説明

クロマチンタンパク質又はその変異体による幹細胞未分化制御方法。

【課題】幹細胞の未分化状態を制御する因子を同定し、多分化能を持つ幹細胞を簡便に培養する方法を提供する。
【解決手段】クロマチンタンパク質であるTIF1β又はその変異体をコードする遺伝子を導入することから成る、幹細胞における未分化状態の制御方法、幹細胞の未分化状態を制御する方法に使用する、TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子を含む発現用組換えベクター、及び、TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子で形質転換された幹細胞。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、クロマチンタンパク質であるTIF1β又はその変異体をコードする遺伝子を導入することから成る、幹細胞における未分化状態の制御方法、該方法に使用する発現用組換えベクター、及び、TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子で形質転換された幹細胞等に関する。
【背景技術】
【0002】
幹細胞の再生医療への応用が期待され、多くの医療・研究機関において、その実用化に向けた検討が始められている。しかし盲目的で偶然に頼る錬金術的な研究が多く、現時点では目的とする細胞を効率よく分化誘導し安定供給することはおろか、分化誘導後の細胞の安定性等、問題が山積している。また、多能性幹細胞を生み出す技術として注目されている「体細胞核移植」は、実際のところ再プログラム化の効率は非常に低く、不完全であることが確認されている。また、その調製に卵子を使用するヒトES細胞を用いた組織分化誘導や、先ほどの体細胞核移植は、倫理的な問題を回避できない。それゆえ最近では患者自身の幹細胞を利用した再生医療の実現が待望されている。しかし、患者自身の体細胞の幹細胞化など技術的な問題から未だ実現に至っていない。現在の再生医療研究がこれらの問題に窮しているのは、ひとえに幹細胞の制御方法が極めて不十分であることに原因がある。これまでに、幹細胞の制御に関する報告いくつかなされているが、未だ上記目的を十分に達成する為には満足のいくものではない。
【非特許文献1】Boiani, M. and Scholer, H.R. Nat Rev Mol Cell Biol. (2005) 6, 872-884
【非特許文献2】Chambers I. et al., Cell (2003) 113, 643-655.
【非特許文献3】Mitsui K. et al., Cell (2003) 113, 631-642.
【非特許文献4】Ying Q.L. et al., Cell (2003) 115, 281-292.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0003】
従って、本発明の主な目的は、幹細胞の未分化状態を制御する因子を同定し、多分化能を持つ幹細胞を簡便に培養する方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0004】
マウスES細胞はLIF(Leukemia inhibitory factor:白血病阻害因子)存在下で、未分化状態を維持しながら増殖することができるが、LIFを除くとES細胞は徐々に分化していくことが知られていた。そこで、発明者は、LIF存在下あるいは非存在下で培養したES細胞の核と細胞質から蛋白質抽出液を調製し、2次元電気泳動で変動のある蛋白質を質量分析により解析し、LIF存在下の未分化状態幹細胞に特異的に発現する蛋白質TIF1βを同定し、TIF1βを遺伝子導入したマウスES細胞がLIF非存在下においても未分化状態を維持しながら長期間(数週間)増殖することができることを初めて見出し、係る知見に基づき本発明を完成した。
【0005】
即ち、本発明は以下の各態様に係るものである。
[1]TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子を導入することから成る、幹細胞における未分化状態の制御方法。
[2]幹細胞の未分化状態を制御する方法に使用する、TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子を含む発現用組換えベクター。
[3]TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子で形質転換された幹細胞。
【発明の効果】
【0006】
本発明方法に従い、TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子を導入し、該遺伝子を発現させることによって、幹細胞における未分化状態の制御を行うことが出来る。例えば、TIF1β遺伝子をES細胞に導入することによって、LIF非存在下における長期間の培養においても、ES細胞の未分化状態を維持すことができる。又、TIF1β変異体遺伝子をES細胞に導入することによって、ES細胞の未分化状態を維持及び更には促進させたり、又は、ES細胞の分化を促進させたりすることが可能となる。その結果、多分化能を保持した幹細胞を安定かつ容易に大量培養することが可能となり、従来よりも効率よく幹細胞を調製することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0007】
