説明

カキの採苗器及びカキの採苗方法

【課題】板材からの稚貝の分離が容易であり、かつ稚貝の分離に際して稚貝に損傷を与え難く、更に板材を再利用することのできるカキの採苗器及びカキの採苗方法を提供すること。
【解決手段】複数枚の板材と、前記板材同士を連結する連結部材とを備え、前記板材は、チタン、チタン合金、又はステンレス鋼により形成され、かつ稜線を有する湾曲部を形成するように変形可能であり、前記板材を変形させて前記湾曲部を形成した状態で、前記稜線に直交する平面で前記板材を切断したとき、その切断面に前記稜線に対応する頂点と前記湾曲部の輪郭線があり、前記輪郭線のうち前記頂点を含む外周線における2つの端点のうち、前記頂点からの距離が長い方の端点Aにおける前記外周線の接線を直線Q、前記頂点における前記外周線の接線に平行な直線であって前記端点Aを通る直線を基準線Sとすると、前記直線Qと前記基準線Sとのなす角が少なくとも20°であるカキの採苗器、及びこの採苗器を使用するカキの採苗方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
この発明は、カキの採苗器及びカキの養殖方法に関し、更に詳しくは原盤からの稚貝の分離が容易であり、かつ稚貝の分離に際して稚貝に損傷を与え難く、更に原盤を再利用することのできるカキの採苗器及びカキの採苗方法に関する。
【背景技術】
【0002】
カキ、特にマガキの養殖事業者の商品としては、殻を除去した剥き身のカキ、殻が付いたままの殻付きのカキに大別される。また、カキは、利用態様に応じて、加熱工程を経る調理用と、加熱工程を経ない生食用とに分類することができる。
【0003】
剥き身のカキはカキフライ又はカキ鍋等の調理用の食材として利用され、60℃以上の熱で死滅するノロウィルス中毒の心配が無い。これに対して、殻付きのカキは生食用の食材として利用される。なお、通常、殻付きのカキは剥き身のカキに比べて高価格で取引されるが、殻付きのカキは、カキの殻と身とが厚く、外観も良い個体である必要があるので、高品質の個体を多く養殖することは多大な労力と手間とがかかる。
【0004】
殻付きのカキを専門的に養殖している養殖事業者は、カキの稚貝を一個一個、個別に養殖する。具体的に用いられている養殖方法としては、例えば「耳吊り法」及び「セメント固化法」等を挙げることができる。なお、両方法において、幼生から稚貝に成長するまで付着していた対象物から稚貝が一旦分離され、更に殻長が5〜10cm程度になるまで籠等に投入されて成長した稚貝を用いることは共通している。
【0005】
前記「耳吊り法」は、稚貝の蝶番に孔を設けて、ロープを挿通した上で海中に吊下する方法であり、主に岩手県の大船渡湾及び山田湾等で採用されている。3年程度の期間に亘って育成するので、カキの殻及び身が大きくなる。前記「セメント固化法」は、稚貝をセメントでロープに直接固定して海中に吊下する方法であって、「耳吊り法」のように孔を設ける工程が不要であり、主に宮城県気仙沼の舞根湾等で採用されている。
【0006】
カキの養殖は、採苗という種ガキの採取をすることから始まる。従来においては、帆立貝の殻の中央に貫通孔を設け、70枚程の帆立貝が連なるように亜鉛被膜の鋼線を貫通孔に挿通して成る採苗器を用いることが多い。
【0007】
採苗器に付着した幼生は時間と共にその形態を変化させ、数週間程度で殻を持つカキの稚貝と成る。なお、帆立貝を連ねた採苗器を用いた場合に、カキの稚貝と帆立貝とを強い力で分離させようとすると、柔らかい成長途上の稚貝の殻が損傷して死滅する率が高い。したがって、採苗器における帆立貝等の原盤に稚貝を固着させたままで育成する。
【0008】
通常、帆立貝を用いた採苗器では、原盤同士の間隔が15mm程度であり、大きく成長するには狭過ぎるので、例えば採苗器を一旦解体し、原盤同士の間隔を80〜100mm程度に変更して組み直す方法、又は、撚り解いたロープを再度撚る時に原盤を挟み込む方法等を採用することによって、稚貝をより多くの海水と接触させ、プランクトンを食べさせて大きく成長させる。
【0009】
採苗後に原盤の設置方向を変更する発明が特許文献1に記載されている。特許文献1には、発明の構成が「厚み方向と直交する方向にワイヤーやロープ等を通す貫通孔を設けたことを特徴とする」と記載されており、技術的効果として「ワイヤーやロープ等を貫通孔に通すだけで誰でもが簡単かつ容易に種板を縦向きに能率よく取り付けることができ、種板を取り外すのも最下部の針金やロープ等で形成されるストッパーを切断するだけで従前と同様、容易にできる」と記載されている(特許文献1の請求項1及び段落番号0016欄参照。)。
