説明

ε−Fe2O3結晶の製法

【課題】今後、需要の増大が見込まれるε−Fe23の、大量生産に適した、より簡便な製法を提供する。
【解決手段】少なくとも1種の3価の金属塩を、純水、または水溶性有機溶媒のみからなる溶媒に溶解して作成した金属塩溶液(I)と、アンモニア水等の中和剤溶液(II)を混合して金属塩中和物を前駆体として直接生成させた後、シランカップリング剤等の珪素系化合物で被覆する工程を付して珪素化合物被覆の前駆体を得た後に、熱処理によりε−Fe23結晶を得る方法を用いる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ε−Fe23結晶を合成するための前駆体の新たな製法、およびその前駆体を用いたε−Fe23結晶の製法に関する。
【背景技術】
【0002】
ε−Fe23は酸化鉄の中でも極めて稀な相であるが、最近、ナノオーダーの粒子サイズで室温において20kOe(1.59×106A/m)という巨大なHcを示すε−Fe23の存在が確認されている。Fe23の組成を有しながら結晶構造が異なる他形に関しては、従来より様々な検討がなされてきたが、ことにε−Fe23の結晶構造と磁気的性質が明らかにされたのは、非特許文献1〜3に見られるように、ε−Fe23結晶をほぼ単相の状態で合成できるようになったごく最近のことである。
【0003】
非特許文献に開示のあるε−Fe23は前述の通り、酸化物でありながらも巨大な保磁力を有するが、本願発明者らの検討によってFeサイトの一部を他種金属、とりわけ三価の金属イオンで置換することによって、保磁力を任意に調整できることがわかってきた。そのため、ε−Fe23結晶は高記録密度用の磁気記録媒体やその他の磁性用途、あるいは電波吸収用途への適用が期待されている。
【0004】
ε−Fe23結晶を再現性良く合成する手法としては、これまで非特許文献1〜3に示されるように、逆ミセル法とゾル−ゲル法を組み合わせた手法が行われてきた。これは、以下のようなものである。
【0005】
逆ミセル法は、界面活性剤に取り囲まれた水相(逆ミセル)を有機溶媒(油相)中に有する2種類のミセル溶液、すなわちミセル溶液I(原料ミセル)とミセル溶液II(中和剤ミセル)を撹拌混合することによって、ミセル内で水酸化鉄の沈殿反応を進行させるものである。そして、ミセル溶液I(鉄の水溶液)とII(アンモニア水等の中和剤溶液)を準備し、そしてそれらを混合・攪拌し、ミセルIとIIを衝突・合体させる。このとき、中和反応によって、合体後のミセル内には結晶性に乏しい鉄水酸化物を主体とする物質(合体物質)が合成される。
【0006】
ゾル−ゲル法は、ミセル内で生成した鉄水酸化物主体の合体物質の表面に珪素酸化物(シリカを主体とするもの)をコーティングするものである。例えばシラン化合物(テトラエトキシシラン、テトラメトキシシランなど)を、合体物質が懸濁した液に滴下しながら撹拌を続ける。これにより、鉄水酸化物の微細粒子の表面にシランの加水分解によって生成した珪素化合物がコーティングされる。この珪素化合物に覆われた状態の鉄酸化物主体粒子は、後述の熱処理によってε−Fe23に変化させることができる物質であることから、ここではこれを「前駆体」と呼んでいる。
【0007】
上記のようにして得られた前駆体は、液から分離されたあと、所定の温度(700〜1300℃の範囲内)で大気雰囲気下での熱処理に供される。この熱処理によりε−Fe23結晶が生成する。粒子表面の珪素酸化物は、アルカリ等を用いて大部分を溶解させることができるが、少量の珪素酸化物を粒子表面に残すことで分散性を改善したε−Fe23結晶の粒子からなる粉末を得ることもできる。
【0008】
なお、前駆体にアルカリ土類金属(Ba、Sr、Caなど)を含有させておくと、ε−Fe23結晶の成長段階でロッド状の粒子が成長しやすい。アルカリ土類金属を含有させない場合は球状の粒子が得られる。形状を制御するためのアルカリ土類金属を、以下において「形状制御剤」ということがある。形状制御剤は、例えばミセルI溶液に硝酸塩として添加される。
