説明

撥水性固体表面での液滴の転落加速度の制御方法およびその方法により制御された撥水性固体表面を有する構造体

【課題】撥水性固体表面における液滴の転落の際の加速度を液滴の大きさに合わせて制御することが可能な方法と、その方法により制御された撥水性固体表面を有する構造体を提供する。
【解決手段】撥水性固体表面を、液滴滑落性が異なる複数の撥水剤の混合形態で形成することを特徴とする、撥水性固体表面での液滴の転落加速度の制御方法、およびその方法により制御された撥水性固体表面を有する構造体。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、表面組成を変えることで撥水性固体表面での液滴の転落加速度を所望の大きさに制御する方法、およびその方法により制御された撥水性固体表面を有する構造体に関する。
【背景技術】
【0002】
固体表面の濡れ制御は物理と化学の境界に位置する技術課題であり、その応用範囲はあらゆる工学分野に及ぶ最も基礎的かつ重要な研究領域である。従来、固体表面の濡れは、ヤングの式を基にして接触角の測定等から得られる濡れ特性と固体表面の組成や構造との関係が理論、実験両面から検討されており、固体表面の濡れには、表面エネルギーはもちろん、表面エネルギーの均一性、表面粗さや表面形状、電界などの外部場などが関与することが知られている。
【0003】
加えて従来は、接触角測定による「静的」な濡れ性が主に評価されていたが、近年建築や輸送機械など各種の工学分野では液滴の除去性、具体的には転落角と転落加速度等の「動的」な濡れの重要性が認識され始めている。転落角は、静止している水滴が傾斜を受けた際に転がり始める最小の角度であり、転落加速度は、所定の傾斜での水滴の転落する際の加速度である。どちらも材料設計上の重要な因子であるが、剛体で例えるなら前者は静止摩擦、後者は動摩擦に関係しているといえる。転落角については、転落時の前進後退接触角の測定から得られる接触角ヒステリシスから表面との付着エネルギーと関連付けられて様々な報告がある(例えば、非特許文献1、非特許文献2、非特許文献3など)。そして村瀬は、CF3などのフッ素末端で覆われた撥水表面では水分子が氷状構造をとるため流動性が乏しくなり転落角が上昇するとして、他のアルキル等の物質を少量添加することで撥水表面における水滴の転落角を下げることに成功している(非特許文献4)。
【0004】
しかしながら転落加速度については、実際に転落中の水滴の前進後退接触角の測定が困難であるため、この物性を支配する因子とその程度は明確になっておらず、国内外を通じてもこれまで研究対象として取り上げられた例はほとんどない。このため評価、計測の手法すら確立されていない。また、転落角が低くても転落加速度が必ずしも速くならないことが多い。三輪らは、傾斜した超撥水表面上で水滴が、重力加速度の傾斜方向成分とほぼ同じ加速度で等加速度運動で転落することを明らかにしている。これは空気を固液界面に噛み込んだ超撥水状態では水が浮上状態に近くなり、重力による転落に対しほとんど抵抗を受けないためと考えられる(非特許文献5)。一方、Quereらは超撥水表面上でグリセロールが等速運動で転落することを示している(非特許文献6)。グリセロールは粘性が高く、超撥水上での接触角も低くなるので、この内部粘度の高さと下地の粗さが転落に対し抵抗力として働いたため等速度運動となったものと考えられる。また最近、吉田らは平滑面におけるフッ素系ポリマーコーティングで、水滴が等速運動と等価速度運動、そしてその2つの組み合わせで記述できる3つの異なる転落領域があり、それらが表面エネルギーで整理できることを示した(非特許文献7)。
【0005】
一方中島らは、平滑なシリコン表面にオクタデシルトリメトキシシランをコーティングした表面で水滴の転落加速度を測定し、水滴の大きさが大きくなるに従い、転落のモードが滑りから回転に変化していることを示唆する転落加速度の液滴重量依存性の不連続点があることが明らかにしている(非特許文献8)。更に本発明者らは、フッ素処理した平滑なシリコン表面においては水滴の転落におけるスティック−スリップ運動(加速度が周期的に変化する現象)が転落時の液滴のヒステリシスと対応付けられることも明らかにしている(非特許文献9)。転落加速度の設計概念の確立は撥水性表面からの除滴性や、配管を経由しての排水や液体の移送速度と関係付けられる可能性が高く工学上重要な課題であるが未だ明確になっていない。
【非特許文献1】Furmidge, C.G.L.J. Colloid Sci., Vol.17, pp309-324 (1962)
