説明

突然変異養殖魚

【課題】突然変異養殖魚及び該突然変異養殖魚の作出方法の提供。
【解決手段】養殖魚に化学物質を導入することにより突然変異養殖魚を作出する。該突然変異養殖魚の作出方法には、化学物質の導入にあたり、注射法又は浸漬法等を用いることができる。化学物質がアルキル化剤又はアジ化ナトリウムである。魚類がアマゴ、フグ、ヒラメ・カレイ類、タイ、スズキ、タラ、コイ、ナマズ、サケマス類、ブリ類、ハタ類、ウナギ、ティラピア又はキンギョのいずれかである。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は化学物質を導入することにより作出される突然変異養殖魚に関する。さらに詳しくは、化学物質を注射法又は漬浸法によって導入することにより作出される突然変異養殖魚に関する。また、該突然変異養殖魚を作出する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
農作物等における品種改良法として、化学物質によって突然変異を誘発するTargeting Induced Local Lesions In Genomes法(以下、TILLING法と示す)が実施されている。TILLING法は遺伝子組換え技術を用いないため、この方法によって作出された品種は遺伝子組換え(Geneticalli−Modified:GM)植物と異なり、農業分野において広く受け入れられている。
【0003】
近年、メダカ、ゼブラフィッシュ等の実験用の小型魚類においても、TILLING法によって突然変異体を得ることが可能であることが確認され、突然変異体ライブラリーが確立されている(例えば、非特許文献1,2参照)。
しかし、アマゴ、フグ、ヒラメ、タイ等の養殖魚においては、遺伝子組換え技術や、放射線照射によって変異体を得ることが主であり、TILLING法を用いて、突然変異体を得るに至っていない。
【0004】
TILLING法では、エチルメタンスルホネート(Ethyl methanesulfonate:EMS)やN−エチル−N−ニトロソウレア(N−ethyl−N−nitrosourea:ENU、以下、ENUと示す)等の化学物質を用い(例えば、特許文献1参照)、実験用の小型魚類をこれらの化学物質を含む飼育水に漬ける方法(個体浸漬法)や、マウス等の実験用の哺乳動物に対しこれらの化学物質を注射する方法(注射法)が行われている。
【0005】
しかし、養殖魚は実験用の小型魚類と比べて数百倍から数千倍も大きいため、個体浸漬法を行うには、養殖魚を漬けるための広いスペースや化学物質を含む浸漬水が大量に必要となる。さらに、浸漬処理中の作業者や周囲への化学物質による汚染の危険性も格段に高く、浸漬後、数十リットル〜数トンとなる廃水の処理の問題等もあることから、実施はほぼ不可能であった。
また、注射法は実験用の哺乳動物に対して行われており、個体浸漬法と比べて広いスペースを必要とせず、使用する化学物質が少ないという利点があるものの、実験用の小型魚類も含めて、この方法によって魚類の突然変異体を得たという実績は得られていなかった。
【0006】
特に、養殖魚では、精子や卵を採取できる産卵期が年一度しかないことから、実験用の哺乳動物や小型魚類を対象とする場合と異なり、化学物質の導入における適切な時期、方法、量や回数等の十分な検討が必要となるという問題もあった。
従って、養殖魚においては、注射法又は漬浸法によって化学物質を導入し、TILLING法や直接選抜(選抜育種)によって、実際に突然変異体を得ることは当業者であっても容易ではなく、有効な方法の提供が望まれていた。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特表2005−532782号公報
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】Taniguchi,Y.,et.al. Genome Biol. 7:R116.2006
【非特許文献2】Wienholds,E.,et.al. Science, 297:99−102.2002
