説明

イオンビーム照射を用いた糸状菌の変異株作出方法

【課題】糸状菌の変異株を作出する新たな方法を提供する。
【解決手段】糸状菌ゲノム中の機能を破壊しようとする目的遺伝子内にマーカー遺伝子を挿入させ、マーカー遺伝子を挿入した当該糸状菌にイオンビームを照射し、イオンビーム照射によって、マーカー遺伝子を含む外来遺伝子全体が欠損し、かつ目的遺伝子の機能が破壊されている変異株を作出することにより、食品産業などに有用な変異株を得ることができる。
【効果】糸状菌ゲノム中の目的遺伝子の機能が破壊され、かつ、目的遺伝子の機能を破壊するために用いたマーカー遺伝子全体が欠損した、食品産業上利用する上で不都合な形質を示さない有用な変異株の作出方法が提供される。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、イオンビーム照射により、糸状菌ゲノム中の目的遺伝子の機能が破壊された糸状菌の変異株を作出する方法に関する。更に詳細には、目的遺伝子の機能が破壊され、かつ、目的遺伝子の機能を破壊するために用いたマーカー遺伝子全体が欠損した、産業上利用する上で不都合な形質を示さない有用な変異株の作出方法に関する。
【背景技術】
【0002】
麹菌などに代表される糸状菌は、醤油、味噌、清酒などの食品の生産はもとより、酵素、医薬品、化成品等の生産・開発において欠くことのできない有用な微生物である。これら糸状菌の有用性をさらに高めるため、紫外線や薬剤などを用いた突然変異誘発法による有用菌株の育種が古くから精力的に行われてきた。しかしながら、突然変異誘発法による育種は、変異率自体が低く、かつ特定遺伝子のみを変異させることができないなどの理由から、目的とする有用菌株を得るまでに非常に多くの労力と時間を必要とした。
ゲノム中の特定遺伝子の機能を確認する方法としては、遺伝子破壊法が既に知られている。遺伝子破壊法の1つの手法では、選抜に用いるためのマーカー遺伝子が目的とする遺伝子配列中に挿入された形のコンストラクトを作成し、このコンストラクトを相同組換えによって当該糸状菌のゲノム中に組み込むことで当該遺伝子の機能を破壊する。遺伝子破壊法を用いれば、糸状菌を産業利用する上で不都合な形質に関わる遺伝子の機能を喪失させ、有用な表現型を示す糸状菌変異株を得ることができる。しかし、遺伝子破壊法では、遺伝子組換えによって外来の生物由来のマーカー遺伝子が糸状菌のゲノムに組み込まれるため、パブリックアクセプタンス等の観点から当該糸状菌を食品産業等に利用できないという問題があった。
【0003】
一方、イオンビームは、サイクロトロンやシンクロトロンなどの加速器を使って様々なイオンを高速に加速したものである。このイオンビームを生物に照射した場合、イオンの飛跡に沿って高いエネルギーが放出されることから、DNAの2本鎖切断などが局所的に起こるといわれている。
イオンビームを生物の育種に用いた例としては、植物の例が数多く報告されていたが、近年、糸状菌を材料にしたものも知られている(特許文献1、非特許文献1〜3)。すなわち、特許文献1には、紅麹菌などの糸状菌の分生子に重イオンビームを照射し、これを培養して形成した糸状菌の中から変異の生じた糸状菌を選抜することを特徴とする、突然変異糸状菌の作出方法が開示されている。また、非特許文献1には、アスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae)及びアスペルギルス・オリゼ(A.oryzae)にイオンビームを照射することで、プロテアーゼの生産量が多く、かつ増殖率や酵素活性の低下等を示さない変異株を得たことが述べられている。さらに、非特許文献2には、アスペルギルス・アワモリ(A.awamori)にイオンビームを照射することでα−アミラーゼ活性の強い変異株を得たことが記載されている。
また、非特許文献3には、アスペルギルス・オリゼに炭素イオンビームを照射した後にセレン酸耐性を示す変異株を選抜したこと、当該耐性株の中から、セレン酸耐性の原因遺伝子の候補であるsB、sC遺伝子について欠損などの大規模な変異が生じた株をさらにスクリーニングしたことが記載されている。