本発明第一の態様は、TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子を導入することから成る、幹細胞における未分化状態の制御方法に係る。本明細書において、「幹細胞」は未分化状態にある細胞を広く意味し、例えば、胎性幹細胞(ES細胞)の他、造血幹細胞、神経幹細胞、皮膚組織幹細胞等、様々な組織性幹細胞等を包含する概念である。
【0008】
多くの脊椎動物のTIF1β蛋白質のアミノ酸配列は公知であり、それらは脊椎動物間で広く保存されている。特に、ヒト由来のTIF1βは835個のアミノ酸からなる蛋白質(National Center for Biotechnology Information (NCBI) http://www.ncbi.nlm.nih.gov/)であり、イヌ及びマウスなどの哺乳類由来のTIF1βとアミノ酸配列において約93%以上の類似性(相同性)がある(図3)。尚、TIF1β蛋白質の機能として、これまでに、HP1タンパク質とともにヘテロクロマチン形成に関与し、転写を抑制すること(Cammas F., et al., Genes Dev. (2004) 18, 2147-2160)、及び、UV刺激などによるDNA2本鎖切断に伴い、クロマチンの弛緩を促進すること(Ziv Y, et al., Nature Cell Biology (2006) 8, 870-876)が知られている。
【0009】
従って、TIF1β遺伝子は、広く脊椎動物由来のものを含み、例えば、ヒト、イヌ及びマウス等の哺乳動物に由来するものである。
【0010】
より具体的には、TIF1β遺伝子が以下の(a)、(b)又は(c)に記載の蛋白質をコードするものである。
(a)ヒト、イヌ、又は、マウス由来のTIF1β蛋白質、
(b)(a)記載のいずれかのTIF1β蛋白質のアミノ酸配列において、1個もしくは数個のアミノ酸が欠失、置換、挿入若しくは付加されたアミノ酸配列から成り、かつ、ES細胞の未分化状態をする活性を有する蛋白質、又は
(c)(a)記載のアミノ酸配列と90%以上、好ましくは93%以上、より好ましくは95%以上、さらに好ましくは99%以上の相同性を有するアミノ酸配列から成り、かつ、ES細胞の未分化状態をする活性を有する蛋白質。
【0011】
更に、TIF1β遺伝子は以下の(a)又は(b)に記載の核酸を含むものである。
(a)ヒト、イヌ、又は、マウス由来のTIF1βをコードする塩基配列から成る核酸、
(b)上記(a)に記載の塩基配列から成る核酸と相補的な塩基配列から成る核酸とストリンジェントな条件下でハイブリダイズし、かつ、ES細胞の未分化状態を維持する活性を有する蛋白質をコードする核酸。
【0012】
本発明の方法において、TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子は、導入する幹細胞と同じ生物種又は異なる生物種由来のもののいずれでも良いが、出来るだけ互いに近縁種であることが好ましく、特に、同じ生物種由来であることが好ましい。
【0013】
本発明において、幹細胞における未分化状態を制御するとは、未分化状態を維持及び/又は促進し、逆に、例えば、中内胚葉等の適当な段階への分化を促進することを意味する。幹細胞の分化状態は、当業者に公知の任意の方法・手段で検出・確認することが出来る。例えば、本明細書の実施例に記載されているように、細胞の形態的特徴、又は、アルカリホスファターゼ及び転写因子Oct3/4及びNanog等の当業者に公知の適当な未分化マーカーを利用する抗体反応及びPCR等により幹細胞の分化状態を確認することが出来る。従って、未分化状態を維持及び/又は促進するとは、例えば、上記の各未分化マーカーの発現(活性)の程度がLIF存在下で培養した未分化状態のES細胞に近いか又は実質的に同程度であること、又は、LIF非存在下の培養においても、各未分化マーカーの発現(活性)の程度がこれら遺伝子が導入されていない幹細胞に比べて有意に高いことを意味する。一方、中内胚葉等の適当な段階への分化を促進するとは、例えば、LIF非存在下の培養において、各未分化マーカーの発現(活性)の程度がこれら遺伝子が導入されていない幹細胞に比べて有意に低くなることを意味する。
【0014】
従って、その具体例として、例えば、TIF1β遺伝子をES細胞に導入し、ES細胞の未分化状態を維持する方法がある。
【0015】
更に、TIF1β変異体遺伝子をES細胞に導入し、ES細胞の未分化状態を維持促進する方法がある。これに使用するTIF1β変異体の一例として、マウスTIF1βの824番目のセリンに相当するアミノ酸のリン酸化型TIF1βを模倣したTIF1β変異体を挙げることが出来る。具体的には、824番目のセリンに相当するアミノ酸がアスパラギン酸等の酸性アミノ酸に置換されている。
【0016】
