説明

小麦品種作出方法および小麦製品

【課題】小麦依存性運動誘発アナフィラキシーを生じさせにくい小麦品種および小麦製品を提供すること。
【解決手段】 1B染色体を有しながらω5グリアジン遺伝子を欠失している第1の小麦品種と食用として栽培される第2の小麦品種とを交配したのち第2の小麦品種で戻し交配を続けることにより、ω5グリアジン遺伝子を有さず、他の遺伝子は前記第2の小麦品種の遺伝子を概ね承継した小麦品種を作出することを特徴とする小麦品種作出方法である。この第1の小麦品種として、チャイニーズスプリング(Triticum aestivum cv. Chinese Spring)の染色体欠失系統1BS-18株を挙げることができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、小麦品種作出方法および小麦製品に関し、特に、小麦依存性運動誘発アナフィラキシーを発症しにくい小麦品種の作出方法および小麦製品に関する。
【背景技術】
【0002】
重篤な即時型アレルギーを引き起こす食物アレルギーの原因として、小麦は、卵、乳製品に続いて3番目に患者数の多い食物として知られている。その症状としては、全身のかゆみ、呼吸困難、おう吐や腸炎、アナフィラキシーショックといったものが挙げられる。
【0003】
そして近年、食物を摂取するのみでは症状が誘発されず、食物摂取後の運動や非ステロイド性消炎鎮痛薬の内服などの二次的要因が加わることにより重篤な症状が誘発される、いわゆる食物依存性運動誘発アナフィラキシーが存在することが明らかになってきている。そして、食物依存性運動誘発アナフィラキシーの原因食物としては、小麦が最も多く報告されている(非特許文献2)。
【0004】
この、二次的要因を必要とする小麦依存性運動誘発アナフィラキシーに関しては、その性質上、発見および確定が困難であり、本人もそのようなアレルギー体質であることを自覚できないため、予防策、たとえば、小麦の摂取を自制することは実質的に不可能である。すなわち、病状が何度か出てから後にアレルギー体質を自覚することができるのみである。
【0005】
【特許文献1】特開2006−126083号
【非特許文献1】松尾裕彰,他9名,「Identification of the IgE-binding epitope in omega-5 gliadin, amajor allergen in wheat-dependent exercise-induced anaphylaxis」, The Journal ofBiological Chemistry,2004年,279巻,13号,p.12135-12140
【非特許文献2】望月満,他2名,「食物依存性運動誘発性アナフィラキシー」小児科診療2003年,4月 第66巻,増刊号,P.39-43
【非特許文献3】KatiPalosuo 他7名,「Anovel wheat gliadin as a cause of exercise-induced anaphylaxis.」,Journal of Allergy andClinical Immunology,1999年,103巻,5号,P.912-917.
【非特許文献4】KatiPalosuo 他6名, 「Wheat omega-5 gliadin is amajor allergen in children with immediate allergy to ingested wheat.」,Journal of Allergy andClinical Immunology, 2001年,108巻,4号,P.634-638
【非特許文献5】T. R. Endo 他1名,「The deletion stocks of common wheat」,Journal of Heredity,1996年,87巻,P. 295-307
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
医学的には、小麦依存性運動誘発アナフィラキシーの原因抗原のうち、重篤な症状を引き起こすものは、4種類のグリアジン(α,β,γ,ω)のうち、ωグリアジンの一つであるω5グリアジンであることが突き止められている(非特許文献3)。そして、小麦は、グリアジンとグルテニンという2種のタンパク質からなるグルテンをもつ唯一の穀物であり、これらから小麦特有の粘りが生じる。
【0007】