【特許文献1】特開2007−228849号公報
【非特許文献1】JAEA-Review 2006-042(2007): 98
【非特許文献2】Food Sci Technol Res(1999) 5(2): 153-155
【非特許文献3】醤油の研究と技術(2007)33巻6号:449−450
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
従来の遺伝子破壊法は、上述したように、様々な欠点を克服し、実用に耐え得る方法ではないことから、糸状菌中の特定遺伝子を欠損させる実用的な方法の確立が切望されていた。
本発明者らは、糸状菌中の特定の目的遺伝子を効率的に欠損させる手段として、イオンビームによる照射を利用できるのではないかと考えた。しかし、上記イオンビームに関する文献のいずれにおいても、イオンビーム照射の後の変異株は酵素活性の強さや有用物質の生産性という表現型の指標のみを用いて選抜されるものであり、糸状菌ゲノム中の特定の目的遺伝子の機能が破壊されたことを指標として選抜を行う方法はこれまで知られていなかった。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本発明者らは、糸状菌中の特定遺伝子を欠損させ、かつ外来生物由来のマーカー遺伝子を当該糸状菌のゲノム中に存在させない実用的な方法を確立すべく鋭意検討を行った結果、遺伝子組換えによって糸状菌のゲノム中の機能を破壊しようとする任意の遺伝子の配列内にマーカー遺伝子を挿入し、当該マーカー遺伝子をイオンビーム照射によって欠損させることで、従来の遺伝子破壊法と同様に任意の遺伝子の機能が破壊されていながら、しかもゲノム中に外来のマーカー遺伝子を全く含まない遺伝子突然変異株を取得できることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0006】
すなわち、本発明は、
[1] 糸状菌の変異株を作出する方法において、
(a)糸状菌ゲノム中の機能を破壊しようとする目的遺伝子内にマーカー遺伝子を挿入させる工程、
(b)マーカー遺伝子を挿入した当該糸状菌にイオンビームを照射し、変異を誘発する工程、
(c)イオンビーム照射後の糸状菌の中から、変異によってマーカー遺伝子の機能が欠損した株をスクリーニングする工程、
(d)スクリーニングされた株において、マーカー遺伝子を含む外来遺伝子全体がイオンビーム照射によって欠損し、かつ目的遺伝子の機能が破壊されていることを確認する工程、
を含む、糸状菌ゲノム中の目的遺伝子の機能を破壊することで有用な変異株を作出する方法;
[2] 糸状菌が麹菌(Aspergillus 属)である上記[1]に記載の方法;
[3] 工程(a)において、遺伝子置換破壊法または遺伝子挿入破壊法により、糸状菌ゲノム中の機能を破壊しようとする目的遺伝子内にマーカー遺伝子を挿入させる上記[1]または[2]に記載の方法;
[4] 工程(b)において、炭素イオンビームを200〜600Grayの照射量で照射する上記[1]から[3]のいずれかに記載の方法;
[5] 糸状菌ゲノム中の機能を破壊しようとする目的遺伝子が、amyR遺伝子、aflR遺伝子またはxlnR遺伝子である上記[1]から[4]のいずれかに記載の方法;および
[6] マーカー遺伝子が、sC遺伝子、niaD遺伝子、pyrG遺伝子またはptrA遺伝子である上記[1]から[5]のいずれかに記載の方法
に関するものである。
【発明の効果】
【0007】
本発明の方法によれば、特定の遺伝子の機能が破壊されたことによって、産業利用する上で不都合な形質を示さない糸状菌の有用菌株を得ることができる。しかも従来の遺伝子破壊法とは異なり、当該菌株のゲノムには外来生物由来のマーカー遺伝子等が含まれないため、得られた菌株を食品産業等に利用することも可能である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0008】
