説明

レーザイオン化質量分析装置

【課題】 超音速分子ジェットによる試料導入のレーザー多光子イオン化質量分析技術において、バックグランドを低減し、これにより信号強度を増大する測定装置、および測定方法を提供する。
【解決手段】 上記課題は、分子ジェットを形成するパルスバルブを備えた試料導入部と、パルスレーザー光発振器と、該発振器から発せられたレーザー光が通過しうる窓を有する真空イオン化室または相当する部位と、該レーザー光によってイオン化された分子の質量を分析する質量分析計を有し、前記真空イオン化室を排気するポンプにターボ分子ポンプが使用されていることを特徴とするレーザーイオン化質量分析装置によって解決される。

【発明の詳細な説明】
【0001】
【発明の属する技術】本発明は、レーザー光の照射によって被測定物である試料分子をイオン化し、そのイオンの質量スペクトルを測定することで試料の質量分析を行うレーザーイオン化質量分析技術に関するものである。
【0002】
【従来の技術】燃焼排ガスなど種々の化合物が含有されている混合ガス試料をレーザー多光子イオン化質量分析で測定する場合、Analytical Chemistry,第66巻,1062〜1069頁(1994年)に技術の一例が紹介されている。すなわち、通常の試料導入によるレーザー多光子イオン化質量分析技術では、各々の化合物に対応するピークがそれぞれ幅広のため、ピークが重なってしまい定量化が困難である。そこで、孔径の小さな試料導入バルブを通してガス試料を真空のイオン化室に導入し、レーザーを照射してイオン化し、質量分析計で測定する。これにより、ガス試料が断熱膨張し、絶対零度近くまで冷却されるため、各々の化合物の分子の振動・回転が抑制される。したがって、各々の化合物に対応するピークがシャープになり、それぞれ分離するため、定量化が容易になる。この方法は、導入した分子の速度が音速の数十倍程度であることから超音速分子ビーム分光分析、あるいは超音速分子ジェット分光分析と呼ばれるときもある。このような超音速分子ジェットを作るためには、イオン化室、あるいは関連する部位などを高真空にしなければならず、日本化学会編,第4版,実験化学講座,第8巻,119頁(1993年)に記載されているように、排気には一般に拡散ポンプ、すなわち油拡散ポンプがよく用いられていた。また、油回転ポンプなどを用いることもあり、この双方を併用することもあった。因みに、質量分析計は、大部分が分子イオンのみが進入してくる構造となっているため、負荷が小さいので排気にはターボ分子ポンプが用いられていた。
【0003】
【発明が解決しようとする課題】この超音速分子ジェットの試料導入では、一般にイオン化室の高真空を維持するため、ガス試料を連続的、あるいはパルス的に導入する際単位時間あたりの導入量を少なくしなくてはいけないという制限がある。このため、測定対象試料の量が極めて少ないので、全体的に感度が低下するという問題がある。そこで、感度向上、すなわちイオン化した測定対象分子に対応する信号の強度増大は極めて重要である。
【0004】一方、超音速分子ジェット生成の駆動力としての排気には、油拡散ポンプ、あるいは油回転ポンプが使用されてきているが、通常、排気速度は速いものの、すなわち高真空は維持できるもののポンプで使用しているオイルが極わずかではあるがイオン化室に存在する。これがパルスレーザー光の照射によりそのままイオン化したり、あるいは分解反応などを経てイオン化したりして、バックグランド増加の原因となるという問題があった。
【0005】本発明は、このような問題点を解決するためになされたもので、超音速分子ジェットによる試料導入のレーザー多光子イオン化質量分析技術において、バックグランドを低減し、これにより信号強度を増大する測定装置、および測定方法を提供することを目的とする。
【0006】
