説明

線虫を利用したリチウム様活性をもつ化学物質のスクリーニング方法

【課題】被検体となる化学物質がリチウムと同様の生理活性をもつことを検定する方法を提供すること。
【解決手段】線虫の野生株とリチウム耐性変異株のリチウムに対する性質の差異を応用し、化学物質がリチウムと同様の生理活性を持つかどうかを判定する。すなわち任意の化学物質の存在下において、線虫の野生株が増殖不能であり、かつリチウム耐性変異株は増殖可能である場合には、その化学物質はリチウム様の活性を持つ可能性があると判定される。一方、両者が増殖不能になる場合にはリチウムとは異なる作用をもつものと推測される。この原理を任意の化学物質に適用しリチウムと同様の生理活性をもつかを検定する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
生体に対するリチウム様の生理活性を示す物質のスクリーニングに関する。
【背景技術】
【0002】
躁うつ病あるいは双極性障害は、躁状態とうつ状態を繰り返す精神疾患である。発症率はうつ病より低いが、珍しい疾患ではなく、また若年で発症する例が多い。一旦回復しても、再発することが多く、生涯にわたる薬物投与による予防が必要とされている。躁うつ病の発症メカニズムは明らかでなく、その治療は炭酸リチウム、カルバマゼピン、バルプロ酸などの気分安定薬と呼ばれる一群の薬剤を用いた薬物療法を中心に行われている。これらの気分安定薬の中でリチウムは最も歴史が長く、その有効性について最も科学的検証がなされているが、その作用機構は明らかではない。また、リチウムは全般的には副作用の少ない薬物であるが、治療域と中毒域が近い為に血中濃度の定期的測定が必要であるほか、催奇形性があることから妊婦への投与は禁忌であり、心臓病や腎臓病をわずらう患者への投与には注意を要するとされている。一方、カルバマゼピンやバルプロ酸は元々てんかんの治療薬として用いられていたものであり、躁うつ病の治療を目的に開発されたものではなかった。従って、リチウムと同様の生理活性をもつ薬物を効率よくスクリーニングできればより副作用の少ない躁うつ病の治療薬開発につながる可能性があるが、
そのような薬物を簡便に、かつ系統的にスクリーニングする方法はなかった。
【0003】
特許文献1には、線虫を用いた毒性試験方法が開示されている。この方法では、鉛、水銀などの重金属や一部の生理活性物質の毒性物質に対して活性化される熱ショック・プロモーターを用いることで毒性を検査する方法である。しかし、線虫を用いて具体的な疾患に対する有効成分の候補物質をスクリーニングする方法は示されていない。
【特許文献1】特開平8−116991号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
リチウム様活性をもつ薬物をほ乳類などの高等動物を用いて探索するには、薬物効果を見るためのスクリーニング系が大規模になり、多くの時間を要し煩雑である上、経済的にも多額の費用を要する。そこで、リチウム様活性をもつ薬物を安価・簡便にスクリーニングできる方法の開発が望まれる。線虫特にセノラブディティス・エレガンス(Caenorhabditis elegans)は体長約1mmの自活性土壌線虫の一種で、雌雄同体が自家受精で増殖する。世代交代に要する時間は20℃で約3日と他の動物に比べ早く、雌雄同体1個体から約300の子孫が生まれるので短期間に多数の個体を得ることができる。培養は寒天培地で大腸菌を餌に行なうので極めて簡単かつ低コストであり、線虫の体構造や動きの観察も容易にできる。線虫は動物であることから、ある程度の類縁性をもってヒトなど高等動物への薬物効果を推定することが可能である。また、薬物に対する感受性変異が比較的容易に得られることや遺伝子解析が容易かつ詳細に行えることなどから、薬物作用機構を理解するための優れたモデル実験動物になると考えられている。発明者らの観察によって、線虫はリチウム存在下で培養すると胚発生が完全に阻害され、その結果、増殖が停止することが分かった。その作用の分子メカニズムの詳細は明らかではないが、このリチウムが示す発生阻害作用を指標として、簡便で安価かつ短時間で実施可能な、リチウム様の生理活性をもつ薬物のスクリーニング方法を提供する。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本願発明は、リチウム耐性変異株と野生株を、被検試料を含有する培地中で培養し、それぞれの線虫に対する作用の差異を観察することによって、前記被検試料のリチウム様生理活性の有無を判定することを特徴とする化学物質のスクリーニング方法である。
