説明

哺乳類細胞をインビトロで増殖させる改善法

【課題】 本発明の目的は、哺乳類細胞の増殖時のグルコース消費および/または乳酸塩形成を減少させる単純な方法を提供することである。
【解決手段】 本発明は、約1〜50 mmol/lの濃度の重炭酸もしくは三炭酸またはその塩の存在下で培養が行われることを特徴とする、動物細胞の培養時のグルコース消費および/または乳酸塩産生を減少させる方法であって、それにより重炭酸または三炭酸がクエン酸またはクエン酸塩である場合、この量のクエン酸またはクエン酸塩は、キレート複合体において鉄または別の遷移金属イオンに結合しない方法を提供する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、重炭酸または三炭酸、例えば、クエン酸を添加することによって、哺乳類細胞培養における乳酸塩の形成および/またはグルコース消費を減少させるための、改善方法に関する。
【背景技術】
【0002】
細胞培養過程の最適化は常に、細胞の寿命に関して注目されている(非特許文献1参照)。経時的な生存細胞数の積分がしばしば培養の成功の尺度として用いられ、これは産物の形成と正の相関を示す。本明細書において、この積分はCTI(CTI=細胞密度時間積分;Cell density Time Integral)として定義する。
【0003】
アンモニウム塩の他に乳酸塩は、哺乳類細胞の培養中に形成される主な老廃物である。典型的な培養条件において、細胞はグルコースを過剰に消費して、これを代謝して主に乳酸塩にする。乳酸塩が蓄積されると、pHおよび/またはアルカリによるpH調節の結果として、細胞増殖、CTI、およびタンパク質産生が負の影響を受ける(非特許文献2から4参照)。
【0004】
乳酸塩の形成を減少させる多くの試みが行われている。グルコースの供給を動的に制御しながら哺乳類細胞を低いグルコース濃度で増殖させることが、グラッケン(Glacken)M.W.ら、ヒュ(Hu)W.S.ら、ならびにシ(Xie)L.およびワン(Wang)D.I.C.によって提案された(非特許文献5から7参照)。この意図は、高グルコース/乳酸塩の流れから低グルコース/乳酸塩の流れへと代謝を移行させることであった。しかし、そのような方法は、細胞の順応を必要とし、慎重に設計された制御された供給機構を要する。したがって、それらは複雑で実施が困難である(特許文献1参照)。
【0005】
乳酸塩の形成を減少させる他の方法は、遺伝子操作手段に基づく。一つの方法は、チェン(Chen)K.らによって記述されている(非特許文献4参照)。チェンらは、哺乳類細胞における乳酸デヒドロゲナーゼの少なくとも一つのコピーを不活化することによって、この哺乳類細胞における乳酸塩の代謝経路を操作することを提案している。もう一つの方法は、イラニ(Irani)N.らによって記述されている(非特許文献8参照)。著者らは、宿主細胞ゲノムにピルビン酸カルボキシラーゼ遺伝子を導入している。ピルビン酸塩から乳酸塩への変換が減少して、それによって細胞培養の寿命が改善されると想定される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【特許文献1】米国特許第6,156,570号明細書
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】ビビラ(Bibila)T.A.およびロビンソン(Robinson)D.K.、Biotechnol. Prog.、1995年、第11巻、p.1〜13
【非特許文献2】チャン(Chang)Y.H.D.ら、Biotechnol. Bioeng.、1995年、第47巻、p.319〜326
【非特許文献3】オマサ(Omasa)T.ら、Biotechnol. Bioeng.、1992年、第39巻、p.556〜565
【非特許文献4】チェン(Chen)K.ら、Biotechnol. Bioeng.、2001年、第72巻、p.55〜62
【非特許文献5】グラッケン(Glacken)M.W.ら、Biotechnol. Bioeng.、1986年、第28巻、p.1376〜1389
【非特許文献6】ヒュ(Hu)W.S.ら、Dev. Biol. Stand.、1987年、第66巻、p.272〜290
【非特許文献7】シ(Xie)L.およびワン(Wang)D.I.C.、Cytotechnology、1994年、第15巻、p.17〜29
【非特許文献8】イラニ(Irani)N.ら、J. Biotechnol.、1999年、第66巻、p.238〜246
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明の目的は、哺乳類細胞の増殖時のグルコース消費および/または乳酸塩形成を減少させる単純な方法を提供することである。
【0009】
