説明

電気起爆点火銃

[課題]雀や兎を銃で撃てる狩猟自然公園を発想した。そこで一般の子供や大人も使えるポピュラーでイージーな装薬銃を開発したい。
[解決手段]装薬銃において、撃発装置で装薬を起爆点火させるのに代えて、電磁誘導発電による電流を用いる発熱体の輻射熱を集束して、その熱で以て装薬を起爆点火するようにした、エレキガンと呼ぶことにする、電気起爆点火銃。

【発明の詳細な説明】
【0001】
[発明の属する技術分野]
本発明は装薬銃における発射用火薬の起爆点火方式を撃発着火方式から電気着火方式に代えた装薬銃とその構成部器である。
【0002】
[従来の技術]
従来の装薬銃は全て撃発着火方式によって起爆点火するものであって、本発明のような電気着火方式によるものはなかった。
【0003】
[発明が解決しようとする課題]
何時からかはっきりとは知らないが、クレイ射撃が廃れて久しい。現在は10数年来の大不況の真っ只中にあり、健全な精神と生活の営まれる人は少なくなっているが、それでも観戦競技だけでなく、スポーツ(余暇活動・競技・体力づくりのために行なう身体運動)(大辞林)もゴルフなどを中心にある程度盛んである。
しかし、スポーツを通して自己を鍛練しようと言う人は、戦後から今日までの観戦競技の発展過程で衰退してしまい、殆ど勢がなくなってしまった。
観戦競技も宜しいが、もっと自己の心身を鍛えるスポーツが青少年を中心に勢いを増すことが必要ではないかと痛感している。
戦前においては、旧制中学校において柔道と剣道は正課であった。学問は勿論大切であるが、健康な心身を作り、与えられた職責を果たすようになることは、人生を健全に公正に生抜くために何よりも大切である。健全な思想を持つことは大切であるが、的確な行動力を体得していることは時代を超えて要求されることである。
私は、今日のような同和政治社会化によって、個人と個人の競い合いが直接的に行なわれるのではなく、自己の個室にあって電波によって視聴覚的に間接的に然も無責任丸出しに妨害的に窃盗的に行なわされていることに大変な危機感をずっと抱いてきた。
戦前のように、学問においてもスポーツにおいても、個人同士が互いに集団社会で直接的にぶつかり合わなくては、家庭生活や社会生活における生きた知恵と創造力が身に付くようにはならないと信じている。
それには、学校において、学科とスポーツが両輪的に教えられることが大切である。学課は授業を受けているときに自己の知恵と創造力が要求されることは殆どない。しかし、スポーツではその鍛練中に常に知恵と創造力が要求される。若し学校において、スポーツが生活科学的に教えられるならば、その後の人生において前進的に生きて行ける力が付こう。
従って、私は柔道を中学校・高学校において正課とすべきだと考えている。肉体のぶつかり合いによって創造的に血潮が沸き立つことは人間の生活になくてはならないことだと考えている。その後の社会生活を活動的に生きて行く規範が身に付くことになろう。
そこで、私は自衛隊の将校に適当な兵を付けて中校・高校に配属し、柔道の教師を順繰りに勤めさせると宜しいと考えている。
また、人間は部屋で飼われるペット的になってはならない。人間も動物の一であるから、生きて行く上に必要な獲物に素手でぶつかる野性味も知って置かなくてはならない。獲物を狩ることは、今日の変質した人権思想では極端に否定されているが、この体験を子供の折にしないと、自ら進んで生きる生活力は全くと言ってよいほど身に付かない。
しかし、現在の社会では田舎においてさえ、虫も魚も鳥も追い掛けることは全く不可能である。動物園や昆虫館や水族館で自然から逸した状態の動物をただ眺めるだけである。
そこで考えたのが、雀が銃で撃てる自然公園であり、兎が銃で撃てる大自然公園である。子供たちが親に連れられて狩猟自然公園に行き、空気銃くらいの小威力の装薬銃で獲物を撃てるようにしてやることには、大人だけがゴルフで自然的公園で遊んでいる現状からすれば、広い賛同が得られるものと思っている。
そして中校生から高校生そして大人になるに従って雀では満足できなくなり、もう少し大きな獲物を狙いたくなろう。そこで私は雀に代えて兎を放つ大自然公園を開発したいと考えている。
