説明

CE/MSによる陰イオン性化合物の定量分析法

【課題】 糖リン酸、有機酸、ヌクレオチド、CoA化合物などの幅広い陰イオン性化合物の一斉分析を、より安価かつ安定して行うことが可能な分析系を提供すること。
【解決手段】 本発明は、キャピラリー電気泳動と質量分析とを組み合わせて陰イオン性化合物を分離分析する方法を提供し、該方法は、泳動液で満たされたキャピラリーの泳動液の入口側を陽極および出口側を陰極となるように設定し、該キャピラリーに電圧を印加して陰イオン性化合物を含む試料を電気泳動する工程であって、該電圧の印加により発生する電気浸透流の移動度の絶対値が、該試料中の少なくとも1種の陰イオン性化合物の電気泳動移動度の絶対値を上回るような条件で該電気泳動を行う、工程;および、該キャピラリーの出口まで泳動された該試料中の陰イオン性化合物を質量分析する工程;を含む。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、キャピラリー電気泳動と質量分析とを組み合わせたキャピラリー電気泳動/質量分析装置(CE/MS)およびこの装置を用いる陰イオン性化合物の分離分析方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、キャピラリー電気泳動と質量分析とを組み合わせた、高感度かつ高選択性を有するキャピラリー電気泳動/質量分析装置(CE/MS)を用いたイオン性化合物の分析法が開発されている。この手法の優位性は、キャピラリー電気泳動(CE)については迅速な分析を可能にし、非常に高い分離能を有する点、および質量分析(MS)については非常に高い選択性と感度を有する点が挙げられる。この優れた分析手法により、カルボン酸、フェノール性化合物、アミノ酸などの分析例が報告されている。そして近年、CE/MSを用いたアニオン分析系が確立され、解糖系、ペントースリン酸回路、TCA回路、およびカルビン・ベンソン回路中間体の分離・検出が可能となった(非特許文献1)。
【0003】
図1Aに示すように、通常のフューズドシリカキャピラリーを用いた電気泳動では、キャピラリー内表面がシラノール基の解離によって負電荷を帯びている。したがって、キャピラリー中の泳動液に含まれている電解質はキャピラリーとの界面が正電荷を帯び、電気浸透流(EOF)は陽極(アノード)から陰極(カソード)に向かう。さらに、CE/MSにおいては、質量分析装置(MS)に接続した側のキャピラリーの先端を、電解質を含む泳動液に浸すことができない。これらの理由により、泳動液を入れたバイアル側を陰極およびMS側を陽極とした場合には、EOFがバイアル側に向かうため、MS側のキャピラリー先端に空洞が生じる。そのため、CEの電流が流れなくなり、泳動が中断される(図1A参照)。
【0004】
CEの電流が流れなくなる現象を防ぐために、SMILEキャピラリーを使用して、EOFを反転させる方法が開発されている(特許文献1)。SMILEキャピラリーは、キャピラリー内表面が陽イオン性化合物によってコーティングされているので、キャピラリー内壁が正に荷電し、EOFを陰極から陽極へと反転させることが可能である(図1B参照)。これにより、解糖系、TCA回路、およびペントースリン酸回路の中間体などの種々の陰イオン性化合物を連続的かつ安定に一斉分析することが可能となった。
【0005】
しかし、このSMILEキャピラリーは高価である上、非常に耐久性が低く、ルーチンワークに適さない。また、リブロース5−リン酸とリボース5−リン酸、あるいはグルコース1−リン酸、グルコース6−リン酸、フルクトース6−リン酸などの異性体の分離が不完全であり、定量分析が困難である。さらに、SMILEキャピラリーを用いた分析系では、一部のヌクレオチドやCoA類などの多価陰イオンは、SMILEキャピラリー内表面に吸着するため、検出することができない。
【0006】
そこで、中性ポリマー(ポリ(ジメチルシロキサン))で内表面をコーティングしたキャピラリー(DB−1)を用い、さらにキャピラリーの入口をエアーポンプで加圧することにより、一定流量の液体を質量分析計側に送り込む方法も開発されている(非特許文献2)。この方法によれば、ヌクレオチド類、ニコチンアミド補酵素類、CoA類などの一斉分析が可能である。しかし、この方法では、糖リン酸の異性体を分離することができず、ヌクレオチド類の分離も充分とはいえない。したがって、同一移動時間に多数の化合物が同時溶出し、イオン化サプレッションによるMSの定量性の低下が懸念される。
