説明

C末端逐次分解反応に由来する塩形成回避法

【課題】微量タンパク質に対しても適用でき、かつ確度の高い内部配列取得技術における反応副産物の効率的除去方法の確立。
【解決手段】解析対象とするペプチド群ないしペプチドが乾燥状態で塗布されているサンプルプレートに対して、C末端逐次分解工程の終了後、含窒素芳香環化合物と水分子を作用させ、アルカン酸と「揮発性塩」を形成させ、得られた「揮発性塩」を、減圧もしくは不活性ガスの送気によりサンプルプレート上から除去する。引き続き、第3アミン化合物と水分子による、加水分解反応工程を実施する際、アルカン酸と第3アミン化合物の「不揮発性塩」形成を抑制する。その結果、質量分析時に置ける高感度、高再現性が確保される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、C末端逐次分解反応ならびに質量分析法を利用して、タンパク質を構成するペプチド鎖のアミノ酸配列を解析する方法において、その解析精度を改善する方法に関する。より具体的には、タンパク質を構成するペプチド、あるいは、タンパク質に由来するペプチド群のアミノ酸配列を、C末端逐次分解反応ならびに質量分析法を利用して解析する際、前記C末端逐次分解反応に使用する試薬相互間での塩形成に起因する解析精度の低下を回避する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析法を利用して、ペプチド群ないしペプチドのアミノ酸配列を解析する手法として、次の二つの手法が知られている。一つは、タンデム質量分析によるMS/MSスペクトルを測定し、ペプチド自体に起因する親イオン種と、そのペプチド鎖の解裂により生成するペプチド断片群に相当する娘イオン種を同時に観測し、アミノ酸配列を解釈する方法である。二つ目は、ペプチド群ないしペプチドを化学的にアミノ酸単位で分解し、アミノ酸一つずつ短縮された一連の反応産物の質量分析を行い、この一連の反応産物の質量差に基づき、アミノ酸配列を解析する方法である。
【0003】
前者のMS/MS法では、ペプチド鎖の解裂は、アミド結合部分で起こり、結果的に、ペプチド鎖中に存在する複数のアミド結合のいずれかで解裂が生じた、一連のペプチド断片に起因する娘イオン種を同時に観測する。この解裂で生成する一連のペプチド断片起因する娘イオン種中には、解裂が生じたアミド結合の位置が一つずつ異なっている、特定の解裂シリーズをなす娘イオン種ピーク群が含まれている。この特定の解裂シリーズをなす娘イオン種ピーク群においては、ピーク間の質量差がアミノ酸残基質量に相当するので、演算によりアミノ酸配列を高い確度で推定することができる。しかしながら、ペプチド鎖の解裂を引き起こす衝撃エネルギー等の制御が難しく、また、アミノ酸配列により、解裂が生じ易い部位と、生じ難い部位が存在する場合もある。加えて、通常、ペプチド鎖に対する衝撃は、一回しか起こらないが、高密度の衝撃条件を選択する際には、生成したペプチド断片がさらに衝撃を受け、さらに、断片化する現象も見出される。結果的に、ペプチド鎖に対して、そのN末端からC末端まで、全てのアミド結合部分において解裂が生じ、一連の解裂シリーズをなす娘イオン種ピーク群が十分な精度(強度)で測定される頻度はあまり高くない。そのため、推定されるアミノ酸配列の確度も、必ずしも高くはない。
【0004】
他の1つの方法は、化学反応を利用して、ペプチド鎖を末端からアミノ酸単位で分解し、アミノ酸一つずつ短縮された一連の反応産物を作製し、その質量分析を行い、この一連の反応産物の質量差に基づき、アミノ酸配列を解析する方法である。ペプチド鎖を末端からアミノ酸単位で分解する代表的な手法は、ペプチド鎖のC末端側から連続的にアミノ酸を切断するC末端アミノ酸逐次分解反応を利用する手法である。例えば、アルカン酸無水物(例えば、無水酢酸)蒸気に、微量のパーフルオロアルカン酸(例えば、トリフルオロ酢酸)蒸気を混入させ、ペプチド鎖のC末端アミノ酸を逐次的に分解する方法が提案されている(非特許文献1参照)。この手法によれば、測定される質量スペクトルの複雑性を除去するため、C末端逐次分解前にペプチド鎖に対して行うアシル化反応(前処理)と、C末端逐次分解後に反応産物に対して行う加水分解処理(後処理)を行うことが有効であることも併せて記載されている。
【0005】
予め乾燥したペプチド鎖に、蒸気として供給されるアルカン酸無水物およびパーフルオロアルカン酸を作用させ、C末端アミノ酸の選択的な分解を行う手法では、下記の二段階の反応が進行する。まず、パーフルオロアルカン酸の存在下、アルカン酸無水物がペプチド鎖のC末端に作用することで、反応式(I)で表記される脱水反応:
【0006】
【化1】

【0007】
により、C末端アミノ酸から反応中間体として、5−オキサゾロン環構造が形成される。次いで、更に、アルカン酸無水物がこの5−オキサゾロン環に作用し、反応式(II)で表記される反応:
【0008】
【化2】

【0009】
が進行し、結果的に、C末端アミノ酸の選択的な分解反応が達成される。その後、C末端に生成している酸無水物構造を利用して、5−オキサゾロン環構造が形成される。
【0010】
上記のC末端アミノ酸の選択的な分解反応は逐次的に進み、所定の処理時間が経過した時点で、元のペプチド鎖に対して、1〜10数アミノ酸残基がそのC末端からそれぞれ除去された一連の反応産物を含む混合物が得られる。この一連の反応産物を含む混合物に対して、質量分析法を適用して、各反応産物に由来するイオン種の質量を測定すると、C末端アミノ酸配列を反映した質量差を示す一連のピークが測定できる。具体的には、各反応産物は、元のペプチド鎖から逐次的なC末端アミノ酸分解反応で生成される結果、例えば、元のペプチド鎖から数アミノ酸残基が除去された反応産物までの、数種の一連の反応産物群に関して、質量分析法を利用することで、対応するイオン種の質量を一括して分析することができ、かかる数アミノ酸残基分のC末端アミノ酸配列を一括して決定できる。
【0011】
また、アミノ酸配列の長いペプチドのC末端アミノ酸を逐次的に分解する際、ペプチド途中におけるペプチド結合の切断など好ましくない副次反応を抑制するために、アミノ酸配列の長いペプチドの乾燥試料に対して、予めN−アシル化処理を施し、アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸少量とを組み合わせた反応試薬を利用し、穏和な条件でC末端アミノ酸の分解を行う。C末端アミノ酸逐次分解反応を終えた後、反応産物のC末端に残余している酸無水物構造、あるいは、オキサゾロン環構造を、第3アミンの存在下、気相から水分子を作用させることで加水分解処理を施し、カルボキシル基(−COOH)とする。さらに、この加水分解処理を施した反応産物に対して、トリプシン消化を行うことにより、質量分析の対象となるペプチド断片の分子量を小さくして、長いペプチド鎖のC末端アミノ酸配列をより簡便に解析する方法についても、本出願人により提案されている(例えば、特許文献1参照)。
【非特許文献1】Miyazaki, K. et al., Proteomics. 4, 15−21 (2004)
【特許文献1】特開2003−279581号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
上記のC末端逐次分解反応ならびに質量分析法を利用する方法は、ペプチド群ないしペプチドのC末端から10アミノ酸残基程度のアミノ酸配列を高い精度で、かつ容易に決定できる汎用性に富む解析方法として有用である。しかしながら、前記加水分解処理の工程において、塩基触媒として利用する第3アミン試薬は、反応産物中に相当量残存するアルカン酸と塩を形成する。このアルカン酸と第3アミンで構成される塩が反応産物中に相当量残余していると、後のMALDI−TOF−MS法による質量分析の際に不可欠となるマトリクスの結晶形成阻害、およびこれに起因するスペクトル不良を引き起こす要因となることが判明した。具体的には、MALDI−TOF−MS分析を行った際、分析対象試料中に、アルカン酸と第3アミンとで構成される塩が相当量に残余していると、目的とする反応産物に由来するピーク強度が極端に低下し、良好な測定結果が得られない場合がある。この現象は、特に、サンプルプレート上において、分析対象試料の調製を行う工程と、その後、そのまま、MALDI−TOF−MS分析を行う工程とを一体化して、自動化・機械化を進める上で問題となる。
【0013】
本発明は、前記の課題を解決するものである。本発明の目的は、アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸少量とを組み合わせた反応試薬を利用して、ペプチド鎖のC末端逐次分解反応を行い、その後、第3アミンと水分子とを組み合わせた反応試薬を利用して、ペプチド鎖のC末端のオキサゾロン環構造を加水分解して、カルボキシル基に変換する後処理工程の操作を行う際、C末端逐次分解反応で使用するアルカン酸無水物に由来するアルカン酸と、第3アミンとで構成される塩の形成を回避する手段を提供することにある。さらには、本発明の目的は、C末端逐次分解反応で使用するアルカン酸無水物に由来するアルカン酸と、第3アミンとで構成される塩の形成を回避する手段を具えた、ペプチドのC末端アミノ酸を逐次的分解して、前記ペプチドに由来する一連の反応産物を調製する手法を利用して、アルカン酸と、第3アミンとで構成される塩の残余に起因する、質量分析用のマトリクス結晶形成障害、あるいは、測定される質量スペクトル上における、一連の反応産物由来のイオンピーク強度の低下などの問題を解消する方法を提供することにある。特には、解析対象のペプチドが、超微量サンプルである場合に、その質量解析に使用するサンプルプレート上において、前記C末端逐次分解反応と、その後処理工程を行う際、アルカン酸と、第3アミンとで構成される塩の残余を回避でき、一連の反応操作の自動化・機械化に適合する質量分析用サンプルの調製方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0014】
通常、C末端逐次分解反応工程では、サンプルプレート上において、アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸少量とを組み合わせた反応試薬を、予めN−アシル化処理を施したペプチドの乾燥試料に作用させ、この工程を終了後、乾燥処理を施す。従って、本発明者は、前記乾燥処理を施した、サンプルプレート上の反応産物の乾燥試料中には、微小な液滴を形成可能な量のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸は残余していないことを確認した。しかしながら、このサンプルプレート上の反応産物の乾燥試料中には、相当量のアルカン酸無水物、微量のパーフルオロアルカン酸、アルカン酸無水物から生成したアルカン酸が吸着していることも確認した。従って、第3アミンと水分子とを組み合わせた反応試薬を利用して、加水分解処理を施す工程中では、残余しているアルカン酸無水物の加水分解も進行し、2分子のアルカン酸に変換される。また、系内には、第3アミンが存在しているため、生成した相当量のアルカン酸、あるいは、微量残余しているパーフルオロアルカン酸は、この第3アミンと速やかに付加塩を形成する。形成された付加塩の融点は高く、沸点も高く、また、熱的にも安定であるため、この加水分解処理工程の加熱温度では、揮発、解離を起こさず、固体状態となって、反応産物の試料中に混入した状態となる。従って、加水分解処理工程を終了し、再び、第3アミンと水分子を蒸散させ、加水分解処理済の反応産物の乾燥試料とする段階では、この反応産物の乾燥試料中に、アルカン酸と第3アミンとで構成される付加塩が相当量混入した状態となることを確認した。
【0015】
加えて、サンプルプレート上において、アルカン酸と第3アミンとで構成される付加塩が相当量共存している状態で、ペプチドの乾燥試料に対して、マトリクス材料を含む溶液を滴下し、乾燥させて、マトリクスの結晶化を行うと、良好な結晶状態のマトリクスが形成されないことを確認した。また、その状態のサンプルを用いて、MALDI−TOF−MS分析を行って、測定された質量スペクトル中において、目的とするペプチドに由来するイオン種ピークの強度と、バックグランドのレベルとを比較すると、所謂、S/N比が低い測定結果となることも確認した。
【0016】
一方、アルカン酸と第3アミンとで構成される付加塩が共存していない状態では、サンプルプレート上において、ペプチドの乾燥試料に対して、マトリクス材料を含む溶液を滴下し、乾燥させて、マトリクスの結晶化を行うと、良好な結晶状態のマトリクスが形成される。また、良好な結晶状態のマトリクスが形成されているサンプルを用いて、MALDI−TOF−MS分析を行うと、目的とするペプチドに由来するイオン種ピークの強度と、バックグランドのレベルとの比、所謂、S/N比が十分に高い測定結果が得られる。
【0017】
以上の知見から、アルカン酸と第3アミンとで構成される付加塩の生成を回避することで、良好な結晶状態のマトリクスの形成が可能となり、良好な結晶状態のマトリクスが形成されているサンプルを用いて、MALDI−TOF−MS分析を行うと、所謂、S/N比が十分に高い良好な測定結果が得られることを見出した。さらに、このアルカン酸と第3アミンとで構成される付加塩の生成を回避する上では、C末端逐次分解反応工程を終了した後、サンプルプレート上、反応産物の乾燥試料中に吸着することで残余している、相当量のアルカン酸無水物、微量のパーフルオロアルカン酸、アルカン酸無水物から生成したアルカン酸を除去することが有効であることに着目した。
【0018】
先ず、この吸着している、相当量のアルカン酸無水物を加水分解し、生成するアルカン酸を「揮発性塩」に変換すると、乾燥状態のペプチドに対する、吸着能が低下することを見出した。すなわち、アルカン酸のカルボキシル基(−COOH)が、塩の形成に使用される結果、乾燥状態のペプチドとの相互作用(例えば、水素結合)を低減でき、吸着能が低下することを見出した。また、微量残留しているパーフルオロアルカン酸に関しても、「揮発性塩」に変換すると、乾燥状態のペプチドに対する、吸着能が低下することを見出した。
【0019】
さらに、本発明者は、C末端逐次分解反応工程を終了した後、サンプルプレート上、反応産物の乾燥試料中に吸着することで残余している、相当量のアルカン酸無水物の加水分解と、同時に、生成するアルカン酸を「揮発性塩」に選択的に変換する手段を探索した。その探索の結果、含窒素芳香環化合物、例えば、ピリジンやその誘導体を利用すると、60℃以下の加熱条件において、塩基触媒として機能する、該含窒素芳香環化合物の存在下、水分子をアルカン酸無水物に作用させると、加水分解が進行することを見出した。また、同時に、該含窒素芳香環化合物の存在下では、生成するアルカン酸は、速やかに、該含窒素芳香環化合物と塩を形成し、形成される塩は、60℃以下の加熱条件において、「揮発」が進行する「揮発性塩」であることも確認した。
【0020】
具体的には、含窒素芳香環化合物とアルカン酸とで構成される「揮発性塩」は、気相中に存在する、含窒素芳香環化合物分子とアルカン酸分子と解離平衡状態となっている。そのため、気相中に存在するアルカン酸分子の分圧を低く抑えると、含窒素芳香環化合物とアルカン酸とで構成される「揮発性塩」固体は、熱的に解離して、アルカン酸分子を気相中に放出する。一方、気相中に蒸気状の含窒素芳香環化合物と水分子を供給している、含窒素芳香環化合物の水溶液は、気相中に存在するアルカン酸分子を吸収し、その液相中(水溶液)において、アルカン酸アニオン種として、溶解し、蓄積していく。すなわち、含窒素芳香環化合物の水溶液が、系内に共存する状態とすることで、気相中に存在するアルカン酸分子の分圧は、実質的に「0」の状態に維持される。その結果、含窒素芳香環化合物とアルカン酸とで構成される「揮発性塩」固体の熱的な解離が持続され、最終的には、相当量のアルカン酸無水物の加水分解、その後、含窒素芳香環化合物との「揮発性塩」を一旦形成したアルカン酸分子は、全て、気相中に放出される。すなわち、一旦、含窒素芳香環化合物とアルカン酸とで構成される「揮発性塩」に変換したのち、この「揮発性塩」が前記の機構を介して、「揮発」される。
【0021】
この蒸気状の含窒素芳香環化合物と水分子を利用し、アルカン酸無水物の加水分解と、生成するアルカン酸分子を「揮発性塩」に変換し、さらに「揮発」させ、除去する工程を設けると、その工程後、サンプルプレート上、反応産物の乾燥試料中には、アルカン酸が存在しない状態とできる。
【0022】
本発明の方法は、上述する蒸気状の含窒素芳香環化合物と水分子を利用し、アルカン酸無水物の加水分解と、生成するアルカン酸分子を「揮発性塩」に変換し、さらに「揮発」させ、除去する「脱塩工程」を利用することで、その後、蒸気状の第3アミンと水分子を利用する「後処理工程」を実施する際、アルカン酸と第3アミンとで構成される不揮発性塩の生成を回避するものである。また、アルカン酸と第3アミンとで構成される不揮発性塩の生成を回避する結果、サンプルプレート上において、反応産物の乾燥試料にマトリクス材料を含む溶液を滴下し、乾燥させて、マトリクスの結晶化を行った際、良好な結晶性を示すものとできる。従って、かかるマトリクスの結晶化によって調製されるサンプルをMALDI−TOF−MS分析を行うと、所謂、S/N比が十分に高い良好な測定結果が高い再現性で得られる。
【0023】
本発明は、上述する一連の知見に基づき、完成されたものである。
【0024】
すなわち、本発明のペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法は、
解析対象とするペプチドを解析する方法であって、
質量分析測定用のサンプルプレート上において、解析対象とする前記ペプチドを、滴下乾燥した後、前記ペプチドのC末端アミノ酸を逐次的分解して、前記ペプチドに由来する一連の反応産物を調製する工程と、
該サンプルプレート上において、前記ペプチドに由来する一連の反応産物の質量スペクトルを、質量分析機を利用して測定する工程と、
測定された質量スペクトルに基づき、前記一連の反応産物の質量を特定し、一連の反応産物間の質量差を用いて、前記ペプチドのC末端アミノ酸配列を特定する工程とを有し、
サンプルプレート上において、前記一連の反応産物を調製する工程は、少なくとも、
ペプチド鎖のC末端アミノ酸を逐次的分解するC末端逐次分解化学反応工程と、
前記C末端逐次分解化学反応工程に先立ち実施される前処理工程と、
前記C末端逐次分解化学反応工程の後に実施される後処理工程と、
前記C末端逐次分解化学反応工程と後処理工程の間に、サンプルプレート上に残余している前記C末端逐次分解化学反応工程で利用する反応試薬を除去する、反応試薬の除去工程とを具え、
前処理工程は、
乾燥雰囲気下、10〜60℃の範囲に選択される温度において、
サンプルプレート上において滴下乾燥されている、解析対象とする前記ペプチドに対して、アルカン酸無水物にアルカン酸を少量添加してなる混合物から発生する、蒸気状のアルカン酸無水物とアルカン酸、あるいは、液滴状のアルカン酸無水物とアルカン酸を接触させて、前記ペプチドのN末端のアミノ基、ならびに該ペプチド鎖中に含有されている可能性のあるリジン残基側鎖のアミノ基にN−アシル化保護を施す工程であり;
C末端逐次分解反応工程は、
乾燥雰囲気下、15〜80℃の範囲に選択される温度において、
サンプルプレート上において、前処理工程によってN−アシル化保護されたペプチドの乾燥試料に対して、アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加してなる混合物から発生する、蒸気状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸、あるいは、液滴状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸を接触させて、該ペプチドのC末端において、
下記する一般式(III):
【0025】
【化3】