本発明方法は、上記の(a)〜(d)の工程を含む糸状菌ゲノム中の目的遺伝子の機能を破壊し、有用な変異株を作出する方法に関するものであり、以下に工程毎に詳細に説明する。
【0009】
(a)糸状菌ゲノム中の機能を破壊しようとする目的遺伝子内にマーカー遺伝子を挿入させる工程
本発明で用いる糸状菌は、菌糸を形成する生物であればいかなるものでもよい。中でも麹菌(Aspergillus属)が好ましく、さらには食品産業でよく用いられるアスペルギルス・オリゼ(A.oryzae)、アスペルギルス・ソーヤ(A.sojae)、アスペルギルス・アワモリ(A.awamori)などが特に好ましいが、これに限定されるものではない。
本発明では、まず、当該糸状菌のゲノム中の破壊したい遺伝子の領域中にマーカー遺伝子を挿入させる。ターゲットとする遺伝子は、糸状菌ゲノム中に含まれるものであれば、いかなるものでもよい。中でも、当該遺伝子の機能を破壊することによって糸状菌の産業上の有用性が向上するようなものが好ましい。例としては、毒性物質であるアフラトキシンの生合成酵素をコードするaflR遺伝子や、α−アミラーゼの発現を正に制御する転写因子をコードしており、機能を破壊した変異株は淡色醤油の製造に有用となるamyR遺伝子、キシラナーゼの発現を制御する転写因子をコードし、機能を破壊した株を用いることによって淡色醤油を効率的に生産できるxlnR遺伝子などが挙げられる。
挿入するマーカー遺伝子は、遺伝子組換えのスクリーニングの指標として使用できるような遺伝子であれば、いかなるものでもよい。例としては、挿入後の株が亜硝酸非要求性株となるniaD遺伝子、メチオニン非要求性株となるsC遺伝子、ウラシル非要求性株となるpyrG遺伝子、ピリチアミン耐性となるptrA遺伝子などが利用することができる。
また、使用する糸状菌とマーカー遺伝子の組み合わせは、マーカー遺伝子がゲノム中の適切な部位に組み込まれたこと、およびイオンビーム照射によって当該マーカー遺伝子が欠損したことの双方を、それぞれスクリーニングによって評価できるようなものであることが好ましい。例えばマーカー遺伝子が、特定の物質への耐性ないしは感受性を付与する遺伝子であって、かつ当該糸状菌が、マーカー遺伝子と同様の機能をもつ遺伝子を有していないもの、あるいは機能を喪失しているものなどが挙げられる。
【0010】
目的遺伝子内にマーカー遺伝子を挿入する方法は、糸状菌の形質転換に利用できる方法であればいかなるものでもよい。遺伝子破壊法で通常用いられるような方法に準じればよく、例としては機能を破壊したい目的遺伝子の断片とマーカー遺伝子とを組み合わせたようなDNA断片を適当なベクターに組み込み、プロトプラスト−PEG法やエレクトロポレーション法などによってベクターを糸状菌に取り込ませ、当該DNA断片を糸状菌のゲノム中に導入する方法などを挙げることができるが、マーカー遺伝子が適切な位置に適切に導入される方法であればこれに限定されない。
【0011】
このような方法としては、より具体的には、遺伝子置換破壊法または遺伝子挿入破壊法が挙げられる。遺伝子置換破壊法については、図1の下段の左側に模式的に示されており、図2には、機能を破壊したい目的遺伝子としてamyR遺伝子、マーカー遺伝子としてsC遺伝子を用いた、遺伝子置換破壊法に使用するベクターの例が示されている。これらの図に示されているように、マーカー遺伝子の5’末端側および3’末端側のそれぞれに、機能を破壊したい目的遺伝子の少なくとも5’末端側および3’末端側の配列を含む遺伝子配列を結合させた領域を含むベクターを構築し、このベクターで糸状菌を形質転換して、相同組換えにより、糸状菌のゲノム中の機能を破壊したい目的遺伝子内にマーカー遺伝子を挿入することができる。
遺伝子挿入破壊法については、図3に、機能を破壊したい目的遺伝子としてamyR遺伝子、マーカー遺伝子としてsC遺伝子を用いた例が模式的に示されている。図3に示すように、目的遺伝子の一部分とマーカー遺伝子とを隣接して含むベクターを構築し、このベクターで糸状菌を形質転換することによって、開裂したベクターの全配列を糸状菌のゲノム中に導入させ、糸状菌のゲノム中の機能を破壊したい目的遺伝子内に、ベクター由来の遺伝子と共に、マーカー遺伝子を挿入することができる。この遺伝子挿入破壊法については、O.Yamada et.al.(J.Biosci.Bioeng.95(1),82-88,2003)等の文献が参考とされる。