【特許文献1】特開2003−35698号公報
【非特許文献1】Soga T.ら、「Anal.Chem.」,2002年,74巻,pp.2233−2239
【非特許文献2】Soga T.ら、「Anal.Chem.」,2002年,74巻,pp.6224−6229
【非特許文献3】「キャピラリー電気泳動の基礎と実際」,本田 進および寺部 茂編,1988年,講談社サイエンティフィク
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は、糖リン酸、有機酸、ヌクレオチド、CoA化合物などの幅広い陰イオン性化合物の一斉分析を、より安価かつ安定して行うことが可能な分析系を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
CE/MSにおいて、分析対象イオンのみかけの移動度は、EOF移動度と電気泳動移動度とのベクトル和で表すことができる。一般的に、これらの値は、陽極から陰極に向かう方向を正とする。陽イオン性化合物を対象としたCE/MS分析系、すなわち、泳動液を入れたバイアル側を陽極およびMS側を陰極とした系では、EOF移動度と電気泳動移動度とはいずれも正であるため、分析の途中で電流が流れなくなるという現象はほとんど見られず、安定して分析を行うことができる。そこで、本発明者らは、このような極性で陰イオン性化合物を分析できるか否かの検討を行ったところ、EOF移動度の絶対値を電気泳動移動度の絶対値よりも大きくして、分析対象イオンのみかけの移動度を正にすることにより、安定な陰イオン性化合物の分析系を確立した。
【0009】
すなわち、本発明は、キャピラリー電気泳動と質量分析とを組み合わせて陰イオン性化合物を分離分析する方法を提供し、該方法は、
泳動液で満たされたキャピラリーの泳動液の入口側を陽極および出口側を陰極となるように設定し、該キャピラリーに電圧を印加して陰イオン性化合物を含む試料を電気泳動する工程であって、該電圧の印加により発生する電気浸透流の移動度の絶対値が、該試料中の少なくとも1種の陰イオン性化合物の電気泳動移動度の絶対値を上回るような条件で該電気泳動を行う、工程;および
該キャピラリーの出口まで泳動された該試料中の陰イオン性化合物を質量分析する工程;
を含む。
【0010】
1つの実施態様では、上記キャピラリーは、内表面が予め不活性処理されているフューズドシリカキャピラリーである。
【0011】
1つの実施態様では、上記泳動液のpHは8から11である。
【0012】
1つの実施態様では、上記泳動液は、酢酸アンモニウム、トリメチルアミン、トリエチルアミン、エタノールアミン、および炭酸アンモニウムからなる群より選択される少なくとも1種を含む。
【0013】
1つの実施態様では、上記方法は、上記電気泳動して質量分析する工程中または該工程後に、該電圧の印加を中止して、該キャピラリー内の該泳動液を該出口側へ加圧送液し、該キャピラリーの出口まで移動した試料を質量分析する工程、をさらに含む。
【0014】
本発明はまた、キャピラリーの出口側が陰極になるように設定されたキャピラリー電気泳動装置;
該キャピラリー電気泳動装置で分離された試料をイオン化するためのイオン化装置;および
該イオン化された試料を分析するための質量分析装置;
を備えた、陰イオン性化合物の分離分析装置を提供する。
【0015】
1つの実施態様では、上記キャピラリーは、内表面が予め不活性処理されているフューズドシリカキャピラリーである。
【0016】
1つの実施態様では、上記分離分析装置は、さらに、上記キャピラリー内の泳動液を該出口側に加圧送液するための手段を備える。
【0017】
本発明はさらに、泳動液で満たされたキャピラリーにおいて、該泳動液の入口側を陽極および出口側を陰極となるように設定された、陰イオン性化合物の分離装置を提供する。
【発明の効果】
【0018】
本発明によれば、陰イオン性化合物の分析に用いられる通常のCEの系とは電極の極性を逆転させているため、分析途中でCEの電流が流れなくなる現象がなく、安定して分析を行うことができる。さらに、特殊なキャピラリーではなく、一般的なフューズドシリカキャピラリーを用いることができるため、安価に分析することができる。さらに、本発明によれば、CEとCE後の加圧送液とを組み合わせることにより、今まで同時に分析を行うことが困難だった糖リン酸、有機酸、ヌクレオチド、CoA化合物などの陰イオン性化合物を、一斉分析することが可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0019】
