説明

TCA生成能の低い麹菌及びその作出方法

【課題】麹菌において2,4,6-トリクロロフェノール(TCP)から2,4,6-トリクロロアニソール(TCA)への変換に関与する酵素をコードする遺伝子を同定し、清酒のカビ臭の主要な原因物質であるTCAの生成を防止することができる新規な手段を提供すること。
【解決手段】麹菌においてAO080521000231遺伝子の発現を低下又は欠失させることを含む、2,4,6-トリクロロアニソール生成能が低下した麹菌の作出方法を提供した。該遺伝子の発現の低下又は欠失は、例えば遺伝子破壊により行なわれる。該遺伝子の発現が低下又は欠失した麹菌によれば、TCA含量が低くカビ臭のない清酒を製造することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、清酒におけるカビ臭の原因となる2,4,6-トリクロロアニソール(TCA)の生成能が低下した麹菌の作出方法に関する。
【背景技術】
【0002】
カビ臭は清酒の品質を著しく損なうため,その防止は重要な問題である。その原因物質は主として2,4,6-トリクロロアニソール(TCA)であり,TCAの汚染経路は,清酒醸造の製麹工程において麹菌による2,4,6-トリクロロフェノール(TCP)からTCAへの変換が推定されること,さらに,清酒貯蔵中にも木製パレット等の環境からTCA汚染を受けることが報告されている(非特許文献1〜3)。TCAの認知閾値は清酒で1.7 ng/l(非特許文献4),ワインで2 ng/l(非特許文献5)と極めて低い。一方,TCPは防虫・防カビ剤として散布された木材やコルクに残留したり,次亜塩素酸ソーダなどの塩素酸系殺菌剤により材木中のリグニンが分解,塩素化されて生成したりすることが知られている(非特許文献2)。
【0003】
麹菌においては市販種麹を用いた試験で全ての種麹にTCPのメチル化能があり,TCPが存在すると製麹によりTCAが発生することが確認されているが(非特許文献3),TCPからTCAへの変換に関与する酵素は特定されていない。カビ臭防止のためには,TCPが含まれていない木製用具を使用すること,塩素酸系殺菌剤を使用しないこと等が必要であるが,それに加えて製麹工程でのTCA生成を防止するため,TCPのメチル化能がない麹菌の育種が望まれている。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】J. Biosci. Bioeng., 100, 178-183 (2005)
【非特許文献2】醸協,102,90-97 (2007)
【非特許文献3】醸協,104,777-786 (2009)
【非特許文献4】醸協,99,652-658 (2004)
【非特許文献5】J. Agric. Food Chem., 50, 1032-1039 (2002)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明の目的は、麹菌においてTCPからTCAへの変換に関与する酵素をコードする遺伝子を同定し、清酒のカビ臭の主要な原因物質であるTCAの生成を防止することができる新規な手段を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本願発明者らは、Aspergillus oryzae RIB40ゲノムデータベース(http://nribf2.nrib.go.jp/)からメチル基転移酵素をコードしていると推定される遺伝子を多数抽出し、麹菌において各遺伝子を順次破壊して遺伝子破壊株を鋭意作製し、各破壊株を用いてTCP添加した条件下で製麹を行ない、得られた麹中のTCA含量を測定することにより、AO080521000231遺伝子破壊株で親株と比較して顕著に麹中TCA含量が低下していることを見出し、本願発明を完成した。
【0007】
すなわち、本発明は、麹菌においてAO080521000231遺伝子の発現を低下又は欠失させることを含む、2,4,6-トリクロロアニソール生成能が低下した麹菌の作出方法を提供する。また、本発明は、AO080521000231遺伝子の発現が低下又は欠失している、2,4,6-トリクロロアニソール生成能の低い麹菌を提供する。さらに、本発明は、AO080521000231遺伝子のコード領域よりも上流のゲノム部分領域と相同な領域からなる上流側相同領域と、AO080521000231遺伝子のコード領域よりも下流のゲノム部分領域と相同な領域からなる下流側相同領域とを含み、正常なAO080521000231遺伝子を含まないDNA断片を提供する。さらに、本発明は、上記本発明の麹菌を繁殖させた麹を原料として用いて清酒を製造することを含む、2,4,6-トリクロロアニソール含量の低い清酒の製造方法を提供する。