すなわち、小麦である以上ω5グリアジンが含まれるため、本質的に小麦製品を食すれば発症の可能性を除去できないという問題点があった。また、二次的要因が加わる場合でないと発症しないので、本人も潜在的な患者であることが自覚できず、防衛方法もないという問題点があった。
【0008】
また、小麦の品種によりグルテンの含量やグルテニンやグリアジンの成分比も異なり、また、どのような小麦製品をどれだけ食するかによっても、摂取量の過多が生じるので、発症の仕方にもばらつきが生じやすいという問題点があった。
【0009】
本発明は上記に鑑みてなされたものであって、小麦依存性運動誘発アナフィラキシーを生じさせにくい小麦品種および小麦製品を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記の目的を達成するために、請求項1に記載の小麦品種作出方法は、1B染色体を有しながらω5グリアジン遺伝子を欠失している第1の小麦品種と食用として栽培される第2の小麦品種とを交配したのち第2の小麦品種で戻し交配を続けることにより、ω5グリアジン遺伝子を有さず、他の遺伝子は前記第2の小麦品種の遺伝子を概ね承継した小麦品種を作出することを特徴とする。
【0011】
すなわち、請求項1に係る発明は、小麦依存性運動誘発アナフィラキシー原因抗原のうち、特に、重篤な症状を招来する可能性の高いω5グリアジンを蓄積しない品種に基づいて食味のよい品種であってハイブリッドではない小麦を自然手法(交配)により作出する。なお、ω5グリアジン遺伝子を欠失している第1の小麦品種とは、もともと欠失しているもののほか、X線などにより当該遺伝子部分をカットしたものも含まれるものとする。また、ここでいう第1の小麦品種の品種とは、たとえば種苗法にいう区別性、均一性、安定性を兼ね備えている必要はなく、請求項2にいう株レベルのものも含むものとする。なお、概ね承継とは、略承継ということもでき、たとえば、5回の戻し交配により承継される程度をいう。
【0012】
また、請求項2に記載の小麦品種作出方法は、請求項1に記載の小麦品種作出方法において、前記第1の小麦品種が、チャイニーズスプリング(Triticum aestivum cv. Chinese Spring)の染色体欠失系統1BS-18株であることを特徴とする。
【0013】
すなわち、請求項2に係る発明は、1B染色体のほとんどを保存しつつω5グリアジンを生成しない株を用いた新品種作出が可能となる。
【0014】
また、請求項3に記載の小麦品種作出方法は、ω5グリアジンエピトープ特異的抗体を用いてω5グリアジン遺伝子の欠失した欠失小麦品種を選抜する選抜工程と、前記選抜工程で選抜された欠失小麦品種と食用小麦品種とに関する遺伝的分化尺度を測定する測定工程と、前記測定工程により欠失小麦新種と遺伝的に近似した食用小麦品種を交配候補として決定する決定工程と、決定工程で決定された品種を交配し、ω5グリアジン遺伝子を欠失した株を選抜しながらこれと前記決定された食用小麦品種を戻し交配により少なくとも5回交配する交配工程と、を含んだことを特徴とする。
【0015】
すなわち、請求項3に係る発明は、欠失小麦品種群と食用小麦品種群を選抜し、遺伝的距離の近いものを交配することにより、不稔、耐病性、耐候性などの評価項目を推測しながら新品種作出が可能となる。なお、戻し交配を5回すれば、ある程度品種としても固定し、食味も当初品種と同程度となるため、本発明ではその回数を5回としている。
【0016】
また、請求項4に記載の小麦製品は、請求項1、2または3に記載の小麦品種作出方法により得られた小麦品種を用いた製品である。
【0017】
すなわち、請求項4に係る発明によれば、潜在的な患者であっても、小麦依存性運動誘発アナフィラキシーを発症する可能性を低減することができる。
【発明の効果】
【0018】
本発明によれば、小麦依存性運動誘発アナフィラキシーへの罹患を予防する小麦品種および小麦製品を提供することが可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0019】
以下、本発明の実施の形態を図面を参照しながら詳細に説明する。本発明は、本願発明者らが鋭意検討の結果、極めて多数の株がある小麦品種のうちω5グリアジンを生成しない株が存在することを初めて見いだしてなした発明である。すなわち、グリアジンを総て欠失させるのではなく、小麦の性質を維持しつつ、重篤な症状を発症しにくく食味も保持する方法を提供するものである。
【0020】
