説明

ヘテロプラスミー細胞をホモプラスミー化する方法

【課題】本発明は、真核細胞に活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を接触させ、該細胞内の変異mtDNA(ミトコンドリアゲノムDNA)の存在比率を変化させる方法、及び該方法により得られる細胞の提供を目的とする。
【解決手段】本発明は、過酸化水素などの活性酸素種を細胞の培地に添加するなどして、細胞に活性酸素種を接触させ、適当な培養条件下において、該細胞を培養し、特定の突然変異を有するmtDNAの細胞内における存在比率を変化させる方法である。また、本発明は、該方法によって特定の突然変異を有するmtDNAの細胞内における存在比率が変化した細胞である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、変異ミトコンドリアゲノムDNAの細胞内における存在比率を変化させる方法に関する。また、本発明は、該方法を使用して細胞をホモプラスミー化する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
真核生物の細胞には、そのミトコンドリア内に、数百から数千単位のミトコンドリアDNA(以下、mtDNAと記載する)が存在する。健常なヒトmtDNAは、生まれつき、全身を構成する個々の細胞において単一の遺伝子型、言い換えると、全て同じ塩基配列をもつ。この状態をホモプラスミーという。これまでにミトコンドリア病として、ミトコンドリア脳筋症・乳酸アシドーシス・脳卒中様発作症候群(Mitochondrial myopathy, encephalopathy, lactic acidosis, stroke-like episodes:MELAS)、慢性進行性外眼筋麻痺症候群(CPEO)、Ragged−red fiberを伴うミオクローヌスてんかん=福原病(MERRF),Leigh(リー)脳症、ミトコンドリアDNA異常による肥大型心筋症、Leber(レーベル)病、Pearson病などが知られており、いずれも根治療法のない疾患である。これらのミトコンドリア病のうちの多くは、変異したmtDNAが正常mtDNAと細胞内で共存した状態で存在し、(この状態をヘテロプラスミーという)、変異mtDNAが高い比率で存在するときに病気が惹起されることが知られている。
変異mtDNAを持つ者は、誕生時は正常であるが、成長の過程で、変異mtDNAの比率がある閾値を越えると臨床症状を発現する。例えば、MELAS患者や心筋症患者ではmtDNAの3243位に、MERRF患者は8344位に、CPEOやPearson病ではmtDNAの大きな欠失が報告されている(非特許文献1)。さらに、A3243G置換変異mtDNAは、糖尿病の原因にもなることが明らかにされた。
以上のような変異mtDNAに起因する疾患は、いずれも重篤な症状を引き起こすものであるが、現在までのところ、有効な治療方法がないため、治療法の早期確立が強く望まれている。
【0003】
変異mtDNAと正常mtDNAの両者を含むヘテロプラスミーの細胞を、正常なmtDNAのみを持つホモプラスミーの細胞へ変換することができれば、ミトコンドリア病の治療等に対する大きな手掛かりを与えることができる。これまでに、発明者らは、出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)で、相同DNA組換え開始機構と共通な機構で誘導される特殊な型のmtDNA複製(ローリングサークル型DNA複製)(非特許文献2及び3)をごく軽度の酸化ストレスが誘導すること(非特許文献4)、及び、このローリングサークル型のmtDNA複製によって、ヘテロプラスミーな細胞が、ホモプラスミー化することを既に明らかにしている(非特許文献5及び非特許文献6)。
一方、ヒト細胞を含む哺乳類細胞のmtDNA複製は、θ型であるとの報告(非特許文献7)がある他、組換えと複製が協働したT4ファージ型の複製を行う可能性を示唆する報告などがあり(非特許文献8)、現在のところ、そのメカニズムの詳細は混沌としており明らかにされていない。しかしながら、ローリングサークル型のmtDNA複製ではないというのが定説となっている(非特許文献9及び非特許文献10)。
【0004】
健常なヒトに由来する細胞は、一般に、正常mtDNAのホモプラスミーである。正常女性から採取した卵細胞を調べるとmtDNAの欠失が存在するという報告があり(非特許論文11)、それが正しいとすると受精卵が発生・分化するまでの過程でホモプラスミー化されると考えられる。しかしながら、そのホモプラスミー化の機構は全く不明とされている。また、上述したように、ヒトを含む哺乳類細胞中のmtDNAの複製メカニズムは出芽酵母のそれとは異なるものであることから、出芽酵母のホモプラスミー化の機構から哺乳類細胞のmtDNAのホモプラスミー化の機構を予測することは容易なことではない。