【発明の効果】
【0008】
本発明により、製麹工程でTCPのTCAへの変換に関与する主要なO-メチルトランスフェラーゼをコードする麹菌遺伝子が初めて同定され、TCP存在下でも製麹中のTCA生成が抑制される麹菌が初めて提供された。本発明の麹菌を用いて麹を製造し、この麹を原料として清酒を製造すれば、TCPが含まれているおそれのある木製用具等を使用しても、製麹中のTCA生成を大幅に抑えることができるため、TCA含量が低くカビ臭のない清酒を製造することができる。
【図面の簡単な説明】
【0009】
【図1】遺伝子破壊用DNA断片の増幅のためのfusion PCRの概略を説明する図である。A、B、C、D、A2、D2、adeA-F、及びadeA-RはPCRプライマーである。
【図2】TCP存在下で製造した麹のTCA含量の相対値を示すグラフである。
【図3】遺伝子破壊の確認のために行なったPCRの詳細を説明する図である。
【発明を実施するための形態】
【0010】
本願発明者らは、麹菌において製麹工程でTCPをメチル化してTCAに変換する反応を担う主要な酵素をコードする遺伝子として、AO080521000231遺伝子を初めて同定した。該遺伝子は、麹菌ゲノムの第8番染色体上に位置し、S-アデノシルメチオニン(SAM)依存性メチルトランスフェラーゼをコードしていることが知られていた遺伝子であり、Aspergillus oryzae RIB40ゲノムデータベース(http://nribf2.nrib.go.jp/)にAO080521000231として登録されている。該データベースに登録されているAO080521000231遺伝子のcDNA配列及びこれにコードされるタンパク質のアミノ酸配列を配列番号1及び2に示す。また、AO080521000231遺伝子及びその近傍のゲノム配列を配列番号3に示す。配列番号3中の2001nt-3460ntの領域がAO080521000231遺伝子のコード領域である。
【0011】
本発明において、「AO080521000231遺伝子」とは、配列番号2に示すアミノ酸配列と同一の配列からなるタンパク質をコードし、ゲノム配列が配列番号3の2001nt-3460ntと同一である遺伝子に限定されず、天然に生じ得る変異を含む変異配列からなり、かつ、メチル基転移酵素活性を有するタンパク質をコードするAO080521000231遺伝子も包含する。そのような変異配列は、通常、少数(例えば、1〜20個、1〜15個、1〜10個、又は1〜数個)の塩基ないしはアミノ酸の置換、欠失、挿入又は付加を含み、特に限定されないが、もとの配列との同一性は90%以上、例えば95%以上、あるいは98%以上である。ここで、配列の「同一性」とは、アミノ酸配列の場合であれば、比較すべき2つのアミノ酸配列のアミノ酸残基ができるだけ多く一致するように両アミノ酸配列を整列させ、一致したアミノ酸残基数を、全アミノ酸残基数で除したものを百分率で表したものである。上記整列の際には、必要に応じ、比較する2つの配列の一方又は双方に適宜ギャップを挿入する。このような配列の整列化は、例えばBLAST、FASTA、CLUSTAL W等の周知のプログラムを用いて行なうことができる。ギャップが挿入される場合、上記全アミノ酸残基数は、1つのギャップを1つのアミノ酸残基として数えた残基数となる。このようにして数えた全アミノ酸残基数が、比較する2つの配列間で異なる場合には、同一性(%)は、長い方の配列の全アミノ酸残基数で、一致したアミノ酸残基数を除して算出される。塩基配列の同一性についても同様である。
【0012】
本発明では、麹菌においてAO080521000231遺伝子の発現を低下又は欠失させる。特定の遺伝子の発現を低下又は欠失させるための遺伝子改変方法はこの分野で広く知られており、当業者であれば適宜選択して実行できる。具体例としては、アンチセンス法、RNAi、遺伝子破壊法等を挙げることができるが、これらに限定されない。本発明においては、AO080521000231遺伝子を破壊することが好ましい。