哺乳類細胞を培養するために、血清不含培地においてトランスフェリンの代わりにクエン酸鉄を加えることは、長いあいだ知られている(例えば、トヨダ(Toyoda)K.およびイノウエ(Inoue)K.、Agric. Biol. Chem. 55(1991)1631〜1633;フラネク(Franek)F.およびドルニコワ(Dolnikova)J.、Cytotechnology 7(1991)33〜38;コバー(Kovar)J.およびフラネク(Franek)F.、Exp. Cell Res. 182(1989)358〜369;シュナイダー(Schneider)Y.J.、J. Immunol. Meth. 116(1989)65〜77)、およびコバー(Kovar)J.、Hybridoma 7(1988)255〜263を参照のこと)。
【課題を解決するための手段】
【0010】
一つまたは複数の重炭酸または三炭酸を加えると、グルコースの消費および/またはグルコースからの乳酸塩の形成がかなり阻害され、したがって哺乳類細胞の培養中の細胞密度および細胞生存率が改善されることが意外にも判明した。これらの知見に基づき、そのような細胞培養によって産生される、関心対象のタンパク質(POI)の収量は、本発明の方法を用いてかなり増加する。さらに、重炭酸または三炭酸を加えると、pH値を一定に維持するために添加するアルカリの量が約50%〜70%減少する。
【0011】
したがって本発明は、約1〜50 mmol/Lの濃度のオキソグルタル酸、コハク酸、フマル酸、リンゴ酸、ケトグルタル酸、もしくはクエン酸またはその組み合わせのような、一つまたは複数の重炭酸または三炭酸の存在下で、培養が行われることを特徴とする、インビトロにおける動物細胞の培養中のグルコース消費および/または乳酸塩産生を減少させる方法であって、それによって上記の重炭酸もしくは三炭酸または塩がクエン酸またはクエン酸塩である場合、この量の上記のクエン酸またはクエン酸塩は、キレート複合体において鉄または別の遷移金属イオンに結合しない方法に関する。
【0012】
本発明の好ましい態様において、動物細胞は哺乳類細胞であり、好ましくは、モノクローナル抗体またはタンパク質様ホルモンを産生するハイブリドーマもしくは骨髄腫細胞、CHO、NS0、BHK、もしくはHeLa細胞である。
【0013】
本発明のさらに好ましい態様において、細胞は流加培養(fed batch)、バッチ還流、透析、固相、または連続発酵において、好ましくは10日〜20日間培養される。
【0014】
本発明に係る方法においては、(1)濃度が約1〜50 mmol/Lの重炭酸もしくは三炭酸(tricarbonic acid)またはその塩の存在下で、培養が行われることを特徴とする、動物細胞の培養中のグルコース消費および/または乳酸塩産生を減少させる方法であって、それにより重炭酸または三炭酸がクエン酸またはクエン酸塩である場合、この量の該クエン酸またはクエン酸塩は、キレート複合体において鉄または別の遷移金属イオンに結合しない方法であることを特徴とする。
【0015】
また、本発明に係る方法においては、(2)重炭酸もしくは三炭酸またはその塩がクエン酸またはクエン酸塩であることを特徴とする、上記(1)記載の方法であることを特徴とする。
【0016】
また、本発明に係る方法においては、(3)動物細胞が哺乳類細胞であることを特徴とする、上記(1)または(2)に記載の方法であることを特徴とする。
【0017】
また、本発明に係る方法においては、(4)哺乳類細胞が骨髄腫、ハイブリドーマ、またはCHO細胞であることを特徴とする、上記(3)記載の方法であることを特徴とする。
【発明の効果】
【0018】
本発明により、哺乳類細胞の増殖時のグルコース消費および/または乳酸塩形成を減少させる単純な方法が提供された。
【発明を実施するための形態】
【0019】
本発明に従って、グルコース消費の比速度(μg/106細胞×日)は、非複合クエン酸塩が存在しない方法を用いた発酵過程と比較して、約40%、好ましくは40%より多く、すなわち40%〜60%に減少する。乳酸塩産生の比速度(μg/106細胞×日)は、非複合クエン酸塩が存在しない方法を用いた発酵過程と比較して、約50%、好ましくは50%より多く、すなわち50%〜70%に減少する。
【0020】
細胞培養培地における乳酸塩の蓄積は、細胞培養中の細胞増殖およびPOI産生を阻害しうる。増殖阻害乳酸塩濃度は、細胞系によって異なる。培養過程において一定時間後の乳酸塩濃度は、乳酸塩およびCTIの産生速度の結果である。本発明は、阻害濃度になるまでの期間が延長させるか、または最良の場合は、乳酸塩が阻害濃度未満に留まるように、乳酸塩の産生比速度を減少させる。しかし、本発明によって、培養中のCTIがかなり増加する。
【0021】
細胞の培養は、製造規模、すなわち容量10〜10,000 Lのバイオリアクターで行う。そのような方法は、例えば、ビビラ(Bibila)T.A.およびロビンソン(Robinson)D.K.(Biotechnol. Prog. 11(1995)、1〜13)に記載されている。
【0022】