【0026】
(式中、R1は、ペプチドのC末端アミノ酸の側鎖を表し、R2は、前記C末端アミノ酸の直前に位置するアミノ酸残基の側鎖を表す)で表記される5−オキサゾロン構造を経て、該5−オキサゾロン環の開裂に伴って、C末端アミノ酸の分解を逐次的に行う工程であり;
反応試薬の除去工程は、
サンプルプレート上において、前記C末端逐次分解反応工程で調製される、ペプチドに由来する一連の反応産物を含む乾燥試料に対して、
該サンプルプレート上に残余する前記アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸とを、減圧または不活性ガスの送気により蒸散させる処理を施し、
次いで、前記乾燥試料に対して、蒸気状の塩基性含窒素芳香環化合物と水分子、あるいは、液滴状の塩基性含窒素芳香環化合物と水分子を接触させて、塩基性含窒素芳香環化合物を触媒として利用し、該サンプルプレート上に残留する未反応の前記アルカン酸無水物を加水分解し、前記加水分解産物であるアルカン酸および前記パーフルオロアルカン酸と該塩基性含窒素芳香環化合物との揮発性の塩を形成させ、減圧または不活性ガスの送気により前記揮発性塩を揮発させ、前記乾燥試料中から除去する工程であり;
後処理工程は、
前記反応試薬の除去工程を施した後、サンプルプレート上において、前記ペプチドに由来する一連の反応産物に対して、蒸気状の第3アミン化合物と水分子、あるいは、液滴状の第3アミン化合物と水分子を接触させて、該一連の反応産物のペプチド鎖のC末端部に形成されている該5−オキサゾロン環を加水分解処理する工程である
ことを特徴とする、ペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法である。
【0027】
その際、
アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸を反応試薬として使用する、C末端逐次分解反応工程;
アルカン酸無水物とアルカン酸を反応試薬として使用する、前処理工程;
含窒素芳香環化合物と水分子を反応試薬として使用する、反応試薬の除去工程;
第3アミン化合物と水分子を反応試薬として使用する、後処理工程の各工程において、
各工程で利用する反応試薬を、蒸気状の反応試薬を気相から供給し、供給される該反応試薬の蒸気の温度よりも、該サンプルプレートの温度を低く設定し、前記サンプルプレート上のペプチドの乾燥試料に対して、蒸気状の反応試薬の吸着を起こさせる、反応試薬の吸着工程と、
各工程で利用する反応試薬を作用させる処理を終了させる時点で、供給される該反応試薬の蒸気の温度よりも、該サンプルプレートの温度を高く設定し、前記サンプルプレート上の該工程の処理済ペプチド試料中に吸着させた前記反応試薬を脱離させる、反応試薬の脱着工程を具えている
ことが好ましい。
【0028】
また、前処理工程において使用される反応試薬である、アルカン酸無水物とアルカン酸の組み合わせは、無水酢酸と酢酸であることが好ましい。
【0029】
C末端逐次分解反応工程において使用される反応試薬である、アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸の組み合わせにおいて、アルカン酸無水物は、無水酢酸であることが好ましい。さらに、前記パーフルオロアルカン酸が、0.3〜2.5の範囲内の酸解離定数(pKa)を有し、炭素数2〜4のパーフルオロアルカン酸であることが好ましい。
【0030】
一方、反応試薬の除去工程で使用される反応試薬中に含まれる、含窒素芳香環化合物は、ピリジンまたはコリジンであることが好ましい。
【0031】
また、後処理工程で使用される反応試薬中に含まれる、第3アミン化合物は、ジメチルアミノエタノールであることが好ましい。
【0032】
特に、本発明の方法においては、前記ペプチドに由来する一連の反応産物の質量スペクトルの測定は、MALDI−TOF型質量分析法により行われることが一般的である。
【発明の効果】
【0033】
本発明の方法では、質量分析測定用のサンプルプレート上において、個々のペプチド鎖のC末端アミノ酸を逐次的分解し、一連の反応産物を調製する工程を実施するので、該サンプルプレート上において、多数の検体を並列的に処理することが可能である。この多数の検体の並列的処理を利用することで、全体として、ハイスループットな解析が行える利点を具えている。加えて、MALDI−TOF型質量分析を適用する際、利用されるマトリクスの結晶化を阻害し、その結果、測定される質量スペクトルの質、例えば、S/N比の低下を引き起こす要因である、C末端逐次分解反応工程後に残留している反応試薬と、後処理工程で利用する試薬の間で形成される不揮発性塩の生成に対して、上記の「反応試薬の除去工程」を設けることで、効果的な回避が可能となっている。すなわち、測定される質量スペクトルの質、例えば、S/N比の低下を高い再現性で回避できる利点は、微量のペプチド・サンプルの解析を行う際にも、良好なS/N比の質量スペクトルの測定結果に基づき、高い確度でC末端アミノ酸配列を解析することを可能とする。
【0034】
さらに、本発明の方法によれば、「反応試薬の除去工程」で利用する「脱塩操作」は、極めて簡便な操作で構成されており、また、その再現性も高いため、サンプルプレート上において、個々のペプチド鎖のC末端アミノ酸を逐次的分解し、一連の反応産物を調製する工程の自動化・機械化を実施する際で、全体の工程の再現性を維持する上でも好適である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0035】
以下に、本発明にかかるペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法について、より詳しく説明する。
【0036】
まず、本発明にかかるペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法は、例えば、各種の酵素タンパク質、各種の受容体タンパク質、各種のペプチド性のリガンド分子、例えば、各種の成長因子等、種々のタンパク質を構成するペプチド鎖のアミノ酸配列を解析する際に利用される。なお、タンパク質を構成するペプチド鎖は、多くの場合、一本のペプチド鎖であるが、例えば、イムノグロブリンや、種々の受容体タンパク質のように、複数のペプチド鎖で構成されている場合もある。
【0037】
本発明にかかるペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法は、タンパク質を構成するペプチド鎖を、それぞれ分離し、また、分離されたペプチド鎖内に存在するCys−Cys結合を解離させ、一本鎖状にされたペプチド鎖に対して適用される。なお、一本鎖状とされたペプチド鎖が、re−foldingして、三次元構造を再構築しないような状態とすることが一般的である。例えば、re−foldingの過程で、鎖内でCys−Cys結合を形成する場合には、このCys−Cys結合の形成を阻害するため、ペプチド鎖中に含まれるCys残基の側鎖に存在するスルファニル基(−SH)に対して、予めアルキル化処理を施す。
【0038】
本発明にかかるペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法を、一本のペプチド鎖で構成されるタンパク質のアミノ酸配列の解析に適用する場合を例にとり、その実施形態の一例を説明する。図1に、前記の形態における、本発明にかかるペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法の全体工程の流れを模式的に表したフローシートを示す。
【0039】
本発明にかかるペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法では、例えば、解析対象のペプチド鎖が、N個のアミノ酸で構成されている際、そのC末端からアミノ酸を逐次的に分解し、(N−1)個のアミノ酸残基からなる反応産物P1、(N−2)個のアミノ酸残基からなる反応産物P2、…、(N−i)個のアミノ酸残基からなる反応産物Pi、…のような、一連の反応産物Pi(i=1,2,…)を作製する。原理的には、解析対象のペプチド鎖が、N個のアミノ酸で構成されている場合、元のペプチド鎖P0と、合計(N−1)種類の反応産物Pi(i=1,2,…,N−1)を作製して、その分子量M(P0)、M(Pi):(i=1,2,…,N−1)を質量分析により測定すると、逐次的に分解されたi番目のアミノ酸残基の式量:ΔMi=M(Pi-1)−M(Pi):(i=1,2,…,N−1)と、N末端のアミノ酸の分子量:ΔMNに相当するM(PN-1)を決定できる。但し、現実的には、解析対象のペプチド鎖を構成するアミノ酸数Nが、例えば、100程度になると、これらの一連の反応産物の全て分析可能な量で作製するには、用いるペプチド量は大量に必要となる。
【0040】
利用できるペプチド量が限れているので、N個のアミノ酸で構成されているペプチド鎖を予め断片化し、1番目のアミノ酸からN1番目のアミノ酸までのフラグメント:F1(1→N1)、(N1+1)番目のアミノ酸からN2番目のアミノ酸までのフラグメント:F2((N1+1)→N2)、…のような複数個のフラグメントを調製し、各フラグメントFi((Ni-1+1)→Ni)のアミノ酸配列の解析を行う手法が利用される。
【0041】
図1に示す全体工程の流れを模式的に示すフローシートは、前記のN個のアミノ酸で構成されているペプチド鎖を予め断片化し、複数個のフラグメントを調製し、各フラグメントFi((Ni-1+1)→Ni)のアミノ酸配列の解析を行う手法に適合するものである。
【0042】
従来の方法では、サンプルプレート上において、ペプチド鎖のC末端逐次分解反応を実施し、得られる一連の反応産物を含む混合物について、質量分析を行う際、その工程は、第1工程:フラクション工程、第2工程:前処理工程、第3工程:C末端逐次分解反応工程、第4工程:後処理工程、第5工程:質量分析工程、第6工程:スペクトル解析工程の6工程で構成されている。先ず、第1工程:フラクション工程において、N個のアミノ酸で構成されているペプチド鎖を予め断片化し、複数個のフラグメントを調製し、各フラグメントFi((Ni-1+1)→Ni)を分取している。その後、各フラグメントFi((Ni-1+1)→Ni)について、第2工程:前処理工程、第3工程:C末端逐次分解反応工程、第4工程:後処理工程を施し、ペプチド鎖のC末端からアミノ酸を逐次的に分解した一連の反応産物を調製している。この第2工程:前処理工程では、各フラグメントのペプチド鎖のN末端アミノ基、ならびに、その鎖中に存在するLys残基の側鎖上に存在するアミノ基に対して、N−アシル化を施している。次の第3工程:C末端逐次分解反応工程では、上述する反応式(I)で表記される脱水反応、ならびに、反応式(II)で表記される反応を介して、ペプチド鎖のC末端からアミノ酸を逐次的に分解して、一連の反応産物を作製する。そして、第3の工程を終えた後、第4工程:後処理工程では、第3工程で作製される一連の反応産物のC末端は、オキサゾロン環構造、あるいは、その前駆体である酸無水物構造となっており、第3アミンの存在下、水分子を作用させ、加水分解を行って、そのC末端にカルボキシル基(−COOH)を有する反応産物としている。
【0043】
第5工程:質量分析工程では、各フラグメントFi((Ni-1+1)→Ni)について、前記第2工程〜第4工程を実施することで調製される、そのC末端にカルボキシル基(−COOH)を有する、一連の反応産物と、元のフラグメントを含む混合物を質量分析して、これらのペプチド鎖に由来するイオン種の分子量(m/z)を測定する。次いで、第6工程:スペクトル解析工程では、質量スペクトル上に見出される、一連の反応産物と、元のフラグメントに由来するイオン種の分子量(m/z)の測定結果に基づき、フラグメントFiのC末端(Ni番目のアミノ酸)から逐次的に分解されたj番目のアミノ酸残基(Ni-j+1番目のアミノ酸残基)の式量:ΔM(Ni-j+1)を算定し、そのアミノ酸の種類を特定する。すなわち、各フラグメントFiについて、そのC末端アミノ酸配列を特定する。
【0044】
上記の第1工程、第2工程、第3工程、第4工程、第5工程および第6工程を具えた解析方法は、本願出願人により先に特許出願され、既に、特開2006−189277号公報として公開されている。この特開2006−189277号公報に開示される内容は、参照により本願明細書中に組み込まれるものとする。
【0045】
一方、本発明の方法では、図1に示すように、第3工程:C末端逐次分解反応工程を終えた後、C末端逐次分解反応で使用される反応試薬を除去する工程(反応試薬の除去工程)を設け、第4工程:後処理工程に移行している。この反応試薬の除去工程において、C末端逐次分解反応で使用される反応試薬の除去がなされている結果、C末端逐次分解反応で使用される反応試薬と、後処理工程で使用される試薬とが反応し、不揮発性の塩を形成する現象の回避がなされている。この反応試薬の除去工程では、サンプルプレート上に残余しているC末端逐次分解反応で使用される反応試薬:アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸に対して、塩基性含窒素芳香環化合物の存在下、水分子を作用させる。その結果、アルカン酸と塩基性含窒素芳香環化合物、あるいはパーフルオロアルカン酸と塩基性含窒素芳香環化合物からなる「揮発性塩」を一旦生成させ、その後、「揮発性塩」を揮発させ、除去する「脱塩工程」としている。
【0046】
従って、この反応試薬の除去工程(「脱塩工程」)を設ける結果、アルカン酸と第3アミン化合物、あるいは、パーフルオロアルカン酸と第3アミン化合物からなる「不揮発性の塩」の生成が回避される。それに伴って、第5工程の質量分析工程において測定される、一連の反応産物の質量スペクトルは、「不揮発性の塩」の残留、混入に起因するS/N比の低下等が見出されず、再現性、測定確度の高いものとなる。
【0047】
本発明の方法は、図1に示すように、全体として、7つの工程で構成するプロセスとすることが好ましい。
【0048】
第1工程:フラクション工程では、解析対象となるタンパク質を、予めプロテアーゼなどで特定のアミノ酸の位置で限定分解して、複数のペプチド断片を調製する。続いて、液体クロマトグラフィーにより、各ペプチド断片を含む、複数のフラクション(画分)を分取得する。得られた各ペプチド断片を含むフラクション(画分)は、その一部を用いて、質量分析測定用のサンプルプレート上に滴下・乾燥する。
【0049】
第2工程:前処理工程では、サンプルプレート上にて、化学的手段によりN−アシル化、O−アシル化を行い、C末端アミノ酸の逐次的分解反応による副反応の抑制処理を施す。第3工程:C末端逐次分解反応工程では、化学的手段により、ペプチド断片のC末端のアミノ酸を逐次的に分解除去して、ペプチド鎖がC末端側から短縮された一連の反応産物を調製する。
【0050】
次に、本発明の方法において、特徴的な工程、「脱塩工程」:反応試薬の除去工程を実施する。この「脱塩工程」では、「揮発性の塩」形成、その後、減圧もしくは不活性ガスの送気による反応系からの該「揮発性塩」の除去を行う。第4工程:後処理工程では、「脱塩工程」後、該サンプルプレート上の一連の反応産物に対して、化学的手段により加水分解反応を行い、O−アシル化保護の加水分解(脱保護)、C末端のオキサゾロン環の加水分解を実施する。
【0051】
第5工程:質量分析工程では、サンプルプレート上に、マトリクスを塗布して、一連の反応産物とともに結晶を形成させ、該一連の反応産物の質量分析を実施する。この際、このC末端アミノ酸の逐次的分解がなされた一連の反応産物を含む試料と、液体クロマトグラフィーによって分取された未反応のペプチド断片との両方を、質量分析法により分子量を測定する。第6工程:スペクトル解析工程では、得られる質量スペクトルから、C末端アミノ酸の逐次的分解に伴う分子量減少を算出し、算出された一連の分子量減少量に基づき、逐次的に分解された一連のアミノ酸を特定する。すなわち、対象のペプチド断片のC末端アミノ酸配列情報を得る。さらに、未反応のペプチド断片の質量分析の際、内部標準ペプチドを混ぜて質量分析を行うことにより、精密測定することが好ましい。未反応のペプチド断片の分子量を基準として、一連の反応産物の質量スペクトルのうち、どのピークに基づき、C末端のアミノ酸配列の解析を進めるべきかの判定を行う。
【0052】