【課題を解決するための手段】上記課題は、分子ジェットを形成するパルスバルブを備えた試料導入部と、パルスレーザー光発振器と、該発振器から発せられたレーザー光が通過しうる窓を有する真空イオン化室または相当する部位と、該レーザー光によってイオン化された分子の質量を分析する質量分析計を有し、前記真空イオン化室を排気するポンプにターボ分子ポンプが使用されていることを特徴とするレーザーイオン化質量分析装置によって解決される。ところで、オイルフリーのターボ分子ポンプは一般に排気速度が低いためにただ単にこのポンプを用いるのみでは連続的な測定をしようとするとイオン化室に試料が多少残るので、試料、あるいは試料の分解物などがイオン化して測定されてバックグランドが高くなってしまうという問題があった。本発明においては、ターボ分子ポンプの使用に加えて試料導入手段として作動時間の短いパルスバルブを併用することによって試料導入量をターボ分子ポンプの能力に適合させ、バックグランドを低減させることに成功した。
【0007】
【発明の実施の形態】試料導入部は、超音速分子ジェットを作り出せるようなノズルあるいはオリフィスを備えているパルスバルブを使用する。パルスバルブは日本化学会編,第4版,実験化学講座,第8巻,127〜129頁(1993年)に記載されているように、通常、ばねでシール面に押さえ付けられているプランジャーが、後方のソレノイド(電磁コイル)への瞬間的に通電によって電磁気的に後方に引き付けられてその間だけ開口するものである。また、ピエゾ素子を用いて開閉するバルブも開発されており、利用できる。
【0008】本発明においては、イオン化するためにレーザー光と測定対象化合物分子が相互作用する時間はパルスレーザー光の発振時間に依存するので使用するパルスレーザー光の発振時間(照射時間)と同程度までなら極めて短時間に作動するパルスバルブが好ましい。具体的な作動時間としては、0.1〜500μs程度、特に1〜200μs程度が好ましい。そこで、市販のパルスバルブの作動時間が長い場合には、ばねの長さを長くして、同時に強度を上げて、またコイルの電気抵抗を小さくして大電流を流せるようにするとともに作動電圧を大きなものにすると、より短時間に作動するバルブとすることができる。ノズルの開口部は通常の円孔のほかスリットであってもよい。開口部の大きさは超音速分子ジェットを作り出せるように定められ、これは真空イオン化室の排気能力等に依存するが、開口面積で0.01〜1mm2程度、特に0.2〜0.5mm2程度が通常適当である。
【0009】パルスレーザー光発振器は、高出力のパルスレーザー光を発振できればとくに限定されるものではないが、例えばナノ秒オーダーのパルスレーザー光を発振するものであれば、次のようなものを用いることができる。つまり、色素レーザーが最も一般的に使用される。これは、エキシマーレーザー、あるいはヤグレーザーをポンピング光源として用い、レーザー色素の交換により330〜1000nmまで連続的に波長を変化することができる。最近は光パラメトリック発振レーザーが市販され、色素レーザーの代わりにこれを用いて発振することもできる。また、色素の倍波発生、ミキシングなどにより用いると220nmまで発生領域を拡大できる。フェムト秒オーダーのレーザー光については、大別してXeClエキシマーレーザー励起フェムト秒パルス色素レーザーならびに増幅用KrFエキシマーレーザーから構成されるシステムで発振できる。これは、ナノ秒色素レーザーをクエンチングしてさらにショートキャビティーレーザーを励起し、過飽和吸収体を通過させ、9psのパルスを発生する。この光パルスは色素アンプで増幅し、分布帰還型色素レーザーのポンプ光として用いる。最終的には、紫外線領域の波長、フェムト秒オーダーで最大20mJ程度の出力のパルスレーザー光が得られるものである。なお、フェムト秒レーザー部の発振を遮るとナノ秒オーダーのレーザー光も発振できる。
【0010】レーザー光の集光については、何ら限定されるものではなく、通常のビーム断面が円形、あるいは特殊レンズ(シリンドリカルレンズ)を用いてできる平面状など種々の形状のものを用いることができる。
