説明

固体NMRスペクトルの測定方法

【課題】実験条件の設定が容易で、自動的にスペクトル編集が行なえるような固体NMRスペクトルの解析方法を提供する。
【解決手段】接触時間τを変化させながら測定を繰り返し、13C-NMR信号の変化を、接触時間τを変数軸とする指数関数型曲線で表わし、この曲線を線形フィッティング法、逆ラプラス変換法、または最大エントロピー法によって解析することにより、13C-NMR信号群をCH2基由来の13C-NMR信号、CH基由来の13C-NMR信号、およびCH3基または四級炭素由来の13C-NMR信号に分離して帰属させる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、固体試料の核磁気共鳴(NMR)スペクトルの測定方法に関する。
【背景技術】
【0002】
NMR(核磁気共鳴)装置は、スピン磁気モーメントを有する原子核に静磁場を印加し、該スピン磁気モーメントにラーモアの歳差運動を発生させて、そこに歳差運動と同じ周波数の高周波を照射して共鳴させることにより、該スピン磁気モーメントを有する原子核の信号を検出する分析装置である。
【0003】
NMRの測定対象となる試料には、溶液試料と固体試料の2種類がある。そのうち、溶液試料の場合は、きわめてシャープなNMRスペクトルが得られることが多いため、得られた高分解能NMRスペクトルを武器にして、化学物質の分子構造解析を行なうことが広く普及している。
【0004】
一方、固体状態の試料のNMRスペクトルには、双極子相互作用のような、溶液中では回転ブラウン運動で消去されている相互作用がそのまま現れるため、スペクトルの線幅が極端に広くなり、化学シフト項が覆い隠されてしまう。そのため、NMRスペクトルにおいて、測定分子の各部位のシグナルピークが分離できず、結果的に固体NMR法は、分子構造解析には不向きであると考えられていた。
【0005】
この現象を克服し、シャープな固体NMRスペクトルを得る方法が、1958年にE.R.Andrewによって発見された。それは、試料管を静磁場B0の方向から54.7°だけ傾けて高速回転させることにより、異方的な相互作用を取り除き、化学シフト項を取り出すことができるという原理であり、MAS(Magic Angle Spinning)法と呼ばれるものである。
【0006】
固体NMR測定装置において、試料管の回転軸の角度を調整する機構のブロック図を図1に示す。図中1は、プローブ全体を示している。2は、サンプルを入れる試料管で、この試料管を3のスピナロータに入れ、圧縮空気ないしは窒素ガスのような媒体を用い、試料管2を高速に回転させる。
【0007】
4は、スピナロータ3のアングルを可変させるための、例えば歯車などの可動機構である。5は、可動機構4に接続され、可動機構4を外部から操作するための、例えばシャフトである。6は、シャフト5に接続され、実際にマジックアングル調整する際に人間がアクセスするつまみである。
【0008】
静磁場B0に対してマジックアングル(54.7°)を軸として試料管を回転させることにより、化学シフトの異方性を消去し、NMRスペクトルの線幅を狭くすることが可能になるため、マジックアングル調整を行なうことが重要な方法となっている。
【0009】
一方、NMR測定時のパルスシーケンスに工夫を凝らすことにより、固体NMRスペクトルをより解析しやすいものにしようとする試みも行なわれてきた。以下に挙げる例は、13C-固体NMRスペクトルの解析の際に用いられる従来技術である。
〔Dipolar Dephasing〕
通常、13C-NMR信号は、1H核をデカップリングした環境下で観測される。1H核のデカップリングにより、13C核と1H核の双極子結合が切断され、1H核による影響を受けずに、13C-NMRスペクトルを先鋭化した信号として観測することができる。
【0010】