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明は化学物質を導入することにより作出される突然変異養殖魚を提供することを課題とする。また、該突然変異養殖魚を作出する方法の提供を課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者は前記課題を解決するために鋭意研究を行った結果、化学物質の導入による突然変異養殖魚の作出を初めて可能とし、本発明を完成するに至った。
養殖魚において、化学物質の導入を注射法によって行う場合には、成熟期の雄の養殖魚を用い、対象とする養殖魚に応じて化学物質の投与量・投与回数等の条件を特定することが重要となる。また。化学物質の導入を浸漬法によって行う場合には、養殖魚の未受精卵又は精子を用い、対象とする養殖魚に応じて浸漬液に含まれる化学物質の濃度・浸漬時間等の条件を特定することが重要となる。本発明者はアマゴ等の養殖魚において、これらの条件を特定することにより、突然変異養殖魚であるアルビノ変異したアマゴ(非モザイク個体・モザイク個体)を作出した。また、突然変異養殖魚の恒常的な作出方法を見出した。
【0011】
すなわち、本発明は次の(1)〜(13)に記載の突然変異養殖魚、該突然変異養殖魚の作出方法等に関する。
(1)化学物質を導入することにより作出される突然変異養殖魚。
(2)化学物質の導入が注射法又は浸漬法によるものである、上記(1)に記載の突然変異養殖魚。
(3)化学物質がアルキル化剤又はアジ化ナトリウムである、上記(1)又は(2)に記載の突然変異養殖魚。
(4)アルキル化剤がN−ethyl−N−nitrosoureaである、上記(3)に記載の突然変異養殖魚。
(5)魚類がアマゴ、フグ、ヒラメ・カレイ類、タイ、スズキ、タラ、コイ、ナマズ、サケマス類、ブリ類、ハタ類、ウナギ、ティラピア又はキンギョのいずれかである、上記(1)〜(4)のいずれかに記載の突然変異養殖魚。
(6)注射法又は浸漬法により化学物質を導入することによる、上記(1)〜(5)のいずれかに記載の突然変異養殖魚の作出方法。
(7)次の1)〜3)の工程を含む上記(6)に記載の突然変異養殖魚の作出方法。
1)成熟期の雄の養殖魚に化学物質を導入する工程
2)上記1)の雄の養殖魚より得た精子を用いて受精卵を得る工程
3)上記2)の受精卵を発生させる工程
(8)化学物質を注射投与により導入する上記(7)に記載の作出方法。
(9)化学物質を70〜100mg/kg/回、週1回の間隔で合計3〜4回注射投与により導入する上記(8)に記載の作出方法。
(10)次の1)〜3)の工程を含む、上記(6)に記載の突然変異養殖魚の作出方法。
1)化学物質を含む浸漬液に未受精卵を浸漬する工程
2)上記1)の未受精卵を用いて受精卵を得る工程
3)上記2)の受精卵を発生させる工程
(11)未受精卵を浸漬した後、洗浄し、受精卵を得る工程を行う上記(10)に記載の作出方法。
(12)化学物質を1mM以下含む浸漬液に未受精卵を浸漬する上記(10)又は(11)に記載の作出方法。
(13)浸漬時間が9時間以下である上記(10)〜(12)のいずれかに記載の作出方法。
【発明の効果】
【0012】
本発明によって、突然変異養殖魚を恒常的に作出することが可能となった。本発明の突然変異養殖魚の作出は、化学物質の導入によるものであり、養殖魚のゲノム構造に重大な変化を起こさない一方で、一塩基のみの置換等の適度な変異を起こすことから、有用な突然変異養殖魚の作出を目的として幅広く利用できる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【図1】アルビノに変異したアマゴ(非モザイク個体)を示した図である(実施例1)。
【図2】アルビノに変異したアマゴ(非モザイク個体)を示した図である(実施例1)。
【図3】アマゴにおける化学物質投与後の生存個体数の変化を示した図である(試験例1)。
【図4】産卵期のアマゴ雄成魚における化学物質投与後の生存率と生存日数の関係を示した図である(試験例1)。
【図5】成熟期のアマゴ雄成魚における化学物質投与後の生存率と生存日数の関係を示した図である(試験例2)。
