説明

P糖タンパク質の排出機能抑制剤

【課題】細胞内に取り込まれた薬剤が能動輸送により細胞外に排出されるのを抑制することができる、P糖タンパク質の排出機能抑制剤を提供することである。
【解決手段】P糖タンパク質の排出機能抑制剤は、ミルナシプランを有効成分として含む。本発明のP糖タンパク質の排出機能抑制剤は、P糖タンパク質の排出機能を抑制することができるため、P糖タンパク質の基質となる薬剤と併用することで、薬剤の効果を高めることができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、細胞内に取り込まれた薬剤が細胞外に排出されることを抑制する、P糖タンパク質の排出機能抑制剤に関する。
【背景技術】
【0002】
P糖タンパク質は、肝臓の毛細胆管、腸の管腔側膜、腎臓の近位尿細管、脳の毛細血管内皮などにおいて、細胞の細胞膜を貫通するように発現している。P糖タンパク質は、細胞内に取り込まれた細胞毒性を有する化合物などを、能動輸送により細胞内から細胞外に排出する、排出ポンプとして機能している。
【0003】
また、P糖タンパク質は、癌細胞の細胞膜にも発現しており、癌細胞の多剤耐性化に関与していることが報告されている(例えば、非特許文献1および2参照)。抗癌剤(抗悪性腫瘍薬)による癌の治療では、治療の初期では抗癌剤が効いていたにもかかわらず、長期間治療していると抗癌剤が次第に効かなくなることがある。また、投与したことのない抗癌剤が、効かないこともある。これは、癌細胞が、投与した抗癌剤に対して耐性になるとともに、投与していない他の抗癌剤に対しても耐性になることを意味している。このように、細胞が様々な薬剤に耐性をもつ現象は、細胞の多剤耐性化と呼ばれている。そして、多剤耐性化された癌細胞の細胞膜には、P糖タンパク質が過剰に発現していることが知られている。癌細胞は、過剰に発現したP糖タンパク質が細胞内に取り込まれた様々な薬剤を細胞外に排出することで、多剤耐性化する。
【0004】
P糖タンパク質の基質としては、抗悪性腫瘍薬の他にも、HIVプロテアーゼ阻害薬、抗菌薬、免疫抑制薬、強心配糖体、ステロイド、鎮吐薬、HMG_CoA阻害薬、H1受容体拮抗薬、不整脈治療薬、抗精神病薬、抗うつ薬などが知られている。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】Fardel O., et al., "Up-regulation of P-glycoprotein expression in rat liver cells by acute doxorubicin treatment", Eur. J. Biochem., Vol.246, pp.186-192.
【非特許文献2】Shi, Y., et al., "Overexpression of ZNRD1 promotes multidrug-resistant phenotype of gastric cancer cells through upregulation of P-glycoprotein.", Cancer Biol. Ther., Vol.3, No.4, pp.377-81.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
前述した各薬剤は、抗癌剤と同様に、長期治療中に効き目が悪くなることが知られている。また、前述した薬剤は、P糖タンパク質の基質となることから、各薬剤の対象疾患においても、癌細胞と同様に、細胞がP糖タンパク質の排出機能により多剤耐性化している可能性がある。したがって、多剤耐性化した細胞内における薬剤の濃度を高めるべく、P糖タンパク質の排出機能を抑制することが望まれている。
【0007】
本発明は、かかる点に鑑みてなされたものであり、細胞内に取り込まれた薬剤が細胞外に排出されることを抑制することができる、P糖タンパク質の排出機能抑制剤を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者は、上記課題を解決するべく鋭意研究を行った結果、ミルナシプランがP糖タンパク質の排出機能を抑制できることを見出し、さらに検討を加えて本発明を完成させた。