1Hデカップリングを行なわない場合には、双極子結合のために13CのNMR信号強度は大幅に減衰する。この効果は、1H核が直接13C核に化学結合しているCH(メチン基)およびCH2(メチレン基)に対して大きく働く。一方、1H核が直接13C核に結合していない四級炭素や、直接結合しているものの、基の回転運動によって双極子相互作用が平均化されて小さくなっているメチル基の場合には、1H核による信号強度の減衰は少ない。
【0011】
ダイポーラー・デフェイジング法のパルス・スキームを図2に示す。本法では、まずCP(クロス・ポーラリゼーション)法に基づいて、1H核なみに大きく分極させた13C核の磁化が、13C核に化学結合している1H核の数に応じて減衰していく速度の違いを利用して、13C核の固体NMRスペクトルを種類別に分離する。
【0012】
CP法は、固体NMRの感度向上法として広く用いられている手法である。CP法により、1H核の分極を他の核スピンへと移動させることが可能となる。1H核の大きな分極を分極が小さく感度の低い核スピンへと移動させることにより、高い感度でのNMR信号の観測が可能となる。
【0013】
この現象は、熱的に理解することができる。例として、1H核から13C核へと分極を移動させることを考える。まず、1Hスピンが静磁場にて熱平衡状態になり、分極するまで待つ。これは、スピン系を室温へと冷やすことに相当する。
【0014】
次に、90°パルスで横磁化に変換後、1H磁化をスピンロックする。このとき、1H核に照射している高周波磁場とほぼ同じ強度の高周波磁場を同時に13C核に照射すると、1H核と13C核が熱的に接触する。13C核の温度は高いが、1H核と熱的に接触することにより、1H核と同じ温度になるまで冷やされる。すなわち、1H核の分極が13C核へと移動し、13C核が強く分極する。
【0015】
この後、13C核のFID(自由誘導減衰)信号を検出し、フーリエ変換すると、NMRスペクトルを観測することができる。1H核の分極を13C核へと移しているので、13C核のもともとの分極と比べると、信号強度は最大で4倍程度に大きくなる。また、実験の繰り返し時間は、1H核が熱平衡状態に戻る時間と設定することができる。この時間は、13C核が熱平衡状態に戻る時間と比べると、通常は圧倒的に短いので、単位時間当たりの測定回数を増やすことができる。
【0016】
ダイポーラー・デフェイジング法では、このようなCP法によって13C核の磁化を1H核なみに大きく分極させた後、CPパルスを止める。すると、13C核と化学結合している1H核の個数に応じて、それまで大きく分極していた13C核の磁化が急速に減衰していく。この減衰の途中、所定時間τ後に、13C核に180°パルスを照射すると、照射から所定時間τ後に13C核はFIDを発生する。FIDの信号取り込み開始と同時に、1H核をデカップリングするためのRFパルスを1H核に照射すれば、先鋭化した13C−NMRスペクトルを得ることができる(非特許文献1)。
【0017】
尚、180°パルスを照射する意図は、CPパルスを止めると、減衰する磁化成分と振動する磁化成分を生じるので、そのうち、振動する磁化成分をリフォーカスして、減衰する成分のみを選択的に取り出すためである。
〔磁化移動時間〕
13C−NMRスペクトルは、1H核から磁化を13C核へとCPにより移動させて信号観測する。このとき、CPにより、1H核と13C核のスピン温度は、同じ温度の平衡状態に到達する。この際の磁化移動速度は、13C核に直接結合している1H核の個数が多いほど、一般に速くなる。
【0018】
ただしCH3(メチル基)に関しては例外で、メチル基のすばやい回転運動のため、磁化移動の速度は、四級炭素並みの小さな値となる。すなわち、CH2基が最も速く、CH基、CH3基および四級炭素、の順に遅くなる。
【0019】