【図6】浸漬した未受精卵を用いた場合における生存率と生存日数の関係を示した図である(実施例2)。
【図7】アルビノに変異したアマゴ(非モザイク個体及びモザイク個体)を示した図である(実施例2)。
【図8】浸漬した受精卵を用いた場合の生存個体数の変化を示した図である(試験例3)。
【図9】浸漬した未受精卵を用いた場合の生存個体数の変化を示した図である(試験例3)。
【図10】浸漬した精子を用いた場合の生存個体数の変化を示した図である(試験例3)。
【図11】浸漬した未受精卵を用いた場合における生存率と生存日数の関係を示した図である(試験例3)。
【発明を実施するための最良の形態】
【0014】
本発明の「突然変異養殖魚」とは、化学物質を導入されることにより変異が生じた、養殖魚として養殖され得る全ての養殖魚のことをいい、例えば、アマゴ、フグ、ヒラメ・カレイ類、タイ、スズキ、タラ、コイ、ナマズ、サケマス類、ブリ類、ハタ類、ウナギ、ティラピア等を変異させた突然変異養殖魚が挙げられる。また、キンギョ等の観賞魚も本発明の養殖魚に含まれ、本発明においてキンギョ等の観賞魚を変異させたものも、突然変異養殖魚に含まれる。
本発明の「突然変異養殖魚」の作出にあたり、化学物質の導入においてはいずれの方法を用いても良いが、注射法又は浸漬法を用いることが好ましい。注射法とは、養殖魚の成魚に対し、注射投与によって化学物質を導入する方法のことを指す。注射投与は養殖魚の腹腔等に行うことが好ましい。また、浸漬法とは、養殖魚の成魚より得られる未受精卵や精子を、化学物質を含む浸漬液に浸漬することにより、化学物質を導入する方法のことを指す。
【0015】
本発明の突然変異養殖魚の作出にあたり、使用する化学物質としては、養殖魚の変異を誘発し、変異を起こさせることができる化学物質であればいずれのものも用いることができる。養殖魚のゲノム構造に重大な変化を起こさない化学物質であって、一塩基のみの置換等の適度な変異を起こす化学物質であることが好ましく、このような化学物質として、例えば、ENU等のアルキル化剤、アジ化ナトリウム等が挙げられる。
【0016】
本発明の「突然変異養殖魚の作出方法」には、化学物質を養殖魚に導入することで、突然変異養殖魚を作出できる方法であればいずれの方法も含まれる。養殖魚への化学物質の導入は、いずれの方法も用いても良いが、例えば注射法を用いる場合は、次の1)〜3)の工程を含む、突然変異養殖魚の作出方法等が挙げられる。
1)成熟期の雄の養殖魚に化学物質を導入する工程
2)上記1)の雄の養殖魚より得た精子を用いて受精卵を得る工程
3)上記2)の受精卵を発生させる工程
【0017】
ここで、工程1)の雄の養殖魚への化学物質の導入においては、化学物質によって変異が誘発された精子を得るタイミングと、年一度の雌の養殖魚の排卵の時期とが合うように、まだ排精が起きていない成熟期の雄の養殖魚に化学物質の導入を行うことが重要となる。排精が起きていない成熟期の雄の養殖魚としては、例えばアマゴの場合、生殖腺指数(以下、GSIとする示す)が5前後のアマゴ雄成魚等が挙げられる。なお、GSIは生殖腺重量(g)/体重(g)×100として求めることができる。
【0018】
工程1)の化学物質の導入においてはさらに、対象とする養殖魚に応じて、注射投与を行う量、回数及び間隔を特定することが重要となる。例えばアマゴにENUを用いて変異を導入する場合では、1回の投与でアマゴに対してENUが70〜100mg/kgとなるように投与し、週1回の間隔で合計3〜4回注射投与することが好ましい。
【0019】
また、注射法を用い雌の養殖魚へ化学物質を導入した場合には、この養殖魚から採取した未受精卵を用いて、受精卵を得て、この受精卵を発生させることで突然変異養殖魚を作出することもできる。未受精卵は、精子とは異なり、卵の凍結保存技術が確立していないため、現時点ではTilling法での凍結バンクの作製は困難であるが、直接選抜(選抜育種)による突然変異養殖魚の作成が可能である。
注射法によって変異導入された精子又は未受精卵を用い、受精卵を得るにあたり、受精させる相手方の未受精卵又は精子は本発明の注射法や浸漬法により変異導入されているものであってもよく、変異導入されていないものであってもよい。