本発明は、以下の原理に基づく。
【0020】
上述のように、CE/MSにおいて、分析対象イオンのみかけの移動度は、EOF移動度と電気泳動移動度とのベクトル和で表すことができる。一般的に、これらの値は、陽極から陰極に向かう方向を正とする。特許文献1に記載の陰イオン性化合物の分析系の場合(図1B参照)、バイアル側を陰極およびMS側を陽極としており、分析対象が陰イオン性化合物であるため、電気泳動移動度は負となる。また、SMILEキャピラリーを用いてEOFを負に反転させている。その結果、分析対象イオンのみかけの移動速度は負となり、分析対象はMS側に泳動されてMSで検出される。
【0021】
分析対象の電気泳動移動度の正負を変えることはできない。しかし、泳動液を入れたバイアル側を陽極およびMS側を陰極とすれば、分析対象である陰イオン性化合物の電気泳動移動度は負であるが、通常のフューズドシリカキャピラリーにおけるEOFは正になる。ここで、EOFの絶対値を電気泳動移動度の絶対値よりも大きくすれば、分析対象のみかけの移動度を正にすることができ、陰イオン性化合物をMS側に泳動させることができると考えられる。そこで、本発明は、この原理に基づいて、通常のフューズドシリカキャピラリーを用いて、EOF移動度の絶対値を電気泳動移動度の絶対値よりも大きくすることによって、安定な陰イオン性化合物分析系を確立した。
【0022】
上記の原理に基づいて構築した、本発明の陰イオン性化合物を分離分析する方法を、図2に示すシステムを例に挙げて、詳細に説明する。
【0023】
本発明の方法に用いられる陰イオン性化合物の分離分析装置は、キャピラリーの出口側が陰極になるように設定されたキャピラリー電気泳動装置(CE);該CEで分離された試料をイオン化するためのイオン化装置;および該イオン化された試料を分析するための質量分析装置(MS)から構成される。
【0024】
CEは、フューズドシリカキャピラリー;このキャピラリーに導入され、試料を分離するための泳動液を貯留するバイアル;該泳動液に先端が浸漬された電極;および、該電極に電圧を印加するための電源を含む。フューズドシリカキャピラリーの一端は、バイアル中の泳動液に浸漬され、そして他端はイオン化装置に接続されている。
【0025】
本発明で用いられるフューズドシリカキャピラリーは、当該技術分野で通常用いられるキャピラリーであれば特に限定されず、市販のものを使用することができる。EOF移動度を適切にする目的で、およびキャピラリーの耐久性を考慮して、フューズドシリカキャピラリーの内表面の遊離シラノール基をジメチルシロキサン処理した(すなわち、不活性処理した)キャピラリーが好適に用いられる。このようなキャピラリーは、タンパク質やペプチドをキャピラリーHPLC、nano−HPLCなどで分離する際によく用いられ、不活性処理キャピラリーとして市販されている。一般に用いられている不活性処理キャピラリーは、遊離シラノール基がすべて完全にジメチルシロキシル化されているわけではなく、部分的に遊離シラノール基が残存していると思われる。そのため、本発明においては、キャピラリーの内表面に帯電したわずかな負電荷によって、適切なEOF移動度を得ることができる。
【0026】
本発明で用いられる泳動液は、通常の陰イオン性化合物の分離に用いられる泳動液が用いられ得、これは電解質を含む緩衝液であり得る。MSに導入する際のイオン化を考慮して、揮発性の高い泳動緩衝液を用いることが好ましい。また、泳動緩衝液は、分析対象である陰イオン性化合物のpKaおよびpIを考慮して、中性〜アルカリ性であることが好ましい。このような揮発性かつ中性〜アルカリ性の泳動緩衝液には、代表的には、酢酸アンモニウム、トリメチルアミン、トリエチルアミン、エタノールアミン、炭酸アンモニウムなどが含まれ得る。泳動液に含まれるこのような電解質および濃度は、分析対象の陰イオン性化合物の種類に応じて、および泳動液のpHを考慮して、適宜決定され得る。通常、陰イオン性化合物の分離の場合、泳動液のpHは、pHが高い方がほとんどの陰イオン性化合物の一斉分析が可能であると考えられている(特許文献1)。しかし、本発明においては、泳動液のpHは、好適には7〜11であり、より好適には8〜11であり、さらに好適には8〜9.5である。
