説明

鋼材の化成処理前の表面調整処理

四ホウ酸カリウムまたは四ホウ酸ナトリウムの水溶液を用いて油井管用ネジ継手を表面調整処理した後にリン酸マンガン系化成処理を施すと、高Cr鋼を含む各種の鋼材の表面に平均結晶粒径が10〜110 μmの粗大な結晶粒からなるリン酸マンガン系化成皮膜が形成される。このリン酸マンガン系化成皮膜は、多量の液状潤滑剤を保持することができ、油井管用ネジ継手の締結時のゴーリング発生の防止に有効である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鋼材、特に油井管等の鋼管用ネジ継手、にリン酸塩化成処理を施す前に用いる表面調整処理用処理液と、この処理液を用いた鋼材の表面処理方法および表面処理鋼材、特に鋼管用ネジ継手に関する。本発明に従って表面調整処理を行うことにより、油井管等の鋼管用ネジ継手の耐焼付き性を著しく改善することができる。
【背景技術】
【0002】
鋼材の化成処理は、鋼材と1種の腐食液との化学反応により、鋼材表面に固着性のある腐食生成物からなる皮膜を形成する処理である。使用する腐食液の種類によって、リン酸塩処理、クロメート処理、シュウ酸塩処理などがある。なかでも、リン酸塩系化成処理は、自動車産業において鋼板の電着塗装前の下地処理皮膜として広く使用されている。
【0003】
自動車用鋼板の塗装下地処理としてのリン酸塩化成処理は、電着塗料の付着性を向上させる目的で行われ、緻密で微細な結晶からなるリン酸塩皮膜を形成することが求められる。そのようなリン酸塩皮膜を確実に形成させるため、化成処理の前にリン酸イオンとアルカリ金属イオンとを含有する表面調整処理用処理液で鋼板の表面調整処理を行うことが知られている。
【0004】
例えば、特開昭57−82478 号公報 (文献1) 、特開平10−245685号公報 (文献2) 、特開2000−96256 号公報 (文献3) には、それぞれ「アルカリ金属リン酸塩を主成分とし、少量のチタニウム化合物と塩素酸塩」、「リン酸塩の微粒子とアルカリ金属塩、アンモニウム塩等」、「リン酸塩の微粒子と促進成分 (有機化合物) 」を混合した表面調整処理用処理液で鋼材を処理し、次いでリン酸亜鉛系化成処理液で処理すると、緻密で極微細な結晶を有する化成皮膜が形成できることが開示されている。
【0005】
これらの表面調整処理はいずれも、リン酸塩皮膜の緻密化/微細化を目的とするものであって、表面調整処理用処理液それ自体が、アルカリ金属イオンと同時にリン酸イオンも含有している。
【0006】
ところで、油井堀削時に使用するチュービングやケーシングといった油井管は、一般にネジ継手で連結される。油井の深さは通常は2000〜3000mであるが、近年の海洋油田などの深油井では8000〜10000 mにも達する。
【0007】
これらの油井管を繋ぐネジ継手には使用環境下で油井管及び継手自体の重量に起因する軸方向引張力や内外面圧力などの複合した圧力と地中の熱が作用するので、このような環境下においても破損することなく気密性や液密性を保持することが要求される。さらに、チュービングやケーシングの降下作業時には、一度締め込んだ継手を緩め、再度締め直すことがある。API (米国石油協会) では、チュービング継手においては10回の、ケーシング継手においては、3 回の締付け(メイクアップ) 、緩め(ブレークアウト) を行っても、ゴーリングと呼ばれる回復不能な厳しい焼付きの発生が無く、気密性や液密性が保持されることを要求している。
【0008】
典型的的な油井管用ネジ継手は、油井管の端部に雄ネジを形成してピンとし、ネジ継手部材 (カップリング) の内面に雌ネジを形成してボックスとし、雄ネジの先端と雌ネジの対応位置にはそれぞれネジなし金属接触部を設けて、締付けによりネジなし金属接触部同士が当接してメタルシール部を形成する、メタルシール可能なピン−ボックス構造をとる。締付けの際には、コンパウンドグリスと呼ばれる重金属粉を含有する液状潤滑剤を塗布し、耐焼付き性と気密性、液密性の向上を図っている。なお、鋼管の一端に雄ネジとネジなし金属接触部とを設けてピンとし、他端に雌ネジとネジなし金属接触部とを設けてボックスとした、カップリング不要のネジ継手とすることもある。
【0009】
主に、このコンパウンドグリスの保持性向上による摺動性 (耐焼付き性) や気密性、液密性を改善する目的で、ネジ継手のネジ部やネジなし金属接触部に、リン酸塩化成処理、特にリン酸マンガン系化成処理が施されることがある。その場合、上述した自動車用鋼板の塗装前処理として開発されたリン酸塩化成処理や、その前の表面調整処理の技術をそのまま適用しても、目的を達成することができない恐れがある。
【0010】
そこで、油井管用ネジ継手の耐焼付き性を改善するためのリン酸塩系化成処理についても、これまでにいくつかの提案がある。
例えば、特開平5−117870号公報(文献4) には、油井管継手の表面に平均粗さ20〜60μmの凹凸加工を施した後、リン酸塩系化成処理を施すと、耐焼付き性と耐摩耗性が向上することが開示されている。
【0011】
特開2001−335956号公報(文献5)には、Cr含有油井用鋼管継手の表面に、慣用の標準的な表面調整処理または表面粗化処理を施した後、全酸度、遊離酸度、および酸比を特定範囲に調整したリン酸マンガン系化成処理液を用いて化成処理を行うことが開示されている。形成されたリン酸マンガン系化成皮膜は、結晶が小さく緻密なものである。
【0012】
特開昭60−121385号公報(文献6)、特開平6−346988号公報(文献7)、特開平7−139665号公報(文献8)には、Cr含有量が約10質量%以上の高クロムステンレス鋼製の油井管用ネジ継手に対して、それぞれ「分散粒子を含有しうるFeメッキを形成した後、リン酸塩皮膜を形成」、「窒化層を形成した後、焼付き防止皮膜 (リン酸マンガン、またはZnもしくはSnメッキ) を形成」、「鉄もしくは鉄合金のメッキ層を形成後、リン酸マンガン系化成皮膜を形成」することにより、耐焼付き性を高めることができることが開示されている。
【0013】
特開平8−103724号公報(文献9)、特開平8−105582号公報(文献10)には鋼管継手のネジ部およびメタルシール部に、リン酸マンガン系化成皮膜層あるいは窒化処理層とリン酸マンガン系化成皮膜層を設け、その上に固体潤滑剤を含有する樹脂皮膜 (固体潤滑皮膜) を形成して耐焼付き性の改善を図ることが開示されている。
【0014】
特公平5−40034 号公報(文献11)には、フッ素イオンを添加したリン酸マンガン系化成処理液を用いて、表面調整処理を行わずに、化成処理を施して、ネジ継手の表面に粗い結晶粒 (20〜50μm) のリン酸塩化成皮膜を形成すると、耐焼付性、耐摩耗性、耐久性等に優れた鋼管継手が得られることが開示されている。