【0020】
本発明の「突然変異養殖魚の作出方法」に浸漬法を用いる場合は、次の1)〜3)の工程を含む、突然変異養殖魚の作出方法が挙げられる。
1)化学物質を含む浸漬液に未受精卵を浸漬する工程
2)上記1)の未受精卵を用いて受精卵を得る工程
3)上記2)の受精卵を発生させる工程
【0021】
さらに、工程1)にて未受精卵を浸漬した後、浸漬液から取り出し、工程2)の前に洗卵液等で洗浄し、受精卵を得る工程を行うこともできる。洗浄はいずれの方法で行うこともできるが、例えば、浸漬後に洗浄液を掛け流して洗浄することもできる。また、未受精卵を洗卵液に入れ、一定時間静置洗浄する等の方法によって行うことができる。洗浄する工程を経ないで工程2)を行う場合は、浸漬した未受精卵にモザイク変異が起こり、洗浄する工程を経た場合には、非モザイク変異が起こりやすくなる。
【0022】
ここで、工程1)の化学物質を含む浸漬液に未受精卵を浸漬する工程では、対象とする養殖魚に応じて、浸漬液に含まれる化学物質の濃度、浸漬時間を特定することが重要となる。例えばENUを用いて未受精卵に変異を導入する場合では、ENUを1mM以下、好ましくは0.6mM以下、さらに好ましくは0.3mM以下含む浸漬液に、未受精卵を9時間以下、さらに好ましくは1時間浸漬することが好ましい。
以下、本発明の詳細を実施例等で説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【実施例1】
【0023】
<注射法による突然変異養殖魚の作出>
1.試料
1)養殖魚
成熟期(GSIが5前後)のアマゴ雄成魚(体重179−629g)全39尾(いずれも独立行政法人水産総合研究センター養殖研究所)を用いた。
飼育環境は70−250尾/約190x580cm池、エサ:日本配合飼料 鱒用8P、給餌:平日毎日1回、水温:約16℃であり、化学物質を導入した後は、12−34尾/1200LのFRP水槽に収容した以外は化学物質を導入する前と同様の環境で飼育した。
2)未受精卵
アマゴ雌成魚を水産用麻酔剤FA−100(オイゲノール、田辺製薬社製)で、麻酔した後、腹部を指で圧迫して未受精卵を採取した。
3)化学物質の調製
ENU(N3385−1G、lot.058K1196、Sigma社製)1gを、溶解緩衝液(0.01Mリン酸ナトリウムバッファー(pH6.3))80mlに力価0.9として溶解し、約11mg/mlのENU溶液を調製した。
【0024】
2.突然変異養殖魚の作出方法
1)養殖魚に化学物質を導入する工程
上記1.で調製したENU溶液を、ENUがアマゴ体重に対して70〜100mg/kgとなるように、注射投与によってアマゴの腹腔に導入した。注射投与は週に1回の間隔で、3〜4回行った。各導入条件は、表1に示した。
突然変異養殖魚の作出にあたり、養殖魚の飼育は河川の伏流水をくみ上げた原水(約16℃)で行った。
2)受精卵を得る工程
上記1)でENUを導入したアマゴ雄成魚を水産用麻酔剤FA−100(オイゲノール、田辺製薬社製)で、麻酔した後、腹部を指で圧迫して精子を採取した。この精子を用い、乾導法によって受精卵を得た。
即ち、ザルで水分を切った未受精卵に直接、精液あるいは希釈精液をふりかけ、混合後サクラマス用洗卵液((114.6mM NaCl、3.4mM KCl、2.7mM CaCl2・2H2O、2.4mM NaHCO3)以下、同じ物を用いた)を添加して授精させた。洗卵液の中で精子が運動を開始し受精を行うことで、受精卵が得られた。
3)受精卵を発生させる工程
得られた受精卵約2000−5000粒を、ザルに入れた状態で調温水が入ったふ化槽(約11.5℃)に入れ、エアレーションしながら遮光、流水条件下で発生させた。
【0025】
3.結果
その結果、表1に示したように、いずれの導入条件でENUを導入した場合でも、1〜5尾のアルビノに変異したアマゴが得られた。このアルビノに変異したアマゴ全19尾のうち、17尾において非モザイク個体であることが確認された。残りの2尾は稚魚の段階で死滅したため、モザイク個体か非モザイク個体かは不明であった。