そこで、ミトコンドリア病の根治療法を開発するためにも、哺乳類細胞mtDNAのホモプラスミー化のメカニズムについて、さらなる研究の進捗が待たれる状況である。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】Wallace,Annu Rev Genet.,39,359−407,2005
【非特許文献2】Ling及びShibata,EMBO J.,21,4730−4740,2002
【非特許文献3】Lingら,Mol.Cell.Biol.,27,1133−1145,2007
【非特許文献4】Horiら,Nucleic Acids Res.,37,749−761,2009
【非特許文献5】Ling及びShibata,Mol.Biol.Cell,15,310−322,2004
【非特許文献6】Shibata及びLing,Mitochondrion,7,17−23,2007
【非特許文献7】Kirschnerら,Proc.Natl.Acad.Sci.U.S.A.,60,1466−1472,1968
【非特許文献8】Pohjoismakiら,J.Biol.Chem.,284,21446−21457,2009
【非特許文献9】Bogenhangen及びClayton,Trends Biochem.Sci.,28,357−360,2003
【非特許文献10】Bogenhangen及びClayton,Trends Biochem.Sci.,28,404−405,2003
【非特許文献11】Chenら、Am J Hum Genet,.57,239?247,1995
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
以上の状況を踏まえ、本発明は、細胞内の変異mtDNAの存在比率を変化させる方法の提供を目的とする。
また、本発明は、上記方法を使用して細胞をホモプラスミー化する方法の提供を目的とする。
さらに、本発明は、細胞内の変異mtDNAの存在比率が変化した細胞、及びホモプラスミー細胞の提供を目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、真核細胞に活性酸素種(ROS:Reactive Oxygen Species)を接触させることで、意外にも、細胞内の変異mtDNAの存在比率を変化させることができ、さらに、正常な配列を有するmtDNAのホモプラスミー細胞を調製することができることを見出し、本発明を完成させた。
すなわち、本発明の以下の(1)〜(12)である。
(1)真核細胞に活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を接触させ、該細胞内の変異mtDNAの存在比率を変化させる方法。
(2)前記活性酸素種が、一重項酸素、スーパーオキシドアニオンラジカル、過酸化水素又はヒドロキシラジカルからなるグループより選択される1又は複数の組合せである上記(1)に記載の方法。
(3)前記活性酸素種を細胞内に発生させる化学種が、過酸化水素、塩化鉄(II)、アロキサン又はアンチマイシンからなるグループより選択される1又は複数の組合せである上記(1)に記載の方法。
(4)前記活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種が、過酸化水素である上記(2)又は(3)に記載の方法。
(5)前記真核細胞に活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を接触させる時間が、10分〜1時間である上記(1)乃至(4)のいずれかに記載の方法。
(6)細胞内の変異mtDNAの存在比率を5%以下に変化させることを特徴とする上記(1)乃至(5)のいずれかに記載の方法。
(7)上記(1)乃至(6)のいずれかに記載の方法を用いて、細胞内の変異mtDNAの存在比率を変化させた細胞を調製する方法。
(8)上記(1)乃至(6)のいずれかに記載の方法を用いて、ホモプラスミー細胞を調製する方法。
(9)前記ホモプラスミー細胞が、正常なmtDNAからなることを特徴とする上記(8)に記載の方法。
(10)上記(7)乃至(9)のいずれかに記載の方法により調製される細胞。
(11)上記(10)に記載の細胞から調製したiPS細胞。