【0013】
「AO080521000231遺伝子を破壊する」とは、麹菌ゲノムの少なくとも一部のアリルにおいて、好ましくは全てのアリルにおいて、麹菌ゲノム上のAO080521000231遺伝子のコード領域を欠失させること又は正常な遺伝子産物を産生できないように変異させることをいう。AO080521000231遺伝子の欠失は、コード領域の全体を欠失させてもよく、また一部を欠失させてもよい。全体を欠失させる場合には、AO080521000231遺伝子に隣接する領域もあわせて広く欠失させてもよい。一部を欠失させる場合には、特に限定されないが、AO080521000231遺伝子のコード領域の半分以上を欠失させることが好ましい。コード領域の変異によりAO080521000231遺伝子を破壊する場合には、例えば、該コード領域の好ましくは中央よりも上流の部位にナンセンス変異又はフレームシフト変異を導入して、メチルトランスフェラーゼ活性を有しない短縮型のタンパク質又は全く無関係なタンパク質の配列とすることができる。AO080521000231遺伝子の一部又は全部を他の配列(例えばマーカー遺伝子配列)に置き換えてもよい。
【0014】
麹菌の遺伝子破壊方法は公知であり、相同組換えを利用した手法により目的遺伝子を破壊することができ、例えば、北本勝ひこ,丸山潤一:発酵・醸造食品の最新技術と機能性(シーエムシー出版,東京),95-103 (2006)等に記載されている。具体的には、例えば、AO080521000231遺伝子の上流及び下流のゲノム領域を麹菌ゲノムからPCRにより増幅して上流側相同領域及び下流側相同領域を調製し、正常なAO080521000231遺伝子を含まない配列の両末端に2つの相同領域をそれぞれ連結して遺伝子破壊用DNA断片を調製し、これを麹菌細胞に導入すればよい。麹菌が有する内在の酵素の働きで、相同な領域間で相同組換えが生じ、ゲノム中のAO080521000231遺伝子領域が遺伝子破壊用DNA断片と置き換わるので、ゲノムからAO080521000231遺伝子を欠失させることができる。
【0015】
相同領域としては、通常、麹菌ゲノム中の対応する領域と同一の塩基配列からなる断片が用いられるが、対応領域と一部が異なる配列であっても、麹菌細胞内で相同組換えが生じる程度の配列同一性を有していれば、相同領域として使用することができる。すなわち、相同領域には、配列番号3に示される塩基配列中の対応する部分と同一の塩基配列からなるものの他、該塩基配列において相同組換えが起きる程度に少数(好ましくは1個又は数個)の塩基が置換し、欠失し、挿入され又は付加された塩基配列からなる断片も包含される。相同領域と配列番号3中の対応領域との同一性は90%以上、好ましくは95%以上、より好ましくは98%以上であり、最も好ましくは100%である。本発明において、ある領域と「相同な領域」とは、その領域と上記の通りの同一性を有する塩基配列からなる領域をいう。
【0016】
相同領域のサイズは特に限定されないが、鎖長が長い方が相同組換えの効率が高まり、短くなりすぎると効率が低下することがあるため、通常30塩基以上であり、麹菌の形質転換においては500塩基程度以上、好ましくは700塩基程度以上のものが好ましく用いられる。サイズの上限は特に限定されないが、DNA合成の便宜から通常は10000塩基以下、好ましくは2500塩基以下である。
【0017】
例えば、配列番号3に示す配列のうち、AO080521000231遺伝子コード領域は2001nt-3460ntであるから、1nt-2000ntの上流領域のうちの500塩基以上、好ましくは700塩基以上の領域を増幅して上流側相同領域を、3461nt-5460ntの下流領域のうちの500塩基以上、好ましくは700塩基以上の領域を増幅して下流側相同領域をそれぞれ得ることができる。下記実施例では、配列番号3中の723nt-1535ntを増幅して上流側相同領域とし、3521nt-4947ntを増幅して下流側相同領域としているが、これに限定されない。なお、配列番号3にはAO080521000231遺伝子コード領域の上下流の各2000塩基の配列を示しているが、これよりさらに上流ないし下流の配列は、上記したAspergillus oryzae RIB40ゲノムデータベース等から入手することができる。