表1に示したうち、特に、導入条件2、5では変異導入率が0.3〜0.4%と高く、実験用の小型魚類(メダカ)の個体浸漬法における総突然変異導入率(孵化前の眼球形成期での変異率)である、0.4%と同等の高い効率を示すことが確認された。
孵化直後のアルビノに変異したアマゴ(非モザイク個体)を図1に示し、その後成長したそれぞれの条件によって得られたアルビノに変異したアマゴ(非モザイク個体)を図2に示した。
【0026】
この結果より、養殖魚に化学物質を注射する注射法により、実験用の小型魚類(メダカ)の個体浸漬法と同程度の高い確率で突然変異養殖魚が得られることが確認された。従って、本発明の注射法により、安全かつ安定して突然変異養殖魚を作出することが可能となる。
【0027】
【表1】

【0028】
[試験例1]
<導入条件の検討>
注射法において、化学物質の有効な導入時期を調べるために検討を行った。
1.検討対象
産卵期(GSI:5−6(全て排精確認))のアマゴ雄成魚(体重219−777g)13尾(いずれも独立行政法人水産総合研究センター養殖研究所)を用いた。
【0029】
2.導入時期の検討
実施例1と同様に調製したENU溶液を、ENUがアマゴ体重に対して63〜73mg/kgとなるように、注射投与によって産卵期のアマゴ雄成魚の腹腔に導入した。注射投与は週に1回の間隔で3回行った。その後、実施例1と同様に飼育を続け、精子を排出する時期(以下、排精時期と示す)の傾向を調べることにより、ENUの導入時期を検討した。また、ENU導入により与えられる影響を生存率で調べた。生存率は、導入後の生存個体数に対し、導入開始時の生存個体数を100として求めた。
【0030】
3.結果
その結果、図3に示したように、最初の導入段階で既に精子を排出している産卵期のアマゴ雄成魚は、最後(3回目)の導入時点で、精子の排出(以下、排精と示す)が停止していることが確認された。そして、最後の導入日を基準(0日)として約2週間経過頃に排精が再開することが確認された。
しかし、排精を再開した段階で精子を採取したのでは、年一度しかない雌の排卵が既に終了していて、受精が間に合わないことが確認された。採取した精子を凍結保存することも考えられたが、主として淡水魚を中心とした養殖魚では、凍結保存後の精子の運動率が低下するため、大量受精を行うには実用的ではない。従って、この試験より、雌の排卵に間に合うように、排精前の成熟期のアマゴ雄成魚を対象として化学物質の導入時期を検討する必要があることが確認された。
【0031】
また、図4に示したように、産卵期のアマゴ雄成魚において、最後の導入日を基準(0日)とした半数生存日数は約22日であり、最終導入1ヶ月後の生存率は約30%であった。
一般に実験用の小型魚類を対象とした個体浸漬法において、ENUを含む浸漬液に浸漬した後48時間以内に突然死が認められている。しかし、注射法ではこのような突然死がほとんど認められなかった。これは、個体浸漬法より注射法の方が、個体全身への致死的悪影響が低く抑えられるためと考えられた。従って、注射法により、個体浸漬法よりも効率的・安定的に変異導入が可能であることが示唆された。
【0032】
[試験例2]
<導入条件の検討>
注射法において、化学物質の有効な導入量を調べるために検討を行った。
1.検討対象
成熟期(GSI:5前後)のアマゴ雄成魚(体重179−629g)全39尾(いずれも独立行政法人水産総合研究センター養殖研究所)を用いた。化学物質導入前後の飼育環境は実施例1と同様であった。
【0033】
2.導入量の検討
実施例1と同様に調製したENU溶液を、ENUがアマゴ体重に対して70〜100mg/kgとなるように、注射投与によって、成熟期のアマゴ雄成魚の腹腔に導入した。注射投与は週に1回の間隔で、3〜5回行った。その後、実施例1と同様に飼育し、ENU導入による影響を生存率で調べた。生存率は、導入後の生存個体数に対し、導入開始時の生存個体数を100として求めた。
【0034】
3.結果
その結果、図5に示したように、成熟期のアマゴ雄成魚において、最後の導入日を基準(0日)とした半数生存日数は、70mg/kgを5回導入した場合、約12日、70mg/kgを4回導入した場合、約16日であり、70mg/kg又は100mg/kgを3回導入した場合、約22〜24日であった。