【0009】
すなわち、本発明は、以下のP糖タンパク質の排出機能抑制剤に関する。
[1]ミルナシプランを有効成分として含む、P糖タンパク質の排出機能抑制剤。
[2]細胞内に取り込まれた薬剤がP糖タンパク質により細胞外に排出されることを抑制する、[1]に記載のP糖タンパク質の排出機能抑制剤。
[3]前記薬剤は、抗悪性腫瘍薬、抗精神病薬または抗うつ薬である、[2]に記載のP糖タンパク質の排出機能抑制剤。
[4]前記細胞は、神経細胞である、[2]または[3]に記載のP糖タンパク質の排出機能抑制剤。
【発明の効果】
【0010】
本発明によれば、P糖タンパク質の排出機能を抑制することができる。したがって、P糖タンパク質の基質となる薬剤と本発明の抑制剤とを併用することで、当該薬剤の効果を高めることができる。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【図1】図1Aは、リアルタイムRT−PCRの結果を示すグラフである。図1Bは、融解曲線分析の結果を示すグラフである。
【図2】図2Aは、Abcb1aおよび18S rRNAの増幅曲線を示すグラフである。図2Bは、ベクターを導入していないHT22細胞におけるAbcb1aのmRNAの発現量に対する、ベクターを導入したHT22細胞におけるAbcb1aのmRNAの相対発現量を示すグラフである。
【図3】図3Aは、Abcb1bおよび18S rRNAの増幅曲線を示すグラフである。図3Bは、ベクターを導入していないHT22細胞におけるAbcb1bのmRNAの発現量に対する、ベクターを導入したHT22細胞におけるAbcb1bのmRNAの相対発現量を示すグラフである。
【図4】ウェスタンブロットの結果を示すグラフである。
【図5】シクロスポリンAの濃度とローダミンの蛍光強度との関係を示すグラフである。
【図6】パロキセチンの濃度とローダミンの蛍光強度との関係を示すグラフである。
【図7】ミルナシプランの濃度とローダミンの蛍光強度との関係を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明のP糖タンパク質の排出機能抑制剤(以下「本発明のP糖タンパク質抑制剤」ともいう)は、式(1)のミルナシプランを有効成分として含むことを特徴とし、その他の任意の成分を含むことができる。また、本発明のP糖タンパク質抑制剤に含まれるミルナシプランは、塩であってもよい。ミルナシプランは、有機酸塩または無機酸塩であることが好ましく、塩酸塩(ミルナシプラン塩酸塩)であることが特に好ましい。
【化1】

【0013】
P糖タンパク質は、分子量が17万〜18万であり、1280個のアミノ酸から構成されるABCトランスポーターのMDR/TAPサブファミリーに属する分子である。P糖タンパク質は、12回膜貫通型の細胞膜糖タンパク質であり、12個ある膜貫通ドメインのうち6つ目と7つ目の間およびカルボキシル基末端にATP結合ドメインを有している。そして、ATPの加水分解によるエネルギーを利用して、細胞内に取り込まれた細胞毒性を有する化合物(薬剤など)を細胞外に排出する。P糖タンパク質をコードするヒト遺伝子は、ABCB1(ATP-binding Cassette Sub-family B Member 1)またはMDR1(Multiple drug resistance 1)と呼ばれている。マウスおよびラットでは、Abcb1a(Mdr1a)およびAbcb1b(Mdr1b)が対応する。
【0014】
P糖タンパク質は、副腎皮質、肝臓、腎臓、小腸、大腸、胎盤などに発現している。消化管粘膜のP糖タンパク質は、薬物を管腔内に排出する。また、脳血管内皮細胞のP糖タンパク質は、薬物の脳組織内への分布を制御している。
【0015】