【0015】
特開2003−231974号公報 (文献12) には、所定量のカリウム塩を含有するリン酸亜鉛系またはリン酸マンガン系化成処理液を用いて、表面調整処理せずに化成処理を施して、カリウムを含有するリン酸塩化成皮膜を形成すると、Cr含有鋼からなる油井管用ネジ継手に密着性の高い化成皮膜を形成することでき、この化成皮膜は結晶粒が微細で緻密であることが開示されている。
【0016】
文献1:特開昭57−82478 号
文献2:特開平10−245685号
文献3:特開2000−96256 号
文献4:特開平5−117870号
文献5:特開2001−335956号
文献6:特開昭60−121385号
文献7:特開平6−346988号
文献8:特開平7−139665号
文献9:特開平8−103724号
文献10:特開平8−105582号
文献11:特公平5−40034 号
文献12:特開2003−231974号
【発明の開示】
【0017】
リン酸塩化成皮膜のような結晶質皮膜の場合、反応初期に析出した単位面積あたりの結晶数が多いほど、結晶粒径が微細で緻密な皮膜が短時間のうちに形成される。それには、結晶核となる物質の粒径が小さいほど有利である。
【0018】
自動車業界では、鋼板の塗装外観や防錆性を高めるために、リン酸塩皮膜は結晶粒が限りなく微細で表面が平滑であることが望まれていた。上記文献1〜3に記載された技術は、いずれも微細な結晶核を多数析出させるように表面調整処理を行うことにより、リン酸塩化成皮膜の微細化と緻密化を図るものである。
【0019】
一方、過酷な環境下で使用される油井管用ネジ継手にあっては、その環境下で十分な気密性や液密性を保持すると同時に、締付けと緩めを繰り返してもゴーリングを防止できる、耐久性に優れた耐焼付き性が求められる。しかし、現状では、ネジ継手の締付けと緩めを繰り返した場合のゴーリングを完全に防止することはできていない。
【0020】
例えば、油井管用ネジ継手に対して、前述した自動車用鋼板向けに開発された文献1〜3に記載の技術に従って、アルカリ金属イオンとリン酸イオンを含有する処理液で表面調整処理を行った後、リン酸塩処理を施すと、鋼板の場合と同様に、緻密で微細な結晶粒からなるリン酸塩皮膜をネジ継手表面に形成することができる。しかし、このリン酸塩皮膜では、ネジ継手の締付け緩めを繰り返した場合のゴーリングは防止できない。
【0021】
その原因究明のため、ネジ部を切り出して表面及び断面の皮膜性状を走査型電子顕微鏡で詳細に観察、調査した結果、次のことが判明した。(i) リン酸塩化成皮膜の結晶粒径が極微細 (大部分が1〜2μm以下)である、(ii)表面に凹凸のない平滑な表面性状である、(iii) 皮膜厚みは大部分が 0.6〜1.3 μmと薄い。表面に凹凸が無く、かつ化成皮膜が薄いため、潤滑剤 (コンパウンドグリス) を十分に保持できない。そのため、潤滑不足となって、高面圧でネジ同士が摺動するときに、リン酸塩皮膜が機械的圧力に耐えきれずに剥離ないし摩耗して、金属接触を起こし、ゴーリングを生じたと考えられる。
【0022】
このことから、ゴーリングが起こらないように耐焼付き性を高めるには、リン酸塩系化成処理皮膜は、表面凹凸が大きくなるように結晶粒径を大きくして、コンパウンドグリスの保持性を高めることが有利であることがわかる。
【0023】
文献4に開示されているように、下地のネジ継手の表面粗さをショットブラスト等の表面粗化処理により大きくしても、リン酸塩系化成処理皮膜そのものの結晶粒径が大きくならないので、コンパウンドグリスの保持性を十分に高めることはできず、耐焼付き性の改善効果は限られたものとなってしまう。
【0024】
文献5に記載のリン酸マンガン系化成処理の場合、例えば、全酸度80ポイント、遊離酸度 7.6〜10.0ポイント、酸比 6.7〜12.0という高い酸濃度に調整した93℃の高温のリン酸塩処理液を用いて60分以上の処理を行うと、部分的に60μmという大きな膜厚を有し、かつ結晶粒径も大きなリン酸塩化成皮膜を形成することができる。しかし、皮膜の厚みが不均一で、部分的にスケ (金属素地が露出している部分) ・ムラができるため、耐焼付き性の改善は不十分である。しかも、このような高濃度、高温かつ長時間の処理は、工業的実施には向いていない。酸濃度を低めにして、処理時間を短くすると、化成皮膜の均一性は向上するが、皮膜表面が比較的平滑となり、耐焼付き性の向上は得られない。
【0025】
文献6〜8に開示されているように、リン酸塩化成皮膜の下地としてメッキ層または窒化層を形成すると、油井管用ネジ継手の耐焼付き性を高めることができる。この技術は、従来はリン酸塩化成皮膜が形成できなかった、Cr含有量が10質量%以上の高Cr鋼やステンレス鋼のリン酸塩化成処理を可能にする技術である。しかし、このように下地を形成しても、リン酸塩化成処理の前に、表面調整処理が必要となることがある。メッキ層や窒化層の形成は、コストや時間を要する作業であるので、Cr含有量10質量%以上の高Cr鋼やステンレス鋼に対しても、メッキや窒化といった下地処理を行わずに、表面調整処理だけでリン酸塩化成処理が可能になれば、工業的に非常に有利である。
【0026】
炭素鋼やCr10質量%以下のCr含有鋼は、メッキや窒化といった下地処理を行わずに、公知の表面調整処理後にリン酸塩化成処理を施すことにより、リン酸塩化成皮膜が形成できる。しかし、形成された化成皮膜は、前述したように、均質で薄膜の極微細結晶であるため、油井管継手に所望される耐焼付き性を付与することができない。
【0027】
文献9〜10には、リン酸塩化成皮膜の上に固体潤滑皮膜を形成し、コンパウンドグリスの塗布を不要にする技術が開示されている。しかし、固体潤滑皮膜を形成するには、塗布→高温ベーキング→冷却という工程の付加が必要であり、大幅な設備投資を余儀なくされ、必要な工数や費用も多大となるので、経済面から工業的実施は困難である。
【0028】
文献11には、表面調整処理せずに、フッ素イオンを含有するリン酸マンガン系化成処理液を用いて化成処理すると、20〜50μmという粗い結晶の化成皮膜を形成することができ、耐焼付性、耐摩耗性、耐久性等に優れた鋼管継手が得られると説明されている。この文献の図面に示された結果を見ると、フッ素イオン濃度が高まるほど、化成皮膜の膜厚が低減し、フッ素イオン濃度が1.0 g/l 当たりで耐焼付き性が最高となり、その前後では急激に耐焼付き性が低下する。従って、フッ素イオン濃度が少し変化するだけで、耐焼付き性が変動することが予測される。
【0029】