この結果より、導入回数と導入後一ヶ月後の生存日数を考慮すると、70〜100mg/kgとなるように、3回〜4回導入を行うことが適当であると考えられた。
【実施例2】
【0035】
<浸漬法による突然変異養殖魚の作出>
1.試料
1)養殖魚
アマゴ雌成魚(野生型)とアマゴ雄成魚(アルビノ)(いずれも独立行政法人水産総合研究センター養殖研究所)を用いた。
飼育環境は約250尾/約190x580cm池(アマゴ雌成魚)、約80尾/約240x985cm池(アマゴ雄成魚)、エサ:日本配合飼料 鱒用8P、給餌:平日毎日1回、水温約16℃であった。
アマゴ雌成魚(野生型)を水産用麻酔剤FA−100(オイゲノール、田辺製薬社製)で、麻酔した後、腹部を指で圧迫して、未受精卵約13000粒を採取した。
また、アマゴ雄成魚(アルビノ)を水産用麻酔剤FA−100(オイゲノール、田辺製薬社製)で、麻酔した後、腹部を指で圧迫して、精子を採取した。
【0036】
2)化学物質の調製
ENU(N3385−1G、lot.058K1196、Sigma社製)1gを、溶解緩衝液(0.01Mリン酸ナトリウムバッファー(pH6.3))80mlに力価0.9として溶解し、約11mg/mlのENU溶液を調製した。
サクラマス用洗卵液1.4Lに、ENUがそれぞれ0.3、0.6、1mMとなるようにENU溶液を添加し、浸漬液とした。
【0037】
2.突然変異養殖魚の作出方法
<作出方法1(非モザイク個体の作出)>
1)未受精卵を浸漬する工程
上記1.で調製した各浸漬液をいれた水槽(11℃)に、4000粒/水槽となるように、ザルに入れた未受精卵を1時間浸漬した。
2)未受精卵を洗浄する工程
浸漬液から取り出した未受精卵をザルに入れたままサクラマス用洗卵液(11℃)に30分間静置して洗浄した。
3)受精卵を得る工程
洗浄後の未受精卵に、上記1.のアマゴ雄成魚(アルビノ)より採取した精子を用い、実施例1と同様の方法によって授精させた。
4)受精卵を発生させる工程
得られた受精卵約4000粒を、ザルに入れた状態で調温水を入れたふ化槽(約11.5℃)に入れ、エアレーションしながら遮光、流水条件下で発生させた。
受精卵はザルに入れた状態でふ化槽に入れ、エアレーションしながら遮光、流水条件下で発生を行った。
【0038】
<作出方法2(モザイク個体の作出)>
浸漬液(ENU:0.3mM)で処理した未受精卵を用い、浸漬後の未受精卵を洗浄する工程を経ないで受精させた受精卵(約1000粒/水槽)を用いた以外は、<作出方法1>と同様に処理し、アマゴの発生を行った。
【0039】
3.結果
その結果、図6に示したように、0.3mM以下のENUを含む浸漬液に1時間浸漬した未受精卵を用いた場合では、孵化時でも対照(ENUを含まない浸漬液)と比べて6割強が生存していた。そして、表2に示したように、<作出方法1>において、ENUを0.3mM含む浸漬液に浸漬した未受精卵を用いて得た受精卵より1405尾のアマゴが孵化し、そのうち2尾がアルビノに変異したアマゴ(非モザイク個体)であることが確認された。
また、ENUを0.6mM又は1mM含む浸漬液に浸漬した未受精卵を用いて得た受精卵より1689尾のアマゴがふ化し、そのうち1尾がアルビノに変異したアマゴ(非モザイク個体)であることが確認された。
さらに、<作出方法2>において、ENUを0.3mM含む浸漬液に浸漬した後、洗浄する工程を経ていない未受精卵を用いて得た受精卵より866尾のアマゴが孵化し、そのうち1尾がアルビノに変異したアマゴ(モザイク個体)であることが確認された。なお、各変異導入率は、アルビノ変異発生数をふ化総数で割ることにより求めた。
それぞれの作出方法によって得られたアルビノに変異したアマゴ(非モザイク個体、モザイク個体)を図7に示した。
【0040】
この結果より、養殖魚の未受精卵を、化学物質を含む浸漬液に浸漬する浸漬法により、突然変異養殖魚が作出できることが確認された。未受精卵を、化学物質を含む浸漬液に浸漬した後、洗浄する工程を経た未受精卵を用いることで非モザイク個体が得られ、洗浄する工程を経ていない未受精卵を用いるとモザイク個体が得られた。従って、本発明の浸漬法により、実験用の小型魚類の突然変異種を得るのと同様に、簡便かつ安全に突然変異養殖魚を得ることが可能となる。