【発明の効果】
【0006】
本発明によれば、野生株とリチウム耐性変異株に化学物質を作用させ、両者の反応性の差異を見ることで、従来より短時間で、熟練さや特別な観察眼を必要とせず比較的容易に、かつ信頼性高くリチウム様の生理作用をもつ化学物質のスクリーニングが可能になる。リチウムは躁うつ病の有効な治療薬として用いられているが、その作用機構は明らかではない。また、副作用も見られることから、リチウムと同様の生理作用をもつ他の化学物質の探索が期待される。本発明はこの問題に応えるものであり、リチウム様の生理作用をもつ化学物質を簡便かつ経済的にスクリーニングし、評価するのに有用である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0007】
本願発明は、線虫を利用したリチウム様の生理活性をもつ化学物質のスクリーニング方法であって、線虫の野生株およびリチウム耐性変異株に対する被検試料の作用を確定させる工程を有し、
前記工程において、前記被検物質を前記野生株と前記リチウム耐性変異株に、それぞれ作用させることを特徴とするリチウム様の生理活性をもつ化学物質のスクリーニング方法である。リチウム様の生理活性をもつ化学物質としては、好ましくは、ヒトの躁うつあるいは双極性障害におけるリチウムの生理活性と同様の生理活性を有する化学物質である。また、リチウム様の生理活性をもつ可能性のある候補物質をスクリーニングすることもできる。
【0008】
上記被検試料の作用を確定する工程は、被検試料の作用を線虫の野生株とリチウム耐性変異株、それぞれにおいて評価し、結果の差異を見ることによって、リチウム様生理活性の存在または非存在を確定することが好ましい。そして、リチウム様生理活性の存在または非存在の確定は、例えば、被検試料の作用を線虫の野生株およびリチウム耐性変異株の増殖の有無を見ることによって行うことができる。
【0009】
また、本願のスクリーニング方法に用いる線虫として、セノラブディティス・エレガンス(Caenorhabditis elegans)を好適に用いることができる。
【0010】
リチウム耐性変異株は、線虫のゲノムがコードする遺伝子の塩基配列に突然変異を与えることにより、該遺伝子がコードするタンパク質のアミノ酸配列を改変することにより得ることができる。具体的に線虫のリチウム耐性株の取得方法は例えば、次のように行うことができる。
【0011】
20mMのLiClを含む寒天培地上において線虫野生株のL4期幼虫を培養すると、成虫にまで成長し産卵するが、それらの卵は正常に発生せず、結果としてすべて死滅する。LiCl存在下において胚は細胞分裂を続けるが、分裂に要する時間が長くなり、形態形成がほとんど見られないという特徴を示した。本発明では線虫野生株を50mMのエチルメタンスルホン酸を用いて突然変異誘発した後、変異誘発した線虫を20mMのLiClを含む寒天培地上で培養し、そこで増殖することが可能な線虫を選抜し、リチウム耐性変異株を得た。リチウム耐性変異株は20mMのLiCl存在下でも、ほぼ正常に発生が進行し増殖した。この変異株の遺伝子解析から、突然変異はBestrophinファミリーに属するタンパク質をコードする遺伝子F32G8.4に存在することが明らかになった。本発明ではリチウムに対する野生株と耐性変異株の反応性の差異を利用して、被検物質がリチウム様の生理作用をもつことを検定する。被検物質を適当な濃度で含む寒天培地上で野生株と耐性変異株それぞれを培養し、野生株が増殖不能になり、一方、耐性変異株が増殖可能であった場合、被検物質はリチウム様生理活性をもつ可能性があると判定できる。また、両線虫株ともに増殖不能であった場合には、リチウム様生理活性以外の作用による影響と判定される。
【0012】
