説明

分子の選択的励起方法およびこれを用いた同位体分離方法、同位体分析方法、分子の選択的励起装置、同位体分離装置

【課題】質量差がわずかである複数種の分子中においても、特定種の分子に対して選択的励起を行う。
【解決手段】励起エネルギーを横軸にして各エネルギー準位(回転準位)を表示することができる。図2中の斜線部で示されるような、分子Xの回転準位に対する励起エネルギーに同調し、P1〜P14で示された狭い複数の帯域をもつ櫛形スペクトルの電磁波をこの分子Xに照射した場合を考える。この櫛形スペクトルをもつ電磁波を用いることによって、分子Xを順次高いエネルギーの準位へ遷移させることが可能である。一方、分子Yのエネルギー準位は、この櫛形スペクトルとは同期しない。ゲートはY4〜Y7、Y12〜Y15の2つの領域であり、分子Yにおいては、このゲートを挟んだ回転準位間の遷移は不可能である。従って、例えばY1→Y15への遷移も不可能である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、電磁波を用いて特定種の分子を選択的に励起する方法、及びこの方法を用いて同位体を分離する方法、同位体を分析する方法に関する。また、分子の選択的励起装置、同位体分離装置に関する。
【背景技術】
【0002】
ある元素の異なる同位体においては、化学的性質はほぼ同様であり、質量のわずかな差が存在する。従って、これらの中から特定の同位体を分離するに際して、通常の化学分離は極めて困難であり、特殊な技術が要求される。その一つとして、試料に対して特定の処理を行うことによって、ある特定の同位体を含む特定種の分子を選択的に励起し、この処理後の分子の状態の違いを利用するという技術がある。例えば、この処理後の試料に対して電離用のレーザー光を照射すれば、励起された分子のみからイオン化した原子が分離するため、これを電気的な方法で容易に分離することができる。この場合には、多数種の分子が混在している中から、特定種の分子のみを選択的に励起する選択的励起を行う技術が重要となる。
【0003】
この一つとして、異なる同位体を含む分子間の質量のわずかな差に起因した分子振動状態のエネルギー差(同位体シフト)を利用するものがある。この方法においては、この同位体シフトよりも充分に狭い発振帯域をもったレーザー光を試料に照射することによって、ある特定の同位体を含む分子のみを選択的に励起する。分子の吸収スペクトルが広い場合、この場合の選択的励起は困難であるため、分子を極低温に冷却してこの吸収スペクトルの広がりを抑える技術が、特許文献1に記載されている。
【0004】
その他にも、この同位体シフトを用いて、特定の同位体を含む特定種の分子の選択的励起を効率よく行う各種の方法が提案されている。例えば、特許文献2には、レーザー光の波長をスイープすることにより、この励起効率を高くする技術が記載されている。また、特許文献3には、異なる波長のレーザー光を複数用い、これらの吸収タイミングを調整することにより、多光子吸収を利用して特にこの励起の効率を高める技術が記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2000−180241号公報
【特許文献2】特開平6−134262号公報
【特許文献3】特開平7−24262号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
特許文献1に記載の技術では、吸収スペクトルの広がりが抑えられることによって選択的励起の効率自身は向上するものの、試料を極低温まで冷却することが必要であるため、処理工程が複雑となり、実際の処理速度の向上は見込めない。一方、特許文献2、3の技術においては、吸収スペクトルの広がりによる選択的励起の効率低下が避けられない。
【0007】
また、実際の物質中における分子の回転状態を規定する回転量子数Jは様々であり、一般に分子は熱分布しているため、試料中の分子のJはある分布をもつ。このうち、Jの遷移はΔJ=±1の範囲でしか起こらず、この遷移に要するエネルギーは、Jによって異なる。従って、ある単一の波長(エネルギー)のレーザー光を用いた場合には、ある特定のJをもつ分子しか励起することができない。特に、分子(原子)の質量が大きいほど、分子の振動数は小さくなり、そのエネルギー準位の密度が高くなる。例えば、ヨウ化セシウム(CsI)分子においては、温度が1000Kの場合には500以上の回転量子数、及び20以上の振動量子数が有意に認められ、分布している。従って、ある単一波長のレーザー光を用いる場合には、500×20=10000程度の量子状態のうちのたった一つの量子状態しか励起することができず、励起の効率は極めて低かった。あるいは、予め対象となる物質中の分子の状態(Jの分布)を調べておき、これに応じてレーザー光の波長を設定しなければ高い効率で励起をすることができなかった。
【0008】
従って、質量差がわずかである複数種の分子中において、特定種の分子に対して選択的励起を行うことは困難であった。
【0009】
本発明は、かかる問題点に鑑みてなされたものであり、上記問題点を解決する発明を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明は、上記課題を解決すべく、以下に掲げる構成とした。
本発明の分子の選択的励起方法は、励起光を気体に照射し、当該気体中における特定種の分子を選択的に励起する、分子の選択的励起方法であって、前記特定種の分子及び前記気体中における前記特定種以外の分子それぞれにおける複数の回転準位に対応した複数の励起エネルギーが含まれるように予め設定されたエネルギー範囲内において、前記励起光のスペクトルを、複数の帯域からなる櫛形スペクトルとし、前記エネルギー範囲内に存在する前記特定種の分子の全ての励起エネルギーは前記複数の帯域に含まれるが、前記エネルギー範囲内に存在する前記特定種以外の分子の励起エネルギーには前記複数の帯域に含まれないものがあるように、前記複数の帯域を設定する、ことを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起方法は、前記特定種の分子の振動量子数毎に前記励起光を作成し、前記振動量子数毎の前記励起光を前記気体に照射することを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起方法は、前記複数の帯域において、隣接する前記帯域の中心エネルギーの間隔は、前記特定種の分子において隣接する前記励起エネルギーの差分と等しくされたことを