【0041】
【表2】

【0042】
[試験例3]
<浸漬条件の検討>
浸漬法において、特に有用な浸漬対象を調べるために、アマゴ受精卵、アマゴ未受精卵、アマゴ精子を用いて検討を行った。
1.検討対象
1)アマゴ受精卵
アマゴ雌成魚(アルビノ)とアマゴ雄成魚(野生型)(いずれも独立行政法人水産総合研究センター養殖研究所)を用いた。
飼育環境は約70尾/約190x580cm池(アマゴ雌成魚)、約90尾/約190x580cm池(アマゴ雄成魚)、エサ:日本配合飼料 鱒用8P、給餌:平日毎日1回、水温約16℃であった。
アマゴ雌成魚(アルビノ)を水産用麻酔剤FA−100(オイゲノール、田辺製薬社製)で、麻酔した後、腹部を指で圧迫して、未受精卵約8500粒を採取した。また、アマゴ雄成魚(野生型)を水産用麻酔剤FA−100(オイゲノール、田辺製薬社製)で、麻酔した後、腹部を指で圧迫して精子を採取した。これらを用い、実施例1と同様に乾導法によって授精させ、受精卵を得た。
【0043】
2)アマゴ未受精卵
アマゴ雌成魚(野生型)より、上記1)と同様の方法によって採取した未受精卵約13000粒を用いた。発生においてはアマゴ雄成魚(アルビノ)より、上記1)と同様の方法によって採取した精子を用いた。
アマゴ雌成魚(野生型)、アマゴ雄成魚(アルビノ)はいずれも独立行政法人水産総合研究センター養殖研究所由来のものであり、飼育環境は上記1)と同様であった。
3)アマゴ精子
アマゴ雄成魚(野生型)より、上記1)と同様の方法によって採取した精子を用いた。発生においては、アマゴ雌成魚(アルビノ)から、上記1)と同様の方法によって採取した未受精卵約5000粒を用いた。
アマゴ雌成魚(野生型)、アマゴ雄成魚(アルビノ)はいずれも独立行政法人水産総合研究センター養殖研究所由来のものであり、飼育環境は上記1)と同様であった。
【0044】
2.化学物質の調製
実施例2と同様に調整したENU溶液を用い、ENUがそれぞれ0、0.3、1、3mMとなるようにサクラマス用洗卵液1.4Lに添加し、浸漬液とした。
【0045】
3.浸漬条件の検討
上記1.で調製した検討対象をそれぞれザルに入れ、上記2.の各浸漬液をいれた水槽(11℃)(受精卵:700粒個/水槽、未受精卵:1000粒個/水槽、精子:1ml/チューブ)で1時間、9時間又は24時間浸漬した。その後、各検討対象が入ったザルに洗卵液をかけ流して洗浄を行い、受精卵はそのまま、浸漬後の未受精卵又は精子については精子又は未受精卵と受精した後、実施例2と同様に発生させ、試験例1と同様の方法により生存個体数の変化を調べた。
【0046】
4.結果
結果を図8(受精卵)、図9(未受精卵)及び図10(精子)に示した。
その結果、浸漬液のENU濃度にもよるが、生存個体数は浸漬した受精卵を用いて孵化させた場合が最も少なく、次いで浸漬した未受精卵を用いた場合、浸漬した精子を用いて孵化させた場合の順番であった。
孵化に伴う生存個体数の減少(即ち、死亡数の増加)は、ENUを含む浸漬液に浸漬したことによる変異導入の増加によるものと予測されたことから、このうち受精卵については、ENUを含む浸漬液に浸漬したことにより、父母由来のゲノムの両方に変異が入り、発生できず死滅する個体数が多くなったものと考えられた。従ってこの結果より、変異導入されながら、生存個体数も維持している未受精卵又は精子を浸漬法による突然変異養殖魚の作出に用いることが好ましいことが確認された。
【0047】
さらに、未受精卵の浸漬条件を検討した結果、図11に示したように、24時間以上浸漬した未受精卵を用いた場合には、器官形成期から孵化期にかけて死滅してしまい、卵質が低下することが確認された(図11C)。また、3mMのENUを含む浸漬液に1時間浸漬した未受精卵(図11A)を用いた場合でも、卵質の低下が激しかった。一方、1mM以下のENUを含む浸漬液に1時間浸漬した未受精卵を用いた場合では、孵化時でも対照(ENUを含まない浸漬液)と比べて6割強が生存していた(図11A)。
