説明

高機能化無細胞タンパク質合成用細胞抽出物及び該抽出物の調製方法

本発明の課題は、さらなる高機能化した無細胞タンパク質合成用細胞抽出物を調製することであり、これまでの各種無細胞タンパク質合成用細胞抽出物中に存在する阻害・不安定性物質の特定と排除を達成することである。
無細胞タンパク質合成手段に使用する細胞抽出物の調製法であって、細胞抽出物に存在する糖のATPを介するリン酸化系が制御されていることを特徴とする細胞抽出物の調製方法。特に、制御が以下から選ばれる少なくとも一の手段が導入される;
1)単糖類の除去、
2)リン酸化糖の除去、
3)多糖類から単糖類の生成の制御、
4)単糖類からリン酸化糖の生成の制御。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本出願は、参照によりここに援用されるところ、日本特許出願番号2003-434080からの優先権を請求する。
本発明は、無細胞タンパク質合成に用いられる高機能化された細胞抽出物、およびその調製方法等に関するものである。詳しくは、無細胞タンパク質合成用細胞抽出物に含まれる細胞内因性のタンパク質合成阻害誘導系を遮断することを特徴とする高機能化された細胞抽出物、およびその調製方法等に関するものである。さらに詳しくは、少なくとも糖のリン酸化代謝系が制御されることを特徴とする無細胞タンパク質合成用細胞抽出物中の遺伝子情報翻訳阻害系の排除方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
無細胞タンパク質合成系については、すり潰した細胞液にタンパク質合成能が残存することが40年前に報告されて以来、種々の方法が開発され、大腸菌、コムギ胚芽、ウサギ網状赤血球由来、昆虫由来の細胞抽出物はタンパク質合成等に現在も広く利用されている。無細胞系における翻訳速度はin vivoとほぼ同等で、10ペプチド結合/秒であり高速性および翻訳の正確性にも優れた反応特性を発揮するものの、いずれの無細胞系においても合成持続時間が短く、得られる収量は反応容量1ml当り数μg乃至数十μgで生細胞の1/100から1/1000程度と極端に低く、タンパク質の合成法としては実用的でなかった。
【0003】
従来の無細胞タンパク質合成系の最大の欠点は、合成効率がきわめて低いことであるが、この原因について正面から研究されたことはなかった。細胞を物理的に破砕し、人工の緩衝液で調製した細胞抽出物中の活性が低いのは生化学分野ではごく常識のことであったからである。
【0004】
先に発明者らは、これまでのリボソーム不活性化毒素の研究から得た知見をもとに、コムギ胚芽抽出液を用いた無細胞タンパク質合成系に見られる極端なタンパク質合成活性の低下現象が対病原微生物防御機構として本来細胞にプログラムされた自己リボソームの不活性化機構(細胞自殺機構)のスイッチが、胚芽破砕が引き金となって起動することに起因することを明らかにしている。そして、胚芽の単離操作中に混入する、トリチン活性、チオニン活性、RNA分解酵素活性、DNA分解酵素活性や、タンパク質分解酵素活性などの種子胚乳局在性のタンパク質合成阻害因子群を胚芽組織から排除する新規方法で調製したコムギ胚芽抽出液のタンパク質合成反応が長時間に渡って高いタンパク質合成特性を発揮するようになることを実証した(非特許文献1)(特許文献1)。
【0005】
【非特許文献1】Madin,K.et al.,Proc.Natl.Acad.Sci.USA,97,559−564(2000)
【特許文献1】特開2000−236896号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、上記方法により調製されたコムギ胚芽抽出液においても、3万gの遠心上清画分(S-30)中には、胚芽組織細胞内因性の解糖系などの代謝経路や翻訳反応制御機構が存在するものと考えられる。これまでその現象と生化学的実態は知られていないが、無細胞タンパク質合成反応時にそれらの反応経路が作動し、これに伴ってタンパク質合成反応が負の影響を受け、その結果必ずしも十分な合成収量が得られないことが推測される。すなわち、内因性の代謝経路の起動やこれに連動する翻訳反応制御機構の存在を証明し、これを遮断することによって、既に開発に成功しているコムギ胚芽無細胞タンパク質合成法の特性をさらに向上させることが期待できる。
また、従来の無細胞タンパク質合成用細胞抽出物は、タンパク質合成に必要なアミノ酸、エネルギー源やイオン等を含む溶液を添加すると内因性因子の作用によるためか、その保存性に問題が生じていた。そのため細胞抽出物とエネルギー源等を含む溶液は別々に提供されており、実験者はそれらを実験の都度に翻訳鋳型とともに混合する必要があった。またその操作は低温で行う必要があること等から実験操作全体が煩雑となり、しばしばタンパク質合成の失敗の原因となっていた。さらにこのような無細胞タンパク質合成反応用試薬の提供方法は、多数の遺伝子からのタンパク質の網羅的合成には不向きであり、将来のロボット化に向けてこのような煩雑さといった欠点は解消しなければならない最大の課題であった。
さらに、発明者らは、先にコムギ胚芽抽出液を排除分子量12,000〜14,000ダルトン程度の再生セルロース膜を用い、透析を行うことによって、該抽出液から低分子物質(低分子タンパク質合成阻害物質と称することがある)を取り除いたところ、該細胞抽出物のタンパク質合成活性が著しく促進されることを見出している(WO03/064672号公報)。このことは、上記における推論を支持するものと思われる。
【0007】
以上により、本発明の課題は、さらなる高機能化した無細胞タンパク質合成用細胞抽出物を調製することであり、従来のコムギ胚芽無細胞タンパク質合成用細胞抽出物中に内在する代謝系酵素の関与するタンパク質合成系の阻害・不安定化現象を生化学的に確認・証明し、これに関与する物質の特定と排除を達成することによって、さらなる高機能を保持した無細胞タンパク質合成法を確立することである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
無細胞タンパク質合成用に用いられる細胞抽出物は、3万xg遠心によって得られるS-30画分からセファデックスG25などの分子篩によって低分子を排除したものを利用することが一般的である。この操作の目的は、合成反応系におけるイオン、アミノ酸やヌクレオチド等のタンパク質合成に必要な成分の濃度を至適化するために、あらかじめそれら濃度不明の内因性低分子物質を排除することと、ホモゲナイズ溶液由来の高濃度酢酸カリウムや塩化カルシウムを除くためであった。発明者は、このような方法で得られた従来の細胞抽出物中には、まだ内因性のタンパク質合成阻害物質が含まれていると考えた。そこで、従来法で得られた細胞抽出物から、さらに限外ろ過膜を用いて1万ダルトンまでの低分子量物質を徹底的に排除した。低分子物質が徹底的に排除された無細胞タンパク質合成用細胞抽出物は、高いタンパク質合成能を発揮した。さらに、限外ろ過膜処理におけるろ液を、高機能化された無細胞タンパク質合成用細胞抽出物に当量添加するとタンパク質合成の阻害と不安定化現象が生じた。発明者は、このことから、従来の無細胞タンパク質合成用細胞抽出物には、タンパク質合成を阻害する内因性阻害物質が存在することを、確認した。
【0009】
この内因性阻害物質の同定のために、限外ろ過膜処理におけるろ液を薄層クロマトグラフィー展開したところ、ラフィノース、ショ糖とグルコースの混合物、及びキシロースを特定した。そして、当該阻害物質を含有する画分は、特にグルコース含量の高いことを見出した。このうちグルコースおよびショ糖が、無細胞タンパク質合成用細胞抽出物への添加によって、強いタンパク質合成の阻害と不安定化現象をもたらすことを確認した。
加えて、発明者らは、無細胞タンパク質合成系におけるATPの著しい低下現象に着目し、その糖との反応による糖リン酸化反応仮説を立て、各種糖化合物の無細胞タンパク質合成系への影響を検討した。つまり、高度精製によって、高機能が確認された無細胞タンパク質合成用細胞抽出物にグルコース、フルクトース、ガラクトース、リン酸化グルコース、リン酸化フルクトース等を添加し、その影響を検討した。その結果、いずれの糖においてもATPの著しい低下現象を誘発し、同時に強いタンパク質合成阻害を示した。特に、グルコース、フルクトース、及びこれらのリン酸化物はきわめて強力な無細胞タンパク質合成阻害作用を有した。一方、生体酵素が認識・代謝できない光学異性体であるL型グルコースの添加実験においては、ATP低下とタンパク質合成の阻害、および翻訳反応系の不安定化の現象は全く生じなかった。