【0009】
【非特許文献1】Jian Jin,Shinichi Ohkoshi and Kazuhito Hashimoto,ADVANCED MATERIALS 2004,16,No.1,January 5,p.48-51
【非特許文献2】Jian Jin,Kazuhito Hashimoto and Shinichi Ohkoshi,JOURNAL OF MATERIALS CHIMISTRY 2005,15,p.1067-1071
【非特許文献3】Shunsuke Sakurai,Jian Jin,Kazuhito Hashimoto and Shinichi Ohkoshi,JOURNAL OF THE PHYSICAL SOCIETY OF JAPAN,Vol.74,No.7,July,2005,p.1946-1949
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
従来は上記のような方法を用い、ε−Fe23結晶を合成していた。ところが、こうした合成法を用いると、その製法を見ても明らかなとおり、有機溶媒および界面活性剤の使用が必須なものとなっている。よって、この合成法を工業的規模で実現するには、多量の有機溶媒および界面活性剤が必要であり、コスト面で不利になるだけでなく、環境に対する負荷も大きくなるおそれがある。そこで本発明では、かような問題を解決し、ε−Fe23結晶の大量生産に適した製法の提供を目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記の課題は、Feの塩(この際に他種の3価の金属(M元素)の存在を妨げない)を、純水または水溶性有機溶媒のみからなる溶媒に溶解して作成した金属塩溶液(I)と、アンモニア水等の中和剤溶液(II)を直接混合することで、金属塩中和物を生成させた後、シランカップリング剤等の珪素系化合物で被覆する工程を付して珪素化合物被覆の前駆体を形成させ、さらに熱処理を加えてε−Fe23と同じ空間群を有する結晶を得ることによって達成される。
【0012】
特にFeの一部が、他の三価の金属Al,Ga,In等で置換されているようなものを得たい場合には、上記の製造方法において、Feの一部を他の三価の金属で置き換えることにより、所望の組成を有する結晶を得ることができることがわかった。
【0013】
また本発明において、鉄の水酸化物(ただし、ε−Fe23結晶のFeサイトの一部を置換するための金属元素Mを含有していても構わない)が水中に分散している懸濁液に、アルカリにより溶解する性質を有する成分により被覆すること、なかでも加水分解基を持つ珪素化合物を添加して撹拌下で加水分解反応を進行させることにより、珪素含有物質に覆われた状態の前記化合物の水酸化物形態を有する粒子(前駆体)を形成させる、ε−Fe23と同じ空間群を有する結晶の前駆体の製法が提供される。なお、加水分解基は、加水分解によって水酸基に置き換わるものである。
【0014】
また、3価の鉄塩が溶解している水溶媒(ただし、ε−Fe23結晶のFeサイトの一部を置換するための金属元素Mの3価の金属塩が溶解していても構わない)に、中和剤を添加して撹拌混合状態で中和反応を進行させることにより、鉄の水酸化物(ただし、ε−Fe23結晶のFeサイトの一部を置換するための金属元素Mを含有していても構わない)を生成させる工程、および、その水酸化物が水中に分散している懸濁液に、アルカリにより溶解する性質を有する成分により被覆すること、とりわけ加水分解基を持つ珪素化合物を添加して撹拌下で加水分解反応を進行させることにより、珪素含有物質に覆われた状態の前記水酸化物の粒子(前駆体)を形成させる工程を有する、ε−Fe23と同じ空間群を有する結晶の前駆体の製法が提供される。
【0015】
また本発明では、上記の製法によって得られる前駆体を700〜1300℃の酸化雰囲気中で熱処理するε−Fe23結晶の製法が提供される。さらにこのε−Fe23結晶に形態が変化した後の粒子に付着している珪素酸化物の少なくとも一部(好ましくは大部分)を、塩基性溶液中で洗浄することによって溶解除去すれば、より各種用途に適用しやすいε−Fe23粉を得ることもできる。
