説明

脳活動測定のための麻酔法

【課題】実験動物を不動化しつつ、脳の活動を抑制しない状態を維持すること。
【解決手段】ラットの浅麻酔状態を維持する方法であって、ここで、「浅麻酔状態」とは、前記ラットの運動は抑制されているが、神経活動は抑制されていない状態と定義され、前記方法は、以下の工程Aおよび工程Bを有し、前記ラットの呼吸数を測定する工程A、および前記測定された呼吸数が概ね2Hz未満で、かつ、前回麻酔投与より30分以上経過していれば、前記ラットに麻酔薬を投与する工程B、ここで、前記工程Aおよび前記工程Bは繰り返される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、脳活動測定のために、呼吸の周期から、麻酔状態を最適に保つ方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、脳活動(例えば、スパイク、局所集合電位、脳波)を計測するための実験動物への麻酔法としては、吸入麻酔物質を用いる方法、麻酔注射液を腹腔内注射あるいは筋肉注射あるいは皮下注射する方法があり、それらのいずれかを単独あるいは組み合わせて用いることで全身麻酔を行っていた。
【0003】
その動物の状態は、麻酔の深さによって、深麻酔(例えば非特許文献1の図1のステージIII-4、ステージIV)、浅麻酔(例えば非特許文献1の図1のステージIII-3)、極浅麻酔(例えば非特許文献1の図1のステージIII-1、ステージIII-2)の3つに分けられる。脳活動計測中は、痛みや不快感などを極力軽減させることが望ましいが、深い麻酔を施すと脳活動そのものが低下し、必要とされる脳活動が計測できないことがあるので、一般に浅麻酔の状態で計測が行われる。その浅麻酔の制御は、熟練観測者の経験則に頼り、一定の状態を維持していた(例えば、特許文献1の段落番号0015参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【特許文献1】特許第4076667号公報
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】Friedberg MH et al., Modulation of Receptive Field Properties of Thalamic Somatosensory Neurons by the Depth of Anesthesia, J Neurophysiol 81: 2243-52, 1999
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
理想的な麻酔状態とは、低濃度の吸入麻酔剤による無痛・筋弛緩・軽い睡眠状態をいう。
【0007】
実際には、用いる実験動物の種類、系統、性別、週齢、体格、健康状態などに依存した個体差があり、麻酔のかかりにくい動物では、高濃度の吸入麻酔剤の使用、あるいは麻酔注射液の追加投与により死にいたる場合があった。また、深麻酔では、動物の運動が抑制されているが、脳活動までもが抑制されて、本来の目的である脳活動を記録することができない。一方、極浅麻酔では脳活動は記録できるが、動物の運動を抑制することができず、その結果測定電極の位置が移動してしまい効率よく計測することができない。従来の麻酔法では、脳の背側部からのアプローチで嗅皮質など脳の深い部分から脳活動を記録するのに必須である安定した麻酔状態(=浅麻酔)を維持することは、長い経験を要し、容易に脳活動を記録し続けることは難しかったので、麻酔の状態を適切に制御することという課題を有していた。本発明は、前記従来の課題を解決するもので、簡便に浅麻酔を実現し、安定して十分な時間、嗅皮質など脳の深い部分から脳活動を記録することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
前記従来の課題を解決するために、本発明の脳活動測定のための麻酔法は、ラットの浅麻酔状態を維持する方法であって、ここで、「浅麻酔状態」とは、前記ラットの運動は抑制されているが、神経活動は抑制されていない状態と定義され、前記方法は図1に示すように、以下の工程Aおよび工程Bを有し、前記ラットの呼吸数を測定する工程A、および前記測定された呼吸数が2Hz以上で、かつ、前回麻酔投与から30分以上経過していれば、前記ラットに麻酔薬を投与する工程B、ここで、前記工程Aおよび前記工程Bは繰り返されるということにより、浅麻酔状態のラットの脳活動を測定する方法である。
【発明の効果】
【0009】
本発明の脳活動測定のための麻酔法によれば、追加の麻酔を投与するタイミングを簡単に知ることによって、誰でもが簡便に、必要十分な時間、安定して浅麻酔状態を維持し、嗅皮質など脳の深い部分から脳活動を計測することができる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【図1】本発明の実施の形態における脳活動測定のための麻酔法のフローチャート
【図2】本発明の実施の形態における被検動物に呼吸モニター、麻酔追加投与用チューブ、脳活動記録システムを装着した図
【図3】本発明の実施例において記録された脳活動(スパイク)の結果を示したグラフ
【図4】本発明の実施例において記録された呼吸を、上向きが呼気、下向きが吸気になるように示した図
