) … (1)
【請求項2】
大気中および高圧水素環境下における引張試験の測定値から下記式(2)によって算出される下記脆化指数EIと、前記Zパラメータとを関連付けて予め相関関係を求めておき、該相関関係に基づいて前記脆化感受性を評価することを特徴とする請求項1記載の高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法。
脆化指数EI=(L−Lair−TS)/Lair−TS … (2)
ただし、L:45MPa水素中における破断伸び,Lair−TS:大気中の引張強度における伸び
【請求項3】
前記高圧水素環境が、45MPa水素環境下であることを特徴とする請求項1または2に記載の高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法。
【請求項4】
前記焼入れ組織がベイナイトまたはマルテンサイトもしくはこれらの混合組織であることを特徴とする請求項1〜3のいずれかに記載の高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法。
【請求項5】
前記Zパラメータが10−2以上である場合、水素環境下での脆化感受性が小さい材料であると判定することを特徴とする請求項1〜4のいずれかに記載の高強度低合金鋼の高圧水素環境脆化感受性の評価方法。

【図1】
image rotate

【図2】
image rotate


【公開番号】特開2012−47629(P2012−47629A)
【公開日】平成24年3月8日(2012.3.8)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−190806(P2010−190806)
【出願日】平成22年8月27日(2010.8.27)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成17〜21年度 独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構「水素社会構築共通基盤整備事業 水素インフラ等に関する規制再点検及び標準化のための研究開発 水素インフラに関する安全技術研究」委託研究、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
【出願人】(000004215)株式会社日本製鋼所 (840)
【Fターム(参考)】