【0011】イオン化室は高真空を形成しうる構造をしていて、レーザー光を透過する材質で作られている窓を設けてあればよい。真空イオン化室と質量分析計の真空室が連設されて仕切がない場合もある。その場合、イオン化が行なわれる部位が真空イオン化室に担当する部位になる。また、試料導入部とイオン化室との間にスキマーを設けてもよく、この場合はこの間の空間、すなわち前室も当然ターボ分子ポンプにより高真空化を図る。
【0012】質量分析計としては、飛行時間型、四重極型、二重収束型など何れの形式のものも用いることができる。
【0013】イオン化室は、オイルフリーのターボ分子ポンプにより真空にする。
【0014】ターボ分子ポンプは、円板に斜めにスリットを入れた回転翼とスリットの傾きが反対である固定翼とが交互におかれた構造で、通常吸気口が上部に、排気口が下部に、また回転翼の軸が垂直に配置されている。回転翼が分子の並進速度と同程度の速度で高速回転(2000〜7000rpm)しており、分子は回転翼に衝突して下流に向かって叩き落とされ、排気口へと運ばれる。圧縮比(吸気圧に対する排気圧の比)がポンプ性能の目安となるが、分子量の大きな炭化水素に対する圧縮比が高いため、オイルフリーの清浄な真空を得ることができる。真空室内の真空度はこのターボ分子ポンプによって10-6〜10-8torr程度にし、それに応じた能力のポンプが選択される。
【0015】また、質量分析計の真空室の排気手段にもターボ分子ポンプを使用する。
【0016】試料の導入については、通常イオン化室(または相当する部位)、あるいはスキマーを用いたとき前室が10-6torr以下に保持されているので、ガス状になってさえいれば常圧付近の圧力で十分でこれが駆動力になり導入されるため、とくに加圧しなくてもよいが、高圧の試料を直接導入しても何ら支障はない。また、よく知られているように減圧すると分子ジェットの密度が高くなり、若干ではあるが感度が向上する場合もあるので、好ましいときもある。
【0017】分子イオンの質量数決定と検出については質量分析計を通常の作動状態で運転すればよく、記録については一般的なデジタルオシロスコープ、レコーダーで行うことができる。
【0018】
【実施例】
実施例1図1に示すレーザーイオン化質量分析装置を作製した。この装置に使用した部品の多くは市販品であり、試料導入部1にはGeneral Valve社製のパルスバルブ(PN91−47−900(85kg/cm2))を、パルスレーザー光発振器2にはSpectra−Physics社製 MOPO−730型のレーザーシステムを、質量分析計4は長さ1200mmの飛行管のリフレクトロンタイプの飛行時間型のものを、検出器46には浜松ホトニクス(株)製のF1094型マイクロチャンネルプレートを、そして、記録計(図示されていない。)にはLecroy社製の9360型デジタルオシロスコープを使用した。パルスバルブ11のノズル12の開口は内径0.8mmの円孔であった。
【0019】質量分析計の真空室40とレーザー光照射によるイオン化室3はいずれも190l/sの排気速度の日本真空技術(株)製のUTM150型ターボ分子ポンプで真空にした。
【0020】発振器2から発せられたパルスレーザー光22はレンズ21で集光されて窓31から真空イオン化室3に入る。一方、試料ガスは試料導入部1のパルスバルブ11によって間欠的に導入され、ノズル12から噴射されて分子ジェット13が形成される。この分子ジェット13は真空イオン化室3に入る。そこでこの分子ジェット13にレーザー光22が照射されてイオン化され、質量分析計4に入る。質量分析計4内で、まずリペラー電極42によって分子ジェット流の方向が90度変えられ、次いで、高電圧加速電極43によって加速される。その後、イオン通過孔44を通る。さらに、イオンリフレクター45で反射されてイオン検出器46で各イオンが検出される。この検出信号がデジタルオシロスコープによって計測される。
【0021】試料ガスにはo−クロロフェノールを用いて質量分析を行なった。