本願方法によりスクリーニングされ得る化学物質は、スクリーニングに用いる個別のリチウム耐性株におけるリチウム耐性の作用機構において有効である化学物質が含まれる。よって、リチウム様生理活性物質には、躁うつあるいは双極性障害におけるリチウムの生理活性と同様の生理活性を有する化学物質の候補となるものを含み得る。
【実施例】
【0013】
本発明の一実施例について図面を参照して説明する。
【0014】
(実施例1.リチウム耐性変異株の作製)
線虫の野性株の胚発生は20mMのLiClで完全に阻害され、受精卵は全く孵化せず、増殖は停止する(図1A)。この性質を指標として、耐性変異の分離を行った。線虫(セノラブディティス・エレガンス)のL3〜L4幼虫期の野生株を50mMのエチルメタンスルホン酸(EMS)を含むM9緩衝液(Na2HPO4 6g/L、KH2PO4 3g/L、NaCl 5g/L、 1mM MgSO4)中で4時間培養し、変異を誘発した。処理した線虫から産まれた子供の世代(F1世代)を1,000個体ずつ、50枚のNG寒天培地を入れた9cmプレートで培養を継続した。処理した線虫の孫世代(F2世代)を各シャーレから約3,000個体ずつ、20mMのLiClを含むNG寒天培地(NaCl 3g、ペプトン 10gL、寒天 17gを975mlの純水に添加し、オートクレーブ滅菌後、 コレステロール 5mg/L、1mM MgSO4、 0.5mM CaCl2 および 1M リン酸カリウム緩衝液(pH6.0)を25ml添加して調製)に移し、さらに培養を行った。リチウムを含む培地上で成長・増殖できた個体を耐性変異株として分離した。以上の培養は全て20℃で行った。今回、EMSで変異誘発後、約150,000のF2個体をスクリーニングし、耐性変異体を分離した。耐性変異株をL4幼虫期から20mM LiCl存在下で培養すると成虫になり、産卵した。胚発生は正常に進行し、孵化幼虫が認められ、リチウム存在下でも増殖が確認された(図1B)。
【0015】
(実施例2.リチウム耐性変異株の変異部位の決定)
実施例1で得られたリチウム耐性変異株において変異した遺伝子および変異部位を以下のように決定した。この変異が生じた遺伝子の染色体上での位置を知るために2点および3点交配実験を行った。交配実験の方法はジェネティックス(Genetics、77、71、1974)に記載されている。2点交配の結果、この遺伝子は第V染色体上に位置することが明らかになった。さらに、第V染色体上のマーカー遺伝子unc−42、sma−1およびdaf−11を組み合わせて3点交配を行った結果、変異はunc−42とdaf−11のほぼ中央付近に位置することが推測された。
【0016】
リチウム耐性に関わる遺伝子をクローニングするために、この染色体領域を断片化しクローニングしたコスミド・クローンを変異株にマイクロインジェクションし、リチウムに対する耐性をレスキューし、感受性に戻すことができるクローンを探索した。その結果、隣接するコスミド・クローンF32G8とF25D1がリチウム耐性変異をレスキューすることを見いだした。両クローンが重なり合う染色体領域には5個のオープン・リーディング・フレームが予測されるが、これらのうちF32G8.4のコード領域にのみレスキュー活性が存在していた。
【0017】
また、リチウム耐性変異株と野生株のF32G8.4領域を塩基配列決定し比較したところ、タンパク質をコードするエクソンに1塩基の置換を見いだした。これらの結果から、F32G8.4の変異が線虫にリチウム耐性の表現型を与えていると結論した。F32G8.4によってコードされるタンパク質(図2)はヒトの遺伝性黄斑変性症の原因遺伝子とされるBestrophinと類似している。Bestrophinは最近になり塩素イオン・チャネルであることが報告されているが、このことと線虫のリチウム感受性との関連性は不明である。具体的には、本発明のリチウム耐性変異株は、図2における野生株のF32G8.4の塩基配列の215番目のT(チミン)が、C(シトシン)に変換されている。その結果、本発明のリチウム耐性変異株のF32G8.4のアミノ酸配列は、図2における野生株の72番目のF(フェニルアラニン)が、S(セリン)に変換されている。なお、F32G8.4の変異した塩基およびアミノ酸の配列は、図4、及び配列表(塩基およびアミノ酸それぞれ配列番号3および4)に記載している。