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起方法において、前記励起光は、前記特定種の分子の回転準位における、1つおきの回転量子数に対応した複数の回転準位の励起エネルギーに同期した複数の帯域をもつ櫛形スペクトルをもち、互いに同位相である4つのパルス光を含む第1のパルス列と、前記1つおきの回転量子数に対応した複数の回転準位に隣接する回転準位に同期した複数の帯域をもつ櫛形スペクトルをもち、順次逆位相となる4つのパルス光を含む第2のパルス列とが、順次出力される構成を具備することを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起方法は、光源から発せられた単一のパルスを半透鏡を用いて分岐し、複数の干渉計を用いて遅延させた後に合成することによってパルス列を生成し、当該パルス列が反射される際の位相の反転を利用し、前記パルス列から前記第1のパルス列と前記第2のパルス列とを生成し、前記第2のパルス列を前記第1のパルス列から遅延させて合成することによって、前記励起光を生成することを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起方法は、前記励起光を形成する光学系の光路中に、分散特性をもつ光学材料からなるチャープ調整部を挿入し、前記櫛形スペクトルにおける複数の帯域の間隔を調整することを特徴とする。
本発明の同位体分離方法は、複数種の同位体をそれぞれ含む複数種の分子を含む気体から特定の同位体を分離する、同位体分離方法であって、前記特定の同位体を含む分子を前記特定種の分子として前記分子の選択的励起方法を実行することによって、前記特定の同位体を含む分子を選択的に励起し、前記特定の同位体を含む分子を電離又は分解する処理を行うことによって前記特定の同位体を分離することを特徴とする。
本発明の同位体分析方法は、複数種の同位体をそれぞれ含む複数種の分子を含む気体における特定の同位体成分を分析する同位体分析方法であって、前記特定の同位体を含む分子を前記特定種の分子として前記分子の選択的励起方法を実行することによって、前記特定の同位体を含む分子を選択的に励起し、前記特定の同位体を含む分子を電離又は分解する処理を行い、前記特定の同位体を検出することを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起装置は、励起光を気体に照射し、前記気体中における特定種の分子を選択的に励起する、分子の選択的励起装置であって、前記特定種の分子及び前記気体中における前記特定種以外の分子それぞれにおける複数の回転準位に対応した複数の励起エネルギーが含まれるように予め設定されたエネルギー範囲内において、複数の帯域からなる櫛形スペクトルをもち、前記エネルギー範囲内に存在する前記特定種の分子の全ての励起エネルギーは前記複数の帯域に含まれるが、前記エネルギー範囲内に存在する前記特定種以外の分子の励起エネルギーには前記複数の帯域に含まれないものがあるように、前記複数の帯域が設定された励起光を生成する励起光生成部と、前記気体が含まれる試料セル中に前記励起光を照射させる照射部と、を具備することを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起装置において、前記励起光生成部は、前記特定種の分子の振動量子数毎に前記励起光を作成し、前記照射部は、前記振動量子数毎の前記励起光を前記試料セル中に照射することを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起装置は、前記複数の帯域において、隣接する前記帯域の中心エネルギーの間隔は、前記特定種の分子において隣接する前記励起エネルギーの差分と等しいことを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起装置において、前記励起光は、前記特定種の分子の回転準位における、1つおきの回転量子数に対応した複数の回転準位の励起エネルギーに同期した複数の帯域をもつ櫛形スペクトルをもち、互いに同位相である4つのパルス光を含む第1のパルス列と、前記1つおきの回転量子数に対応した複数の回転準位に隣接する複数の回転準位に同期した帯域をもつ櫛形スペクトルをもち、順次逆位相となる4つのパルス光を含む第2のパルス列とが、順次出力される構成を具備することを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起装置は、前記励起光生成部中に、分散特性をもつ光学材料からなり、前記櫛形スペクトルにおける帯域の間隔を調整するチャープ調整部が挿入されたことを特徴とする。
本発明の分子の選択的励起装置は、前記照射部において、前記試料セルを含んだ光路が共振器を形成するように構成され、前記光路中に光増幅媒質が挿入されたことを特徴とする。
本発明の同位体分離装置は、複数種の同位体をそれぞれ含む複数種の分子を含む気体から特定の同位体を分離する、同位体分離装置であって、前記特定の同位体を含む分子を前記特定種の分子とした、前記分子の選択的励起装置を具備することを特徴とする。
【発明の効果】
【0011】
本発明は以上のように構成されているので、質量差がわずかである複数種類の分子中においても、特定の分子に対して選択的励起を行うことができる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】一般的な分子の回転準位について模式的に示した図である。
【図2】本発明の実施の形態における分子の選択的励起方法の原理を説明する図である。
【図3】励起光照射後の分子の占有密度分布の変化の一例を示す図である。
【図4】分子Xの占有密度分布(a)、これに対応した第1のパルス列の構成(b)、第2のパルス列の構成(c)、1回の8連パルス照射後の状態密度分布(d)である。
【図5】πパルスバーストの照射に伴う占有密度分布の変化の一例を示す図である。
【図6】πパルスバースト照射に伴う占有密度の変化を、回転定数Bをもつ分子Xの場合(a)と、回転定数0.98Bをもつ分子Yの場合(b)でシミュレーションした結果である。
【図7】本発明の実施の形態となる、分子の選択的励起装置の構成を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0013】
以下、本発明の実施の形態に係る分子の選択的励起方法について説明する。この選択的励起方法においては、気体(試料)中の分子に対して、櫛形スペクトルをもったレーザー光(励起光)を照射することによって、ある特定種の分子における回転準位間の遷移を発生させ、これを励起する。この選択的励起方法の一般的原理、この選択的励起方法における励起効率を更に高める方法、この選択的励起方法を実施する装置の構成、について順次説明する。