本発明者らがこの技術について追試したところ、同一条件で処理を施した場合であっても、耐焼付き性 (締付け・緩めの反復回数) に著しいバラツキがあった。顕微鏡観察の結果、化成皮膜結晶は確かに粗大であるが、部分的にリン酸マンガンの結晶が無く、スケが確認された。従って、高面圧下でのネジ同士が摺動するに、リン酸塩の結晶が介在しない部分はコンパウンドグリスのみが存在し、機械的圧力下で金属接触を起こしてゴーリングを生じたと考えられる。つまり、文献11に開示された技術は、確実性や信頼性に乏しい。その原因として、リン酸マンガン系化成処理液は、フッ素イオン以外にリン酸マンガンや他の添加剤を含む多くの成分を含有していることが考えられる。それらの微妙なバランスがよければ望ましい結晶が生成するが、成分の消費が局部的に異なるため、バランスが崩れた箇所ではスケが発生するものと考えられる。
【0030】
また、文献11に開示の技術は、腐食性の高いフッ素イオンを利用する点で別の問題がある。フッ素イオンを含有するリン酸マンガン系化成処理液を用いた場合、処理液中のフッ素イオンにより処理槽、配管、配管継手部分等に腐食を起こし、それらの部位の交換や補修の頻度が高まる。そのため、時間的工数の増大や生産の一次停止等による生産性の低下を余儀なくされる。設備を耐フッ素イオン型に更新すれば、設備上の問題はなくなるが、投資額が莫大になる。さらに、フッ素イオンを含む化成処理液の廃液処理時にフッ素イオンを除去する作業が面倒であるので、必然的に廃液処理コストが非常に高くなる。また、化成処理液がフッ素イオンを含むことから、形成されたリン酸マンガン系化成皮膜にフッ素イオンが残留することも考えられ、そうなると、非常に高精度に仕上げられたネジ面のフッ素による腐食が進行し、ネジ面の精度がAPI基準許容範囲を外れるという懸念もある。
【0031】
本発明は、前述した従来技術の問題点が解消された、油井管等の鋼管用ネジ継手に適したリン酸塩化成処理技術を提供することを課題とする。
より具体的な課題は、フッ素イオンのような腐食性で廃液処理を困難にする成分を利用せず、低コストで実施可能で、ネジ継手の耐焼付き性を確実に改善することができ、しかも、Cr含有量が10質量%以上という高Cr鋼やステンレス鋼のネジ継手に対しても、メッキや窒化といった下地処理を行わずに耐焼付き性を付与することができるリン酸塩化成皮膜を形成することである。
【0032】
本発明者らは先に、文献12において、四ホウ酸カリウムのようなカリウム化合物をリン酸塩化成処理液に添加すると、表面調整処理を行うことなく、Cr含有鋼の表面にスケ・ムラのない健全なリン酸塩化成皮膜を形成できることを提案した。形成された化成皮膜は結晶粒が微細で緻密なものあった。なお、ナトリウム化合物では効果がなかった。
【0033】
その後の研究において、この化合物を利用して表面調整処理を行った後、通常通りにリン酸塩化成処理を行うと、上記とは異なり、粗大な結晶粒からなる化成皮膜が生成し、前述した課題が達成されること、そしてこの作用効果がカリウム塩のみならず、ナトリウム等の他のアルカリ金属塩でも得られることを見いだし、本発明に至った。
【0034】
本発明は、1側面において、鋼材のリン酸塩化成処理の前に用いられる表面調整処理用処理液であって、アルカリ金属塩を含み、リン酸イオンを含まない水溶液からなることを特徴とする表面調整処理用処理液である。アルカリ金属塩は好ましくはアルカリ金属四ホウ酸塩である。
【0035】
別の側面からは、本発明は、鋼材を上記表面調整処理用処理液で処理した後、リン酸塩化成処理を行うことを特徴とする、表面処理鋼材の製造方法である。
リン酸塩化成処理は好ましくはリン酸マンガン系化成処理である。
【0036】
本発明によれば、鋼材表面に、上記方法により形成された平均結晶粒径が10〜110 μmのリン酸マンガン系化成皮膜を有することを特徴とする表面処理鋼材も提供される。
本発明において、鋼材は、好ましくは油井管といった鋼管用のネジ継手であるが、高面圧が付与される他の鋼材にも本発明を適用することができる。また、鋼管としては油井管を念頭に置いているが、油井管以外の他の鋼管のネジ継手に対しても本発明を適用することができる。
【0037】
本発明によれば、四ホウ酸カリウムといった単一のアルカリ金属塩の水溶液を用いて表面調整処理を行うことにより、その後のリン酸塩化成処理において、鋼管用ネジ継手といった鋼材表面に、粗大な結晶粒からなる (従って、コンパウンドグリスの保持性のよい) リン酸塩化成皮膜を、スケを生ずることなく一様に形成することができる。
【0038】
本発明に従って表面調整処理を行うと、リン酸塩化成処理の反応初期に析出する単位面積あたりの結晶数が少なくなり、成長中の結晶間の距離が長くなって、結晶同士が接触するまでの時間が長くなり、リン酸塩結晶粒が粗大化すると考えられる。その推定されるメカニズムについては後述する。
【0039】
本発明の表面調整処理用処理液は、単一化合物の水溶液でよいため、局部的または経時時に作用が変動する可能性が少なく、安定かつ確実に上記の効果を達成することができる。また、この処理液はフッ素イオンといった腐食性の強い化合物を含む必要がないので、従来のリン酸塩化成処理設備をそのまま利用して、表面調整処理工程において本発明の処理液を用いることにより、工数を増やさずにリン酸塩化成処理を実施することができる。廃液処理も従来と同様でよい。
【0040】
しかも、本発明の表面調整処理用処理液は、処理液中のアルカリ金属塩濃度を高めれば、Cr含有量が10質量%という高Cr鋼やステンレス鋼に対しても有効である。従って、高Cr鋼やステンレス鋼に対して、従来のように窒化またはメッキといった下地処理を行わずに、普通鋼と同様の工程で、高Cr鋼の鋼材にリン酸塩化成処理を施すことが可能となる。
【0041】
本発明により、普通鋼から高合金鋼までの各種鋼種の油井管用ネジ継手に対して、従来の普通鋼の場合と同じ工程順で表面調整処理と化成処理を低コストで実施できるようになる。こうして油井管用ネジ継手に優れた耐焼付き性を安定して付与することができ、それにより油井管の降下作業におけるゴーリング発生を確実に防止することができる。
【図面の簡単な説明】
【0042】
【図1】摩擦試験のピン−ディスク型試験片を示す説明図である。
【図2】リン酸塩化成皮膜の平均結晶粒径の決定方法を示す説明図である。
【発明を実施するための最良の形態】
【0043】
化成皮膜の結晶が粗大になることで特に大きな利点があるのは、油井管用ネジ継手に施したリン酸塩化成皮膜の場合であるので、以下では、その態様に関して本発明を説明する。但し、前述したように、本発明の表面調整処理用処理液が適用される鋼材は、油井管用ネジ継手に限られるものではなく、他用途の鋼管用ネジ継手、さらにはネジ継手以外の鋼材であってもよい。ネジ継手は、継手部材 (カップリング) を使用するものでも、使用しないものでもよい。