【発明の効果】
【0016】
本発明によれば、有機溶剤や界面活性剤を添加しない水溶媒中において、ε−Fe23結晶を合成するための「前駆体」を直接製造することが可能になった。有機溶剤や界面活性剤を使用しないか、あるいは使用してもそのいずれか一方のみとすることにより、操作性の向上、環境負荷の軽減、およびコストの低減を同時に実現できる。また、ミセルを経由する必要がないので湿式過程で初期に投入する鉄の仕込み濃度を従来の逆ミセル法よりもかなり高くすることができる。さらに、得られたε−Fe23と同じ空間群を有する結晶は、有機溶媒と界面活性剤を使用する従来の製法で得られたものと同様、当該結晶に特有の優れた磁気的性質を発現することが確認された。したがって本発明は、ε−Fe23と同じ空間群を有する結晶を工業的に生産するのにより適したものとなっている。
【発明を実施するための最良の形態】
【0017】
本発明を利用したε−Fe23と同じ空間群を有する結晶は、代表的には以下のような方法を経由することで得られる。
鉄塩・(M元素塩)→[水溶媒中での中和]→鉄・(M元素)の水酸化物→[アルカリにより溶解する性質を有する成分を添加し、代表的にはゾル−ゲル法]→アルカリ可溶の物質で被覆された水酸化物(前駆体)→[熱処理]→ε−Fe23と同じ空間群を有する結晶→[塩基性溶液による洗浄によるアルカリ可溶成分の除去]→アルカリ可溶成分が大部分除去されたε−Fe23と同じ空間群を有する結晶
【0018】
以下、その代表的なプロセスについて説明する。
〔水酸化物の合成〕
出発原料として、3価の鉄含有物質(例えば硝酸鉄、硫酸鉄、塩化鉄など)を用意する。また他の三価の元素とともに結晶の骨格を形成する場合(以降はM元素置換タイプのε−Fe23と呼称する)を得たい場合は、Fe以外である3価のM含有物質(この場合も硫酸塩、硝酸塩、塩化物など)を用意する。Mは、例えばAl、Ga、Inの1種以上からなる。ただし、MとFeのモル比をM:Fe=x:(2−x)と表すとき、0≦x<1とすることが好適である。より具体的には、MがAlの場合は例えばx=0.2〜0.8の範囲に規定することができ、MがGaの場合は例えばx=0.2〜0.8の範囲に規定することができ、MがInの場合は例えばx=0.01〜0.3の範囲に規定することができる。これらの原料物質を溶媒に溶かして、原料溶液を作る。溶媒としては、純水のみを使用することがハンドリング性やコスト面で有利となるが、有機溶剤(例えばn−オクタンやアルコールなど)、あるいは界面活性剤(例えば臭化セチルトリメチルアンモニウム)を加えたものを使用することもできる。有機溶媒、界面活性剤、および水を使用する逆ミセル法は、ここでは採用しない。こうした方法を採用することにより、溶媒に溶解させる鉄含有物質とM元素含有物質の合計量はかなり高い仕込み濃度とすることができる。こうすることで、一度の反応で得られる「前駆体」の量を増やすことができるので好ましい。後述の中和剤溶液と混合した後の液体の体積1L(リットル)に対し、概ね0.01〜0.50モル程度、好ましくは、0.05〜0.30モル程度となるようにすればよい。
【0019】
中和剤として、塩基性物質を用意する。特に、アンモニア水が好適である。この場合、後工程のゾル−ゲル法において、アンモニウムイオンが触媒として機能するので、効果的である。溶解性のある塩基性物質を用いて中和する場合は、塩基性物質を水溶媒に溶かして、中和剤溶液を作り添加する方法が採用される。この水溶媒にも有機溶剤(例えばn−オクタンやアルコールなど)、あるいは界面活性剤(例えば臭化セチルトリメチルアンモニウム)を加えたものを使用することができる。
【0020】
