説明

溶血水溶液及びそれを用いたヘモグロビン類の分離方法

【課題】ヘモグロビンA2のピークの分離、強いては測定結果に影響を及ぼすおそれがある、ヘモグロビンA0とヘモグロビンA2のピークの間に出現することのあるピークを発生させない溶血水溶液を提供すること。
【解決手段】ヘモグロビン類を液体クロマトグラフィーで分離する際に用いる溶血水溶液であって、pHが6.9乃至11の範囲であり、かつ、アジ化物濃度が0.02(重量/容量%)以下である溶血水溶液により、前記課題を解決する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ヘモグロビン類を液体クロマトグラフィーで分離する際に用いる溶血水溶液、及び、それを用いたヘモグロビン類の分離方法に関する。
【背景技術】
【0002】
サラセミア症は、ヘモグロビンの生産異常が起きる遺伝子疾患である。サラセミア症の診断では、ヘモグロビンA2が診断の指標として用いられることがあるが、その測定は、一般的にはイオン交換クロマトグラフィー等の液体クロマトグラフィーによってヘモグロビンA2を他のヘモグロビンから分離することにより実施される。ヘモグロビン類は赤血球中に含まれるため、液体クロマトグラフィーによりヘモグロビンを分離するに当たっては、溶血水溶液を用いて事前に赤血球を溶血させる必要があり、従来は、以下に述べるような種々の溶血水溶液が使用されていた。
【0003】
即ち、特許文献1には、蒸留水等の低張液やポリオキシエチレンアルキルアリールエーテル等の界面活性剤を含む溶血水溶液が開示されている。特許文献2乃至4には、これもまた界面活性剤であるTritonX−100を含むpH7.0のリン酸緩衝液が溶血水溶液として開示されている。
【0004】
ところで、ヘモグロビンの分離を陽イオン交換クロマトグラフィーで実施した場合には、ヘモグロビン成分の大部分をしめるヘモグロビンA0とヘモグロビンA2の電荷の差が小さいために、両者の溶出ピークは接近したものとなる。ところが従来公知の溶血水溶液で溶血した試料を供した場合、ヘモグロビンA0とヘモグロビンA2のピークの間に変成ヘモグロビンに由来すると思われるピークが出現することがあり、このピークがヘモグロビンA2のピークの分離、強いては測定結果に影響を及ぼすおそれがあった。
【0005】
【特許文献1】特開平8−160048号公報
【特許文献2】特開平10−10107号公報
【特許文献3】特開平11−10108号公報
【特許文献4】特開2000−88835号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
そこで本発明の目的は、ヘモグロビンA0とヘモグロビンA2のピークの間に変成ヘモグロビン由来ピークを発生させ難い溶血水溶液を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0007】
溶血水溶液には、通常、アジ化ナトリウム等のアジ化物が防腐剤(抗菌剤)として0.05〜0.10(重量/容量%)程度含まれているが、本発明者らがヘモグロビンA0とヘモグロビンA2のピークの間に出現する変成ヘモグロビン由来ピークの発生原因について鋭意検討したところ、当該ピークがこのアジ化物によって引き起こされている可能性のあることを知見した。溶血後の血液試料は血液そのものと比較した場合、不安定で、徐々に変成が進行する。臨床的なヘモグロビン類の分離測定の際に数分から10時間程度に渡って溶血後の試料が室温条件におかれることがあるが、そのような場合には当該ピークの発生が顕著になると予想される。そして本発明者らは、前記知見に基づき、アジ化物の濃度と溶血水溶液のpHの組合せを一定の範囲に制御することによってかかるピークを発生し難くすることができることを見出し、本発明を完成した。
【0008】
すなわち本発明は、ヘモグロビン類を液体クロマトグラフィーで分離する際に用いる溶血水溶液であって、pHが6.9乃至11の範囲、好ましくはpHが6.9乃至10.5の範囲であり、かつ、アジ化物濃度が0.02(重量/容量%)以下であることを特徴とする溶血水溶液である。また本発明は、pHが6.9乃至11の範囲、好ましくはpH6.9乃至10.5の範囲であり、かつ、アジ化物濃度が0.02(重量/容量%)以下である溶血水溶液を用いて溶血した赤血球を液体クロマトグラフィーで分離することを特徴とする、ヘモグロビン類の分離方法である。
【発明の効果】
【0009】