【0044】
本発明の表面調整処理用処理液は、アルカリ金属塩を含有し、リン酸イオンを含有していない。アルカリ金属塩としては、ホウ酸塩が好ましく、特に四ホウ酸塩 (四ホウ酸カリウム、四ホウ酸ナトリウム、四ホウ酸リチウムなど) が最も好ましい。中でも好ましいのは四ホウ酸カリウムである。アルカリ金属塩は1種または2種以上を使用することができる。
【0045】
ホウ酸塩以外の使用可能なアルカリ金属塩としては、シュウ酸塩、酢酸塩のような有機酸塩や、硝酸塩、硫酸塩等の無機酸塩が挙げられる。これらは単独でも使用可能であるが、ホウ酸塩と一緒に使用する方が好ましい。以下では、好ましいアルカリ金属塩である、四ホウ酸カリウムを例にとって、本発明を説明する。
【0046】
表面調整処理用処理液に用いた四ホウ酸カリウムといったアルカリ金属塩がリン酸塩化成皮膜の形成に及ぼす作用機構については、次のように推定される。
油井管用ネジ継手(鋼材)に、四ホウ酸カリウムの水溶液で表面調整処理してからリン酸塩化成処理、例えば、リン酸マンガン系化成処理を施すと、鋼材とリン酸マンガン系化成処理液との界面では、カリウムとリン酸とが反応してリン酸カリウムが生成する。そのため、鋼材表面近傍の化成処理液はマンガン過剰(リン酸イオン不足)となって、リン酸カリウムを取り込んだ不溶性コロイド状の浮遊物が生成する。
【0047】
この浮遊物の生成は実際にラボ試験で観察できる。例えば、本発明者らは、SMC 435 鋼板 (Rmax:5μm) の試験片を、四ホウ酸カリウムの水溶液 (pH 7.8〜9.8 ) に室温で1分間浸漬した後、透明ガラス容器に入れた市販のリン酸マンガン系化成処理液 (95℃) に浸漬して、鋼板と化成処理液との反応状況を調べるため鋼板表面を観察した。
【0048】
その結果、鋼板を化成処理液に浸漬すると同時に、鋼板表面に乳白色・羽毛状のコロイド状物質が発現することが認められた。その後、鋼板表面はリン酸マンガンと反応を始め、数分後にはリン酸マンガン系の粗大結晶粒が均質に形成された。形成された結晶粒径をSEM (走査型電子顕微鏡) により後述する方法で測定した結果、10〜約110 μmであった。
【0049】
また、鋼板表面に形成された化成皮膜の断面をEPMA (電子プローブ微量分析) により分析した結果、鋼管とリン酸マンガン系化成皮膜との界面にカリウム (より広義には、アルカリ金属) が存在することを確認した。
【0050】
以上より、本発明に従って四ホウ酸カリウムの水溶液で表面調整処理を行ってから、リン酸マンガン系化成処理を行うと、化成処理の初期に鋼材表面に、リン酸カリウムを取り込んだコロイド状浮遊物が生成し、このコロイド状物質が、リン酸マンガン系化成結晶の成長を促進させる核として作用し、結晶粒径の大きなリン酸マンガン系化成皮膜が形成されるものと推察される。
【0051】
つまり、前記界面近傍にリン酸イオンの消費によってマンガン過剰の状態を作り出して、コロイド状の浮遊物質を形成すればよいのであるから、表面調整処理に使用する化合物はリン酸塩以外であれば、他のアルカリ金属塩であってもよい。実際、四ホウ酸ナトリウムや他のアルカリ金属塩について、上記と同様の実験を行ったところ、やはり、リン酸マンガン系化成皮膜の結晶粒径が粗大となり、鋼材と化成皮膜との界面にアルカリ金属が存在することが認められた。表面調整処理用処理液がリン酸イオンを含有していると、マンガン過剰の状態にはならないので、表面調整処理用処理液はリン酸イオンを含まないようにする。
【0052】
表面調整処理用処理液の濃度は特に制限されないが、アルカリ金属塩が四ホウ酸ナトリウムである場合には、処理液のpHが 7.8〜9.8 となるような濃度とすることが好ましい。処理液のpHが7.8 未満ではリン酸塩化成皮膜の結晶粒径の粗大化が不十分となる。一方、処理液のpHが9.8 を超えると、結晶粒径の粗大化効果は飽和する。薬剤コストも考慮すると、より好ましいpHは 8.8±0.5 の範囲である。
【0053】
表面調整処理用処理液に用いるアルカリ金属塩が四ホウ酸カリウム以外の化合物である場合にも、実験により、化成皮膜の結晶粒径の粗大化効果が十分に現れる濃度またはpHの範囲を決めることができる。
【0054】
表面調整処理用処理液は、四ホウ酸カリウム(および/または他のアルカリ金属塩)以外の成分を含んでいないことが好ましいが、その作用効果に著しい悪影響を及ぼさない限り、リン酸イオンを含まない他の化合物も含有しうる。表面調整処理用処理液中に含有させうる他の化合物の例としては、アルカリ土類金属塩が挙げられる。
【0055】
アルカリ金属塩を含有し、リン酸イオンを含まない水溶液からなる表面調整処理用処理液で油井管用ネジ継手を処理する際の、処理液とネジ継手との接触時間は特に規定されるものではなく、数秒程度でもよい。好ましくは10秒〜5分程度であり、より好ましくは30秒〜1分である。処理液の温度も特に規定されないが、室温で十分である。
【0056】
油井管用ネジ継手は、この表面調整処理を行う前に、通常は、脱脂と水洗により、表面を清浄化しておく。表面調整処理用処理液と油井管用ネジ継手との接触方法は特に制限されず、浸漬、スプレー、シャワー等の各種の方式を利用できる。例えば、鋼管端部を処理する場合にはスプレーやシャワーが浸漬より好ましいというように、鋼材の形状に応じて、適当な接触方式を選択すればよい。
【0057】
その後、好ましくは水洗せずに、リン酸塩化成処理、例えば、リン酸マンガン系化成処理を行う。このリン酸塩処理は常法に従って実施すればよい。
本発明の表面調整処理用処理液で処理することができる油井管用ネジ継手の鋼種(鋼の化学組成)は特に限定されない。この処理液は、普通鋼 (炭素鋼) 製のネジ継手のみならず、従来技術では、窒化やめっきといった下地処理を施しておかないと化成処理が困難であった、10質量%以上のCrを含有するような高合金鋼製の油井管用ネジ継手に対しても、顕著な効果を発揮する。普通鋼の場合には、表面調整処理用処理液中の四ホウ酸カリウムの濃度が低くても効果が現れる。一方、Crが10質量%以上の高Cr鋼の場合には、効果を十分に得るには、四ホウ酸カリウムの濃度をある程度高くする必要がある。しかし、そのような高合金鋼製の油井管用ネジ継手の場合、従来は必要とされてきためっきや窒化といった下地処理が不要となり、単に表面調整処理用処理液の濃度を高くするだけで耐焼付き性を確保することができるので、本発明による経済的効果はかえって顕著である。
【0058】