【0027】
前述のように、CE/MSにおいては、MSに接続した側のキャピラリーの先端を、電解質を含む泳動液に浸すことができない。したがって、陰イオン性物質をCE/MSにより分析することを目的として、泳動液を入れたバイアル側を陰極およびMS側を陽極とした場合には、EOFがバイアル側に向かうため、MS側のキャピラリー先端に空洞が生じる。そのため、CEの電流が流れなくなり、泳動が中断される(図1A参照)。本発明においては、キャピラリーの出口側(MS側)が陰極および入口側(バイアル側)が陽極になるように設定される。そのため、電圧をかけた場合に、キャピラリーにおけるEOFは正方向(キャピラリーの入口側から出口側へ)となる(図2参照)。
【0028】
CEを行う際、上記電極には通常当該技術分野で行われる程度の高電圧(例えば、−30kV〜+30kV)が印加される。電圧の印加によって電気泳動が開始され、キャピラリー中の陰イオン性化合物は、負方向の泳動移動度で(陽極(入口側))に泳動する。しかし、本発明においては、EOF移動度の絶対値が陰イオン性化合物の泳動移動度の絶対値を上回る条件でCEが行われるので、陰イオン性化合物のみかけの移動度は正になる。そのため、陰イオン性化合物はキャピラリーの出口へと泳動される。
【0029】
EOF移動度(EOFの流速)は、泳動液のpHと電圧とに依存して変動する。EOF移動度は、中性マーカー(例えば、グルコース)を分析対象としてCE/MS分析を行うことにより測定可能である。具体的には、所定の長さのキャピラリーおよび所定の電圧下において、中性マーカーの検出時間を測定することによって、EOF移動度(cm−1・s−1)を算出することができる。一方、陰イオン性化合物の泳動移動度は、各化合物のpKaおよびpIと、泳動液のpHと、電圧とに依存して変動し、これは、既知のEOF移動度となる条件下でCEを行うことによって求めることができる。
【0030】
上記のようにして算出されるEOF移動度および電気泳動移動度をもとに、泳動液のpHを適宜変えることによって、分析対象試料中の少なくとも1種の陰イオン性化合物のみかけの移動度が正になるように、EOF移動度の絶対値が陰イオン性化合物の泳動移動度の絶対値を上回る条件が決定される。なお、通常のフューズドシリカキャピラリーを用いる場合、EOFは常に正であり、その流速はpHが高くなるに従って大きくなることが知られている(非特許文献3)。また、上述のように、本発明においては、泳動液のpHは、好適には7〜11である。したがって、当該技術分野で通常用いられる泳動液中の電解質濃度および印加電圧において、泳動液のpHを7〜11の範囲で最適化することによって、本発明のCE/MSに適切な条件を決定することができる。本発明においては、好適には、例えば、−30kV〜+30kVの電圧をかける場合、約50mMの電解質を含むpH8〜9.5の泳動液を用いることにより、上記条件を達成し得る。
【0031】
分析すべき試料中に、電気泳動移動度の絶対値がEOF移動度の絶対値と同等であるかまたは大きい陰イオン性化合物が含まれている場合は、この化合物は、電気泳動によってキャピラリーの出口まで移動することができず、キャピラリー内に滞留する。そこで、電気泳動の途中の適切な時点で電圧の印加を中止して、キャピラリー内の泳動液を入口側から加圧して出口側へ送液することによって、滞留している化合物を出口へ移動させることができる。あるいは、電圧を変化させることによって、あるいは電圧を下げかつ加圧を上げることによって、化合物を出口へ移動させてもよい。
【0032】
したがって、本発明に用いられる陰イオン性化合物の分離分析装置は、このような泳動液を加圧送液するための手段を備えていることが好ましい。加圧送液手段としては、例えば、エアーポンプが挙げられる。
【0033】
CEで分離されてキャピラリーの出口に移動した試料は、キャピラリー出口に接続されたイオン化装置でイオン化される。
【0034】
イオン化の方法は、通常MSにおいて行われる方法であれば特に限定されない。例えば、エレクトロスプレー法(ESI)、大気圧化学イオン化法(APCI)、高速原子衝突法(FAB)が採用され得る。
【0035】
例えば、ESIの場合、イオン化装置には、シース液がエレクトロスプレーに適した流量で供給され、同時に、細かい液滴を生成してイオン化を促進するためのネブライザガス(例えば、窒素ガス)が供給される。
【0036】