【0010】
なお、稚貝を原盤上で育成する期間は、8ヶ月〜1年程度であることが多い。原盤上での育成が完了した稚貝は、原盤から分離される。この後においても殻付きのカキを養殖する場合は、如何にしてカキの殻を破損しないように原盤から分離するかが重要である。通常、稚貝を原盤から分離するときには、稚貝が10cm程度にまで成長しているが、分離の際に殻が破損した一部の稚貝は死ぬことになり、約半数のカキが分離の際に死ぬと言われている。
【0011】
貝類の幼生を採苗し、かつ稚貝を分離し易い装置が特許文献2に記載されている。特許文献2には、考案の構成として「ポリカーボネ−トプラスチック板により付着板を構成し、該付着板の上部と下部に、釣り下げ用,重錘取付用又は他の付着板との連結用の少くとも1個の孔をそれぞれ設けたことを特徴とする」と記載されており、技術的効果として「ポリカーボネートプラスチックやモルタルは浮遊している稚貝の付着に好適であるので、上記付着板を海中又は人工池中に吊り下げておくことにより稚貝が付着し、所定期間後に引き上げ、へら状の擦り落しナイフで付着板表面より付着稚貝を擦り落すことにより、目的とする貝類の採苗を能率的に行うことができ、採苗作業の労力軽減をはかることができる」と記載されている(特許文献2の請求項1及び段落番号0007欄参照。)。
【0012】
従来の帆立貝を用いる採苗器は、稚貝と原盤とを分離するときに、原盤が破損することが多く、更に通常使い捨てにされることが多い。廃棄された帆立貝は粉砕されて肥料等に利用されることもあるが、カキ等の貝類の養殖が盛んな地域では、原盤である帆立貝の廃棄量だけでも膨大な量になるので、採苗器の後処理工程が多く、環境負荷も大きくなる。
【0013】
よって、原盤からの稚貝の分離が容易であり、かつ稚貝の分離に際して稚貝に損傷を与え難く、更に原盤を再利用することのできる採苗器及びその採苗器を用いたカキの採苗方法が要求されていた。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0014】
【特許文献1】特開平9−294498号公報
【特許文献2】実開平5−9268号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0015】
この発明が解決しようとする課題は、板材からの稚貝の分離が容易であり、かつ稚貝の分離に際して稚貝に損傷を与え難く、更に板材を再利用することのできるカキの採苗器を提供することである。
【0016】
この発明が解決しようとする別の課題は、前記採苗器を用いたカキの採苗方法であって、カキの稚貝と板材との分離作業の時間短縮、及び稚貝の取扱いの簡素化が可能であるカキの採苗方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0017】
前記課題を解決するための手段は、
(1)複数枚の板材と、前記板材同士を連結する連結部材とを備え、
前記板材は、チタン、チタン合金、又はステンレス鋼により形成され、かつ稜線を有する湾曲部を形成するように変形可能であり、
前記板材を変形させて前記湾曲部を形成した状態で、前記稜線に直交する平面で前記板材を切断したとき、その切断面に前記稜線に対応する頂点と前記湾曲部の輪郭線があり、前記輪郭線のうち前記頂点を含む外周線における2つの端点のうち、前記頂点からの距離が長い方の端点Aにおける前記外周線の接線を直線Q、前記頂点における前記外周線の接線に平行な直線であって前記端点Aを通る直線を基準線Sとすると、前記直線Qと前記基準線Sとのなす角が少なくとも20°であることを特徴とするカキの採苗器、
(2)前記板材はチタン又はチタン合金により形成されることを特徴とする前記(1)に記載の採苗器、
(3)前記板材が矩形状を成すと共に、貫通孔を有し、
前記連結部材がワイヤ部材であり、
前記板材の前記貫通孔に前記連結部材を挿通して成る前記(1)又は(2)に記載の採苗器、
(4)前記(1)〜(3)のいずれか1つに記載の採苗器を海水中に浸漬する浸漬工程、
カキの幼生が海水中に浸漬された前記板材に付着するまで前記採苗器を放置する放置工程、
前記カキの幼生を前記板材に付着させた状態で、稚貝に成長するまで待つ待機工程、及び、
幼生から稚貝に成長したカキが付着する前記板材を、変形させることにより、前記板材とカキの稚貝とを分離する分離工程を備えることを特徴とするカキの採苗方法、並びに