又、TIF1β変異体遺伝子をES細胞に導入し、ES細胞の分化を促進する方法がある。これに使用するTIF1β変異体の一例として、マウスTIF1βの824番目のセリンに相当するアミノ酸の非リン酸化型TIF1βを模倣したTIF1β変異体を挙げることが出来る。具体的には、824番目のセリンに相当するアミノ酸がアラニン等の中性アミノ酸に置換されている。
【0017】
ここで、「相同性」とは、ポリペプチド配列(あるいはアミノ酸配列)又はポリヌクレオチド配列(あるいは塩基配列)における2本の鎖の間で該鎖を構成している各アミノ酸残基同志又は各塩基同志の互いの適合関係において同一であると決定できるようなものの量(数)を意味し、二つのポリペプチド配列又は二つのポリヌクレオチド配列の間の配列相関性の程度を意味するものである。相同性は容易に算出できる。二つのポリヌクレオチド配列又はポリペプチド配列間の相同性を測定する方法は数多く知られており、「相同性」(「同一性」とも言われる)なる用語は、当業者には周知である (例えば、Lesk, A. M. (Ed.), Computational Molecular Biology, Oxford University Press, New York, (1988);Smith, D. W. (Ed.), Biocomputing: Informatics and Genome Projects, Academic Press, New York, (1993); Grifin, A. M. & Grifin, H. G. (Ed.), Computer Analysis of Sequence Data: Part I, Human Press, New Jersey, (1994);von Heinje, G., Sequence Analysis in Molecular Biology, Academic Press,New York, (1987); Gribskov, M. & Devereux, J. (Ed.), Sequence Analysis Primer, M-Stockton Press, New York, (1991) 等) 。二つの配列の相同性を測定するのに用いる一般的な方法には、Martin, J. Bishop (Ed.), Guide to Huge Computers, Academic Press, San Diego, (1994);Carillo, H. & Lipman, D., SIAM J. Applied Math., 48: 1073 (1988) 等に開示されているものが挙げられるが、これらに限定されるものではない。
【0018】
本発明の核酸(遺伝子)は、上記の蛋白質をコードするものである。ここで、「コードする」とは、本発明の蛋白質をその活性を備えた状態で発現させるということを意味している。また、「コードする」とは、本発明のタンパク質を連続する構造配列(エクソン)としてコードすること、又は本発明の蛋白質を適当な介在配列(イントロン)を介してコードすることの両者を含んでいる。
【0019】
「核酸」とは、リボ核酸、デオキシリボ核酸、又はいずれの核酸の修飾体をも含む。また、核酸は、一本鎖又は二本鎖のDNAを含んでいる。
【0020】
本明細書において、「ストリンジェント(stringent)な条件」とは、前記のポリヌクレオチドまたはオリゴヌクレオチドと、ゲノムDNAとの選択的かつ検出可能な特異的結合を可能とする条件である。ストリンジェント条件は、塩濃度、有機溶媒(例えば、ホルムアミド)、温度、およびその他公知の条件の適当な組み合わせによって定義される。すなわち、塩濃度を減じるか、有機溶媒濃度を増加させるか、またはハイブリダイゼーション温度を上昇させるかによってストリンジェンシー(stringency)は増加する。更に、ハイブリダイゼーション後の洗浄の条件もストリンジェンシーに影響する。この洗浄条件もまた、塩濃度と温度によって定義され、塩濃度の減少と温度の上昇によって洗浄のストリンジェンシーは増加する。
【0021】
従って、「ストリンジェントな条件」とは、各塩基配列間の相同性の程度が、例えば、全体の平均で約80%以上、好ましくは約90%以上、より好ましくは約95%以上であるような、高い相同性を有する塩基配列間のみで、特異的にハイブリッドが形成されるような条件を意味する。具体的には、例えば、温度60℃〜68℃において、ナトリウム濃度150〜900mM、好ましくは600〜900mM、pH 6〜8であるような条件を挙げることが出来る。ストリンジェントな条件の一具体例としては、5 x SSC (750 mM NaCl、75 mM クエン酸三ナトリウム)、1% SDS、5 x デンハルト溶液50% ホルムアルデヒド、及び42℃の条件でハイブリダイゼーションを行い、0.1 x SSC (15 mM NaCl、1.5 mM クエン酸三ナトリウム)、0.1% SDS、及び55℃の条件で洗浄を行うものである。
【0022】
ハイブリダイゼーションは、例えば、カレント・プロトコールズ・イン・モレキュラー・バイオロジー(Current protocols in molecular biology(edited by Frederick M. Ausubel et al., 1987))に記載の方法等、当業界で公知の方法あるいはそれに準じる方法に従って行なうことができる。また、市販のライブラリーを使用する場合、添付の使用説明書に記載の方法に従って行なうことができる。