ここでは、小麦品種チャイニーズスプリング(Chinese Spring)の複数の株を用い、ω5グリアジンエピトープ特異的抗体を用いて、ω5グリアジンをコードする遺伝子を有さないものを選び、次いで、これに食味のよい品種を交配する例について説明する。
【0021】
まず、NBRP(National Bioresource Project)が管理保存している1B染色体のDeletion小麦株40種(非特許文献5)を用いて、ω5グリアジン遺伝子は欠損しているものの、他の小麦構成蛋白質をコードする遺伝子に関してはなるべく多く保存している株の検索を行った。
【0022】
具体的には、まず、Deletion小麦株のうち、1BS-1株,1BS-8株,1BL-1株検討した。その結果、1BL-1株はω5グリアジンを保存しており、他の2株はω5グリアジンを欠損していた。よって、この結果から、ω5グリアジン遺伝子は、1B染色体のうち、短腕1BSに乗っていることを確認した。
【0023】
1BS染色体にDeletionをもつものは全部で22株知られていたので、次に、このなかから、1BS-4株,1BS-18株,1BS-19株,1BS-23株,1BS-22株,1BS-24株の抗原性の有無を調べた。その結果、1BS-18株,1BS-19株,1BS-23株,1BS-22株,1BS-24株には抗原性を有しないことを確認した。上記検討した株は、その染色体の外形上欠失量が少ないと概ね考えられる順である(なお、同程度に欠失している株には1BS-11株も存在するが、他の小麦と形質上の違いが別途認められていたので、予め除外した)。以上から、1BS-18株がω5グリアジン遺伝子を有さず、かつ他のグリアジンやグルテニンその他のタンパク質等をコードする遺伝子を最も保存しているものであるとの結論に至った。
【0024】
なお、評価は、HPLC(高速液体クロマトグラフィー)法およびウエスタンブロット法によった。図1はHPLC法による分析結果の一例を示した図である。図示したように、1BS-18株にはω5グリアジンのピークが観測されず、ω5グリアジンが欠失していることが確認できる。なお、グルテン画分の調整およびHPLCの条件は次の通りである。
(1)グルテン画分の調製
各小麦3、4粒(約100mg)を粉末状に磨り潰し、1mLの50%1−プロパノールを加えて室温にて20分間撹拌し、ω5グリアジンを含有するグルテン画分の抽出操作を行った。溶液は7000rpmで20分間遠心し、上清を採り凍結乾燥を行ってグルテン粉末を調製した。
(2)HPLCの条件
乾燥したグルテン画分を6Mグアニジン塩酸塩(pH8.0),50mM
DTTに溶解してHPLC用サンプル溶液(濃度1mg/mL)を調製した。サンプル溶液500μLは逆相クロマトグラフィーカラムであるODS−M(Shimazu, Tokyo, Japan)に以下の条件でアプライし、解析を行った。
解析条件:流速0.8mL/min
グラジエント24−56%アセトニトリル(0.1%トリフルオロ酢酸)
【0025】
図2はウエスタンブロットの結果の一例を示した図である。ω5グリアジンエピトープ特異的抗体を用いてアレルゲン性を評価したところ、図示したように、1BS-18株には、ω5グリアジンの抗原性が消失していることが確認できる。なお、ウエスタンブロットの条件は以下の通りである。
上記の(1)で調製したグルテン画分をSDS−PAGEにてゲルに展開した後、PVDFメンブレンに転写した。ω5グリアジンの検出は、ω5グリアジンエピトープ特異的抗体を用いて行った。ω5グリアジンエピトープ特異的抗体は、ω5グリアジンのエピトープペプチドを化学合成にて作製し、ウサギに免疫して作製したポリクローナル抗体を用いた。
【0026】
一方、チャイニーズスプリングは、研究用の小麦品種であるので一般的に食味はよくない。したがって、食味のよい品種と交配して食味をよくすることとした。なお、1BS-18株は、前述のように、1BS染色体のほとんどの遺伝子を保存しているので、他の品種との交配にも適している。
【0027】