(5)前記放置工程が、前記板材の向きを変更する板材転向工程を含む前記(5)に記載のカキの採苗方法である。
【発明の効果】
【0018】
この発明に係る採苗器によると、板材がチタン、チタン合金、又はステンレス鋼により形成され、所定の湾曲部を形成するように変形可能であるので、板材を変形させて湾曲部を形成するだけで板材から稚貝を容易に分離することができる。また、板材から稚貝を分離する際に、板材を変形させて湾曲部を形成すること以外の操作を基本的に必要としないので、稚貝に必要以上の損傷を与えることがなく、稚貝の殻が損傷することによる死滅率を低減することができる。さらに、板材を変形させて湾曲部を形成するだけで板材と稚貝とを分離することができるので、板材から稚貝を分離する際に板材が破損することがなく、板材を再利用することができる。
【0019】
この発明の好ましい態様によると、板材がチタン又はチタン合金により形成されているので、海水中での耐腐食性に優れ、板材の劣化が抑制される。また、チタン及びチタン合金は耐酸性に優れるので、板材から稚貝を分離する際に稚貝の殻が板材の表面に残ってしまったとしても、酸性の薬品を利用して板材の表面に付着している稚貝の殻を容易に取り除くことができる。したがって、元の板材の状態に近い状態で板材を再利用することができる。さらに軽量であるので取り扱い易く、作業性が良好である。
【0020】
また、この発明に係る採苗方法によると、チタン、チタン合金、又はステンレス鋼により形成され、所定の湾曲部を形成するように変形可能な板材を有する採苗器を浸漬し、放置し、待機し、変形させるだけで、板材から分離された稚貝を容易に得ることができる。また、この発明に係る採苗方法によると、板材を変形させて湾曲部を形成するだけで、板材から稚貝を分離することができるので、必要以上に稚貝に損傷を与えることがなく、稚貝の死滅率を低減することができる。
【0021】
更に、この発明の好ましい態様によると、放置工程の間に板材の向きを変更することによって、海中の環境及び海流等に合わせて幼生が板材に付着する状況を実現することができるので、採苗効率の高いカキの採苗方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0022】
【図1】図1は、この発明に係る採苗器の一実施態様を示す断面概略図である。
【図2】図2は、図1に示す板材を変形させたときの板材の説明図である。
【図3】図3は、図2に示す板材を稜線に直交する平面で切断したときの断面説明図である。
【図4】図4は、この発明に係る採苗器における別の板材を稜線に直交する平面で切断したときの断面説明図である。
【図5】図5は、板材の配置態様の説明図である。
【図6】図6は、板材の別の配置態様の説明図である。
【図7】図7は、板材の別の配置態様の説明図である。
【図8】図8は、板材の別の配置態様の説明図である。
【発明を実施するための形態】
【0023】
以下に、この発明に係る採苗器について図1に示す一実施態様を参照しつつ説明する。
【0024】
図1に示す採苗器1は、4枚の板材2と連結部材3とを備えている。
【0025】
板材2は、矩形状でかつ平板状であると共に、2つの貫通孔4を有している。また、連結部材3は、ワイヤ状の部材であり、板材2の貫通孔4を挿通している。
【0026】
採苗器1には、連結部材3における板材2の位置がずれないように、板材固定具5が設けられている。板材固定具5は、板材2の貫通孔4内に入り込まない程度の大きさを有しており、連結部材3に対して固着、溶着、接着、挟持、又は係止等によって固定的に取り付けられる部材である。板材固定具5としては、例えば海流等によって連結部材3から脱離することの無い程度の把持力を有するクリップ等を採用することができる。
【0027】
採苗器1における板材2は、チタン、チタン合金、又はステンレス鋼により形成される。板材がチタン、チタン合金、及びステンレス鋼といった金属で形成されると、従来からカキの採苗の原盤として使用されてきたホタテ貝の殻に比べて、板材の厚みを薄くしても所望の強度が得られるので、板材を軽量にすることができ、採苗器を取り扱い易い。また、展延性に優れるので、板材を変形させて湾曲部を形成することによりカキを分離するという作業を繰り返し行っても破損し難く、板材の再利用が可能であり、使用後の板材を廃棄する必要がないので廃棄物の低減を図ることができる。
【0028】