以下、順に、以上の各工程について、その実施の形態を説明する。特に、本発明の方法において、特徴的な「脱塩工程」を設けることの技術的な意義、ならびに、「脱塩工程」において、「揮発性塩」を除去する際に利用されるメカニズムを詳細に説明する。
【0053】
第1工程:フラクション工程
[ペプチド鎖の限定分解と、ペプチド断片の液体クロマトグラフィーによる分取]
本発明が対象とするペプチド鎖は、主に、酵素タンパク質、各種の受容体タンパク質、各種のペプチド性のリガンド分子などを構成するペプチド鎖であるが、特に、これらに限定されるものではない。また、少なくとも、α−アミノ酸残基が通常のペプチド結合で連結されている、一本鎖状のペプチド鎖となるものである限り、その起源に関しても、なんら制限はない。通常、ペプチド鎖を構成するアミノ酸は、天然に存在する20種類のα−アミノ酸であるが、本発明が対象とするペプチド鎖は、上記の一般式(III)で示される5−オキサゾロン構造の形成が可能である限り、天然のα−アミノ酸の光学異性体や、その他の非天然型α−アミノ酸も含んでいてもよい。また、環状ペプチドである際、その環を開裂することで、一本鎖状のペプチド鎖とすることで、本発明の方法を適用することができる。
【0054】
なお、対象とするペプチド鎖が、例えば、隣接するペプチド鎖のシステインとの間で、酸化型の−S−S−結合を形成する、あるいは、同一分子内で−S−S−結合を形成しているシステインを含む場合には、予め常用の還元処理を施し、かかる架橋を解消し、還元型のシステインを含むペプチド鎖に変換する。また、ペプチド鎖中に存在する還元型のシステインに対しては、その側鎖のスルファニル基(−SH)にカルボキシメチル化やピリジルエチル化などを施し、予めその保護を行う。
【0055】
本発明の方法においては、ペプチド鎖を構成する第i番目のアミノ酸残基の種類を、該第i番目のアミノ酸残基の式量:ΔM(Ni)に基づき特定する。その際、例えば、AspとAsn、ならびに、GluとGlnの分子量差は、1であるので、質量分析によって測定されるペプチド鎖に由来するイオン種の分子量:m/zは、少なくとも、その分子量m/zの測定精度は、1より高いことが必要である。その測定精度を達成する上では、質量分析を行う際、実際に測定されるペプチド鎖に由来するイオン種の分子量:m/zは、少なくとも、m/z≦5000の範囲、より好ましくは、m/z≦4000の範囲とすることが望ましい。すなわち、実際に測定されるペプチド鎖の鎖長は、50アミノ酸残基以下、より好ましくは、40アミノ酸残基以下とすることが望ましい。
【0056】
一方、解析対象となるタンパク質を構成するペプチド鎖の鎖長は、多くの場合、50アミノ酸残基を超えているため、そのペプチド鎖を予め切断して、複数個のペプチド断片とした上で、個々のペプチド断片について、そのC末端アミノ酸配列の特定を行う。
【0057】
先ず、解析対象とする一本鎖状のペプチド鎖を断片化して、個々の断片の鎖長が前記の範囲となる、複数のペプチド断片を調製する。このペプチド鎖の断片化処理では、例えば、特定のアミノ酸残基を認識して切断するプロテアーゼなどを利用して、ペプチド鎖を限定分解して、複数のペプチド断片を調製することが好ましい。ペプチド鎖の限定分解に利用されるプロテアーゼとしては、その切断部位が、アミノ酸残基特異的であれば、特に限定されない。なお、特定のアミノ酸残基のカルボキシル基側で切断するプロテアーゼを利用すると、ペプチド鎖の断片化処理を行った際、調製される複数のペプチド断片は、C末端側の断片を除き、残るペプチド断片のC末端には、特定のアミノ酸残基が存在する。その場合、各ペプチド断片のC末端アミノ酸配列を特定した際、該ペプチド断片のC末端には、特定のアミノ酸残基が存在しないものは、唯一つC末端側の断片のみとなるはずである。換言すると、この特徴を利用すると、一本鎖状のペプチド鎖を断片化して調製される、複数のペプチド断片のなかから、C末端側の断片を特定することが可能である。前記の利点を考慮すると、一本鎖状のペプチド鎖を断片化する際、特定のアミノ酸残基のカルボキシル基側で切断するプロテアーゼは、好適に利用できる。
【0058】
例えば、ペプチド鎖中のLysやArgのカルボキシル基側で切断するトリプシンや、Phe、Tyr、Trpといった大きな疎水性の側鎖に特異的なキモトリプシン等の動物由来の消化酵素、さらには、種々の微生物由来のプロテアーゼを使用することができる。微生物由来のプロテアーゼとしては、例えば、黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)V8株から調製されるプロテアーゼV8は、Asp又はGluのカルボキシル基側でペプチド結合を特異的に切断する。マイタケより抽出されるメタルプロテアーゼは、LysおよびArgの一部を認識し、そのアミノ基側のペプチド結合を特異的に切断する。これらのその切断部位が、アミノ酸残基特異的であるプロテアーゼは、第1工程における、ペプチド鎖の断片化処理に利用することができる。
【0059】
なお、理想的には、上記のプロテアーゼを利用する、ペプチド鎖の断片化処理を施すことで、元のペプチド鎖から、各ペプチド断片は、等量的に生成される。すなわち、理想的には、生成される各ペプチド断片のモル量は、元のペプチド鎖のモル量と等しくなっている。この各ペプチド断片を含む混合液中には、断片化処理に使用したプロテアーゼ、ならびに、該プロテアーゼ・タンパク質の自己消化によって生成されるペプチドが混入している。その際、該プロテアーゼ・タンパク質の自己消化によって生成されるペプチドは、予め判明しているので、次段のペプチド断片の分取操作を行う際、目的とする各ペプチド断片との区別は容易に行える。
【0060】
続いて、ペプチド鎖の断片化処理により調製される、複数個のペプチド断片を分取する。ペプチド断片の分取は、通常、液体クロマトグラフィーにより、各ペプチド断片を分離し、個々のペプチド断片を含む画分を分取する。ペプチド断片の分取に利用される「液体クロマトグラフィー」は、液体を移動相とするクロマトグラフィーによる分離手法であり、一般に、固定相カラムを選択することによって、加圧下で操作が可能な高速液体クロマトグラフィー(HPLC)が利用される。一般に、ペプチド断片の分離機構は、分配、吸着、イオン交換、サイズ排除等の種々の機構に分類される。この第1工程において、好適に使用されるカラムは、逆相固定相で分配によって分離され、ペプチド断片試料はより極性の低い固定相に保持され、極性を持つ移動相によって、個々のペプチド断片のカラムに対する親和性の差違に基づき、分離して溶出可能なものである。例えば、ODS(オクタデシルシリル基)を備えるケイ素化合物を分離用担体とする分離カラムを用いることができる。
【0061】
近年、タンパク質を対象とする質量分析法、例えば、エレクトロスプレーイオン化やMALDI−TOF/MSなどの分析システムでは、試料中に含まれる、複数種のタンパク質を「液体クロマトグラフィー」で分離し、その分離されたタンパク質を引き続き、質量分析することが可能な装置構成を具えるものが多い。その用途に適合する質量分析装置に、多くの試料を適切な状態で供給するため、すなわち、ハイスループット分析に適したクロマトグラフィー及び分取システムが開発されている。特に、少量の試料液を対象として、流速が1000μl/分以下のマイクロ液体クロマトグラフィー(マイクロLC)や、流速が1000nl/分以下のナノ液体クロマトグラフィー(ナノLC)が既に実用化されており、本発明における第1工程における、ペプチド断片の分取に適用することができる。特に、ナノLCは、微量サンプルでかつ微少量の点状塗布(スポッティング)が可能であり、本発明の方法において、分取されたペプチド断片を含む溶液複数種を、同一のサンプルプレート上に並列的にスポットする形態を採用する際、個々のスポットに適切な試料量を提供する手段として利用できる。
【0062】
第2工程:前処理工程
[サンプルプレート上における、各ペプチド断片に対するN−アシル化、O−アシル化保護]
上記第1工程で分取される各ペプチド断片を含む画分の溶液を、質量分析測定用のサンプルプレート上に滴下乾燥し、各ペプチド断片の乾燥試料とする。この「質量分析測定用のサンプルプレート」は、MALDI−TOF−MS法による質量分析を行うために、測定対象のペプチドを含む試料をスポッティングし、乾燥した後、マトリクス材料を含む液を滴下し、結晶化したマトリクス中にペプチドが混合したサンプルを調製するプレートである。本発明では、ペプチド断片の乾燥試料に対して、このサンプルプレート上において、前処理工程、C末端逐次分解反応工程、反応試薬の除去工程(脱塩工程)、後処理工程を実施するため、サンプルプレート表面は、これらの各工程で使用される試薬に対して耐性を有する素材で構成する。例えば、その表面に、白金や金メッキによる保護が施されたサンプルプレートを用いることが好ましい。
【0063】
本発明においては、上記第1工程で分取される各ペプチド断片を、同じサンプルプレートの表面に、並列的にスポットした上で、同時にC末端アミノ酸の逐次的分解反応を行い、各スポット点で生成される反応産物について、質量分析を行う形態を採用することが好ましい。すなわち、解析対象のペプチド鎖を断片化することで調製される、複数のペプチド断片に関して、そのC末端アミノ酸配列を、同じサンプルプレート上において、並列的に解析する形態を採用することが好ましい。
【0064】
各ペプチド断片は、反応性の官能基として、ペプチド鎖のN末端にアミノ基(−NH2)に加えて、Lys残基(−NH−CH(CH2CH2CH2CH2NH2)−CO−)の側鎖のアミノ基、また、Ser残基(−NH−CH(CH2OH)−CO−)、Thr残基(−NH−CH(CH(CH3)OH)−CO−)の側鎖のヒドロキシル基(−OH)、Tyr残基(−NH−CH(CH2−C64−OH)−CO−)のフェノール性ヒドロキシル基(−OH)を有する場合がある。第3工程:C末端逐次分解反応工程を行う際、これらの反応性官能基に対して、不要な副次反応が進行することを回避するため、予め、アミノ基に対しては、N−アシル化保護、ヒドロキシル基に対しては、O−アシル化保護を施す。
【0065】
このN−アシル化保護、O−アシル化保護を施す前処理工程では、
サンプルプレート上にスプットされている、ペプチド断片の乾燥試料に対して、乾燥雰囲気下、10℃〜60℃の範囲に選択される温度において、
アルカン酸無水物にアルカン酸を少量添加してなる混合物より供給される、蒸気状のアルカン酸無水物とアルカン酸とを作用させ、
該ペプチド断片のN末端のアミノ基、ならびにLys残基側鎖のアミノ基に対して、N−アシル化を行う方法を採用することができる。その際、第2工程において、N−アシル化保護、O−アシル化保護を施す前処理工程で利用するアルカン酸無水物と、その後、第3工程で実施するC末端アミノ酸の逐次的分解反応で利用するアルカン酸無水物とは、同じアルカン酸無水物を用いることが好ましい。具体的には、N−アシル化保護、O−アシル化保護を施す前処理反応では、アルカン酸無水物とアルカン酸とを蒸気として、ペプチド鎖の乾燥試料に供給して、アシル化反応を進めるため、適正な蒸気圧を得る上では、C末端アミノ酸の逐次的分解工程で利用するアルカン酸無水物と、同じアルカン酸無水物を好適に利用できる。加えて、このアルカン酸無水物は、乾燥雰囲気下、10℃〜60℃の範囲に選択される温度では、ペプチドの切断等の不要な副次反応を引き起こすには、その反応性は十分に低く、前処理工程においては、共存させるアルカン酸は、パーフルオロアルカン酸と比較して、その酸触媒作用は格段に劣るため、不要な副次反応を引き起こすことなく、N−アシル化保護、O−アシル化保護を施すことが可能となる。
【0066】
なお、ペプチド鎖のN末端のアミノ基をN−アシル化保護する際には、ペプチド鎖中に存在するLys残基側鎖のアミノ基に対しても、N−アシル化保護が同時に進行する。さらには、ペプチド鎖中に存在するSer残基ならびにThr残基側鎖のヒドロキシル基においても、O−アシル化反応が進み、その保護がなされる。その他、ペプチド鎖中に存在するTyr残基側鎖のフェノール性ヒドロキシル基も、その反応性は相違するものの、部分的にO−アシル化がなされる。
【0067】
なお、この前処理工程で使用する、アルカン酸無水物とアルカン酸との組み合わせは、不要な副次反応、例えば、ペプチド鎖の途中での切断を生じる懸念はほとんどないものであるが、その反応温度は、10℃〜60℃の範囲に選択される温度、より好ましくは、かかる反応温度は、室温付近、あるいは、室温より僅かに高い範囲内に選択することが好ましい。すなわち、前処理工程の反応温度は、15℃〜50℃の範囲に選択することが好ましい。また、前記アルカン酸無水物にアルカン酸を少量添加してなる混合物中における、アルカン酸の添加比率は、アルカン酸無水物とアルカン酸との合計した体積に対して、2〜10体積%の範囲、具体的には、5体積%に選択することが好ましい。
【0068】
また、アルカン酸無水物と、アルカン酸との組み合わせは、アルカン酸無水物として、該アルカン酸に由来する酸無水物を用いることが好ましい。すなわち、アルカン酸無水物:(RCO)2Oとアルカン酸:R’COOHとの間では、下記のような不均化反応が起こる。
【0069】
(RCO)2O+R’COOH → RCO−O−OCR’+RCOOH
上記N−アシル化、O−アシル化反応で導入されるアシル基は、アルカン酸無水物に由来するアシル基である。その際、前記の不均化反応で生成する、非対称なRCO−O−OCR’が関与すると、アルカン酸に由来するアシル基が導入される。アルカン酸無水物として、該アルカン酸に由来する酸無水物を用いる際には、不均化反応で生成するアルカン酸無水物は、当然、元の対称なアルカン酸無水物と同じとなるので、導入されるアシル基は一種類となる。N−アシル化、O−アシル化反応で導入されるアシル基が二種類となると、質量分析を行った際、その導入されるアシル基の違いに起因して、二つのイオン種が観測される。本発明においては、一連の反応産物に由来するイオン種として、単一のピークであることが好ましいので、N−アシル化、O−アシル化反応で導入されるアシル基が一種類となる反応条件を選択することが好ましい。すなわち、アルカン酸無水物と、アルカン酸との組み合わせは、アルカン酸無水物として、該アルカン酸に由来する酸無水物を用いることが好ましい。
【0070】
さらに、N−アシル化、O−アシル化反応に伴って、下記のように、アルカン酸無水物に由来するアルカン酸が生成する。
【0071】
(RCO)2O+(−NH2) → RCOOH+(−NH−OCR)
従って、ペプチド断片の近傍に存在するアルカン酸の総量(存在確率)が増加する。この酸触媒として機能するアルカン酸の局所的な濃度が極端に増加すると、不要な副次反応、例えば、アミノ基上に、二つのアシル基が導入される現象を引き起こす可能性がある。気相から、蒸気状のアルカン酸無水物とアルカン酸を供給する形態を選択すると、N−アシル化、O−アシル化反応に伴って生成するアルカン酸は、気相中におけるアルカン酸分子の分圧と平衡するように、蒸散する。そのため、アルカン酸の局所的な濃度が極端に増加する現象は抑制される。
【0072】
例えば、液滴状のアルカン酸無水物とアルカン酸を供給する形態を採用する際には、生成するアルカン酸が速やかに蒸散することが可能な状況を維持することが好ましい。例えば、系内に、アルカン酸無水物にアルカン酸を少量添加してなる混合物を配置し、気相中のアルカン酸分子の分圧を制御することで、この液滴中に含まれるアルカン酸の濃度をその分圧と平衡させることが好ましい。
【0073】
前処理工程において、蒸気状のアルカン酸無水物とアルカン酸を供給する形態を選択する際には、供給源である、アルカン酸無水物にアルカン酸を少量添加してなる混合物の温度に対して、当初、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を低く設定して、ペプチド断片の乾燥試料に蒸気状のアルカン酸無水物とアルカン酸を吸着させる、反応試薬の吸着工程を設けることが好ましい。すなわち、この低い温度において、気相中に存在するアルカン酸無水物とアルカン酸と平衡させた後、ペプチド断片の乾燥試料の温度を目的とする反応温度まで上昇させる。この低い温度に保持する間に、蒸気状のアルカン酸無水物とアルカン酸は、ペプチド断片の乾燥試料に吸着されるが、その際、例えば、Arg残基の側鎖上には、下記のような形態でアルカン酸が吸着される。
【0074】
【化4】