そして、本発明者らは、1)無細胞タンパク質合成用細胞抽出物中にグルコース等の六炭糖を分解する胚芽由来の解糖系酵素系が存在・機能していること、2)澱粉の加水分解によって生じるグルコースを基質として、リン酸化酵素(ヘキソキナーゼ、グルコキナーゼ)の触媒作用によって、ATPを消費する糖のリン酸化がおこること、3)胚芽抽出液中に存在する高濃度の基質グルコースとの反応によって、クレアチンリン酸・クレアチンキナーゼによるATP再生系の能力を上回るATPが大量に消費され、タンパク質合成反応系内の著しいATP濃度の低下状態がきたされること、4)ATPの消費に伴って生じるAMPひいてはGTPの再生停止に伴うGMP濃度の上昇(つまり副生成物)がタンパク質合成阻害をもたらすのではなく、ATPの濃度低下が引き金となって、タンパク質合成負制御系が起動し、いずれかのタンパク質合成反応因子が不活性化され、タンパク質合成阻害と合成系の不安定化に至ること、などを実験的に確証した。最近、植物においても翻訳反応開始因子(eIF2)のアルファサブユニットのリン酸化反応と、これを触媒するリン酸化酵素(pPKR)による生理的な翻訳反応制御(阻害)機構が報告された(J.Biol.Chem. vol.271 4539-4544 (1996)、Biochemistry vol.39 7521-7530 (2000))。この発明において見出されたATPを介した、グルコースなど糖類における、解糖系酵素によるリン酸化→ATP濃度低下→蛋白質合成反応の阻害の現象と、pPKRによるeIF2のリン酸化機作が密接に関係している可能性も考えられる。本発明は、このような知見を基礎として高機能な無細胞タンパク質合成用抽出物の調製手段を検討し、無細胞タンパク質合成用抽出物に内在する糖のリン酸化代謝系の制御を達成することで本発明を完成した。
【0010】
すなわち本発明は以下よりなる。
「1.無細胞タンパク質合成手段に使用する細胞抽出物の調製法であって、細胞由来の翻訳阻害機構を排除することを特徴とする細胞抽出物の調製方法。
2.細胞由来の翻訳阻害機構の排除が、ATPを介する糖のリン酸化系の制御によるものである、前項1に記載の調製方法。
3.細胞由来の翻訳阻害機構が、胚芽細胞内因性のタンパク質合成阻害誘導系である前項1又は2に記載の調製方法。
4.細胞抽出物の原料が、混入する胚乳成分および低分子タンパク質合成阻害物質が実質的に除去されたコムギ胚芽抽出物である前項1〜3に記載のいずれか1の調製方法。
5.細胞抽出物の原料が、大腸菌抽出物、ウサギ網状赤血球抽出物、又は昆虫由来細胞抽出物である前項1又は2に記載の調製方法。
6.ATPを介する糖のリン酸化系の制御が、以下から選ばれる少なくとも一の手段の導入である前項2に記載の調製方法。
1)単糖類の除去、
2)リン酸化糖の除去、
3)多糖類から単糖類の生成の制御、
4)単糖類からリン酸化糖の生成の制御。
7.単糖類の除去における単糖類が、六炭糖である前項6に記載の調製方法。
8.リン酸化糖の除去におけるリン酸化糖が、グルコース1リン酸、フルクトース1リン酸、ガラクトース1リン酸、グルコース1,6二リン酸、フルクトース1,6二リン酸、ガラクトース1,6二リン酸から選ばれる少なくとも1である前項6に記載の調製方法。
9.単糖類及び/又はリン酸化糖の除去が、ゲルろ過及び/又は限外ろ過膜による分子量分画排除である前項6に記載の調製方法。
10.ゲルろ過及び/又は限外ろ過膜による分子量分画排除を複数回繰り返すことを特徴とする前項9に記載の調製方法。
11.多糖類から単糖類の生成の制御が、澱粉からグルコースの生成の制御である前項6に記載の調製方法。
12.多糖類から単糖類の生成の制御が、以下から選ばれる少なくとも一の手段の導入である前項11に記載の調製方法。
1)糖分解酵素の除去又は不活化、
2)多糖類及び/又は小糖類・二糖類の排除、
3)糖分解酵素阻害剤の添加。
13.糖分解酵素の除去又は不活化が、糖分解酵素とカルシウムとの複合体を形成させ、該複合体を除去する手段である前項12に記載の調製方法。
14.沈殿助剤として、ベントナイト、活性炭素、シリカゲル、セファデックス、海砂から選ばれる少なくとも1を細胞抽出物に添加して、細胞由来の糖分解酵素を除去する手段を導入することを特徴とする細胞抽出物の調製方法。
15.単糖類からリン酸化糖の生成の制御が、以下から選ばれる少なくとも一の手段の導入である前項6に記載の方法。
1)糖リン酸化酵素の阻害剤の導入、
2)糖リン酸化酵素の除去又は不活化、
3)六炭糖の酵素的分解による糖代謝系経路からの排除、
4)六炭糖の化学的・酵素学的修飾による糖リン酸化酵素反応の阻害、
5)糖類のリン酸化部位にリン酸基が結合できないように、酵素的及び/又は化学的に改変及び/又は修飾されている。
16.六炭糖が、グルコースである前項7に記載の調製方法。
17.細胞抽出物濃度が200 OD260nmにおいて、細胞抽出物中のグルコース濃度が10mM以下である前項16に記載の調製方法。
18.細胞抽出物濃度が200 OD260nmにおいて、細胞抽出物中のグルコース濃度が6mM以下である前項16に記載の調製方法。
19.前項1〜18のいずれか1に記載の調製方法によって調製された無細胞タンパク質合成手段に使用する細胞抽出物。
20.無細胞タンパク質合成手段に使用する細胞抽出物であって、ATPを介する糖のリン酸化系が制御されている細胞抽出物。
21.ATPを介する糖のリン酸化系の制御が、以下から選ばれる少なくとも一の手段の導入である前項20に記載の細胞抽出物。
1)実質的にリン酸化糖が除去又は不活化されている、
2)実質的に多糖類、小糖類・二糖類、及び単糖類が除去されている、
3)実質的に糖分解酵素が除去又は不活化されている、
4)糖分解酵素阻害剤が添加されている、
5)実質的にリン酸化酵素が除去又は不活化されている、
6)リン酸化酵素阻害剤が添加されている、
7)糖類のリン酸化部位にリン酸基が結合できないように、酵素的及び/又は化学的に改変及び/又は修飾されている。
22.前項19〜21の何れか一に記載の細胞抽出物による無細胞タンパク質合成方法。
23.前項19〜21の何れか一に記載の細胞抽出物を使用する無細胞タンパク質合成系の利用。
24.前項19〜21の何れか一に記載の細胞抽出物を含む無細胞タンパク質合成系に使用する試薬キット。」
【発明の効果】
【0011】
本発明の無細胞タンパク質合成用の細胞抽出物は、新規な方法で生産され、その機能は従来にない安定性と高機能の無細胞タンパク質合成能を達成した。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
本発明の無細胞タンパク質合成用細胞抽出物の調製に用いられる細胞抽出物としては、無細胞タンパク質合成系においてタンパク質合成能を有するものであれば如何なるものであってもよい。ここで、無細胞タンパク質合成系とは、細胞内に備わるタンパク質翻訳装置であるリボソーム等を含む成分を生物体から抽出し、この抽出液に転写、または翻訳鋳型、基質となる核酸、アミノ酸、エネルギー源、各種イオン、緩衝液、およびその他の有効因子を加えて試験管内で行う方法である。このうち、鋳型としてRNAを用いるもの(これを以下「無細胞翻訳系」と称することがある)と、DNAを用い、RNAポリメラーゼ等転写に必要な酵素をさらに添加して反応を行うもの(これを以下「無細胞転写/翻訳系」と称することがある)がある。本発明における無細胞タンパク質合成系は、上記の無細胞翻訳系、無細胞転写/翻訳系のいずれをも含む。
本発明に用いられる細胞抽出物として具体的には、大腸菌、植物種子の胚芽、ウサギ網状赤血球、昆虫由来細胞等の細胞抽出物等の既知のものが用いられる。これらは市販のものを用いることもできるし、それ自体既知の方法、具体的には大腸菌抽出液は、Pratt,J.M.et al.,Transcription and Translation,Hames,179−209,B.D.&Higgins,S.J.,eds,IRL Press,Oxford(1984)に記載の方法等に準じて調製することもできる。
市販の細胞抽出物としては、大腸菌由来のものは、E.coli S30 extract system(Promega社製)とRTS 500 Rapid Translation System(Roche社製)等が挙げられ、ウサギ網状赤血球由来のものはRabbit Reticulocyte Lysate System(Promega社製)等、さらにコムギ胚芽由来のものはPROTEIOSTM(TOYOBO社製)等が挙げられる。このうち、植物種子の胚芽抽出液を用いることが好ましく、植物種子としては、コムギ、オオムギ、イネ、コーン等のイネ科の植物のものが好ましい。本発明の細胞抽出物としては、このうちコムギ胚芽抽出液を用いたものが好適である。また、昆虫由来細胞では、カイコ由来等の細胞抽出液を用いることができる。