また、チタン、チタン合金、又はステンレス鋼により形成される板材に対するカキの稚貝の付着する力は、従来の採苗器において板材として用いられている帆立貝に比べると小さい。したがって、チタン、チタン合金、又はステンレス鋼により形成される板材2は、カキの稚貝を分離するときに板材2を変形させたとしても稚貝に対する致命的な損傷を与えることが少ない。よって、この発明に係る採苗器は、板材の材料としてチタン、チタン合金、又はステンレス鋼を用いることにより、カキの稚貝を板材から分離したときの生残率が、従来の採苗器に比べて大きくなるので好ましい。
【0029】
チタン合金としては、α型合金、α+β型合金、β型合金、耐食合金等を挙げることができ、ステンレス鋼としては、オーステナイト系、オーステナイト・フェライト系、フェライト系、マルテンサイト系、析出硬化系のステンレス鋼を挙げることができる。板材2としては、これらの中でチタン又はチタン合金が好ましい。チタン及びチタン合金は、海水中での耐腐食性に優れるので、板材の劣化が抑制される。また、チタン及びチタン合金は耐酸性に優れるので、板材から稚貝を分離する際に稚貝の殻が板材の表面に残ってしまったとしても、酸性の薬品を利用して板材の表面に付着している稚貝の殻を容易に取り除くことができる。したがって、元の板材の状態に近い状態で板材を再利用することができる。さらに軽量であるので取り扱い易く、作業性が良好である。
【0030】
板材2は、稜線を有する湾曲部を形成するように変形可能である。図2は図1に示す板材を変形させたときの板材の説明図である。図2に示すように、この採苗器1における板材2は、例えば、矩形状の板材2における相対向する2つの縁端部において、板材2の表面に対して直交する方向に同一の力Fをかけることにより板材2を変形させて、稜線Pを有する湾曲部を形成させることができる。図3は図2に示す板材を稜線に直交する平面で切断したときの断面説明図である。図2及び3に示すように、板材2を変形させて湾曲部を形成した状態で、稜線Pに直交する平面Dで板材2を切断したとき、その切断面Dに稜線Pに対応する頂点Mと湾曲部の輪郭線が現れ、前記輪郭線のうち頂点Mを含む外周線Tにおける端点Aにおける外周線Tの接線を直線Q、頂点Mにおける外周線Qの接線Uに平行な直線であって前記端点Aを通る直線を基準線Sとすると、直線Qと基準線Sとのなす角θが少なくとも20°である。
【0031】
なお、この板材2の湾曲部は、頂点Mから2つの端点A,Bまでの距離が等しいので、いずれの端点A,Bにおける外周線Tの接線を直線Qとしても良いが、例えば、頂点Mから2つの端点A,Bまでの距離が異なる場合には、頂点Mからの距離が長い方の端点における外周線Tの接線を直線Qとする。
【0032】
頂点Mから2つの端点A,Bまでの距離が異なる例としては、例えば、矩形状の板材2における縁端部と中央付近とにおいて、板材2の表面に対して直交する方向に力F1,F2をかけることにより板材2を変形させて、稜線P1を有する湾曲部を形成させる例を挙げることができる。このようにして湾曲部が形成された板材21を稜線P1に直交する平面で切断したときの断面説明図を図4に示す。図4に示すように、湾曲部の稜線P1に対応する頂点M1は、外周線T1において曲率の最も大きい点である。このとき、外周線T1における2つの端点A1,B1のうち、頂点M1からの距離が長い方の端点A1における外周線T1の接線を直線Q1とし、頂点M1における外周線T1の接線U1に平行な直線であって端点A1を通る直線を基準線S1とすると、直線Q1と基準線S1とのなす角θ1が少なくとも20°である。
【0033】
このように板材2,21を変形させて、直線Q,Q1と基準線S,S1とのなす角θ,θ1が少なくとも20°である湾曲部を形成することのできる板材2であれば、板材2から稚貝を分離する際に、板材2を変形して湾曲部を形成することによって、例えば、板材2の両端部を固定して両端部において板材2の表面に直交する方向で同一の方向に力を加えて湾曲部を形成したり、板材2の両端部を固定して捻ることで湾曲部を形成したりすることによって、稚貝を容易に分離することができる。また、板材2から稚貝を分離する際に、板材2を変形させて湾曲部を形成すること以外の操作を基本的に必要としないので、稚貝に必要以上の損傷を与えることがなく、稚貝の殻が損傷することによる死滅率を低減することができる。さらに、板材2を変形させて湾曲部を形成するだけで板材2と稚貝とを分離することができるので、板材2から稚貝を分離する際に板材2が破損することがなく、板材2を再利用することができる。