【0014】
(一般的原理)
図1は、気体中の分子における回転準位の一例を模式的に示す一例であり、上方向に向かってエネルギーが高くなるように記載されている。各回転準位は回転量子数Jで規定され、例えば2原子分子では、分子の回転定数B(=(h/2π)/(2I):ここで、hはプランク定数、Iは分子の慣性モーメント)を用いると、そのエネルギーEは、E=0(J=0)、2B(J=1)、6B(J=2)、12B(J=3)・・・となる。これに応じて各回転準位間の遷移エネルギー(励起エネルギー)は、2B(J=1→2)、4B(J=2→3)、6B(J=3→4)・・・となり、これは遷移前のJの値に比例する。これは2原子分子以外の分子の場合においても同様である。ここで、回転準位間の遷移は、選択律により、Jの変化がΔJ=±1の範囲でのみ起こるため、各回転準位に対しては上記の励起エネルギーが各々1つずつ対応している。また、実際には分子の状態は回転量子数Jだけでは規定されず、振動量子数vによっても規定されるが、図1の状態は、振動量子数毎に成立している。
【0015】
そこで、この励起エネルギーを横軸にして各エネルギー準位(回転準位)を表示することができる。図2における上のダイヤグラムは、この方法で単純化して表示した分子Xのエネルギー準位X1〜X14を示し、下のダイヤグラムは、これと異なる分子Yのエネルギー準位Y1〜Y16を示す。ここで、各分子のエネルギー準位は黒色で示してあり、横軸は、励起エネルギーに対応する電磁波の振動数(遷移周波数)νとしているが、横軸をJ、あるいはエネルギーとした場合でも同様である。従って、以下の記載ではエネルギーと振動数とを便宜上同等に扱い、例えば励起エネルギーに対応した電磁波の振動数に対しても便宜上「励起エネルギー」という記載を用いるものとする。このダイヤグラムにおいては、ここで示された振動数範囲(エネルギー範囲)中に、分子Xの回転準位X1〜X14、分子Yの回転準位Y1〜Y16の励起エネルギーが含まれることが示されている。ここでは、隣接する各準位間は等間隔で表示され、その間隔(以下では回転コムと呼称)は、振動数で表示すると4πBc(ここでcは光速である)となる。すなわち、隣接する回転準位間における励起エネルギーの差分は一定であり、これが回転コムである。回転コムは、エネルギーで表示することも振動数で表示することもできる。この値は回転定数Bに依存するため、分子Xと分子Yの慣性モーメントIが異なる場合には、回転コムも異なる。ここで、例えば分子Xを構成する原子と分子Yを構成する原子が同一元素の異なる同位体である場合には、これらの質量はわずかに異なるため、慣性モーメントIは異なり、回転コムも異なる。従って、分子Xと分子Yを、それぞれ異なる同位体から構成される分子とした場合、これらの回転準位の関係は、図2に示すとおりとなる。前記の通り、この関係は、各振動量子数v毎に成立している。
【0016】
また、実際の物質中に存在する分子のエネルギー準位は熱分布をするため、分子X、Yのエネルギーは図2に示された範囲内では準位X1〜X14、Y1〜Y16においてある占有密度をもつ。
【0017】
ここで、図2中の斜線部で示されるような、分子Xの各回転準位に対する励起エネルギーに同調した、P1〜P14で示された狭い複数の帯域をもつ櫛形スペクトルの電磁波(励起光)をこの分子Xに照射した場合を考える。ここで、この櫛形スペクトルが分子Xの各回転準位に対する励起エネルギーに同調するとは、分子Xにおける連続した複数の回転準位の励起エネルギーと櫛形スペクトルにおける各帯域が重複し、かつ隣接する帯域の中心エネルギー(中心振動数)間の間隔が一定であり回転コムと等しいことを意味する。この場合には、図2に示されるように、X1〜X14の準位は、それぞれP1〜P14の帯域の中に含まれる。この電磁波エネルギーを吸収することによって、分子Xは異なるエネルギー準位に遷移する。ただし、前記の通り、回転準位間の遷移は、回転量子数をJとした場合には、ΔJ=±1の範囲でのみ起こる。従って、例えばX2の状態から遷移できるのはX1とX3の状態に限定され、X3に励起するために必要な電磁波の帯域はP3であるため、この電磁波を吸収してX3への遷移が起こる。X3に励起された場合には、この状態からX2とX4の状態に遷移できるため、帯域P4の電磁波によってX4に遷移する。同様に、X4から順次X5以降への遷移も可能である。
【0018】
すなわち、この状態では、1回の吸収では隣り合う準位にしか遷移は起こらないものの、エネルギー準位X1〜X14に同調した櫛形スペクトルをもつ電磁波を用いることによって、分子Xを順次高いエネルギーの準位へ遷移させることが可能である。従って、この吸収過程を繰り返すことにより、X1→X14への遷移も可能である。同様に、X2→X14、X3→X14等、初期状態がどの準位であっても、こうした櫛形スペクトルをもつ電磁波を用いれば、分子Xを1つ以上上にある準位に遷移させることができる。図1では一部の準位しか記載していないが、実際には、この電磁波の最大周波数をΩとした場合には、最大回転量子数Jmax=Ω/(4πcB)まで励起することが可能である。ここで、Bは分子Xの回転定数である。
【0019】
一方、図2に示されるように、分子Yのエネルギー準位は、回転コムが分子Xとは異なるため、この櫛形スペクトルとは同調しない。このため、Y1〜Y3、Y8〜Y11、Y16の準位はそれぞれP1〜P3、P7〜P10、P14と重複する部分がある一方で、Y4〜Y7、Y12〜Y15の準位が重なる電磁波の帯域は存在しない。この電磁波を分子Yに照射した場合には、Y1→Y2、Y2→Y3の遷移は可能であるため、Y1→Y3の遷移が可能である。しかしながら、Y3→Y4の遷移が不可能となり、同様に、Y4→Y5、Y5→Y6、Y6→Y7の遷移も不可能である。従って、Y1の準位にあった分子YをY4以上に励起することは不可能である。同様に、Y8→Y11までの遷移は可能であるが、これをY12以上に励起することはできない。以下では、こうした遷移が不可能な領域をゲートと呼称する。すなわち、図2においては、ゲートはY4〜Y7、Y12〜Y15の2つの領域であり、分子Yにおいては、このゲートを挟んだ回転準位間の遷移は不可能である。従って、例えばY1→Y15への遷移も不可能である。図2では全体の一部分しか示されていないが、実際にはゲートは周波数νを横軸とした場合には周期的に現れ、その中心周波数は、以下の式で表される。
【0020】
【数1】