イオン化された試料は、質量分析装置(MS)で分析される。MSは、通常用いられる質量分析装置が用いられ、例えば、シングルステージの四重極型、磁場型、飛行時間、イオントラップなどの種々の形式の質量分析装置、あるいはタンデム型の質量分析装置であってもよい。
【0037】
本発明の方法によって分析され得る陰イオン性化合物としては、糖リン酸、有機酸、ヌクレオチド、CoA化合物などが挙げられる。これらの化合物は、異性体の分離分析も可能である。
【実施例】
【0038】
以下の実施例におけるすべてのCE/ESI−MS実験は、P/ACE MDQ (Beckman Coulter, Fullerton, CA)、Esquire 3000 plus ion trap mass spectrometer (Bruker Daltonics, Billerica, MA, USA)、syringe pump IC3100 (Cole parmer, Illinois, USA)、およびCE ESI sprayer (Aglient Technologies, California, USA)を用いて行った。CEの制御は、32 Karat software (Beckman Coulter)を用い、MSの制御およびデータ取得は、Esquire Control 5.1 (Bruker Daltonics)を用い、そしてデータ解析は、Data Analysis 3.1 (Bruker Daltonics)を用いて行った。
【0039】
以下の実施例を行うにあたって、分析に初めて使用するキャピラリーは、泳動液を30psi(2.1bar)、60分の条件で送液することにより洗浄した。各分析において、キャピラリーに試料を注入する前には、キャピラリーに泳動液を30psi(2.1bar)、10分の条件で送液し、平衡化を行った。試料の注入は、2.0psi(0.14bar)の圧力で5秒間行った(約6nL)。
【0040】
電気泳動は、バイアル側を陽極およびMS側を陰極に設定し、キャピラリーの両端に30kVの電圧を掛けた。電圧印加開始から設定した電圧値に達するまでに要する時間(ランプ時間)は0.30分とした。電気泳動時に、キャピラリーには22.5〜23.0μAの電流が流れ、電力は0.68Wであった。キャピラリーの温度は20℃に保った。シース液として、5mM酢酸アンモニウムを含む50%(v/v)メタノール水溶液を用い、シリンジポンプにより5μL/分の流速でイオン化室に送液した。
【0041】
ESI−MSはネガティブイオンモードで検出を行った。MSのパラメーターは以下の通りである:ターゲットマス、m/z 150;スキャン範囲、m/z=50〜1000;スキャン速度、13,000m/z/sの標準スキャン分解能;ネブライザガス、6.0psi、ドライガス流速、4.0L/分;ドライガス温度、300℃;キャピラリー電圧、4.0kV。
【0042】
以下の実施例において分析に供した試料としての陰イオン性化合物は、以下のとおりである:グリオキシル酸;ピルビン酸;乳酸;グリセリン酸;フマル酸;コハク酸;ニコチン酸;リンゴ酸;2−オキソグルタル酸;リビトール;β−グリセロリン酸;シキミ酸;3−ホスホグリセリン酸;クエン酸;イソクエン酸;エリトロース4−リン酸;リボース5−リン酸;リブロース5−リン酸;グルコース6−リン酸;フルクトース6−リン酸;グルコース1−リン酸;セドヘプツロース7−リン酸;1,4−ピペラジンジエタンスルホン酸(PIPES);リブロース1,5−ビスリン酸;チアミン一リン酸(TMP);シチジル酸(CMP);ウリジル酸(UMP);フルクトース1,6−ビスリン酸;フルクトース2,6−ビスリン酸;AMP;GMP;セドヘプツロース1,7−ビスリン酸;CDP;UDP;ADP;パントテン酸;GDP;FMN;CTP;UTP;ATP;GTP;ADP−リボース;UDP−グルコース;ADP−グルコース;NAD;NADH;NADP;NADPH;FAD;およびアセチルCoA。
【0043】
各化合物のストック溶液は純水を用いて、100mMの濃度に調製した。分析用試料は、これらのストック溶液を適宜混合し、純水で希釈して用いた。
【0044】
(実施例1)
50μmφ×100cmの通常のフューズドシリカキャピラリー(GL sciences製)を用いた。バイアル側を陽極およびMS側を陰極に設定した。泳動液は、特許文献1に記載の方法に従って50mM酢酸アンモニウム(pH9.0)を用いた。
【0045】