【0075】
また、ペプチド鎖のN末端のアミノ基、Lys残基の側鎖上のアミノ基上では、下記のような形態でアルカン酸が吸着される。
【0076】
【化5】

【0077】
例えば、Arg残基の側鎖のウリジル基と、他のペプチド鎖上のAsp残基、Glu残基の側鎖上のカルボキシル基の間で、塩結合が形成する現象を回避することができる。
【0078】
また、Asp残基、Glu残基の側鎖上のカルボキシル基と、アルカン酸無水物:(RCO)2Oとの間で、不均化反応が生じて、非対象な酸無水物構造:−CO−O−OCRが形成され、稀に、他のペプチド鎖のN末端のアミノ基、Lys残基の側鎖上のアミノ基と反応を起こす現象を回避することはできる。
【0079】
この前処理工程の開始時に設ける、吸着操作の際、供給源である、アルカン酸無水物にアルカン酸を少量添加してなる液状混合物の温度に対して、当初、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を、1〜10℃の範囲で低く設定することが好ましい。例えば、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を5℃低く設定する。
【0080】
一方、前処理工程を終了する時点では、供給源である、アルカン酸無水物にアルカン酸を少量添加してなる混合物の温度を下げ、一方、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を相対的に高くなるように設定して、残余している反応試薬を脱離させる、反応試薬の脱着工程を設けることが好ましい。
【0081】
供給源である、アルカン酸無水物にアルカン酸を少量添加してなる混合物の温度を下げると、気相中に存在するアルカン酸無水物とアルカン酸の分圧が低下する。ペプチド断片の乾燥試料に吸着する、アルカン酸無水物とアルカン酸は、気相中に存在するアルカン酸無水物とアルカン酸の分圧と平衡するように、脱離する。その際、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を相対的に高く設定することで、脱離が促進される。
【0082】
なお、この反応試薬の脱着工程では、供給源である、アルカン酸無水物にアルカン酸を少量添加してなる混合物の温度に対して、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を、1〜10℃の範囲で相対的に高く設定することが好ましい。例えば、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を5℃高く設定する。
【0083】
反応試薬の吸着工程、あるいは、反応試薬の脱着工程では、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を独立に調節する必要がある。その際、サンプルプレートの温度調節は、例えば、公知のペルチェ素子等を用いた温度調節機構を利用することで容易に行うことができる。
【0084】
第3工程:C末端逐次分解反応工程
[サンプルプレート上における、N−アシル化、O−アシル化保護済、各ペプチド断片のC末端アミノ酸の逐次的分解反応]
サンプルプレート上で、N−アシル化、O−アシル化保護を施したペプチド断片のC末端アミノ酸を逐次的に分解して、一連の反応産物を含む混合物を調製する。
【0085】
その際に利用される、C末端アミノ酸の逐次的分解方法は、N−アシル化、O−アシル化保護を施したペプチド断片の乾燥試料に対して、アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸少量とを組み合わせた反応試薬を利用し、穏和な条件でC末端アミノ酸の分解を行う方法である。その反応方法は、例えば、本願出願人により先に特許出願され、既に登録されている、特許第3534191号公報に開示されている。この特許第3534191号公報に開示される内容は参照により本願に組み込まれるものとする。
【0086】
ペプチド鎖のC末端アミノ酸を逐次的に分解除去する工程においては、
対象とするペプチド鎖の乾燥試料に対して、乾燥雰囲気下、15℃〜80℃の範囲に選択される温度において、アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加してなる混合物より供給される、蒸気状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸とを作用させる。パーフルオロアルカン酸を触媒として、アルカン酸無水物が作用することで、下記の二段階の反応が進行する。
【0087】
まず、パーフルオロアルカン酸の存在下、アルカン酸無水物がペプチド鎖のC末端に作用することで、反応式(I)で表記される脱水反応:
【0088】
【化6】