【0021】
従って、ω(J)を、回転量子数Jにおける遷移周波数とし、回転量子数がJである分子XをX(J)等と表した場合には、以下の関係式が成立する。すなわち、実際の物質中では分子X、Y共にその状態(J)は熱分布しているが、上記の櫛形スペクトルをもつ電磁波を照射した場合には、分子XはJmaxの状態まで励起される。これに対して、分子Yについては、あるゲート周波数g(k)よりも低い遷移周波数をもつ状態は、このゲート周波数よりも高い遷移周波数をもつ状態へ遷移することができない。
【0022】
【数2】

【数3】

【0023】
分子Xと分子Yとの違いが、これを構成する元素の同位体の違いのみの場合であっても、このわずかな質量差に応じた回転定数(回転コム)の違いが生ずる。従って、分子Xの回転コムに適合した櫛形スペクトルの電磁波を用いた場合には、分子XをJmaxまで励起させることができるのに対して、分子Yに対してはゲートが生じ、分子YをJmaxまで励起することはできない。櫛形スペクトルにおける最低振動数と最高振動数を適宜選択し、この範囲を充分広くすることによって、分子Yに対してはゲートが生ずる条件が設定できることは明らかである。
【0024】
従って、上記の原理を用いて、分子Xを選択的に励起することが可能である。この際、実際の物質中では、電磁波の照射前(初期状態)において、準位X1〜X14には熱分布で規定される占有密度で分子Xが分布している。この際、ある一つの分子Xの状態がX1〜X14のどこにあっても、図2に示された櫛形スペクトルをもった電磁波によって、これを励起することが可能である。すなわち、初期状態に関わらず、上記の櫛形スペクトルをもつ電磁波を用いることにより、分子Xの選択的励起を行うことができる。この際、分子の質量が異なればゲートを生ずる条件となる櫛形スペクトルを設定することが可能であるため、質量差がわずかである複数種類の分子中においても、特定の分子に対して選択的励起を行うことが可能である。
【0025】
また、前記の通り、この櫛形スペクトルをもつ電磁波は、振動量子数v毎に作成することが好ましい。この場合、これを同時、あるいは順次照射することによって、全ての振動量子数vの状態である分子Xに対して、選択的励起をすることができる。
【0026】
試料中のある特定種の分子が選択的に励起された後には、例えば、この試料に対して電離用のレーザー光を照射することにより、励起された分子のみからイオン化した原子を得ることができる。例えば電圧が印加された電極間にこの処理後の試料ガスを導入すれば、電気的にこのイオン化した原子を分離することは容易である。従って、この選択的励起方法を用いて、同位体の分離を行うことができる。あるいは、こうして分離された同位体が検出されれば、試料にはこの同位体が含まれていたことがわかる。すなわち、この選択的励起方法を用いて、試料中に含まれる同位体の分析を行うこともできる。同様に、励起された分子のみを分解することは、励起された分子の回転準位を分解が起こるまでさらに励起する電磁波を照射する方法によっても実現できる。分解によって異なる化学種となった分解生成物を例えば選択的に吸着あるいは凝集させることにより分解生成物を分離することは容易である。
【0027】
なお、回転準位間の遷移はΔJ=+1の状態に対してのみ起こるのではなく、ΔJ=−1の状態へも起きるため、実際の物質中での遷移はランダムウォーク的になり、エネルギーが低い側への遷移も生ずる。従って、例えば図3(a)に示すJに対する占有密度分布をもつ分子Xに対して前記の櫛形スペクトルをもった電磁波を照射した場合には、図3(b)に示すように、Jの大きな方向(エネルギーの高い準位の方向)だけでなく、Jの小さな方向(エネルギーの低い準位の方向)にも広がる。こうした場合であっても、分子Yに対しては、前記の通り、ゲートに対応するJの範囲を超えてこのスペクトルが広がることはない。従って、分子Xと分子Yの慣性モーメントの差(質量の差)が小さくとも、分子Xを選択的に励起することができることは明らかである。すなわち、質量差がわずかである複数種類の分子中において、特定の分子に対して選択的励起を行うことができる。従って、異なる同位体を含む複数種類の分子が存在する場合においても、ある特定の同位体を含む分子のみを選択的に励起することができる。
【0028】
上記の例では、図2におけるX1に対応するJをJminとすると、Jmin〜Jmaxで規定されるエネルギー範囲において、櫛形スペクトルにおける複数の帯域(P1〜P14)を、分子Xの各回転準位に対する励起エネルギー(X1〜X14で表示)に同調させている。すなわち、このエネルギー範囲における分子Xの全ての励起エネルギーは、この複数の帯域に含まれる。この場合、このエネルギー範囲内に存在する他の分子(分子Y)の各回転準位に対する励起エネルギー(Y1〜Y16で表示)中には、この複数の帯域に含まれないもの(ゲート:Y4〜Y7、Y12〜Y16)が出てくる。こうした設定は、複数の帯域間の間隔を分子Xの回転コムと等しくすることによって実現される。Jmin、Jmaxは、分子X、Yの種類(回転準位)に応じて適宜設定することが可能である。
【0029】
また、上記の例における、櫛形スペクトルにおいて隣接する帯域の中心エネルギー(中心振動数)の間隔が等間隔である(この間隔が分子Xの回転カムである)という条件は、図2の記載から明らかなように、櫛形スペクトル中の各帯域の幅が無視できる程度に狭い場合には厳密に成立する必要がある。しかしながら、実際にはこれらの帯域には幅があるため、この値は厳密に等間隔である必要はない。この値が厳密に等間隔ではない場合においても、分子Xに対してはゲートを生じず、他の分子に対してはゲートを生ずるという上記の効果を奏する範囲内で、この間隔は実質的に等間隔であり、その間隔は回転コムと等しいと考えることができる。また、後述するように、分子の歪みの影響により、回転準位間の励起エネルギーの差分が一定値(=回転コム)からわずかにずれる場合もあり、これに対応して櫛形スペクトルにおいて隣接する帯域の中心エネルギーの間隔を微調整する場合もある。こうした場合においても、同様である。
【0030】
更に、櫛形スペクトルにおける複数の帯域を図2のダイヤグラム中で分子Xの回転準位と1対1で対応させて設ける、すなわち、隣接する帯域の中心エネルギー(中心振動数)の間隔を等間隔とする必要はない。例えば、図2において、ゲートに含まれない領域内の帯域(P1〜P3、P7〜P10)をそれぞれ連結した幅広のパルスに置換した場合は、この間隔は等間隔とはならないが、同様の効果を奏することは明らかである。すなわち、櫛形スペクトルにおける複数の帯域は、上記の構成以外にも適宜設定できる。この場合、対象とするエネルギー範囲(Jmin〜Jmaxに対応)は、特定種の分子(分子X:励起すべき分子)及び特定種以外の分子(分子Y:励起しない分子)のそれぞれにおける複数の回転準位に対応した複数の励起エネルギーが含まれるように予め設定される。櫛形スペクトルは、このエネルギー範囲内において複数の帯域をもつように設定される。この場合、このエネルギー範囲内に存在する分子Xの全ての励起エネルギーはこの複数の帯域に含まれ、このエネルギー範囲内に存在する分子Yの励起エネルギーにはこの複数の帯域に含まれないものがあるように、この複数の帯域を設定すればよい。ただし、後述するように、帯域の中心エネルギー(中心振動数)の間隔を等間隔に設定することは特に容易に実施でき、この場合の間隔は分子X(励起すべき特定種の分子)の回転コムとなる。なお、各帯域における光強度は、必ずしも均等である必要はない。
【0031】
(励起効率を更に高める方法)
以下では、上記の選択的励起方法において、櫛形スペクトルをもつ電磁波(励起光)を適正化することによって、励起効率を更に高める方法について説明する。この方法は、試料中の分子Xが各回転準位で分布をもつ一般的な場合に特に有効である。
【0032】
このためには、例えば以下に示す構成の電磁波を用いることができる。この例においては、励起に用いる電磁波を、パルスA(第1のパルス列)とパルスB(第2のパルス列)の組み合わせとする。図4(a)は分子Xの電磁波照射前の占有密度分布(横軸:J)を模式的に示す。ここでは、以下の説明のために、便宜上Jを一つおきに2種類(横線部と斜線部)に分けて記載している。図4(b)の左側はこれに対応したパルスAの櫛形スペクトル(横軸:振動数)、図4(b)の右側はパルスAの発振波形(横軸:時間)、図4(c)の左側はこれに対応したパルスBの櫛形スペクトル(横軸:振動数)、図4(c)の右側はパルスBの発振波形(横軸:時間)、をそれぞれ示す。
【0033】
パルスAとパルスBは共に櫛形のスペクトルをもつが、この櫛状帯域の間隔は、図2の例とは異なり、回転コムの2倍となっており、それぞれが一つおきのJに対応している。すなわち、パルスAは、図4(a)における横線部で示された箇所のJに対応した帯域をもち、パルスBは、図4(a)における斜線部で示された箇所のJに対応した帯域をもつ。すなわち、横線部はJが奇数の場合で斜線部はJが偶数の場合、あるいはこの逆の関係の場合となる。
【0034】
また、図4(b)(c)の右側に示されるように、パルスA、B共に、発振間隔がτである4連パルスとなっている。ただし、パルスA中の4つの出力は互いに同位相であるのに対し、パルスB中の4つの出力は順次逆位相となっている。こうしたパルスA、Bのスペクトルは、このパルスを生成する元の信号光(後述)のスペクトルをI(ω)として、以下の式で表すことができる。このパルスは、遅延時間がτ、位相遅れがδφとなる。
【0035】
【数4】