【0018】
「正常なAO080521000231遺伝子」とは、製麹工程においてTCPをTCAに変換するメチルトランスフェラーゼ活性を正常に発揮できるタンパク質をコードしている遺伝子である。相同領域と連結する「正常なAO080521000231遺伝子を含まない配列」は、AO080521000231遺伝子以外の他の遺伝子配列でもよいし、正常なメチルトランスフェラーゼとして機能するタンパク質をコードしない変異AO080521000231遺伝子であってもよい。他の遺伝子配列としてマーカー遺伝子を用いることで、形質転換体(遺伝子破壊株)のスクリーニングが容易になる。
【0019】
マーカー遺伝子としては、導入する菌株の栄養要求性に適合した栄養要求性相補遺伝子や、各種薬剤耐性遺伝子等を適宜選択して用いることができる。栄養要求性マーカーの場合は、遺伝子破壊の親株として、該当するマーカー遺伝子をもともと欠失している菌株を用いる必要があるが、麹菌遺伝子破壊株を用いて製造された食品に対する消費者の安心を得る観点からは栄養要求性マーカー遺伝子が有利である。一方、薬剤耐性マーカーは、使用する親株の遺伝的背景に制限がなく、より広い範囲の麹菌に対し利用することができ有利である。
【0020】
各種のマーカー遺伝子が公知であり、適宜選択して使用することができる。例えば、栄養要求性マーカー遺伝子としては、adeA遺伝子(アデニン合成に関与し、アデニン要求性を相補)、sC遺伝子(硫酸(硫黄源)資化に関与し、硫酸(硫黄源)資化欠損株の栄養要求性を相補)、argB遺伝子(アルギニン合成に関与し、アルギニン要求性を相補)等が知られている。これら遺伝子の配列は公知であり、前掲のAspergillus oryzae RIB40ゲノムデータベースやNCBIのGenBank等から配列情報を入手できる。例えば、下記実施例では、adeAを欠損しアデニン要求性である麹菌株を遺伝子破壊の親株として使用し、マーカー遺伝子としてadeA遺伝子を用いることで、アデニン要求性を指標として遺伝子破壊株をスクリーニングしている。adeA遺伝子の配列は、Aspergillus oryzae RIB40ゲノムデータベースにはAO080527000383として、またGenBankにはAB121755のアクセッション番号で登録されている。配列番号4に示す配列は、adeA遺伝子及びその近傍のゲノム配列であり、下記実施例では360nt-2362ntの領域を用いて遺伝子破壊用DNA断片を調製しているが、これに限定されない。薬剤耐性マーカー遺伝子としては、例えば、ptrA遺伝子(チアミンの代謝拮抗アナログであるピリチアミンに対する耐性遺伝子)等が挙げられるが、これに限定されない。
【0021】
上流側相同領域及び下流側相同領域とマーカー遺伝子DNAとの連結はfusion PCR法により行うことができる(図1参照)。上流側相同領域及び下流側相同領域をゲノムから増幅する際、マーカー遺伝子末端の部分領域とハイブリダイズする相補領域をプライマー対の一方(図1ではB及びC)に付加しておき、この相補領域において3つの断片をハイブリダイズさせて1本のDNA断片に融合し、これを鋳型としてPCRを行えば、[上流側相同領域]−[マーカー遺伝子]−[下流側相同領域]が連結した構造の遺伝子破壊用DNA断片を増幅することができる。なお、該DNA断片内でのマーカー遺伝子の方向性は、図1と同じでも逆向きであってもよい。
【0022】
遺伝子破壊用DNA断片は、pUSC等のプラスミドベクターに組み込んで麹菌細胞に導入してもよいし(Bioscience, Biotechnology, and Biochemistry, 61(8),1367-1369,1997)、あるいは、下記実施例にも記載されているプロトプラスト法により、DNA断片のまま麹菌細胞に導入することもできる。プロトプラスト法を簡単に記載すると、麹菌分生子を液体培地中で24時間程度培養した後、孔サイズ20〜30μm程度の不織布等で濾過して菌体を回収し、これを糸状菌細胞壁溶解酵素(キチナーゼ、キトビアーゼ、β-1,3-グルカナーゼ等)を含むプロトプラスト化溶液中で数時間振とう培養し、次いでガラスフィルター等で濾過して菌体残渣を除去することで、麹菌プロトプラストを得ることができる。プロトプラスト懸濁液と遺伝子破壊用DNAを混合し、数十分氷冷後、ポリエチレングリコールを混合して静置後、寒天選択培地上で培養すればよい。