種々の陰イオン性化合物について、上記の条件下でCE/ESI−MSを行った結果、EOFはMS側に流れることにより、電気泳動が成立し、ほとんどの陰イオン性化合物が検出できた。キャピラリーの内表面に特殊なコーティングを施す必要がないため、キャピラリーの品質にばらつきが少なく、安定した結果を得ることができた。
【0046】
しかし、共溶出する化合物が存在し、一部イオン化サプレッションにより検出が困難になる場合もあった。また、グルコース1−リン酸、グルコース6−リン酸、フルクトース6−リン酸などの異性体の分離は不十分であり、これらを区別することが困難であった。さらに、クエン酸、イソクエン酸などの多価有機酸を検出することができなかった。このように、検出が良好でない原因としては、EOFが早すぎるため、十分に分離しないうちにMSに分析対象化合物が到達すること、異性体間の電気泳動移動度の差が小さすぎることなどが考えられる。
【0047】
(実施例2)
通常のフューズドシリカキャピラリーの代わりに、フューズドシリカキャピラリーの内表面をジメチルシロキサン処理したキャピラリー(50μmφ×100cm、GL sciences製)を用いたこと以外は、上記実施例1と同様にCE/ESI−MSを行った。ジメチルシロキサン処理したキャピラリーでは、その内表面の極性が低くなり、ゼータ電位(電気二重層における滑り面と液体内部の電位との差)が小さくなり、EOFをある程度遅くすることができると予想される。
【0048】
分析時間は長くなったが、各陰イオン性化合物の分離が大きく向上した。実施例1では共溶出したグルコース1−リン酸、グルコース6−リン酸、フルクトース6−リン酸などが分離し、異性体の分離も可能になった。また、電流値が落ちるということはなく、上記実施例1で用いた通常のフューズドシリカキャピラリーと同様に、安定して結果が得られた。
【0049】
(実施例3)
通常のフューズドシリカキャピラリーの代わりに、フューズドシリカキャピラリーの内表面をジメチルシロキサン処理したキャピラリー(50μmφ×100cm、GL sciences製)を用い、そして泳動液として酢酸アンモニウム(pH9.0)の代わりに50mM酢酸+92mMトリメチルアミン(pH9.4)を用いたこと以外は、上記実施例1と同様にCE/ESI−MSを行った。
【0050】
その結果、陰イオン性化合物の分離が全体的に向上し、特に、リブロース5−リン酸とリボース5−リン酸、あるいはグルコース1−リン酸、グルコース6−リン酸、フルクトース6−リン酸などの異性体の分離が向上した。これは、アンモニウムイオンよりもかさ高いトリメチルアミンがこれらの陰イオン性化合物を取り囲むため、異性体の構造の相違が強調され、異性体間の電気泳動移動度の差が大きくなったためと考えられる。
【0051】
一方、フルクトース1,6−ビスリン酸、フルクトース2,6−ビスリン酸、クエン酸、イソクエン酸などの分子量が小さくかつ極性の非常に高い化合物は検出ができなかった。これは、EOF移動度よりも電気泳動移動度の絶対値のほうが大きいため、MS側ではなく、バイアル側に移動してしまったためと考えられる。
【0052】
(実施例4)
次に、電気泳動を行うと同時に、エアーポンプでキャピラリーの入口側に0.5psi(34mbar)の圧力を掛けて補助的に送液を行う条件で、上記実施例3と同様にCE/ESI−MSを行った。
【0053】
その結果、リブロース5−リン酸とリボース5−リン酸、あるいはグルコース1−リン酸、グルコース6−リン酸、フルクトース6−リン酸などの異性体は分離可能であり、そしてフルクトース1,6−ビスリン酸、フルクトース2,6−ビスリン酸、クエン酸、イソクエン酸などの検出も可能であった。しかし、後者の化合物の検出時間は遅く、それまでに拡散が起こってピークが非常にブロードになった。
【0054】
(実施例5)
次に、電気泳動の途中で電圧を落とし、それ以降は、単にエアーポンプで送液する手法で、CE/ESI−MSを行った。上記実施例4と同様に、ジメチルシロキサン処理したフューズドシリカキャピラリー(50μmφ×100cm)および泳動液として50mM酢酸、92mMトリメチルアミン(pH9.4)を用い0.5psiで補助的に送液しながら30分間電気泳動を行い、その後電圧を落としてエアーポンプのみで1.5psi(0.10bar)にて20分間送液した。結果を図3に示す。なお、CE/MSに供した各化合物の濃度は100μMである。
【0055】