【0013】
コムギ胚芽抽出液の作製法としては、例えばJohnston,F.B.et al.,Nature,179,160−161(1957)、あるいはErickson,A.H.et al.,(1996)Meth.In Enzymol.,96,38−50等に記載の方法を用いることができる。
【0014】
本発明では、このような既知の無細胞タンパク質合成用細胞抽出物から、従来法では確認できず除去できなかった無細胞タンパク質合成の阻害系を排除する。つまり、従来はコムギ種子胚乳由来の夾雑物の排除をその原理・手段としていた。しかし本法は、胚芽組織細胞中に内在する酵素群の機能と翻訳反応の負制御に関する機能すなわち胚芽細胞内因性のタンパク質合成阻害誘導系を遮断することにあり、抽出物に共存する糖のATPを介するリン酸化系が制御されていることを特徴とする。この系は、生体内における重要な代謝系であり、細胞のエネルギー代謝や核酸成分であるリボース合成に関わる解糖系の制御と複雑にからみあい最終的に無細胞タンパク質合成の阻害へと導くものであった。つまり、多糖類から、小糖類・二糖類、単糖類への代謝系とさらに単糖類のATPを介するリン酸化物の生成が、無細胞タンパク質合成における重要なる制御要素であることを見出し、この系を制御することが無細胞タンパク質合成用細胞抽出物のタンパク質合成機能の大幅な改良をもたらす。
さらには、大腸菌、網状赤血球でも、植物組織細胞のような高等植物同様に、細胞のエネルギー代謝や核酸成分であるリボース合成に関わる解糖系の存在は普遍的である。特に大腸菌、網状赤血球では解糖系が活発である。よって、多糖類から、小糖類・二糖類、単糖類への代謝系とさらに単糖類のATPを介するリン酸化物の生成が、大腸菌・ウサギ網状赤血球由来無細胞タンパク質合成における重要な制御要素であり、この系を制御することがタンパク質合成機能の大幅な改良をもたらすと考えられる。
【0015】
本発明の、翻訳制御機構を排除するとは、ATPを介する糖のリン酸化系を制御することによって達成され、ATPを介する糖のリン酸化系が制御するとは、以下のような少なくとも1の手段を導入することで達成できる。
1)多糖類から単糖類の生成の制御、
2)単糖類の除去、
3)リン酸化糖の除去、
4)単糖類からリン酸化糖の生成の制御。
【0016】
多糖類から単糖類の生成の制御とは、多糖類であるスターチから小糖類・二糖類をへてグルコース、或いは果糖等の単糖類への反応系をコントロールし、細胞抽出物が継続的に単糖類を作り出すことを排除することを意味する。この排除のためには、細胞抽出物から多糖類及び小糖類・二糖類の実質的な除去を達成すれば可能である。あるいは、糖分解酵素の除去、不活化、さらには阻害剤の添加によっても達成可能である。
多糖類及び小糖類・二糖類の除去方法は、自体公知の分子量分画、アフィニテイークロマトグラフィー、無機吸着体処理法などを利用しておこなうことが可能である。ここで、多糖類は、澱粉、アミロース等が例示され、また小糖類・二糖類は、ショ糖、麦芽糖等が例示される。
糖分解酵素の除去には、抗体を使った自体公知のアフィニテイークロマトグラフィー、イオン交換クロマトグラフィー等の公知の糖分解酵素の精製手段が利用できる。また、糖分解酵素とカルシウムの複合体を形成させ、遠心によって除去することも出来る。遠心に際しては、沈殿助剤として、ベントナイト、活性炭素、シリカゲル、セファデックスなどのクロマトグラフィー用担体、海砂等の無機担体を加える。これらの沈殿助剤の添加により、遠心後に、上清画分への沈殿物の混入を実質的に排除することが可能となる。沈殿助剤を遠心時に加えない場合は、沈殿物の上部に不溶性スラリーが存在し、これが混入したS-30画分から調製した抽出液のタンパク質合成活性は低くなる。そこで、遠心後の遠心管からのS-30画分の回収に当たっては混入を避けるために細心の注意が必要となる。ここで、糖分解酵素とは、アミラーゼ、マルターゼ、グリコシダーゼ等の多糖類、小糖類・二糖類を分解する酵素が例示される。
不活化には、一般的には各酵素のpH、温度等の反応至適条件に対応する不反応条件の選択によって行われる。また、酵素の一般的な失活条件とその他の無細胞タンパク質合成系への影響を考慮し選択された温度及び/又はpHの条件における選択された処理時間を用いることで達成可能である。
糖分解酵素の阻害剤は広く公知の物質が適用可能である。その添加量は、実験的繰り返しによって、糖分解酵素の阻害には有効であるが、その他の無細胞タンパク質合成系への影響は無視できる条件が選定される。
【0017】
単糖類の除去とは、細胞抽出物から単糖類特に六炭糖類を実質的に排除することを意味する。六炭糖としては、グルコース、ガラクトース、及びフルクトース等が例示される。その除去は、自体公知の分子量分画、アフィニテイークロマトグラフィー、無機吸着体処理法などを利用しておこなうことが可能である。
【0018】
リン酸化糖の除去とは、単糖類のリン酸化物が既存の無細胞タンパク質合成用細胞抽出物中に夾雑しており、そのもの自体が強力な無細胞タンパク質合成の阻害能を有することを見出したことから、細胞抽出物からこれを実質的に排除することを意味する。リン酸化糖としては、例えばグルコース1リン酸、フルクトース1リン酸、ガラクトース1リン酸、グルコース1,6二リン酸、フルクトース1,6二リン酸、ガラクトース1,6二リン酸等が例示される。その除去は、自体公知の分子量分画、アフィニテイークロマトグラフィー、無機吸着体処理法などを利用しておこなうことが可能である。
単糖類、リン酸化糖の除去は、一般的に無細胞タンパク質合成用細胞抽出物の調製時に用いられているセファデックスG25などの分子篩によって、ある程度排除することが出来る。しかし、より効率的に単糖類、リン酸化糖を除去するためには、さらにゲルろ過、限外ろ過膜などによる徹底した分画を行うことが望ましく、例として、分子量1万カットのアミコンウルトラ遠心ろ過器(Amicon Ultra-15 centrifugal filter device, 15 ml, 10K NMWL, MILLIPORE社製)による低分子の分画が挙げられる。さらには、この分画操作を複数回繰り返すことが望ましい。複数回の具体的回数としては、1〜10回、好ましくは2〜9回、さらに好ましくは3〜8回、最も好ましくは4〜7回である。
また、リン酸化糖の不活化とは、リン酸化糖のさらなるリン酸化活性が起こらないことを意味する。これらの不活化は、自体公知の酵素反応等によって行うことができる。
【0019】
単糖類からリン酸化糖の生成の制御とは、細胞抽出物中での単糖類特に六炭糖類がリン酸化を受ける系を制御し、リン酸化糖の生成を実質的に排除することを意味する。そのためには、単糖類の実質的除去、糖リン酸化酵素の不活化、糖リン酸化酵素の除去、及び/又は糖リン酸化酵素阻害剤の添加等の手段がある。単糖類の実質的除去は、上記のとおりである。糖リン酸化酵素の不活化には、一般的には各糖リン酸化酵素のpH、温度等の反応至適条件に対応する不反応条件の選択によって行われる。また、各糖リン酸化酵素の一般的な失活条件とその他の無細胞タンパク質合成系への影響を考慮し選択された温度及び/又はpHの条件における選択された処理時間を用いることで達成可能である。また、これらの酵素に特異的な抗体を用いて不活化することもできる。
各糖リン酸化酵素の阻害剤は広く公知の物質が適用可能である。その添加量は、実験的繰り返しによって、各糖リン酸化酵素の阻害には有効であるが、その他の無細胞タンパク質合成系への影響は無視できる条件が選定される。ここで、糖リン酸化酵素としては、ヘキソキナーゼが例示され、具体的にはグルコキナーゼ、フルクトキナーゼ等である。
糖のリン酸化の制御は、糖のリン酸化部位を酵素的及び/又は化学的に修飾、並びにそれらを改変することによっても達成することができる。例えば、グルコースオキシダーゼを用いてグルコースの6位のOH基を酸化する方法などが挙げられる。
【0020】
本発明の最良の細胞抽出物は、コムギ種子の胚乳成分や胚芽組織細胞中のタンパク質合成阻害効果をもたらすグルコースなどの代謝物質が実質的に除去されたコムギ胚芽抽出物であるので、これを例にとって原料の調製方法を以下説明する。
【0021】
通常、胚芽の部分は非常に小さいので胚芽を効率的に取得するためには胚芽以外の部分をできるだけ除去しておくことが好ましい。通常、まず植物種子に機械的な力を加えることにより、胚芽、胚乳破砕物、種皮破砕物を含む混合物を得、該混合物から、胚乳破砕物、種皮破砕物等を取り除いて粗胚芽画分(胚芽を主成分とし、胚乳破砕物、種皮破砕物を含む混合物)を得る。植物種子に加える力は、植物種子から胚芽を分離することができる程度の強さであればよい。具体的には、公知の粉砕装置を用いて、植物種子を粉砕することにより、胚芽、胚乳破砕物、種皮破砕物を含む混合物を得る。