この狩猟自然公園でスポーツを楽しむことを普及させるには、誰でもが参加できるように、銃と弾薬が適正価格で供給できねばならない。そこで銃も弾薬も普及品は誰でもが買えるものにならなくてはならない。従来の撃発着火銃を高価にしているものは火薬に点火する方法にある。即ち発火金と言うライターのフリントのように擦ると火花を散らす合金を矢張り摩擦によって発火する雷汞などの起爆剤とを撃針を通して撃鉄で強打して発火させて火薬に点火させる方法のため、その強打機構と起爆薬構造に金が掛かっていた。
【0004】
[課題を解決するための手段]
そこで考えたのが、撃発発火方式をもっと安く付くものに代えられないかと言うことである。そこでいろいろ考えて辿り着いたのがタバコライターに用いられている電磁誘導発電方式である。しかし火花ではガスでないと点火できない。そこで火花ではなくレーザー光線のような熱線に出来ないかと考えた。しかしレーザー熱線を微弱電力で作る適当な方法がない。そこでニクロム線を発熱してその輻射熱をレンズで絞って小熱源でも高温を得ればよいことに辿り着いた。
また、起爆点火薬としては、黄燐の発火温度が60度Cと極めて低いので、これを用いると電力的に得であることも発見した。この黄燐は燃えると酸化燐となり、自然に帰すと、燐酸となり、従来の雷酸水銀やアジ化鉛のように燃え滓になっても毒性が残ると言うことはない。
それでは、この発想が本当に物になる発明であるか検討してみることにする。黄燐は60度Cで発火するので、零下5度Cの下で65度Cに上げる最もエネルギー的に過酷な場合を採って見てみると、黄燐の衡は10分の1グラム、比熱は0.845J/g として、
Q=0.1g×0.845J/g×(65−−5)=5.195J の熱容量が要ることになる。
これでは大きいので、レンズを用いて10分の1に絞って熱源の大きさを10分の1で済ますことにすると、それは0.5195Jで宜しいことになる。
そして、その熱源としては、発熱体にニクロム線を用いることにし、発電器としてはコイルに永久磁石を通した電磁誘導発電器を用いたい。それは太さ0.05mm、長さ5cmのニクロム線を渦に巻いて設け、その背後に凹面反射鏡を設け、そして前面に凸レンズを設ける構成をガラス管に一体化した発熱放射器とすることにする。
この場合の発熱体の電気抵抗は、R=110×10−6Ω・cm×5cm÷0.05mm(×0.01cm/mm=0.0005cm)=1.1Ω である。
そこで、0.5195Jを100分の1秒間に発熱する電流IとRの関係は、ジュール熱、P=RIから、0.5195J÷1s/100=I×1.1Ω、1=6.8722A となる。
そして、電磁誘導発電器で求める起電力は、E=P÷I、0.5195J÷1s/100÷6.8722A=7.5594V となる。
これを起電する電磁誘導発電器には、断面積0.5cm、長さ2cm以上の9000ガウス(Mx/cm)の炭素鋼を使用するとすれば、その円周は、0.5cm=πr、r=0.3989cm、2πr=2.5066cm となる。そして、その永久磁石は長さの内2cmが100分の1秒で移動するものとする。
従って、この発電器の起電力は、磁界をH、コイル線の長さをL、永久磁石の移動速度をvとすると、E=1/10×H×L×v (ボルト) (「要訣物理(文英堂・昭和28年)(288頁)」)であるので、必要なコイルの巻き数nは、7.5594V=1/10×9000G/m×0.5m×2.5066cm×n×2cm÷1s/100、n=335.09 となる。
そしてそこで、このコイルの太さであるが、このコイルは結局100分の1秒で7.5594Vの起電で以て0.5195Wを発電する訳であるから、流れる電流の値は、W=V×A、0.5195W=7.5594V×A、A=0.0687Aであるから、このコイルの抵抗は、R=V÷A、7.5594V÷0.0687A=110.035Ω となる。
従って、コイルの巻線の抵抗は、R=k×L/S、この場合のkは抵抗率で、銅は1.73×1/10であるので、その太さは、110.035Ω=1.73×1/10×2.5066cm×335.09(巻き)÷S、S=0.0000131cm×100mm/cm=0.0013168mm、2r=0.041mm となる。実際では、コイルそのものから発生するリアクタンスがあるので、若干太くする必要がある。