【0023】
本発明の遺伝子は、当業者に公知の公的機関のデータベース又は本明細書に記載の塩基配列に基づき作製したプライマー又はプローブ等を用いて、当業者に公知の任意の方法で調製することが出来る。例えば、各種のPCR、並びに、その他のNASBA(Nucleic acid sequence based amplification)法、TMA(Transcription-mediated amplification)法及びSDA(Strand Displacement Amplification)法等の当業者に公知の任意DNA増幅技術を用いることにより、該遺伝子のcDNAとして容易に得ることが可能である。
【0024】
或いは、上記遺伝子は当業者に周知の方法により、本明細書に記載のcDNAライブラリーをスクリーニングすることによって単離することができる。更に、該遺伝子のcDNAに、当業者に公知の部位特異的突然変異誘発に基づき、市販のミューテーションシステム等を用いて塩基変異を導入して調製することも可能である。
【0025】
又、上記遺伝子は、公知の方法(例えば、Carruthers(1982)Cold Spring Harbor Symp. Quant. Biol. 47:411-418;Adams(1983)J. Am. Chem. Soc. 105:661; Belousov(1997)Nucleic Acid Res. 25:3440-3444; Frenkel(1995)Free Radic. Biol. Med. 19:373-380; Blommers(1994)Biochemistry 33:7886-7896; Narang(1979)Meth. Enzymol. 68:90; Brown(1979)Meth. Enzymol. 68:109; Beaucage(1981)Tetra. Lett. 22:1859; 米国特許第4,458,066号)に記載されているような周知の化学合成技術により、in vitroにおいて合成することもできる。また、本発明のポリヌクレオチドを適当な制限酵素で切断する等の方法によって作製することもできる。
【0026】
本発明の遺伝子は、当業者に公知の任意の方法で幹細胞に導入し、該幹細胞を形質転換し、分化状態が制御された形質転換体を得ることが出来る。例えば、リン酸カルシウム法、リポフェクション法、トランスフェリン受容体を使用する方法、ペネトラチン等の膜透過性ペプチドを使用する方法、マイクロインジェクション、エレクトロポレーション及びパーティクルガン等の物理的方法、更には、レトロウイルス及びアデノウイルス等の適当なウイルスを用いる方法を挙げることが出来る。
【0027】
上記の各種形質転換法に応じて、各遺伝子は、そのまま単独の形態(例えば、mRNA又はcDNA分子)、又は適当なベクター(同じベクター又は別のベクター)に組み込んで作製した発現用組換えベクターの形態で導入される。例えば、このようなベクターとしては、レトロウイルスベクター、アデノウイルスベクター、及びアデノ随伴ウイルスベクター等の各種ウィルスベクター、非ウィルス型ベクター又は混成型ベクター等を挙げることが出来る。このようなベクターには、発現調節配列には、適当なプロモーター、エンハンサ、転写ターミネータ、タンパク質をコードする遺伝子における開始コドン(すなわちATG)、イントロンのためのスプライシングシグナル、ポリアデニル化部位、及びストップコドン等の各種の遺伝子発現調節配列、クローニング部位、薬剤耐性遺伝子等の各種要素が適宜含まれており、当業者に公知の任意の方法で作製することができる。
【0028】
従って、このようにして調製される、TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子を含む発現用組換えベクターは、本発明方法において、幹細胞の未分化状態制御剤(組成物)の活性成分として、使用することが出来る。
【0029】
形質転換体の培養の諸条件及びそれに用いる培地は、培養する細胞の種類、細胞外分泌を促進させたい目的の蛋白質の種類、及び使用する発現ベクターの構成(プロモーターの種類等)等に応じて適当なものを適宜選択することができる。又、こうして作製されるTIF1β又はその変異体をコードする遺伝子で形質転換された幹細胞(形質転換体)においては、TIF1β又はその変異体が安定的に発現されており、それによって、該形質転換体における未分化状態が制御されている。
【0030】
以下、本発明を実施例によって詳細に説明するが、本発明の技術的範囲は以下の実施例の記載によって何ら限定して解釈されるものではない。又、特に記載のない場合には、以下の実施例は、当該技術分野における常法及び当業者に公知の標準的な方法、例えば、Sambrook and Maniatis, in Molecular Cloning-A Laboratory Manual, Cold Spring Harbor Laboratory Press, New York, 1989; Ausubel, F. M. et al., Current Protocols in Molecular Biology, John Wiley & Sons, New York, N.Y, 1995等に記載されている遺伝子工学及び分子生物学的技術に従い実施した。又、本明細書中に参考文献などとして引用された文献の記載内容は本明細書の開示内容の一部を構成するものである。