【0089】
により、C末端アミノ酸から反応中間体として、5−オキサゾロン環構造が形成される。次いで、更に、アルカン酸無水物がこの5−オキサゾロン環に作用し、反応式(II)で表記される反応:
【0090】
【化7】

【0091】
が進行し、結果的に、C末端アミノ酸の選択的な分解反応が達成される。その後、C末端に生成している酸無水物構造を利用して、5−オキサゾロン環構造が形成される。
【0092】
その際、パーフルオロアルカン酸をプロトン供与体として機能させることで、下記する反応式(Ia):
【0093】
【化8】

【0094】
で示されるケト−エノール互換異性化の過程でエノール型をとる比率を高めている。
【0095】
一方、アルカン酸無水物は、C末端のカルボキシル基(−COOH)を非対称型酸無水物構造へと変換し、活性化を行う。さらに、エノール型において、表出されているヒドロキシル基(−OH)と、C末端の非対称型酸無水物構造(−CO−O−OCR)とが反応する結果、分子内エステル結合が形成され、5−オキサゾロン環が完成される。パーフルオロアルカン酸が示す高いプロトン供与能を利用することで、ケト−エノール互換異性化を促進する結果、かかる反応は、穏和な温度条件で進行でき、反応温度を15℃〜60℃の範囲に選択することが可能となっている。なお、かかる反応温度は、室温付近、あるいは、室温より僅かに高い範囲内に選択することが好ましく、より具体的には、15℃〜50℃の範囲に選択することがより好ましい。
【0096】
一方、本発明にかかるC末端アミノ酸の選択的な分解方法において、利用されるパーフルオロアルカン酸は、そのプロトン供与能を利用するものであり、該パーフルオロアルカン酸の示すpKaは、0.3〜2.5の範囲であるパーフルオロアルカン酸を用いることが好ましい。
【0097】
加えて、蒸気状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸を、乾燥ペプチド試料へ供給する形態を採用する場合、15℃〜80℃の範囲に選択する前記温度において、所望の蒸気圧を得られる揮発性に優れたパーフルオロアルカン酸であることが望ましい。その観点からも、炭素数2〜4のパーフルオロアルカン酸は、より適するものであり、さらには、直鎖状の炭素数2〜4のパーフルオロアルカン酸が、より適するものであり、具体的には、トリフルオロ酢酸(CF3COOH)、ペンタフルオロプロパン酸(CF3CF2COOH)、ヘプタフルオロブタン酸(CF3CF2CF2COOH)を利用することがより望ましい。
【0098】
利用されるアルカン酸無水物は、反応温度まで昇温した際、適正な蒸気圧を生じる限り、種々のものが利用可能である。一方、反応温度を前記する好適な範囲、例えば、15℃〜50℃の範囲に選択する際に、十分な蒸気圧を与えるものが好ましく、従って、炭素数2〜4のアルカン酸の対称型酸無水物を用いることが好ましい。なかでも、前記対称型酸無水物として、炭素数2〜4の直鎖アルカン酸の対称型酸無水物を用いることがより好ましく、特には、炭素数2の直鎖アルカン酸の対称型酸無水物、すなわち、無水酢酸が好適に利用できる。かかるアルカン酸無水物は、C末端カルボキシル基の活性化、5−オキサゾロン環構造の開裂に利用されるため、その際、立体障害を生じることの少ないものが好ましく、その点でも、無水酢酸などがより好適である。
【0099】
また、アルカン酸無水物は、反応の進行に従って、消費されるため、気相から蒸気状アルカン酸無水物として供給することで、消費されたアルカン酸無水物を補いつつ反応を行うことが望ましい。一方、分子内エステル結合が形成され、5−オキサゾロン環が生成される反応においては、アルカン酸無水物に由来するアルカン酸は副生される。その際、気相中には、元々、アルカン酸分子は存在していないため、副生されるアルカン酸は揮発して、気相へ移行する。系内に、蒸気状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸の供給源として、アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加した液状混合物を置くと、気相中のアルカン酸は、この液状混合物中に溶解する。その結果、気相中に存在するアルカン酸分子の分圧は低く抑えられるため、副生されるアルカン酸の揮発は継続する。
【0100】
蒸気状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸の供給源には、利用するアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸の種類によって、例えば、反応温度における、その飽和蒸気圧に応じて、目的とする気相中の分圧比(気相濃度比)を達成できる混合比率の液状混合物を適宜利用する。例えば、前記アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加してなる混合物中における、パーフルオロアルカン酸の含有比率は、アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸との合計体積に対して、1〜20体積%の範囲、より好ましくは、3〜10体積%の範囲に選択することが望ましい。
【0101】
C末端逐次分解反応工程において、蒸気状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸を供給する形態を選択する際には、供給源である、アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加してなる液状混合物の温度に対して、当初、N−アシル化保護済ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を低く設定して、N−アシル化保護済ペプチド断片の乾燥試料に蒸気状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸を吸着させる、反応試薬の吸着工程を設けることが好ましい。
【0102】
このC末端逐次分解反応工程の開始時に設ける、吸着操作の際、供給源である、アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加してなる混合物の温度に対して、当初、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を、1〜10℃の範囲で低く設定することが好ましい。例えば、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を5℃低く設定する。
【0103】
一方、C末端逐次分解反応工程を終了する時点では、供給源である、アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加してなる混合物の温度を下げ、一方、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を相対的に高くなるように設定して、残余している反応試薬を脱離させる、反応試薬の脱着工程を設けることが好ましい。
【0104】
供給源である、アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加してなる混合物の温度を下げると、気相中に存在するアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸の分圧が低下する。ペプチド断片の乾燥試料に吸着する、アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸は、気相中に存在するアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸の分圧と平衡するように、脱離する。その際、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を相対的に高く設定することで、脱離が促進される。
【0105】
なお、この反応試薬の脱着工程では、供給源である、アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加してなる混合物の温度に対して、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を、1〜10℃の範囲で相対的に高く設定することが好ましい。例えば、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を5℃高く設定する。
【0106】
反応試薬の吸着工程、あるいは、反応試薬の脱着工程では、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を独立に調節する必要がある。その際、サンプルプレートの温度調節は、例えば、公知のペルチェ素子等を用いた温度調節機構を利用することで容易に行うことができる。
【0107】
一方、液滴状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸を供給する形態を採用する際には、反応の進行に伴って生成するアルカン酸が速やかに蒸散することが可能な状況を維持することが好ましい。例えば、系内に、アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加してなる液状混合物を配置し、気相中のアルカン酸分子をこの液状混合物中に溶解させる。また、気相中のアルカン酸無水物、パーフルオロアルカン酸の分圧を制御することで、この液滴中に含まれるアルカン酸無水物、パーフルオロアルカン酸の濃度をその分圧と平衡させることが好ましい。
【0108】
「脱塩工程」:反応試薬の除去工程
[サンプルプレート上における、アルカン酸無水物の加水分解と、生成するアルカン酸の「揮発性塩」への変換、「揮発性塩」の揮発除去]
前記のC末端逐次分解反応工程を行うことで、サンプルプレート上のスポット点には、N−アシル化、O−アシル化保護を施したペプチド断片のC末端アミノ酸を逐次的に分解して、一連の反応産物を含む混合物の乾燥試料が生成されている。この一連の反応産物を含む混合物の乾燥試料には、未反応の反応試薬、アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸、ならびに、副生物のアルカン酸は吸着して、残留している。
【0109】
一方、一連の反応産物は、そのペプチド鎖のC末端は、5−オキサゾロン環構造のものと、C末端の非対称型酸無水物構造(−CO−O−OCR)に留まっているものとが混在した状態となっている。さらには、逐次的に分解されたアミノ酸も、含まれている。なお、逐次的に分解されたアミノ酸のカルボキシル基に対しても、アルカン酸無水物による活性化がなされ、相当部分は、非対称型酸無水物構造(−CO−O−OCR)に変換されている。加えて、一連の反応産物のペプチド鎖中に存在する、Asp残基、Glu残基の側鎖のカルボキシル基に対しても、アルカン酸無水物による活性化がなされ、相当部分は、非対称型酸無水物構造(−CO−O−OCR)に変換されている。
【0110】
「脱塩工程」では、まず、サンプルプレート上において、一連の反応産物を含む混合物の乾燥試料に対して、蒸気状の塩基性含窒素芳香環化合物と水分子を接触させて、塩基性含窒素芳香環化合物を触媒として利用し、残留する未反応のアルカン酸無水物を加水分解する。加水分解により生成するアルカン酸は、傍に存在している塩基性含窒素芳香環化合物と、塩を形成する。このアルカン酸と、塩基性含窒素芳香環化合物との塩は、例えば、下記に示すような、該塩基性含窒素芳香環化合物の環上に存在する窒素原子に、アルカン酸のカルボキシル基(−COOH)が配向した形状である。
【0111】
【化9】

【0112】
一連の反応産物中、C末端の非対称型酸無水物構造(−CO−O−OCR)に留まるものも、同様に、加水分解を受ける。また、一連の反応産物のペプチド鎖中に存在する、Asp残基、Glu残基の側鎖のカルボキシル基のうち、非対称型酸無水物構造(−CO−O−OCR)に変換されているものも、同様に加水分解を受ける。さらに、逐次的に分解されたアミノ酸のカルボキシル基のうち、非対称型酸無水物構造(−CO−O−OCR)に変換されているものも、同様に加水分解を受ける。その際、生成するアルカン酸と、塩基性含窒素芳香環化合物とは塩を形成する。
【0113】
一方、加水分解で再生される、一連の反応産物のペプチド鎖のC末端のカルボキシル基、ペプチド鎖中に存在する、Asp残基、Glu残基の側鎖のカルボキシル基も、塩基性含窒素芳香環化合物との塩構造を形成する。また、逐次的に分解されたアミノ酸も、そのカルボキシル基は、塩基性含窒素芳香環化合物との塩構造を形成する。その塩構造は、例えば、下記に示すような構造となっている。
【0114】
【化10】