このように見てくると、本発明即ち電気起爆点火銃は確実に実用化しうると確信しうる。
【0005】
[課題を解決するための手段]
そこで、本発明は「特許請求の範囲」のように纏めえた。
【0006】
[発明の実施の形態]
これも、「特許請求の範囲」の通りである。
【0007】
[発明の効果]
本発明によって、射撃スポーツは従来の撃発着火銃では成されえなかった低コストで提供されることになった。子供から大人の高齢者までの広範な層を狙えるスポーツに再生することになった。
従って、銃も弾薬も大規模な消費が期待できる。それが社会秩序や自然環境を混乱させたり破壊したりしてはならない。
「0004」で記したように、火薬類にはそう言う作用はないと思われるが、莢には自然に帰りうる紙を使うのが宜しい。従来の紙薬莢は紙製とは言っても全部が紙ではなく、雷管を詰める底の部分は金属で出来ていた。しかし、本発明のものは全てを紙で造ることが出来る。
また、従来使われていた鉛弾丸は、それが何らかの経路で動物の体内に入り、体内の燐酸と化合して燐酸鉛となると、骨に蓄積されて慢性障害を引き起こすが、昔水道管に使用されていたことから判るように、鉛そのものが環境を破壊すると言うことはない。従って鉛弾丸を体内に入れた死体を放置して肉食動物の餌にさせなくしさえすれば、問題は起きないように思える。
しかし、永い内には、使用済み弾丸も相当溜まるので、弾丸には出来るだけ鉄などの安全性の高い金属を用いるのが宜しい。
本発明の狩猟自然公園には、雀や兎を放つのであるが、それらが逃げ出して近隣の耕作物を荒らすことが心配されるが、小麦やトウモロコシや大豆などを十分に園内に播き与えれば、園外に餌を求めに出ることはない。
餌の散布には農業用のラジコンヘリコプターを使うと宜しかろう。
この狩猟自然公園は都会から相当離れた山丘に造る以外にないが、列車とバスを上手く連携して集客できるところが適地となろう。撃ち獲った獲物は園外の一郭に出店させるレストランで処理して貰って嗜食できるようにしたい。アルコール類も摂りたかろうから、乗合交通が車より好まれよう。
そして、都会の中には適当な広さのクレー射撃場を適当に許可して、ゴルフの練習場のように、主として年配から高齢の人が利用できるようにしたい。
しかし、今日の社会では都会でも田舎でも、同和族の中の不良派があらゆる面で暴力団化しており、それが政治家と手を組んでいるので、警察も手が出せず、犯罪が予防・鎮圧されることなく放置され放しであるので、非同和市民は家を空けたり、女子供を独りにして置けないような有様である。鍵などは家も車も幾ら取り換えても、合鍵が流れるらしく、何の役にも立たない。小泉内閣はこの社会不穏に手を付けるどころか、これを煽って存立しえている風にも思えてならない。この社会不穏を真摯に鎮圧できる内閣が登場することが、本発明の実施には欠かせない前提条件である。
その上で、銃砲刀剣類所持等取締法を改正して、猟銃は市内で各自所持できても、弾薬は絶対に市中では所持できないようにしなくてはならない。弾薬は狩猟自然公園やクレー射撃場の入口と出口とに警官の派出所を設けて、その場で必要な弾薬の販売と未使用弾薬の回収をさせるようにしたい。そのために、銃にショットカウンターを設けるようにした訳である。
現在、ゴルフ用具一式は全世帯の55.7%に当たる25369千世帯に普及している。しかし、ゴルフ場は、平成8年には昭和60年の3244場から2330場に激減しており、また練習場も5812場から3272場に前者を上回る大激減を余儀なくされている。超大不況の煽りを真面に受けている訳である。東京や大阪や名古屋などの大都会が如何に深刻な所得低下に苦しんでいるかを如実に物語っている。この国民所得の過酷な減少を救うには、少々の財政・金融対策ではどうにもならず、民間の総力によって、新産業・新商品を発明・開発する以外に職を増やし、国民所得を改善する方法はない。
本発明もその期待に応えうるものであるが、如何せんこのような超大不況である。急激な普及は望めそうもないが、漸進的に展開して行けば、何時かはゴルフ人口を上回る3000万人くらいには普及することになろう。