【数5】

【0036】
ここで、励起する分子の回転定数をBとし、τ=1/(4Bc)、δφ=0とすると、そのスペクトルのピークは、ω=4(2k)πBc(ただし、k=0、1、2・・・)になり、δφ=πとすると、ω=4(2k+1)πBcになる。この回転コム(振動数)は、4πBcとなるため、パルスAはδφ=0、パルスBはδφ=πの状態とすることができる。すなわち、パルスAとパルスBとは、(4)(5)式で表されるパルスにおける位相δφのみが異なる状態である。
【0037】
パルスBは、パルスAの照射からτ’だけ遅延して照射されるものとする。従って、実際には図4(b)右側に示されたパルスのτ’だけ後に図4(c)右側に示されたパルスが来る8連パルスとなる。ここで、パルスAは、図4(a)における横線部で示された領域の状態を一つ上の状態(ΔJ=+1)に励起するπパルスとなり、パルスBは、この励起された状態を更に一つ上(ΔJ=+2)に励起するπパルスとなるように設定される。すなわち、その位相、パルスエネルギーが、これらの励起を選択的に起こすように設定される。このパルスAとパルスBは異なるスペクトル(帯域)をもち、各々は一つおきのJに対応した帯域をもつ櫛形スペクトルをもつ。従って、パルスAとパルスBそれぞれにおける隣接する帯域は、図2に示した櫛形スペクトルとは異なり、励起する分子における連続した回転準位の励起エネルギーとはなっていない。しかしながら、これらが連続して照射されて8連パルスとなることによって、Jmin〜Jmaxまでの全てのJの値に対応する励起エネルギーを網羅する。従って、8連パルス全体のスペクトルとしては、図2と同様に、分子Xの各回転準位に対する励起エネルギーに同調している。
【0038】
図4(a)の占有密度分布をもつ分子Xにこの8連パルスを1回照射した後の状態分布が図4(d)である(以下ではこの8連パルスの1回の照射をπパルスバーストと呼称する)。これにより、横線部の領域全体は、Jが2つ上の領域に遷移するため、Jの値にして2つ分右側(Jの大きな側:エネルギーの高い側)に移動する。
【0039】
一方、斜線部の領域の状態は、これと異なり、上記の2つのπパルスには同調しておらず、この領域の準位と一つ上の準位との間のラビ振動の位相は横線部の領域と逆である。従って、この照射によって、斜線部の領域は、右側に移動することはできず、逆に左側(Jの小さな側:エネルギーの低い側)に移動する。すなわち、横線部とは逆の方向に移動する。
【0040】
従って、このπパルスバーストの照射を行う毎に、横線部の領域からなるグループはJの値にして2つずつ右側に移動し、斜線部の領域からなるグループは、2つずつ左側に移動する。この状態を模式的に示したのが図5である。図5(a)に示された初期状態から、図5(b)に示されるように、この分布は左右に2つのグループに分かれ、それぞれが右側と左側に移動する。どちらのグループに属するかは、初期のJが奇数であるか偶数であるかによって決まる。
【0041】
右側に移動したグループは、Jmaxにまで達した後は、別に用意するレーザー光などにより電離又は分解することができる。すなわち、このグループ内にあった分子は一様にJmaxにまで励起され、戻ってくることはない。一方、左側に移動したグループ内にあった分子の準位は、図5(c)に示されるように、パルスA、Bの発振帯域内に遷移振動数をもつ回転準位における最低のJをJminとすると、このJminまで移動する。しかしながら、Jminよりも下に移動することはできないため、Jminに達したところで、反射される。すなわち、以降のパルス照射により、右側に移動をする。従って、初めに右側に移動したグループと同様に、最終的にはJmaxにまで達する。すなわち、初めに右側に移動したグループ内にあった分子と同様に、最終的には一様にJmaxにまで励起される。
【0042】
この8連パルスをN(=Jmax−Jmin+1)回だけ対象物質に照射した場合、τ’=4τとした場合、このパルスの継続する時間(バースト継続時間)Δは、8τNとなる。この間に、初期状態でJminからJmaxまでの間に分布していた分子は、一度はJmaxの状態にまで励起される。Jmaxにまで励起された分子に対しては、τ以内の時間後に例えば電離用のレーザー光等を照射することによって、対象分子中の原子を分離することが可能である。
【0043】
従って、上記の構成の8連パルス、あるいはこのπパルスバーストを用いることにより、特に高い効率で分子の選択的励起をすることができる。このπパルスバーストにおいては、図2に示された櫛形スペクトルをもつ励起光を1回照射するのではなく、この櫛形スペクトルにおける一つおきの複数の帯域に対応した2種類の4連パルスを間隔をおいて照射する。これにより、より効率的な励起を実現している。
【0044】
なお、上記の例では、パルスAとパルスBとをそれぞれ4つのパルスからなる4連パルスとしたが、この数を8、16等、としても同様に選択的励起ができることは明らかである。すなわち、これらにおけるパルスの数は、要求される処理速度、収率等に応じて適宜設定でき、少なくとも上記の4つのパルスを含む構成とすれば上記の効果が得られる。
【0045】
上記においては単純化した構成で説明を行ったが、実際には、多段階回転遷移についてシュレディンガー方程式を用いた解析を行うことによって、励起確率が求まる。その結果、例えば分子Xを閉殻電子構造の2原子分子とした場合に、Jmin=0、Jmax=400とした場合には、分子XのJmaxへの励起確率ηは0.97と充分な値であった。
【0046】
また、この8連パルスを照射する方法を適用した場合の量子力学的シミュレーション結果が図6である。図6(a)は分子Xとして回転定数=Bの場合に初期条件でJ=20、21に分布があった場合、図6(b)は、分子Yとして回転定数=0.98×Bの場合に初期条件でJ=0、50とした場合をそれぞれ示す。どちらにおいても、4回のπパルスバースト照射毎の占有密度分布を下側から上側に向かって縦軸をずらした状態で同時に示している。πパルスバーストは、回転定数がBの場合に適合させている。
【0047】
図6(a)の結果より、初期にJ=21だった状態が照射毎に右側(Jの大きな側)に移動することが確認できる。一方、初期にJ=20だった状態は左側(Jの小さな側)に移動した後、反射されてからJが右側に移動している。以上より、図5に示された状態が量子力学的シミュレーションによって確認された。すなわち、どちらの状態にあった分子も反復したπパルスバースト照射によって最終的にはJの大きな状態に遷移する。
【0048】
一方、回転定数がこのπパルスバーストとは適合しない場合(図6(b))には、こうした現象は見られず、J=0、50の状態はこれらの近辺の状態への遷移を起こすものの、特にJ=20〜30近辺の状態に遷移することはない。これは、この領域にゲートがあることに対応している。従って、J=0、50の状態にあった分子が、反復したπパルスバースト照射によってJの大きな状態に遷移することはない。
【0049】
従って、特定の分子に適合させたπパルスバーストを照射することによって、この特定の分子のみを高効率で選択的に励起することができることが、量子力学的シミュレーションによっても確認された。
【0050】
(装置の構成)
次に、この8連パルスを作成し、πパルスバースト照射を実際に行うための構成について説明する。ここでは、対象物質(試料)となる気体は分子Xと分子Yからなり、これらの分子における構成元素は互いに異なる同位体であり、これらのうちの分子Xを選択的に励起するものとする。このためには、まずJmaxを決定する。まず、分子Xの収率(着目する分子X全体のうちJmax以上に励起される割合)をφ、目標とする分離係数をαとすると、分子Yの収率φは、以下の式で示される。
【0051】
【数6】

