説明

黄麹菌変異株の育種方法

【課題】付随変異が少なく、従来の変異方法では獲得できなかった黄麹菌の変異株、例えば、1,100U/g麹以上のプロテアーゼ生産能を有し、2.0U/g麹以上のグルタミナーゼ生産能を有する麹菌、並びに遺伝子の欠失変異株(pyrG変異株)などを得る。
【解決手段】アスペルギルス・ソーヤ及び同・オリゼ等の黄麹菌に重イオンビームを照射し、その照射体及びその培養物から変異の生じた黄麹菌を選択することにより所望の微生物学的特長を有する黄麹菌の変異株を得る。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は黄麹菌に重イオンビームを照射し、その照射体及びその培養物から変異の生じた黄麹菌を選択することを特徴とする黄麹菌変異株の育種方法に関する。
【背景技術】
【0002】
黄麹菌は、日本の伝統食品である醤油、味噌、日本酒、みりんなどの醸造に利用される微生物である。黄麹菌は、これらの食品製造において、主に原料を分解する役割を担っている。醤油を例にとると、原料である大豆と小麦に黄麹菌を生育させ、麹を製造する。この段階で麹菌は大豆や小麦のタンパク質、糖質などを分解する酵素を生産する。ここでの分解率が高いと次工程の乳酸発酵、酵母発酵が適正に行われ、製品の品質向上に大きく寄与する。また、タンパク質を高分解することにより、製品の歩留まりが向上し、生産性を向上することができる。これらのことから、黄麹菌の改良は、酵素生産性を向上させることを主な目的として、これまでも精力的に行われている。
【0003】
黄麹菌の育種方法としては突然変異方法、遺伝子組換え方法がある。遺伝子組換え方法は、効率的に目的株を育種することができる方法であるが、遺伝子組換え技術を食品に応用していくことが日本市場においてはまだ受け入れられていないため、現実の食品製造に使用するのは問題がある。そのため、今でも従来からの突然変異方法が黄麹菌の育種の主流である。突然変異の方法としては紫外線照射、ニトロソグアニジンなどの薬剤による変異などが行われてきたが、どちらの方法も付随変異が多いという欠点がある。つまり、ひとつの菌株に同時に変異が多数生じてしまうため、目的以外の形質も変化してしまうという問題点がある。付随変異により、菌の生育が遅くなる、他の酵素生産性が低下するなどの問題が頻繁に生じ、実用上有望な変異株を取ることが非常に困難である。
【0004】
また、これらの変異方法は長年実施されてきているが、場合によってはこれらの変異方法では得ることができない変異株があることが知られている。例えば、醤油麹菌においてはプロテアーゼとグルタミナーゼを同時に高生産する株を得ることは非常に困難であることが報告されており、これを解決するために細胞融合法が用いられている(特許文献1参照)。また、紫外線照射、ニトロソグアニジンなどの薬剤による従来の変異方法によると、得られる変異株は塩基置換や塩基挿入、あるいは、わずかな数の塩基の欠失に伴うものがほとんどで、大規模に塩基が欠失した変異株を得ることは困難であった。さらに、アスペルギルス・オリゼRIB40株(独立行政法人 酒類総合研究所、菌株保管)は既にゲノム解析が行われた麹菌であり、遺伝子組換え技術の宿主として非常に重要な株であるが、これを親株としてpyrG変異株が紫外線照射、ニトロソグアニジンなどの従来の突然変異方法では得られないことが知られている。pyrG変異株は形質転換を行う際の宿主であるため、この変異株が得られないことは遺伝子組換え技術進展に大きな問題を与える。
【0005】
このように黄麹菌は醸造食品産業上、また遺伝子工学産業上において重要な微生物であるが、育種に関して上記のような問題があるため、効果的な育種方法を開発することは大きな課題である。また、黄麹菌は黒麹菌などの他の麹菌と異なり、細胞内に複数の核を持っているため、変異を困難にしている。これらのことを背景に、黄麹菌の育種において、効率的で効果的な変異方法の確立が求められている。