【図5】本発明の実施例において記録された呼吸を、呼吸周期にして示した図
【図6】本発明の実施例において麻酔の状態がよく、呼吸の周期がほぼ2Hzのときに、時刻0から2秒でメリッサを嗅がせたときに測定されたスパイクを、上段はラスタープロット、下段はPost−Stimulus Time Histogram(PSTH、ビン幅0.5秒)にした図
【発明を実施するための形態】
【0011】
以下本発明の実施の形態について、図面を参照しながら説明する。
【0012】
(実施の形態)
図1は、本発明の実施の形態における脳活動測定のための麻酔法である。これは、注射麻酔薬を使用する場合である。
まず、被検動物の体重を量り、その値を基に投与する薬剤の量を決定する。そして、麻酔薬を腹腔内投与する。麻酔を投与した直後に、動物の胸部から腹部にかけての適当な位置に呼吸モニターのセンサーを装着する(図2の符号12)。麻酔中は図1に示すように、この呼吸センサーからの出力を監視し、直前に麻酔薬を投与してから30分以上経過した段階でその呼吸数が概ね2Hzを外れる、すなわち極浅麻酔の状態となった場合、麻酔をあらかじめ腹腔内に留置しておいたチューブ(図2の符号13)を介して追加投与する。上記時間以内で2Hzを下回る場合は深麻酔状態であるので、麻酔薬の追加をしない。2Hzである理由は、後述する実施例から理解される。頭部に装着された記録電極によって脳活動を計測中も、同様に麻酔状態を監視し、浅麻酔を維持するように、必要に応じて麻酔を追加投与する。
【0013】
本発明の実験動物の麻酔方法よれば、呼吸モニターを監視することで追加麻酔の投与のタイミングを知ることができ、麻酔薬を追加投与することにより安定した麻酔状態が維持できることとなり、脳活動を記録する必要十分な時間を確保することができる。
【0014】
なお、本実施の形態において、呼吸の周期を知る方法として呼吸センサーを動物の胸部から腹部にかけての位置に装着するとしたが、鼻腔内にセンサーを設置しても良い。
【0015】
なお、本実施の形態において、注射麻酔薬を使用するとしたが、ガス麻酔薬を使用しても良い。その場合の麻酔の導入は、高濃度の麻酔ガスを充満させた麻酔箱の中に、被検動物を静置した後、2-3分後に尾をつねり、もし、反応があれば、麻酔箱にさらに2-3分ほど静置した後、尾をつねり、反応を見ることを繰り返す。それに対して反応がなければ、動物を脳定位固定装置に装着し、麻酔ガスを吸引できるマスクを装着し、麻酔ガスの濃度を標準的な濃度に調節する。そして、極浅麻酔の状態となった場合、麻酔ガスの濃度を標準的な濃度から高濃度に変化させて対応する。
【実施例】
【0016】
以下、実施例を示してこの発明をさらに詳細に説明するが、この発明は以下の例に限定されない。
【0017】
注射麻酔薬ケタミン・キシラジン混合投与 (K-X)の場合での嗅覚神経活動の測定
<実験の概要>
K-X麻酔下で、ラット脳(前嗅核)からにおい刺激に対する応答を記録し、そのデータを解析した。
【0018】
<麻酔>
まず、ラットの体重を測定し、そこから以下に示すようにK-Xの初期投与の量を算出した。K-X混合液(ケタミン 14.3 mg/mL, キシラジン 2.86 mg/mL生理食塩水で調整)を使用直前に準備し、体重200gあたり1.4 mLを腹腔内投与(ケタミン100 mg/kg体重とキシラジン20 mg/kg体重に相当)した。追加麻酔用に、腹腔内に留置針を固定しチューブでシリンジと接続し、必要時にK-X混合液をすばやく投与(0.2mL/1回)できるように準備しておいた。
【0019】
<手術とバイタルサイン測定>
麻酔導入後、脳定位固定装置にラットを固定した。頭部を剃毛した後、頭皮を切開し、測定電極を脳に刺入するため、歯科用ドリルを用いてbregmaより吻側に2.0 - 6.0 mm、正中線より外側に1.0 - 4.0 mmの範囲で片方の半球の頭蓋骨に穴を開けた。また、同時に脳波をモニターするために、bregmaより3.0 mm吻側、正中線から外側に3.0 mmの位置にビス電極を装着した。さらに、直腸温をモニターし、ヒーティングパッド (FHC, USA) により体温を37℃に維持した。また、ラットの腹部に呼吸ピックアップ (SR-601S, 日本光電) を巻きつけ、呼吸によりピックアップにかかる張力の変化から呼吸をモニターした。両前肢からは電解研磨注射針を電極として電位を計測することにより、心拍をモニターした。
【0020】
<脳活動記録部位と測定システム>
前嗅核の活動は、AP: +4.2, +4.0, +4.7, 0.14、ML: 2.5, 2.0, 3.0, 0.29、D: 4.93, 4.00, 5.70, 0.44 (最頻値, 最小値, 最大値, 標準偏差、 n = 50、単位はmm) の範囲から記録した。脳活動の電気シグナルは、記録電極から自作プレアンプを経由して2つに分岐し、一方はスパイク信号のために1000倍(バンドパス:100-10000 Hz)に、他方は局所電場電位 (Local Field Potential: LFP)のために1000倍(バンドパス:0.1-1000 Hz)に増幅後、アナログ/デジタル変換ボードに入力され、20 kHzのサンプリングレートでコンピュータに取り込まれた。呼吸ピックアップと心拍のシグナルは、どちらもヘッドアンプを介した後、フィルターにより20 Hz以上のシグナルを除去後、1000倍(バンドパス:0.1-1000 Hz)に増幅し、アナログ/デジタル変換ボードを経てコンピュータに取り込まれた。脳活動の記録、および呼吸や心拍のモニタリングはすべて自作のプログラムを用いて処理した。