【0012】
(b)マーカー遺伝子を挿入した当該糸状菌にイオンビームを照射し、変異を誘発する工程
次に、上記の工程(a)で得られる、糸状菌のゲノム中の機能を破壊したい目的遺伝子内にマーカー遺伝子が挿入された形質転換体に対してイオンビーム照射を行う。
イオンビームの種類は、当該糸状菌に変異を与えられるようなものであればいかなるものでも用いることができる。例えば、炭素イオンビーム、アルゴンイオンビーム、窒素イオンビームなどを挙げることができる。
イオンビームの照射は、当該形質転換体の凍結乾燥分生子を作成し、これに対して行うのが好ましいが、イオンビーム照射による変異誘発が適切に行われる方法であれば、これに限定されない。
イオンビームの照射量は、当該糸状菌に過度の損傷を与えず、かつ変異を与えられるような範囲であれば特に限定されるものではない。例えばアスペルギルス・オリゼ(Aspergillus oryzae)に炭素イオンビームを照射する場合、好ましい照射量の範囲として200〜600Gray、特に好ましい範囲として約300〜500Grayを挙げることができるが、これに限定されるものではない。
特に、本発明では、炭素イオンビームを200〜600Gray、更には約300〜500Grayの照射量で照射する方法が好ましい。
【0013】
(c)イオンビーム照射後の糸状菌の中から、変異によってマーカー遺伝子の機能が欠損した株をスクリーニングする工程
変異株のスクリーニング方法としては、導入したマーカー遺伝子の種類および用いた糸状菌株の特性に準じ、それぞれに適切な方法を用いればよい。
例えば、導入したマーカー遺伝子が薬剤耐性を付与するものである場合、イオンビーム照射後、当該分生子を培養し、寒天培地上などコロニーを形成させた後、適当な薬剤を含む培地上に菌株を移植し、感受性を示す株のみを選抜するなどの方法があるが、これに限定されるものではない。
【0014】
(d)スクリーニングされた株において、マーカー遺伝子を含む外来遺伝子全体がイオンビーム照射によって欠損し、かつ目的遺伝子の機能が破壊されていることを確認する工程
本発明においては、食品産業等に使用する観点から、最終的に得られる変異株が、外来種由来のマーカー遺伝子全体が完全に欠損していることが必要である。
変異株のゲノムにおいて、マーカー遺伝子が完全に欠損していることを確認する手段は、分子生物学で通常用いられる方法であればどのようなものでもよい。例として、PCR法、サザンブロッティング法、塩基配列のシーケンシングなどの方法を挙げることができる。また、本発明では、得られる変異株においては、目的遺伝子の機能が破壊されている必要があり、従って、目的遺伝子の機能が破壊されていれば、目的遺伝子の一部が残っていても構わない。目的遺伝子の機能が破壊されていることを確認する手段は、目的遺伝子の機能に応じて任意に採用することができる。例えば、機能を破壊したい目的遺伝子としてamyR遺伝子を選択した場合には、変異株のデンプン分解能を解析すればよい。aflR遺伝子を選択した場合には、毒性物質であるアフラトキシンが生成されないことを確認すればよい。xlnR遺伝子を選択した場合には、例えば、変異株のキシラナーゼ活性を測定すればよい。
【0015】
以下、実施例によって本発明をさらに具体的に説明するが、これらの実施例は本発明を限定するものではない。
【0016】
実施例1
炭素イオンビーム照射を用いた、アスペルギスル・オリゼ(Aspergillus oryzae)におけるamyR遺伝子欠損株の作出
図1に示すように、麹菌の機能を破壊したい目的遺伝子としてamyR遺伝子を選択し、マーカー遺伝子としてsC遺伝子を用いて、遺伝子置換破壊法により、amyR遺伝子内にsC遺伝子を挿入して、炭素イオンビーム照射を行い、sC遺伝子全体が完全に欠損し、かつ、amyR遺伝子の機能が破壊された変異株を作出した。