【0052】
一方、前記の原理により、Jmax以上に励起される分子Yの量は、初期状態においてJmax以上に分布していた量と比べて無視できると仮定できるため、この量は熱分布で規定される。この場合、φは以下の式で示される。
【0053】
【数7】

【0054】
ここで、f(v,J)は規格化されたボルツマン分布(振動量子数v、回転量子数Jで表示)である。従って、分離係数αを設定すれば、Jmaxを(6)(7)式から設定することができる。
【0055】
次に、同様にJminを設定する。このため、対象とする電磁波帯域内の初期分布割合Fを以下の式で定義する。
【0056】
【数8】

【0057】
この割合も熱分布で規定されると仮定できるため、振動量子数vの上限をvmaxとして、Fは以下の式で示される。
【0058】
【数9】

【0059】
従って、Jmaxが決まれば、Jminは(8)(9)式を用いて求まる。以上により、Jmax、Jminが求まり、この帯域内にある回転準位の数Nは、Jmax−Jmin+1となり、これは前記のπパルスバーストの必要な繰り返し回数となる。
【0060】
次に、パルスA、BにおけるエネルギーEは、これらのパルスがπパルス、すなわち、前記の通りにΔJ=+1の状態に遷移させるのに有効となるように設定される。このエネルギーは、ラビ振動の振動数とπパルスの電界強度との関係より、以下の式で求まる。
【0061】
【数10】

【0062】
ここで、nは屈折率(真空中では1)、Zは真空のインピーダンス、sは励起パルスの照射面積、μJ0は、回転量子数J、磁気量子数M(=0)からの遷移J→J+1、M→Mに際しての遷移双極子モーメントである。
【0063】
この励起用パルス光を試料の気体中に集光して照射し、吸収させることが必要であるが、この際に高い効率でこの吸収反応を起こすためには、この反応部の長さをこの励起用パルス光の焦点におけるレイリー長Lとほぼ等しくすることが好ましい。この際、レイリー長Lを規定するための振動数はJminに対応した最低振動数(波長が最も長い場合)とする。このレイリー長Lは、ビーム品質を表す指標であるM値をMとして、以下の式で与えられる。
【0064】
【数11】

【0065】
πパルスバーストの繰り返し速度rは、要求される処理速度Qと、1回のπパルスバーストによる処理量との関係から、初期同位対比(分子Xの存在比率)をχ、pを試料蒸気圧、Tをこの蒸気圧における温度、kをボルツマン定数として、以下の式で与えられる。
【0066】
【数12】