【特許文献1】特公平3−73271号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明の課題は、付随変異が少なく、従来の変異方法では獲得できなかった黄麹菌の変異株を得る、黄麹菌変異株の育種方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、上記課題を解決するため、鋭意研究を重ねた結果、重イオンビームを照射する方法を用いて黄麹菌を変異し、その中から従来の変異方法では得ることができなかった変異株を得ることができることを見出し、この知見に基づいて本発明を完成した。
【0008】
すなわち、本発明は以下に示す黄麹菌変異株の育種方法である。
(1)黄麹菌に重イオンビームを照射し、その照射体及びその培養物から変異の生じた黄麹菌を選択することを特徴とする黄麹菌変異株の育種方法。
(2)黄麹菌が、アスペルギルス・ソーヤ又はアスペルギルス・オリゼである上記(1)に記載の黄麹菌変異株の育種方法。
(3)重イオンビームが、4He2+20Ne8+及び125+からなる群のいずれかを線源とする上記(1)に記載の黄麹菌変異株の育種方法。
(4)変異の生じた黄麹菌が、1,100U/g麹以上のプロテアーゼ生産能を有し、2.0U/g麹以上のグルタミナーゼ生産能を有する麹菌である、上記(1)〜(3)のいずれかである黄麹菌変異株の育種方法。
(5)変異を生じた黄麹菌が、アスペルギルス・ソーヤI67−1(NITE AP−430)である上記(4)に記載の黄麹菌変異株の育種方法。
(6)黄麹菌に重イオンビームを照射し、その照射体及びその培養物から遺伝子の欠失変異株を得ることを特徴とする黄麹菌変異株の育種方法。
(7)黄麹菌変異株が、アスペルギルス・オリゼ RIB40 pyrG-(NITE AP−431)である黄麹菌変異株の育種方法。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、付随変異が少なく、従来の変異方法では獲得できなかった黄麹菌の変異株(例えば、1,100U/g麹以上のプロテアーゼ生産能を有し、2.0U/g麹以上のグルタミナーゼ生産能を有する麹菌)、並びに遺伝子の欠失変異株(アスペルギルス・オリゼ RIB40を親株としたpyrG突然変異株)を得ることができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0010】
以下、本発明を詳細に説明する。
本発明に係る黄麹菌は、アスペルギルス・ソーヤ及びアスペルギルス・オリゼに属する任意の菌株が挙げられる。このような菌株としては、従来の醤油、味噌又は清酒の醸造に使用する麹菌が挙げられ、例えば、アスペルギルス・ソーヤ 262(FERM P−2188)、アスペルギルス・ソーヤ 2165(FERM P−7280)及びアスペルギルス・オリゼ(IAM2638)、アスペルギルス・ソーヤ ATCC42251などが挙げられる。
【0011】
次に、重イオンビームを照射するには、上記菌株の分生子、凍結乾燥させた分生子、発芽分生子、発芽後5℃程度まで冷却した分生子などの胞子懸濁液を、通常の寒天平板培養培地、例えば、マルツ培地(マルツエキス9%、酵母エキス0.5%、寒天2% pH6)等に0.2〜20×106個塗布し4He2+20Ne8+及び125+などをイオン源とした重イオンビームを照射する。
重イオンビームの線量は25〜2,500Gyが好ましく、50〜800Gyがより好ましく、100〜500Gyが最も好ましい。
この重イオンビームの照射は、例えば、独立行政法人日本原子力研究開発機構 高崎量子応用研究所のTIARAを用いることができる。
【0012】
照射後は、同培地で25〜35℃で2〜6日間培養し、分生子を着生させ、この分生子を回収し、変異の生じた黄麹菌を選択する。
【0013】
変異の生じた黄麹菌を選択する場合の例としては、プロテアーゼ生産能の高い変異株を選択する方法が挙げられる。この方法は、カゼインプレートに、照射した麹菌株を接種し、麹菌の生育適温にて適当時間培養し、培養後、コロニーの周りにできるクリアゾーンの大きい株を選択し、その株について醸造特性を調べ、プロテアーゼ生産能の高い変異株をスクリーニングする方法で行われる。
【0014】