【0017】
(1)マーカー遺伝子の導入
sC遺伝子はメチオニンの生合成に関わる遺伝子である一方、セレン酸が体内に取り込まれた際には、これを用いて毒性物質を生合成する経路の一部を担う。このため、sC遺伝子が正常に働く菌株はセレン酸存在下で毒性物質を生じ致死となるが、同遺伝子の機能が失われている株はセレン酸耐性を示す。
実験には、麹菌アスペルギルス・オリゼNS4株を用いた。NS4株は、野生型のアスペルギルス・オリゼに紫外線照射を行うことで得られたsC遺伝子の機能欠損変異株である(O.Yamada et. al. Biosci.Biotech.Biochem.61(8),1367-1369,1997)。
【0018】
図2に示すように、遺伝子置換破壊法により、NS4株のamyR遺伝子内にsC遺伝子を挿入させるために用いる形質転換用のベクターを構築した。すなわち、アスペルギルス・オリゼ由来のamyR遺伝子を含むpGL20ベクター(K.Gomi et.al. Biosci.Biotechnol.Biochem.64(4),816-827,2000)を制限酵素KpnIおよびHindIIIで切断し、切断後の断片をpUC118ベクター(タカラバイオ)に組み込んでクローニングを行った。
amyR遺伝子の断片を含む上記ベクターと、アスペルギルス・ニドゥランス由来のsC遺伝子の断片を含むpUSAベクター(O.Yamada et.al. J.Biosci.Bioeng.95(1),82-88,2003)のそれぞれを、制限酵素XbaIおよびPstIで切断し、両者をライゲーションすることによって、形質転換に用いる目的とするpAMDRベクターを作製した(図2)。
このpAMDRベクターをプロトプラスト−PEG法によってアスペルギルス・オリゼNS4株に形質転換し、相同組換を行わせることによって、amyR遺伝子領域中にアスペルギルス・ニドゥランス由来のsC遺伝子が挿入されている変異株(以下、ΔamyR株という)を得た。
【0019】
(2)イオンビーム照射
麹汁培地でΔamyR株を30℃、1週間培養し、当該菌体へ0.05%ツィーン溶液を加え、分生子懸濁液を得た。分生子懸濁液を遠心後、得られた分生子を凍結乾燥用懸濁液(バクトペプトン1%(w/v、以下同様)、グリセロール1%)に懸濁した。分生子5×10個程度を0.2μmのメンブレンフィルターに吸着させ、凍結乾燥を行った。凍結乾燥は所定の方法に従って行った。
イオンビーム照射は(独)日本原子力研究開発機構において行った。照射はAVFサイクロトロンを用いて125+を加速し、220MeVのエネルギーで300〜700Gray照射した。イオンビームの照射量については、非特許文献3に記載の範囲を参考にした。
【0020】
(3)変異株のスクリーニング
イオンビーム照射により生存率が1〜10%となった麹菌の分生子約300000株をセレン酸培地に播種した。生育してきたコロニーをセレン酸培地(スクロース2%、硝酸ナトリウム0.3%、リン酸水素二カリウム0.1%、酢酸マグネシウム0.05%、塩化カリウム0.05%、メチオニン30ppm、トレースエレメント0.1%、セレン酸ナトリウム0.1mM;pH6.0)に2〜3回植え継ぎ変異固定を行ったところ、約300000株の中から47株がセレン酸耐性株として取得された。
なお、本明細書中において「トレースエレメント」とは以下に示した組成の水溶液のことを指す。
トレースエレメント組成:硫酸鉄七水和物0.1%、硫酸亜鉛七水和物0.88%、硫酸銅五水和物0.04%、硫酸マンガン四水和物0.015%、四ホウ酸ナトリウム十水和物0.01%、七モリブデン酸六アンモニウム四水和物0.005%。
【0021】