(12)上記(10)に記載の細胞から、iPS細胞を介さずに調製した、該細胞とは異なる細胞型を有する細胞。
【発明の効果】
【0008】
本発明によれば、細胞内の変異mtDNAの存在比率を変化させることができる。さらに、本発明によれば、細胞内の変異mtDNAの存在比率が変化した細胞、あるいは、ホモプラスミー細胞(例えば、正常なmtDNAからなるホモプラスミー細胞)を提供することができる。
【0009】
本発明によって調製された正常なmtDNAからなるホモプラスミー細胞から調製したiPS細胞は、ミトコンドリア病やミトコンドリア糖尿病において機能障害を呈する各組織の再生に用いることができる。あるいは、本発明によって調製した正常なmtDNAからなるホモプラスミー細胞からiPS細胞を介さずに特定の組織細胞に分化させた分化細胞も組織再生に使用することができる。
従って、本発明は、変異mtDNAに起因する疾患の治療のための組織材料の提供において極めて有効である。
【0010】
また、本発明によって調製されるホモプラスミー細胞は、ヘテロプラスミー化する素因を有する細胞であったことから、本発明で調製したホモプラスミー細胞は、ヘテロプラスミー化の機構を解明するための有効なツールとしての利用価値が高い。つまり、本発明によって調製されるホモプラスミー細胞は、mtDNAの突然変異に起因する疾患の発症機序を明らかにするために利用することができる。
【0011】
さらに、本発明によれば、細胞内の変異mtDNAの存在比率を増加させることも可能である。従って、変異mtDNAの存在比率が検出限界以下であるような場合、僅かに存在する突然変異DNAを本発明の方法によって増幅することで、mtDNAの突然変異に起因する疾患の素因の有無を予め確認することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】図1は、A3243G置換変異mtDNAを保有するMELAS患者由来初代培養細胞のヘテロプラスミー状態を解析した結果である。下図は、各細胞クローンから得られるmtDNA3243位付近の断片をApaI処理し、アガロース電気泳動を行った結果を示す。上図は、下図から各細胞クローンに存在するA3243G置換変異比率を数値化したグラフである。294bpのバンドは、正常mtDNAに由来し、182bp及び112bpバンドは、A3243G置換変異mtDNAに由来する(下図)。上図の縦軸は、A3243G置換変異の比率(%)を示し、横軸は、下図のクローン(clone)番号に対応する。また、下図にMELAS bulkとは、クローン化する前のMELAS細胞に関し、A3243G置換変異の存在比率を解析した結果を示す。
【図2】図2は、過酸化水素処理を行ったヘテロプラスミー細胞のヘテロプラスミー状態を解析した結果である。細胞を過酸化水素で処理した後、図1と同様に解析を行った。
【図3】図3は、過酸化水素処理によるホモプラスミー化の結果を示す。過酸化水素を処理しない場合には(左図)、変異mtDNAの比率は狭い範囲に分布するが、過酸化水素で処理を行った場合(右図)、変異mtDNAの比率は2つの山に分布した。この2つの山への分離は、正常型または変異型mtDNAそれぞれのホモプラスミーへの移行を示す。その一部は、ほぼすべて正常なmtDNAだけのホモプラスミー細胞を担っていた。なお、変異mtDNAだけのホモプラスミーは致死的と考えられているので、この解析結果からは排除されている。
【発明を実施するための形態】
【0013】
本発明の実施形態の1つは、真核細胞に活性酸素種、又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を接触させ、該細胞内の変異mtDNAの存在比率を変化させる方法である。
本発明で使用される真核細胞は、特に限定はされないが、例えば、哺乳類細胞であり、中でも、ヒト及び非ヒト動物由来の細胞である。そのような細胞として、例えば、マウス、ラット、ウシ、ウマ、ブタ、ヒツジ、サル、イヌ、ネコ、トリなどに由来する細胞を例示することができ、特に好ましくは、ヒト由来の細胞である。また、本発明で使用する真核細胞は、mtDNAに変異を有する細胞であるか、又は、mtDNAに変異を有する事が疑われる細胞が特に好ましい。
【0014】