【0022】ナノ秒オーダーのパルスレーザー光は、波長を278.5nmとし、パルス幅を5nsとした。また、パルスレーザー光エネルギーは1mJとした。
【0023】アルゴンガスを流している500mlのフラスコに一定量のo−クロロフェノールを滴下した(初期濃度200ppm程度)。滴下を1回/20分とした。また、一部分取するような形でフラスコ出口に接続した上述のパルスバルブを10回/秒の割で200μs開口して超音速分子ジェットで高真空のイオン化室に導入した。同期させてパルスレーザー光を照射して生成したイオンは飛行時間型のマイクロチャンネルプレートで検出し、デジタルオシロスコープでスペクトルを得て、経時変化を記録した。さらに、最後にo−クロロフェノールの滴下を終えてから20分経過した処でレーザー光をカットした。結果を図2に示す。
【0024】比較例1実施例と同一の装置を用い、イオン化室を排気速度が1200l/sの日本真空技術(株)製のULK−06A型の油拡散ポンプで排気した以外は実施例と同じ実験を行った。図3に結果を示す。
【0025】比較例2パルスバルブに自動車用エンジンの燃料噴射バルブを改造したもの(開口時間1.5ms)を用いた以外は、実施例と同一の装置を用い実験を行った。図4に結果を示す。
【0026】図2〜4において、レーザー光をカットするとイオンが生成しないため零点レベルに相当し、また振れ(変動)は検出系のノイズである。比較例1に比べて、実施例1ではバックグランドが下がっているとともに、試料を大量に導入してないため、変動が少なくノイズが減少していることが明らかである。すなわち、高感度の検出ができることが判る。この効果は、原理的にはターボ分子ポンプを用い、開口時間を通常より短くすると現れるはずではあるが、顕著になるのは開口時間を500μs以下としたときである。
【0027】
【発明の効果】以上のように、本発明技術によると、試料導入時間を短くし、またイオン化室の排気にオイルフリーポンプを用いるため、オイルあるいは残存試料に起因するバックグランドを低減できるので高感度検出が可能となり、定量(検出)下限を低下できるという効果がある。
【図面の簡単な説明】
【図1】 本発明の一実施例である装置の構成を示す図である。
【図2】 o−クロロフェノールのイオン強度の経時変化とレーザー光カット時の検出系の信号(短時間試料導入・ターボ分子ポンプ排気)を示すグラフである。
【図3】 o−クロロフェノールのイオン強度の経時変化とレーザー光カット時の検出系の信号(短時間試料導入・油拡散ポンプ排気)を示すグラフである。
【図4】 o−クロロフェノールのイオン強度の経時変化とレーザー光カット時の検出系の信号(通常試料導入・ターボ分子ポンプ排気)を示すグラフである。
【符号の説明】
1………試料導入部
11…パルスバルブ
12…ノズル
13…分子ジェット
2………パルスレーザー光発振器
21…レンズ
22…パルスレーザー光
3………真空イオン化室
31…窓
4………質量分析計
40…真空室
41…隔壁
42…リペラー電極
43…加速電極
44…イオン通過孔
45…イオンリフレクター
46…検出器
51…排気系(ターボ分子ポンプ)
52…排気系(ターボ分子ポンプ)

【特許請求の範囲】
【請求項1】 分子ジェットを形成するパルスバルブを備えた試料導入部と、パルスレーザー光発振器と、該発振器から発せられたレーザー光が通過しうる窓を有する真空イオン化室または相当する部位と、該レーザー光によってイオン化された分子の質量を分析する質量分析計を有し、前記真空イオン化室を排気するポンプにターボ分子ポンプが使用されていることを特徴とするレーザーイオン化質量分析装置

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【公開番号】特開平10−69878
【公開日】平成10年(1998)3月10日
【国際特許分類】
【出願番号】特願平8−228284
【出願日】平成8年(1996)8月29日
【出願人】(000004123)日本鋼管株式会社 (1,044)