これらの液を撹拌混合して中和反応を進行させる。その際、原料溶液を撹拌した状態とし、その液中に中和剤溶液を徐々に滴下する手法が好適に採用される。撹拌の強度は、必ずしも強撹拌とする必要はない。この点は、油相と水相を激しく撹拌する必要がある従来の逆ミセル法とは大きく異なる点である。ただし、あまり撹拌が弱いと両液の混合が不十分となって、ε−Fe23結晶を合成させることのできる前駆体が得られがたくなる。そのような弱い撹拌状態は「混合」が不十分であるので、本発明でいう「撹拌混合状態」に相当しない。
【0021】
中和反応が生じることにより、鉄の水酸化物が生成する。その水酸化物にはM元素が含有されていても構わない。本明細書で単に「鉄の水酸化物」あるいは「水酸化鉄」と言うときは、MとFeのモル比をM:Fe=x:(2−x)と表すとき、0≦x<1を満たす範囲でM元素を含有するものを含む。中和反応が進行すると、液は赤褐色に変わる。このことから、ここで合成される鉄の水酸化物は、水酸化鉄(III)を主体としたものであると考えられる。
【0022】
〔珪素含有物質による被覆〕
上記の工程を経て作成された水酸化鉄粉末は、珪素酸化物で覆われていない場合、そのまま熱処理に供してもε−Fe23結晶にはなりにくいことが知見された。したがって、予めアルカリに対して可溶性を有する成分、とりわけ珪素酸化物で覆われた状態としてから熱処理工程に供することが望ましい。
なかでも、珪素酸化物で覆われた水酸化鉄粒子を得るためには、水酸化鉄粒子の分散液に対して、珪素化合物の溶液を添加して、代表的にはゾル−ゲル法を適用することが好ましい。すなわち加水分解基を持つ珪素化合物を添加して撹拌下で加水分解反応を進行させる。添加する珪素化合物としては、シラン化合物が適している。例えばテトラエトキシシラン(TEOS)、テトラメトキシシラン(TMOS)や、シランカップリング剤が挙げられる。その他、珪酸ソーダ(水ガラス)を使用することもできる。珪素化合物を、撹拌状態の液中に添加(例えば滴下)する。その具体的手法は、従来公知プロセスにおけるゾル−ゲル法(前述)と同様とすることができる。被覆するための反応時間は例えば4時間以上を確保することが望ましく、1日程度撹拌状態を維持することがより好ましい。粒子表面に被覆された物質は、珪素を含む酸化物を主体としたものであり、珪素酸化物と呼んでも差し支えない。その被覆量は、鉄の水酸化物を構成するFeおよびM元素の合計に対する被覆物質中のSiのモル比、すなわちSi/(Fe+M)×100で表されるモル比が10〜5000モル%、好ましくは30〜1000モル%の範囲で調整することができる。このようにして得られた「珪素含有物質に覆われた状態の前記鉄水酸化物の粒子」を本発明では「前駆体」と呼んでいる。
【0023】
〔熱処理〕
上記の前駆体は、液中から固形分として分離され、その後、酸化雰囲気下での熱処理に供される。熱処理前には洗浄、乾燥の工程を経ておくことが望ましい。酸化雰囲気としては大気が利用できる。温度は概ね700〜1300℃の範囲でε−Fe23への相変化が起こりうるが、あまり温度が高いと不純物結晶であるα−Fe23結晶の混在が多くなりやすくなるので、可能であれば避けることが推奨される。具体的には900〜1200℃とすることが好ましく、950〜1150℃がより好ましい。熱処理時間は0.5〜10時間程度の範囲で調整可能であるが、2〜5時間の範囲で良好な結果が得られやすい。粒子を覆う珪素含有物質の存在がα−Fe23への相変化ではなくε−Fe23への相変化を引き起こす上で有利に作用するものと考えられる。またアルカリ可溶性成分、とりわけ珪素含有物質の被覆は粒子同士の焼結を防止する作用を有する。
【0024】
前駆体である鉄の水酸化物に3価の金属元素M(Al、Ga、Inなど)が含まれている場合、この熱処理で生成されるε−Fe23結晶はFeサイトの一部がMで置換されたタイプの「M置換ε−Fe23」となる。また、熱処理を終えて得られた粉末には、ε−Fe23結晶の他に、γ−Fe23結晶、Fe34結晶(スピネル型立方晶)、α−Fe23結晶等の不純物結晶が存在する場合がある。
【0025】
〔アルカリ可溶成分除去〕
表面を被覆しているアルカリ可溶性成分は、アルカリ溶液中で洗浄することにより除去する。ここでは代表的なアルカリ可溶成分の例として、珪素化合物で説明する。