この磁化移動の速度の違いに着目して、スペクトルの編集が行なわれている。1H核から13C核へのCPの速度の解析、すなわち、図3に示すように、CP時間を変えて13C-NMR信号強度を測定することによりスペクトル編集が可能であるが、別法として、図4に示すように、いったん1H核から13C核へ磁化を移した後、今度は位相を反転させたCPパルスを1H核に印加し続けることにより、再び13C核から1H核へ磁化を戻す(polarization inversion)ことができ、これにより13C核に近接する1H核の影響のみを取り出すことができ、より精密なスペクトル編集を行なうことが可能になる。
【0020】
この手法では、13C核のNMR信号強度変化から、ピークの由来がCH2基なのか、CH基なのか、CH3基および四級炭素なのかを区別できるが、自動的にCH2基のNMR信号だけを抜き出すといったことはできない(非特許文献2)。
〔熱容量〕
さらに別法として、図5に示すような方法も提案されている(非特許文献3)。すなわち、1H核から十分な時間をかけて13C核へとCP法により磁化移動させて、1H核と13C核のスピン温度が同じ平衡状態を実現する。
【0021】
その上で、polarization inversionによって再び13C核から1H核へ磁化を戻す。これにより、1H核のスピン温度がマイナスとなり、平衡状態が崩れて13C核から1H核への磁化移動が始まり、新たな平衡状態に到達するまで磁化が移動する。
【0022】
このとき、polarization inversionの時間を適切に設定すると、途中で擬似的な平衡状態に到達することが知られている。その平衡状態では、CH基の信号は消え、CH2基の信号は負の強度を持つ。CH3基と四級炭素の信号強度は正のままで殆ど変化しない。
【0023】
擬似的な平衡状態が達成されるまでの時間を適切に設定し、スペクトルを選択的に測定することにより、スペクトル編集を行なう。この手法により、CH2基の信号のみを含んだ13C-NMRスペクトルを作成することなどができる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0024】
【非特許文献1】M. Alla, E. Lippmaa, Chem. Phys. Lett., 37 (1976) 260.
【非特許文献2】W. Xiaoling, Z. Shanmin, W. Xuewen, J. Magn. Reson., 77 (1988) 343.
【非特許文献3】X. Wu, K. W. Zilm, J. Magn. Reson., 102A (1993) 205.
【非特許文献4】S. W. Provencher, R. H. Vogel, in: P. Deuflhard, E. Hairer (Eds.), Numerical Treatments of Inverse Problems in Differential and Integral Equations, Birkhause: Boston, 1983, pp.304.
【非特許文献5】R. H. Vogel, SPLMOD Users Manual (Ver. 3), Data Analysis Group, EMBL: Heidelberg, Germany, 1988, EMBL-DA09.
【非特許文献6】S. W. Provencher, A constrained regularization method for inverting data represented by linear algebraic or integral equations, Comput. Phys. Commun., 27 (1982) 213.
【非特許文献7】S. W. Provencher, A general purpose constrained regularization program for inverting noisy linear algebraic and integral equations, Comput. Phys. Commun., 27 (1982) 229.
