説明

フォトクロミック材料の光感度向上方法

【課題】実用的な発色濃度とするため光感度が向上したフォトクロミック分子および光感度の向上方法を提供する。
【解決手段】最低空軌道(LUMO)と重なりの大きい分子軌道を高準位に作るべくパラシクロファン骨格を有するフォトクロミック分子のイミダゾール環に電子供与性官能基を導入する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、例えば調光レンズや表示材料に使用される調光機能を有するフォトクロミック材料に関する。
【背景技術】
【0002】
光を照射することで色(可視光の透過率)を変化させる機能を持つフォトクロミック材料はまぶしさを防ぐためのメガネや光スイッチ、または表示・非表示の切り替え能を有するインクなどの表示材料として利用される。また、光ディスクなどの記録材料やホログラムとしての応用が研究されている。
【0003】
フォトクロミック材料による色の変化は光照射による材料の可逆的な化学変化によって発現される。ここでは、この光照射による色の変化を調光機能と呼ぶ。代表的なフォトクロミック材料としては、スピロピラン系化合物、スピロオキサジン系化合物、ナフトピラン系化合物、フルギド系化合物およびジアリールエテン系化合物などが用いられてきた。調光機能にはその用途に適した色や発色濃度や発色速度などの特性が求められるため、様々な誘導体や新しい分子骨格を有する化合物が開発され続けている。
【0004】
こうした状況の中で本発明者らは、非特許文献1(第1世代HABI)および非特許文献2(第2世代HABI)に示すように、消色反応が極めて速く、発色体の半減期がミリ秒単位と短時間であるラジカル散逸抑制型フォトクロミック材料を開発した。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】Journal of Physical Organic Chemistry 20, pp857-863(2007)
【非特許文献2】Journal of the American Chemical Society 131(12), pp4227-4229(2009)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
上記第2世代HABIであるフォトクロミック分子は、下記一般式(1)で表わされる(なお、Ar〜Arは置換または無置換のアリール基である)。このフォトクロミック分子に励起光を照射すると、二つのイミダゾール環を結合する炭素−窒素結合が切れてイミダゾールビラジカルが生成する。このイミダゾールビラジカル体をここでは単にビラジカルと呼ぶ。このビラジカルが発色体の本質であり、ビラジカルが再結合して再び炭素−窒素結合が回復することで消色体に戻る。二つのイミダゾール環はパラシクロファン骨格で連結されているが、そのことによってビラジカルが散逸することを防ぐ。この仕組みを表して上記フォトクロミック分子をラジカル散逸抑制型フォトクロミック分子という。
【0007】
【化3】

【0008】
上記ラジカル散逸抑制型フォトクロミック分子は、発色体ビラジカルがシクロファン骨格で連結されているために、ビラジカルが散逸することがなくビラジカル再結合反応(消色反応)が分子内反応である。このことから発色体の寿命(ここではその半減期を寿命とする)がミリ秒単位と短時間であることが特徴である。また発色体の寿命は、言いかえると消色体への反応速度であり、上記フォトクロミック分子は消色体への反応速度が速い分子である。
【0009】
このように、このラジカル散逸抑制型フォトクロミック分子はこれまで実用化されてきたフォトクロミック分子に比べあまりに消色反応速度が大きいため、その実用的な用途を広げるためには、その反応速度や発色濃度を適当なものとする制御方法が必要とされた。
【0010】
上記ラジカル散逸抑制型フォトクロミック分子が有する課題としては、調光材料に励起光が当たって発色体となっても消色体へ戻る時間がミリ秒単位と極めて短いため発色体が蓄積せず発色濃度が低い(色づきにくい)という課題があげられる。また、上記のフォトクロミック分子を例えば調光用サングラスレンズの調光材料として利用する場合、消色体のUVA(310〜400nm)〜可視光領域(380〜750nm)での吸収強度が非常に小さいため太陽光で励起されにくいという課題がある。
【0011】
本発明は上記に鑑みてなされたものであり、実用的な発色濃度を有するフォトクロミック材料を開発するべく励起光に対する感度を向上させる方法を提供する。また本発明はこれら方法によって作製されたフォトクロミック材料を提供する。光感度を向上することで従来は色づきにくかった太陽光に対しても発色体の生成を促進させて発色濃度を向上させることができる。
【課題を解決するための手段】
【0012】
一般式(I)に示すフォトクロミック分子は2種類のイミダゾール環を有する。一つはlm1でこのイミダゾール環は6個のπ電子を有し電子供与性である。もう一つはlm2で4個のπ電子を有し電子受容性である。このことから、lm1に結合するフェニル基1、2に電子受容性官能基を結合させるか、もしくはlm2に結合するフェニル基3、4に電子供与性官能基を結合させることにより、分子内電荷移動遷移が効率よく起こると考えられる。
【0013】
【化4】