植物種子の粉砕は、通常公知の粉砕装置を用いて行うことができるが、ピンミル、ハンマーミル等の被粉砕物に対して衝撃力を加えるタイプの粉砕装置を用いることが好ましい。粉砕の程度は、使用する植物種子胚芽の大きさに応じて適宜選択すればよいが、例えばコムギ種子の場合は、通常、最大長さ4mm以下、好ましくは最大長さ2mm以下の大きさに粉砕する。また、粉砕は乾式で行うのが好ましい。
次いで、得られた植物種子粉砕物から、通常公知の分級装置、例えば、篩を用いて粗胚芽画分を取得する。例えば、コムギ種子の場合、通常、メッシュサイズ0.5mm〜2.0mm、好ましくは0.7mm〜1.4mmの粗胚芽画分を取得する。さらに、必要に応じて、得られた粗胚芽画分に含まれる種皮、胚乳、ゴミ等を風力、静電気力を利用して除去してもよい。
また、胚芽と種皮、胚乳の比重の違いを利用する方法、例えば重液選別により、粗胚芽画分を得ることもできる。より多くの胚芽を含有する粗胚芽画分を得るために、上記の方法を複数組み合わせてもよい。さらに、得られた粗胚芽画分から、例えば目視や色彩選別機等を用いて胚芽を選別する。
【0022】
このようにして得られた胚芽画分は、胚乳成分が付着している場合があるため、通常胚芽純化のために更に洗浄処理することが好ましい。洗浄処理としては、通常10℃以下、好ましくは4℃以下に冷却した水または水溶液、具体的に水溶液として界面活性剤を含有する水溶液に胚芽画分を分散・懸濁させ、洗浄液が白濁しなくなるまで洗浄することが好ましい。また、通常10℃以下、好ましくは4℃以下で、界面活性剤を含有する水溶液に胚芽画分を分散・懸濁させて、洗浄液が白濁しなくなるまで洗浄することがより好ましい。界面活性剤としては、非イオン性のものが好ましく、非イオン性界面活性剤であるかぎりは、広く利用ができる。具体的には、例えば、好適なものとして、ポリオキシエチレン誘導体であるブリッジ(Brij)、トリトン(Triton)、ノニデット(Nonidet)P40、ツイーン(Tween)等が例示される。なかでも、ノニデット(Nonidet)P40が最適である。これらの非イオン性界面活性剤は、胚乳成分の除去に十分且つ胚芽成分のタンパク質合成活性に悪影響を及ぼさない濃度で使用され得るが、例えば0.5%の濃度で使用することができる。水もしくは水溶液による洗浄処理又は界面活性剤による洗浄処理は、どちらか一方の洗浄処理でもよいし、両方実施してもよい。また、これらの洗浄処理は、超音波処理と組み合わせて実施してもよい。
【0023】
本発明においては、上記のように植物種子を粉砕して得られた粉砕物から植物胚芽を選別した後洗浄して得られた無傷(発芽能を有する)の胚芽を(好ましくは抽出溶媒の存在下に)細分化した後、得られるコムギ胚芽抽出液を分離し、更に精製することにより無細胞タンパク質合成用コムギ胚芽抽出液を得る。
【0024】
抽出溶媒としては、緩衝液、カリウムイオン、マグネシウムイオンおよび/またはチオール基の酸化防止剤を含む水溶液を用いることができる。また、必要に応じて、カルシウムイオン、L型アミノ酸等をさらに添加してもよい。例えば、N−2−ヒドロキシエチルピペラジン−N'−2−エタンスルホン酸(HEPES)−KOH、酢酸カリウム、酢酸マグネシウム、L型アミノ酸および/またはジチオスレイトールを含む溶液や、Pattersonらの方法を一部改変した溶液(HEPES−KOH、酢酸カリウム、酢酸マグネシウム、塩化カルシウム、L型アミノ酸および/またはジチオスレイトールを含む溶液)を抽出溶媒として使用することができる。抽出溶媒中の各成分の組成・濃度はそれ自体既知であり、無細胞タンパク質合成用のコムギ胚芽抽出液の製造法に用いられるものを採用すればよい。
胚芽と抽出に必要な量の抽出溶媒とを混合し、抽出溶媒の存在下に胚芽を細分化する。抽出溶媒の量は、洗浄前の胚芽1gに対して、通常0.1ミリリットル以上、好ましくは0.5ミリリットル以上、より好ましくは1ミリリットル以上である。抽出溶媒量の上限は特に限定されないが、通常、洗浄前の胚芽1gに対して、10ミリリットル以下、好ましくは5ミリリットル以下である。また、細分化しようとする胚芽は従来のように凍結させたものを用いてもよいし、凍結させていないものを用いてもよいが、凍結させていないものを用いるのがより好ましい。
【0025】
細分化の方法としては、摩砕、圧砕等粉砕方法として従来公知の方法を採用することができるが、本発明者が開発した衝撃または切断により胚芽を細分化する方法(WO03/064671号公報)が好ましい。ここで、「衝撃または切断により細分化する」とは、植物胚芽の細胞核、ミトコンドリア、葉緑体等の細胞小器官(オルガネラ)、細胞膜や細胞壁等の破壊を、従来の摩砕または圧砕と比べて最小限に止めうる条件で植物胚芽を破壊することを意味する。
細分化する際に用いることのできる装置や方法としては、上記条件を満たすものであれば特に限定されないが、例えば、ワーリングブレンダーのような高速回転する刃状物を有する装置を用いることが好ましい。刃状物の回転数は、通常1000rpm以上、好ましくは5000rpm以上であり、また、通常30000rpm以下、好ましくは25000rpm以下である。刃状物の回転時間は、通常5秒以上、好ましくは10秒以上である。回転時間の上限は特に限定されないが、通常10分以下、好ましくは5分以下である。細分化する際の温度は、好ましくは10℃以下で操作が可能な範囲内、特に好ましくは4℃程度が適当である。
このように衝撃または切断により胚芽を細分化することにより、胚芽の細胞核や細胞壁を全て破壊してしまうのではなく、少なくともその一部は破壊されることなく残る。即ち、胚芽の細胞核等の細胞小器官、細胞膜や細胞壁が必要以上に破壊されることがないため、それらに含まれるDNAや脂質等の不純物の混入が少なく、細胞質に局在するタンパク質合成に必要なRNAやリボソーム等を高純度で効率的に胚芽から抽出することができる。
このような方法によれば、従来の植物胚芽を粉砕する工程と粉砕された植物胚芽と抽出溶媒とを混合してコムギ胚芽抽出液を得る工程とを同時に一つの工程として行うことができるため効率的にコムギ胚芽抽出液を得ることができる。上記の方法を、以下「ブレンダー法」と称することがある。
このような植物胚芽の細分化、特に衝撃または切断による細分化は、抽出溶媒の存在下に行うことが好ましいが、細分化した後に抽出溶媒を添加することもできる。
【0026】
次いで、遠心分離等によりコムギ胚芽抽出液を回収し、ゲルろ過等により精製することによりコムギ胚芽抽出液を得ることができる。ゲルろ過としては、例えば予め適当な溶液で平衡化しておいたゲルろ過装置を用いて行うことができる。ゲルろ過溶液中の各成分の組成・濃度はそれ自体既知であり、無細胞タンパク質合成用のコムギ胚芽抽出液の製造法に用いられるもの(例えば、HEPES−KOH、酢酸カリウム、酢酸マグネシウム、ジチオスレイトールまたはL型アミノ酸を含む溶媒)を採用すればよい。
好ましくはこのようにして得られた細胞抽出物は、RNase活性およびホスファターゼ活性が極めて低減されたものである。
【0027】
ゲルろ過後の胚芽抽出物含有液には、微生物、特に糸状菌(カビ)などの胞子が混入していることがあり、これら微生物を排除しておくことが好ましい。特に長期(1日以上)の無細胞タンパク質合成反応中に微生物の繁殖が見られることがあるので、これを阻止することは重要である。微生物の排除手段は特に限定されないが、ろ過滅菌フィルターを用いるのが好ましい。フィルターのポアサイズとしては、混入の可能性のある微生物が除去可能なものであれば特に制限はないが、通常0.1〜1マイクロメーター、好ましくは0.2〜0.5マイクロメーターが適当である。ちなみに、小さな部類の枯草菌の胞子のサイズは0.5μmx1μmであることから、0.20マイクロメーターのフィルター(例えばSartorius製のMinisartTM等)を用いるのが胞子の除去にも有効である。ろ過に際して、まずポアサイズの大きめのフィルターでろ過し、次に混入の可能性のある微生物が除去可能であるポアサイズのフィルターを用いてろ過するのが好ましい。
【0028】
このようにして得られた細胞抽出物は、原料であるコムギ胚芽自身が含有するまたは保持するタンパク質合成機能を抑制する物質(トリチン、チオニン、リボヌクレアーゼ等の、mRNA、tRNA、翻訳タンパク質因子やリボソーム等に作用してその機能を抑制する物質)が、ほぼ完全に取り除かれている。すなわち、これらの阻害物質が局在する胚乳がほぼ完全に取り除かれ純化されている。胚乳の除去の程度は、コムギ胚芽抽出物中に夾雑するトリチンの活性、すなわちリボソームを脱アデニン化する活性をモニターすることにより評価できる。リボソームが実質的に脱アデニン化されていなければ、胚芽抽出物中に夾雑する胚乳由来成分がない、すなわち胚乳がほぼ完全に取り除かれ純化されていると判断される。リボソームが実質的に脱アデニン化されていない程度とは、リボソームの脱アデニン化率が7%未満、好ましくは1%以下になっていることをいう。