油井管用ネジ継手の処理部位は、ネジ部とネジ無し金属接触部の両方を含むことが好ましいが、その一部だけを処理することもできる。また、通常は油井管末端に形成されるピンとカップリングに形成されるボックスの両方に対して、表面調整処理とリン酸塩化成処理とを施すことも可能であるが、ピンかボックスの一方だけに表面調整処理とリン酸塩化成処理を施すことで、目的とする耐焼付き性は十分に得られる。
【0059】
ネジ継手の処理表面 (下地) は加工のままでよいが、従来より公知の各種の下地処理、例えば、ショットブラスト等による粗面化、メッキ (例、FeもしくはFe合金メッキ、Znメッキ) 、窒化、などの1種または2種以上を施すことも可能である。但し、本発明においては、そのような下地処理をしなくても、十分な耐焼付き性を付与できるリン酸塩化成皮膜を形成することができる。
【0060】
本発明に従って表面調整処理を行った後にリン酸塩化成処理を施すことにより、油井管用ネジ継手の表面に、結晶粒は粗いが、スケのない均質なリン酸塩化成皮膜を形成することができる。この化成皮膜は多量のコンパウンドグリスを保持することができるため、油井管用ネジ継手の締付けと緩めを繰り返してもゴーリングが発生しないような優れた耐焼付き性を油井管用ネジ継手に付与する。また、この化成皮膜により防錆性も付与される。中でも、リン酸マンガン系化成皮膜が密着性と硬度にも優れることから特に好ましい。
【0061】
リン酸マンガン系化成皮膜の平均結晶粒径は好ましくは10μm以上、110 μm以下である。この平均結晶粒径は、化成処理条件以外に、表面調整処理条件 (例、処理液の四ホウ酸カリウムの濃度もしくはpH) や油井管用ネジ継手の鋼種によっても大きく変動する。一般に、油井管用ネジ継手のCr含有量が高くなるとリン酸塩化成皮膜の平均結晶粒径は小さくなる。そのため、普通鋼やCr含有量が3質量%以下の鋼の場合には、より好ましい平均結晶粒径は20μm以上であり、それにより耐焼付き性がさらに改善される。一方、リン酸塩化成皮膜の平均結晶粒径は、Cr含有量が5質量%前後の鋼では通常25μm以下となり、Cr含有量が10質量%以上の鋼では20μm以下、さらには15μm以下となる。その場合でも、リン酸塩化成皮膜の平均結晶粒径が10μm以上であれば、耐焼付き性は著しく改善される。リン酸塩化成皮膜の膜厚は一般に8〜90μm程度とすることが好ましい。
【0062】
化成処理は、鋼材が油井管等の鋼管用のネジ継手である場合には、リン酸マンガン系処理とすることが好ましいが、鋼材の種類によっては、リン酸亜鉛系処理、あるいはリン酸マンガン/亜鉛の混合系リン酸塩処理であってもよい。処理条件は特に制限されず、従来と同様に実施すればよい。市販のリン酸塩化成処理液を使用する場合には、指示通りの標準的な処理条件で化成処理を実施すればよい。リン酸塩化成処理は結晶析出を必要とするので、一般に浸漬により行われる。典型的には、処理温度は90〜100 ℃であり、処理時間は3〜20分間程度である。
【0063】
こうして形成された結晶粒が粗大なリン酸マンガン系化成皮膜は、コンパウンドグリスのような液状潤滑剤を多量に保持することができ、油井管用ネジ継手の耐焼付き性を飛躍的に向上させることができる。コンパウンドグリスの代わりに、樹脂皮膜 (例、ポリアミド、ポリアミドイミド、フェノール樹脂等の皮膜) 中に固体潤滑剤 (例、二硫化モリブデン、二硫化タングステン、黒鉛、PTFE樹脂粒子、窒化ホウ素等) を含有させた固体潤滑皮膜を形成する場合でも、下地の化成皮膜の結晶粒が粗大で、良好なアンカー効果を発揮するため、固体潤滑皮膜の密着性が高くなって、皮膜が剥がれにくくなることにより、耐焼付き性が著しく改善される。但し、コンパウンドグリスの方が固体潤滑皮膜よりコスト面で有利である。
【0064】
従って、コンパウンドグリスと固体潤滑皮膜のいずれの場合でも、油井管用ネジ継手に本発明を適用して表面調整処理を行った後、リン酸塩化成処理を施すことにより、ネジ継手の締付け・緩めを繰り返した場合のゴーリングを防止することができる。その結果、ゴーリングを起こした油井管を取り替えるという従来の問題を解消でき、油井管の降下作業を円滑かつ経済的に行うことが可能となる。
【0065】
次に実施例により本発明を例示する。但し、実施例は本発明を何ら制限するものではない。実施例中の%は、特に指定しない限り質量%である。
【実施例1】
【0066】
本発明に従った化成処理前の表面調整処理がリン酸マンガン系化成処理皮膜の結晶粒の粗大化とそれによる油井管用ネジ継手の耐焼付き性の向上に及ぼす効果を検証するために、図1に示す摩擦試験を行って、その焼付き荷重を調べた。
【0067】
比較のために、自動車の塗装前処理用のリン酸塩化成処理を目的とする上記文献1〜3に記載された表面調整処理用処理液、文献5に示唆されているようなリン酸マンガン系化成処理前の標準的な表面調整処理 (市販品を使用) 、文献6〜8に記載されたメッキ処理や窒化処理といった下地処理、文献9に記載された、リン酸マンガン系化成化成皮膜の上に設けた固体潤滑剤を含有する樹脂皮膜(場合により下地処理あり)、文献11に記載されたフッ素イオンを添加したリン酸マンガン系化成処理液、についても、同様の試験を行った。
【0068】
試験に用いた表面調整処理用処理液は、アルカリ金属ホウ酸塩である四ホウ酸カリウムを含有するpH 7.8〜10.0の水溶液であり、pHが高いほど四ホウ酸カリウムの濃度が高いことを意味する。
【0069】
使用した試験片は、図1に示すように、いずれもSCM 435 製のピン−ディスク型の摩擦試験片である。ピンは直径20 mm 、長さ60 mm の円柱状であり、ディスクは直径60 mm 、長さ70 mm のより大きな円柱状である。ディスクの中心にはディスクを長手方向に貫通する内腔が形成され、その内腔は一方の端面で皿溝加工により円錐状に開いていて、ピンがその皿溝内に入り込むようになっている。摩擦部となるピンの端面とディスクの皿溝部の表面粗さRmax は5μmである。
【0070】
ピンとディスクの各試験片を、常法に従って脱脂、水洗した。その後、液状潤滑剤 (コンパウンドグリス) を塗布するディスク試験片の円錐部 (皿溝面) に、表面調整処理とリン酸マンガン系化成処理を施した。ピン試験片は、脱脂、水洗のみとした。
【0071】
表面調整処理は、ディスク試験片を、試験する表面調整処理用処理液に室温で1分間浸漬することにより行った。その後、この試験片を水洗せず、そのまま市販のリン酸マンガン系化成処理液を用いて、その指示通りに通常のリン酸マンガン系化成処理を行って、皿溝部の表面にリン酸マンガン系化成皮膜を形成した。
【0072】