P糖タンパク質の基質としては、抗悪性腫瘍薬(ビンクリスチン、ドキソルビシン、エトポシド)、HIVプロテアーゼ阻害薬(インジナビル、ネルフィナビル、サキナビル)、抗菌薬(エリスロマイシン、グレパフロキサシン、スパルフロキサシン)、免疫抑制薬(シクロスポリンA、シロリムス、タクロリムス)、強心配糖体(ジゴキシン)、ステロイド(デキサメタゾン、メチルプレドニゾロン)、鎮吐薬(オンダンセトロン、ドンペリドン)、HMG_CoA阻害薬(アトルバスタチン、ロバスタチン)、H1受容体拮抗薬(フェキソフェナジン、テルフェナジン)、不整脈治療薬(キニジン)、抗精神病薬(リスペリドン、オランザピン、クエチアピン、アリピプラゾール、ペロスピペロン)、抗うつ薬(アミトリプチリン、ノリトリプチリン、サートラリン、フルボキサミン、パロキセチン)などが知られている。これらの薬剤の対象疾患に関係する細胞においても、P糖タンパク質が過剰に発現することで、薬剤の効き目が悪くなることが考えられる。そこで、本発明者は、過剰に発現したP糖タンパク質の排出機能を抑制することで、これらの薬剤の薬効を改善させることができると考えた。そして、そのような作用を有する化合物を検討した結果、抗うつ薬であるミルナシプランが、P糖タンパク質の排出機能を抑制する有効成分として作用しうることを見出した。
【0016】
本発明のP糖タンパク質抑制剤に含まれるミルナシプランは、当業者に知られる方法を用いて製造したものでもよいが、市販の製剤を利用してもよい。このような市販の製剤の例には、旭化成ファーマ株式会社の「トレドミン錠」、アルフレッサファーマ株式会社の「ミルナシプラン塩酸塩錠「AFP」」、ニプロファーマ株式会社の「ミルナシプラン塩酸塩錠「NT」」、東和薬品株式会社の「ミルナシプラン塩酸塩錠「トーワ」」、日医工株式会社の「ミルナシプラン塩酸塩錠「日医工」」、太洋薬品工業株式会社の「ミルナシプラン塩酸塩錠「タイヨー」」、沢井製薬株式会社の「ミルナシプラン塩酸塩錠「サワイ」」、マイラン製薬株式会社の「ミルナシプラン塩酸塩錠「マイラン」」、興和デバ株式会社および大正薬品工業株式会社の「ミルナシプラン塩酸塩錠「TKY」」、日本ジェネリック株式会社の「ミルナシプラン塩酸塩錠「JG」」などのミルナシプラン塩酸塩製剤が含まれる。
【0017】
前述した製剤の剤形は、特に限定されず、錠剤や顆粒剤、細粒剤、丸剤、散剤、カプセル剤など、任意である。たとえば、錠剤の場合には、1日あたり約2〜9錠を経口投与することで、1日当たりの投与量が満足できるようにミルナシプランの1錠当たりの含量を設定し、常法通り打錠すればよい。
【0018】
当該製剤の1日当たりの投与量は、P糖タンパク質の排出機能を抑制する量であって副作用の少ない量のミルナシプランを投与しうる量であれば特に限定されない。たとえば、ミルナシプラン塩酸塩をミルナシプランとして1日当たり25〜100mg程度投与しうる量であればよい。当該製剤全量に対するミルナシプランの配合量(割合)は特に限定されず、剤形に応じて適宜設定すればよい。
【0019】
当該製剤の用法は、P糖タンパク質の排出機能を抑制することができれば特に限定されない。たとえば、前記1日当たりの投与量(たとえば、ミルナシプラン塩酸塩をミルナシプランとして25〜100mg程度含む量)を3回に分けて食前、食間または食後に経口投与すればよい。
【0020】
本発明のP糖タンパク質抑制剤は、P糖タンパク質の排出機能を抑制することができる。したがって、本発明のP糖タンパク質抑制剤は、P糖タンパク質の基質となる薬剤と併用することで、当該薬剤の効果を高めることができる。本発明の抑制剤と併用される薬剤の種類は、P糖タンパク質の基質となる薬剤であれば特に限定されない。
【0021】
前述の非特許文献2には、P糖タンパク質の発現量を増加させた癌細胞(SGC7901細胞)が、P糖タンパク質の基質となる抗悪性腫瘍薬(ビンクリスチン、アドリアマイシンおよびエトポシドなど)に対して耐性を有することが記載されている。そして、薬剤耐性となった癌細胞に、抗悪性腫瘍薬とベラパミル(P糖タンパク質抑制剤)とを併用して投与すると、癌細胞が再び抗悪性腫瘍薬に感受性を示すことが示されている。本発明のP糖タンパク質抑制剤も、P糖タンパク質の基質となる薬剤と併用することで、当該薬剤に耐性を有する細胞に対する効果を高めることができると期待される。