ここで、活性酸素種とは、酸素が化学的に活性になった化学種のことであり、当業者によって通常理解されるものとして定義されるものを全て含むものである。活性酸素種の例として、特に限定せずに、いくつか挙げるとすれば、スーパーオキシドアニオンラジカル、ヒドロキシラジカル、過酸化水素、一重項酸素、一酸化窒素、二酸化窒素、オゾン、過酸化脂質などが挙げられるが、細胞に対して障害を与えない化学種の種類か量、または、与えたとしてもその障害を別途軽減する手段を取り得る化学種を選択することが好ましい。好ましい活性酸素種としては、スーパーオキシドアニオンラジカル、ヒドロキシラジカル、過酸化水素、一重項酸素などである。また、活性酸素種を細胞内に発生させる化学種とは、該化学種が細胞内に侵入後、細胞内において、該化学種に応じた化学反応の後、該細胞内に活性酸素種を発生させる化学種のことである。活性酸素種を細胞内に発生させる化学種とは、例えば、塩化鉄(II)(FeCl)、アロキサン、アンチマイシンなどを挙げることができるが、これらに限定されるものではない。
また、真核細胞に、活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を「接触」させるとは、活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種が目的の細胞内へ侵入できるように、該細胞が生育している培地中などに該活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を存在させ、該細胞と該活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種が接触可能となるように処理することである。細胞と接触させる活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種は、1種でも複数種でもよく、また、活性酸素種と活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を組み合わせて培地に添加してもよい。
【0015】
活性酸素種の量は、50μM〜400μMの濃度範囲で過酸化水素を培地に添加することによって、細胞内に侵入又は発生する活性酸素種の量に準じることが好ましい。培地中に存在する活性酸素種の量は、当業者であれば適宜測定することが可能であり、例えば、市販の蛍光プローブ(CM−HDCFDA;Molecular Probes社)を用いて測定することができる。例えば、過酸化水素を培地中に添加する場合、用いる細胞にダメージを与えない量の添加が必要であるが、このような量は当業者であれば予め予備的な実験を行うことで容易に算定することができる。過酸化水素を活性酸素種として用いる場合、過酸化水素の培地中の濃度としては、例えば、50μM〜400μM、より好ましくは70μM〜300μM、さらに好ましくは、90μM〜200μM、特に好ましくは、100μM程度である。
活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を培地中に添加する場合、限定はしないが、例えば、塩化鉄(II)(FeCl)(培地中に添加する濃度としては、例えば、1〜30μM、好ましくは、5μM〜20μM、より好ましくは、10μM程度)、アロキサン(培地中に添加する濃度としては、例えば、1〜30mM、好ましくは、5mM〜20mM、より好ましくは、10mM程度)、アンチマイシン(培地中に添加する濃度としては、例えば、10〜500μM、好ましくは、50μM〜300μM、より好ましくは、100μM〜250μM、さらに好ましくは、200μM程度)などの化学種を培地中に添加することができる。活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を培地中に添加する場合、当該化学種の添加量についても、細胞に対するダメージを予め調べることで容易に確認することができる。
【0016】
活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を細胞に接触させる時間としては、例えば、活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種(例えば、塩化鉄(II)、アロキサン、アンチマイシンなど)を細胞の培地中に存在させる処理時間として算定することができる。この処理時間は、使用する細胞にダメージを与えない時間であって、かつ、該細胞を活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種で処理するのに効果的な時間である。用いる活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種によって異なるが、例えば、限定はしないが、1分〜2時間、あるいは、5分〜1.5時間、好ましくは、10分〜1時間、より好ましくは30分程度である。
【0017】