形成されたリン酸マンガン系化成皮膜の平均結晶粒径は、同じ表面調整処理条件および化成処理条件でSCM 435 鋼板の表面 (表面粗さも同一) に形成したリン酸マンガン系化成皮膜をSEMで撮影した後、図2に示す方法で求めた。測定視野は、n1=600 μm、n2=452 μmを基準とし、平均結晶粒径 (μm) は、5n1/ (a+b+c+d+e) により算出した。式中、a〜eは、それぞれ図2のa〜e線上で観察された結晶の数である。また、この鋼板表面に形成された化成皮膜のスケ・ムラの有無を目視観察により判定した。
【0073】
比較用の従来技術による試験片への処理は、それぞれの文献に示された処理条件に準じて行った。但し、リン酸塩化成処理の種類は、いずれも実施例と同じ化成処理液を用いたリン酸マンガン系化成処理とした。
【0074】
上記のように処理されたピンとディスクを用いて摩擦試験を行った。まず、リン酸マンガン系化成皮膜が形成されているディスク試験片の皿溝部に、油井管の締結時に使用される液状潤滑剤であるコンパウンドグリスを塗布した。摩擦試験は、コンパウンドグリスを塗布したディスク試験片の皿溝部にピン試験片を差し込み、ピン試験片に一定荷重を負荷しながらディスク試験片を30秒間回転 (回転速度20 rpm) させることにより行った。荷重は、試験開始時の荷重を1000 kgfとし、その後は100 kgf ずつ荷重を増やしながら、ピン試験片とディスク試験片との接触部で焼付きが起こるまで摩擦試験を繰り返すことにより焼付き荷重を求め、耐焼付き性を評価した。なお、焼付き荷重が5ton (5000 kgf)であれば実用上は十分と考えられるため、荷重が5ton に達した時点で焼付きが起こらなかった場合には、そこで試験を中心した。
【0075】
耐焼付き性は、焼付き荷重が4ton (4000 kgf)以上あれば合格 (○) であり、4ton に満たない場合は不合格 (×) であると判定した。
耐焼付き性の試験結果とリン酸マンガン系化成皮膜の平均結晶粒径の測定結果を表1に示す。
【0076】
【表1】

【0077】
表1に示すように、表面調整処理をせずに、脱脂・水洗した後にリン酸マンガン系化成処理を施した場合には、化成皮膜の平均結晶粒径が6μmであったが、本発明に従って化成処理前に表面調整処理を施すことにより、リン酸マンガン系化成皮膜の結晶粒径は10〜110 μmの範囲に粗大化させることができた。結晶粒径は、表面調整処理用処理液のpHが高いほど、即ち、四ホウ酸カリウム濃度が高いほど大きくなる傾向があった。耐焼付き性はいずれも良好であり、特に平均結晶粒径が20μmを超えると、焼付き荷重が5ton となって、さらに向上した。
【0078】
一方、従来技術に従って表面調整処理および/または化成処理を実施した比較例では、1例を除いて、焼付き荷重が4ton 未満で耐焼付き性が不十分 (×) であった。
より詳しくは、上記文献1〜3に記載された方法に相当する従来法A〜Dでは、結晶微細化を目的とする技術であるため、当然ながら平均結晶粒径が小さく、焼付き荷重が2ton 未満で、耐焼付き性は非常に劣っていた。
【0079】
しかし、結晶粒径を粗大化する技術である従来法E〜Kにおいても、確かに平均結晶粒径は10μm以上であって、結晶粒は粗大化しているにもかかわらず、従来法Kの1例を除いて、焼付き荷重が4ton 未満であった。その原因として、特に平均結晶粒径が20μmを超える化成皮膜には、スケ・ムラが認められ、皮膜が不均質であるためではないかと考えられる。スケ・ムラが認められない化成皮膜でも耐焼付き性に劣る理由は不明であるが、化成皮膜の密着性が劣るなどの理由が考えらる。従来法Kについては、同一条件で処理を3回行って、3個の試験片を作製したところ、1個のみスケ・ムラのない均質な化成皮膜が形成され、良好な耐焼付き性を示したが、残りの2個は、スケ・ムラにより、平均結晶粒径が大きくても、耐焼付き性には劣った。このように、従来法Kは、結果が不安定であって、確実に耐焼付き性の優れたリン酸塩化成皮膜を形成することができなかった。
【0080】
また、下地をサンドブラスティングにより粗面化した従来法Lでも、焼付き荷重は改善されなかった。さらに、本発明と同じ四ホウ酸カリウムを使用するが、それをリン酸マンガン系化成処理液に添加して化成処理を行った従来法Mでも、リン酸塩化成結晶の粗大化や焼付き荷重の向上といった効果は得られなかった。つまり、本発明により得られた耐焼付き性の向上という効果は、四ホウ酸カリウムを用いて表面調整処理を行う場合にのみ得られるものであって、この化合物をリン酸塩化成処理時に使用しても効果はない。
【実施例2】
【0081】
本実施例では、API規格 J55 (炭素鋼) 製の油井管用ネジ継手に、本発明に従った表面調整処理とリン酸マンガン系化成処理とを施し、コンパウンドグリスを塗布して締付けと緩めを繰り返すことにより、耐焼付き性を評価した。表面調整処理用処理液としては、四ホウ酸カリウム水溶液と、四ホウ酸ナトリウム水溶液の2種類を使用した。
【0082】
試験に用いた油井管用ネジ継手は、内径7インチ (178 mm) 、肉厚0.408 インチ (10.4 mm)のカップリングの内面に設けた表面粗さ (Rmax) 5μmの雌ネジ部およびネジなし金属接触部を有するボックスと、外径7インチ、肉厚0.408 インチの鋼管の管端に設けた雄ネジ部およびネジなし金属接触部を有するピンから構成される、メタルシール可能なピン−ボックス構造のものであった。表面調整処理と化成処理はボックス (即ち、カップリング内面) のみに施し、ピン (鋼管管端) の方は、未処理 (脱脂と水洗のみ) とした。
【0083】
ボックスは、常法に従ってアルカリ脱脂液による脱脂と水洗を行った後、pHが 7.8〜10.0の四ホウ酸カリウムまたは四ホウ酸ナトリウムの水溶液に室温で1分間浸漬することにより表面調整処理を行った。その後、ボックスをそのまま市販のリン酸マンガン系化成処理液 (95℃) に10分間浸漬して、リン酸マンガン系化成皮膜を形成した。
【0084】
形成されたリン酸マンガン系化成皮膜の平均結晶粒径とスケ・ムラの有無は、実施例1と同様にして、同じ鋼種の鋼板表面に同じ表面調整処理と化成処理の条件で形成したリン酸マンガン系化成皮膜に対するSEMおよび目視観察により決定した。
【0085】