【0022】
この後の実施例において示すように、本発明者は、P糖タンパク質が脳の神経細胞において発現していることを見出した。このため、本発明のP糖タンパク質抑制剤は、脳腫瘍や精神病、うつ病などの脳関連の疾患を対象とする抗悪性腫瘍薬、抗精神病薬、抗うつ薬などと併用して使用されることが期待される。
【0023】
以下、本発明を実施例を参照して詳細に説明するが、本発明はこれらの実施例により限定されない。
【実施例】
【0024】
[実施例1]
実施例1では、HT22細胞(マウス海馬由来の神経細胞株)を用いて、ABCB1(P糖タンパク質)抑制剤としてのミルナシプランの効果を評価した結果を示す。
【0025】
1.ABCB1の発現の確認
まず、HT22細胞においてABCB1が発現していることを確認した。
【0026】
(1)RNAレベルでの発現の確認
既存の方法を用いて、HT22細胞から全RNAを抽出した。抽出した全RNA(2μg)から市販のキット(High Capacity RNA-to-cDNA Kit;Applied Biosystems社)を用いてcDNAを合成した。
【0027】
得られたcDNAを鋳型DNAとしてリアルタイムRT-PCR(インターカレーター法)を行うことにより、Abcb1aおよびAbcb1bのmRNAの発現を調べた。Abcb1aのプライマーは、配列番号1(フォワードプライマー)および配列番号2(リバースプライマー)に示されるものを使用した。Abcb1bのプライマーは、配列番号3(フォワードプライマー)および配列番号4(リバースプライマー)に示されるものを使用した。18S rRNA(コントロール)のプライマーは、配列番号5(フォワードプライマー)および配列番号6(リバースプライマー)に示されるものを使用した。また、リアルタイムRT−PCRを行った後に、融解曲線分析により増幅産物の確認を行った。
【0028】
図1Aは、リアルタイムRT−PCRの結果を示すグラフである。図中の「A」は18S rRNAの増幅曲線であり、「B」はAbcb1aの増幅曲線であり、「C」はAbcb1bの増幅曲線である。この結果から、HT22細胞中にAbcb1aおよびAbcb1bのmRNAが存在していることがわかる。このことは、HT22細胞において、Abcb1aおよびAbcb1bが発現していることを示唆している。
【0029】
図1Bは、融解曲線分析の結果を示すグラフである。図中の「A」は18S rRNAの融解曲線であり、「B」はAbcb1aの融解曲線であり、「C」はAbcb1bの融解曲線である。この結果から、目的のPCR産物を得られていることがわかる。
【0030】
(2)siRNAを使用したノックダウン
Abcb1のsiRNA(配列番号7)を導入したpGFP−V−RS shRNAベクターを調製した。市販のトランスフェクション試薬(TransIT-2020;Mirus Bio社)を用いて、調製したベクターをHT22細胞に導入した。
【0031】
ベクターを導入してから72時間後のHT22細胞におけるAbcb1aおよびAbcb1bのmRNAの発現量を、リアルタイムRT-PCRを行うことにより調べた。Abcb1aおよびAbcb1bのmRNAの発現量は、18S rRNAの発現量を基準とする相対定量法により算出した。リアルタイムRT-PCRの手順は、上記(1)で説明した手順と同じである。
【0032】
図2Aは、Abcb1aおよび18S rRNAの増幅曲線を示すグラフである。図中の「A」は、ベクターを導入していないHT22細胞由来のサンプルを用いたときの18S rRNAの増幅曲線である。「B」は、ベクターを導入したHT22細胞由来のサンプルを用いたときの18S rRNAの増幅曲線である。「C」は、ベクターを導入していないHT22細胞由来のサンプルを用いたときのAbcb1aの増幅曲線である。「D」は、ベクターを導入したHT22細胞由来のサンプルを用いたときのAbcb1aの増幅曲線である。