狩猟自然公園の建設に、銃や弾薬の製造に、獲物の飼育供給に、そして射撃ファッションにと新産業を形成して行くことになろう。その規模は最盛期のパチンコ産業に匹敵するものとなるに違いない。
今日、デパートやスペシャ(専門店)は発明的商品が陳列できず、何に力を入れて販売して好いやら困り果てている風である。昔のゴルフブームのような関連商品を一連的に包含しうる大型商品を待望している。本発明の射撃産業(ショットファイア)はその期待に正しく応えうるもので、やがて近来にないヒットを呼ぶことになろう。
それには、繰り返すようであるが、社会不穏の鎮圧が何より優先されなくてはならない。この前も、私が県立図書館に出掛けたとき、ロビーに若いお母さんが2歳くらいの可愛い女の子を連れてやってきて、その子に手作りの弁当を開いて食べさせ始めた。女の子は嬉しそうに勢い良く食べ出した。私の独り合点かも知らないが、その子は家庭でもレストランでも同和暴力団に憑かれて、落着いて食事が出来ないのではなかろうか。私の前では比較的に同和暴力団が憑くのを控えるのではないかと思われる。何故私を初め健全な家庭の人々が斯くも酷い犠牲にならなくてはならないのであろうか。私は昭和45年頃ゴルフを始めたが、一度として同和破壊族に憑かれないでプレー出来たためしはない。このようなことがショットファイアにおいても矢張り続くようであれば、この産業も健全に発展を続けることはありえまい。
何がなんでも絶対に、裕福で教養ある者を無知で働きがなく貧乏な者に覗かせて生活妨害させ、彼らに忘我の時を作らせ、自己への非難を避けると言う政治手法は絶対に止めてもらいたい。それが出来ないのであれば、現内閣は当然次に席を譲るべきである。今や国民の挙って希望していることは正にこの一点にある。
やがて新生する新しい内閣には、新産業・新商品の振興政策で以て、国民に職と仕事を与えることに全精力を傾けて貰えるものと期待したい。
既存の大企業は、自動車産業においても電子電機産業においても、単純労働力を求めてだけではなく、研究開発などの高級知的労働力を求めても、工場のみならず開発研究所も、中国に設けると言う。
この現象を単に大企業の労働雇用条件の改善策だと見るのは真実を見誤っているかも知れない。
上に述べたように、生活の安定・健全層の生活を不安定層に覗かせて、同和不良分子を使って、社会に騒乱性を演出して、自己のみの地位を保守しようとする政治の在り方にも、その逃避の原因があるのかも知れない。同和政治家と同和不良分子の自覚と危機意識なくしては、これからも日本から主要企業を追い出してしまうことになろう。
それによって、低から高までの労働者が労働機会を失うだけでなく、同和政治家も同和不良分子もますますの破壊の中にのみ自己を安住させる以外にないことになろう。
現在の国会議員は、その7割くらいまでが、二世三世の世襲議員である。そしてその殆どが江戸時代の上層階級でもなく明治の元勲や功労層の出身者でもない。同和水平運動で以て即ち社会秩序と社会の富の蓄積の破壊運動で以て票を集めただけの下層階級出身者たちである。
その者達が、今日のように科学技術が進んだ社会では、平穏で豊かな生活を国民の総てが否世界の総ての人々が享受できる筈であるのに、その進歩を破壊して即ち国民を在る筈の水準から墜落させることによって、高い地位と高収入を得ようとする以外に策を持たないところに、国民と世界の人々の不幸が在り、その不幸からまったく解放されない根本が在る。
高度経済成長と言う国土の都市化によって、都市人口は大膨張している。その都市化の象徴である建造物が総て不良財産化してしまっている。公共と言わず企業と言わず個人と言わず、総てがローンを返せないで、建造物は総て不良抵当物権化してしまっている。銀行の不良債権の本質はここに在るのであり、これらの物権に経済性が蘇り、資金的流動性が出ない限り、銀行にいくら金を注ぎ込みえたとしても本質的に国家経済が活性化することは望めない。
何しろ、30年掛かってローンを支払わなくてはならないものを、30年掛かって建設するのではなく1年くらいで建設してしまったのであるから、その時は30年分の景気が創れ、大ブームを招きうるが、後の29年は失業の満ち満ちた大不況に呻吟しなくてはならない道理となる。
