説明

単一細胞の力学特性の計測方法および計測装置

【課題】単一細胞の力学特性の計測方法および計測装置。
【解決手段】
原子間力顕微鏡を用いて多数の細胞を計測する方法であって、A)微細加工基板上に個々の細胞を配列し、個々の細胞を自動で位置決めするステップ;B)配列化した細胞の複素弾性率の周波数特性を計測するステップ;C)細胞内計測位置または細胞内構造を変化させ、再度、多数細胞の複素弾性率の周波数特性を計測するステップ;およびD)細胞力学特性の細胞数分布を定量解析するステップを含む方法および装置。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、原子間力顕微鏡を用いた、単一細胞の力学特性の計測方法と計測装置に関する。
【背景技術】
【0002】
細胞の力学特性は、細胞の機能と密接に関係している。そのため、細胞力学特性はがん細胞等の細胞診断の重要な指標になると考えられている(非特許文献1)。がん細胞に限らず、細胞力学特性から様々な細胞の診断を行うためには、細胞単体を多数計測し、その統計解析を行うシステム・技術の発展が必要不可欠である。
【0003】
多数の細胞を短時間で計測できる有力な方法として、(1)磁気ビーズ法(非特許文献2)、(2)光ストレッチ法(非特許文献3)、そして(3)原子間力顕微鏡法(Atomic Force Microscopy: AFM)(非特許文献4)がある。
磁気ビーズ法は、細胞表面に磁気ビーズを付着させ、変動磁場による磁気ビーズの変位から細胞力学特性を計測する方法である。細胞表面へのビーズの付着位置を制御することができないため、単一細胞間の差異の評価に適さないが、一度に多数の細胞を計測できる利点がある。
光ストレッチ法は、浮遊させた細胞を光の圧力で変形させ、その変形量から細胞の力学特性を計測する方法である。基質に接着して生きている細胞を、基質からはがして計測するため、天然状態の細胞の計測ができない。
原子間力顕微鏡(AFM)はカンチレバー先端の探針を細胞に接触させ、探針に働く力をカンチレバーのたわみ量から計測する。多数の細胞を配列してマイクロアレイを併用することにより、接着細胞の力学特性を精密に計測することができる。
【0004】
細胞は粘弾性体である。したがって、細胞の動的な力学特性は、貯蔵弾性率と損失弾性率と呼ばれる複素弾性率で決定される。生細胞の貯蔵弾性率は周波数のべき乗則に従い、べき乗の値は、おおよそ0.1から0.4程度である(非特許文献5)。細胞力学特性のべき乗応答は、普遍的な性質であるため、複素弾性率の精密計測が細胞診断技術において重要となる。
【0005】
【非特許文献1】Cross, S. E.; Jin, Y. S.; Rao, J.;Gimzewski, J. K., (2007) Nature Nanotech., 2,780-783.
【非特許文献2】Guck, J. et al. (2005) Biophys. J., 88(5),3689-3698.
【非特許文献3】Fabry, B. et al. (2001) Phys. Rev. Lett.,87 (14) 148102.
【非特許文献4】Hiratsuka, S. et al. Ultramicroscopy 109 (2009) 937-941.
【非特許文献5】Kollmannsberger, P., and B. Fabry. (2011) Annu. Rev. Mater. Res. 41:4.1-4.23.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
先行技術では、多数細胞計測から得られた貯蔵弾性率の細胞数分布の定量解析は行われていない。その理由は、細胞本来の力学特性と実験誤差とを分離することができないからである。本発明では、細胞診断の有意差検定を行うために必要とされる、細胞数分布の定量解析法と定量解析装置を提案する。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明の第一は、原子間力顕微鏡を用いて多数の細胞を短時間で計測する方法に関する。
[1]原子間力顕微鏡を用いて多数の細胞を計測する方法であって、A)微細加工基板上に個々の細胞を配列し、個々の細胞を自動で位置決めするステップ;B)配列化した細胞の複素弾性率の周波数特性を計測するステップ;およびC)細胞内計測位置または細胞内構造を変化させ、再度、多数細胞の複素弾性率の周波数特性を計測するステップ;を含む方法。
[2]前記原子間力顕微鏡は、細胞の位置を観察できる光学顕微鏡と一体化した、[1]に記載の方法。
[3]前記微細加工基板は、ガラス基板、金属基板、または高分子系基板からなり、細胞の形状を均一化し、細胞を基板表面に配列化するために用いる、[1]〜[2]のいずれかに記載の方法。