【非特許文献8】S. W. Provencher, CONTIN Users Manual (Ver. 2), Data Analysis Group, EMBL: Heidelberg, Germany, 1984, EMBL-DA07.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0025】
〔Dipolar Dephasing〕
この方法は、実験が容易なため、広く用いられているが、CH基の13C-NMR信号をCH2基の13C-NMR信号から区別できないという問題があった。
【0026】
〔磁化移動時間〕
磁化移動時間の違いに着目したスペクトル編集技術は、単純で実行しやすいが、磁化移動時間の差を人の手によって仕分ける必要があり、自動的にCH基の13C-NMR信号だけをCH2基の13C-NMR信号から分けて取り出すことができないという問題があった。
【0027】
〔熱容量〕
熱容量に注目した実験では、適切にpolarization inversionの時間を設定することにより、安定した結果が得られる。また、自動的にCH基の13C-NMR信号のみを取り出すことも容易に行なえる。しかしながら、polarization inversionの最適値は試料によって異なり、その設定は容易ではないという問題があった。
【0028】
本発明の目的は、上述した点に鑑み、実験条件の設定が容易で、自動的にスペクトル編集が行なえるような固体NMRスペクトルの解析方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0029】
この目的を達成するため、本発明にかかる固体NMRスペクトルの測定方法は、
固体試料を静磁場に対しマジック角傾斜させて高速回転させつつ固体NMRスペクトルを取得するNMR測定方法であって、
(1)1H核に対する90°パルス照射−分極移動の接触時間τにわたる分極移動用高周波の照射−検出期間tにわたる1H核デカップリング用高周波の照射と、13C核に対する前記接触時間τにわたる分極移動用高周波の照射−検出期間tにわたる13C核FID信号の検出から成るパルスシーケンスを用い、
前記τをn段階に変化させながら各τについてのFID信号を検出し、各FID信号について時間軸tを周波数軸ωに変換する処理を施してn個の13C核NMRスペクトルから成る集合データS(τ,ω)を得る工程、
(2)得られた集合データS(τ,ω)に対して、τ軸方向に曲線解析処理を施すことにより磁化移動速度vを変数とする集合データS(v,ω)を得る工程
から成ることを特徴としている。
【0030】
また、前記工程(1)において、1H核に対する分極移動用高周波の照射に際し接触時間τの後半に高周波の位相を反転させるパルスシーケンスを用い、この位相反転の期間を変えることによりτを変化させることを特徴としている。
【0031】
また、前記工程(1)において、1H核に対する分極移動用高周波の照射に際し接触時間τの後半に高周波の位相を一旦反転させ更に位相を戻すと共に、該位相を戻した期間に合わせて13C核に対する前記分極移動用高周波の位相も反転させるパルスシーケンスを用い、この1H核に対する位相反転及び戻しの期間を変えることによりτを変化させることを特徴としている。
【0032】
また、更に、
(3)前記集合データS(v,ω)に基づき、磁化移動速度vが高い順にCH2基由来のピーク、CH基由来のピーク、CH3基及び四級炭素由来のピークであるかを判定する工程を含むことを特徴としている。
【0033】
また、前記曲線解析処理は、線形フィッティング法、逆ラプラス変換法、最大エントロピー法のいずれかに基づいて行われることを特徴としている。
【発明の効果】
【0034】
本発明の固体NMRスペクトルの測定方法によれば、
固体試料を静磁場に対しマジック角傾斜させて高速回転させつつ固体NMRスペクトルを取得するNMR測定方法であって、
(1)1H核に対する90°パルス照射−分極移動の接触時間τにわたる分極移動用高周波の照射−検出期間tにわたる1H核デカップリング用高周波の照射と、13C核に対する前記接触時間τにわたる分極移動用高周波の照射−検出期間tにわたる13C核FID信号の検出から成るパルスシーケンスを用い、
前記τをn段階に変化させながら各τについてのFID信号を検出し、各FID信号について時間軸tを周波数軸ωに変換する処理を施してn個の13C核NMRスペクトルから成る集合データS(τ,ω)を得る工程、