こうしてリン酸マンガン系化成処理を施したボックスと、未処理のピンとを用いて、油井管用ネジ継手の締結試験を行った。締結前に、潤滑剤として一定量の市販のコンパウンドグリスをボックス表面に塗布した。締結試験では、速度10 rpmでAPI規格最大トルク16,740 N・m まで締付けた後、同じ速度で緩めることからなる、締付けと緩めを、ゴーリングが発生して、締付けまたは緩めが不可能になるまで繰り返した。耐焼付き性はゴーリング発生までの締付け回数により評価した。耐焼付き性は、ゴーリング発生までの締付け回数が10回以上であれば良好 (○) 、5〜9回では可 (△) 、4回以下で不良 (×) であると判定した。締付け回数が1回とは、1回目の締付け時または緩め時にゴーリングが発生したことを意味する。結果を表2にまとめて示す。
【0086】
【表2】

【0087】
表2からわかるように、鋼種が炭素鋼である場合、表面調整処理を行わずにリン酸マンガン系化成処理を施すと、化成皮膜の平均結晶粒径は9μmで、スケ・ムラがあり、ゴーリング発生までの締付け回数は3回であって、耐焼付き性は×であった。
【0088】
これに対し、本発明に従って、pH 7.8以上の四ホウ酸カリウムまたは四ホウ酸ナトリウムの水溶液で表面調整処理を行ってからリン酸マンガン系化成処理を施すことにより、平均結晶粒径が10μm以上と結晶粒が粗大化した化成皮膜が形成された。それにより、ゴーリング発生までの締付け回数が13〜25回と増大し、耐焼付き性が飛躍的に改善された。この表面調整処理による耐焼付き性改善の効果は、表面調整処理用処理液のpHが増大するほど大きくなる (ゴーリング発生までの締付け回数が増大する) がpH 9.8で効果が飽和すること、および表面調整処理用処理液が四ホウ酸ナトリウムの水溶液であっても四ホウ酸カリウムの場合と同様の効果があることも、表2からわかる。
【実施例3】
【0089】
本実施例では、API規格C-110 (1Cr-0.7Mo鋼) 製の油井管用ネジ継手に、本発明に従った表面調整処理とリン酸マンガン系化成処理とを施し、コンパウンドグリスを塗布して締付けと緩めを繰り返すことにより、耐焼付き性を評価した。表面調整処理用処理液としては、四ホウ酸カリウム水溶液と、四ホウ酸ナトリウム水溶液の2種類を使用した。
【0090】
試験に用いた油井管用ネジ継手の形状およびその表面調整処理と化成処理の方法、ならびに締結試験とその評価方法は実施例2と同様であった。試験結果を表3に示す。
【0091】
【表3】

【0092】
表3からわかるように、鋼種が1Cr−0.7Mo 鋼である場合、表面調整処理を行わずにリン酸マンガン系化成処理を施すと、化成皮膜の平均結晶粒径は8μmと、炭素鋼よりさらに小さく、スケ・ムラがあり、ゴーリング発生までの締付け回数は2回であって、耐焼付き性は×であった。
【0093】
これに対し、本発明に従って、pH 7.8以上の四ホウ酸カリウムまたは四ホウ酸ナトリウムの水溶液で表面調整処理を行ってからリン酸マンガン系化成処理を施すことにより、平均結晶粒径が10μm以上と結晶粒が粗大化した化成皮膜が形成された。それにより、ゴーリング発生までの締付け回数が13〜25回と増大し、耐焼付き性が飛躍的に改善された。この表面調整処理による耐焼付き性改善の効果は、表面調整処理用処理液のpHが増大するほど大きくなる (ゴーリング発生までの締付け回数が増大する) がpH 9.8で効果が飽和すること、および表面調整処理用処理液が四ホウ酸ナトリウムの水溶液であっても四ホウ酸カリウムの場合と同様の効果があることも、表3からわかる。
【実施例4】
【0094】
本実施例では、3Cr鋼製の油井管用ネジ継手に、本発明に従った表面調整処理とリン酸マンガン系化成処理とを施し、コンパウンドグリスを塗布して締付けと緩めを繰り返すことにより、耐焼付き性を評価した。表面調整処理用処理液としては、四ホウ酸カリウム水溶液と、四ホウ酸ナトリウム水溶液の2種類を使用した。
【0095】
試験に用いた油井管用ネジ継手の形状およびその表面調整処理と化成処理の方法、ならびに締結試験とその評価方法は実施例2と同様であった。試験結果を表4に示す。
【0096】
【表4】

【0097】
表4からわかるように、鋼種が3Cr鋼である場合、表面調整処理を行わずにリン酸マンガン系化成処理を施すと、化成皮膜の平均結晶粒径は8μm、スケ・ムラがあり、ゴーリング発生までの締付け回数は4回であって、耐焼付き性は×であった。
【0098】
これに対し、本発明に従って、pH 7.8以上の四ホウ酸カリウムまたは四ホウ酸ナトリウムの水溶液で表面調整処理を行ってからリン酸マンガン系化成処理を施すことにより、平均結晶粒径が10μm以上と結晶粒が粗大化した化成皮膜が形成された。それにより、ゴーリング発生までの締付け回数が10〜21回と増大し、耐焼付き性が飛躍的に改善された。この表面調整処理による耐焼付き性改善の効果は、表面調整処理用処理液のpHが増大するほど大きくなる (ゴーリング発生までの締付け回数が増大する) がpH 9.8で効果が飽和に近づくこと、および表面調整処理用処理液が四ホウ酸ナトリウムの水溶液であっても四ホウ酸カリウムの場合と同様の効果があることも、表4からわかる。
【実施例5】
【0099】
本実施例では、5Cr鋼製の油井管用ネジ継手に、本発明に従った表面調整処理とリン酸マンガン系化成処理とを施し、コンパウンドグリスを塗布して締付けと緩めを繰り返すことにより、耐焼付き性を評価した。表面調整処理用処理液としては、四ホウ酸カリウム水溶液と、四ホウ酸ナトリウム水溶液の2種類を使用した。
【0100】
試験に用いた油井管用ネジ継手の形状およびその表面調整処理と化成処理の方法、ならびに締結試験とその評価方法は実施例2と同様であった。試験結果を表5に示す。
【0101】
【表5】

【0102】
表5からわかるように、鋼種が5Cr鋼である場合、表面調整処理を行わずにリン酸マンガン系化成処理を施すと、化成皮膜の平均結晶粒径は3μmと非常に小さく、スケ・ムラがあり、ゴーリング発生までの締付け回数は1回であって、耐焼付き性は×であった。このように、Cr含有量が5%以上になると、耐焼付き性の低下が大きくなる。
【0103】
これに対し、本発明に従って、pH 7.8以上の四ホウ酸カリウムまたは四ホウ酸ナトリウムの水溶液で表面調整処理を行ってからリン酸マンガン系化成処理を施すことにより、平均結晶粒径が10μm以上と結晶粒が粗大化した化成皮膜が形成された。それにより、ゴーリング発生までの締付け回数が10〜14回と増大し、耐焼付き性が飛躍的に改善された。この表面調整処理による耐焼付き性改善の効果は、表面調整処理用処理液のpHが増大するほど大きくなる (ゴーリング発生までの締付け回数が増大する) がpH 9.8で効果が飽和に近づくこと、および表面調整処理用処理液が四ホウ酸ナトリウムの水溶液であっても四ホウ酸カリウムの場合と同様の効果があることも、表5からわかる。
【実施例6】
【0104】