【0115】
塩基性含窒素芳香環化合物は、弱い塩基であり、また、アルカン酸も弱い酸であるので、アルカン酸と塩基性含窒素芳香環化合物とで構成される塩は、「揮発性塩」となっている。例えば、ピリジン・酢酸塩:C55N:HOOCCH3は、気相中のピリジン分子(C55N)と酢酸分子(CH3COOH)と解離平衡にある。従って、気相中の酢酸分子(CH3COOH)の分圧が低下すると、ピリジン・酢酸塩:C55N:HOOCCH3は、解離し、酢酸分子(CH3COOH)を気相中に放出する。
【0116】
系内に、蒸気状の塩基性含窒素芳香環化合物と水分子の供給源として、塩基性含窒素芳香環化合物の水溶液を存在させると、アルカン酸と塩基性含窒素芳香環化合物とで構成される「揮発性塩」から気相へと放出されるアルカン酸分子は、この塩基性含窒素芳香環化合物の水溶液に吸収される。従って、気相中のアルカン酸分子の分圧は低い状態に保たれるため、アルカン酸と塩基性含窒素芳香環化合物とで構成される「揮発性塩」の解離は継続される。最終的には、サンプルプレート上において、一旦、アルカン酸と塩基性含窒素芳香環化合物とで構成される「揮発性塩」が形成されるが、その後、この解離過程によって、アルカン酸のほぼ全ては、気相へと放出され、塩基性含窒素芳香環化合物の水溶液中に吸収される。
【0117】
また、N−アルカノイルアミノ酸(RCO−NHC(R1)COOH)と塩基性含窒素芳香環化合物とで構成される塩も、同様に、「揮発性塩」となっている。アルカン酸と比較すると、平衡蒸気圧は大幅に低いが、同様の機構を介して、微量なN−アルカノイルアミノ酸(RCO−NH−C(R1)COOH)も、気相へと放出され、塩基性含窒素芳香環化合物の水溶液中に吸収される。一方、そもそも、この「脱塩工程」の温度では、気化することが不可能である、一連の反応産物は、そのカルボキシル基は、塩基性含窒素芳香環化合物との塩を形成した状態に留まっている。
【0118】
従って、この「脱塩工程」を終了した時点では、サンプルプレート上には、アルカン酸無水物、パーフルオロアルカン酸、アルカン酸は実質的に吸着していない状態となっている。
【0119】
「脱塩工程」の温度は、蒸気状の塩基性含窒素芳香環化合物と水分子を作用させることで、アルカン酸無水物の加水分解、ならびに、N−アルカノイルアミノ酸(RCO−NHC(R1)COOH)のカルボキシル基のうち、非対称型酸無水物構造(−CO−O−OCR)に変換されているものの加水分解は速やかに進行するが、5−オキサゾロン環構造中の環内のエステル構造の加水分解は僅かしか進行しない条件を選択する。その温度は、高くとも、80℃以下、例えば、50℃〜70℃の範囲に選択することが好ましい。
【0120】
利用される塩基性含窒素芳香環化合物としては、高い濃度の水溶液を調製可能なものが好ましく、また、室温において、液体であるものが好ましい。従って、単環の含窒素芳香環化合物、例えば、ピリジン(沸点115〜116℃)、γ−コリジン(2,4,6−トリメチルピリジン:沸点:170.5℃、65℃(31mmHg))を利用することが好ましい。
【0121】
「脱塩工程」において、蒸気状の塩基性含窒素芳香環化合物と水分子を供給する形態を選択する際には、供給源である、塩基性含窒素芳香環化合物の水溶液の温度に対して、当初、一連の反応産物を含む混合物の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を低く設定して、乾燥試料に蒸気状の塩基性含窒素芳香環化合物と水分子を吸着させる、反応試薬の吸着工程を設けることが好ましい。
【0122】
この「脱塩工程」の開始時に設ける、吸着操作の際、供給源である、塩基性含窒素芳香環化合物の水溶液の温度に対して、当初、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を、1〜10℃の範囲で低く設定することが好ましい。例えば、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を5℃低く設定する。
【0123】
一方、「脱塩工程」を終了する時点では、供給源である、塩基性含窒素芳香環化合物の水溶液の温度を下げ、一方、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を相対的に高くなるように設定して、残余している反応試薬を脱離させる、反応試薬の脱着工程を設けることが好ましい。
【0124】
供給源である、塩基性含窒素芳香環化合物の水溶液の温度を下げると、気相中に存在する塩基性含窒素芳香環化合物と水分子の分圧が低下する。ペプチド断片の乾燥試料に吸着する、塩基性含窒素芳香環化合物と水分子は、気相中に存在する塩基性含窒素芳香環化合物と水分子の分圧と平衡するように、脱離する。その際、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を相対的に高く設定することで、脱離が促進される。
【0125】
なお、この反応試薬の脱着工程では、供給源である、塩基性含窒素芳香環化合物の水溶液の温度に対して、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を、1〜10℃の範囲で相対的に高く設定することが好ましい。例えば、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を5℃高く設定する。
【0126】
反応試薬の吸着工程、あるいは、反応試薬の脱着工程では、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を独立に調節する必要がある。その際、サンプルプレートの温度調節は、例えば、公知のペルチェ素子等を用いた温度調節機構を利用することで容易に行うことができる。
【0127】
加えて、一旦、アルカン酸と塩基性含窒素芳香環化合物とで構成される「揮発性塩」を形成した後、サンプルプレート上には、加熱しつつ、減圧処理、あるいは、不活性ガスの送気操作を施すことで、熱的に解離し、気相へ放出されるアルカン酸分子を系外に排出することで、「揮発性塩」の「揮発」を促進することができる。この減圧処理、あるいは、不活性ガスの送気操作を施すと、「揮発性塩」を構成しているアルカン酸分子の除去、ならびに、塩基性含窒素芳香環化合物の除去が同時に行える。
【0128】
例えば、ピリジン・酢酸塩は、弱塩基と弱酸との塩の形態であるが、ピチジウムカチオン:C55NH+と、酢酸アニオン:CH3COO-とに電荷分離した状態ではなく、ピリジンの窒素原子に対して、酢酸のカルボキシル基(−COOH)が、水素結合型の分子間結合を形成している形態(複合体)に近い。例えば、ピリジン・塩酸塩:C55N・HClは、この塩結合を維持して、蒸散することが可能であるが、ピリジン・酢酸塩の「揮発」は、前記の複合体を解消して、それぞれの分子が蒸散する形態であると推定される。気相中の酢酸分子の分圧が極めて低く、ピリジンの分圧が相対的に高い状況下では、ピリジン・酢酸塩が「解離」した際、酢酸分子が先ず蒸散し、その後、ピリジン分子が脱着する結果、見かけ上、ピリジン・酢酸塩の「揮発」がなされる。
【0129】
第4工程:後処理工程
[サンプルプレート上における、一連の反応産物のC末端の5−オキサゾロン環の加水分解]
上記の「脱塩工程」を施すことで、アルカン酸無水物、アルカン酸、パーフルオロアルカン酸が実質的に存在しない状態とした上で、一連の反応産物のC末端の5−オキサゾロン環の加水分解を行う。この5−オキサゾロン環の環内のエステル結合の加水分解を行う際、ペプチド鎖中に存在するSer残基、Thr残基の側鎖に存在するヒドロキシル基に施されているO−アシル化保護(エステル結合)の加水分解もなされる。また、ペプチド鎖中に存在するTyr残基の側鎖に存在するフェノール性ヒドロキシル基に施されているO−アシル化保護(エステル結合)の加水分解もなされる。
【0130】
5−オキサゾロン環の環内のエステル結合の加水分解、ならびに、エノール構造(−C(OH)=N−)からケト構造(−CO−NH−)への変換を行うため、蒸気状の第3アミン化合物と水分子を作用させる。すなわち、塩基性含窒素芳香環化合物と比較し、塩基性が格段に高い、第3アミン化合物を利用することで、5−オキサゾロン環の環内のエステル結合の加水分解を速やかに進め、さらに、エノール構造(−C(OH)=N−)からケト構造(−CO−NH−)への変換をも達成できる。
【0131】
なお、塩基性含窒素芳香環化合物、例えば、ピリジンを利用し、100℃程度の高い温度で処理すると、5−オキサゾロン環の環内のエステル結合の加水分解はある程度進行するが、その後、エノール構造(−C(OH)=N−)からケト構造(−CO−NH−)への変換は、効率的には進行しない。一方、ペプチド鎖中に存在するSer残基、Thr残基の側鎖に存在するヒドロキシル基に施されているO−アシル化保護(エステル結合)の加水分解は、塩基性含窒素芳香環化合物、例えば、ピリジンを利用し、100℃程度の高い温度で処理すると、相当の程度進行する。
【0132】
本発明の方法では、「脱塩工程」において、一連の反応産物のモル量と比較して、相対的には、多量に残余しているアルカン酸無水物、ならびに、一連の反応産物のペプチド鎖上に形成されている非対称型酸無水物構造(−CO−O−OCR)を予め加水分解し、生成するアルカン酸を、塩基性含窒素芳香環化合物との「揮発性塩」として、除去している。その後、後処理工程において、蒸気状の第3アミン化合物と水分子を作用させ、O−アシル化保護(エステル結合)の加水分解、ならびに、5−オキサゾロン環の環内のエステル結合の加水分解、および、エノール構造(−C(OH)=N−)からケト構造(−CO−NH−)への変換を行う。その結果、一連の反応産物のペプチド鎖は、そのC末端は、カルボキシル基(−COOH)であり、O−アシル化保護(エステル結合)も除去されたものとなっている。換言すると、一連の反応産物において、そのC末端は、カルボキシル基(−COOH)であり、O−アシル化保護(エステル結合)も除去された主成分以外に、副次的な成分、例えば、そのC末端に5−オキサゾロン環構造を残しているもの、あるいは、O−アシル化保護(エステル結合)が部分的に残っているものなどが存在する比率の低減がなされている。
【0133】
なお、O−アシル化保護(エステル結合)を加水分解する際、アルカン酸が副生するが、その生成量は、一連の反応産物のモル量に比例するものとなっている。また、C末端アミノ酸の逐次的な分解に伴う、副生成物のN−アルカノイルアミノ酸(RCO−NHC(R1)COOH)も、その相当量が残っているが、N−アルカノイルアミノ酸(RCO−NHC(R1)COOH)の量も、本質的に一連の反応産物のモル量に比例するものとなっている。
【0134】
後処理工程では、使用される第3アミン化合物と、O−アシル化保護(エステル結合)の加水分解により副生するアルカン酸とは、「不揮発性の塩」を形成する。また、C末端アミノ酸の逐次的な分解に伴う、副生成物のN−アルカノイルアミノ酸(RCO−NHC(R1)COOH)も、第3アミン化合物と、「不揮発性の塩」を形成する。しかし、これらの「不揮発性の塩」の総量は、一連の反応産物のモル量に比例したものとなっている。これら「内因性」の起源を有する「不揮発性の塩」は、その量は、一連の反応産物のモル量に比例するため、その絶対量は僅かである。
【0135】
それに対して、C末端逐次分解反応工程を終えた時点で、残余する反応試薬、アルカン酸無水物、アルカン酸、パーフルオロアルカン酸の量は、一連の反応産物のモル量に比較して、大過剰な量となっている。仮に、「脱塩工程」を実施せず、第3アミン化合物を使用する後処理工程を実施すると、これら「外因性」の起源を有する、アルカン酸、パーフルオロアルカン酸と第3アミン化合物で構成される「不揮発性の塩」の総量は、一連の反応産物のモル量に比較して、大過剰な量となってしまう。
【0136】
このような「外因性」の起源を有する「不揮発性の塩」が、一連の反応産物のモル量に比較して、大過剰な量混入していると、質量分析時に使用されるマトリクス材料、例えば、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸を用いてマトリクスを作製した際、マトリクスの結晶化を顕著に低下させる要因となる。また、目的とする一連の反応産物に由来するイオン種のピーク強度を顕著に低下させ、例えば、S/N比を顕著に低下させる要因となる。
【0137】
それに対して、「脱塩工程」を予め実施することで、前記の「外因性」の起源を有する「不揮発性の塩」の生成を回避することが可能となっている。すなわち、「内因性」の起源を有する「不揮発性の塩」は混在しているが、その量は、一連の反応産物のモル量に比例するため、その絶対量は僅かであるため、例えば、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸を用いてマトリクスを作製した際、マトリクスの結晶化を低下させる要因とはならない。加えて、目的とする一連の反応産物に由来するイオン種のピーク強度の顕著な低下もなく、例えば、S/N比は十分に高く状態となる。
【0138】
なお、蒸気状の第3アミン化合物と水分子を作用させ、ペプチド鎖のC末端の5−オキサゾロン環構造を元のアミノ酸に変換し、また、O−アシル化保護(エステル結合)の加水分解を行う方法は、例えば、本願出願人により先に特許出願され、既に登録されている、特許第3534191号公報に開示されている。この特許第3534191号公報に開示される内容は参照により本願に組み込まれるものとする。
【0139】
この後処理工程で利用される、第3アミン化合物としては、その水溶液から、蒸気状の第3アミン化合物と水分子を目的とする分圧で供給できることが必要である。例えば、2−(ジメチルアミノ)エタノール(沸点135℃)などを利用することが好ましい。
【0140】
後処理工程において、蒸気状の第3アミン化合物と水分子を供給する形態を選択する際には、供給源である、第3アミン化合物の水溶液の温度に対して、当初、一連の反応産物を含む混合物の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を低く設定して、乾燥試料に蒸気状の第3アミン化合物と水分子を吸着させる、反応試薬の吸着工程を設けることが好ましい。
【0141】
この後処理工程の開始時に設ける、吸着操作の際、供給源である、第3アミン化合物の水溶液の温度に対して、当初、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を、1〜10℃の範囲で低く設定することが好ましい。例えば、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を5℃低く設定する。
【0142】
一方、後処理工程を終了する時点では、供給源である、第3アミン化合物の水溶液の温度を下げ、一方、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を相対的に高くなるように設定して、残余している反応試薬を脱離させる、反応試薬の脱着工程を設けることが好ましい。
【0143】
供給源である、第3アミン化合物の水溶液の温度を下げると、気相中に存在する第3アミン化合物と水分子の分圧が低下する。ペプチド断片の乾燥試料に吸着する、第3アミン化合物と水分子は、気相中に存在する第3アミン化合物と水分子の分圧と平衡するように、脱離する。その際、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を相対的に高く設定することで、脱離が促進される。
【0144】
なお、この反応試薬の脱着工程では、供給源である、第3アミン化合物の水溶液の温度に対して、ペプチド断片の乾燥試料がスポットされているサンプルプレートの温度を、1〜10℃の範囲で相対的に高く設定することが好ましい。例えば、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を5℃高く設定する。
【0145】
反応試薬の吸着工程、あるいは、反応試薬の脱着工程では、供給源の温度に対して、サンプルプレートの温度を独立に調節する必要がある。その際、サンプルプレートの温度調節は、例えば、公知のペルチェ素子等を用いた温度調節機構を利用することで容易に行うことができる。
【0146】
第5工程:質量分析工程
[MALDI−TOF−MS法による、一連の反応産物の質量分析]
上記方法により調製される一連の反応産物を含む混合物を用いて、一連の反応産物の質量分析を行う。特に、本発明では、この一連の反応産物の分子量を同時に測定するため、MALDI−TOF−MS法を適用して、一連の反応産物の質量分析を行うことが好ましい。MALDI−TOF−MS法では、ペプチド・サンプルを結晶マトリクス(例えば、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸:2−シアノ−3−(4−ヒドロキシフェニル)−2−プロヘン酸)中に分散させたサンプルを利用して、レーザ脱着過程を介してイオン化を行い、分析を行う。この測定サンプルにレーザ光を照射すると、レーザ光はマトリクス材料により吸収され、その励起エネルギーを分析対象分子(ペプチド)へと供給して、その脱着を起こさせる。また、このレーザ脱着過程において、ペプチドは、光学的に励起された結晶マトリクスからプロトン(H+)を受けて、イオン化する。典型的には、(M+H)+タイプのイオン種を生ずる。
【0147】
このソフト・レーザ脱着過程を介して、ペプチド由来のイオン種は、気相に移行した後、電場の中で加速されて、ディテクタへと導かれる。サンプルプレート上の結晶マトリクスから脱着した、イオン種が、ディテクタまで飛翔して検出されるまでの飛行時間を測定する。すなわち、イオン化に利用されるパルス状のレーザ光の照射から、ディテクタにおいてイオン種が検出されるまでの時間を、高い精度で測定する。このイオンの飛行時間は、運動量(mv)、質量対電荷比(m/z)の平方根に依存するので、測定された飛行時間から、そのイオン種の質量対電荷比(m/z)を算出することができる。