【0034】
また、板材2は、その厚みが薄い程軽量となり好ましいが、海水中に放置されているときに海流等によって板材2が容易に変形してしまうと、板材2の変形によりカキの幼生が脱落し易くなってしまう。したがって、板材2は海水中で平板形状を保持できる程度の剛性を有するのが好ましい。
【0035】
板材2の大きさは、一枚の板材に少なくとも100個のカキの幼生が付着する大きさが好ましく、例えば面積が100〜1000cmであり、板材同士の間隔としては、例えば2〜10cm程度であれば良い。板材2の厚さは、その機械的性質にもよるが、例えば0.3〜1mmである態様を挙げることができる。
【0036】
設置する板材2の枚数は、複数枚であって、上記のような間隔で板材2を配置するときに、カキの幼生が浮遊している領域に全ての板材が配置することができれば良く、例えば5〜30枚程度であるのが好ましい。よって、海面に対して平行にかつ深さ方向に板材2を配置した採苗器1、例えば図1に示す採苗器1は、深さ方向の長さが50〜200cm程度になる。
【0037】
板材2の大きさ、板材2同士の間隔、及び板材2の枚数等を様々に変更することにより、板材2一枚当りの稚貝の付着数が調節可能になる。更に、従来の帆立貝を用いた採苗器とこの発明に係る採苗器とを比べると、同程度の板材の面積で比較しても一枚当りの重量の低減を図ることができるので、結果としてこの発明に係る採苗器1全体の重量の低減も図ることができる。
【0038】
この発明に係る採苗器1における連結部材3としては、海水により腐食及び劣化しない材料で形成されているのが好ましく、例えばプラスチック類を含む繊維状物で形成されたワイヤ部材である態様、又は金属で形成される針金である態様等を挙げることができる。
【0039】
この発明に係る採苗器1の板材2は、図1に示される配置態様、つまり海面に対して平行にかつ深さ方向に連なるような配置態様に限定されない。ここで、採用可能な板材の配置態様について、図面を参照しつつ説明する。なお、図3〜6は、黒色の棒状物が板材の厚さを測定することになる面を正面にして示している。
【0040】
図3には、各板材が海面に対して垂直に配置されており、板材の連なる方向が海面と平行である板材の配置態様が示されている。また、図4には、各板材が海面に対して傾斜して配置されており、板材の連なる方向が海面と平行である板材の配置態様が示されている。更に、図5には、各板材が海面に対して垂直に配置されており、板材の連なる方向が海面に対して垂直であり、海面に平行な海流を各板材が全面で受けることになる配置態様が示されている。図6には、図5に示した配置態様の海面に平行な方向において、隣接する板材同士の重なり部分を設けるようにした配置態様が示されている。
【0041】
この発明に係る採苗器は、上述したいずれの板材の配置態様を採用するにしても、板材がチタン、チタン合金、又はステンレス鋼により形成され、所定の湾曲部が形成されるように変形可能であるので、カキの幼生が板材に付着し易く、カキの幼生が稚貝まで成長したときに板材を変形するだけで板材から稚貝を分離することができ、稚貝の殻が損傷することによる稚貝の死滅率を低減することができる。
【0042】
以下に、この発明に係るカキの採苗方法について説明する。なお、この発明に係るカキの採苗方法は、前記採苗器を使用する方法でもある。
【0043】
この発明に係るカキの採苗方法は、前記採苗器を海水中に浸漬する浸漬工程、カキの幼生が海水中に浸漬された前記板材に付着するまで前記採苗器を放置する放置工程、前記カキの幼生を前記板材に付着させた状態で、稚貝に成長するまで待つ待機工程、及び、幼生から稚貝に成長したカキが付着する前記板材を、変形させることにより、前記板材とカキの稚貝とを分離する分離工程を備える。
【0044】
先ず、この発明に係る採苗器を、カキの幼生が浮遊している海水中に浸漬する浸漬工程を行う。通常、水深2m以内の領域にカキの幼生が多く浮遊しているので、採苗器の浸漬する深さを適宜に調節すると良い。
【0045】
次に、海水中に浸漬した採苗器の板材にカキの幼生が付着するまで採苗器を放置する放置工程を行う。カキの幼生は暫くの間は海水中を浮遊するが、何らかの刺激を受けて一斉に様々な物体に付着する。幼生の付着する対象物は特に限定されず、海中に既存の貝殻、コンクリート、木材、及び船底等、多岐に亘る。この発明に係る採苗方法は、一旦付着した物体から外部の力によって分離されない限り、幼生がその物体に一生固着し続けるという習性を利用している。
【0046】