【0033】
図2Bは、ベクターを導入していないHT22細胞におけるAbcb1aのmRNAの発現量に対する、ベクターを導入したHT22細胞におけるAbcb1aのmRNAの相対発現量を示すグラフである。図中の「−」は、ベクターを導入していないHT22細胞におけるAbcb1aのmRNAの発現量を示す。「+」は、ベクターを導入したHT22細胞におけるAbcb1aのmRNAの発現量を示す。このグラフでは、ベクターを導入していないHT22細胞におけるAbcb1aのmRNAの発現量を「1.0」としている。
【0034】
図3Aは、Abcb1bおよび18S rRNAの増幅曲線を示すグラフである。図中の「A」は、ベクターを導入していないHT22細胞由来のサンプルを用いたときの18S rRNAの増幅曲線である。「B」は、ベクターを導入したHT22細胞由来のサンプルを用いたときの18S rRNAの増幅曲線である。「C」は、ベクターを導入していないHT22細胞由来のサンプルを用いたときのAbcb1bの増幅曲線である。「D」は、ベクターを導入したHT22細胞由来のサンプルを用いたときのAbcb1bの増幅曲線である。
【0035】
図3Bは、ベクターを導入していないHT22細胞におけるAbcb1bのmRNAの発現量に対する、ベクターを導入したHT22細胞におけるAbcb1bのmRNAの相対発現量を示すグラフである。図中の「−」は、ベクターを導入していないHT22細胞におけるAbcb1bのmRNAの発現量を示す。「+」は、ベクターを導入したHT22細胞におけるAbcb1bのmRNAの発現量を示す。このグラフでは、ベクターを導入していないHT22細胞におけるAbcb1bのmRNAの発現量を「1.0」としている。
【0036】
これらの結果から、HT22細胞におけるAbcb1aおよびAbcb1bのmRNAの発現量が、siRNAの導入により顕著に減少していることがわかる(Abcb1a:58%減少、Abcb1b:75%減少)。このことは、HT22細胞において、Abcb1aおよびAbcb1bが発現していることを強く示唆している。
【0037】
(3)タンパク質レベルでの発現の確認
ベクターを導入していないHT22細胞およびベクターを導入したHT22細胞から、既存の方法により全タンパク質を抽出した。SDS−PAGEを行った後、ウェスタンブロット法によりABCB1の発現の有無を調べた。また、デンシトメーターを用いてABCB1の相対発現量を数値化した。
【0038】
図4は、ウェスタンブロットの結果を示すグラフである。図中の「−」は、ベクターを導入していないHT22細胞におけるABCB1の発現量を示す。「+」は、ベクターを導入したHT22細胞におけるABCB1の発現量を示す。このグラフでは、ベクターを導入していないHT22細胞におけるABCB1の発現量を「1.0」としている。この結果から、HT22細胞において、ABCB1が発現していることがわかる。また、HT22細胞におけるABCB1の発現量が、siRNAの導入により顕著に減少していることがわかる(80%減少)。このことは、HT22細胞において、ABCB1が発現していることを意味している。
【0039】
2.ABCB1に対する抑制能の評価
次に、HT22細胞を用いて、ABCB1抑制剤としてのミルナシプランの効果を確認した。本実験では、ABCB1の基質として知られているローダミン(蛍光色素)を細胞内に導入した後、ローダミンの細胞外への排出が被験化合物によりどの程度抑制されるかを評価した。被験化合物としては、シクロスポリンA(cyclosporinA;免疫抑制剤)、パロキセチン(paroxetine;SSRI)およびミルナシプランを使用した。シクロスポリンAおよびパロキセチンは、ABCB1に対する抑制能を有することが知られている。
【0040】