本発明によれば、付随変異が少なく、従来の変異方法では獲得できなかった黄麹菌の変異株、例えば、1,100U/g麹以上のプロテアーゼ生産能を有し、2.0U/g麹以上のグルタミナーゼ生産能を有する麹菌、並びに遺伝子の欠失変異株、アスペルギルス・オリゼ RIB40を親株としたpyrG突然変異株を得ることができる。
【実施例1】
【0015】
(非常に高いプロテアーゼ活性を示しながらも、グルタミナーゼ活性が親株並みの高いレベルを維持している黄麹菌の育種方法)
(重イオンビーム照射に麹菌の育種法)
親株としてアスペルギルス・ソーヤATCC42251を使用した。
アスペルギルス・ソーヤATCC42251の分生子をマルツ培地(マルツエキス9%、酵母エキス0.5%、寒天2% pH6)に約2×106個塗布し、125+をイオン源として250Gyの強度で照射を行った。
重イオンビームの照射は、独立行政法人日本原子力研究開発機構 高崎量子応用研究所のTLARAを用いて行った。
照射後、30℃で4日間培養し、分生子を着生させた。この分生子を回収し、カゼインプレートによる高プロテアーゼ変異株のスクリーニングを行った。
【0016】
(カゼイン培地によるスクリーニング)
回収した分生子を約400個/mlになるように滅菌水で希釈した。
この希釈液を50μlずつカゼイン培地(ミルクカゼイン0.4%、カザミノ酸0.05%、リン酸1カリウム0.36%、リン酸2ナトリウム1.43%、硫酸マグネシウム0.5%、硫酸第二鉄0.002%、寒天2% pH6.5)(%はw/w%を意味する)に塗布し、30℃で4日間培養した。培養後、コロニーの周りにできるクリアゾーンの大きい株を選択し、その株について醸造特性を調べた。
【0017】
醤油麹の製造法は定法に従って行った。すなわち、蒸煮した脱脂大豆と焙炒割砕小麦を50:50の割合で混合し、ここに種麹を1/1000量(w/w)加え、3日麹で製麹した。
【0018】
得られた麹の分析は以下のようにして行った。
(プロテアーゼ活性の測定法)
麹に10倍量の蒸留水を加え、よく混合し、2時間室温で放置した。これをNO.2の濾紙(アドバンテック社製)で濾過し、得られた抽出液を酵素サンプルとして、「しょうゆ試験法」(財団法人 日本醤油研究所 昭和60年)に記載の方法に従って測定した。
プロテアーゼ活性は、麹1g当り1分間に1μモルのチロシンを生成する活性を1U(ユニット又は単位)として示した
【0019】
(グルタミナーゼ活性の測定法)
麹に50倍量の蒸留水を加え、ポリトロンで1分間破砕したものを酵素サンプルとした。この酵素サンプル7mlに0.1M L−グルタミン溶液(1Mトリス、0.1M塩酸ヒドロキシルアミン pH8)5mlを加え、よく混合した後、30℃で1時間反応させた。反応は、停止液(50g塩化第二鉄/1000ml8.4N塩酸)2mlを入れることで停止した。この液をNO.5Cの濾紙(アドバンテック社製)で濾過した。この濾液の吸光度を420nmで測定した。活性はテストの吸光度から酵素ブランク、水ブランクの吸光度を引いた後、係数として6.03をかけてU/g麹とした。
グルタミナーゼ活性は、麹1g当り1分間に1μモルのグルタミン酸量を生成する活性を1U(ユニット又は単位)として示した。
【0020】
得られえた変異株アスペルギルス・ソーヤ I67−1の麹分析値を表1に示す。
【0021】
【表1】

【0022】
表1の結果から、変異株は、一番手入れ品温が親株と同等であり、生育も良好で、付随変異が生じていないことが確認された。また、これまでは突然変異により高プロテアーゼ変異株を得るとグルタミナーゼは親株よりも低下してしまうことが知られていたが、ここに示すとおり、I67−1は非常に高いプロテアーゼ活性を示しながらも、グルタミナーゼも親株並みの高いレベルを維持していることがわかる。なお、アスペルギルス・ソーヤI67−1は、平成19年10月2日付けにて、独立行政法人製品評価技術基盤機構特許微生物寄託センターへ寄託し、受領番号:NITE AP−○○○を得ている。
【実施例2】
【0023】
(アスペルギルス・ソーヤ オリゼ RIB40由来のpyrG変異株の育種方法)