【0014】
特に、本フォトクロミック分子の発色体は光励起一重項状態を経由して生成されるため、最低空軌道(LUMO)への遷移を起こしやすくすることが効果的であると考えられた。
【0015】
LUMOの分子軌道はlm2に局在しているため、上述の方法の中でもlm2のフェニル基に電子供与性官能基を結合させた分子が発色体生成に効果的であると推測して分子設計を行い、この誘導体を合成して紫外可視吸収スペクトルを調べた。
【0016】
この結果、lm2のフェニル基に電子供与性官能基を導入することにより、従来の無置換体のフォトクロミック分子では吸収強度が小さかったUVA〜可視光領域の吸収強度が増大することが分かった。このことから、従来、吸収効率が悪かった長波長領域の光を利用して着色体を生成することが可能となり、光感度を増大させることに成功した。
【0017】
なお、逆にフェニル基1、2に電子供与性置換基が結合した場合やフェニル基3、4に電子受容性官能基が結合した場合では分子内電荷移動遷移が起こりやすくなることは期待できない。分子内電荷移動遷移を起こす上で重要なのはフェニル基1、2に結合した電子受容性官能基とフェニル基3、4に結合した電子供与性官能基であり、例えばフェニル基1〜4の全てに電子供与性官能基が導入されていれば、光の吸収強度増加の観点では、フェニル基1、2に結合した電子供与性官能基の効果は無視してよいと考えられる。一方、フェニル基1〜4の全てに電子受容性官能基が導入された場合も同様に、光の吸収強度増加の観点では、フェニル基3、4に結合した電子受容性官能基の効果は無視してよいと考えられる。
【0018】
このように、本発明により、光感度を向上させるための原理を明らかにすることで、光感度向上のための分子設計指針を提供し、その原理を応用して実用性の高いフォトクロミック材料を提供することができる。
【0019】
図1は、一般式(I)のm、n、o、pがゼロ(すなわちR〜Rの置換基なし)である化合物(1)のアセトニトリル中での紫外可視吸収スペクトルと密度汎関数理論(TDDFT)で計算されたスペクトルである。
【0020】
【化5】

【0021】
図2は、一般式(I)のフェニル基1、2、3および4にメトキシ基が導入された化合物(2)のアセトニトリル中での紫外可視吸収スペクトルと密度汎関数理論(TDDFT)で計算されたスペクトルである。
【0022】
【化6】

【0023】
化合物(2)の実測の吸収スペクトルとTDDFTにより計算されたスペクトル(図2)では、化合物(1)では吸収強度が小さかったUVA〜可視光領域(360nm付近)の強度が増加していることがわかる。
【0024】
図3に示すように、UVA〜可視光領域の吸収は、化合物(2)のHOMO−3軌道からLUMOへの電子遷移に由来する吸収帯であり、電子供与性官能基を導入したことによりLUMOと大きく重なる分子軌道(HOMO−3分子軌道)が高準位にできたため出現したと考えられる。図3には比較として化合物(1)の分子軌道も載せているが、化合物(1)の分子ではHOMO−3とLUMOがほとんど重なっておらず、このことが360nm付近の吸収を小さくする(図1を参照)原因であることがわかる。
【発明の効果】
【0025】
本発明は、一般式(I)に示すフォトクロミック分子において長波長側の光感度を向上させるための原理を明らかにした分子設計技術であり、本発明により光感度の高いフォトクロミック材料を設計し、発色濃度の高いフォトクロミック材料を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【図1】化合物(1)の紫外可視吸収スペクトルおよびTDDFTにより計算されたスペクトルである。
【図2】化合物(2)の紫外可視吸収スペクトルおよびTDDFTにより計算されたスペクトルである。
【図3】化合物(1)および化合物(2)の分子軌道である。
【図4】化合物(7)の紫外可視吸収スペクトルである。
【発明を実施するための形態】
【0027】
本発明では一般式(I)で表されるフォトクロミック分子において最低空軌道(LUMO)と重なる分子軌道をLUMOより2.07〜4.0eV低い位置に作ることでUVA〜可視光領域の光吸収強度を向上させることができ、例えば該分子のイミダゾール基に結合したフェニル基へ電子供与性官能基を導入し、UVA〜可視光領域の吸収強度を向上させることを特徴とする。
本発明により吸収強度の増加が期待される波長領域はUVA〜可視光領域(310〜750nm:1.65〜4.0eVのエネルギー準位に相当)であり、より確実には310〜600nm(2.07〜4.0eVのエネルギー準位に相当)が期待され、さらに確実には310〜500nm(2.48〜4.0eVのエネルギー準位に相当)が期待される。この領域は分子設計によっても異なるが、例えば実施例1の化合物であるメトキシ置換体では310〜400nm(3.1〜4.0eVのエネルギー準位に相当)、実施例2の化合物であるジメチルアミノ置換体では310〜450nm(2.75〜4.0eVのエネルギー準位に相当)の波長領域において吸収強度の増加が確認されている。より広い波長範囲で吸収強度を増加させたい場合には、より強い電子供与性官能基を選択したり(例えばアルキル基よりもアルコキシ基、さらにそれよりもNを有する基)、1つの分子に導入する電子供与性官能基の数をより多くしたり、またはこれらを複合的に採用すればよい。
【0028】
【化7】