本発明では、溶血水溶液に防腐剤として添加されているアジ化物の濃度と溶血水溶液のpHの組合せを一定の範囲に制御したことによって、室温条件下に10時間程度溶血後の試料が室温条件におかれた場合であっても、ヘモグロビンA0とヘモグロビンA2のピークの間に変成ヘモグロビン由来ピークを出現させ難い溶血水溶液を提供することが可能となる。
【0010】
具体的には、実施例に示したようにアジ化ナトリウム濃度を0.02%以下とし、そのpHを7.5乃至9.5とした場合、室温条件に9時間おいた場合にも、陽イオン交換クロマトグラフィーによるヘモグロビンA2の分離に影響を与える変成ヘモグロビン由来ピークの発生を防止できる。
【0011】
本発明では、アジ化ナトリウムに代表されるアジ化物の添加量を0.02%以下と、通常の添加濃度よりも低くしているが、本発明者らの知見では、本発明に従って製造した溶血水溶液を室温下で約1年放置しても、バクテリア等の繁殖は観察されなかった。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
本発明は、液体クロマトグラフィー、特に陽イオン交換クロマトグラフィーで分離されるべき血液試料を溶血させる溶血水溶液である。本発明の溶血水溶液に含まれるアジ化物とは、アジ化ナトリウムやアジ化リチウムといった、防腐目的で従来から使用されている既知のアジ化物である。本発明の溶血水溶液は、そのpHが6.9乃至11の範囲、好ましくはpH6.9乃至10.5の範囲であり、かつ、アジ化物濃度が0.02(重量/容量%)以下であれば特に制限はない。特に好ましくは、そのpHは7.5乃至9.5である。pHをこの範囲に制御するために、本発明の溶血水溶液は適当な緩衝材を含むことができる。また本発明の溶血水溶液は、例えば、溶血後のヘモグロビンを安定させる保存剤としてのEDTA塩や、可溶化剤としての非イオン性界面活性剤等を含んでいても良い。当該EDTA塩としては、例えばエチレンジアミン−N,N,N’,N’−四酢酸二カリウム、エチレンジアミン−N,N,N’,N’−四酢酸三カリウム、エチレンジアミン−N,N,N’,N’−四酢酸四カリウム、エチレンジアミン−N,N,N’,N’−四酢酸二ナトリウム、エチレンジアミン−N,N,N’,N’−四酢酸三ナトリウム、エチレンジアミン−N,N,N’,N’−四酢酸四ナトリウムが好適なものとして例示できる。また当該非イオン性界面活性剤としては、例えば、しょ糖脂肪酸エステル類、脂肪酸アルカノールアミド類、ポリオキシエチレンアルキルエーテル類、ポリオキシエチレンアルキルフェニルエーテル類等の非イオン性界面活性剤が好適なものとして例示できる。
【0013】
このような本発明の溶血水溶液を用いて溶血した赤血球を液体クロマトグラフィー、特に陽イオン交換クロマトグラフィーで分離する方法について、以下、説明する。液体クロマトグラフィーに供する血液試料は、既知の抗凝固剤を封入した採血管等を用いて採取される。既知の抗凝固剤としては、ヘパリンナトリウム、ヘパリンリチウム、エチレンジアミン−N,N,N’,N’−4酢酸二カリウム、エチレンジアミン−N,N,N’,N’−4酢酸三カリウム、エチレンジアミン−N,N,N’,N’−4酢酸二ナトリウム、エチレンジアミン−N,N,N’,N’−4酢酸三ナトリウム、フッ化ナトリウム、クエン酸、クエン酸ナトリウムなどが例示できる。
【0014】
このような血液試料に対し、前述した溶血水溶液を加え、試料中の赤血球を溶血させる。溶血水溶液の添加は、血液試料に対して一定割合の溶血水溶液を添加するようにすれば良い。例えば血液試料1に対して40の割合で溶血水溶液を添加することが提示できる。また血液試料に溶血水溶液を添加する際の温度条件等については、例えば室温条件が例示できる。更に、溶血水溶液を添加する際の具体的な操作については、例えば添加後10秒程度、緩やかに撹拌する等を例示することができる。
【0015】
溶血後の試料(溶血試料)を供する液体クロマトグラフィー装置は、例えば定流量ポンプ、サンプル注入器(インジェクタ)、カラム、検出器等を備えた装置であるが、より正確な分離を行うためには、脱気装置、グラジエント制御可能なポンプ、ミキサ、サンプル注入器(インジェクタ)、カラムオーブン、検出器を備えた装置であることが好ましい。
【0016】
前記した好ましい構成の液体クロマトグラフィー装置では、例えば2種類の溶出液(AとB;BはAよりもヘモグロビンの溶出力を強くする)を用い、これらを定流量ポンプによって混合して分離カラムに供することでリニアグラジエント法又はステップグラジエント法によって経時的に溶出液の溶出力を高めることができる。この方法では、ヘモグロビンをカラムの充填剤表面で電荷の差により、多種の成分に分離することができる。例えば3種類の溶出液を用い、これらを順次切り替えるステップグラジエント法を実施しても良い。なお、前記した溶出力を強める方法としては、溶出液中のイオン濃度を高くする方法、溶出液のpHを高くする方法が知られている。