さらに、セレン酸からの毒性物質の生合成経路には、sC遺伝子以外にも他の遺伝子が関わっていることが知られており、他方、sC遺伝子はセレン酸以外にもクロム酸から毒性物質の生合成経路にも関与していることから、当該工程で得たセレン酸耐性株について、sC遺伝子が機能を失っていることを更に確認するために、クロム酸耐性についても更に試験した。すなわち、クロム酸培地(スクロース2%、硝酸ナトリウム0.3%、リン酸水素二カリウム0.1%、酢酸マグネシウム0.05%、塩化カリウム0.05%、メチオニン30ppm、トレースエレメント0.1%、クロム酸0.5mM;pH6.0)に植え継ぎ、感受性を示した株をsC変異株とした。クロム酸に対して感受性を示した株を選抜することにより、sC遺伝子以外の遺伝子の変異によってセレン酸耐性が付与された株を除去され、sC遺伝子が機能を失っている可能性がより高い変異株を得ることができた。その結果、表1に示したように、選抜によって、sC変異株が28株得られた。
【0022】
【表1】

【0023】
(4)スクリーニングによって得た菌株におけるマーカー欠損の確認
次に、得られたsC変異株28株よりゲノムを抽出し、PCR解析を行った。
図4および5に示したように、マーカー遺伝子として挿入したアスペルギルス・ニドゥランスのsC遺伝子と、宿主であるアスペルギルス・オリゼのマーカー挿入部位であるamyR遺伝子の各々の配列を用い、プライマー1とプライマー2の2通りのプライマーセットを作成した。各プライマーの塩基配列は、表2に示したとおりである。PCR解析にはEx Taq(タカラバイオ)を用い、反応条件は、表3の通りとした。
【0024】
【表2】

【0025】
【表3】

【0026】
プライマー1を用いたPCRでは28株中7株について、amyR遺伝子の5’末端配列とsC遺伝子の5’末端配列が結合した1.8kbDNA断片の増幅が認められず、挿入されたマーカー領域について遺伝子欠損が起きていることが考えられた(図4)。増幅が確認されなかった7株について、さらにプライマー2を用いてPCRを行ったところ、7株中1株について、amyR遺伝子の3’末端配列とsC遺伝子の3’末端配列が結合した1.1kbDNA断片の増幅が認められなかった(No.9株)。このことから、当該株は挿入されたsC遺伝子の全領域が欠損していることが考えられた(図5)。
この株についてゲノミックサザン解析を行った。プローブの標識にはDig−High Prime(ロシュ・ダイアグノスティックス)を用い、方法は所定のプロトコルに従った。プローブには、遺伝子組換えに用いたマーカー遺伝子の全領域をカバーした、表2に示した配列を有するプライマー3で増幅されるDNA断片を用いた。ハイブリダイゼーションにはDig Easy Hyb(ロシュ・ダイアグノスティックス)を用い、方法は所定のプロトコルに従った。その結果、NS4株およびΔamyR株については、遺伝子組換えにより挿入されたマーカー遺伝子由来のバンドが、予想される位置に検出された。しかし、sC変異株においてはバンドの検出が認められない株があった(No.9株)。また、いずれの株においても、アスペルギルス・オリゼ由来の内在性sC遺伝子が検出された(図6)。
以上より、ハイブリダイゼーションは正常に行われているものの、マーカー遺伝子由来のバンドは検出されなかったことから、イオンビーム照射により、マーカー遺伝子全体がゲノム内から完全に除去されたことが確認された(No.9株)。
【0027】
さらにsC変異株においてamyR遺伝子の機能が破壊されているかを調べるため、デンプン分解能の解析を行った。
NS4株、ΔamyR株、sC変異株(No.9株)をそれぞれ麹汁培地に植菌し、ジャイアントコロニーを形成させた。
このジャイアントコロニーから分生子懸濁液を作成した。分生子の濃度が10個/mlとなるように分生子懸濁液を希釈後、当該懸濁液をデンプン培地(デンプン1.0%、亜硝酸ナトリウム0.3%、リン酸水素二カリウム0.1%、硫酸マグネシウム0.05%、塩化カリウム0.05%、トレースエレメント0.1%、メチオニン0.15%)に植菌し、30℃で4日間培養した。なお、デンプン培地については培養後、ヨウ素を加え、ヨウ素デンプン反応によりハローの形成差を明確にした。
その結果、NS4株は良好な生育を示し、大きなハローを形成した一方で、ΔamyR株、sC変異株は生育が悪く、ハローもほとんど形成されなかった(図7)。すなわち、ΔamyR株、sC変異株(No.9株)はデンプン分解能を失っており、amyR遺伝子の機能が破壊されていることが明らかとなった。