【0067】
これに対して要求される試料の流量Qvは以下の式で与えられる。
【0068】
【数13】

【0069】
なお、上記の例においては、励起光はレーザー光であるとしたが、励起エネルギーに対応したコヒーレントな電磁波であれば、光(可視光等)である必要はない。すなわち、上記の記載において、励起光とは、光に限らず、励起する対象となる分子の回転準位間の励起エネルギーに対応するエネルギーをもつコヒーレントな電磁波を意味する。
【0070】
次に、実際に前記の8連パルスを生成して試料に照射する装置構成について説明する。図7は、この選択的励起装置100の構成を示す図である。この選択的励起装置100は、励起光生成部110と、照射部150とから構成され、照射部150中には、前記のLの長さ、断面積sの試料セル200中に、気体化された試料が導入されている。
【0071】
まず、8連パルス(パルス励起光)を生成する励起光生成部110の構成について説明する。ここでは、単一のパルスを半透鏡を用いて分岐し、複数の干渉計を用いて遅延させた後に合成することによってパルス列が生成される。ここで、このパルス列が反射される際の位相の反転を利用し、このパルス列からパルスA(第1のパルス列:δφ=0)とパルスB(第2のパルス列:δφ=π)とを同時に生成する。この後で、パルスBをパルスAから遅延させて合成することによって、前記の8連パルスが生成される。
【0072】
この単一のパルスは、図4(b)に示される櫛形スペクトル((4)式におけるI(ω))をもつパルスをもち、パルス光源111から発振される。このパルスは、第1の干渉計120に入射する。第1の干渉計120には、半透鏡121、122と、反射鏡123、124が光路上に設けられており、光路が2系統に分岐され、光路差を発生させることによって、設定された遅延時間をもった2つのパルスとなる。この遅延時間が図4における2τとなるように設定する。
【0073】
このパルスは、第2の干渉計130に入射する。第2の干渉計130においても、半透鏡131、132、反射鏡133、134が光路上に設けられており、光路が2系統に分岐される。ここで、半透鏡131、132における反射に際しては、これらの反射面を自由端とする場合(光学材料側から大気側に入射する面で反射する場合)と、固定端とする場合(大気側から光学材料側に入射する面で反射する場合)とで、反射波の位相がπだけずれる。従って、例えば半透鏡131の反射面を固定端、半透鏡132の反射面を自由端とすれば、(4)(5)式におけるδφ=0(パルスA)とδφ=π(パルスB)の2つの出力を第2の干渉計130から得ることができる。すなわち、第1の干渉計120、第2の干渉計130を用いて、前記の通りに、単一のパルスからパルスA、パルスBが生成される。
【0074】
パルスBは反射鏡140を介してから、半透鏡141によってパルスAと合成される。この際、パルスAの後のτ’だけ遅れてパルスBが出力されるようにこれらの光路差が調整される。こうして8連パルス(πパルスバースト)が得られる。このパルスエネルギーが前記のEとなるように設定される。
【0075】
このπパルスバーストは、試料セル200中の試料に照射されるが、現実的に用いられるLの値では、吸収される電磁波のエネルギーはわずかである。従って、この照射部150は、共振器(キャビティ)構造とされることによって、吸収効率を高めている。照射部150においては、ポラライザ151でパルス励起光の偏向方向が規定され、その強度がポッケルスセル152で制御される。その後、このパルス励起光は入射光学系153を介して試料セル200に入射する。その後、試料セル200を透過したパルス励起光は、出射光学系154を介して光増幅媒質155を透過し、反射鏡156を介して再びポラライザ151に入射する。この構成においては、ポラライザ151以降で、試料セル200を含む形で共振器構造が形成され、損失を補うための光増幅媒質155が用いられる。従って、パルス励起光の利用効率を高めることができる。
【0076】
この場合、パルス励起光の出力としては、パルス光源111のフロントエンド出力Pと、光増幅媒質155(キャビティ内)における出力Pの2種類がある。これらは、それぞれ、以下の式で与えられる。ここで、ξはキャビティ内の1周当たりの損失(反射等による)である。
【0077】
【数14】

【数15】

【0078】
なお、図2の例で示された理想的な回転準位間の間隔は等間隔であるが、実際には、等間隔からずれる場合がある。例えば、遠心力による分子歪みの影響によって、Jの増加と共にこの間隔が減少する(励起エネルギーが減少する)ことがある。こうした場合のために、第1の干渉計120、第2の干渉計130中に、チャープ調整部125、135がそれぞれ設けられている。チャープ調整部125、135は、屈折率に分散特性を持った光学材料等で構成され、波長(振動数)によって光の通過時間を異ならせることによって、8連パルス中の帯域間隔を微調整することができる。従って、これを用いて、8連パルスのスペクトルを、回転準位間の間隔に適合させることができる。
【0079】
また、図6の結果は、πパルスバーストの吸収が理想的に行われるとして計算されたものである。実際には、こうした理想的な吸収が行われるためには、例えば、1回のπパルスバーストの継続時間が、気体中の分子の平均自由時間(衝突までの平均時間)よりも短いことが好ましい。また、このパルス励起光(πパルスバースト)が1回だけ試料セル200を透過した際の減衰(吸光度)が1と比べて無視できることも好ましい。また、πパルスバースト継続時間中における分子の平均移動距離が、照射スポットの大きさ(例えばs)よりも小さいことが好ましい。あるいは、反応部の長さ(試料セル200の長さ)や流量(あるいは排気速度)が、装置として実現が容易である範囲内(前者については例えば100m以下、後者については例えば10000L/s以下)であることが好ましい。
【0080】
具体的に、図7に示した構成において、CsIにおける135Csを選択的に励起して分離する場合のパラメータを設定した。この際に用いたCsIのパラメータ、及びその分離(選択的励起)の際のパラメータを表1に、これによって求められた選択的励起装置における各パラメータの値を表2に示す。ここでは、例としてケース1から4の4種類についてこの装置の設計値を記載している。
【0081】
【表1】

【0082】
【表2】

【0083】
この結果から、P(パルス光源111の出力)を小さく設定したケース1、4、L(試料セル200の長さ)を短くしたケース2、試料温度Tを低くしたケース3のそれぞれにおいて、この選択的励起装置100を構成することができる。従って、目的や使用の態様に応じてこの選択的励起装置100を適応させることが可能である。
【0084】
また、特許文献2の段落番号0017に記載されるように、例えばこの選択的励起装置100中の試料セル200に対して、電離用レーザー光を照射できる構成とすることができる。これによって励起された分子中の原子(特定種の同位体)をイオン化することができるため、回収用の電極を設ければ、これに負電圧を印加することにより、この正イオンを集めることができる。従って、この選択的励起装置を用いた同位体分離装置を構成することができる。また、この構成で特定種の同位体が回収用の電極上で得られれば、試料中にはこの同位体を含む分子が存在していたことが明らかとなるため、この構成を同位体分析装置としても用いることができる。
【符号の説明】
【0085】
100 選択的励起装置
110 励起光生成部
111 パルス光源
120 第1の干渉計
121、122、131、132、141 半透鏡
123、124、133、134、140、156 反射鏡
125、135 チャープ調整部
130 第2の干渉計
150 照射部
151 ポラライザ
152 ポッケルスセル
153 入射光学系
154 出射光学系
155 光増幅媒質
200 試料セル