【0031】
以下、実施例に則して本発明を更に詳しく説明する。尚、本発明の技術的範囲はこれらの記載によって何等制限されるものではない。尚、本明細書中で引用される技術文献の内容は、本明細書の開示内容の一部と見なされる。
【実施例1】
【0032】
[TIF1βの同定]
マウスES細胞(American Type Culture Collection: cat No. CRL-11632)をLIF非存在下で培養すると、未分化マーカーのひとつとして知られるアルカリフォスファターゼ活性をほぼ1週間で喪失することが知られている。未分化ではアルカリフォスファターゼ陽性でコロニーを形成するが、LIF非存在下ではアルカリフォスファターゼ陰性で平たく広がった形態の中内胚葉に分化してしまう(図1)。この結果からDay0とDay7の蛋白質サンプルを比較することで、プロテオーム解析により未分化特異的な蛋白質を判別することが可能と考え、常法に従い、LIF+の状態で培養したマウスES細胞及びLIF-の状態で7日間培養した細胞から核蛋白質を抽出し、それぞれ緑及び赤の蛍光色素でラベルした後、混合し、2次元電気泳動により分離した(図2)。その結果、数十個の量的変動のある蛋白質を同定し、MALDI-TOF/TOF型質量分析器により解析したところ、マウスES細胞で未分化特異的に発現するタンパク質のひとつがTIF1βであることを見出した。
【0033】
尚、本明細書に記載の実施例において、マウスES細胞はゼラチンコートしたディッシュ上で37℃、5%CO2雰囲気下で培養し、DMEM培地(high glucose)に以下の添加物を加えた培地で培養を行った(2 mM L-glutamine, 0.1 mM non-essential amino acids, 0.1 mM 2-mercaptoethanol, 15% ES cell-qualified FBS, 1000 IU/ml ESGRO (Chemicon), 及び penicillin/streptomycin)。
【実施例2】
【0034】
[幹細胞の未分化状態特異的なTIF1βのリン酸化]
TIF1βはいくつかの細胞で核内に局在していることが知られている。そこで、常法に従い、LIF+及びLIF-の状態で10日間培養したマウスES細胞の蛋白質抽出液をSDS-PAGEし、抗TIF1β抗体(MA1-2023, Affinity BioReagents)、または、TIF1βの824番目のセリン残基のリン酸化特異的抗体(抗リン酸化TIF1β(S824)抗体)(BL1067, Bethyl Laboratories)を用いたウエスタンブロットにより検討した結果、マウスES細胞においてはこのセリン残基が高度にリン酸化されていることを初めて見出した。一方で、このようなリン酸化はLIFを除去して中内胚葉に分化した細胞では検出されなかった(図4)。
【0035】
さらに未分化状態にあるマウスES細胞をこの824番目のセリン残基のリン酸化特異的抗体を使って、常法に従い、免疫蛍光法により染色してみたところ、リン酸化状態のTIF1βは核内でドット状に染色されるスポットとして局在することが確認された(図5)。
【実施例3】
【0036】
[TIF1βによるES細胞の未分化状態促進]
マウスES細胞において、野生型TIF1βを遺伝子導入し安定発現させた細胞株を樹立し、LIFを培地から除去し2週間培養することで通常のマウスES細胞が中内胚葉に完全に分化してしまう状況にあっても多くの細胞において、形態的にLIF存在下で培養した未分化状態のES細胞に近く、細胞がぎっしり密集したパンケーキ状の形態を示すことが分かった。また、このとき未分化マーカーの一つであるアルカリホスファターゼの活性染色を行ったところ、未分化状態を維持していることが確認された(図6)。又、各クローンをLIF非存在下で2週間培養した後、RNAを精製し、RT-PCRによりOct3/4mRNAの発現を調べた。その結果、このようなLIF非存在下における長期間の培養でも未分化マーカー転写因子Oct3/4の発現が維持されていることがRT-PCRにより確認された(図7)。さらに、未分化マーカーOct3/4の抗体(sc-9081, SANTA CRUZ)を用いた、常法による免疫蛍光染色によっても未分化マーカーの発現が認められ、未分化状態の維持が確認された(図8)。従って、TIF1βの遺伝子導入によりES細胞の未分化状態が維持・促進されることが分かった。実験の詳細は以下の通りである。
【0037】
遺伝子導入方法