pyrG変異株の獲得は定法に従って行った。
すなわち、Czapek−Dox Broth(Difco製)に10mMウリジン、3mg/ml 5−フルオロオロチン酸を加えたpyrG変異株選択培地に重イオンビーム変異処理した分生子を塗布し、生育してきたコロニーをpyrG変異株候補株としてピックアップした。
【0024】
得られたpyrG変異株候補株33株を親株にして、それぞれpyrG遺伝子を形質転換し、相補試験を行った。その結果、1株形質転換体を得ることができ、これをAspergillus oryzae RIB40 pyrG−株とした。なお、この菌株は、平成19年10月3日付けにて、独立行政法人製品評価技術基盤機構特許微生物寄託センターへ寄託し、受領番号:NITE AP−431を得ている。
【実施例3】
【0025】
(アスペルギルス・ソーヤ ATCC42251由来の欠失変異株の育種方法)
一般にアスペルギルス・ソーヤは野生型では緑色の分生子を着生するが、稀に白い分生子を形成する突然変異株を得ることができる。この突然変異株の一部はwA遺伝子に変異が入ることで得られることが知られているので、この遺伝子の変異を調べることで重イオンビームによる変異のパターンを解析した。実施例2と同様にして重イオンビームによる変異株を得た。比較のため、常法により紫外線変異で、白い分生子を形成する変異株を得た。そして変異株のwA遺伝子配列を解析した。
【0026】
重イオンビーム変異で得た白色変異株は114株中38株が欠失変異株であったのに対し、紫外線変異で得た白色変異株は38株中1株も欠失変異株が得られなかった。なお、重イオンビームで得られたwA遺伝子の欠失に伴う白色変異株Aspergillus sojae wA−IBは、平成19年10月3日付けにて、独立行政法人製品評価技術基盤機構特許微生物寄託センターへ寄託し、受領番号:NITE AP−428を得ている。また紫外線変異で得たwA遺伝子の塩基置換による白色変異株Aspergillus sojae wA−UVは、平成19年10月3日付けにて、独立行政法人製品評価技術基盤機構特許微生物寄託センターへ寄託し、それぞれ受領番号:NITE AP−429を得ている。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
黄麹菌に重イオンビームを照射し、その照射体及びその培養物から変異の生じた黄麹菌を選択することを特徴とする黄麹菌変異株の育種方法。
【請求項2】
黄麹菌が、アスペルギルス・ソーヤ又はアスペルギルス・オリゼである請求項1に記載の黄麹菌変異株の育種方法。
【請求項3】
重イオンビームが、4He2+20Ne8+及び125+からなる群のいずれかを線源とする請求項1に記載の黄麹菌変異株の育種方法。
【請求項4】
変異の生じた黄麹菌が、1,100U/g麹以上のプロテアーゼ生産能を有し、2.0U/g麹以上のグルタミナーゼ生産能を有する麹菌である、請求項1〜3のいずれかである黄麹菌変異株の育種方法。
【請求項5】
変異を生じた黄麹菌が、アスペルギルス・ソーヤI67−1(NITE AP−430)である請求項4に記載の黄麹菌変異株の育種方法。
【請求項6】
黄麹菌に重イオンビームを照射し、その照射体及びその培養物から遺伝子の欠失変異株を選択することを特徴とする黄麹菌変異株の育種方法。
【請求項7】
黄麹菌変異株が、アスペルギルス・オリゼ RIB40 pyrG-(NITE AP−431)である黄麹菌変異株の育種方法。

【公開番号】特開2009−95280(P2009−95280A)
【公開日】平成21年5月7日(2009.5.7)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−269956(P2007−269956)
【出願日】平成19年10月17日(2007.10.17)
【出願人】(000004477)キッコーマン株式会社 (212)
【出願人】(505374783)独立行政法人 日本原子力研究開発機構 (727)
【上記1名の代理人】
【識別番号】100125542
【弁理士】
【氏名又は名称】鈴木 英之
【Fターム(参考)】