【0029】
このような胚芽抽出物を原料にして、本発明では、さらに上記の「糖のATPを介するリン酸化系の制御」のために糖、リン酸化糖、糖のリン酸化酵素、糖分解酵素等が制御された無細胞タンパク質合成用の細胞抽出物調製のための処理を行う。処理工程の概要は以下である。
原料の胚芽抽出液を2〜4万G、好ましくは2.5〜3.5万G、さらに好ましくは3万Gの遠心分離で遠心上清を取得する。この際、沈殿助剤として無機担体をいれておくことは、沈殿物と上清の分離のためにより好ましい。この沈殿物中には、グリコシダーゼなどの酵素とカルシウムの複合体が含まれている。グリコシダーゼをあらかじめ除いておくことは、澱粉からグルコースの生成を最小限に抑えることに役立つ。好適な無機担体としては、ベントナイト、活性炭素、シリカゲル、海砂等が例示される。この無機担体の導入により、沈殿物が上清へ混入することをほぼ完全に防ぐことが出来る。沈殿助剤を遠心時に加えない場合は、沈殿物の上部に不溶性スラリーが存在し、これが混入したS-30画分から調製した抽出液のタンパク質合成活性は低くなる。そこで、遠心後の遠心管からのS-30画分の回収に当たっては混入を避けるために細心の注意が必要となる。
得られた遠心上清を、ゲルろ過による溶液の交換あるいは必要成分の添加などにより翻訳反応液としたものを、分子量10kDaカットで分子量分画し、低分子画分を排除する。あるいは、分子量10kDa以上の物質を分子量分画し、回収することも可能である。この分画処理は複数回行い、特に分子量10kDa以下の物質を実質的に除去することが好ましい。複数回の具体的回数としては、1〜10回、好ましくは2〜9回、さらに好ましくは3〜8回、最も好ましくは4〜7回である。このように調製された細胞抽出物は、実質的に糖、リン酸化糖が6mM以下まで低減されている(260nmにおける吸光度200 OD/mlの抽出液中のグルコース濃度として)。かくして得られたグルコース濃度が低減された抽出液は、従来にない高い無細胞タンパク質合成能を保有している。
【0030】
本発明の、細胞に内在する糖のATPを介するリン酸化系が制御されている(すなわち細胞に内在する翻訳阻害機構が排除されている)細胞抽出物としては、このように調製されたものはそのまま利用できるが、あるいはこのような除去が完全におこなわれていなくとも、上記の各種の阻害手段、不活化手段のいずれか1の手段が施されていれば従来にない高い無細胞タンパク質合成能を達成できる。
本発明の糖のATPを介するリン酸化系の制御がされた細胞抽出物としては、少なくとも以下から選ばれる一の手段が導入されている細胞抽出物をも対象とする。それらの手段の具体例は上述のとおりである、
1)実質的にリン酸化糖が除去又は不活化されている、
2)実質的に多糖類、小糖類・二糖類、及び単糖類が除去されている、
3)実質的に糖分解酵素が除去又は不活化されている、
4)糖分解酵素阻害剤が添加されている、
5)実質的にリン酸化酵素が除去又は不活化されている、
6)リン酸化酵素阻害剤が添加されている。
【0031】
このようにして調製された細胞抽出物は、従来にない高い効率の無細胞タンパク質合成方法を提供するものであり、また、この細胞抽出物を使用する無細胞タンパク質合成系の利用は、各種分析、スクリーニング法として高い有用性を達成する。さらに、本発明で提供される細胞抽出物を含む無細胞タンパク質合成系に使用する試薬キットは、無細胞タンパク質合成手段として従来にないタンパク質合成効果を達成する。
【0032】
以上のように調製された細胞抽出物含有液に、タンパク質合成に必要な成分を添加して、翻訳反応液を調整する。あるいは細胞抽出物を、タンパク質合成に必要な成分を含む溶液で平衡化したセファデックスG25カラムに通すことによって、溶出溶液から翻訳反応液に置換する。タンパク質合成に必要な成分とは、核酸分解酵素阻害剤、各種イオン、基質となるアミノ酸、エネルギー源等(以下、これらを「翻訳反応溶液添加物」と称することがある)及び翻訳鋳型となる特定タンパク質をコードするmRNA、加えて所望によりイノシトール、トレハロース、マンニトールおよびスクロースーエピクロロヒドリン共重合体からなる群から選択される少なくとも1種の成分を含有する安定化剤などである。各成分の添加濃度は、自体公知の配合比で達成可能である。
【0033】
翻訳反応溶液添加物として、具体的には、基質となるアミノ酸、エネルギー源、各種イオン、緩衝液、ATP再生系、核酸分解酵素阻害剤、tRNA、還元剤、ポリエチレングリコール、3',5'−cAMP、葉酸塩、抗菌剤等が挙げられる。また、それぞれの濃度は、ATPとしては100μM〜0.5mM、GTPは25μM〜1mM、20種類のアミノ酸としてはそれぞれ25μM〜5mM含まれるように添加することが好ましい。これらは、翻訳反応系に応じて適宜選択して組み合わせて用いることができる。具体的には、細胞抽出物含有液としてコムギ胚芽抽出液を用いた場合には、30mM HEPES-KOH(pH7.8)、100mM酢酸カリウム、2.7mM酢酸マグネシウム、0.4mMスペルミジン(ナカライ・テスク社製)、各0.3mM L型アミノ酸20種類、4mMジチオスレイトール、1.2mM ATP(和光純薬社製)、0.25mM GTP(和光純薬社製)、16mMクレアチンリン酸(和光純薬社製)、40 μg/mlクレアチンキナーゼ(Roche社製)、0.005%アジ化ナトリウムを加え、十分溶解した後に、適量の翻訳鋳型mRNAを入れたもの等が例示される。
【0034】
ここで、mRNAは、無細胞タンパク質合成系において合成され得るタンパク質をコードする領域が、適当なRNAポリメラーゼが認識する配列と、さらに翻訳を活性化する機能を有する配列の下流に連結された構造を有していれば如何なるものであってもよい。RNAポリメラーゼが認識する配列とは、T3またはT7RNAポリメラーゼプロモーター等が挙げられる。本発明の無細胞タンパク質合成用試薬を用いてタンパク質チップ、あるいはライブラリー等を作製する場合には、それぞれの目的に応じて適宜選択される。また、無細胞タンパク質合成系において翻訳活性を高める配列としてΩ配列、E01配列(WO03/056009号公報に記載の配列番号136)等をコーディング配列の5'上流側に連結させた構造を有するものが好ましく用いられる。
【0035】
以下、実施例を挙げて本発明を詳細に説明するが、本発明の範囲はこれらの実施例により限定されるものではない。
【実施例1】
【0036】
沈殿助剤を用いた高機能化コムギ胚芽抽出液の調製
(1)コムギ胚芽の調製
北海道産チホクコムギ種子または愛媛産チクゴイズミ種子を1分間に100gの割合でミル(Fritsch社製:Rotor Speed Mill pulverisette14型)に添加し、回転数8,000rpmで種子を温和に粉砕した。篩いで発芽能を有する胚芽を含む画分(メッシュサイズ0.7〜1.00mm)を回収した後、四塩化炭素とシクロヘキサンの混合液(容量比=四塩化炭素:シクロヘキサン=2.4:1)を用いた浮選によって、発芽能を有する胚芽を含む浮上画分を回収し、室温乾燥によって有機溶媒を除去した後、室温送風によって混在する種皮等の不純物を除去して粗胚芽画分を得た。
次に、ベルト式色彩選別機BLM−300K(製造元:株式会社安西製作所、発売元:株式会社安西総業)を用いて、次の通り、色彩の違いを利用して粗胚芽画分から胚芽を選別した。この色彩選別機は、粗胚芽画分に光を照射する手段、粗胚芽画分からの反射光及び/又は透過光を検出する手段、検出値と基準値とを比較する手段、基準値より外れたもの又は基準値内のものを選別除去する手段を有する装置である。
色彩選別機のベージュ色のベルト上に粗胚芽画分を1000乃至5000粒/cm2となるように供給し、ベルト上の粗胚芽画分に蛍光灯で光を照射して反射光を検出した。ベルトの搬送速度は、50m/分とした。受光センサーとして、モノクロのCCDラインセンサー(2048画素)を用いた。
まず、胚芽より色の黒い成分(種皮等)を除去するために、胚芽の輝度と種皮の輝度の間に基準値を設定し、基準値から外れるものを吸引により取り除いた。次いで、胚乳を選別するために、胚芽の輝度と胚乳の輝度の間に基準値を設定し、基準値から外れるものを吸引により取り除いた。吸引は、搬送ベルト上方約1cm位置に設置した吸引ノズル30個(長さ1cm当たり吸引ノズル1個並べたもの)を用いて行った。
この方法を繰り返すことにより胚芽の純度(任意のサンプル1g当たりに含まれる胚芽の重量割合)が98%以上になるまで胚芽を選別した。