【0023】
マーカーによるスクリーニング後に得られる形質転換体は、全てのアリルのAO080521000231遺伝子が破壊されたホモ破壊株か、又は一部のアリルのAO080521000231遺伝子が破壊され、少なくとも1つのアリルのAO080521000231遺伝子が破壊されずに残っているヘテロ破壊株であるが、遺伝子破壊用DNA断片が異所的に組み込まれたAO080521000231非破壊株が得られることもある。従って、マーカーによるスクリーニング後、適宜サザン解析やPCR増幅産物の確認、ダイレクトシークエンシング等を行ない、目的通りの位置にDNA断片が挿入されAO080521000231遺伝子が破壊されていることを直接確認することが望ましい。
【0024】
本発明では、AO080521000231遺伝子の発現を完全に欠失できるホモ破壊株が好ましい。ホモ破壊株は、上記した遺伝子破壊方法で直接得ることができるし、また、得られたヘテロ破壊株を遺伝子破壊の親株として、全てのアリルのAO080521000231遺伝子が破壊されるまで繰り返し遺伝子破壊処理を行なってもよい。それぞれの遺伝子破壊処理で異なるマーカー遺伝子を使用すれば、マーカー遺伝子によるスクリーニングが可能になる。また、交配可能な麹菌株を用いて遺伝子破壊株を作製した場合には、ヘテロ破壊株の交配によりホモ破壊株を得ることもできる。
【0025】
本発明では、麹菌の種類は特に限定されず、黄麹菌(Aspergillus oryzae)、黒麹菌(Aspergillus niger、Aspergillus awamoriなど)、白麹菌(Aspergillus shirousamii、Aspergillus kawachii)といったアルペルギルス(Aspergillus)属菌を広く包含する。
【0026】
AO080521000231遺伝子の発現が低下又は欠失した麹菌では、TCA生成能が低下する。すなわち、正常なAO080521000231遺伝子を有するもとの親株と比較して、TCPからTCAを生成する能力が低い。該遺伝子が破壊された麹菌株では、TCA生成能が親株の20%未満、例えば15%未満に低下し得る。TCP共存下で製麹してもTCA生成量が低いので、本発明の麹菌を米等に繁殖させて麹を製造し、この麹を原料として清酒を製造すれば、TCPが含まれているおそれのある木製用具等を使用しても、TCAの生成を大幅に抑えることができ、TCA含量の低い清酒を製造できる。TCAの認知閾値は清酒で1.7 ng/lと非常に低く、製造された清酒中にごく微量に存在していてもカビ臭として知覚されるおそれがあるが、本発明の麹菌を用いれば、清酒のカビ臭発生を簡便に防止することができる。
【実施例】
【0027】
以下、本発明を実施例に基づきより具体的に説明する。もっとも、本発明は下記実施例に限定されるものではない。
【0028】
1. 麹菌遺伝子破壊株の作成
Aspergillus oryzae NSR-ΔlD2株(niaD- sC- adeA- ΔligD)(Maruyama, J., Kitamoto, K.: Biotechnol. Lett., 30,1811-1817 (2008))を宿主とし,adeA遺伝子(AO080527000383)をマーカーとしてAO080521000231遺伝子の破壊を行なった。fusion PCR法及びプロトプラスト法は、北本勝ひこ,丸山潤一:発酵・醸造食品の最新技術と機能性(シーエムシー出版,東京), 95-103 (2006)に記載の方法に準じて行なった。
【0029】
(1) AO080521000231遺伝子破壊用DNA断片の作製
まず,QIAGEN社製のDNeasy Plant Maxi Kitを用いてAspergillus oryzae RIB40株よりゲノムDNAを抽出した。これを鋳型とし,fusion PCR法でDNA断片を作製した(図1)。最初のステップとして,ターゲットであるAO080521000231遺伝子の5'側に隣接する領域(「上流側相同領域」、配列番号3中の723nt-1535nt、使用プライマーはA及びB)及び3'側に隣接する領域(「下流側相同領域」、配列番号3中の3521nt-4947nt、使用プライマーはC及びD)並びにadeA遺伝子領域(adeA断片、配列番号4中の360nt-2362nt、使用プライマーはadeA-F及びadeA-R)の計3つの断片を通常のPCRにより増幅した。ターゲット遺伝子増幅の際の5'側プライマーB及び3'側プライマーCには、adeA断片の5'末端部分及び3'末端部分との相補配列をそれぞれ付加した(表1中の小文字の部分)。