【非特許文献2】Wolfram, E. and Faust, R.,Wetting, Spreading, and Adhesion; Padday, J.F., Ed.; Academic Press: London, Chapter 10. pp212-222 (1978)
【非特許文献3】Yoshimitsu, Z., Nakajima, A., Watanabe, T. and Hashimoto, K., Langmuir, Vol.18, pp5818-5822 (2002)
【非特許文献4】村瀬平八「表面エネルギーとモルフォロジー制御による不均質系有機塗膜の機能化の研究」平成11年東京大学学位論文
【非特許文献5】Miwa, M., Nakajima, A., Fujishima, A., Hashimoto, K. and Watanabe, T.,Langmur. Vol.16, pp5754-5760 (2000)
【非特許文献6】Richard, D. and Quere, D.,Europhys. Lett., Vol.48, pp286-291 (1999)
【非特許文献7】Yoshida, N., Abe, Y., Shigeta, H., Takami, K., Osaki, K, Watanabe, T., Hashimoto, K., and Nakajima, A.,J. Sol-Gel Sci. Tech., 31, 195-199 (2004)
【非特許文献8】Nakajima, A., Suzuki, S., Kameshima, Y., Yoshida, N., Watanabe, T., and Okada, K.,Chem. Lett., 32[12], 1148-1149 (2003)
【非特許文献9】Suzuki, S., Kameshima, Y., Nakajima, A., and Okada, K.,Surf. Sci., Vol 557/1-3 pp L163-L168 (2004)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明の課題は、上記のような現状に鑑み、撥水性固体表面における液滴の転落の際の加速度を液滴の大きさに合わせて制御することが可能な方法と、その方法により制御された撥水性固体表面を有する構造体を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記課題を解決するために、本発明者らは以下のように検討を進め、本発明を完成するに至った。撥水性固体表面での液滴の転落挙動は大きく分けて等速運動と等加速度運動に大別される。本発明者らは従来の研究から等速運動では液滴が滑りのモードで支配され、等加速度運動では液滴が回転のモードで支配されると考え、高い転落加速度を得るには転落の挙動を等加速度運動の領域にすることが重要であると考えた。
【0008】
以上のような着眼点のもと、本発明者らは表面の組成を変えて様々な撥水コーティングを行い、その上で大きさの異なる液滴(水滴)を転落させ、その映像を解析することで転落加速度を求める実験を行い、転落モードの滑りから回転へのスイッチングが液滴の大きさでどのように整理できるか検討を行った。転落モードのスイッチについては中島らの前述の方法を参考に縦軸に転落加速度、横軸に液滴重量の逆数をとり、データをプロットすることで評価した。その結果、主にフッ素を有する有機化合物で構成される表面に他の化学種を混合させていくことで接触角を著しく下げることなく転落加速度を上げることができることを知見した。
【0009】
すなわち、本発明に係る撥水性固体表面での液滴の転落加速度の制御方法は、撥水性固体表面を、液滴滑落性が異なる複数の撥水剤の混合形態で形成することを特徴とする方法からなる。
【0010】
この制御方法においては、上記撥水性固体表面における表面組成を変更することにより、例えば0.1μlから100μlまでの液滴の転落加速度を制御することが可能である。
【0011】
また、主としてフッ素を有する有機化合物で形成される表面に他の化合物を混合させることにより液滴の転落加速度を制御することが好ましい。すなわち、本発明に用いられる撥水剤はフッ素を含有したものが表面エネルギーを低下させる効果が大きいため望ましく、特にはパーフルオロアルキルシラン(FAS)が好ましい。この他、パーフルオロアルキルカルボン酸系、パーフルオロアルキルスルホン酸系、パーフルオロアルキルリン酸系等の表面処理剤、パーフルオロアルキル基含有オリゴマー、PTFE(ポリテトラフルオロエチレン)に代表される各種フッ素系樹脂も適用が可能である。