本実施態様における「変異mtDNA」とは、正常な配列とは異なる配列を持つmtDNAのことである。1つのmtDNA当たりに存在する変異箇所は、1又は複数であり、好ましくは、1〜3箇所、より好ましくは、1箇所である。また、変異mtDNA上の「変異」は、特に限定されるものではなく、正常な配列とは異なる変異の全てを含むものであるが、特に好ましくは、何らかの疾患の原因となる変異である(例えば、mtDNA上の3243位(MELASの原因変異)、8344位(MERRFの原因変異)における置換変異など。詳細は非特許文献1を参照のこと)。
細胞内の変異mtDNAの存在比率の変化は、増加又は減少のいずれであってもよい。例えば、疾患原因となる変異mtDNAの存在比率が通常の方法では検出できない程度に低い場合、本発明を使用して、その存在比率を増加させることで、該疾患の素因の有無を判定することも可能である。従って、本発明には、検出限界以下のmtDNA変異に起因する疾患の罹患可能性を判定する方法も含まれる。
また、細胞内の変異mtDNAの存在比率を可能な限り減少させると、ホモプラスミー細胞(後述する)の調製が可能である。
細胞内の変異mtDNAの存在比率の変化は、例えば、変異の有無によって切断感受性が異なる制限酵素を利用して、簡便に判定することが可能である(例えば、Goto et al., Nature, 348, 651-653, 1990などを参照のこと)。その他、対立遺伝子特異的PCR法、定量PCR法、インベーダー法、次世代シークエンサーを用いた解析法などの方法も利用可能である。
本発明によって変化した「細胞内の変異mtDNAの存在比率」は、その存在比率を減少させる場合、減少した変異mtDNAの存在比率は、例えば30%以下、好ましくは20%以下、より好ましくは10%以下、さらに好ましくは5%以下、最も好ましくは0%である。また、その存在比率を増加させる場合、増加した変異mtDNAの存在比率は、例えば10%以上、20%以上、30%以上、40%以上、50%以上、60%以上、好ましくは70%以上、80%以上、より好ましくは90%以上、さらに好ましくは95%以上である。
【0018】
本発明の他の実施態様は、真核細胞に活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を接触させ、その結果調製される「細胞内の変異mtDNAの存在比率が所望の割合に変化した細胞」、あるいは、「ホモプラスミーな細胞」である。
ホモプラスミーとは、mtDNAの塩基配列が細胞レベル又は個体レベルで均一な状態のことである。これに対して、mtDNAの塩基配列が細胞レベル又は個体レベルで均一な状態でないことをヘテロプラスミーという。例えば、ある細胞(又は個体)に含まれるmtDNAの塩基配列が全てのミトコンドリアゲノムコピーにおいて均一である場合、該細胞(又は個体)は「ホモプラスミーの細胞(又は個体)」である。本明細書においては、正常な遺伝子配列を均一に含む細胞(又は個体)については、特に、「正常なホモプラスミー細胞(又は個体)」、あるいは、「正常なmtDNAからなるホモプラスミー細胞(又は個体)」などと記載する。さらに、本明細書においては、mtDNA上に存在する特定の変異に着目して、該変異箇所の塩基配列が細胞レベル又は個体レベルで均一な場合は、該特定の変異に関しホモプラスミーな状態と称する。
また、本明細書において、ホモプラスミーとは、同一の塩基配列を持つmtDNAコピーの細胞内比率が、90%以上、特に好ましくは95%以上、最も好ましくは99%以上(変異mtDNAが1%以下)の状態のことである。
【0019】
細胞内の変異mtDNAの存在比率が所望の割合に変化した細胞、又はホモプラスミー細胞の選択及び調製は、当業者において周知の方法により行うことができる。例えば、活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種で処理した細胞から、適当な方法(例えば、限界希釈など)によりシングルコロニーを形成させ、得られたシングルコロニーに由来する細胞クローンから、DNAサンプルを調製する。調製したDNAサンプル中に存在するmtDNA変異の細胞内存在比率を確認することにより、所望の存在比率となっている細胞クローンを選択することができる。ここで、正常なホモプラスミー細胞を選択する場合、解糖系を阻害する適当な薬剤(例えば、フッ化ナトリウム、ヨード酢酸など)の存在下で選択を行うと、さらに容易に正常なホモプラスミー細胞を選択することができる。