珪素含有物質で覆われた状態の前駆体を上記熱処理に供すると、得られたε−Fe23結晶主体の粒子は珪素酸化物に覆われたままのものとなり、このままでは磁性粉末としての取り扱い性に劣る。すなわち、多量の珪素酸化物で覆われたままの粒子は液中や高分子基材中での分散性が必ずしも良好ではなく、またε−Fe23結晶本来の磁気特性が十分に引き出せない。そこで、珪素酸化物の大部分を除去することが望ましい。除去の手段としては、NaOHやKOHなどの強アルカリを溶解させた水溶液中に、熱処理を終えた粉末を入れて、撹拌することにより実施できる。溶解速度を上げる場合は、アルカリ溶液を加温するとよい。代表的には、NaOHなどのアルカリを珪素酸化物に対して3モル倍以上添加し、水溶液温度が60〜70℃の状態で、粉末を撹拌すると、珪素酸化物を良好に溶解させることができる。
【0026】
ただし、珪素酸化物が完全に除去されてしまうと却って分散性が悪くなるので、最終的に粒子表面に存在する珪素酸化物の量をSi/(Fe+M)×100で表されるSi含有量が0.1〜30モル%になるように珪素酸化物を残すことが望ましい。0.1〜10モル%とすることがより好ましい。置換元素Mを添加しない場合は、上記の式をM=0として適用する。
【0027】
なお、粒子の表面被覆物質は、珪素酸化物(シリカを主体とするもの)に限らず、化学的に安定で、融点の高い物質であり、かつ磁性粒子を溶解させずに除去可能な物質であれば、ゾル−ゲル工程を利用して種々のものが使用できると考えられる。例えば、低温で合成されるアルミナは、シリカと同様にアルカリにより容易に除去できるため、好ましい。また、カルシアやマグネシアも、弱酸で容易に溶解できるため、磁性粒子の溶解を最小限にとどめ溶解させることが可能であるため、使用できる可能性がある。
【実施例】
【0028】
《実施例1》
本例では、有機溶剤を添加せずに、水−界面活性剤の系において、表1に示す条件で以下の手順に従ってGa置換タイプのε−Fe23結晶を合成した。
【0029】
〔手順1〕
原料溶液と中和剤溶液の2種類の溶液を作製する。
・原料溶液の作製
テフロン(登録商標)製のフラスコに、純水363.3mLおよび1−ブタノール55.3mLを入れる。そこに、硝酸鉄(III)9水和物を0.03モル、硝酸ガリウム(III)8水和物を0.01モル添加し、室温でよく撹拌しながら溶解させる。さらに、界面活性剤としての臭化セチルトリメチルアンモニウムを0.14モル添加し、撹拌により溶解させ、原料溶液とする。
このときの仕込み組成は、GaとFeのモル比をGa:Fe=x:(2−x)と表すときx=0.47である。
・中和剤溶液の作製
25%アンモニア水29.9mLを純水333.4mLに混ぜて撹拌し、その液に、さらに1−ブタノール55.3mLを加えてよく撹拌する。その溶液に、界面活性剤として臭化セチルトリメチルアンモニウムを0.14モル添加し、溶解させ、中和剤溶液とする。
【0030】
〔手順2〕
原料溶液を1200rpmでよく撹拌しながら、原料溶液中に中和剤溶液を毎時約500mlの速度で滴下することにより、両液を撹拌混合し、中和反応を進行させる。全量を滴下した後、混合液を30分間撹拌し続ける。液は赤褐色となり、鉄の水酸化物が生じたことがわかる。
【0031】
〔手順3〕
手順2で得られた混合液を撹拌しながら、当該混合液にテトラエトキシシラン89.6mL(仕込み割合でSi/(Fe+Ga)×100=910モル%に相当する)を毎時約125mLの速度で滴下する。約1日そのまま、撹拌し続ける。
【0032】
〔手順4〕
手順3で得られた溶液を遠心分離機にセットして遠心分離処理する。この処理で得られた沈殿物を回収する。回収された沈殿物(前駆体)をクロロホルムとメタノールの混合溶液を用いて複数回洗浄する。
【0033】
〔手順5〕
手順4で得られた沈殿物(前駆体)を乾燥した後、その乾燥粉に対し、大気雰囲気の炉内で1100℃で4時間の熱処理を施す。
【0034】
〔手順6〕