以上のように、外来遺伝子であるアスペルギルス・ニドゥランス由来のsC遺伝子全体を完全に含まず、かつ、amyR遺伝子の機能が破壊されたアスペルギルス・オリゼのamyR変異株を得ることができた。
【産業上の利用可能性】
【0028】
本発明により、糸状菌ゲノム中の目的遺伝子の機能が破壊され、かつ、目的遺伝子の機能を破壊するために用いたマーカー遺伝子全体が欠損した、食品産業上利用する上で不都合な形質を示さない有用な変異株の作出方法が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0029】
【図1】図1は、実施例で行った麹菌変異株の作出工程を模式的に表したものである。上段は麹菌に対する操作、下段は遺伝子の構造を示す。
【図2】図2は、pAMDRベクター作製の過程を示した模式図を示す。
【図3】図3は、遺伝子挿入破壊法の過程を表した模式図を示す。
【図4】図4は、sC変異株のゲノムDNAについて、プライマー1を用いてPCRを行った結果の一部を表したものである。上段はプライマー1の作成位置を表した模式図、下段はPCRの結果を示す。
【図5】図5は、sC変異株のゲノムDNAについて、プライマー1を用いてPCRを行った結果の一部を表したものである。上段はプライマー1の作成位置を表した模式図、下段はPCRの結果を示す。
【図6】図6は、PCRによって一次スクリーニングされた株のDNAを用いてサザンブロッティングを行った結果を表したものである。上段はプローブの作成位置を表した模式図、下段はブロッティングの結果を示す。
【図7】図7は、アスペルギルス・オリゼNS4株、ΔamyR、sC変異株それぞれのデンプン分解能を、デンプン培地におけるハロー形成の状態によって調べた結果を示す。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
糸状菌の変異株を作出する方法において、
(a)糸状菌ゲノム中の機能を破壊しようとする目的遺伝子内にマーカー遺伝子を挿入させる工程、
(b)マーカー遺伝子を挿入した当該糸状菌にイオンビームを照射し、変異を誘発する工程、
(c)イオンビーム照射後の糸状菌の中から、変異によってマーカー遺伝子の機能が欠損した株をスクリーニングする工程、
(d)スクリーニングされた株において、マーカー遺伝子を含む外来遺伝子全体がイオンビーム照射によって欠損し、かつ目的遺伝子の機能が破壊されていることを確認する工程、
を含む、糸状菌ゲノム中の目的遺伝子の機能を破壊することで有用な変異株を作出する方法。
【請求項2】
糸状菌が麹菌(Aspergillus 属)である請求項1に記載の方法。
【請求項3】
工程(a)において、遺伝子置換破壊法または遺伝子挿入破壊法により、糸状菌ゲノム中の機能を破壊しようとする目的遺伝子内にマーカー遺伝子を挿入させる請求項1または2に記載の方法。
【請求項4】
工程(b)において、炭素イオンビームを200〜600Grayの照射量で照射する請求項1から3のいずれかに記載の方法。
【請求項5】
糸状菌ゲノム中の機能を破壊しようとする目的遺伝子が、amyR遺伝子、aflR遺伝子またはxlnR遺伝子である請求項1から4のいずれかに記載の方法。
【請求項6】
マーカー遺伝子が、sC遺伝子、niaD遺伝子、pyrG遺伝子またはptrA遺伝子である請求項1から5のいずれかに記載の方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2009−195205(P2009−195205A)
【公開日】平成21年9月3日(2009.9.3)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−42989(P2008−42989)
【出願日】平成20年2月25日(2008.2.25)
【出願人】(000006770)ヤマサ醤油株式会社 (56)
【出願人】(505374783)独立行政法人 日本原子力研究開発機構 (727)
【Fターム(参考)】