マウスTIF1β発現ベクターは以下の方法で調製した。マウスES細胞(3x10細胞)にISOGEN(ニッポンジーン)500 μlを加えて強く撹拌し、ISOGEN溶液中に細胞を溶かした。そこに100 μlのクロロホルムを加えて撹拌し、10分間15Krpm(4℃)で遠心を行った。上清を新しい1.5 mlチューブに移し、等量のイソプロパノールを加えて撹拌し、室温で20分静置した。その後、10分間15Krpm(4℃)で遠心を行った。沈殿したRNAのペレットを確認し、上清をデカンテーションで捨て、1mlの70%エタノールを加えて10分間15Krpm(4℃)で遠心を行った。上清を捨ててペレットを風乾し、20 μlのDNase/RNase Freeの水に沈殿を溶かした。この濃度を測定した後、次にcDNA合成のステップに進んだ。Total RNA 1μgを鋳型とし、oligo dT primer、逆転写酵素(superscript II reverse transcriptase, Invitrogen)、RNase inhibitor (TaKaRa)、5×1st strand buffer、0.1M dNTP Mixを混ぜ、42℃で逆転写反応を行った。反応後、65℃で10分処理し、逆転写酵素を失活させた後、氷上において急冷した。合成されたcDNAを1/5希釈したものを鋳型とし、データベースに登録されているマウスTIF1β遺伝子配列情報に基づき作製した特異的プライマー(F: 5’-ggaattcatggcggcctcggcggcagc-3’(配列番号1)、 R: 5’-cgatatctcaggggccatcaccagg-3’(配列番号2))を用いてPCRを行った。PCRの条件は、KOD plus(TOYOBO)をポリメラーゼとして使用し、94℃2分加熱変性後、94℃15秒、60℃30秒、68℃2分のサイクルを35回繰り返し、68℃で10分伸長反応した後4℃で保管した。これを1%のアガロースゲルで分電気泳動(100ボルト、20分)で分離し、エチジウムブロマイドで20分処理しUVを照射しマウスTIF1βDNAのバンドを検出した。このDNAバンドをナイフで切り出し精製した後、EcoRIとEcoRVで酵素消化した。同様に発現ベクター(pCAG-IP-Flag, Yoshida-Koide et al, Biochem. Biophys. Res. Commun. (2004) 313, 475-481にFlagタグ配列(sense: 5’-aattgaccgccatggactacaaggacgatgatgacaagggcg-3’, 配列番号3, antisense: 5’-aattcgcccttgtcatcatcgtccttgtagtccatggcggtc-3’, 配列番号4)をEcoRIサイトに挿入して作成)についてもEcoRIとEcoRVで酵素消化し、精製したマウスTIF1β断片をライゲーションし、発現ベクターpCAG-IP-Flag-TIF1βを構築した。この結果、制御遺伝子を恒常的に発現させるCAGプロモーターというウイルス由来の遺伝子配列を利用した外来プロモーターによって導入されたTIF1β遺伝子は発現制御される。このようにして作成した発現ベクターをリポフェクション試薬、リポフェクタミン2000(Invitrogen)を用いてマウスES細胞に遺伝子導入した。
【0038】
アルカリホスファターゼ活性染色
アルカリホスファターゼ活性染色については、細胞をPBSで洗浄後、3%ホルマリン/PBSで5分処理した後、アルカリホスファターゼ発色試薬(BM purple AP substrate(Roche))を加え、室温で30分インキュベートした。 その後、細胞をPBSで2回洗浄した後、光学顕微鏡で観察した。
【0039】
Oct3/4のRT-PCR
Oct3/4のRT-PCRについては、マウスES細胞から上記の方法を使用してmRNAを抽出しcDNAを合成した。プライマーはF: 5’-tgcggagggatggcatac-3’(配列番号5), R: 5’-ctccaacttcacggcattg-3’ (配列番号6)を用いてPCRをおこなった。PCRの条件は、KOD plus(TOYOBO)をポリメラーゼとして使用し、94℃2分加熱変性後、94℃15秒、60℃30秒、68℃2分のサイクルを25回繰り返し、68℃で10分伸長反応した後4℃で保管した。これを1%のアガロースゲルで分電気泳動(100ボルト、20分)で分離し、エチジウムブロマイドで20分処理しUVを照射しマウスOct3/4 DNAのバンドを検出した。
【実施例4】
【0040】
[TIF1β変異体によるES細胞の未分化状態促進又は分化促進]
未分化状態のマウスES細胞では、TIF1βの824番目のセリン残基はリン酸化されていたことから、未分化状態のリン酸化型TIF1βを模倣したTIF1β変異体(TIF1β S824D)を遺伝子導入したマウスES細胞株を樹立した。TIF1β S824Dは、824番目のセリン残基をリン酸化セリンに模倣するため、酸性のアミノ酸(アスパラギン酸)に置換した変異体である。長期(2週間)にLIF非存在下で培養し、通常のマウスES細胞が中内胚葉に完全に分化してしまう状況にあっても、多くの細胞において、LIF存在下で培養した場合と同様のコロニーを形成していた(図9左)。一方、非リン酸化状態のTIF1βを模倣したTIF1β S824A変異体(セリンをアラニンに置換)はLIFを除去すると通常のマウスES細胞よりも急速に中内胚葉への分化が進むことが確認された(図9右)。更に、図10に示されるように、このようなS824のリン酸化依存的な未分化性維持活性は、未分化状態特異的遺伝子Nanog mRNA (A)やOct3/4mRNA (B)の発現によっても検証され、TIF1β S824D変異体はTIF1β(WT)やS824A変異体に比べて明らかに高い遺伝子発現を長期にわたり維持している一方で、S824A変異体はTIF1β(WT)よりもこれらmRNAの発現が低かった(図10)。以上のことから、TIF1β824番目のセリンのリン酸化状態が、幹細胞の未分化状態をポジティブにもネガティブにも制御できることが判明した。実験の詳細は以下の通りである。