【実施例】
【0017】
液体クロマトグラフィーによるヘモグロビン分析装置として、陽イオン交換クロマトグラフィーによりヘモグロビン類を分離する自動グリコヘモグロビン分析計HLC−723G8(商品名、東ソー(株)製)を用い、本発明の溶血水溶液の効果を調査した。前記装置の分離カラムは、スルホン基をイオン交換基としてもつ非多孔性イオン交換樹脂が充填されたTSKgel G8 β−Thal. HSi(商品名、東ソー(株)製)であり、溶出液は、G8 β−Thalassemia Elution Buffer No.1、G8 β−Thalassemia Elution Buffer No.2及び G8 β−Thalassemia Elution Buffer No.3 (No.1からNo.3の順番でヘモグロビンの溶出力が高くなっている)で構成されるG8 β−Thalassemia Elution Buffer Kit(商品名、東ソー(株)製)である。なおこの装置は、脱気装置、ポンプ、カラム恒温槽、検出器を有する装置である。
【0018】
実施例1
インフォームドコンセントを得て採取したヒトの血液に対し、EDTA・2K、EDTA・4N及びポリオキシエチレン(10)オクチルフェニルエーテルを純水に溶解した溶血水溶液A(pH7.06)を血液1に対して40の割合で加え、10秒間攪拌して溶血した溶血試料を、0時間から20時間に渡って30℃で保存した。この保存の間に溶血試料の一部を前記装置に供してヘモグロビンA2を分離し、その割合(%)を測定した。結果を図1に白丸で示す。
【0019】
0時間におけるヘモグロビンA2(%)を100%とし、各測定でのヘモグロビンA2の回収率を算出したところ、前記条件で20時間放置しても、97%の回収率が達成された。実施例1の結果からは、溶血水溶液の保存性を考慮しないのであれば、アジ化物を一切含めないことが最良であることが分かる。
【0020】
実施例2
アジ化ナトリウムを0.02%(重量/容量%)となるように溶血水溶液Aに加え、この溶液を用いて実施例1と同様の操作を実施した。結果を図1に白三角で示す。6時間後の回収率は95%、20時間後の回収率は92%であり、サラセミア症のヘモグロビンA2の測定では±10%の差は陽性率に影響しないと考えられることから、十分な正確性が得られていることが分かる。
【0021】
比較例1
アジ化ナトリウムを0.05%となるように溶血水溶液Aに加えた以外は実施例1と同様の操作を実施したところ、10時間程度で回収率は90%を下回り、20時間後には80%程度の回収率となった(図1における白四角)。またアジ化ナトリウムを0.1%となるように溶血水溶液の原液に加えた場合も、10時間程度で回収率は90%を下回り、20時間後には70%をも下回る回収率となった(図1における白ひし形)。
【0022】
実施例3
インフォームドコンセントを得て採取したヒトの血液に対し、アジ化ナトリウムを0.02%(重量/容量%)、EDTA・2K、EDTA・4Na及びポリオキシエチレン(10)オクチルフェニルエーテルを含む溶血水溶液B(pH7.26)を血液1に対して40の割合で加え、10秒間攪拌して溶血した溶血試料を、0時間から12時間に渡って30℃で保存した。この保存の間に溶血試料の一部を前記装置に供してヘモグロビンA2を分離し、その割合(%)を測定した。結果を図2に黒四角で示す。
【0023】
0時間におけるヘモグロビンA2(%)を100%とし、各測定でのヘモグロビンA2の回収率を算出したところ、前記条件で12時間放置しても、96%の回収率が達成され、アジ化物の濃度とpHの組合せを一定の範囲に制御することにより、高いヘモグロビンA2の回収率を実現できることが分かる。
【0024】
実施例4
インフォームドコンセントを得て採取したヒトの血液に対し、アジ化ナトリウムを0.02%(重量/容量%)、EDTA・2K、EDTA・4Na及びポリオキシエチレン(10)オクチルフェニルエーテルを含む溶血水溶液C(pH9.21)を血液1に対して40の割合で加え、10秒間攪拌して溶血した溶血試料を、0時間から12時間に渡って30℃で保存した。この保存の間に溶血試料の一部を前記装置に供してヘモグロビンA2を分離し、その割合(%)を測定した。結果を図2に黒三角で示す。
【0025】