【0012】
上記他の化合物としては、アルキルシラン系化合物、例えばオクタデシルシラン、中でもオクタデシルトリメトキシシランを用いることができる。つまり、複数の撥水剤として、例えば、少なくともパーフルオロアルキルシラン(FAS)とオクタデシルトリメトキシシランを用いることができる。上記アルキルシラン系に属するオクタデシルシラン(ODS)は、接触角はフッ素を含有した撥水剤よりも低いが、液滴の滑落性が高い。例えば上記FASとODSの両方を基材の表面上に配置することで、FASがもつ機能により接触角の低下を防ぎ、ODSがもつ高滑落性を維持を兼ね備えた、相乗効果を得ることができる。例えば、上記パーフルオロアルキルシランにより主として接触角が大きくなる方向に制御し、上記オクタデシルトリメトキシシランにより主として液滴滑落性としての液滴の転落加速度が大きくなる方向に制御することができる。
【0013】
これら複数の撥水剤による撥水処理は、浸漬法が効率やコストの点で最も優れるが、原料によっては蒸着法も可能である。
【0014】
本発明は、上記のような方法により液滴の転落加速度が制御された撥水性固体表面を有する構造体も提供する。この構造体においては、液滴滑落性が異なる複数の撥水剤が均質に定着された撥水性固体表面を有することが好ましい。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、撥水性固体表面での液滴の転落加速度を制御することが可能になり、例えば液滴の転落加速度の液滴径依存性を制御することが可能になる。したがって、本発明は、各種の工業製品の設計に使用可能であり、撥水技術をより広範囲な用途に適用する上で重要である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0016】
以下に、本発明の望ましい実施の形態を、実施例を例示して具体的に説明する。尚、本実施例は単に例示であって、本発明を制限するものと解釈してはならない。
【実施例】
【0017】
実施例1、比較例1
Fluorinert77を70ml用意し、パーフルオロアルキルシラン(FAS-17)を5mM溶解させた(FAS溶液)。そこに10%HF aqでエッチングし、VUV親水化処理をしたSi基板を0min.(未処理)、2min.、20min.、60min.浸漬処理した。浸漬処理後、基板はトルエンとアセトンで洗浄し、すぐにオクタデシルトリメトキシシラン(ODS)原液0.02mlを用いてN2雰囲気でのCVD処理を行った。処理時間は150℃−1h.とした。CVD処理後はトルエンとアセトンで洗浄後、乾燥N2で表面を乾かし試料とした。以降、これらの試料をFAS (a)-ODS , (aにはFAS溶液での処理時間)のように記す。例えばFAS (60m)-ODS とはFluorinert77を用いたFAS溶液で60min,浸漬処理した後、N2雰囲気でODSをCVDにより被覆した試料のことを示す。ODSのみを同様のCVD条件で被覆した試料をODS(CVD)と記す。また、比較例1としてFAS溶液で24h.浸漬したFAS単独の被覆試料FAS (24h)を用いる。
【0018】
FAS溶液で部分被覆を行った場合の水接触角(Contact angle) θを処理時間(Soaking time in FAS solution)とともに図1に示す。処理時間を2min.から60min.にすることにより、水接触角の上昇を40°から90°付近まで変更でき、FASによるSi基板の被覆を制御することができた。24h.浸漬試料では水接触角が106°付近まで上昇した。部分的にFASで被覆されたこれらの基板をCVDによりODSでさらに被覆した後の水接触角を図2に示す。24h.の試料はCVDによる処理を行っていないため水接触角は106°と変わっていないが、その他の試料ではFASの存在量に係わらず水接触角が100°程度で一定となった。最終的な試料の表面物性を表1に示す。それぞれの算術平均粗さは0.15〜0.42nmでFASとODSが混在する系ではやや凝集粒子ができやすくなっていたが、平滑な表面が得られた。FAS (24h)以外の試料の水接触角θはどれも等しくなったが、転落角、接触角ヒステリシスはFAS溶液による処理時間が長いほど10〜17、0.1 〜0.30の範囲で徐々に大きくなる傾向が見られた。オレイン酸を用いたときの接触角θoilもODS (CVD) ではわずか38°と低いのに対し、FAS溶液による処理時間が長いほど高くなり、FAS (24h)では79°という値をとった。FAS処理時間とともにオレイン酸の接触角が高くなっていることから、水接触角では差がでないものの最表面にはFAS17分子が存在し処理時間とともに存在割合が増加していると考えられる。