【0041】
IF1βS824D変異体及びTIF1βS824A変異体遺伝子の調製と導入
TIF1βS824D変異体及びTIF1βS824A変異体遺伝子については、上記のpCAG-IP-Flag-TIF1βをテンプレートにしてQuikChange Site-Directed Mutagenesis Kit (Stratagene)を利用して変異を導入し、pCAG-IP-Flag-TIF1β(S824D)及びpCAG-IP-Flag-TIF1β(S824A)を構築した。この際に使用したプライマーは以下のとおりである。
(S824D sense: 5’-cagtgctggcctaagtgatcaggagctctctggc-3’) (配列番号7)
(S824D antisense: 5’-gccagagagctcctgatcacttaggccagcactg-3’) (配列番号8)
(S824A sense: 5’-gtgctggcctaagtgctcaggagctctc-3’) (配列番号9)
(S824A antisense: 5’-gagagctcctgagcacttaggccagcac-3’) (配列番号10)
【0042】
Nanog及びOct3/4のリアルタイムPCRの具体的手順
マウスES細胞から同上の方法を使用してmRNAを抽出しランダムプライマーを用いてcDNAを合成した。リアルタイムPCR は、QuantiTect SYBR Green Kit (QIAGEN)を用いその取扱い説明書に記載の条件で行い、PCR機はABI PRISM 7700 (Applied Biosystems) を用いた。 なお、Oct3/4のプライマーはF: 5’-tgcggagggatggcatac-3’(配列番号5), R: 5’-ctccaacttcacggcattg-3’(配列番号6)、NanogのプライマーはF: 5’-aagcctttccgtgtg gggca-3’ (配列番号11)、R: 5’- atggagcggagcagcattcc-3’ (配列番号12)を使用した。
【産業上の利用可能性】
【0043】
本発明で同定されたTIF1β又はその変異体の遺伝子導入することにより、幹細胞を簡便に培養することが可能になり、また体細胞を幹細胞化する技術への応用も期待できる。更に、この蛋白質などが特異的に欠如、あるいは異常発現しているヒトなどの疾病の診断や、分泌に関与する因子の欠陥や欠損などに起因するヒトなどの異常や疾病を治療する目的などに有用な材料を提供することが可能となる。また、そのような異常や疾病に関する研究のためのよい材料を提供することや、それらの異常や疾病を治療するための薬剤の開発における有用なアッセイ系の材料を提供することも期待できる。更に、関連試薬を開発すること、ヒトの疾病の治療法の開発や診断法を開発するなど、種々な用途が拓ける。更に、再生医療をより強力に推進することも可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0044】
【図1】マウスES細胞のLIF除去に伴う形態及びアルカリホスファターゼ活性の減少を示す写真である。
【図2】マウスES細胞の核抽出液の2次元電気泳動(pH 3-10, 12.5 % SDS-PAGE)を示す写真である。緑色のスポットは未分化状態特異的に発現している蛋白質(LIF +)であり、赤色のスポットは分化し発現が上昇してくる蛋白質(LIF -)を示している。矢印はその後の質量分析でTIF1βとして同定された蛋白質スポットを示す。
【図3】ヒト(hTIF1beta)、イヌ(cTIF1beta)、及びマウス(mTIF1beta)のTIF1βのアミノ酸(一文字表記)を示す。
【図4】マウスES細胞におけるTIF1βとそのリン酸化状態を示す写真である。左から順に、TIF1β-P(S824)、DAPI、Merge、及び、Oct4を示す。
【図5】TIF1β(リン酸化型)の細胞内局在 マウスの未分化状態のES細胞における内在性を示す写真である。緑:TIF1β S824リン酸化フォーム、赤:Oct3/4、青:DAPI。
【図6】LIF非存在下で培養した野生型TIF1βを安定発現させたマウスES細胞のアルカリホスファターゼ活性染色の結果を示す写真である。Mock(左):コントロール空ベクターを導入したクローン。TIF1β(右):野生型TIF1βを導入したクローン。
【図7】LIF非存在下で培養した野生型TIF1βを安定発現させたマウスES細胞のOct3/4mRNAの発現を示す写真である。Mock:コントロール空ベクターを導入したクローン。TIF1β:野生型TIF1βを導入したクローン。