【0021】
<におい刺激>
におい物質をミネラルオイルに希釈して、密閉した15mL遠心管に入れて、常圧常温で揮発する気体を、常に活性炭とシリカゲルを通した流量50 cc/minのエアーに混ぜてラットの鼻近傍に提示した。におい刺激提示以外のときは、ミネラルオイルだけの遠心管を介してエアーを流し続けた。におい刺激は、自作の測定プログラムで制御し、におい刺激装置の電磁バルブを切り替え自動的に与えた。用いたにおいは、5μLのメリッサをミネラルオイル 500μLで希釈したものを使用した。刺激の方法は、50 cc/minのエアーを通し、揮発している気体をラットの鼻近傍に、30秒ごとに2秒間、最大30回繰り返し提示した。
【0022】
<データ解析>
細胞外記録で得られたデータは、k-means法によるクラスタ分析でマルチユニットのソーティングを行い、シングルユニットへと分離した。におい提示後の平均発火率が、におい提示前の平均発火率の平均値 ± 3 SDから外れるユニットの応答を、におい提示に対して応答したものとして定義した。また、自作プログラムでPSTHの作成や、その後の統計処理を行った。
【0023】
<結果>
記録電極を脳実質に鉛直方向に刺入して、目的の部位である嗅皮質の直上まで進めた後、比較的ゆっくりした速度で電極を刺入していき、ユニットの自発発火を目印に記録部位を定め、前記刺激の方法を行った。
【0024】
図3〜5に、呼吸の周期が変わると脳活動が変化したユニットのスパイクと呼吸の一例を示す。いずれも、横軸は時間を示しており、このユニットの1トライアル分(12秒間)の記録を示したものである。時間5秒を過ぎたあたりで呼吸が浅く速くなったころ(図4、5)から、神経活動の応答が認められた(図3)。すなわち、呼吸の周期が2 Hz程度を境に、1.7 Hz程度から2 Hzを超える値に変化した際に、自発的な発火が認められるようになった。
【0025】
図6に、本発明の方法を用いて麻酔状態をコントロールした場合の、呼吸の周期が2 Hz程度のときに計測されたデータを示す。刺激前5秒-刺激2秒-刺激後5秒-トライアル間20秒のプロトコールをトライアル数23回分記録したものである。このユニットは、メリッサを嗅がせたときに非常に大きな反応が出た(図6、時間0〜0.5秒)。この反応は、刺激前(図6、時間-4〜0秒)やミネラルオイルを嗅がせたときには認められないことから、呼吸に付随する神経活動ではなかった。呼吸の周期がこの値から外れると、におい刺激に対して無反応な自発発火や、自発発火すら検出できない状態になった。
【産業上の利用可能性】
【0026】
本発明の脳活動測定のための麻酔法によれば、追加の麻酔を投与するタイミングを簡単に知ることによって、誰でもが簡便に、必要十分な時間、安定して浅麻酔状態を維持できるので、in vivo脳活動の測定法として有用である。また嗅皮質だけでなく、大脳基底核など脳の深い部分から脳活動を計測する用途にも応用できる。
【符号の説明】
【0027】
10 脳活動測定装置
11 記録電極
12 呼吸モニター
13 麻酔追加投与用チューブ

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ラットの浅麻酔状態を維持する方法であって、
ここで、「浅麻酔状態」とは、前記ラットの運動は抑制されているが、神経活動は抑制されていない状態と定義され、
前記方法は、以下の工程Aおよび工程Bを有し、
前記ラットの呼吸数を測定する工程A、および
前記測定された呼吸数が概ね2Hz未満で、かつ、前回麻酔投与より30分以上経過していれば、前記ラットに麻酔薬を投与する工程B
ここで、前記工程Aおよび前記工程Bは繰り返される、
ことを特徴とする浅麻酔状態を維持する方法。
【請求項2】
浅麻酔状態のラットの脳活動を測定する方法であって、
ここで、「浅麻酔状態」とは、前記ラットの運動は抑制されているが、神経活動は抑制されていない状態と定義され、
前記方法は、以下の工程A〜工程Dを有し、
前記ラットの脳に電極を取り付ける工程A、
前記電極から前記ラットの脳活動を測定する工程B、
前記ラットの呼吸数を測定する工程C、および
前記測定された呼吸数が概ね2Hz未満で、かつ、前回麻酔投与より30分以上経過していれば、前記ラットに麻酔薬を投与する工程D
ここで、前記工程Bから工程Dは繰り返される
ことを特徴とする浅麻酔状態のラットの脳活動を測定する方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2011−41666(P2011−41666A)
【公開日】平成23年3月3日(2011.3.3)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−191551(P2009−191551)
【出願日】平成21年8月21日(2009.8.21)
【出願人】(000005821)パナソニック株式会社 (73,050)