【0019】
最初にFAS17を部分被覆し、CVD法でODSを被覆した混合膜上での水滴の転落挙動の結果を図3に示す。傾斜角は30°である。水滴重量の逆数:m-1に対して水滴の転落加速度を最小自乗法より見積もった。水滴重量が大きくなるに従い、水滴の転落挙動は等速運動から等加速運動へと移行した。表面にFAS17が少なく、ODSの割合が増加するほど、より小さな水滴で等速、等加速運動に挙動が移行しており、また同重量で比べると転落加速度が高くなった。FAS (2m)-ODSとODS (CVD)は等速運動になる水滴重量が存在しない代わりに、それぞれ30mg、28.5mg以上の水滴重量になると転落加速度の増加が急激に(傾きが大きく)なる屈曲点が見受けられた。
【0020】
表2および図4に、ODS 処理を1時間一定とした場合の、FAS 処理時間による、FAS17/ODS 混合試料におけるXPSによる組成分析結果を示す。尚、表2および図4において、5FASはFAS17のみの試料を示し、60min, 20min, 2minの順にFAS17/ODSの割合が減ってくる。また、ODSのみの試料はXPSによる測定を行っていない(Fは存在しないので図4のグラフ上では0と考えられる)。表2および図4に示すように、FAS 処理時間の減少によりFAS17の割合が順次減っているのが確認できた。
【0021】
【表1】

【0022】
【表2】

【産業上の利用可能性】
【0023】
本発明は、撥水性固体表面での液滴の転落加速度を目標とする値に制御することが要求されるあらゆる用途に適用できる。
【図面の簡単な説明】
【0024】
【図1】実施例におけるFAS処理時間と接触角との関係を示すグラフである。
【図2】実施例においたさらにODS処理を加えた場合のFAS処理時間と接触角との関係を示すグラフである。
【図3】FAS−ODS混合表面での液滴の転落加速度と液滴重量との関係を示すグラフである。
【図4】ODS処理時間一定の場合のFAS処理時間によるFASの割合の変化を表すXPSによる分析結果を示すグラフである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
撥水性固体表面を、液滴滑落性が異なる複数の撥水剤の混合形態で形成することを特徴とする、撥水性固体表面での液滴の転落加速度の制御方法。
【請求項2】
前記撥水性固体表面における表面組成を変更することにより、0.1μlから100μlまでの液滴の転落加速度を制御する、請求項1に記載の制御方法。
【請求項3】
主としてフッ素を有する有機化合物で形成される表面に他の化合物を混合させることにより液滴の転落加速度を制御する、請求項1または2に記載の制御方法。
【請求項4】
前記他の化合物としてアルキルシラン系化合物を用いる、請求項3に記載の制御方法。
【請求項5】
前記複数の撥水剤として、少なくともパーフルオロアルキルシランとオクタデシルトリメトキシシランを用いる、請求項1〜4のいずれかに記載の制御方法。
【請求項6】
前記パーフルオロアルキルシランにより主として接触角が大きくなる方向に制御し、前記オクタデシルトリメトキシシランにより主として液滴滑落性としての液滴の転落加速度が大きくなる方向に制御する、請求項5に記載の制御方法。
【請求項7】
前記複数の撥水剤を、浸漬法または蒸着法により、固体表面に配置する、請求項1〜6のいずれかに記載の制御方法。
【請求項8】
請求項1〜7のいずれかに記載の方法により液滴の転落加速度が制御された撥水性固体表面を有する構造体。
【請求項9】
液滴滑落性が異なる複数の撥水剤が均質に定着された撥水性固体表面を有する、請求項8に記載の構造体。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開2006−257337(P2006−257337A)
【公開日】平成18年9月28日(2006.9.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−79144(P2005−79144)
【出願日】平成17年3月18日(2005.3.18)
【出願人】(591243103)財団法人神奈川科学技術アカデミー (271)
【出願人】(304021417)国立大学法人東京工業大学 (1,821)
【Fターム(参考)】