好ましくは、発酵培地は血清不含培地である。そのような培地は、最先端の技術において広く記述されている(例えば、ムラカミ(Murakami)H.、「モノクローナル抗体:産生と応用(Monoclonal Antibodies:Production and Application(1989)107〜141)。
【0023】
重炭酸および三炭酸を、好ましくはアルカリ金属もしくはアルカリ金属塩として、または遊離の酸として、約1〜50 mmol/Lの濃度で加える。この量の炭酸は、好ましくはイオンまたは他の遷移金属とキレート複合体において結合していない。しかし、培地は好ましくは、血清不含培地の鉄供給源として加えられる鉄とのキレート複合体において、さらなる量の重炭酸および三炭酸またはその塩を含んでもよい。先に述べたように、クエン酸鉄は、血清不含培地に対する鉄供給源としての添加剤として広く知られており、例えばトランスフェリンである。
【0024】
「複合型の(complexed)重炭酸および三炭酸」という用語は、質量作用の法則内で複合体の形成をもたらす、上記の酸および鉄イオンの化学量論的量の水溶液を意味する。
【0025】
「関心対象のタンパク質(POI)」という用語は、その発現が望ましい任意のタンパク質を意味する。好ましくは、この用語は、所望のタンパク質の任意の組換え型を含む。そのような関心対象のタンパク質は、例えばエリスロポエチンのようなタンパク質ホルモン、または抗体等である。そのような組換え型タンパク質は、例えばハドソン(Hudson)P.J.およびソウリャウ(Souriau)C.(Expert. Opin. Biol. Ther. 1(2001)845〜855)によって総説されている。
【0026】
哺乳類細胞は、好ましくは、CHO細胞もしくはハイブリドーマ、またはそのような関心対象のタンパク質を発現することができる発現ベクターによって形質転換されている骨髄腫のような、組換え型細胞系である。そのような方法は、最先端技術で周知であり、例えば、コロシモ(Colosimo)A.ら(Biotechniques 29(2000)314〜331)によって総説されている。
【0027】
流加培養様式での発酵は、好ましくは攪拌リアクターにおいて4日〜10日間行われる。細胞密度は好ましくは、細胞0.2〜10×106細胞/mlの範囲である。PO2は好ましくは15%〜30%、pHは6.9〜7.3である。
【0028】
透析様式での発酵(カマー(Comer)M.J.ら(Cytotechnology 3(1990)295〜299)は、攪拌透析バイオリアクターにおいて12日〜16日間行うことができる。細胞密度は、好ましくは、0.2〜30×106細胞細胞/ml、PO2は15%〜30%、およびpHは6.9〜7.3である。
【0029】
発酵培地として、好ましくは一般的な血清不含培地を用い、かつ濃縮した栄養溶液を栄養供給のために用いる。
【0030】
以下の実施例および参考文献は、本発明の理解を助けるために提供され、その真の範囲は添付の特許請求の範囲に含まれる。本発明の趣旨から逸脱することなく、これまでに述べた手順に改変を行うことができると理解される。
【実施例】
【0031】
実施例1
骨髄腫細胞系(Sp2/0)の細胞を融解して、10 Lバイオリアクターに接種するために、スピナーフラスコ中で約14日間2Lまで増殖させた。2日〜4日後、細胞を分割するか、または100 Lバイオリアクターに移して、さらに2日〜4日間培養した。100 Lバイオリアクターは、1000 L製造バイオリアクターのための接種用であった。それぞれの接種段階において、0.2〜0.4×106生存細胞/mLの開始細胞密度を用いた。
【0032】
製造バイオリアクターは、透析様式で行った。バイオリアクターは、作業容積900 L〜1300 Lの攪拌タンクリアクターであった。通気は、噴霧によって行った。以下の過程パラメータを制御した:pH、温度、pO2、圧力、および攪拌速度。バイオリアクターは、中空糸カートリッジによる透析様式のために装備した。カートリッジを透析培地貯蔵槽を有する外部ループに接続した。培養の透析は、接種後2日〜4日目に開始した。発酵の間、貯蔵槽には、新鮮な透析培地を繰り返し満たした。いくつかの培地成分は、分離された滅菌溶液としてバイオリアクターに供給した。これらは、グルコース、アミノ酸、ビタミン、および微量元素を含む。
【0033】
発酵は最長で16日間後に終了した。
【0034】
クエン酸塩は、発酵培地および透析培地に加えた。
【0035】
実施例1の結果
表1および表2は、クエン酸を添加したおよび添加していない実施の、グルコースの消費比速度およびCTIを示す(類似の結果はフマル酸塩を用いた場合にも認めることができる)。発酵は、1000 L規模の透析様式で行った。クエン酸塩を培地に加えると、グルコースの消費比速度は約44%減少し、CTIは約105%増加した。同時に乳酸塩の産生比速度は約60%減少した(表3および表4)。
【0036】
発酵の間、POIの産生比速度はほぼ一定であり、したがってPOI量はCTIと共に比較的増大した。
【0037】
(表1) クエン酸塩を添加しない透析様式での発酵