手順5で得られた熱処理粉を2モル/LのNaOH水溶液中で24時間撹拌し、粒子表面の珪素酸化物の除去処理を行う。次いで、ろ過・水洗し、乾燥する。
【0035】
以上の手順1から6を経ることによって、目的とする試料粉体(磁性粉体)を得た。TEM平均粒子径は14.1nm、標準偏差は5.7nm、(標準偏差/TEM平均粒径)×100で定義される変動係数は40.0%であった。
【0036】
得られた試料を粉末X線回折(XRD:リガク製RINT2000、線源CoKα線、電圧40kV、電流30mA)に供した。そのX線回折パターンを図1中に示す。この回折パターンは、ε−Fe23の結晶構造(斜方晶、空間群Pna21)に対応するピークを有している。それ以外に不純物結晶のピークはほとんど観測されなかった。
【0037】
得られた試料を蛍光X線分析(日本電子製JSX―3220)に供したところ、GaとFeのモル比をGa:Fe=x:(2−x)と表すとき、仕込み組成はx=0.47であったのに対し、分析組成もx=0.47であった。この結晶はε−Ga0.47Fe1.533と表すことができる。また、試料中のSi含有量はSi/(Fe+Ga)×100で表されるモル比で3.2モル%であった。
【0038】
得られた試料の磁気ヒステリシスループの測定は、Digtal Measurement Systems社の振動試料型磁力計(VSM)のMODEL880を用いて、印加磁場13kOe(1.035×106A/m)の条件で行った。
表2には各特性をまとめて示してある(以下の各例において同じ)。
【0039】
《実施例2》
本例では、界面活性剤を添加せずに、水−有機溶剤(n−オクタン)の系において、表1に示す条件でGa置換タイプのε−Fe23結晶を合成した。手順は上記の手順1〜6と同様である(以下の各例において同じ)。得られた試料(磁性粉体)について実施例1と同様の測定を行った(以下の各例において同じ)。
X線回折パターンを図1中に示す。この回折パターンは、ε−Fe23の結晶構造(斜方晶、空間群Pna21)に対応するピークを有している。それ以外に不純物結晶のピークはほとんど観測されなかった。
蛍光X線分析の結果、GaとFeのモル比をGa:Fe=x:(2−x)と表すとき、仕込み組成はx=0.47であったのに対し、分析組成はx=0.46であった。この結晶はε−Ga0.46Fe1.543と表すことができる。また、試料中のSi含有量はSi/(Fe+Ga)×100で表されるモル比で2.7モル%であった。
【0040】
《実施例3》
本例では、界面活性剤や有機溶剤を使用せず、水溶媒だけの系において、表1に示す条件でGa置換タイプのε−Fe23結晶を合成した。
X線回折パターンを図1中および図2中に示す。この回折パターンは、ε−Fe23の結晶構造(斜方晶、空間群Pna21)に対応するピークを有している。それ以外に不純物結晶のピークはほとんど観測されなかった。
蛍光X線分析の結果、GaとFeのモル比をGa:Fe=x:(2−x)と表すとき、仕込み組成はx=0.47であったのに対し、分析組成はx=0.46であった。この結晶はε−Ga0.46Fe1.543と表すことができる。また、試料中のSi含有量はSi/(Fe+Ga)×100で表されるモル比で2.6モル%であった。
この試料についての常温(300K)における磁気ヒステリシスループを図3中に実線で示す。
【0041】
《実施例4、5、比較例1》
実施例3において、前記の手順2の中和反応時の撹拌回転数を表1に記載のように変化させたこと以外、実施例3と同じ条件で実験を行った。
X線回折パターンを図2中に示す。実施例4、5の回折パターンは、ε−Fe23の結晶構造(斜方晶、空間群Pna21)に対応するピークを有している。それ以外のピークはほとんど観測されなかった。これに対し、比較例1の回折パターンにはε−Fe23結晶以外の不純物結晶(α−Fe23)のピークが観測された。