放置工程の継続期間、つまり幼生が付着するまで浸漬しておく期間としては、作業者の経験及び海中の環境等に基づいて決定することができ、例えば採苗開始から10〜30日程度である。
【0047】
カキの幼生が流動する方向、海流、及び海中に存在する障害物等を考慮して、図1及び図3〜6に示したような板材の配置を適宜に決定することができる。
【0048】
なお、前記放置工程には、板材の向きを変更する板材転向工程が含まれていても良い。通常、海面に対して平行に板材を設置している場合、海底側の板材表面に付着する稚貝の数に比べて、海面側の板材表面に付着する稚貝の数が多い。板材転向工程で板材の向きを変更することにより、それまで付着した板材の表面にまで充分数のカキの幼生を付着させることができるので好ましい。例えば、図1に示した採苗器1のように全ての板材2が海面に平行であり、板材2の連続方向が海面に垂直な場合は、板材2の天地を逆転することによって、板材転向工程の完了とすることができる。結果として、採苗器が設置される海域の環境に合わせた採苗が可能となるので、高い採苗効率を実現することができる。
【0049】
更に言うと、前記板材転向工程を放置工程内に組み入れたとしても、この発明に係る採苗器は従来の採苗器に比べると軽量であるので、作業者の負担が小さくて済む。
【0050】
もっとも、板材転向工程を経ることなく所望の数のカキの幼生が板材に付着するのであれば、板材転向工程は必須では無い。
【0051】
続いて、カキの幼生を前記板材に付着させた状態で、稚貝に成長するまで待つ待機工程を行う。板材に付着した幼生は、経時的に形態を変化させ、数週間後には殻を有する稚貝と成る。待機工程は、基本的には、カキの幼生が付着した板材を、放置工程に引き続き海水中に浸漬した状態を維持すれば良い。
【0052】
なお、前記待機工程においては、「抑制」と称される操作を行っても良い。
【0053】
「抑制」なる操作は、次の様な操作を含んでいる。先ず、前記放置工程で付着したカキの幼生に加えて、待機工程中に幼生が板材に後発的に付着することによって、幼生が過密状態とならないように、この発明に係る採苗器を幼生の少ない場所に移動して設置する。更に、その採苗器の設置態様としては、例えば満潮時には採苗器全体が海中に埋没し、かつ干潮時には全ての板材が大気に露出するように設置する態様が好ましい。例えば、宮城県松島湾では干満の差が1mであるので、採苗器の全長が70〜80cmとなるように板材及び連結部材の配置等を調節し、最深部に配置される板材が海面から1m以内に設置されていれば良い。
【0054】
「抑制」操作を採用することによって、干潮時には板材に付着した稚貝が大気に露出することになり、生命力の弱い稚貝は淘汰されることとなる。結果として、生命力の強い稚貝が残るので、板材から分離する際の稚貝の生残率が向上し、更に病気に強い丈夫な成貝として成長することができるようになるので好ましい。
【0055】
この発明に係る採苗方法において、特に待機工程においては、採苗器の設置場所として、水深が深く、潮通りが良好であり、波が静かであり、海底の泥が巻き上がらない場所が好ましい。このような環境の設置場所であると、カキの稚貝の成長が良好になる。
【0056】
待機工程の継続期間、つまり稚貝がある程度成長することによって、板材からの分離、及びその後の他の養殖場への移動等に耐え得るようになるまでの期間としては、作業者の経験、海中の環境及びカキの成長速度等に基づいて決定することができ、例えば20〜700日程度、採苗開始から40〜100日程度である。
【0057】
次いで、稚貝を板材から分離する分離工程を行う。分離に要する操作は、この発明に係る採苗器の板材を変形させて湾曲部を形成するだけで良い。板材の湾曲部の形成方法としては、板材の両端部を固定して両端部において板材の表面に直交する方向に同一方向に力を加えて湾曲部を形成する方法、板材の両端部を固定して捻ることで湾曲部を形成する方法等を挙げることができる。このように板材を変形させることにより、稚貝の付着していた板材が湾曲部を形成し、その表面形状が変化するので、稚貝が分離する。従来の採苗器で用いられる帆立貝に対する稚貝の付着力に比べると、この発明に係る採苗器の板材に対する稚貝の付着力は小さい。よって、板材の変形により、稚貝は容易に板材から分離する。なお、板材の変形は、板材の両端部を作業者が把持することによって行っても良いし、機材で固定することによって行っても良い。
【0058】