得られたコムギ胚芽画分を4℃の蒸留水に懸濁し、超音波洗浄機を用いて洗浄液が白濁しなくなるまで洗浄した。次いで、ノニデット(Nonidet:ナカライ・テスク社製)P40の0.5容量%溶液に懸濁し、超音波洗浄機を用いて洗浄液が白濁しなくなるまで洗浄してコムギ胚芽を得た。回収した胚芽湿重量に対して2倍容量の抽出溶媒(80mM HEPES−KOH、pH7.8、200mM酢酸カリウム、10mM酢酸マグネシウム、8mMジチオスレイトール、4mM塩化カルシウム、各0.6mM 20種類のL型アミノ酸)を加え、ワーリングブレンダーを用い、5,000〜20,000rpmで30秒間ずつ3回の胚芽の限定破砕を行った。
【0037】
(2)沈殿助剤を用いたS-30画分の調製
上記得られたホモゲネート(破砕物)に、20%重量の海砂あるいは膨潤させたセファデックスG25粒子を加え、混合した。海砂は、ホモゲネート添加前にあらかじめ以下の処理を行った:水洗→5容の0.1規定のNaOH又はKOH洗浄→水洗→0.1規定のHCl洗浄→水洗→100〜120℃の加熱によりRNase失活処理後、乾燥処理。
海砂を混合したホモゲネートを3万xg、30分で2回遠心、続いて12分間1回の遠心で、半透明な遠心上清を得た(S-30画分)。海砂あるいはセファデックス粒子を遠心前に加えない場合は、沈殿物の上部に不溶性スラリーが存在し、これが混入したS-30画分から調製した抽出液のタンパク質合成活性は低くなった。得られたS-30画分を、溶出溶液(40mM HEPES-KOH、pH7.8、200mM酢酸カリウム、10mM 酢酸マグネシウム、4mM DTT)で平衡化したセファデックスG25にかけ、ゲルろ過し、分子量1000ダルトン以下の低分子物質を排除した胚芽抽出液を調製した。
【0038】
(3)タンパク質合成
胚芽抽出液に、翻訳に必要な成分を添加調整し、翻訳反応液(30mM HEPES-KOH、pH7.8、100mM酢酸カリウム、2.7mM酢酸マグネシウム、1.2mM ATP、0.25mM GTP、0.4mM スペルミジン、16mM クレアチンリン酸、40μg/ml クレアチンキナーゼ、4mMジチオスレイトール、各0.3mM ロイシンを除く19種類のL型アミノ酸、0.005%アジ化ナトリウム)とした。胚芽抽出液の濃度は、翻訳反応液1mlに40 OD260nmとした。この反応液にジヒドロ葉酸還元酵素(DHFR)をコードするmRNA(0.32 mg/ml)、14C-ロイシンを翻訳反応液に加えて、26℃にてバッチ法によりタンパク質合成を行った。タンパク質合成量は、以下のように14C標識ロイシンの酸不溶性画分への放射能の取り込みを測定することによって行った:反応液5マイクロリッターを3MMワットマン濾紙にスポットし、10%氷冷TCA(トリクロロ酢酸)に1時間浸した後、5%のTCA液中で10分間煮沸した。このフィルターを取り出しエタノール・エーテル(50:50容)でTCAと水分を除去し、乾燥後、液体シンチレーションカウンター(トルエンシンチレーター)で、熱TCA不溶画分へ取り込まれた放射能を計測した。
図1Aに沈殿助剤の効果を示した。○は、沈殿助剤を用いない、従来法で調製したS-30画分を用いた場合のタンパク質の合成量を示す。●(大)は、沈殿助剤として海砂を用いて調製したS-30画分を用いた場合のタンパク質の合成量を示す。海砂を用いた遠心中における不溶物の共沈操作によって、タンパク質合成活性が20〜30%上昇した(図1A)。すなわち、海砂非存在下における遠心においては上清から回収したS-30にタンパク質合成を阻害する沈殿物質が混入しているものと考えられた。本効果は共沈効果を示す物質であれば海砂でなくとも、市販のセファデックス粒子(G25)を膨潤させたもので代用可能であることがわかった(●:小さい黒丸)。
【実施例2】
【0039】
アミコンウルトラ膜ろ過処理による阻害物質の除去
上記のように、沈殿助剤を用いて調製したタンパク質合成反応液(抽出液の他、mRNA以外のタンパク質合成に必要な成分を各至適濃度含む)を分子量1万カットのアミコンウルトラ遠心ろ過器(Amicon Ultra-15 centrifugal filter device, 15 ml, 10K NMWL, MILLIPORE社製)を通すことによって、さらに、1万ダルトンまでの低分子量物質を排除した、タンパク質合成液を調製した。このろ過処理は6回繰り返して行った。このタンパク質合成液を以下、高機能化タンパク質合成液と称する。図1B(●)に示したように、このろ過によって、約2時間で停止した合成反応が少なくとも3時間まで持続するとともに、翻訳活性も上昇した。(図1B●を図1Aの●大、●小との比較による)。すなわち、アミコンウルトラ遠心ろ過処理によって、翻訳活性の上昇と同時に翻訳反応系の安定性が顕著に向上することがわかった。さらに、アミコンウルトラ遠心ろ過処理時に排除したろ液をその反応系にもどすと、アミコンウルトラ遠心ろ過未処理と同様に、タンパク質合成活性の低下と合成反応持続時間が約2時間となり、不安定性を誘起した。これにより、このアミコンウルトラ排除画分中には、コムギ胚芽無細胞タンパク質合成反応の阻害と不安定化を生じせしめる分子量1万以下の内因性阻害因子が存在することがわかった(図1B、○)。ここで図1の結果に再度注目すべきは、アミコンウルトラ遠心ろ過処理しない反応液では、反応1時間後から合成速度の低下が始まり、約2時間後にはタンパク質合成活性が停止するにもかかわらず(図1A、○)、アミコンウルトラ遠心ろ過処理反応液では、反応が少なくとも3時間まで持続する(図1B、●)ことである。
次に、タンパク質合成の不安定化についてさらなる検討をおこなった。すなわち、アミコンウルトラ遠心ろ過前とろ過後の試料について、上記と同様(ただし、mRNAと14C-ロイシンを含まず)に3時間、26℃の保温(以下、前保温と記す)の後、両種の反応液を別々に翻訳溶液(アミノ酸、エネルギー源、各種イオン、緩衝液を含む)で平衡化したセファデックスG25スピンカラムを通すことによって、新鮮な翻訳溶液と置換した後に、mRNAと14C-ロイシンを添加することによって、タンパク質合成活性を測定した。アミコンウルトラ遠心ろ過を行っていないものでは、前保温によってタンパク質合成活性がほぼ消失する(図1B、△)ものの、アミコンウルトラ膜によって低分子を排除した反応液においては、前保温による活性の低下は殆どみられない(図1B、□)。すなわち、これらの結果は、アミコンウルトラ膜を用いて得たろ液中には、タンパク質合成因子のいずれかを不可逆的に不活性化を誘起する成分(機作)が存在することを示しており、同膜を利用したろ過操作によって、抽出液中の阻害因子が排除され、反応液の著しい安定化が達成されることが示された。
【実施例3】
【0040】
アミコンウルトラ膜で排除される画分中の阻害因子の同定
アミコンウルトラ膜ろ過処理によって排除したろ液を薄層クロマトグラフィー(TLC(シリカゲルプレート(10cmx10cm、メルク社製品)により、メタノール:濃アンモニア水(22%)=1:1容量比、展開は室温で5分間))を展開溶媒として展開し、濃硫酸酸化によって分離スポットを検出した(図2A)。同時に展開した標準物質の展開位置(RF値)から、このろ液中には、グルコース、グルコース1-リン酸(又は、グルコース6-リン酸との混合物)、フルクトースリン酸(フルクトース6-リン酸、同1,6二リン酸の混合物)、ラフィノース、ショ糖、ガラクトースおよび黄色物質(図2A中のY)が含まれていること、中でもグルコース濃度が高いことが明らかになった。この分画前のろ液を、高機能化タンパク質合成液に当量添加したところ、強いタンパク質合成の阻害が確認できた(図1B、○)。次に、各成分を別々に抽出し、各実験操作段階における容量から算出した当量を添加したところ、グルコースとショ糖に強いタンパク質阻害作用と不安定化作用が確認されたが(図2B、●大:グルコース添加、●小:ショ糖添加)、ラフィノース、および黄色物質は阻害作用を示さなかった(データは示していない)。反応のカイネチクスからわかるように、アミコンウルトラ膜によってろ過した抽出液は、図1Bに示したと同様に、少なくとも3時間に至るまでタンパク質合成が持続するが、ろ液由来のショ糖とグルコースの添加によって、反応1時間後において既にタンパク質合成能の低下がみられ、2時間で反応は停止した。その結果、合成産物の収量が低下した。図2Aに検出したろ液中の、ラフィノース、ショ糖、グルコース、リン酸化糖については、核磁気共鳴測定法によってその存在を同定確認した。