蛍光X線分析の結果、GaとFeのモル比をGa:Fe=x:(2−x)と表すとき、仕込み組成はx=0.47であったのに対し、実施例4、5および比較例1の分析組成はそれぞれx=0.45、0.47および0.47であった。これらのうち、不純物結晶がほとんど観測されなかった実施例4および5の結晶は、それぞれε−Ga0.45Fe1.553およびε−Ga0.47Fe1.533と表すことができる。
【0042】
中和反応により鉄の水酸化物を生成させる際には、あまり強撹拌しなくても良いことが確かめられた。ただし、比較例のように撹拌を非常に弱くすると、混合が不十分となって、不純物の少ないε−Fe23結晶を得るに足る前駆体が形成できないことがわかる。このような撹拌状態はもはや「撹拌混合状態」であるとは言えない。
【0043】
《実施例6》
本例では、界面活性剤や有機溶剤を使用せず、水溶媒だけの系において、表1に示す条件でAl置換タイプのε−Fe23結晶を合成した。
この粉体のTEM写真を図7に示す。
蛍光X線分析の結果、AlとFeのモル比をAl:Fe=x:(2−x)と表すとき、分析組成はx=0.50であった。この結晶はε−Al0.50Fe1.503と表すことができる。また、試料中のSi含有量はSi/(Fe+Al)×100で表されるモル比で4.6モル%であった。
【0044】
《対照例1》
本例では、従来の逆ミセル法を用いて、表1に示す条件でGa置換タイプのε−Fe23結晶を合成した。
X線回折パターンを図1中に示す。この回折パターンは、ε−Fe23の結晶構造(斜方晶、空間群Pna21)に対応するピークを有している。それ以外に不純物結晶のピークはほとんど観測されなかった。
蛍光X線分析の結果、GaとFeのモル比をGa:Fe=x:(2−x)と表すとき、仕込み組成はx=0.47であったのに対し、分析組成もx=0.47であった。この結晶はε−Ga0.47Fe1.533と表すことができる。また、試料中のSi含有量はSi/(Fe+Ga)×100で表されるモル比で2.7モル%であった。
この試料についての常温(300K)における磁気ヒステリシスループを図3中に破線で示す。
【0045】
《対照例2》
本例では、従来の逆ミセル法を用いて、表1に示す条件でAl置換タイプのε−Fe23結晶を合成した。
蛍光X線分析の結果、AlとFeのモル比をAl:Fe=x:(2−x)と表すとき、分析組成はx=0.60であった。この結晶はε−Al0.60Fe1.403と表すことができる。また、試料中のSi含有量はSi/(Fe+Al)×100で表されるモル比で9.5モル%であった。
【0046】
【表1】

【0047】
【表2】

【0048】
《実施例7〜9》
実施例6において、Alの含有量を変化させ、表1に記載の条件(特にFeの仕込み濃度を高くした条件)を採用したこと以外、実施例6と同じ条件で実験を行った。
X線回折パターンを図4中に示す。実施例7〜9の回折パターンはいずれも、ε−Fe23の結晶構造(斜方晶、空間群Pna21)に対応するピークを有している。それ以外にのピークはほとんど観測されなかった。
蛍光X線分析の結果、AlとFeのモル比をAl:Fe=x:(2−x)と表すとき、実施例7、8および9の分析組成はそれぞれx=0.33、0.38および0.34であった。実施例7の結晶はε−Al0.33Fe1.673、実施例8の結晶はε−Al0.38Fe1.623、実施例9の結晶はε−Al0.34Fe1.663と表すことができる。
製造条件を表3に、主な特性を表4に示す。
【0049】
【表3】

【0050】
【表4】

【0051】
以上のように、本発明に従う各実施例では、従来の逆ミセル法を用いたプロセスと同様に、不純物結晶がほとんど観測されないε−Fe23結晶が得られた。また、実施例7〜9のように、Feの仕込み濃度を従来法よりかなり高くしてもε−Fe23結晶の合成が可能である。これは、水溶媒を使用することによるメリットである。すなわち、従来の逆ミセル法のように有機溶媒を使う必要がないので、中和反応時の液の単位体積当たりの生産量は大幅に向上し、一度に大量のε−Fe23を生産することができる。また、有機溶媒を使わないことは環境にも優しい。
【図面の簡単な説明】