DMEM培地(FBS10%、ペニシリン100U/ml、ファンギゾン1.25μg/mlを含む)が入った6ウェルプレートに、12×10個/ウェルとなるようにHT22細胞を蒔いて、37℃で24時間(5% CO)培養した。培養後、DMEM培地(FBS+)をFBSおよび抗生物質を含まないDMEM培地(FBS−)に置換し、30分間静置して、FBS、ペニシリンおよびファンギゾンを除去した。次いで、DMEM培地(FBS−)を、所定の濃度で被験化合物を含むDMEM培地(FBS−)に置換した(2ml/ウェル)。37℃で所定の時間培養して(5% CO)、各被験化合物をHT22細胞内に取り込ませた。表1に、被験化合物の濃度と培養時間を示す。
【0041】
【表1】

【0042】
各被験化合物をHT22細胞に取り込ませた後、終濃度が0.5μMとなるようにローダミンを培地に添加し、37℃で90分間培養した(5% CO)。各ウェルにおいて、各細胞をPBS(Tween20を0.25%含む)で4回洗浄した後、1.5mLチューブにおいて、各細胞を300μL PBS(Tween20を4%含む)で3回洗浄して、細胞外のローダミンを除去した。洗浄した各細胞を、フリーザー(−80℃)を用いて30分間凍結した。解凍後、室温に戻したサンプル中のローダミンの蛍光強度をマルチラベルプレートカウンター(Wallac 1420 ARVO MX-2;Perkin Elmer社)で測定した。
【0043】
図5は、シクロスポリンAの濃度とローダミンの蛍光強度との関係を示すグラフである。ローダミンの蛍光強度は、シクロスポリンAを添加していない場合(0μM)におけるローダミンの蛍光強度を100%としたときの相対値を示している。図5に示されるように、シクロスポリンAを添加していない場合と比較して、終濃度が0.25μMとなるようにシクロスポリンAを添加すると、蛍光強度が166%に増加した。このことから、シクロスポリンAがABCB1の排出機能を抑制していることがわかる。
【0044】
図6は、パロキセチンの濃度とローダミンの蛍光強度との関係を示すグラフである。ローダミンの蛍光強度は、パロキセチンを添加していない場合(0μM)におけるローダミンの蛍光強度を100%としたときの相対値を示している。図6に示されるように、パロキセチンを添加していない場合と比較して、終濃度が1μMとなるようにパロキセチンを添加すると、蛍光強度が118%に増加した。このことから、パロキセチンがABCB1の排出機能を抑制していることがわかる。
【0045】
図7は、ミルナシプランの濃度とローダミンの蛍光強度との関係を示すグラフである。ローダミンの蛍光強度は、ミルナシプランを添加していない場合(0μM)におけるローダミンの蛍光強度を100%としたときの相対値を示している。図7に示されるように、ミルナシプランを添加していない場合と比較して、終濃度が1μMとなるようにミルナシプランを添加すると、蛍光強度が186%に増加した。このことから、ミルナシプランは、シクロスポリンAおよびパロキセチンと同様に、ABCB1の排出機能を抑制していることがわかる。また、図5〜図7の結果を比較すると、ミルナシプランが、最もP糖タンパク質の排出機能を抑制できることもわかる。
【0046】
[実施例2]
実施例2では、パロキセチン(抗うつ薬)のみの投与では抗うつ効果が認められなかった3名のうつ病患者に対して、パロキセチンに加えてミルナシプランを投与した例を示す。
【0047】
症例1(35歳、女性)
女性は、5月、父親との口論から大量に薬物を服薬し、リストカットをした。その後、女性は、パロキセチン40mg/日およびドスレピン25mg/日の服用を開始したが、抑うつの症状が持続していた。
【0048】
女性は、同年7月には会社に出勤できなくなり、休職して自宅療養を行っていたが、抑うつの症状は改善しなかった。このとき、女性のハミルトンうつ病評価尺度(HAMD)は、29点であった。女性は、同年8月31日になっても抑うつの症状が改善しなかったため、ミルナシプラン30mg/日を追加で服用した。さらに、同年9月17日からミルナシプランの服用量を45mg/日に増量した。
【0049】