この発明に係る採苗器における板材は、前述したように特定の湾曲部が形成されるように変形可能であれば良く、板材の変形操作だけで稚貝を分離可能であるので必要以上に稚貝に損傷を与えることがない。また、板材は弾性変形するのが好ましく、板材が弾性変形すると、元の板材に近い状態で板材を再利用することができる。
【0059】
従来の採苗器の板材として用いられる帆立貝では、帆立貝から稚貝を分離する際に、帆立貝を破壊することが多かったので、稚貝の殻が十分に大きくならないと、分離に際して稚貝の殻に損傷を与える可能性が高かった。しかも、従来は採苗開始から1年弱という長期間に亘って帆立貝に付着したままで大きく育った稚貝でさえも、帆立貝から分離する段階で半数は殻に損傷を受けて死んでしまっていた。大きく成長していたにも拘らず分離操作によって半数の稚貝が死んでいた従来の方法に比べると、採苗開始から50日〜100日程度の比較的短期間で、高い生残率を以って稚貝を分離することができる意義は大きい。
【0060】
この発明に係るカキの採苗方法は、従来に比べると早い時期に稚貝が板材から分離されて出荷可能となることによって、殻付きのカキとしての養殖態様、すなわち様々な養殖場所で、様々な大きさ及び姿になるようにコントロールし易いので、好ましい。また、殻付きのカキを各養殖業者が自由にコントロールして養殖可能であることは、養殖業者独自の様々なカキを市場に流通させることができるようになるので、生産者の顔が見えるという需要者からの要求をも満足し易くなる。
【0061】
なお、従来の採苗器の板材として用いられる帆立貝は、通常200cm程度の面積であり、一枚当り20〜40個程度の稚貝が付着する。しかも稚貝の分離によって半数が死んでしまう。例えばこの発明に係る採苗器の板材の面積が100〜1000cmである場合は、少なくとも100個程度の稚貝が付着することになり、稚貝を分離する際に稚貝に損傷を与えることが少ないので、稚貝の収率が向上する。
【0062】
また、従来は分離操作として帆立貝を破壊して稚貝を分離し、それでも分離できない稚貝は一つ一つ手作業で分離していた。これに対して、この発明に係る採苗方法は、分離に際して、採苗器の板材を変形させて湾曲部を形成するという操作を行えば良いので、従来に比べて短時間で分離工程を完了することができる。換言すると、この発明に係る採苗方法は、従来に比べて分離作業時間を短縮することができる。
【0063】
従来は、幼生を採苗して稚貝に成長させるまでの採苗業者から、成貝になるまで養殖する養殖業者へと稚貝を引き渡すときには、仮に帆立貝から稚貝を分離すると半数の稚貝が死んでいたので、採苗器全体、つまり稚貝が付着した帆立貝ごと引き渡さざるを得なかった。これに対して、この発明に係る採苗方法は、分離操作が容易であり、更に従来に比べて高い生残率を実現することができるので、採苗業者から養殖業者へと引き渡すときに、板材から分離済みの稚貝のみを引き渡すことができるようになる。これにより、引渡しが完了するまでに帆立貝から稚貝が外れないように注意を払う必要があった従来に比べると、この発明に係る採苗方法で得られる稚貝は、引渡し完了まで稚貝の生存環境のみに注意を払えば済むようになったので、稚貝の取扱いが容易になったと言える。
【0064】
更に、稚貝の引渡しには通常輸送が必要となるが、従来は採苗器全体を積載することが必須であったのに対して、この発明に係る養殖方法においては小さい稚貝を輸送するだけで良いので、輸送量の大幅な低減を図ることもできる。
【0065】
分離工程が完了した採苗器は、板材が再利用可能であるので、この発明に係る採苗方法に再度供することができる。
【実施例】
【0066】
この発明に係る採苗器の一実施態様を用いて、この発明に係る採苗方法に基づいて稚貝の生育及び分離を行った。なお、実験を行った海域は、厳重に管理された海域、具体的には部外者は侵入を禁止されており、近くを船舶等で航行しても外部から実験の状況を視認不能にした海域である。
【0067】
(軽量化)
厚さ0.4mmで、400cmの面積と成るように加工されて成るステンレス鋼製又はチタン製の板材を20枚使用した採苗器は、質量が2.5〜3.5kgであった。なお、200cm程度の面積の帆立貝を70枚連結した従来の採苗器は、質量が約4.5kgであった。したがって、この発明に係る採苗器は従来の採苗器に比べて軽量化を図ることができた。
【0068】
(幼生付着数)
20cm×20cmの大きさのステンレス製、及びチタン製の金属板材を海水中に浸漬しておき、採苗開始から41日後に板材10枚に付着していた稚貝の数を数えると、一枚当たり平均300個の稚貝が付着していた。