【0052】
【図1】実施例1、2、対照例1で得られた試料粉体のX線回折パターン。
【図2】実施例3〜5、比較例1で得られた試料粉体のX線回折パターン。
【図3】実施例3、対照例1で得られた試料粉体の磁気ヒステリシスループ。
【図4】実施例7〜9で得られた試料粉体のX線回折パターン。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
3価の鉄塩を、純水または有機溶媒に直接溶解して作成した金属塩溶液(I)と、中和剤溶液(II)を直接混合することにより得た鉄塩中和物を前駆体として使用する、ε−Fe23と同じ空間群を有した結晶を製造する方法。
【請求項2】
3価のFeと、Fe以外の少なくとも1種の3価の金属Mの塩とを、純水または有機溶媒に直接溶解して作成した金属塩溶液(I)と、中和剤溶液(II)を直接混合することにより得た金属塩中和物を前駆体として使用する、ε−Fe23と同じ空間群を有した結晶を製造する方法。
【請求項3】
3価の金属Mの塩が、Ga,In,Alの少なくとも一種からなる請求項1に記載のε−Fe23と同じ空間群を有する結晶合成用前駆体の製造方法。
【請求項4】
中和剤がアンモニア水である、請求項1ないし3に記載のε−Fe23と同じ空間群を有する結晶合成用前駆体の製造方法。
【請求項5】
前記析出中和物をアルカリに溶解する性質を有する保護材で被覆する工程を備えた、請求項1ないし4に記載のε−Fe23と同じ空間群を有する結晶合成用前駆体の製造方法。
【請求項6】
前記アルカリ可溶性の化合物は、加水分解基を持つ珪素化合物である、請求項5に記載のε−Fe23と同じ空間群を有する結晶合成用前駆体の製造方法。
【請求項7】
鉄の水酸化物(ただし、ε−Fe23結晶のFeサイトの一部を置換するための金属元素Mを含有していても構わない)が水中に分散している懸濁液に、加水分解基を持つ珪素化合物を添加して撹拌下で加水分解反応を進行させることにより、珪素含有物質に覆われた状態の前記水酸化物の粒子を前駆体として使用する、ε−Fe23と同じ空間群を有した結晶を製造する方法。
【請求項8】
3価の鉄塩が溶解している水溶媒(ただし、ε−Fe23結晶のFeサイトの一部を置換するための金属元素Mの3価の金属塩が溶解していても構わない)に、中和剤を添加して撹拌混合状態で中和反応を進行させることにより、鉄の水酸化物(ただし、ε−Fe23結晶のFeサイトの一部を置換するための金属元素Mを含有していても構わない)を生成させる工程、および、その水酸化物が水中に分散している懸濁液に、加水分解基を持つ珪素化合物を添加して撹拌下で加水分解反応を進行させることにより、珪素含有物質に覆われた状態の前記水酸化物の粒子を前駆体として使用する、ε−Fe23と同じ空間群を有した結晶を製造する方法。
【請求項9】
請求項1ないし8に記載の方法により得た前駆体を700〜1300℃で熱処理する、ε−Fe23と同じ空間群を有する化合物を製造する方法。
【請求項10】
熱処理は酸化雰囲気中で行う、請求項8に記載のε−Fe23と同じ空間群を有する化合物を製造する方法。
【請求項11】
請求項9または10の熱処理の後、塩基性の処理液で洗浄する、ε−Fe23と同じ空間群を有する化合物を製造する方法。
【請求項12】
請求項9ないし11に記載の方法により得られた、ε−Fe23ε−Fe23と同じ空間群を有する化合物。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2008−174405(P2008−174405A)
【公開日】平成20年7月31日(2008.7.31)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−7518(P2007−7518)
【出願日】平成19年1月16日(2007.1.16)
【出願人】(504137912)国立大学法人 東京大学 (1,942)
【出願人】(506334182)DOWAエレクトロニクス株式会社 (336)
【Fターム(参考)】