さらに幾つかの糖類の標準品を用いて、それらがタンパク質合成に及ぼす影響を調べた(図2C)。各糖を終濃度0.5mMとなるように合成反応系に添加したところ、D-グルコース(△−△)、フルクトース(□−□)、ガラクトース(☆−☆)、グルコース−6−リン酸(▲−▲小)、ショ糖(*−*)については、いずれも強いタンパク質合成阻害作用を示し、且つ反応持続時間の短縮、すなわち、不安定化が認められた。このような効果は、0.3mMのグルコースにも見られた(△−△)。ショ糖(*−*)、ガラクトース(☆−☆)、グルコース−6−リン酸(▲−▲小)、0.3mM グルコース(△−△)の値はほぼ同じであった(図中では敢えて、離して示した)。
次にグルコース添加と前保温によるタンパク質合成系の不安定化現象を確認する目的で、0.5mMグルコース存在下(系にはmRNAと14C-ロイシンが含まず)に保温し、図1Bで説明したと同様の、安定性を調べた。図2Cの▲(大)で示したように、0.5mMのグルコース存在下の保温によって、タンパク質合成能が不可逆的に不活性化することがわかる。すなわち、上記で示した、コムギ胚芽抽出液中(S-30)に見いだしたタンパク質阻害と不安定化を生じせしめる少なくともそれら因子の一つが、グルコースであることが示された。ガラクトースの添加によっても阻害が認められるものの、生体酵素には認識されないグルコースの立体異性体であるL-グルコースの添加では、0.5mMにおいても阻害作用は見られなかった(図2C、●−●大)。解糖系の終末側代謝産物である、ホスホエノールピルビン酸(図2C、●−●小)とピルビン酸(図2C、●−●中)には、タンパク質合成阻害作用は見られなかった。
【実施例4】
【0041】
グルコース濃度の定量
総グルコース濃度(遊離型とリン酸化型(主にグルコース1リン酸))を測定する前処理方法として、1.0規定塩酸下に5分間煮沸の後、水酸化ナトリウムで中和し、この試料をGlucose oxidase/Mutarotase法および0-トルイジン・ホウ酸法の両方法による測定に供した。
表1に示したように、Glucose oxidase/Mutarotase法によって定量したところ、S-30画分中(200 OD260nm)には30mMを越える高濃度の総グルコースが存在する(酸熱未処理試料を用いて測定した遊離グルコース濃度は7.8mMであった)が、セファデックスG25カラムやアミコンウルトラ膜(表中:A.U.と略記)を通すことによってこれを低減させることができる。セファデックスG25カラムによるゲルろ過では、総グルコース濃度が5.5mMに低下した。また、アミコンウルトラ膜を用いて遠心ろ過を繰り返すことによって段階的に総グルコース濃度が低下し、同ろ過6回操作後の試料においては3.4mM(遊離グルコース濃度は0.4mM)にまで低下した。一方、それらの画分の0-トルイジン・ホウ酸法による定量では、酵素法の2.3倍を超える72.2mMを越える総アルドヘキソースやアルドペントースがS−30画分に検出された。ゲルろ過操作を6回繰り返すことによって、6.9mMにまで総グルコース濃度が低下することがわかった。この時の遊離グルコース濃度は0.4mMであった。ビバフロー濃縮膜(Sartorius社製、VIVAFLOW 50, 分子量カットオフ値は10,000ダルトン)とペリスタポンプを用いることによって、遠心ろ過操作をすることなく大容量の抽出液でのグルコースの排除が可能になる。ビバフロー濃縮膜を用いることによっても、アミコンウルトラ膜を利用した場合と同様の性能を保持したコムギ胚芽無細胞タンパク質合成用抽出液を製造することができることが示された。この方法では、抽出液と等容量の基質液で6回濃縮操作のろ過操作をおこなった。その結果、総グルコース濃度は3mMで、このうちの遊離グルコース濃度は0.4mMとなり、アミコンウルトラ膜を利用した場合と同様の性能を保持したコムギ胚芽無細胞タンパク質合成用抽出液を製造することができることが示された。セファデックスG25カラムとビバフロー濃縮膜を用いることによって、更なる単糖類の排除が期待できる。セファデックスG25カラムによってゲルろ過をおこなったS-30画分を、さらにビバフロー濃縮膜を用い上記と同様に6回の濃縮操作をおこなったところ、総グルコース、総アルドヘキソース、アルドペントースに著しい排除効果を確認した。即ち、総グルコース濃度は0.6mMとなり、遊離グルコース濃度は0.3mMとなった。
これらの胚芽抽出物を用いて、実施例1に記載した方法に従って、抽出液の濃度を40 OD260nmとした条件でタンパク質合成を行い、その合成活性を比較した。タンパク質合成活性は、3時間反応後に熱酸不溶画分へ取り込まれた反応液5マイクロリッター当たりの14Cの放射能を計測した。ゲルろ過操作にともなって抽出液中のグルコース濃度が低下し、これと完全に対応して、タンパク質合成活性が上昇し、同時に極めて安定なタンパク質合成反応液を製造することができた。
【0042】
【表1】

【実施例5】
【0043】
ATPの低下に依存するタンパク質合成反応の阻害と不安定化
反応液中に存在するグルコースなどの六炭糖とATP濃度の低下現象との関係について実験的に検証した。すなわち、タンパク質合成反応時におけるグルコース濃度の経時的変化を測定した。6回のアミコンウルトラ膜によるろ過処理の後に残存するグルコース濃度は、タンパク質合成反応時にエネルギー再生系が存在する場合、保温1時間でその大半が代謝される(図3A、○)。一方、エネルギー再生系非存在下(クレアチンキナーゼ非存在下であり、ATPは反応開始時に添加している1.2mMのみ)では、代謝により減少するグルコース量は少ない(図3A、●)。すなわち、(1)グルコース代謝にATPの供給が必須であること、および、(2)図2Aにおけるリン酸化糖の存在から、タンパク質合成反応溶液中のATPの消費に解糖系のリン酸化反応が深く関与しているものと考えられた。
次に、ATP濃度低下とタンパク質合成反応の阻害と不安定化機作の関係を調べる目的で、グルコース存在・非存在下におけるATP濃度の保温経時変化を測定した。実験は、セルロース薄層プレート(アビセル:フナコシから購入)を用いたクロマトグラフィーで、展開溶媒としてはイソ酪酸:0.5Mアンモニア(5:3)を用いた。6回のアミコンウルトラ膜処理した抽出液で調製した合成系を用い、グルコース添加(1mM)あるいは非添加のタンパク質合成反応をおこない、経時的に分取した試料に当量の冷エタノールを加えた後に1万xg遠心で得た上清を薄層プレート上でヌクレオチドを分画した。常法により標準ヌクレオチドを分画マーカーとして、紫外線照射によって可視化できる蛍光スポットからかき取った画分からATPを抽出し、260nmの紫外部吸収値を測定することによって、反応液中のATP濃度の経時変化を求めた。グルコース非添加実験においては、反応とともに、反応液中のATPの濃度低下がみられ(図3B、●大)、反応3時間後には60%程度になった。このATP濃度低下のカイネチクスは、グルコース濃度の低下とよく一致している(図3A、●)。さらにそれらは、図1,2などに示したアミコンウルトラ膜を用いて糖を低減化した抽出液を用いたタンパク質合成反応カイネチクスとよく一致している。データは示していないが、タンパク質合成反応を25 OD260nmの抽出液を用いて行った場合には、反応4時間までATP濃度の低下はほとんどみられず、同時にタンパク質合成反応はほぼ直線的に4時間に至るまで合成が持続した。
図3Bには、グルコースを添加した反応についての結果を示した。市販のD-グルコースを1mM添加した反応においては(内在するグルコースと合わせて、終濃度は1.082mMとなっている)、1時間後には反応液中のほとんどすべてのATPが消費される(図3B、○)が、L-グルコース1mMの添加では、糖の非添加同様に約50%のATPが残っており(図3B、●小)、このようなATP濃度の経時変化もまた、図2Cに示したタンパク質合成反応カイネチクスとよく一致している。データは示していないが、ATPの濃度低下に見合ったAMP/ADP濃度の上昇を薄層クロマトプレート上のスポットとして確認した。これらの結果から、反応液中のグルコースやフルクトースなどの六炭糖がATPの消費の基質として直接的に関与していることがわかった。
【実施例6】
【0044】
タンパク質合成活性に与えるAMP、GMPの影響
通常の無細胞タンパク質合成反応液中に含まれる1.26mM ATPと0.25mM GTPに加えて、高濃度のAMPもしくはGMP、および両者を同時に添加した場合のタンパク質合成活性を測定した。コントロールとして、アミコンウルトラ膜6回のろ過を行って得た抽出物を40 OD260nmの濃度で用いたタンパク質合成を行った(図4、●大)。このタンパク質合成反応に0.5mM AMPと0.25mM GMPを添加しても、タンパク質合成の阻害は見られなかった(図4、●小)。図には示さないが、それぞれ0.5mM AMPあるいは0.25mM GMPの単独の添加によっても、タンパク質合成の阻害はみられなかった。すなわち、タンパク質合成反応阻害は副生産物であるAMPやGMPの系内での蓄積に起因するものではないことが示された。0.5mMのフルクトース、ショ糖、ガラクトースの添加によっても反応後1時間で系内のATP濃度は検出限界以下となった(データは示さない)。これらの結果は、ATP濃度の低下が何らかの機作を介して、タンパク質合成因子を不可逆的に不活性化していることを示唆している。