[4]前記細胞の複素弾性率の周波数特性は、原子間力顕微鏡を用いた細胞力学応答の周波数変調による計測である、[1]〜[3]のいずれかに記載の方法。
[5]前記細胞内計測位置とは、原子間力顕微鏡カンチレバープローブと細胞との接触位置を変化させて計測する位置である、[1]〜[4]のいずれかに記載の方法。
[6]前記細胞内構造とは、アクチン線維、微小管、中間径フィラメント等の細胞骨格構造を薬剤等の外的な要因により変化させる、[1]〜[5]のいずれかに記載の方法。
【0008】
本発明の第二は、複素弾性率の細胞数分布を定量解析する方法に関する。
[7]細胞力学特性の細胞数分布を定量解析する方法であって、A)複素弾性率の細胞数分布の平均値、および標準偏差の周波数特性を算出するステップ;B)細胞内計測位置、または細胞内構造を変化して得られた複素弾性率の周波数特性から実験誤差量を解析するステップ;およびC)実験誤差量を考慮して細胞本来の細胞力学特性の標準偏差を算出するステップ;を含む方法。
【0009】
本発明の第三は、[1]から[6]に記載の原子間力顕微鏡による多数細胞計測、および[7]に記載の細胞数分布の定量解析から、細胞本来の細胞数分布を定量化する装置に関する。
【発明の効果】
【0010】
本発明により、原子間力顕微鏡計測により得られた細胞の複素弾性率の細胞数分布を定量的に解析することができる。
【0011】
原子間力顕微鏡を用いて多数細胞計測から細胞本来の偏差(個性)を評価することができる技術であるため、以下の作用・利点がある。
(1)高精度の力計測であり、細胞力学特性の差異を精密に評価できる。
(2)実験条件に依存せず、細胞本来の標準偏差を解析できる。
(3)細胞本来の標準偏差の解析により、個々の細胞の差異を定量化できる。
【実施例】
【0012】
図1は、本発明の一実施の形態における、原子間力顕微鏡を用いた細胞単体の多数細胞計測の一例を示す図である。微細加工基板上の細胞の位置を観察するために、原子間力顕微鏡と光学顕微鏡とが一体化した装置を用いる。一例として、Nikon社の光学顕微鏡(TE−2000)に装着されたAsylum Research社のAFM装置(MFP−3D−Bio)がある。
【0013】
培養ディッシュ上で培養した細胞を微細加工基板上に播種・培養する。可能な限り、細胞を基板上に配列し、その形状を均一にする。細胞種は、線維芽細胞、上皮細胞、内皮細胞、神経細胞、骨格筋細胞、およびそれらに関連する細胞である。
【0014】
原子間力顕微鏡カンチレバープローブを細胞に圧入し、カンチレバーもしくは細胞接着基板をある周波数で振動させる。振動周波数に対するカンチレバーの振幅および位相をロックイン検波器で計測し、複素弾性率(貯蔵弾性率と損失弾性率)を求める。この計測を、振動周波数を変化させながら行い、複素弾性率の周波数特性を測定する。この細胞測定後、隣の細胞を同様の方法で計測して多数細胞の複素弾性率のデータを得る。次に、細胞内計測位置または細胞内構造を変化させ、再度、上記と同様の計測を行う。
【0015】
図2に示すように、複素弾性率の細胞数分布は対数正規分布に従う。細胞数分布の平均値および標準偏差の周波数特性を算出する。
【0016】
生細胞の貯蔵弾性率は周波数のべき乗則に従う。図3aは、貯蔵弾性率の周波数特性を模式的に示した図である。貯蔵弾性率は、周波数の増加とともにべき乗則で増大する。べき指数の値は、細胞内測定位置や細胞内構造の計測条件に依存して変化する。計測条件が異なる計測データのべき乗曲線は点A(F,g)で交差する。点Aの周波数Fにおいて、細胞力学特性は、計測条件に依らずに一定の値をもつ。
【0017】
図3aの関係から、貯蔵弾性率の細胞数分布の標準偏差の規則性が導かれる。図3bは、貯蔵弾性率の標準偏差の周波数特性を模式的に示した図である。標準偏差の大きさは、計測条件に依存して変化し、周波数の減少関数になる。計測条件が異なる計測データが交差する点Bが存在する。交差点の周波数はFであり、標準偏差はゼロである。
【0018】
図3に示した細胞の複素弾性率の関係は、AFM計測に制限されるものではない。従って、図3を考慮した解析法は、AFM以外の細胞力学計測法にも適用できる。
【0019】
図4は、AFM計測による算出された貯蔵弾性率の標準偏差Wを模式的にグラフ表示した図である。異なる細胞サンプルの結果の交点Bにおいて、標準偏差は正の値sをもつ。図3aより、この値はゼロでなければならない。したがって、数値sは細胞本来の偏差ではなく、主に、それ以外の実験誤差に起因する。このように、V=W−sの関係式を用いて、細胞本来の偏差を算出できる。
【0020】