【0018】
(実施例3.様々な陽イオンの線虫に対する作用)
線虫の野生株あるいは実施例1で得られたリチウム耐性変異株をL4幼虫からリチウムを含むカリウム、セシウム、アンモニウムイオン等の各陽イオンのクロライド塩を含む寒天培地上で培養した。いずれの塩も濃度は20mMとし、培養は20℃で行った。
【0019】
リチウム以外の陽イオンの塩を含む培地では野生株とリチウム耐性変異株ともに成虫になり次世代の子孫が孵化してくる。一方、LiCl存在下において野性株から培地上に産み出された胚は発生を完全にブロックされ、全く孵化しない。1匹の親個体から孵化してくる子孫の個体数を計数した結果を図3に示す。KCL、NH4ClあるいはCsClは野生株とリチウム耐性変異株のいずれの産子数や孵化率に影響を与えない。しかし、20mMのLiClの存在下では野生株においては全ての卵が異常になり、孵化幼虫は全く見られない。一方、耐性変異株はリチウムの影響は皆無ではないが、孵化幼虫が認められ、増殖が確認された。乳酸リチウムを用いても、同じ結果が見られた。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【図1】野生株とリチウム耐性変異株に対するLiCl(20mM)の作用を観察した顕微鏡写真である。(A)野性株。(B)リチウム耐性変異株。矢印:親個体。矢じり:孵化幼虫。(A)では、胚発生は完全に停止し培地上には米粒状の多くの異常卵が見られる。一方、(B)では多数認められる孵化幼虫が(A)では全く見られない。
【図2】リチウム感受性に関与する遺伝子F32G8.4の野生株の塩基配列とコードするタンパク質のアミノ酸配列。
【図3】様々な陽イオンの線虫に対する影響を示すグラフである。
【図4】リチウム感受性に関与する遺伝子F32G8.4の本発明の変異株の塩基配列とコードするタンパク質のアミノ酸配列。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
線虫を利用したリチウム様の生理活性をもつ化学物質のスクリーニング方法であって、
線虫の野生株およびリチウム耐性変異株に対する被検試料の作用を確定させる工程を有し、
前記工程において、前記被検物質を前記野生株と前記リチウム耐性変異株に、それぞれ作用させることを特徴とするリチウム様の生理活性をもつ化学物質のスクリーニング方法。
【請求項2】
前記被検試料の作用を確定する工程において、
前記被検試料の作用を前記野生株と前記リチウム耐性変異株、それぞれにおいて評価し、結果の差異を見ることによって、リチウム様生理活性の存在または非存在を確定することを特徴とする請求項1に記載のリチウム様の生理活性をもつ化学物質のスクリーニング方法。
【請求項3】
前記リチウム様生理活性の存在または非存在の確定を、前記被検試料の作用を前記野生株およびリチウム耐性変異株の増殖の有無を見ることによって行うことを特徴とする請求項2に記載のリチウム様の生理活性をもつ化学物質のスクリーニング方法。
【請求項4】
前記線虫が、セノラブディティス・エレガンス(Caenorhabditis elegans)である請求項1から3のいずれかに記載のリチウム様の生理活性をもつ化学物質のスクリーニング方法。
【請求項5】
前記リチウム耐性変異株が、遺伝子F32G8.4に突然変異を生じさせることにより、該遺伝子がコードするタンパク質のアミノ酸配列を改変した、セノラブディティス・エレガンス(Caenorhabditis elegans)であることを特徴とする請求項4に記載のリチウム様の生理活性をもつ化学物質のスクリーニング方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2009−121834(P2009−121834A)
【公開日】平成21年6月4日(2009.6.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−293088(P2007−293088)
【出願日】平成19年11月12日(2007.11.12)
【出願人】(000004237)日本電気株式会社 (19,353)
【Fターム(参考)】