なお、従来の採苗器で板材として多く用いられている帆立貝は、大きさが通常200cm程度であり、付着する稚貝の数は約20〜40個程度である。
【0069】
よって、板材一枚当りの稚貝の付着数を比較すると、この発明に係る採苗器で用いる金属製の板材は、従来の帆立貝に比べて7.5〜15倍の稚貝が付着したことになり、単位面積当りで比較しても、金属製の板材は帆立貝に比べて4〜8倍の稚貝が付着したことになる。
【0070】
(最適条件)
この発明に係る採苗方法の浸漬工程から待機工程が完了するまでの期間は、50〜80日が、稚貝の付着している数、稚貝の大きさ、及び生残率の全てが最適であった。なお、従来の板材として帆立貝を用いる採苗器の場合、通常8ヶ月〜1年程度は帆立貝に稚貝を付着させたままにしている。この発明に係る採苗方法は、従来の採苗方法に比べて、採苗を開始してから稚貝を得るまでの期間が明らかに短い。
【0071】
この発明に係る採苗器は再利用可能であるので、従来の採苗器で稚貝を一回得るまでに、この発明に係る採苗方法の複数回に亘る実施が可能である。したがって、この発明に係る採苗方法は、従来に比べてカキの稚貝の収率が高かった。
【0072】
(分離作業)
ステンレス鋼から成る厚さ0.4mmの板材の端縁部を作業者が把持して捻る操作をすることによって、板材と付着した稚貝とを分離した。板材一枚当りの分離完了までの作業時間は約3分であった。更に、分離に際して殻に損傷を与えて死んでしまった稚貝の数は、全体の10%以下であった。
【0073】
従来の板材として用いられている帆立貝から稚貝を分離する作業は、ステンレス鋼製の板材に比べて3倍の時間を要した。更に、稚貝の帆立貝からの分離に際して殻に損傷を与えて死んだ稚貝の数は、全体の50%以上であった。
【0074】
(再利用)
チタン製の板材を4年間繰り返し使用しても腐食などを生じなかった。
【符号の説明】
【0075】
1 採苗器
2、21 板材
3 連結部材
4 貫通孔
5 板材固定具

【特許請求の範囲】
【請求項1】
複数枚の板材と、前記板材同士を連結する連結部材とを備え、
前記板材は、チタン、チタン合金、又はステンレス鋼により形成され、かつ稜線を有する湾曲部を形成するように変形可能であり、
前記板材を変形させて前記湾曲部を形成した状態で、前記稜線に直交する平面で前記板材を切断したとき、その切断面に前記稜線に対応する頂点と前記湾曲部の輪郭線があり、前記輪郭線のうち前記頂点を含む外周線における2つの端点のうち、前記頂点からの距離が長い方の端点Aにおける前記外周線の接線を直線Q、前記頂点における前記外周線の接線に平行な直線であって前記端点Aを通る直線を基準線Sとすると、前記直線Qと前記基準線Sとのなす角が少なくとも20°であることを特徴とするカキの採苗器。
【請求項2】
前記板材はチタン又はチタン合金により形成されることを特徴とする請求項1に記載の採苗器。
【請求項3】
前記板材が矩形状を成すと共に、貫通孔を有し、
前記連結部材がワイヤ部材であり、
前記板材の前記貫通孔に前記連結部材を挿通して成る請求項1又は2に記載の採苗器。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれか1項に記載の採苗器を海水中に浸漬する浸漬工程、
カキの幼生が海水中に浸漬された前記板材に付着するまで前記採苗器を放置する放置工程、
前記カキの幼生を前記板材に付着させた状態で、稚貝に成長するまで待つ待機工程、及び、
幼生から稚貝に成長したカキが付着する前記板材を、変形させることにより、前記板材とカキの稚貝とを分離する分離工程を備えることを特徴とするカキの採苗方法。
【請求項5】
前記放置工程が、前記板材の向きを変更する板材転向工程を含む請求項4に記載のカキの採苗方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【公開番号】特開2013−63023(P2013−63023A)
【公開日】平成25年4月11日(2013.4.11)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−202294(P2011−202294)
【出願日】平成23年9月15日(2011.9.15)
【出願人】(510180865)株式会社NuSAC (3)
【復代理人】
【識別番号】100150980
【弁理士】
【氏名又は名称】高橋 眞理
【Fターム(参考)】