「細胞内の変異mtDNAの存在比率が所望の割合に変化した細胞」には、細胞内の変異mtDNAの存在比率が増加した細胞及び減少した細胞のいずれも含まれるものである。例えば、細胞内の変異mtDNAの存在比率が減少した細胞とは、細胞内の変異mtDNAの存在比率が、例えば30%以下、好ましくは20%以下、より好ましくは10%以下、さらに好ましくは5%以下、最も好ましくは0%の細胞である。また、細胞内の変異mtDNAの存在比率が増加した細胞とは、細胞内の変異mtDNAの存在比率が、例えば10%以上、20%以上、30%以上、40%以上、50%以上、60%以上、好ましくは70%以上、80%以上、より好ましくは90%以上、さらに好ましくは95%以上の細胞である。
【0020】
本発明には、本発明の方法で調製される、細胞内の変異mtDNAの存在比率が所望の割合に変化した細胞、あるいは、ホモプラスミー細胞から、異なる細胞型の細胞を調製する方法、及び該方法で調製される細胞も含まれる。
このような異なる細胞型の細胞を調製する方法としては、本発明で調製した細胞内の変異mtDNAの存在比率が所望の割合に変化した細胞、あるいは、ホモプラスミー細胞からiPS細胞を調製し、該iPS細胞から所望の分化状態を有する所望の細胞型の細胞へ分化誘導する方法の他、iPS細胞を介さずに直接所望の細胞型を有する細胞を調製する方法などがある。
【0021】
iPS細胞は、体細胞へ、分化多能性を付与する数種類の転写因子遺伝子、転写因子タンパク質、及び分化多能性を誘導する化合物等(以上、分化多能性因子と称する)を導入することにより、ES細胞と同等の分化多能性を獲得した細胞である。分化多能性因子としては、すでに多くの因子が報告されており、限定はしないが、例えば、Octファミリー(例えば、Oct3/4)、SOXファミリー(例えば、SOX2、SOX1、SOX3、SOX15及びSOX17など)、Klfファミリー(例えば、Klf4、Klf2など)、MYCファミリー(例えば、c−MYC、N−MYC、L−MYCなど)、NANOG、LIN28などを挙げることができる。iPS細胞の樹立方法については、多くの文献が発行されているので、それらを参考にすることができる(例えば、Takahashi et al., Cell 2006,126:663-676;Okitaら,Nature 2007,448:313-317;Wernig et al., Nature 2007,448:318-324;Maherali et al., Cell Stem Cell 2007,1:55-70;Park et al., Nature 2007,451:141-146;Nakagawa et al., Nat Biotechnol 2008,26:101-106;Wernig et al., Cell Stem Cell 2008,10:10-12;Yu et al., Science 2007,318:1917-1920;Takahashi et al., Cell 2007,131:861-872;Stadtfeld et al., Science 2008 322:945-949などを参照のこと)。
本発明により調製されるホモプラスミー細胞に分化多能性因子をコードする遺伝子を導入し、前掲の文献を参照することで、iPS細胞を樹立することができる。ここで樹立したiPS細胞から分化誘導した各種組織又は細胞は、ホモプラスミー細胞が由来する個体に移植する場合、組織不適合性の問題を解決することが可能で、ミトコンドリア病などの有効な治療材料として利用することができる。
【0022】
また、iPS細胞を介さずに直接所望の細胞型を有する細胞を調製する方法としては、例えば、特定の転写因子を細胞中で発現させ、該細胞を所望の細胞型の細胞に変換する方法が報告されている(Zhou et al., Nature 455, 627-633, 2008)。本報告においては、3種の遺伝子(Ngn3,Pdx1,Mafa)を膵外分泌細胞中で発現させ、β細胞に変換する方法が開示されている。また、任意の浸透化した細胞を、所望の細胞型を有する細胞から調製した間期細胞抽出物又は有糸分列細胞抽出物と共にインキュベートし、該任意の細胞を所望の細胞型の細胞へ変換する方法が報告されている(特開2009−142278)。このような方法を本発明によって調製される正常なホモプラスミー細胞に適用すれば、所望の細胞型を有し、かつ、ミトコンドリア病などの原因となる変異mtDNAを有さない細胞を調製することが可能である。このように調製される細胞は、mtDNAの突然変異によって障害を受けている組織への移植等が可能であり、変異mtDNAに起因する疾患の治療に利用することができる。