図3からわかるように、種々の陰イオン性化合物が非常に良好に分離され、糖リン酸、有機酸、ヌクレオチド、CoAなどの51種の陰イオン性化合物の一斉分析が可能となった。このようなエアーポンプを補助的に用いる方法は、エアーポンプの圧力の調整を自由に行うことができるので、分離・検出時間の微妙な調整を容易に行うことが可能である。
【産業上の利用可能性】
【0056】
本発明によれば、陰イオン性化合物の分析に用いられる通常のCEの系とは電極の極性を逆転させているため、分析途中でCEの電流が流れなくなる減少がなく、安定して分析を行うことができる。さらに、特殊なキャピラリーではなく、一般的なフューズドシリカキャピラリーを用いることができるため、安価に分析することができる。さらに、本発明によれば、CEとCE後の加圧送液とを組み合わせることにより、今まで同時に分析を行うことが困難だった糖リン酸、有機酸、ヌクレオチド、CoA化合物などの陰イオン性化合物を、一斉分析することが可能となる。したがって、本発明の方法は、メタボローム解析の新たな必須技術となり得る。
【図面の簡単な説明】
【0057】
【図1】従来技術のCE/MSにおけるEOFの方向を示す模式図である。A:未修飾フューズドシリカキャピラリーを用いた場合;およびB:SMILEキャピラリーを用いた場合。
【図2】本発明の陰イオン性化合物を分離分析する方法を示す模式図である。
【図3】30分間の電気泳動後に電圧を落として送液した場合の、種々の陰イオン性化合物の測定結果を示すクロマトグラムである(実施例5)。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
キャピラリー電気泳動と質量分析とを組み合わせて陰イオン性化合物を分離分析する方法であって、
泳動液で満たされたキャピラリーの泳動液の入口側を陽極および出口側を陰極となるように設定し、該キャピラリーに電圧を印加して陰イオン性化合物を含む試料を電気泳動する工程であって、該電圧の印加により発生する電気浸透流の移動度の絶対値が、該試料中の少なくとも1種の陰イオン性化合物の電気泳動移動度の絶対値を上回るような条件で該電気泳動を行う、工程;および
該キャピラリーの出口まで泳動された該試料中の陰イオン性化合物を質量分析する工程;
を含む、方法。
【請求項2】
前記キャピラリーが、内表面が予め不活性処理されているフューズドシリカキャピラリーである、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記泳動液のpHが8から11である、請求項1または2に記載の方法。
【請求項4】
前記泳動液が、酢酸アンモニウム、トリメチルアミン、トリエチルアミン、エタノールアミン、および炭酸アンモニウムからなる群より選択される少なくとも1種を含む、請求項3に記載の方法。
【請求項5】
前記電気泳動して質量分析する工程中または該工程後に、該電圧の印加を中止して、該キャピラリー内の該泳動液を該出口側へ加圧送液し、該キャピラリーの出口まで移動した試料を質量分析する工程、をさらに含む、請求項1から4のいずれかに記載の方法。
【請求項6】
キャピラリーの出口側が陰極になるように設定されたキャピラリー電気泳動装置;
該キャピラリー電気泳動装置で分離された試料をイオン化するためのイオン化装置;および
該イオン化された試料を分析するための質量分析装置;
を備えた、陰イオン性化合物の分離分析装置。
【請求項7】
前記キャピラリーが、内表面が予め不活性処理されているフューズドシリカキャピラリーである、請求項6に記載の分離分析装置。
【請求項8】
さらに、前記キャピラリー内の泳動液を該出口側に加圧送液するための手段を備える、請求項6または7に記載の分離分析装置。
【請求項9】
泳動液で満たされたキャピラリーにおいて、該泳動液の入口側を陽極および出口側を陰極となるように設定された、陰イオン性化合物の分離装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2008−241244(P2008−241244A)
【公開日】平成20年10月9日(2008.10.9)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−201162(P2005−201162)
【出願日】平成17年7月11日(2005.7.11)
【出願人】(504176911)国立大学法人大阪大学 (1,536)
【Fターム(参考)】