【0030】
【表1】

【0031】
続いて,これらの3つの断片をfusion PCRにより融合し,ターゲット遺伝子がadeA遺伝子で置換された破壊用DNA断片を作製した。PCR用酵素には東洋紡績社製のKOD-Plus-Ver.2を使用し,fusion PCRは94℃ 2分,(94℃ 15秒,64℃ 30秒,68℃ 3分)×30サイクル,68℃ 2分の条件で行った。最後に,QIAGEN社製のQIAquick PCR Purification Kitを用いてfusion PCR産物の精製と濃縮(濃度0.2〜2μg/μl)を行った。
【0032】
(2) 形質転換
作製したDNA断片をAspergillus oryzae NSR-ΔlD2株にプロトプラスト法で導入した。プロトプラストの調製のために,培地200 ml(グルコース 4 g,バクトトリプトン 0.2 g,酵母エキス 1 g,NaNO3 0.2 g,K2HPO4 0.1 g,MgSO4・7H2O 0.1 g,FeSO4・7H2O 0.002 g,アデニン 0.1 g(pH 6.0))にNSR-ΔlD2株の分生子約1×108個を接種し,30℃,105 rpmで24時間振とう培養を行った。培養液をCALBIOCHEM社製のミラクロスでろ過して菌体を回収し,20 mlのプロトプラスト化溶液(0.5% Yatalase(タカラバイオ社製),0.8 M NaCl, 10 mM リン酸緩衝液(pH 6.0))が入った遠沈管に移し,30℃,80 rpmで3時間振とうした。その後,ミラクロスとガラスフィルター(IWAKI 3G1)でろ過して菌体残渣を除去し,ろ液を回収した。ろ液を4℃,3000 rpmで5分間遠心分離し,沈殿に溶液1(0.8 M NaCl,10 mM CaCl2,10 mM Tris-HCl(pH 8.0))をプロトプラストが2.4×108個/mlになるように加えて懸濁した。
【0033】
DNA断片の導入のために,最初にプロトプラスト懸濁液 50μlに溶液2(40% PEG4000,50 mM CaCl2,10 mM Tris-HCl(pH 8.0))12.5μlと破壊用DNA断片5μlを加え,ゆるやかに混合し,氷上で30分間静置した。対照として,adeA遺伝子(adeA-FとadeA-RのPCR産物,図1)をDNA断片として添加したもの,及びDNA断片を添加しないものも同様に調製した。次に,溶液2を500μl加え,ゆるやかに混合し,室温で15分間静置した。最後に,溶液1を1 ml加え,ゆるやかに混合した。この一部を2%寒天選択培地(グルコース 20 g,L-グルタミン酸 3 g,KCl 0.5 g,NaCl 46.75 g,K2HPO4 1 g,MgSO4・7H2O
0.5 g,FeSO4・7H2O 0.02 g,L-メチオニン 1.5 g/l(pH 5.5))の上に添加した後,0.7%軟寒天選択培地 5〜10 mlを加えて重層した。30℃で1週間培養し,コロニーが現れたら選択培地に数回植えつぎ,形質を安定させた。
【0034】
遺伝子破壊の確認のために,寒天培地上の形質転換株をかきとり,東洋紡績社製のKOD-FXを用いて取扱説明書に従ってダイレクトPCRを行った。PCRプライマーはA2とD2,adeA-FとD,及びAとadeA-R(表1)の3つの組み合わせを用いた(図3)。
【0035】
2. 麹菌のTCPメチル化能の測定
(1) 製麹
直径9 cmのガラスシャーレにα米(精米歩合70%)15 gをはかりとり,95℃で2時間乾熱滅菌後放冷し,TCP(10 ng/ml)を含有した0.05% Tween 80水溶液を7.5 ml 添加し,分生子をα米1 g当たり約1×106個接種した。これを恒温恒湿器(アドバンテック社製のTHE101FA)に入れ,温度35℃,湿度80%(一定)で44時間製麹を行った(醸協,104,777-786 (2009)、及び醸協,73,402-404 (1978))。なお,シャーレはビニールテープで密封してTCPとTCAの飛散を防ぎ,18,23,27時間目に蓋を開け,酸素の供給と撹拌を行った。