【0029】
〜Rはそれぞれ独立して電子供与性官能基またはその他の置換基であり、電子供与性官能基はフェニル基1〜4の必ずしも全てに導入されている必要はなく、フェニル基3またはフェニル基4の少なくともどちらか一方に少なくとも一つ導入されていればよい。また、R(R〜Rについても同様)が複数個の場合(すなわちmが2以上の場合)、複数のRはそれぞれ同じであっても異なっていてもよい。また、フェニル基1〜4には電子供与性官能基でないその他の置換基が結合していてもよく、この場合の置換基としてはハロゲン、ニトロ基、シアノ基、アリール基などが挙げられる。
【0030】
一つのフェニル基に導入される電子供与性官能基の数は導入できれば5個を上限として何個でもよく、m、n、o、pはそれぞれ独立して0〜5の自然数であるが、上述のようにフェニル基3またはフェニル基4の少なくともどちらか一方に少なくとも一つ導入されている必要がある。
【0031】
また、官能基の導入による立体反発で隣接するイミダゾール環と官能基を導入したフェニル基がπ共役できなくなることは好ましくない。官能基の好ましい導入個数は、導入される官能基のかさ高さにもより一概には言えないが、前述立体反発の観点から、好ましくはm、n、o、pはそれぞれ独立して0〜3であり、より好ましくはm、n、o、pはそれぞれ独立して1〜2であり、さらに好ましくはm、n、o、pは2である。また、フェニル基3またはフェニル基4の少なくともどちらか一方に少なくとも一つ導入されている必要がある。
【0032】
フェニル基に対する電子供与性官能基の結合位置としては、一つ目の官能基はパラ位であることが好ましく、二つ目はメタ位であることが好ましい。オルト位への結合は上述するように官能基の導入による立体反発のおそれがあるため、できればこの位置に導入しない方が好ましい。したがって、一つのフェニル基に3つの電子供与性官能基を導入する場合には、1つのパラ位と2つのメタ位に導入することが好ましい。
【0033】
電子供与性官能基としてはアルコキシ基、アミノ基、アルキルアミノ基およびアルキル基などが例示できる。アルコキシ基として好ましくは、メトキシ基、エトキシ基、プロポキシ基、ブトキシ基、ペンチルオキシ基およびヘキシルオキシ基などがあげられる。アルキルアミノ基として好ましくは、ジメチルアミノ基、ジエチルアミノ基、ジプロピルアミノ基およびジブチルアミノ基などがあげられる。アルキル基として好ましくは、メチル基、エチル基、プロピル基、ブチル基、ペンチル基およびヘキシル基などがあげられる。
【0034】
最低空軌道(LUMO)と大きく重なる分子軌道を高準位に作る(例えば、LUMOと重なる分子軌道をLUMOより2.07〜4.0eV低い位置に作る)方法としては、上述するようにイミダゾール基に結合したフェニル基へ電子供与性官能基を導入すること、特にフェニル基3、4に電子供与性官能基を導入することが最適であると考えられる。また、HOMOと大きく重なる分子軌道を作る方法としてはフェニル基1、2に電子受容性官能基を導入する方法なども考えられる。
【実施例】
【0035】
<実施例1:メトキシ基が導入されたフォトクロミック分子>
まず、公知の合成方法(Chemische Berichte 120, 1825-1828(1987)など)を参考にして、パラシクロファンジアルデヒド(化合物(3))を得た。
【0036】
【化8】