本実施例では、13Cr鋼製の油井管用ネジ継手に、本発明に従った表面調整処理とリン酸マンガン系化成処理とを施し、コンパウンドグリスを塗布して締付けと緩めを繰り返すことにより、耐焼付き性を評価した。表面調整処理用処理液としては、四ホウ酸カリウム水溶液と、四ホウ酸ナトリウム水溶液の2種類を使用した。
【0105】
試験に用いた油井管用ネジ継手の形状およびその表面調整処理と化成処理の方法、ならびに締結試験とその評価方法は実施例2と同様であった。試験結果を表6に示す。
【0106】
【表6】

【0107】
表6からわかるように、鋼種が13Cr鋼である場合、表面調整処理を行わずにリン酸マンガン系化成処理を施すと、実質的に化成結晶が生成せず、1回の締付けでゴーリングが発生し、耐焼付き性は×であった。このように、Cr含有量が10%を超えると、耐焼付き性はさらに著しく悪化する。
【0108】
これに対し、本発明に従って、四ホウ酸カリウムまたは四ホウ酸ナトリウムの水溶液で表面調整処理を行ってからリン酸マンガン系化成処理を施すことにより、平均結晶粒径が10μm以上と結晶粒が粗大化した化成皮膜を形成することが可能となった。但し、Cr含有量が10%を超える鋼種の場合、化成皮膜の平均結晶粒径を10μm以上にするには、表面調整処理用処理液を高濃度 (高pH) にする必要があった。本例の場合、四ホウ酸カリウム水溶液ではpHが9.0 超、四ホウ酸ナトリウム水溶液ではpHが9.2 超である場合に、化成皮膜の平均結晶粒径が10μm以上になった。但し、pHが8.6 以上になると、スケ・ムラのない化成皮膜の形成が可能となり、特にpHが9.0 以上では平均結晶粒径が5μm以上の化成皮膜を形成することができた。
【0109】
化成皮膜の平均結晶粒径の増大に伴って、耐焼付き性も向上した。表面調整処理を行わない場合には、締付け回数が1回であった。本発明に従った表面調整処理により化成皮膜の平均結晶粒径が5μm以上になると、締付け回数は5回以上と増大し、耐焼付き性は△と改善され、平均結晶粒径が10μm以上になると、締付け回数が10回以上になり、耐焼付き性は○とさらに改善された。
【0110】
即ち、本発明によれば、比較例での締付け回数が1回であることからわかるように、非常に焼付きが起こりやすい、Cr含有量が10%を超える鋼種の油井管用ネジ継手においても、10回以上の締付け・緩めが可能となるという、顕著な効果が得られる。
【実施例7】
【0111】
本実施例では、25Cr鋼製の油井管用ネジ継手に、本発明に従った表面調整処理とリン酸マンガン系化成処理とを施し、コンパウンドグリスを塗布して締付けと緩めを繰り返すことにより、耐焼付き性を評価した。表面調整処理用処理液としては、四ホウ酸カリウム水溶液と、四ホウ酸ナトリウム水溶液の2種類を使用した。
【0112】
試験に用いた油井管用ネジ継手の形状およびその表面調整処理と化成処理の方法、ならびに締結試験とその評価方法は実施例2と同様であった。試験結果を表7に示す。
【0113】
【表7】

【0114】
表7からわかるように、鋼種が25Cr鋼である場合、表面調整処理を行わずにリン酸マンガン系化成処理を施すと、実質的に化成結晶は生成せず、1回の締付けでゴーリングが発生し、耐焼付き性は×であった。
【0115】
これに対し、本発明に従って、四ホウ酸カリウムまたは四ホウ酸ナトリウムの水溶液で表面調整処理を行ってからリン酸マンガン系化成処理を施すことにより、平均結晶粒径が10μm以上と結晶粒が粗大化した化成皮膜を形成することが可能となった。但し、実施例6と同様に、Cr含有量が10%を超える鋼種の場合には、化成皮膜の平均結晶粒径を10μm以上にするには、表面調整処理用処理液を高濃度 (高pH) にする必要があった。Cr含有量が25%と実施例6よりさらに高い本例の場合には、四ホウ酸カリウム水溶液ではpHを9.2 超、四ホウ酸ナトリウム水溶液ではpHを9.4 超である場合に、化成皮膜の平均結晶粒径が10μm以上になった。但し、四ホウ酸カリウム水溶液ではpHが9.0 以上、四ホウ酸ナトリウム水溶液ではpHが9.2 以上になると、スケ・ムラがなく、平均結晶粒径5μm以上の化成皮膜を形成することができた。
【0116】
化成皮膜の平均結晶粒径の増大に伴って、耐焼付き性も向上した。即ち、表面調整処理を行わない場合には、締付け回数が1回であったが、本発明に従った表面調整処理により化成皮膜の平均結晶粒径が5μm以上になると、締付け回数は5回以上となって、耐焼付き性は△と改善され、平均結晶粒径が10μm以上になると、締付け回数が10回以上となって、耐焼付き性は○とさらに改善された。
【0117】
即ち、本発明によれば、比較例での締付け回数が1回であることからわかるように、非常に焼付きが起こりやすい、Cr含有量が25%と非常に高い高合金鋼製の油井管用ネジ継手においても、10回以上の締付け・緩めが可能となるという、顕著な効果が得られる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼材のリン酸塩化成処理の前に用いられる表面調整処理用処理液であって、アルカリ金属塩を含み、リン酸イオンを含まない水溶液からなることを特徴とする表面調整処理用処理液。
【請求項2】
アルカリ金属塩がアルカリ金属四ホウ酸塩である、請求項1記載の表面調整処理用処理液。
【請求項3】
鋼材を請求項1または2に記載の表面調整処理用処理液で処理した後、リン酸塩化成処理を行うことを特徴とする、表面処理鋼材の製造方法。
【請求項4】
リン酸塩化成処理がリン酸マンガン系化成処理である、請求項3に記載の方法。
【請求項5】
鋼材表面に、請求項4に記載の方法により形成された、平均結晶粒径が10〜110 μmのリン酸マンガン系化成皮膜を有することを特徴とする、表面処理鋼材。
【請求項6】
鋼材が鋼管用ネジ継手である、請求項5に記載の表面処理鋼材。
【請求項7】
鋼材が油井管用ネジ継手である、請求項5に記載の表面処理鋼材。

【図1】
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【図2】
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【国際公開番号】WO2005/054541
【国際公開日】平成17年6月16日(2005.6.16)
【発行日】平成19年6月28日(2007.6.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−516016(P2005−516016)
【国際出願番号】PCT/JP2004/018123
【国際出願日】平成16年12月6日(2004.12.6)
【出願人】(000002118)住友金属工業株式会社 (2,544)
【Fターム(参考)】