これらの建造物に需要が発生するよう、都市の労働力を都市内で吸収する妙案が是非とも必要である。それにも拘らず、都市から工場は外国に向かって次々に消えて行くばかりの時代であったし、今以てそうである。
しかし、都市の大人口は、日々消費物資をそれは大量に需要している。従って、良く考えてみれば、都市の人口に労働需要がなかろう筈がない。
私は、広い多くの分野に本発明のような多数の発明をしている。私はこれら多くの発明で以て都市の人口に労働を与えたいと決心している。絶対に国内で造れるものは外国で生産したくない。
外国には外国内で製造できる物資を生産してもらうべく、外国にも資本の根を植えたいと思っている。
日本と外国の国土には明らかにはっきりした違いが在る。この地政の違いから、どうしても各国は交易を必要とする。その範囲内に経済協力が納まるならば、世界から未進歩性・原始性の主張に根拠を置く騒乱や紛争を必要とすることはあるまい。
アメリカや日本が今や年を逐うごとに人類の原始化に依拠した政治に陥落して行っている。戦争と言う最も原始的で野蛮な手段に頼らなくては、政治力が保守出来なくなってきている。イスラム社会の原始水平主義は文明主義の敵であるかに喧伝されるが、アメリカと日本の一部の政治家と経営者には明らかにイスラムと共通するところの在る同和原始水平化にのみ生き場所を求めているところがあるように思えてならない。低い所に低い所へと安住の地を求めて生き延びようとしている風である。この流行が日本の否世界の経済を衰退させている根本的な要因であると確信している。
この同和水平化の地獄から国民や世界の人々を救済すべく、理想に向かって産業経済を製品的にも生産様式的にもそして法制的にも根本原理を発見・発明して行く勇猛心を抱いた、従来の政治・経済運営手法を捨象して、新規性と道理性に満ちた経済政治社会を建設しうる政治家と資本家が世界的に待望されている。
これらの逸材は、きっと、どうしたら都市の大人口に、ますます落込みつつある低水準化からの反転を与えうるかを、真のエリート(ある社会や集団の中で、そのすぐれた素質・能力および社会的属性を生かして指導的地位についている小数の人(大辞林))意識を以て真剣に考え行動してくれるものと、殆どの国民や世界の人々と共に期待している。
それにしても、今使える国内資金は実に少ない。その僅かの資金を今何に使うべきかを、国民の合意の下に、本気になって考えなくてはならない。
飢えに苦しんでいるのは、何もアフリカやアフガニスタンの女子供だけではない。わが日本でも、都市のそして田舎の多くの女子供たちや年金のない老人たちが飢えと貧困に苛まれている。アフリカやアフガンの子供たちに援助をしてやろうと言う活動は政府にも在るし、民間の活動の中に多く見られる。しかし、日本国内の飢えと貧困に対して現実を正確に直視しようと言う活動は政府にもマスコミにも全く見られない。恐らく、東京や大阪や名古屋などの大都会の下層の女子供たちや老人たちは、数え切れないほどの多くの人が満足に食えないでいるのではなかろうか。
先ず、そういう人たちに粗末でもよい腹一杯食える食糧を与えることが、今日の超大不況と社会不穏からの脱出には何より大切で、経済効果の在ることではなかろうか。私はアメリカの貧困対策に倣って、希望する総ての人に高級でなくとも栄養中心の食糧を現物支給するべきであると考える。これらの人々が満腹していれば、同和政治家が怪しき公務員や同和不良分子を使って良心を麻痺させ悪にこそ生きる道が在ると手を変え品を変えて誘惑しても、それにはまり込むことなく、過去の人類の歴史がそうであったように何時か誰かに助け出されることを夢見ることが出来るのではなかろうか。
アメリカの進駐軍は、終戦直後日本の国民に対して現物配給を行なった。この物資が元となって経済が少しずつ回り始めることになった。私はそのように配給物資を闇市場に流せと言うのではないが、この現物を国内の生産物に限るならば、どんな公共投資にも遙に勝る経済効果が出現するのではないかと思っている。これを日本経済再生の着火剤として、本発明のような、私が提案している新産業・新製品を漸進的に研究開発して行けば、日本は世界経済再生の牽引車的に好転して行くのではないかと思うこと頻りである。