本発明のホモプラスミー細胞から調製される所望の細胞型を有する細胞は、治療等の目的に沿った如何なる細胞型の細胞であってもよいが、例えば、神経細胞、横紋筋細胞、平滑筋細胞、上皮細胞、表皮細胞、角質細胞、造血細胞、メラニン形成細胞、軟骨細胞、網膜上皮細胞、β細胞、心筋細胞、B細胞、T細胞、血液系細胞(赤血球、白血球、血小板など)、線維芽細胞などが好ましい。
【実施例】
【0023】
本実施例においては、ミトコンドリア病の患者に由来するヘテロプラスミー細胞を例にとり、細胞内の変異mtDNAの存在比率を変化させる方法を説明する。以下に示す実施例は、あくまでも本発明の一部を例示するものであり、本実施例に記述される以外の細胞、本実施例に記述される以外の活性酸素種などを使用した場合も、本発明の範囲に当然に含まれるものである。
【0024】
1.ヘテロプラスミー細胞の安定性の検証
ミトコンドリア病の1つであるMELASの発症原因として、mtDNAのA3243G置換変異が確認されている。そこで、MELAS患者の骨格筋及び皮膚に由来する初代培養細胞(国立精神・神経センター、後藤雄一博士により調製された。以下、MELAS細胞と記載する)のmtDNAに存在するA3243G置換変異のヘテロプラスミー状態について検討した。
MELAS細胞をFCS10%含むDMEMの存在下、細胞密度が1×10〜1×10cell/mLとなるようにプレーティングし、37℃、5%COの条件下で3日間培養した。3日間の培養後、細胞密度が5×10〜6×10cells/mLに達した後、10〜1.2×10倍に希釈してプレーティングを行い、さらに、15日間培養を行った。15日間の培養後、細胞のシングルコロニーをいくつか選択して、定法によりDNAを抽出した。抽出したDNAサンプルを鋳型として、mtDNAの3243位付近を増幅するプライマーペアーを用いてPCRを行い、PCR産物に対してApaI処理を行った。mtDNAの3243位付近の配列は、正常な場合には、GGCCC(下線が3243位に対応する)であるが、MELAS患者のmtDNAでは突然変異によって、GGCCC(下線が3243位に対応する)と変化し、ApaI処理に対して感受性を示すようになる。従って、正常なmtDNAに由来するPCR産物は、ApaI認識配列を含まないため、ApaI処理後も単一のDNAバンド(本実施例においては、294bpのバンド)のみが検出されるが、突然変異を含むmtDNAに由来するPCR産物はApaI感受性となる結果、ApaIによって切断された2本のバンド(本実施例においては、182bpと112bpのバンド)が検出されるようになる(図1の下図を参照)。従って、294bpに対する182bp及び112bpのバンドの比率を算定することによって、細胞のヘテロプラスミー状態を評価することが可能となる(本方法の詳細は、Goto et al., Nature, 348, 651-653, 1990を参照のこと)。
図1は、MELAS細胞株から得られるいくつかの細胞クローンについて、A3243G置換変異の存在比率を検討した結果である。MELAS患者由来の細胞から得られた細胞クローンのヘテロプラスミー状態はいずれのクローンについても、30%程度と安定していることが確認された(図1の上図)。
【0025】
2.変異mtDNAの存在比率に対する活性酸素種処理の影響
次に、上記MELAS細胞に、活性酸素種として過酸化水素を接触させた場合、ヘテロプラスミー状態にどのような影響が生じるか検討した。
MELAS細胞(細胞密度;1×10〜1×10cell/mL)の培地中に最終濃度100μMとなるように過酸化水素を添加し、37℃、5%COの条件下で30分間インキュベートした後、細胞をPBSで3回洗浄し、3日間培養した。3日間の培養後、細胞密度細胞密度が5×10〜6×10cells/mLに達した後、10〜1.2×10倍に希釈してプレーティングを行い、さらに、15日間培養を行った。15日間の培養後、細胞のシングルコロニーをいくつか選択して、定法によりDNAを抽出した。得られたDNAサンプルに対して、mtDNAのA3243G置換変異の細胞内存在比率を上述と同様の方法で調べた。
図2は、過酸化水素処理後に得られた各細胞クローン中に存在するA3243Gの比率を調べた結果である。過酸化水素で処理を行うと、A3243G置換変異がほぼ0%になる細胞クローン(例えば、クローン16、25など。図2の上図を参照のこと)を得ることができた。なお、A3243G置換変異が0%である、正常なホモプラスミー細胞を選択する場合、フッ化ナトリウム(例えば、0.2μg/mL)やヨード酢酸(例えば、0.2μg/mL)などの解糖系を阻害する薬剤を添加すると、正常なホモプラスミー細胞の選択がさらに容易になる(図2の上図、“selected clone”)。