なお、MALDI−TOF−MS法を適用する質量分析では、結晶マトリクス中に分散されている分子種は、同時にイオン化されるため、一連の反応産物を一括して分析できる。その際、結晶マトリクス中に一連の反応産物以外に分子種が存在していると、相対的に一連の反応産物に由来するイオン種の生成量は低下する。例えば、アルカン酸と第3アミン化合物からなる不揮発性の塩が、多量に含まれていると、一連の反応産物に由来するイオン種の生成量は、大幅に低下する。アルカン酸と第3アミン化合物からなる不揮発性の塩が、多量に残存している際に引き起こされる、一連の反応産物に由来するイオン種のピークにおける、S/N比の大幅な低下には、この現象も関与していると推定される。
【0148】
第6工程:スペクトル解析工程
[一連の反応産物の質量分析結果に基づく、ペプチド断片のC末端アミノ酸配列の解析]
第5工程において、測定された各ペプチド断片から調製された、一連の反応産物に由来するイオン種、例えば、(M+H)+タイプのイオン種の質量(m/z)を測定結果に基づき、各ペプチド断片:フラグメントFiのC末端(Ni番目のアミノ酸)から逐次的に分解されたj番目のアミノ酸残基(Ni-j+1番目のアミノ酸残基)の式量:ΔM(Ni-j+1)を算定し、そのアミノ酸の種類を特定する。
【0149】
なお、ペプチド断片のC末端から逐次的分解された一連のアミノ酸を特定する際に用いられる解析方法は、本願出願人により先に特許出願され、既に、特開2006−189277号公報として公開されている。この特開2006−189277号公報に開示される内容は、参照により本願明細書中に組み込まれるものとする。
【0150】
以下に、具体例を挙げて、本発明をより詳細に説明する。なお、下記の具体例は、本発明の最良の実施形態の一例を示唆するは、本発明の範囲は、かかる具体例により示唆される形態に限定されるものではない。
【0151】
(参考例1)
[サンプルプレート上に吸着している酢酸、無水酢酸に対する、蒸気状のピリジンと水分子を利用する「脱塩操作」による除去効果]
密閉容器中において、60℃に加熱した5%酢酸無水酢酸溶液から蒸発する、蒸気状の酢酸と無水酢酸の雰囲気中に、質量分析用のサンプルプレートを4時間放置する。その間に、該サンプルプレートの表面には、蒸気状の酢酸と無水酢酸が吸着する。その後、この酢酸と無水酢酸の吸着処理を施したサンプルプレートを、前記密閉容器中に保持した状態で、室温(20℃)まで放冷する。
【0152】
次いで、酢酸と無水酢酸の吸着処理を施したサンプルプレートを、同じく密閉容器中において、60℃に加熱した10%ジメチルアミノエタノール水溶液から蒸発する、蒸気状のジメチルアミノエタノールと水分子の雰囲気中に、2時間放置する。その間に、サンプルプレートの表面においては、吸着している酢酸と無水酢酸に対して、蒸気状のジメチルアミノエタノールと水分子が気相から作用する。この蒸気状のジメチルアミノエタノールと水分子を作用させる処理を施した後、サンプルプレートを、前記密閉容器中に保持した状態で、室温(20℃)まで放冷する。
【0153】
なお、前記の蒸気状のジメチルアミノエタノールと水分子を作用させる処理を施す間に、無水酢酸に対して、第3アミン型塩基である、ジメチルアミノエタノールの存在下に、水分子が作用すると、無水酢酸の加水分解が進行し、2分子の酢酸が生成される。従って、前記の加水分解によって、サンプルプレート表面に吸着していた無水酢酸は、系内で酢酸へと変換されると推定される。加えて、酢酸と、第3アミン型塩基である、ジメチルアミノエタノールとは、CH3COOH:N(CH32−CH2CH2−OHで表記できる付加塩を形成することが可能である。酢酸、ジメチルアミノエタノールは、室温では液体であるが、この付加塩化合物の融点は、少なくとも、60℃以上であり、室温では、固体である。
【0154】
前記の二段階の処理を施したサンプルプレートの表面を観察したところ、処理前には清浄であった表面上に、図2Aに示すような、白色の粉体状物質が付着している部位が散見される。この白色の粉体状物質は、前記の二段階の処理を施す間に、サンプルプレートの表面で生成した物質であり、酢酸とジメチルアミノエタノールの塩であると推定される。
【0155】
一方、5%酢酸無水酢酸溶液と10%ジメチルアミノエタノール水溶液を、容積比率1:1で直接混合した混合液を調製する。シャーレ中にこの混合液を採り、別のサンプルプレートを混合液に浸し、その表面に前記混合液の極く薄い被膜を付着させる。この混合液の極く薄い被膜を付着させたサンプルプレートを、真空デシケータ中に入れ、真空ポンプで強制排気することで、前記混合液の極く薄い被膜中に含まれる水分を除去し、乾燥させる。この混合液中には、酢酸(沸点:118℃)、無水酢酸(沸点:140℃)、ジメチルアミノエタノール(沸点:135℃)ならびに水(沸点:100℃)が含まれており、減圧状態に保持する間に、水分が除去され、濃縮される。その際、酢酸とジメチルアミノエタノールとで構成される塩化合物は、蒸散しないため、最終的に白色粉体として、析出し、乾燥状態でサンプルプレートの表面に残留する。前記真空デシケータ中おいて、乾燥処理を終えた後、サンプルプレートの表面を観察したところ、処理前には清浄であった表面上に、図2Bに示すような、白色の粉体状物質が付着している部位が散見される。酢酸(沸点:118℃)、無水酢酸(沸点:140℃)、ジメチルアミノエタノール(沸点:135℃)自体は、何れも、室温(20℃)では液体であり、図2Bに示すような、このサンプルプレートの表面に付着している白色の粉体状物質(固体)は、酢酸とジメチルアミノエタノールとで構成される塩化合物であると推断される。
【0156】
さらに、別のサンプルプレートに対して、下記の三段階の処理を行い、その処理後の表面を観察した。
【0157】
先ず、密閉容器中において、60℃に加熱した5%酢酸無水酢酸溶液から蒸発する、蒸気状の酢酸と無水酢酸の雰囲気中に、質量分析用のサンプルプレートを4時間放置する。その間に、該サンプルプレートの表面には、蒸気状の酢酸と無水酢酸が吸着する。その後、この酢酸と無水酢酸の吸着処理を施したサンプルプレートを、前記密閉容器中に保持した状態で、室温(20℃)まで放冷する。
【0158】
次いで、酢酸と無水酢酸の吸着処理を施したサンプルプレートを、同じく密閉容器中において、60℃に加熱した10%ピリジン水溶液から蒸発する、蒸気状のピリジンと水分子の雰囲気中に、2時間放置する。その間に、サンプルプレートの表面においては、吸着している酢酸と無水酢酸に対して、蒸気状のピリジンと水分子が気相から作用する。この蒸気状のピリジンと水分子を作用させる処理を施した後、サンプルプレートを、前記密閉容器中に保持した状態で、室温(20℃)まで放冷する。
【0159】
なお、前記の蒸気状のピリジンと水分子を作用させる処理を施す間に、無水酢酸に対して、ピリジン塩基の存在下に水分子が作用すると、無水酢酸の加水分解が進行し、2分子の酢酸が生成される。従って、前記の加水分解によって、サンプルプレート表面に吸着していた無水酢酸は、系内で酢酸へと変換されると推定される。
【0160】
なお、ピリジン自体は弱塩基(pKa5.19)であり、酢酸とは、CH3COOH:NC55で表記できる、「揮発性塩」を形成することが可能である。すなわち、CH3COOH:NC55で表記できる「揮発性塩」は、熱的に安定ではなく、酢酸とピリジンに解離して、蒸散することが可能である。従って、一旦、CH3COOH:NC55で表記できる「揮発性塩」が形成されるが、気相中に存在する酢酸分子の分圧が低い場合、この「揮発性塩」は解離し、蒸気状のピリジンと酢酸へと変換される。
【0161】
前記蒸気状のピリジンと水分子を作用させる処理を施したサンプルプレートを、同じく密閉容器中において、60℃に加熱した10%ジメチルアミノエタノール水溶液から蒸発する、蒸気状のジメチルアミノエタノールと水分子の雰囲気中に、4時間放置する。仮に、サンプルプレートの表面に、酢酸、あるいは、CH3COOH:NC55で表記できる「揮発性塩」が吸着しているならば、表面において、酢酸と、第3アミン型塩基である、ジメチルアミノエタノールとは、CH3COOH:N(CH32−CH2CH2−OHで表記できる付加塩が形成される。
【0162】
前記の三段階の処理を施したサンプルプレートの表面を観察したところ、図2Cに示すように、白色の粉体状物質が付着している痕跡は見出されなかった。すなわち、処理前の表面と同様に、清浄な表面を示していた。
【0163】
(参考例2)
[清浄なサンプルプレート表面において作製される、良好な結晶状態を示すマトリクス]
ペプチドのMALDI−TOF法による質量分析の際、そのマトリクスとして多用される、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)を、0.1%トリフルオロ酢酸、50%アセトニトリル水溶液中に溶解した溶液(10mg/mL)を、よく洗浄したサンプルプレート上に1〜2μL滴下し、風乾させ結晶化を行った。前記の条件は、良好な結晶状態を得るための条件として、広く利用されている。図3Aに、この典型的なCHCAの結晶化条件を用いて得られた、良好な結晶状態を示すマトリクスを観察した結果を示す。
【0164】
さらに、よく洗浄したサンプルプレート上に、Asp−Arg−Val−Tyr−Ile−His−Pro−Phe−His−Leuのアミノ酸配列からなるペプチド、ヒト・アンジオテンシン Iを含む標準ペプチド溶液(2pmol/μL)を1μL滴下し、乾燥した。その乾燥試料上に、上記のα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)溶液を1〜2μL滴下し、風乾させ結晶化を行って、該ペプチドが良好な結晶状態を示すマトリクス中に均一に混合されている試料を調製した。この試料について、MALDI−TOF法による質量スペクトルを測定した結果を、図3Bに示す。この測定された質量スペクトル上には、M/Z=1296.7の位置に主イオン種ピークが観測されている。また、測定された質量スペクトルにおいて、バックグランドのレベルは、十分に低く抑えられており、所謂、S/N比は十分に高い良好な測定結果となっている。
【0165】
(参考例3)
[サンプルプレート上に吸着している酢酸、無水酢酸に対する、蒸気状のピリジンと水分子を利用する「脱塩操作」による除去に伴う、良好な結晶状態を示すマトリクスの形成]
前記参考例1に記載する、二段階の処理を施した結果、その表面に白色の粉体状物質の付着が見出されるサンプルプレート上に、上記のα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)溶液を1〜2μL滴下し、風乾して、マトリクスを作製した。得られたマトリクスの結晶状態を観察した結果を、図4Aに示す。図3Aに示す良好な結晶状態を示すマトリクスと比較して、図4Aに示すマトリクスは、粒が大きく、その結晶状態は理想的な状態とは異なっている。
【0166】
参考例1に記載する、二段階の処理を施した結果、その表面に白色の粉体状物質の付着が見出されるサンプルプレート上に、ヒト・アンジオテンシン Iを含む標準ペプチド溶液(2pmol/μL)を1μL滴下し、乾燥した。その乾燥試料上に、上記のα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)溶液を1〜2μL滴下し、風乾させ結晶化を行って、該ペプチドがマトリクス中に混合されている試料を調製した。この試料について、MALDI−TOF法による質量スペクトルを測定した結果を、図4Bに示す。測定された質量スペクトルにおいて、M/Z=1296.7の位置に存在する主イオン種ピークの強度と、バックグランドのレベルを比較すると、所謂、S/N比は低い測定結果となっている。すなわち、バックグランドのレベルに対して、M/Z=1296.7の位置に存在する主イオン種ピークの強度が相対的に弱くなっている。
【0167】
さらに、参考例1に記載する、三段階の処理を施した結果、その表面に白色の粉体状物質の付着が見出されていないサンプルプレート上に、上記のα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)溶液を1〜2μL滴下し、風乾して、マトリクスを作製した。得られたマトリクスの結晶状態を観察した結果を、図5Aに示す。図3Aに示す良好な結晶状態を示すマトリクスと比較して、図5Aに示すマトリクスは、粒は同程度であり、その結晶状態は、図3Aに示す良好な結晶状態と遜色のないものであった。
【0168】
参考例1に記載する、三段階の処理を施した結果、その表面に白色の粉体状物質の付着が見出されていないサンプルプレート上に、ヒト・アンジオテンシン Iを含む標準ペプチド溶液(2pmol/μL)を1μL滴下し、乾燥した。その乾燥試料上に、上記のα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)溶液を1〜2μL滴下し、風乾させ結晶化を行って、該ペプチドがマトリクス中に混合されている試料を調製した。この試料について、MALDI−TOF法による質量スペクトルを測定した結果を、図5Bに示す。測定された質量スペクトルにおいて、M/Z=1296.7の位置に存在する主イオン種ピークの強度と、バックグランドのレベルを比較すると、所謂、S/N比は十分に高い測定結果となっている。図3Bに示す質量スペクトルと比較して、図5Bに示す質量スペクトルにおける、バックグランドのレベルは、同程度に抑えられている。
【0169】
すなわち、サンプルプレートの表面に酢酸と無水酢酸の吸着処理を施した後、蒸気状のピリジンと水分子を作用させる処理を施すことにより、表面に吸着していた無水酢酸は、加水分解され、酢酸となる。その際、加水分解で生成した酢酸、ならびに、当初から吸着していた酢酸とは、ピリジンと「揮発性塩」を構成し、この処理の間に、加熱によって、「揮発」する。その結果、サンプルプレートの表面には、酢酸、あるいは、酢酸とピリジンとからなる「揮発性塩」が実質的に残余していない状態とできる。従って、その後、蒸気状のジメチルアミノエタノールと水分子の雰囲気中に保持しても、サンプルプレートの表面で、第3アミン型塩基である、ジメチルアミノエタノールと酢酸とからなる付加塩が生成し、残留することは無くなっている。
【産業上の利用可能性】
【0170】
本発明にかかるペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法は、解析対象のペプチドが、超微量サンプルである場合に、そのC末端アミノ酸配列の解析に用いる分析サンプルの調製を質量分析用のサンプルプレート上で行い、その後、質量スペクトルの測定を行う、サンプル調製と測定の自動化、機械化を行う際、好適な解析方法として利用可能である。
【図面の簡単な説明】
【0171】
【図1】本発明にかかるペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法を構成する全体工程を模式的に示す図である。C末端逐次分解反応工程と、その後に実施される後処理工程との間に、C末端逐次分解反応工程で利用される反応試薬をより効率的に除去するため、予め、脱着処理を施し、さらに、僅かに残余する反応試薬:アルカン酸無水物、該アルカン酸無水物由来のアルカン酸、パーフルオロアルカン酸を、塩基性含窒素芳香環化合物と揮発性塩に変換した後、該揮発性塩を揮発、除去する「脱塩処理」の工程を設けている。
【図2】5%酢酸無水酢酸溶液と10%ジメチルアミノエタノール水溶液の1:1の混合液の被膜で覆われたサンプルプレートを乾燥する結果、その表面に析出・付着する白色の粉体状物質の観察結果(図2A);蒸気状の酢酸と無水酢酸の雰囲気中に保持し、その表面に酢酸と無水酢酸を吸着する処理を施したサンプルプレートを、その後、蒸気状のジメチルアミノエタノールと水分子の雰囲気中で処理した際、乾燥後、サンプルプレートの表面に付着残余する白色の粉体状物質の観察結果(図2B);酢酸と無水酢酸を吸着する処理を施した後、蒸気状のピリジンと水分子を作用させる処理を施すことにより、表面に吸着していた無水酢酸を加水分解し、酢酸とピリジンとで構成される「揮発性塩」とした上で、揮発させ、除去する工程を設けることで、さらに、蒸気状のジメチルアミノエタノールと水分子の雰囲気中で処理した際、乾燥後、サンプルプレートの表面に、白色の粉体状物質の生成・付着を回避した表面の観察結果(図2C)を、対比して示す図である。
【図3−1】清浄なサンプルプレートの表面において作製された、良好な結晶状態を示す、MALDI−TOF法による質量分析用のマトリクスの観察結果(図3A);清浄なサンプルプレートの表面において、ヒト・アンジオテンシン Iの乾燥試料と、良好な結晶状態を示すマトリクスを用いて調製したサンプルを用いて測定された、MALDI−TOF法による質量スペクトル(図3B)を示す図である。
【図3−2】図3Bに示すMALDI−TOF法による質量スペクトルを詳細に示す図である。
【図4−1】その表面に酢酸と無水酢酸を吸着する処理を施し、その後、蒸気状のジメチルアミノエタノールと水分子の雰囲気中で処理することで、乾燥後、表面に白色の粉体状物質の付着残余が生じているサンプルプレートの表面において、調製されたマトリクスの結晶状態の観察結果(図4A);前記表面に白色の粉体状物質の付着残余が生じているサンプルプレートの表面において、ヒト・アンジオテンシン Iの乾燥試料と、マトリクスを用いて調製したサンプルを用いて測定された、MALDI−TOF法による質量スペクトル(図4B)を示す図である。
【図4−2】図4Bに示すMALDI−TOF法による質量スペクトルを詳細に示す図である。
【図5−1】酢酸と無水酢酸を吸着する処理を施した後、蒸気状のピリジンと水分子を作用させる処理を施すことにより、表面に吸着していた無水酢酸を加水分解し、酢酸とピリジンとで構成される「揮発性塩」とした上で、揮発させ、除去する工程を設けることで、さらに、蒸気状のジメチルアミノエタノールと水分子の雰囲気中で処理した際、乾燥後、サンプルプレートの表面に、白色の粉体状物質の生成・付着を回避したサンプルプレートの表面において、調製されたマトリクスの結晶状態の観察結果(図5A);前記表面に白色の粉体状物質の付着残余が回避されているサンプルプレートの表面において、ヒト・アンジオテンシン Iの乾燥試料と、マトリクスを用いて調製したサンプルを用いて測定された、MALDI−TOF法による質量スペクトル(図5B)を示す図である。
【図5−2】図5Bに示すMALDI−TOF法による質量スペクトルを詳細に示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
解析対象とするペプチドを解析する方法であって、
質量分析測定用のサンプルプレート上において、解析対象とする前記ペプチドを、滴下乾燥した後、前記ペプチドのC末端アミノ酸を逐次的分解して、前記ペプチドに由来する一連の反応産物を調製する工程と、
該サンプルプレート上において、前記ペプチドに由来する一連の反応産物の質量スペクトルを、質量分析機を利用して測定する工程と、
測定された質量スペクトルに基づき、前記一連の反応産物の質量を特定し、一連の反応産物間の質量差を用いて、前記ペプチドのC末端アミノ酸配列を特定する工程とを有し、
サンプルプレート上において、前記一連の反応産物を調製する工程は、少なくとも、
ペプチド鎖のC末端アミノ酸を逐次的分解するC末端逐次分解化学反応工程と、
前記C末端逐次分解化学反応工程に先立ち実施される前処理工程と、
前記C末端逐次分解化学反応工程の後に実施される後処理工程と、
前記C末端逐次分解化学反応工程と後処理工程の間に、サンプルプレート上に残余している前記C末端逐次分解化学反応工程で利用する反応試薬を除去する、反応試薬の除去工程とを具え、
前処理工程は、
乾燥雰囲気下、10〜60℃の範囲に選択される温度において、
サンプルプレート上において滴下乾燥されている、解析対象とする前記ペプチドに対して、アルカン酸無水物にアルカン酸を少量添加してなる混合物から発生する、蒸気状のアルカン酸無水物とアルカン酸、あるいは、液滴状のアルカン酸無水物とアルカン酸を接触させて、前記ペプチドのN末端のアミノ基、ならびに該ペプチド鎖中に含有されている可能性のあるリジン残基側鎖のアミノ基にN−アシル化保護を施す工程であり;
C末端逐次分解反応工程は、
乾燥雰囲気下、15〜80℃の範囲に選択される温度において、
サンプルプレート上において、前処理工程によってN−アシル化保護されたペプチドの乾燥試料に対して、アルカン酸無水物にパーフルオロアルカン酸を少量添加してなる混合物から発生する、蒸気状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸、あるいは、液滴状のアルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸を接触させて、該ペプチドのC末端において、
下記する一般式(III):
【化1】