【0036】
(2) 麹のTCA含量の測定
TCAの抽出については麹1 gをバイアルに採り,50% エタノール水溶液を9 ml添加した後,4℃で24時間静置した。この抽出液2 mlに純水8 mlと塩化ナトリウム2 gを添加し,ポリジメチルシロキサンをコーティングした撹拌子(GERSTEL社製のTwister)を用いて30℃,800 rpm,60分間撹拌し,臭い物質を吸着させた。吸着後,既報(醸協,104,777-786 (2009))の方法に従ってGC/MSでTCA量を測定した。測定は2回行い,平均値(麹1 g当たり)で示した。
【0037】
3. 麹の酵素活性と菌体量の測定
(1) 製麹
直径15 cmのガラスシャーレにα米(精米歩合70%)100 gをはかりとり,95℃で2時間乾熱滅菌後放冷し,TCP(10 ng/ml)を含有した0.05% Tween 80水溶液を43.3 ml 添加し,分生子をα米1 g当たり約1×106個接種した。これを恒温恒湿器に入れ,48時間製麹を行った(醸協,73,402-404 (1978))。恒温恒湿器は開始から24時間は温度32℃,湿度95%,24〜30時間は34℃,95%,30〜35時間は38℃,90%,35〜38時間は42℃,85%,38時間以降は42℃,80%に設定した。設定変更時(24,30,35,38時間目)にはシャーレの蓋を開け,酸素の供給と撹拌を行った。なお,シャーレは製麹開始から24時間はガラスの蓋をし,24〜35時間はろ紙(アドバンテック社製の定性濾紙No.2 直径285 mm)を被せた上にガラスの蓋をし,35時間以降はろ紙のみで蓋をした。
【0038】
(2) 麹の各種酵素活性と菌体量の測定
国税庁所定分析法「211-4-2 酵素液の調製」に従って麹の酵素液を調製し,キッコーマン社製のα-アミラーゼ測定キット,糖化力測定キット,及び酸性カルボキシペプチダーゼ測定キットを使用してそれぞれ測定した。酸性プロテアーゼは酒類総合研究所標準分析法(「111-10 酸性プロテアーゼ」,http://www.nrib.go.jp/data/nribanalysis.htm)に従って測定した。また,キッコーマン社製の麹菌量測定キットを使用して麹の菌体量を測定した。測定は3回行い,平均値(麹1 g当たり)で示した。
【0039】
結果及び考察
形質転換操作により、数株のAO080521000231遺伝子破壊株(ホモ破壊株及びヘテロ破壊株、図3に示すPCRで確認)が得られた。選択培地上のコロニーはAO080521000231遺伝子破壊株と対照株(adeA遺伝子断片導入)で同様の形態を示した。
【0040】
形質転換で得られたAO080521000231遺伝子破壊株(ホモ破壊株)を数株、対照株、及び参考のためにRIB40株を用いてそれぞれ製麹を行なった。また,既に報告されている通り、TCPをα米1 g当たり0〜6.7 ng添加して製麹を行い,TCPの添加量とTCAの生成量との関係を検討した結果,α米へのTCPの添加量が増えるに従ってTCAの生成量も増えたことから(J. Biosci. Bioeng., 100, 178-183 (2005)、醸協,102,90-97 (2007)),TCPをこの範囲内のα米1 g当たり5 ngとなるように添加した。その結果,全ての菌株について外観的に正常な麹ができ,麹の状貌の使用菌株による違いは見られなかった。
【0041】
各麹のTCA含量を測定し,使用した破壊株数株の数値を平均し,対照株のTCA含量(麹1 g当たり2.1 ng)を1とする相対値で評価したところ,AO080521000231遺伝子破壊株ではTCAの生成量が0.12倍に減少した(図2)。なお,TCPを添加したα米に分生子を接種せず,同様の製麹操作を行った場合,TCAは検出されなかった。
【0042】
次に,AO080521000231遺伝子破壊株,対照株,及びRIB40株を使用し,TCPを添加せず,実際に近い温度と湿度の条件で新たに製麹を行った後,麹の各種酵素活性と菌体量を測定した。その結果,α-アミラーゼ活性,グルコアミラーゼ活性,酸性カルボキシペプチダーゼ活性,酸性プロテアーゼ活性,菌体量において明確な差が見られなかった(表2)。従って,AO080521000231の遺伝子破壊株は正常な麹をつくる能力を維持したままTCPのメチル化能が低下していることがわかった。
【0043】