【0026】
また、A3243G置換変異の比率が、過酸化水素無処理の場合の30%よりも上昇したクローンの存在も確認できた(例えば、クローン15、27、29、32、34、35、36、39など。図2の上図)。この結果は、細胞を活性酸素種で処理することにより、細胞内の変異mtDNAの存在比率を増減させることができることを示唆するものである。そこで、この点について、さらに検討するために、過酸化水素で処理した細胞と処理していない細胞に由来する細胞クローンについて、A3243G置換変異を持つmtDNAの細胞内存在比率の分布を調べてみた。図3の左図は、過酸化水素処理を行わずに選択したMELAS細胞由来の細胞クローンについて、A3243G置換変異の存在率を調べた結果である。過酸化水素未処理の細胞クローンのA3243G置換変異の存在率は、25%〜50%程度の狭い範囲に分布していた。一方、過酸化水素で処理した細胞クローンに関しては、その置換変異の存在率が、0〜40%の範囲と40〜80%の範囲に分かれて分布することが確認された。このことは、細胞の過酸化水素処理によって、A3243G置換変異が、増加又は減少のいずれかの方向へと均一化していることを示すものである。
以上のことから、細胞の過酸化水素処理(活性酸素種による処理)は、細胞のホモプラスミー化を促進することが明らかとなった。
【産業上の利用可能性】
【0027】
本発明によれば、細胞内の変異mtDNAの存在比率を変化させることができるため、例えば、疾患の原因となるmtDNAの突然変異を含まない正常なmtDNAだけのホモプラスミー細胞の作出が可能となる。mtDNAの突然変異に起因するミトコンドリア症の根治療法が現在見出されていない状況に鑑み、本発明は、再生医療の分野等において、該疾患の治療材料及び治療方法の開発に大きく貢献するものである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
真核細胞に活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を接触させ、該細胞内の変異mtDNAの存在比率を変化させる方法。
【請求項2】
前記活性酸素種が、一重項酸素、スーパーオキシドアニオンラジカル、過酸化水素又はヒドロキシラジカルからなるグループより選択される1又は複数の組合せである請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記活性酸素種を細胞内に発生させる化学種が、過酸化水素、塩化鉄(II)、アロキサン又はアンチマイシンからなるグループより選択される1又は複数の組合せである請求項1に記載の方法。
【請求項4】
前記活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種が、過酸化水素である請求項2又は3に記載の方法。
【請求項5】
前記真核細胞に活性酸素種又は活性酸素種を細胞内に発生させる化学種を接触させる時間が、10分〜1時間である請求項1乃至4のいずれかに記載の方法。
【請求項6】
細胞内の変異mtDNAの存在比率を5%以下に変化させることを特徴とする請求項1乃至5のいずれかに記載の方法。
【請求項7】
請求項1乃至6のいずれかに記載の方法を用いて、細胞内の変異mtDNAの存在比率を変化させた細胞を調製する方法。
【請求項8】
請求項1乃至6のいずれかに記載の方法を用いて、ホモプラスミー細胞を調製する方法。
【請求項9】
前記ホモプラスミー細胞が、正常なmtDNAからなることを特徴とする請求項8に記載の方法。
【請求項10】
請求項7乃至9のいずれかに記載の方法により調製される細胞。
【請求項11】
請求項10に記載の細胞から調製したiPS細胞。
【請求項12】
請求項10に記載の細胞から、iPS細胞を介さずに調製した、該細胞とは異なる細胞型を有する細胞。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【公開番号】特開2011−125248(P2011−125248A)
【公開日】平成23年6月30日(2011.6.30)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−285729(P2009−285729)
【出願日】平成21年12月16日(2009.12.16)
【出願人】(503359821)独立行政法人理化学研究所 (1,056)
【出願人】(510147776)独立行政法人国立精神・神経医療研究センター (4)
【Fターム(参考)】