0時間におけるヘモグロビンA2(%)を100%とし、各測定でのヘモグロビンA2の回収率を算出したところ、前記条件で12時間放置しても、100%の回収率が達成され、アジ化物の濃度とpHの組合せを一定の範囲に制御することにより、高いヘモグロビンA2の回収率を実現できることが分かる。
【0026】
実施例5
インフォームドコンセントを得て採取したヒトの血液に対し、アジ化ナトリウムを0.02%(重量/容量%)、EDTA・2K、EDTA・4Na及びポリオキシエチレン(10)オクチルフェニルエーテルを含む溶血水溶液D(pH10.24)を血液1に対して40の割合で加え、10秒間攪拌して溶血した溶血試料を、0時間から12時間に渡って30℃で保存した。この保存の間に溶血試料の一部を前記装置に供してヘモグロビンA2を分離し、その割合(%)を測定した。結果を図2に白丸で示す。
【0027】
0時間におけるヘモグロビンA2(%)を100%とし、各測定でのヘモグロビンA2の回収率を算出したところ、前記条件で12時間放置しても、102%の回収率が達成され、アジ化物の濃度とpHの組合せを一定の範囲に制御することにより、高いヘモグロビンA2の回収率を実現できることが分かる。
【0028】
実施例6
インフォームドコンセントを得て採取したヒトの血液に対し、アジ化ナトリウムを0.02%(重量/容量%)、EDTA・2K、EDTA・4Na及びポリオキシエチレン(10)オクチルフェニルエーテルを含む溶血水溶液(pH6.5又はpH10.67)を血液1に対して40の割合で加え、10秒間攪拌して溶血した溶血試料を、0時間から12時間に渡って30℃で保存した。この保存の間に溶血試料の一部を前記装置に供してヘモグロビンA2を分離し、その割合(%)を測定した。結果を図2にそれぞれ白三角又は白四角で示す。
【0029】
0時間におけるヘモグロビンA2(%)を100%とし、各測定でのヘモグロビンA2の回収率を算出したところ、前記条件で12時間放置すると、それぞれ86%又は107%の回収率であった。
【0030】
本例では、ヘモグロビンA0とヘモグロビンA2のピークとの間には変成ヘモグロビンに由来すると思われるピークは出現しなかったものの、ヘモグロビンFのピークが実施例4の場合と比較して広がる傾向が観察された。この結果から、溶血水溶液のpHが10.5を超えても、ヘモグロビンA2の分離は良好であるが、他のヘモグロビンの分離が影響を受けるため、溶血水溶液はそのpHを6.9乃至10.5とすることが特に好ましいことが分かる。
【図面の簡単な説明】
【0031】
【図1】図1は、実施例1、実施例2、比較例1の各結果を示す図である。縦軸はグリコヘモグロビンA2の回収率(HbA2回収率(%))を、縦軸はインキュベート時間(Hr)をそれぞれ示す。
【0032】
実施例1の結果は丸、実施例2の結果は三角、比較例1の結果は四角又はひし形で示している。
【図2】図2は、実施例3乃至6の各結果を示す図である。縦軸はグリコヘモグロビンA2の回収率(HbA2回収率(%))を、縦軸はインキュベート時間(Hr)をそれぞれ示す。
【0033】
実施例3の結果は黒四角、実施例4の結果は黒三角、実施例5の結果は白丸そして実施例6の結果は白三角または白四角で示している。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ヘモグロビン類を液体クロマトグラフィーで分離する際に用いる溶血水溶液であって、pHが6.9乃至11の範囲であり、かつ、アジ化物濃度が0.02(重量/容量%)以下であることを特徴とする溶血水溶液。
【請求項2】
そのpHが6.9乃至10.5の範囲である、請求項1の溶血水溶液。
【請求項3】
pHが6.9乃至11の範囲であり、かつ、アジ化物濃度が0.02(重量/容量%)以下である溶血水溶液を用いて溶血した赤血球を液体クロマトグラフィーで分離することを特徴とする、ヘモグロビン類の分離方法。
【請求項4】
そのpHが6.9乃至10.5の範囲である溶血水溶液を用いる、請求項3のヘモグロビン類の分離方法。

【図1】
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【図2】
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【公開番号】特開2010−107436(P2010−107436A)
【公開日】平成22年5月13日(2010.5.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2008−281557(P2008−281557)
【出願日】平成20年10月31日(2008.10.31)
【出願人】(000003300)東ソー株式会社 (1,901)