日本の福祉政策は、アメリカなどと違って、医療業界ならそれと言うように業界を肥やし、政治資金の原資とならないところには絶対に予算を組まない。先年、公明党の主張が通って、老人に一律に3万円を支給したことが在ったが、期待された経済効果は全く出なかった。不必要な支給を人権思想とかで一律に行なうことによって表を繕わなくてはならないところに、同和主義政策たる所以があった。
私の提案する現物支給制度は、同和対策のように秘密主義を採って、同和不良分子が差別視反対を口実に強盗的悪事を繰り返すのを見逃さざるを得ない事態に陥って行ってはならない。
そして、支給女性に対してはその時点以上に出産してはならず、子のない女性では一人しか出産を認めないようにすべきである。健全な女性でも一人しか産めない者は多い。それどころか、一人も産めない人も多いのである。この現実を無視した人権思想とかを吹く所謂人権思想家に引っかかると、以前のアメリカやイギリスなどに見られたように、手が着けられないほどの怠惰層を膨張させる事態に陥ってしまう。何事も最初に道理を弁えた毅然たる態度が必要である。こう言う道理性が日本や欧米の同和政策に厳然と貫かれていたならば、世界は不良融資の累積から陥っている地獄の現状に悶え苦しみ暴力に走る社会は招かずに済んだであろう。われわれ人類は「人権」とは何か、本当に何が何に対して要求すべきことなのかを根本的に論じなくてはならない。
先に述べた母娘や私などこそ総てを政府によって強奪されているのであるから、我々のような者こそ人権を守られるべきなのでは在るまいか。人権思想の根拠はマルクス主義の資本家泥棒説に在ると言えよう。資本家は労働者の働きの一部を資本制のメカニズムの過程で搾取すると言う。この泥棒から解き放たれる主張が人権思想だったのである。その理論化の下に下層階級の支配の可能性が成り立っていた。
然るに先の母娘や私のような支配階級でも高額所得者でもない善良などちらかと言えば知的な正しい生活が出来、それゆえに嫌みのない公正な人々が同和主義政府のスケイプゴードにされ、その上に票を集め、権力を構築すると言う現状から解放されることにこそ人権が論じられるべきことなのではあるまいか。
この前の国政補欠補充選挙でも若い人が殆ど当選した。しかし、彼らに、自分は真の人権主義者か人権主義をまやかしに使う人なのか、そこを明確にした者はいなかった。来年の初春には統一地方選挙が行なわれる。現在行なわれている前哨的な政府と同和不良分子による運動は真の人権を主張したい人たちの立候補を暴行的に阻止したいところに在ると見える。従って、我々真の人権を侵害されている者には余り選挙の結果は期待できそうにない。願うのは、政府と同和不良分子の迫害に屈することなく、一人でもよいから真の人権を主張する人が立候補し、当選してくれることである。
私は真の人権を主張したくとも、糊口の道を握られているがために、それが出来ないでいる、悲しき人々に、私の発明を以て、勇気を持って生きられる道を与えたい。
私は、都市の主体は、私に成る可く市の中心に在る市有地に私の提案している高層ビル工場を建設して提供するべきだと思っているが、それは国民の誰もが主張し享受出来ることになっている公共の福祉とは噛み合わないことなのであろうか。
政治にはいろいろな勢力が覇権を争っているように見えるが、詰まるところは、誰が真のエリートであるかを国民の前に競うことだと言える。そのエリートに要求されている素質・能力および社会的属性は明らかに真の人権の主張の上に成り立っている。その真の人権とは結局のところ絶対に他人の生命や身体や財産や働きを自己の虚栄のために犠牲にしない亦されたくないということになる。
述べたように、現在の政治の在り方は、富める人に知性が高い人に正しい生き方をする人に一生懸命働く人に家柄が良い人に即ち他人より勝る人に、それに叶わない人に可能な限りの嫉妬をさせ、それによって良心や理性を忘れさせ、本来的には自分の生活に全く関わりのない人に理由のない反感を抱かせるように、同和不良分子を使って演出して煽り、自らもその仲間であることを誓い、嫉妬票を常に維持して行くやり方に在る。