(2)得られた集合データS(τ,ω)に対して、τ軸方向に曲線解析処理を施すことにより磁化移動速度vを変数とする集合データS(v,ω)を得る工程
から成ることを特徴としているので、
実験条件の設定が容易で、自動的にスペクトル編集が行なえるような固体NMRスペクトルの解析方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0035】
【図1】固体NMRスペクトルの測定方法を示す図である。
【図2】ダイポーラー・デフェイジング法の模式図である。
【図3】クロス・ポーラリゼーション法の模式図である。
【図4】ポーラリゼーション・インバージョン法の模式図である。
【図5】ポーラリゼーション・インバージョン法の模式図である。
【図6】本発明にかかる第1の実施例である。
【図7】本発明に基づいて13C-NMR信号を3次元表示した図である。
【図8】本発明に基づいて13C-NMR信号を磁化移動速度で分けた図である。
【図9】本発明に基づいて13C-NMR信号を分離し帰属させた例である。
【図10】本発明に基づいて13C-NMR信号を分離し帰属させた例である。
【図11】本発明にかかる第2の実施例である。
【図12】本発明にかかる第3の実施例である。
【発明を実施するための形態】
【0036】
以下、本発明の実施の形態を図面に基づいて説明する。
【実施例1】
【0037】
本実施例を図6に示す。本実施例は、上記の従来技術を発展させ、自動的にスペクトル編集することを可能にし、かつ実験条件の設定が容易な固体NMRの測定解析法である。もととなる測定法は従来技術と同じものであるが、解析に曲線解析を用いることにより、自動化が可能になる。
【0038】
本実施例は、基本的に固体試料を静磁場軸に対しマジック角だけ傾斜させて高速回転させ、固体NMRスペクトルを取得する際に用いられるスペクトルの測定方法であって、
(1)試料中の1H核の分極を横磁化に変換するため90°パルスを照射する工程、
(2)90°パルスにより発生させた1H核の横磁化を、高周波パルスを印加し続けることによりスピンロックし、同時に13C核に対してもほぼ同等の強度を持った高周波パルスを接触時間τだけ照射するクロス・ポーラリゼーション(CP)法により、1H核から13C核に磁化を移す工程、
(3)CPパルス照射直後に生成する13C核のFIDを、1H核をデカップリングしながら測定し、13C-NMRスペクトルにフーリエ変換する工程、
(4)接触時間τを変化させながら測定を繰り返し、13C-NMR信号の変化を、接触時間τを変数軸とする指数関数型曲線で表わし、この曲線を線形フィッティング法、または逆ラプラス変換法によって解析する工程、
(5)13C-NMR信号群をCH2基由来の13C-NMR信号、CH基由来の13C-NMR信号、およびCH3基または四級炭素由来の13C-NMR信号に分離して帰属させる工程、
の5つの工程から成る。
【0039】
そして、本実施例では、(1)から(5)までの工程を、コンピュータを使って網羅的に行なわせる。すなわち、接触時間τをn段階に変化させながら、各τについてのFID信号を検出し、各FID信号について時間軸tを周波数軸ωに変換する処理を施してn個の13C-NMRスペクトルから成る集合データS(τ,ω)を得、得られた集合データS(τ,ω)に対してτ軸方向に曲線解析処理を施すことにより磁化移動速度vを変数とする集合データS(v,ω)を得る。これは、ある種の2次元NMR法と言える。
【0040】
曲線解析には、NNLS(non-negative least square fitting)法といった線形フィッティング法や、SPLMOD法、CONTIN法といった逆ラプラス変換法(非特許文献4〜8)、最大エントロピー法(MEM)などを用いる。
【0041】
CP法の結果、13C-NMRの信号強度が接触時間τに応じてしだいに増加していく様子を、観測される13C-NMRスペクトルのセットに対し、13C-NMRスペクトルの化学シフト軸と接触時間τの軸とを交差させた2次元スペクトルで表わし、接触時間τを変数軸にしてNMR信号強度変化を指数関数型の増加曲線で表現したときの曲線の波形解析を、これらの解析方法にあてはめて実行する。
【0042】
その結果、1H核から13C核への磁化移動の時定数の位置にピークが現れる。最も磁化移動の速いものがCH2基であり、次にCH基、さらに四級炭素とCH3基が続き、都合3つのグループにグループ分けすることができ、これによりスペクトル編集が可能になる。