また、0.3mMのENUを含む浸漬液(図11B)に9時間浸漬した未受精卵を用いた場合でも、孵化時でも対照(ENUを含まない浸漬液)と比べて5割強が生存していたことから、突然変異養殖魚の作出において、浸漬法により未受精卵を浸漬する場合には、1mM以下のENUを含む浸漬液に9時間以下の短い時間浸漬する浸漬条件が好ましいことが示された。
【産業上の利用可能性】
【0048】
本発明により、養殖魚において、突然変異養殖魚を恒常的に作出することが可能となった。本発明の作出方法によって得られる突然変異養殖魚のゲノム及び精子をライブラリー化することにより、養殖魚においてもTILLING法による有用な突然変異養殖魚の作出が可能となる。また、作出した突然変異魚集団自体は、直接選抜(選抜育種)の母集団としても使用が可能である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
化学物質を導入することにより作出される突然変異養殖魚。
【請求項2】
化学物質の導入が注射法又は浸漬法によるものである、請求項1に記載の突然変異養殖魚。
【請求項3】
化学物質がアルキル化剤又はアジ化ナトリウムである、請求項1又は2に記載の突然変異養殖魚。
【請求項4】
アルキル化剤がN−ethyl−N−nitrosoureaである、請求項3に記載の突然変異養殖魚。
【請求項5】
魚類がアマゴ、フグ、ヒラメ・カレイ類、タイ、スズキ、タラ、コイ、ナマズ、サケマス類、ブリ類、ハタ類、ウナギ、ティラピア又はキンギョのいずれかである、請求項1〜4のいずれかに記載の突然変異養殖魚。
【請求項6】
注射法又は浸漬法により化学物質を導入することによる、請求項1〜5のいずれかに記載の突然変異養殖魚の作出方法。
【請求項7】
次の1)〜3)の工程を含む請求項6に記載の突然変異養殖魚の作出方法。
1)成熟期の雄の養殖魚に化学物質を導入する工程
2)上記1)の雄の養殖魚より得た精子を用いて受精卵を得る工程
3)上記2)の受精卵を発生させる工程
【請求項8】
化学物質を注射投与により導入する請求項7に記載の作出方法。
【請求項9】
化学物質を70〜100mg/kg/回、週1回の間隔で合計3〜4回注射投与により導入する請求項8に記載の作出方法。
【請求項10】
次の1)〜3)の工程を含む、請求項6に記載の突然変異養殖魚の作出方法。
1)化学物質を含む浸漬液に未受精卵を浸漬する工程
2)上記1)の未受精卵を用いて受精卵を得る工程
3)上記2)の受精卵を発生させる工程
【請求項11】
未受精卵を浸漬した後、洗浄し、受精卵を得る工程を行う請求項10に記載の作出方法。
【請求項12】
化学物質を1mM以下含む浸漬液に未受精卵を浸漬する請求項10又は11に記載の作出方法。
【請求項13】
浸漬時間が9時間以下である請求項10〜12のいずれかに記載の作出方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【公開番号】特開2011−223884(P2011−223884A)
【公開日】平成23年11月10日(2011.11.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2010−93900(P2010−93900)
【出願日】平成22年4月15日(2010.4.15)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 水産育種 第39巻1号(平成21年10月20日 水産育種研究会発行)
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成20年度、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構、「「イノベーション創出基礎的研究推進事業」<技術シーズ開発型>、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願」
【出願人】(501168814)独立行政法人水産総合研究センター (103)