【特許請求の範囲】
【請求項1】
励起光を気体に照射し、当該気体中における特定種の分子を選択的に励起する、分子の選択的励起方法であって、
前記特定種の分子及び前記気体中における前記特定種以外の分子それぞれにおける複数の回転準位に対応した複数の励起エネルギーが含まれるように予め設定されたエネルギー範囲内において、
前記励起光のスペクトルを、複数の帯域からなる櫛形スペクトルとし、
前記エネルギー範囲内に存在する前記特定種の分子の全ての励起エネルギーは前記複数の帯域に含まれるが、前記エネルギー範囲内に存在する前記特定種以外の分子の励起エネルギーには前記複数の帯域に含まれないものがあるように、前記複数の帯域を設定する、
ことを特徴とする、分子の選択的励起方法。
【請求項2】
前記特定種の分子の振動量子数毎に前記励起光を作成し、前記振動量子数毎の前記励起光を前記気体に照射することを特徴とする請求項1に記載の、分子の選択的励起方法。
【請求項3】
前記複数の帯域において、
隣接する前記帯域の中心エネルギーの間隔は、前記特定種の分子において隣接する前記励起エネルギーの差分と等しくされたことを特徴とする、請求項1又は2に記載の、分子の選択的励起方法。
【請求項4】
前記励起光は、
前記特定種の分子の回転準位における、1つおきの回転量子数に対応した複数の回転準位の励起エネルギーに同期した複数の帯域をもつ櫛形スペクトルをもち、互いに同位相である4つのパルス光を含む第1のパルス列と、
前記1つおきの回転量子数に対応した複数の回転準位に隣接する回転準位に同期した複数の帯域をもつ櫛形スペクトルをもち、順次逆位相となる4つのパルス光を含む第2のパルス列とが、順次出力される構成を具備することを特徴とする請求項3に記載の、分子の選択的励起方法。
【請求項5】
光源から発せられた単一のパルスを半透鏡を用いて分岐し、複数の干渉計を用いて遅延させた後に合成することによってパルス列を生成し、
当該パルス列が反射される際の位相の反転を利用し、前記パルス列から前記第1のパルス列と前記第2のパルス列とを生成し、
前記第2のパルス列を前記第1のパルス列から遅延させて合成することによって、前記励起光を生成することを特徴とする請求項4に記載の、分子の選択的励起方法。
【請求項6】
前記励起光を形成する光学系の光路中に、分散特性をもつ光学材料からなるチャープ調整部を挿入し、前記櫛形スペクトルにおける複数の帯域の間隔を調整することを特徴とする請求項1から請求項5までのいずれか1項に記載の、分子の選択的励起方法。
【請求項7】
複数種の同位体をそれぞれ含む複数種の分子を含む気体から特定の同位体を分離する、同位体分離方法であって、
前記特定の同位体を含む分子を前記特定種の分子として請求項1から請求項6までのいずれか1項に記載の分子の選択的励起方法を実行することによって、前記特定の同位体を含む分子を選択的に励起し、前記特定の同位体を含む分子を電離又は分解する処理を行うことによって前記特定の同位体を分離することを特徴とする、同位体分離方法。
【請求項8】
複数種の同位体をそれぞれ含む複数種の分子を含む気体における特定の同位体成分を分析する同位体分析方法であって、
前記特定の同位体を含む分子を前記特定種の分子として請求項1から請求項6までのいずれか1項に記載の分子の選択的励起方法を実行することによって、前記特定の同位体を含む分子を選択的に励起し、前記特定の同位体を含む分子を電離又は分解する処理を行い、前記特定の同位体を検出することを特徴とする、同位体分析方法。
【請求項9】
励起光を気体に照射し、前記気体中における特定種の分子を選択的に励起する、分子の選択的励起装置であって、
前記特定種の分子及び前記気体中における前記特定種以外の分子それぞれにおける複数の回転準位に対応した複数の励起エネルギーが含まれるように予め設定されたエネルギー範囲内において、複数の帯域からなる櫛形スペクトルをもち、前記エネルギー範囲内に存在する前記特定種の分子の全ての励起エネルギーは前記複数の帯域に含まれるが、前記エネルギー範囲内に存在する前記特定種以外の分子の励起エネルギーには前記複数の帯域に含まれないものがあるように、前記複数の帯域が設定された励起光を生成する励起光生成部と、
前記気体が含まれる試料セル中に前記励起光を照射させる照射部と、
を具備することを特徴とする、分子の選択的励起装置。
【請求項10】
前記励起光生成部は、前記特定種の分子の振動量子数毎に前記励起光を作成し、
前記照射部は、前記振動量子数毎の前記励起光を前記試料セル中に照射することを特徴とする請求項9に記載の、分子の選択的励起装置。
【請求項11】
前記複数の帯域において、
隣接する前記帯域の中心エネルギーの間隔は、前記特定種の分子において隣接する前記励起エネルギーの差分と等しいことを特徴とする、請求項9又は10に記載の、分子の選択的励起装置。
【請求項12】
前記励起光は、
前記特定種の分子の回転準位における、1つおきの回転量子数に対応した複数の回転準位の励起エネルギーに同期した複数の帯域をもつ櫛形スペクトルをもち、互いに同位相である4つのパルス光を含む第1のパルス列と、
前記1つおきの回転量子数に対応した複数の回転準位に隣接する複数の回転準位に同期した帯域をもつ櫛形スペクトルをもち、順次逆位相となる4つのパルス光を含む第2のパルス列とが、順次出力される構成を具備することを特徴とする請求項11に記載の、分子の選択的励起装置。
【請求項13】
前記励起光生成部中に、分散特性をもつ光学材料からなり、前記櫛形スペクトルにおける帯域の間隔を調整するチャープ調整部が挿入されたことを特徴とする請求項9から請求項12までのいずれか1項に記載の、分子の選択的励起装置。
【請求項14】
前記照射部において、前記試料セルを含んだ光路が共振器を形成するように構成され、
前記光路中に光増幅媒質が挿入されたことを特徴とする請求項9から請求項13までのいずれか1項に記載の、分子の選択的励起装置。
【請求項15】
複数種の同位体をそれぞれ含む複数種の分子を含む気体から特定の同位体を分離する、同位体分離装置であって、
前記特定の同位体を含む分子を前記特定種の分子とした、請求項9から請求項14までのいずれか1項に記載の分子の選択的励起装置を具備することを特徴とする同位体分離装置。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2011−67754(P2011−67754A)
【公開日】平成23年4月7日(2011.4.7)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−220818(P2009−220818)
【出願日】平成21年9月25日(2009.9.25)
【出願人】(505374783)独立行政法人 日本原子力研究開発機構 (727)
【Fターム(参考)】