【0043】
図7は、接触時間τを変数軸として、NMR信号強度変化を指数関数型の増加曲線が分かるように3次元表現した一例である。この増加曲線をSPLMOD法によって処理すると、図8に結果を示すように、13C-NMR信号がそれぞれの磁化移動速度vの違いを反映した位置に、シングルピークとして分離される。この位置の違いが13C核に化学結合している1H核の個数の違いに基づくものであることは、次に示す例から明らかである。
【0044】
サンプルにコール酸を用いて同様の信号分離を実行した例を図9と図10に示す。曲線解析にはSPLMOD法を用いた。図9の縦軸は磁化移動速度v、横軸は13C-NMRスペクトルの化学シフト値である。図9から、13C-NMRスペクトルは、1H核から13C核への磁化移動の速度に従って、3つのグループに分類されていることが分かる。
【0045】
最も速度が速いグループは一番下に現れているCH2基のグループ、次が下から2番目の位置に現れているCH基のグループ、最も速度が遅いグループが一番上に現れているCH3基および四級炭素のグループである。このように、本実施例を適用すれば、13C-NMR信号ピークは、3つのグループに整然と分類できる。
【0046】
図9のスペクトルのスライスを図10に示す。一番上のスペクトルは、通常のCPMASスペクトルである。ピークがたくさん現れており、どのピークがCH2基なのか、CH基なのか、CH3基なのか分からない。
【0047】
上から2番目のスペクトルは、磁化移動速度が最も速いグループを選んで取り出したものである。これは、CH2基に由来するピーク群であり、CH2基のみの13C-NMRスペクトルとなる。
【0048】
上から3番目のスペクトルは、磁化移動速度が2番目に速いグループを選んで取り出したものである。これは、CH基に由来するピーク群であり、CH基のみの13C-NMRスペクトルとなる。
【0049】
1番下のスペクトルは、磁化移動速度が最も遅いグループを選んで取り出したものである。これは、CH3基および四級炭素に由来するピーク群であり、CH3基および四級炭素のみの13C-NMRスペクトルとなる。
【0050】
このように、自動的に容易にスペクトル編集が可能となる。
【実施例2】
【0051】
図11に本実施例を示す。本実施例は、基本的に固体試料を静磁場軸に対しマジック角だけ傾斜させて高速回転させ、固体NMRスペクトルを取得する際に用いられるスペクトルの測定方法であって、
(1)試料中の1H核の分極を横磁化に変換するため90°パルスを照射する工程、
(2)90°パルスにより発生した1H核の横磁化を、高周波パルスを印加し続けることによりスピンロックし、同時に13C核に対してもほぼ同等の強度を持った高周波パルスを照射するクロス・ポーラリゼーション(CP)法により、磁化を1H核から13C核に移した後、位相を反転させた1H用スピンロックパルスを、位相を反転させない13C用CPパルスと同時に、更に時間τだけ照射することにより、13C核に移されていた磁化を13C核から1H核に戻す(polarization inversion)工程、
(3)CPパルス照射直後に生成する13C核のFIDを、1H核をデカップリングしながら測定し、13C-NMRスペクトルにフーリエ変換する工程、
(4)時間τを変化させながら測定を繰り返し、13C-NMR信号の変化を、時間τを変数軸とする指数関数型曲線で表わし、この曲線を線形フィッティング法、または逆ラプラス変換法によって解析する工程、
(5)13C-NMR信号群をCH2基由来の13C-NMR信号、CH基由来の13C-NMR信号、およびCH3基または四級炭素由来の13C-NMR信号に分離して帰属させる工程、
の5つの工程から成る。
【0052】
そして、本実施例では、(1)から(5)までの工程を、コンピュータを使って網羅的に行なわせる。すなわち、位相反転時間τをn段階に変化させながら、各τについてのFID信号を検出し、各FID信号について時間軸tを周波数軸ωに変換する処理を施してn個の13C-NMRスペクトルから成る集合データS(τ,ω)を得、得られた集合データS(τ,ω)に対してτ軸方向に曲線解析処理を施すことにより磁化移動速度vを変数とする集合データS(v,ω)を得る。これは、ある種の2次元NMR法と言える。
【0053】