従ってその犠牲となり、何代にもわたって生活を破壊された人、現にそう言う犠牲に苦しんでいる人に、どんな仕返しを受けるか知れないと、同和主義政治をする人は常に怯え続けている。その仕返しから身を衛るためには、秀吉の刀狩りではないが、市中から銃刀を排除することが、集票万能主義時代になってからは必須の政策となった。
文明とは戦に勝つ兵器を発明開発することとして興ったと言って差支えなかろう。その端緒を拓いたものは装薬銃であった。内燃機関も銃の技術思想の延長である。若し本発明が理想的に開発されて、銃弾とその関連産業が世界的に普及して行くことになれば、自動車や健全家電製品と同様に、兵器文明製品から生活文明製品の分野に進化することになり、16世紀初頭に火縄銃が開発されて以来の名門銃弾製造企業が、永い後退期を経て、平和産業の一角を担うこととなって再び蘇ることになろう。それは私に期待されて来たそれら企業の積年の絶ちがたい夢であったと認識している。所持秩序が仕返しの暴走を予防すべく完璧であれば、兎に角獲物に向かって銃を撃つことは余り比べるものがないほど平和な面白い行為である。それは多くのオールドファンと共に勿論私の永い夢でもあった。 私も出来ることならM.NAGAIのブランドで子供専門銃弾メーカーをやりたいと思っている。勿論それは小鳥を撃つ小威力の単弾銃である。従来の空気銃は筒が細くてバランスが取れていなかった。筒をアルミなどで覆って太くしてバランスを出し、世界の子供たちが喜び勇んで格好を着けてくれる小型で軽量な装薬銃を開発したいと思っている。
私は、その子供たちに向かって、Boys,be elite.と呼びかけたい。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
装薬銃において、撃発装置で装薬を起爆点火させるのに代えて、電磁誘導発電による電流を用いる発熱体の輻射熱を集束して、その熱で以て装薬を起爆点火させるようにした、エレキガンと呼ぶことにする、電気起爆点火銃。
【請求項2】
「請求項1」における銃における電気起爆点火装置は、引金を引くと、発条の動作で、コイルに通した、永久磁石が瞬間的に移動するようにし、それによってそのコイルに電流が瞬間的に発生するようにし、その電流によって発熱体が瞬間的に発熱するようにし、そしてその熱を集束するようにし、その熱束が瞬間的に発射用火薬の起爆点火薬を着火させるようにした、電気起爆点火装置。
【請求項3】
「請求項1」における銃において用いる実包弾薬莢は、底に適当な孔を開けた主に紙の莢に、その底から黄燐と酸化剤を主薬とした起爆点火薬を、その上に発射用火薬を、そしてその上に散弾あるいは単弾を詰嵌した、実包弾薬莢。
【請求項4】
「請求項2」における発熱体とその関連器具は、その一方法としては、ニクロム線(発熱体)を渦に巻くなどして設け、その背後に凹面反射鏡を設け、発熱体の輻射熱を集束するように前面に凸レンズを設けて、それらを真空管様のものに一体化した、発熱放射器。
【請求項5】
「請求項3」における実包弾薬莢を用いる、そして「請求項4」における発熱放射器を設ける銃においては、実包弾薬莢を装填した場合その直後に来るように、そしてその装填の邪魔にならないように、例えば元折式では銃身側ではなく発熱放射器側に、発熱放射器からの輻射熱の集束を通すように、実包弾薬莢の底の孔と一致する孔を開けた、発射の反動に対する抵抗板を設けた、「請求項1」における電気起爆点火銃。
【請求項6】
「請求項1」における銃において、或いはそれのみに限らず撃発着火銃においても、発射火薬爆発部に爆発熱に感応する温度センサーを設けて、発射を感知し、その回数をカウントしうるようにした、発射回数計付銃。

【公開番号】特開2004−170050(P2004−170050A)
【公開日】平成16年6月17日(2004.6.17)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2002−373254(P2002−373254)
【出願日】平成14年11月18日(2002.11.18)
【出願人】(594052526)
【出願人】(502234662)
【出願人】(502378678)
【出願人】(502395365)