図5は、微細加工基板上に配列化したマウスの線維芽細胞のAFM計測の結果を示している。通常の細胞とアクチン骨格を破壊した細胞の貯蔵弾性率は、交点(F,g)で一致する。また、この周波数Fにおいて、貯蔵弾性率の標準偏差Wは正の値sをもつ。
【0021】
図6は、異なる計測結果から細胞本来の標準偏差Vを解析した図である。異なる細胞サンプルであっても計測条件が同じ(黒塗りの三角と四角)である場合は、Vの値はほぼ一致する。一方で、計測条件が異なるデータ(白抜きの三角と四角)は、他のデータと大きく異なる。このように、細胞力学の偏差を定量的に解析することができる。
【0022】
図7は、細胞力学特性の細胞数分布を定量化する装置を示している。装置はAFM装置部とデータ解析部からなる。
【0023】
AFM装置部において、[1]から[6]に記載の多数細胞の複素弾性率のデータを取得する。データ解析部において、A)複素弾性率の細胞数分布を導出するステップ;B)細胞分布の周波数特性を算出するステップ;C)実験誤差量を解析するステップ;およびD)細胞本来の標準偏差を算出するステップ;を含む装置である。
【産業上の利用可能性】
【0024】
本発明により、細胞本来の力学特性と実験誤差とが含まれる細胞力学統計分布から、前者のみを抽出することができる。従って、細胞単体の力学特性を比較することにより、がん細胞等の細胞診断が可能になり、細胞力学特性の統計解析が必要とされる産業全般に利用できる。
【図面の簡単な説明】
【0025】
【図1】微細加工基板に配列した細胞と、そのAFM計測法の概念図。
【図2】貯蔵弾性率と損失弾性率の細胞数分布
【図3】(a)貯蔵弾性率Gの周波数特性。(b)貯蔵弾性率の細胞本来の標準偏差Vの周波数特性。
【図4】AFM計測から得られる貯蔵弾性率の標準偏差Wの周波数特性。
【図5】異なるAFM計測条件により得られた線維芽細胞の貯蔵弾性率と標準偏差の周波数特性。
【図6】AFMによる実験データから求めた細胞本来の標準偏差Vの周波数特性。
【図7】AFMによる多数細胞計測、および細胞数分布の定量解析から、細胞本来の細胞数分布を定量化する装置。
【符号の説明】
【0026】
100 AFMカンチレバー
200 微細加工基板上の配列細胞


【特許請求の範囲】
【請求項1】
原子間力顕微鏡を用いて多数の細胞を計測する方法であって、
A)微細加工基板上に個々の細胞を配列し、個々の細胞を自動で位置決めするステップ;
B)配列化した細胞の複素弾性率の周波数特性を計測するステップ;
および
C)細胞内計測位置または細胞内構造を変化させ、再度、多数細胞の複素弾性率の周波数特性を計測するステップ;を含む方法。
【請求項2】
前記原子間力顕微鏡は、細胞の位置を観察できる光学顕微鏡と一体化した、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記微細加工基板は、ガラス基板、金属基板、または高分子系基板からなり、細胞の形状を均一化し、細胞を基板表面に配列化するために用いる、請求項1に記載の方法。
【請求項4】
前記細胞の複素弾性率の周波数特性は、原子間力顕微鏡を用いた細胞力学応答の周波数変調による計測である、請求項1に記載の方法。
【請求項5】
前記細胞内計測位置とは、原子間力顕微鏡カンチレバープローブと細胞との接触位置を変化させて計測する位置である、請求項1に記載の方法。
【請求項6】
前記細胞内構造とは、アクチン線維、微小管、中間径フィラメント等の細胞骨格構造を薬剤等の外的な要因により変化させる、請求項1に記載の方法。
【請求項7】
細胞力学特性の細胞数分布を定量解析する方法であって、
A)複素弾性率の細胞数分布の平均値、および標準偏差の周波数特性を算出するステップ;
B)細胞内計測位置、または細胞内構造を変化して得られた複素弾性率の周波数特性から実験誤差量を解析するステップ;
および
C)実験誤差量を考慮して細胞本来の細胞力学特性の標準偏差を算出するステップ;を含む方法。
【請求項8】
細胞力学特性の細胞数分布を定量化する装置であって、
A)請求項1から6に記載の方法を含む原子間力顕微鏡装置部;および
B)請求項7に記載の方法を含むデータ解析部、を有する装置。


【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【公開番号】特開2013−44695(P2013−44695A)
【公開日】平成25年3月4日(2013.3.4)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−184403(P2011−184403)
【出願日】平成23年8月26日(2011.8.26)
【出願人】(504173471)国立大学法人北海道大学 (971)