【0037】
次に0.5gの化合物(3)と1.3gのベンジル誘導体(化合物(4))と酢酸アンモニウム4.4gを酢酸8mLに溶解した後、100℃にて5時間加熱した。アンモニア水で反応溶液を中和しジクロロメタンで生成物を抽出した。ジクロロメタン層を濃縮後シリカゲルカラムクロマトグラフィーにて生成物を分離し化合物(5)を得た。
【0038】
【化9】

【0039】
次に、0.5gの化合物(5)をベンゼン90mLに溶解し撹拌した。水酸化カリウム3.3gとフェリシアン化カリウム10.0gが溶解された水溶液70mLを調製し、ベンゼン溶液に滴下した。ベンゼン層を水で洗浄しシリカゲルカラムクロマトグラフィーにて生成物を分離し化合物(2)を得た。
【0040】
【化10】

【0041】
図2より、メトキシ基を導入した化合物(2)の実測の吸収スペクトルとTDDFTにより計算されたスペクトルでは、無置換の化合物(1)では吸収強度が小さかったUVA〜可視光領域(360nm付近)の強度が増加していることがわかる。
【0042】
<実施例2:ジメチルアミノ基が導入されたフォトクロミック分子>
0.15gの化合物(3)と0.4gのジメチルアミノベンジル(市販品)と酢酸アンモニウム1.3gを酢酸5.5mLに溶解した後、110℃にて32時間加熱した。アンモニア水で反応溶液を中和し析出した固体を水で洗浄した後、シリカゲルカラムクロマトグラフィーにて生成物を分離して、化合物(6)を得た。
【0043】
【化11】

【0044】
次に、0.15gの化合物(6)をベンゼン50mLに溶解し撹拌した。水酸化カリウム2.1gとフェリシアン化カリウム4.6gが溶解された水溶液40mLを調製しベンゼン溶液に滴下した。ベンゼン層を水で洗浄しシリカゲルカラムクロマトグラフィーにて生成物を分離し化合物(7)を得た。
【0045】
【化12】

【0046】
化合物(7)をベンゼンに溶解し、紫外可視吸収スペクトルを測定した。この結果、図4に示すように375nm付近の吸収ピークが現れ、UVA〜可視光領域の吸収強度が増大したことがわかる。
【産業上の利用可能性】
【0047】
本発明により、UVA(光の波長がおよそ310〜400nmの領域)から可視光領域の吸収強度を増加させるための分子の設計指針が示され、そして吸収強度が向上したフォトクロミック分子を得ることが可能になった。また、この方法を用いれば太陽光によっても発色体を生成しやすいフォトクロミック分子の設計が可能となる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
一般式(I)で表されるフォトクロミック分子の光吸収強度を向上させる方法であって、該分子において最低空軌道(LUMO)と重なる分子軌道をLUMOより2.07〜4.0eV低い位置に作ることでUVA〜可視光領域の光吸収強度を向上させる方法。
【化1】

(式(I)中、R〜Rはそれぞれ独立して置換基を表し、m、n、oおよびpはそれぞれ独立して0〜5の自然数を表す。)
【請求項2】
前記式(I)中、RおよびRのうちの少なくとも一つは電子供与性官能基であり、Rが電子供与性官能基のときoは1〜5の自然数であり、Rが電子供与性官能基のときpは1〜5の自然数である、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記式(I)中、R〜Rはそれぞれ独立して電子供与性官能基であり、m、n、oおよびpはそれぞれ独立して1または2の自然数を表し、少なくとも一つずつのR〜Rが対応する4つのフェニル基のパラ位に置換している、請求項1に記載の方法。
【請求項4】
前記電子供与性官能基がアルコキシ基、アミノ基、アルキルアミノ基およびアルキル基からなる群から選ばれる、請求項2または3に記載の方法。
【請求項5】
前記電子供与性官能基がアルコキシ基およびアルキルアミノ基からなる群から選ばれる、請求項2または3に記載の方法。
【請求項6】
前記電子供与性官能基がメトキシ基およびジメチルアミノ基からなる群から選ばれる、請求項2または3に記載の方法。
【請求項7】
310〜600nmにおける光吸収強度を向上させる、請求項1から6のいずれかに記載の方法。
【請求項8】
一般式(I)で表されるフォトクロミック材料。
【化2】

(式(I)中、R〜Rはそれぞれ独立して置換基を表し、m、n、oおよびpはそれぞれ独立して0〜5の自然数であり、RおよびRのうちの少なくとも一つは電子供与性官能基であり、Rが電子供与性官能基のときoは1〜5の自然数であり、Rが電子供与性官能基のときpは1〜5の自然数である。)

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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