食味のよい品種としては、農林61号、チクゴイズミ(小麦農林141号)、ホクシン(小麦農林142号)、しゅんよう(小麦農林143号)、ニシホナミ(小麦農林144号)、イワイノダイチ(小麦農林145号)、ニシノカオリ(小麦農林146号)、あやひかり(小麦農林147号)、キヌヒメ(小麦農林148号)、きたもえ(小麦農林149号)、はるひので(小麦農林150号)、きぬあずま(小麦農林151号)、ネバリゴシ(小麦農林152号)、ハルイブキ(小麦農林153号)、ユメセイキ(小麦農林154号)、タマイズミ(小麦農林155号)、ふくさやか(小麦農林156号)、ゆきちから(小麦農林157号)、キタノカオリ(小麦農林158号)、フウセツ(小麦農林159号)、ミナミノカオリ(小麦農林160号)、春のかがやき(小麦農林161号)、ユメアサヒ(小麦農林162号)、うららもち(小麦農林糯163号)、ふくほのか(小麦農林164号)、ハナマンテン(小麦農林165号)、さぬきの夢2000、ダブル8号、つるぴかり、きぬの波、きたもえ(北見72号)、オーストラリアスタンダードホワイト(ASW)、プライムハード(PH)、ウエスタンホワイト(WW)などを挙げることができる。
【0028】
交配方法としては、1BS-18株と、上記食用品種、たとえば、ホクシンを自然交配し、得られた種子を再播種し、再度ホクシンと自然交配させる(戻し交配する)。このとき、株毎に種を管理して、種(小麦)のなかにω5グリアジンを有さない株の種のみを再播種して、更にホクシンを自然交配させる。この交配→確認→欠失種子の播種の作業を繰り返し、ω5グリアジンを有さず、他の性質はホクシンの性質を持ち合わせる株を作出する。なお、戻し交配の作業は、概ね5回以上であればよい。
【0029】
なお、以上は、本願発明者が鋭意検討の結果、ω5グリアジン遺伝子の欠失した株ないし抗原性を有しない株が1BS染色体にDeletionをもつ株のみであったため、この中の特定の株(上記の例では1BS-18株)と他の品種を交配する例を説明したものであるが、欠失株の選択肢が複数ある場合には、食味のよい株との遺伝的距離を測定することにより、交配のさせやすさ、不稔、耐病性、耐候性、収量などの評価項目を推測しながら効率的に新品種作出が可能となる。
【産業上の利用可能性】
【0030】
ω5グリアジンが欠失していても、小麦のなかには、他のωグリアジン、またα、β、γグリアジンやグルテニンが存在するため、粘性等にはほとんど影響がない。よって、従来どおりの小麦製品を製造できる。
【0031】
また、本品種は、自然交配により作出しているので、遺伝子組み換えのような消費者に敬遠されるような要因も存在しない。
【図面の簡単な説明】
【0032】
【図1】HPLCの解析結果を示した図である。
【図2】ウエスタンブロットの結果を示した図である。1は、通常のChinese Springを、2は、1BS-18株である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
1B染色体を有しながらω5グリアジン遺伝子を欠失している第1の小麦品種と食用として栽培される第2の小麦品種とを交配したのち第2の小麦品種で戻し交配を続けることにより、ω5グリアジン遺伝子を有さず、他の遺伝子は前記第2の小麦品種の遺伝子を概ね承継した小麦品種を作出することを特徴とする小麦品種作出方法。
【請求項2】
前記第1の小麦品種が、チャイニーズスプリング(Triticum aestivum cv. Chinese Spring)の染色体欠失系統1BS-18株であることを特徴とする請求項1に記載の小麦品種作出方法。
【請求項3】
ω5グリアジンエピトープ特異的抗体を用いてω5グリアジン遺伝子の欠失した欠失小麦品種を選抜する選抜工程と、
前記選抜工程で選抜された欠失小麦品種と食用小麦品種とに関する遺伝的分化尺度を測定する測定工程と、
前記測定工程により欠失小麦新種と遺伝的に近似した食用小麦品種を交配候補として決定する決定工程と、
決定工程で決定された品種を交配し、ω5グリアジン遺伝子を欠失した株を選抜しながらこれと前記決定された食用小麦品種を戻し交配により少なくとも5回交配する交配工程と、
を含んだことを特徴とする小麦品種作出方法。
【請求項4】
請求項1、2または3に記載の小麦品種作出方法により得られた小麦品種を用いた小麦製品。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2010−226958(P2010−226958A)
【公開日】平成22年10月14日(2010.10.14)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−285648(P2007−285648)
【出願日】平成19年11月2日(2007.11.2)
【出願人】(504155293)国立大学法人島根大学 (113)
【出願人】(504132272)国立大学法人京都大学 (1,269)
【出願人】(504136568)国立大学法人広島大学 (924)
【Fターム(参考)】