(式中、R1は、ペプチドのC末端アミノ酸の側鎖を表し、R2は、前記C末端アミノ酸の直前に位置するアミノ酸残基の側鎖を表す)で表記される5−オキサゾロン構造を経て、該5−オキサゾロン環の開裂に伴って、C末端アミノ酸の分解を逐次的に行う工程であり;
反応試薬の除去工程は、
サンプルプレート上において、前記C末端逐次分解反応工程で調製される、ペプチドに由来する一連の反応産物を含む乾燥試料に対して、
該サンプルプレート上に残余する前記アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸とを、減圧または不活性ガスの送気により蒸散させる処理を施し、
次いで、前記乾燥試料に対して、蒸気状の塩基性含窒素芳香環化合物と水分子、あるいは、液滴状の塩基性含窒素芳香環化合物と水分子を接触させて、塩基性含窒素芳香環化合物を触媒として利用し、該サンプルプレート上に残留する未反応の前記アルカン酸無水物を加水分解し、前記加水分解産物であるアルカン酸および前記パーフルオロアルカン酸と該塩基性含窒素芳香環化合物との揮発性の塩を形成させ、減圧または不活性ガスの送気により前記揮発性塩を揮発させ、前記乾燥試料中から除去する工程であり;
後処理工程は、
前記反応試薬の除去工程を施した後、サンプルプレート上において、前記ペプチドに由来する一連の反応産物に対して、蒸気状の第3アミン化合物と水分子、あるいは、液滴状の第3アミン化合物と水分子を接触させて、該一連の反応産物のペプチド鎖のC末端部に形成されている該5−オキサゾロン環を加水分解処理する工程である
ことを特徴とする、ペプチドのC末端アミノ酸配列の解析方法。
【請求項2】
アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸を反応試薬として使用する、C末端逐次分解反応工程;
アルカン酸無水物とアルカン酸を反応試薬として使用する、前処理工程;
含窒素芳香環化合物と水分子を反応試薬として使用する、反応試薬の除去工程;
第3アミン化合物と水分子を反応試薬として使用する、後処理工程の各工程において、
各工程で利用する反応試薬を、蒸気状の反応試薬を気相から供給し、供給される該反応試薬の蒸気の温度よりも、該サンプルプレートの温度を低く設定し、前記サンプルプレート上のペプチドの乾燥試料に対して、蒸気状の反応試薬の吸着を起こさせる、反応試薬の吸着工程と、
各工程で利用する反応試薬を作用させる処理を終了させる時点で、供給される該反応試薬の蒸気の温度よりも、該サンプルプレートの温度を高く設定し、前記サンプルプレート上の該工程の処理済ペプチド試料中に吸着させた前記反応試薬を脱離させる、反応試薬の脱着工程を具えている
ことを特徴とする請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前処理工程において使用される反応試薬である、アルカン酸無水物とアルカン酸の組み合わせは、無水酢酸と酢酸である
ことを特徴とする請求項1または2に記載の方法。
【請求項4】
C末端逐次分解反応工程において使用される反応試薬である、アルカン酸無水物とパーフルオロアルカン酸の組み合わせにおいて、アルカン酸無水物は、無水酢酸である
ことを特徴とする請求項1または2に記載の方法。
【請求項5】
前記パーフルオロアルカン酸が、0.3〜2.5の範囲内の酸解離定数(pKa)を有し、炭素数2〜4のパーフルオロアルカン酸である
ことを特徴とする請求項1〜4のいずれか一項に記載の方法。
【請求項6】
反応試薬の除去工程で使用される反応試薬中に含まれる、含窒素芳香環化合物は、ピリジンまたはコリジンである
ことを特徴とする請求項1〜5のいずれか一項に記載の方法。
【請求項7】
後処理工程で使用される反応試薬中に含まれる、第3アミン化合物は、ジメチルアミノエタノールである
ことを特徴とする請求項1〜6のいずれか一項に記載の方法。
【請求項8】
前記ペプチドに由来する一連の反応産物の質量スペクトルの測定は、MALDI−TOF型質量分析法により行われる
ことを特徴とする請求項1〜7のいずれか一項に記載の方法。

【図1】
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【図2】
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【図3−1】
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【図3−2】
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【図4−1】
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【図4−2】
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【図5−1】
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【図5−2】
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【公開番号】特開2008−232915(P2008−232915A)
【公開日】平成20年10月2日(2008.10.2)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−74873(P2007−74873)
【出願日】平成19年3月22日(2007.3.22)
【出願人】(000004237)日本電気株式会社 (19,353)
【Fターム(参考)】