【図8】LIF非存在下で培養した野生型TIF1βを安定発現させたマウスES細胞のOct3/4蛋白質の発現を示す写真である。Mock(左4つ):コントロール空ベクターを導入したクローン。TIF1β(右4つ):野生型TIF1βを導入したクローン。赤(第1、3列):Oct3/4、青(第2,4列):DAPI。
【図9】TIF1β変異体を遺伝子導入したマウスES細胞株のLIF非存在下における形態を示す写真である。
【図10】TIF1β変異体を遺伝子導入したマウスES細胞株のLIF非存在下で0日目に対する8日目におけるNanog mRNA(A)及びOct3/4 mRNA(B)の発現量の比を示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
TIF1β又はその変異体をコードする遺伝子を導入することから成る、幹細胞における未分化状態の制御方法。
【請求項2】
幹細胞がES細胞である、請求項1記載の方法。
【請求項3】
TIF1β遺伝子をES細胞に導入し、ES細胞の未分化状態を維持する、請求項2記載の方法。
【請求項4】
TIF1β遺伝子が脊椎動物由来である、請求項3記載の方法。
【請求項5】
TIF1β遺伝子が哺乳動物由来である、請求項4記載の方法。
【請求項6】
TIF1β遺伝子が以下の(a)、(b)又は(c)に記載の蛋白質をコードする、請求項1記載の方法:
(a)ヒト、イヌ、又は、マウス由来のTIF1β蛋白質、
(b)(a)記載のいずれかのTIF1β蛋白質のアミノ酸配列において、1個もしくは数個のアミノ酸が欠失、置換、挿入若しくは付加されたアミノ酸配列から成り、かつ、ES細胞の未分化状態を維持する活性を有する蛋白質、又は
(c)(a)記載のアミノ酸配列と90%以上の相同性を有するアミノ酸配列から成り、かつ、ES細胞の未分化状態を維持する活性を有する蛋白質。
【請求項7】
TIF1β遺伝子が以下の(a)又は(b)に記載の核酸を含む、請求項3記載の方法:
(a)ヒト、イヌ、又は、マウス由来のTIF1βをコードする塩基配列から成る核酸、
(b)上記(a)に記載の塩基配列から成る核酸と相補的な塩基配列から成る核酸とストリンジェントな条件下でハイブリダイズし、かつ、ES細胞の未分化状態を維持する活性を有する蛋白質をコードする核酸。
【請求項8】
請求項1〜3のいずれか一項に記載の方法に使用する、TIF1β遺伝子を含む発現用組換えベクター。
【請求項9】
TIF1β遺伝子で形質転換された幹細胞。
【請求項10】
マウスTIF1βの824番目のセリンに相当するアミノ酸のリン酸化型TIF1βを模倣したTIF1β変異体をコードする遺伝子をES細胞に導入し、ES細胞の未分化状態を維持促進する、請求項2記載の方法。
【請求項11】
TIF1β変異体において824番目のセリンに相当するアミノ酸が酸性アミノ酸に置換されている、請求項10記載の方法。
【請求項12】
酸性アミノ酸がアスパラギン酸である、請求項11記載の方法。
【請求項13】
マウスTIF1βの824番目のセリンに相当するアミノ酸の非リン酸化型TIF1βを模倣したTIF1β変異体をコードする遺伝子をES細胞に導入し、ES細胞の分化を促進する、請求項2記載の方法。
【請求項14】
TIF1β変異体において824番目のセリンに相当するアミノ酸が中性アミノ酸に置換されている、請求項13記載の方法。
【請求項15】
中性アミノ酸がアラニンである、請求項14記載の方法。
【請求項16】
中内胚葉に分化する、請求項13記載の方法。
【請求項17】
請求項10又は13記載の方法に使用する、TIF1β変異体遺伝子を含む発現用組換えベクター。
【請求項18】
TIF1β変異体がマウスTIF1βの824番目のセリンに相当するアミノ酸のリン酸化型TIF1βを模倣したものである、請求項17記載の発現用組換えベクター。
【請求項19】
TIF1β変異体がマウスTIF1βの824番目のセリンに相当するアミノ酸の非リン酸化型TIF1βを模倣したものである、請求項17記載の発現用組換えベクター。
【請求項20】
TIF1β変異体遺伝子で形質転換された幹細胞。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図5】
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【図6】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図4】
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【図7】
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【公開番号】特開2009−11255(P2009−11255A)
【公開日】平成21年1月22日(2009.1.22)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2007−177840(P2007−177840)
【出願日】平成19年7月6日(2007.7.6)
【出願人】(503360115)独立行政法人科学技術振興機構 (1,734)
【Fターム(参考)】