解析は、実施例1で述べた方法と全く同じ方法で行なう。すなわち、CPの位相反転法によって13C-NMRの信号強度がしだいに減少していく様子を、13C-NMRスペクトルの化学シフト軸とCPの位相反転時間τの軸とを交差させた2次元スペクトルで表わし、CPの位相反転時間τを変数軸にしてNMR信号強度変化を指数関数型の減少曲線で表現したときの曲線の波形解析を実行する。
【0054】
波形解析にNNLS(non-negative least square fitting)法といった線形フィッティング法や、SPLMOD法、CONTIN法といった逆ラプラス変換法(非特許文献4〜8)、最大エントロピー法(MEM)などを用いることにより、1H核から13C核への磁化移動の時定数の位置にピークが現れる。
【0055】
最も速いものがCH2基であり、次にCH基、さらに四級炭素とCH3基とグループ分けすることにより、スペクトル編集が可能となる。
【実施例3】
【0056】
図12に本実施例を示す。本実施例は、位相反転の回数を実施例2の場合よりも増やしたものである。すなわち、実施例2で説明したように、1H核用スピンロックパルスを位相反転させて、13C核から1H核に向けてpolarization inversionを行なった後、今度は、更にもう1度、1H核用スピンロックパルスと13C核用CPパルスをともに位相反転させて、合わせて総時間がτとなるように、1H核から13C核に向けてpolarization inversionを行なうことを特徴とする。
【0057】
これにより、実験条件のずれに対する許容度が上がる。本実施例で得られたデータに対しても、実施例1と実施例2で述べた方法と全く同じ方法でデータ解析を行なう。
【産業上の利用可能性】
【0058】
固体NMRのスペクトル測定に広く利用できる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
固体試料を静磁場に対しマジック角傾斜させて高速回転させつつ固体NMRスペクトルを取得するNMR測定方法であって、
(1)1H核に対する90°パルス照射−分極移動の接触時間τにわたる分極移動用高周波の照射−検出期間tにわたる1H核デカップリング用高周波の照射と、13C核に対する前記接触時間τにわたる分極移動用高周波の照射−検出期間tにわたる13C核FID信号の検出から成るパルスシーケンスを用い、
前記τをn段階に変化させながら各τについてのFID信号を検出し、各FID信号について時間軸tを周波数軸ωに変換する処理を施してn個の13C核NMRスペクトルから成る集合データS(τ,ω)を得る工程、
(2)得られた集合データS(τ,ω)に対して、τ軸方向に曲線解析処理を施すことにより磁化移動速度vを変数とする集合データS(v,ω)を得る工程
から成ることを特徴とする固体NMR測定方法。
【請求項2】
前記工程(1)において、1H核に対する分極移動用高周波の照射に際し接触時間τの後半に高周波の位相を反転させるパルスシーケンスを用い、この位相反転の期間を変えることによりτを変化させることを特徴とする請求項1記載の固体NMR測定方法。
【請求項3】
前記工程(1)において、1H核に対する分極移動用高周波の照射に際し接触時間τの後半に高周波の位相を一旦反転させ更に位相を戻すと共に、該位相を戻した期間に合わせて13C核に対する前記分極移動用高周波の位相も反転させるパルスシーケンスを用い、この1H核に対する位相反転及び戻しの期間を変えることによりτを変化させることを特徴とする請求項1記載の固体NMR測定方法。
【請求項4】
更に、
(3)前記集合データS(v,ω)に基づき、磁化移動速度vが高い順にCH2基由来のピーク、CH基由来のピーク、CH3基及び四級炭素由来のピークであるかを判定する工程を含むことを特徴とする請求項1乃至3のいずれかに記載の固体NMR測定方法。
【請求項5】
前記曲線解析処理は、線形フィッティング法、逆ラプラス変換法、最大エントロピー法のいずれかに基づいて行われることを特徴とする請求項1乃至4のいずれかに記載の固体NMR測定方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【公開番号】特開2011−141162(P2011−141162A)
【公開日】平成23年7月21日(2011.7.21)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−1312(P2010−1312)
【出願日】平成22年1月6日(2010.1.6)
【出願人】(000004271)日本電子株式会社 (811)