同年11月26日には、抑うつ気分もほとんど良くなり、外出および朝30分のジョギングができるようになった。このときのHAMDは、4点であった。同年12月からは、半日出勤できるようになり、抑うつ状態は改善した。このときのHAMDは、0点であった。翌年1月20日から通常の出勤ができるようになった。
【0050】
症例2(43歳、女性)
女性は、1月からうつ病にて、パロキセチン40mg/日、クロミプラミン100mg/日およびブロマゼパム20mg/日を服用していたが、抑うつの症状が持続していた。
【0051】
女性は、同年3月、抑うつの症状が悪化し、焦燥感が強くなった。女性は、左手首を長さ3cmリストカットしたため、ミルナシプラン30mg/日を追加で服用した。このときのHAMDは、32点であった。同年4月でも焦燥感が持続しており、意思の低下も強く、家事もほとんどできない状態が持続していたため、ミルナシプランの服用量を75mg/日に増量した。
【0052】
同年5月には、焦燥感および自殺念慮が消失すると共に、意欲の低下も改善され、午後から家事ができるようになった。このときのHAMDは、5点であり、抑うつの症状が軽快した。同年6月には、ほとんどの家事ができるようになった。このときのHAMDは、0点であり、抑うつの症状が改善した。
【0053】
症例3(54歳、女性)
女性は、12月からパロキセチン30mg/日を服用したが、中等度の抑うつ気分、食欲の低下、自殺念慮、意欲の低下により、昼過ぎまで横になっている生活が持続していた。翌年6月になっても抑うつの症状が持続し、さらに目のかすみ、眼痛、頭痛、胸部痛、意欲の低下が悪化し、家事がほとんどできなくなったため、ミルナシプラン30mg/日を追加で服用した。このときのHAMDは、35点であった。
【0054】
同年8月には、思考抑制、頭痛などの自律神経症状、中等度の抑うつ症状が持続していたため、ミルナシプランの服用量を50mg/日に増量した。同年9月になっても抑うつの症状は持続しており、ミルナシプランの服用量を75mg/日に増量した。さらに、同年10月には、ミルナシプランの服用量を125mg/日に増量した。
【0055】
同年12月には、家事もできるようになり、意欲の低下、思考の抑制、抑うつ症状が改善した。このときのHAMDは、3点であった。
【0056】
以上の3つの症例では、ミルナシプランが、血液脳関門や神経細胞内からP糖タンパク質によるパロキセチンの排出を抑制したと推測される。このようにパロキセチンとミルナシプランを併用することで、脳内のパロキセチン濃度、さらには神経細胞内のパロキセチン濃度が上昇し、抑うつの症状が改善されたことが示唆される。
【産業上の利用可能性】
【0057】
たとえば、本発明のP糖タンパク質の排出機能抑制剤は、P糖タンパク質の基質となる薬剤の効果を高める医薬品として有用である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ミルナシプランを有効成分として含む、P糖タンパク質の排出機能抑制剤。
【請求項2】
細胞内に取り込まれた薬剤がP糖タンパク質により細胞外に排出されることを抑制する、請求項1に記載のP糖タンパク質の排出機能抑制剤。
【請求項3】
前記薬剤は、抗悪性腫瘍薬、抗精神病薬または抗うつ薬である、請求項2に記載のP糖タンパク質の排出機能抑制剤。
【請求項4】
前記細胞は、神経細胞である、請求項2に記載のP糖タンパク質の排出機能抑制剤。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図4】
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【公開番号】特開2013−35836(P2013−35836A)
【公開日】平成25年2月21日(2013.2.21)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2012−158679(P2012−158679)
【出願日】平成24年7月17日(2012.7.17)
【出願人】(596165589)学校法人 聖マリアンナ医科大学 (53)
【Fターム(参考)】