【図面の簡単な説明】
【0045】
【図1】(A) S-30画分調製にあたって、遠心時に沈殿助剤を添加することの効果を示した図である。○−○は、沈殿助剤を添加せずに得たS-30、●−●(大)は海砂、●−●(小)は抽出液で膨潤させたセファデックスG25粒子を沈殿助剤として添加して得られたS-30によるタンパク質合成活性値である。(B) アミコンウルトラ膜によるろ過によって活性の高い抽出液が得られることを示した図である。●−●は海砂を沈殿助剤として調製したS-30をセファデックスG25にかけた後、アミコンウルトラ膜による6回のろ過を行ったもの、○−○は、アミコンウルトラ膜によるろ過後の試料に濃縮したろ液を当量もどし添加したものによるタンパク質合成活性値である。△−△は、アミコンウルトラ膜によるろ過を行わない抽出液を前保温したもの、□−□はアミコンウルトラ膜によるろ過を行った抽出液を前保温したものによるタンパク質合成活性値である。
【図2】(A) アミコンウルトラ膜によるろ過液中の糖類成分の薄層クロマトグラムを示す。濃硫酸発色スポットを転写したものである。(B) ろ過液中のショ糖、グルコースによるタンパク質合成反応の阻害。分画した図2(A)のショ糖とグルコースを単離し、各々をタンパク質合成反系に添加し、図1に述べた方法で合成阻害作用を調べた。○−○:糖類非添加(対照)、●−●大:グルコース添加、●−●小:ショ糖添加。(C) 標準糖分子種によるタンパク質合成阻害作用を示した図である。終濃度、各0.5mMの、●−●大:L-グルコース、●−●小:フォスフォエノールピルビン酸、●−●中:ピルビン酸、△−△:D-グルコース、□−□:フルクトース、☆−☆:ガラクトース、*−*:ショ糖、▲−▲小:グルコース−6-リン酸、△−△:0.3mMグルコースを添加してタンパク質合成を行った場合の活性値を示した。○−○:糖を添加しない対照実験である。▲−▲大:0.5mM D-グルコース存在下に前保温した細胞抽出液によるタンパク質合成活性値。
【図3】タンパク質合成反応中のグルコースの代謝に伴うATP濃度の低下を示した図である。(A) クレアチンキナーゼ存在下(○−○)、又は非存在下(●−●)におけるグルコース濃度の経時的変化で、反応開始時の濃度は0.082mM(100%)であった。(B) 通常のタンパク質合成反応(クレアチンキナーゼを含む)に伴うATP濃度の変化を示した図である。●−●大:グルコース非添加(通常のタンパク質合成反応)、○−○:市販のD−グルコースを1mM添加、●−●小:非代謝性のL-グルコースを1mM添加した結果を示す。
【図4】AMPおよびGMPはコムギ胚芽無細胞タンパク質合成反応を阻害しないことを示した図である。●−●大:対照実験、●−●小:AMP(0.5mM)およびGMP(0.25mM)添加。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
無細胞タンパク質合成手段に使用する細胞抽出物の調製法であって、細胞由来の翻訳阻害機構を排除することを特徴とする細胞抽出物の調製方法。
【請求項2】
細胞由来の翻訳阻害機構の排除が、ATPを介する糖のリン酸化系の制御によるものである、請求項1に記載の調製方法。
【請求項3】
細胞由来の翻訳阻害機構が、胚芽細胞内因性のタンパク質合成阻害誘導系である請求項1又は2に記載の調製方法。
【請求項4】
細胞抽出物の原料が、混入する胚乳成分および低分子タンパク質合成阻害物質が実質的に除去されたコムギ胚芽抽出物である請求項1〜3に記載のいずれか1の調製方法。
【請求項5】
細胞抽出物の原料が、大腸菌抽出物、ウサギ網状赤血球抽出物、又は昆虫由来細胞抽出物である請求項1又は2に記載の調製方法。
【請求項6】
ATPを介する糖のリン酸化系の制御が、以下から選ばれる少なくとも一の手段の導入である請求項2に記載の調製方法。
1)単糖類の除去、
2)リン酸化糖の除去、
3)多糖類から単糖類の生成の制御、
4)単糖類からリン酸化糖の生成の制御。
【請求項7】
単糖類の除去における単糖類が、六炭糖である請求項6に記載の調製方法。
【請求項8】
リン酸化糖の除去におけるリン酸化糖が、グルコース1リン酸、フルクトース1リン酸、ガラクトース1リン酸、グルコース1,6二リン酸、フルクトース1,6二リン酸、ガラクトース1,6二リン酸から選ばれる少なくとも1である請求項6に記載の調製方法。
【請求項9】
単糖類及び/又はリン酸化糖の除去が、ゲルろ過及び/又は限外ろ過膜による分子量分画排除である請求項6に記載の調製方法。
【請求項10】
ゲルろ過及び/又は限外ろ過膜による分子量分画排除を複数回繰り返すことを特徴とする請求項9に記載の調製方法。
【請求項11】
多糖類から単糖類の生成の制御が、澱粉からグルコースの生成の制御である請求項6に記載の調製方法。
【請求項12】
多糖類から単糖類の生成の制御が、以下から選ばれる少なくとも一の手段の導入である請求項11に記載の調製方法。
1)糖分解酵素の除去又は不活化、
2)多糖類及び/又は小糖類・二糖類の排除、
3)糖分解酵素阻害剤の添加。
【請求項13】
糖分解酵素の除去又は不活化が、糖分解酵素とカルシウムとの複合体を形成させ、該複合体を除去する手段である請求項12に記載の調製方法。
【請求項14】
沈殿助剤として、ベントナイト、活性炭素、シリカゲル、セファデックス、海砂から選ばれる少なくとも1を細胞抽出物に添加して、細胞由来の糖分解酵素を除去する手段を導入することを特徴とする細胞抽出物の調製方法。
【請求項15】
単糖類からリン酸化糖の生成の制御が、以下から選ばれる少なくとも一の手段の導入である請求項6に記載の方法。
1)糖リン酸化酵素の阻害剤の導入、
2)糖リン酸化酵素の除去又は不活化、
3)六炭糖の酵素的分解による糖代謝系経路からの排除、
4)六炭糖の化学的・酵素学的修飾による糖リン酸化酵素反応の阻害、
5)糖類のリン酸化部位にリン酸基が結合できないように、酵素的及び/又は化学的に改変及び/又は修飾されている。
【請求項16】
六炭糖が、グルコースである請求項7に記載の調製方法。
【請求項17】
細胞抽出物濃度が200 OD260nmにおいて、細胞抽出物中のグルコース濃度が10mM以下である請求項16に記載の調製方法。
【請求項18】
細胞抽出物濃度が200 OD260nmにおいて、細胞抽出物中のグルコース濃度が6mM以下である請求項16に記載の調製方法。
【請求項19】
請求項1〜18のいずれか1に記載の調製方法によって調製された無細胞タンパク質合成手段に使用する細胞抽出物。
【請求項20】
無細胞タンパク質合成手段に使用する細胞抽出物であって、ATPを介する糖のリン酸化系が制御されている細胞抽出物。
【請求項21】
ATPを介する糖のリン酸化系の制御が、以下から選ばれる少なくとも一の手段の導入である請求項20に記載の細胞抽出物。
1)実質的にリン酸化糖が除去又は不活化されている、
2)実質的に多糖類、小糖類・二糖類、及び単糖類が除去されている、
3)実質的に糖分解酵素が除去又は不活化されている、
4)糖分解酵素阻害剤が添加されている、
5)実質的にリン酸化酵素が除去又は不活化されている、
6)リン酸化酵素阻害剤が添加されている、
7)糖類のリン酸化部位にリン酸基が結合できないように、酵素的及び/又は化学的に改変及び/又は修飾されている。
【請求項22】
請求項19〜21の何れか一に記載の細胞抽出物による無細胞タンパク質合成方法。
【請求項23】
請求項19〜21の何れか一に記載の細胞抽出物を使用する無細胞タンパク質合成系の利用。
【請求項24】
請求項19〜21の何れか一に記載の細胞抽出物を含む無細胞タンパク質合成系に使用する試薬キット。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【国際公開番号】WO2005/063979
【国際公開日】平成17年7月14日(2005.7.14)
【発行日】平成19年7月19日(2007.7.19)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−516572(P2005−516572)
【国際出願番号】PCT/JP2004/018928
【国際出願日】平成16年12月17日(2004.12.17)
【出願人】(503094117)株式会社セルフリーサイエンス (19)
【Fターム(参考)】