【表2】

【0044】
また,AO080521000231はAoEST07474に対応し,米麹において発現することが確認されていることから,この遺伝子が製麹中にTCPのTCAへの変換に関与する主要なO-メチルトランスフェラーゼをコードしている可能性が示唆された。なお,AO080521000231の遺伝子破壊によってTCAの生成が完全には抑制されなかったことから,他の遺伝子も関与している可能性が考えられた。
【0045】
先に,Trichoderma longibrachiatumのクロロフェノールO-メチルトランスフェラーゼ(CMT1)をコードする遺伝子cmt1が報告された(GenBank accession no. FN554867)(Fungal Genet. Biol., 47, 458-467 (2010))。CMT1の推定アミノ酸配列をAO080521000231のものと比較してみると,相同性(identity)は27%に過ぎなかったことから,麹菌の酵素の性質はCMT1と異なっていることが推測された。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
麹菌においてAO080521000231遺伝子の発現を低下又は欠失させることを含む、2,4,6-トリクロロアニソール生成能が低下した麹菌の作出方法。
【請求項2】
麹菌ゲノム中のAO080521000231遺伝子を破壊することを含む請求項1記載の方法。
【請求項3】
AO080521000231遺伝子のコード領域よりも上流のゲノム部分領域と相同な領域からなる上流側相同領域と、AO080521000231遺伝子のコード領域よりも下流のゲノム部分領域と相同な領域からなる下流側相同領域とを含み、正常なAO080521000231遺伝子を含まないDNA断片を麹菌細胞に導入し、該DNA断片と麹菌ゲノムとの間で相同組換えを生じさせることによりAO080521000231遺伝子を破壊する請求項2記載の方法。
【請求項4】
前記上流側相同領域が、配列番号3に示す塩基配列中の1nt-2000ntの領域内の連続する500塩基以上の領域と相同な領域からなり、前記下流側相同領域が、配列番号3に示す塩基配列中の3461nt-5460ntの領域内の連続する500塩基以上の領域と相同な領域からなる請求項3記載の方法。
【請求項5】
AO080521000231遺伝子の発現が低下又は欠失している、2,4,6-トリクロロアニソール生成能の低い麹菌。
【請求項6】
AO080521000231遺伝子が破壊されたゲノムを有する請求項5記載の麹菌。
【請求項7】
AO080521000231遺伝子のコード領域よりも上流のゲノム部分領域と相同な領域からなる上流側相同領域と、AO080521000231遺伝子のコード領域よりも下流のゲノム部分領域と相同な領域からなる下流側相同領域とを含み、正常なAO080521000231遺伝子を含まないDNA断片。
【請求項8】
前記上流側相同領域が、配列番号3に示す塩基配列中の1nt-2000ntの領域内の連続する500塩基以上の領域と相同な領域からなり、前記下流側相同領域が、配列番号3に示す塩基配列中の3461nt-5460ntの領域内の連続する500塩基以上の領域と相同な領域からなる請求項7記載のDNA断片。
【請求項9】
請求項5又は6記載の麹菌を繁殖させた麹を原料として用いて清酒を製造することを含む、2,4,6-トリクロロアニソール含量の低い清酒の製造方法。

【図2】
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【図1】
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【図3】
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【公開番号】特開2013−9624(P2013−9624A)
【公開日】平成25年1月17日(2013.1.17)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−144214(P2011−144214)
【出願日】平成23年6月29日(2011.6.29)
【出願人】(301025634)独立行政法人酒類総合研究所 (55)
【Fターム(参考)】