【0038】
(表2) 2,4mmol/lのクエン酸塩を加えた透析様式での発酵

【0039】
発酵培地にクエン酸塩を加えると、培養の間にpHを調節するために必要なアルカリの量が、約66%減少する(表3および表4)。
【0040】
(表3) クエン酸塩を添加しない透析様式での発酵

【0041】
(表4) 2,4mmol/lのクエン酸塩を加えた透析様式での発酵

【0042】
実施例2
骨髄腫細胞系の細胞を融解して(Sp2/0)、10 Lバイオリアクターに接種するためにスピナーフラスコにおいて2Lまで増殖させた。
【0043】
製造バイオリアクターは流加培養様式で運転した。バイオリアクターは、作業容積9〜13 Lの攪拌タンクリアクターであった。通気は、噴霧によって行った。以下の過程パラメータを制御した:pH、温度、pO2、圧力および攪拌速度。培養の栄養供給は、接種後2日〜4日目に開始した。成分は、分離した無菌溶液としてバイオリアクターに供給され、グルコース、アミノ酸、ビタミン、および微量元素を含む。
【0044】
発酵は最長で10日間で終了した。
【0045】
重炭酸および三炭酸を発酵培地および栄養供給培地に加えた。
【0046】
実施例2の結果
表5および表6は、クエン酸を添加したおよび添加していない実施の、産生比速度およびCTIを示す。発酵は、10 Lの規模で流加培養様式で行った。クエン酸塩を培地に加えると、グルコースの消費比速度が約44%減少し、CTIが約241%増加した。同時に、乳酸塩の形成比速度は約52%減少した。このことは、クエン酸の添加によって、解糖を通してグルコースからの代謝の流れが阻害されることを示している。
【0047】
(表5) クエン酸塩を添加しない栄養供給様式での発酵

【0048】
(表6) 2,4mmol/lのクエン酸塩を加えた栄養供給様式での発酵


【特許請求の範囲】
【請求項1】
濃度が約1〜50 mmol/Lの重炭酸もしくは三炭酸(tricarbonic acid)またはその塩の存在下で、培養が行われることを特徴とする、動物細胞の培養中のグルコース消費および/または乳酸塩産生を減少させる方法であって、それにより重炭酸または三炭酸がクエン酸またはクエン酸塩である場合、この量の該クエン酸またはクエン酸塩は、キレート複合体において鉄または別の遷移金属イオンに結合しない方法。
【請求項2】
重炭酸もしくは三炭酸またはその塩がクエン酸またはクエン酸塩であることを特徴とする、請求項1記載の方法。
【請求項3】
動物細胞が哺乳類細胞であることを特徴とする、請求項1または2に記載の方法。
【請求項4】
哺乳類細胞が骨髄腫、ハイブリドーマ、またはCHO細胞であることを特徴とする、請求項3記載の方法。

【公開番号】特開2010−94(P2010−94A)
【公開日】平成22年1月7日(2010.1.7)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−231190(P2009−231190)
【出願日】平成21年10月5日(2009.10.5)
【分割の表示】特願2003−58803(P2003−58803)の分割
【原出願日】平成15年3月5日(2003.3.5)
【出願人】(591003013)エフ.ホフマン−ラ ロシュ アーゲー (1,754)
【氏名又は名称原語表記】F. HOFFMANN−LA ROCHE AKTIENGESELLSCHAFT
【Fターム(参考)】